前号

       清風74号 (平成21年5月1日発行)

1項

生前に法名を頂く

浄土真宗では戒律がないので戒名と言わずに法名といいます。法名とは、仏に帰依したことをあらわすブッデストネームです。この法名は、帰敬式という仏に帰依する儀式を行い本願寺のご門主より賜ります。

儀式当日の内容
@ 受付
A 所定の時間になると本 堂外陣に並んで座ります。 足が不自由の方は椅子席 も用意されています。
B 門主(新門主)が仏前で  「三帰依文」
南無帰依仏(なもきえぶつ)
南無帰依法(なもきえほう)
南無帰依僧(なもきえそう)
と唱えるので一緒に唱和。
B ご門主が、並んでいる 人たちの後ろから、剃刀に 似た仏具を受式者の頭に あて、髪を落とす真似をし ます。
C そして受式者の代表が、 帰敬文を朗読します。
D ご門主のお言葉
E 合掌礼拝

 儀式は人数が少ないと三十分ほどで終了します。

帰敬式を受けるには

@ 西方寺へハガキに帰敬  式希望と名前を書いて  申し込む。
A 住職から2.3の法名  案と、冥加金を納める振  替用紙を送付。
B 選んで西方寺へ返送
C 西方寺から築地本願寺  へ送付
D 築地本願寺より受式者  へ受諾書送付
E 当日、本願寺より送られ  てきた受納書を持って  直接、築地本願寺へ
F 受式・法名拝受 解散
 帰敬式アラカルト

● 帰敬式は、阿弥陀さま・宗 祖親鸞聖人の御前で、浄土真 宗の門徒としての自覚をあ らたにし、今後、力強く生き ていくことを誓う生涯ただ 一度の大切な儀式で、「おか みそり」ともいいます。
● おかみそりとは、親鸞聖人 がお得度したとき剃髪した ことに倣って、髪をそるまね をするのでおかみそりとい います。
● 帰敬文とは、私たちを導い てくださる仏(ほとけさま)・ 法(仏の教え)・僧(教団)  を敬い、心のよりどころとし て生きることを誓うご文(も ん)です。
●「法名」は、「帰敬式」を受 式して、本願寺ご門主からい ただきます。亡くなられた 人に限って、所属寺の住職よ りいただきます
●「法名」は、「釋〇〇」の二 字を用います。それが正式 で生前法名が本来の姿です。

期日 7月15日(水)       14時
費用 25.000円 
場所 築地本願寺(中央区)   (4月末日締切)
次回 
 8月16日(日)
 9時半(5月25日までに     申し込み)
 9月23日(祝)
 9時半(6月20日までに)
11月12日〜16日の間   (7月末日までに)


2項3項

ー親の苦労を知るー         住職
「人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切」。島田洋七さんの「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」(徳間書店)にある言葉です。
 貧しさの中、地域社会の人たちの優しさに支えられて生活する。親切をする人たちが洋七少年に気づかれないような配慮をして物を渡す。少年は、不思議に思いばあちゃんに聞く。そのときのばあちゃんの言葉が先の言葉です。

 親切の「親」の意味は「ちかい」「ちかづく」ことで、「切」は「切実」「適切」の「切」でぴったり合うことです。だから親切はその人の身になりきることです。その極まりが親です。

 親はいつも子どもの立場になって心配し、こまごまと用意し、子どもが困る前からに先だって準備し整えておきます。しかしそれはあまりにも当たり前すぎて親の日常の苦労を感謝することもありません。
 ネットに次のような体験談が掲載されていました。

 母は俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはすでに簡単な手話を使っていた。
 耳が聞こえない事でずいぶん苦労した。障害者用の学校では、近所の子どもに馬鹿にされた。
 耳が聞こえないから何を言われたかはわからないが、あの見下すような眼は今も忘れられない。自分がなぜこんな目にあうのか、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。

 自分に何の非もなく、不幸な目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。そして死んだ母親すら憎んだ。なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ涙を流し<CODE NUM=00A2>すまない<CODE NUM=00A3>と手話で言い続けていた。
 そんな生活の中での唯一の理解者が主治医だった。産まれた耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。俺にとってはもう一人の親だった。何度も悩み相談にのってくれた。
 
 俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
 そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。俺はまた先生の所に行って相談した。
 長い愚痴のような相談の途中、多分<CODE NUM=00A2>死にたい<CODE NUM=00A3>という事を手話で表した時だと思う。先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。先生は泣いていた。そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
 ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

 そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
<CODE NUM=00A2>君は不思議に思わなかったのかい。 君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を<CODE NUM=00A3>。たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ‥・

 <CODE NUM=00A2>君の父親は僕にこう言ったんだ。『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』 驚いたよ。 確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら‥<CODE NUM=00A5>でもそれは決して簡単な事じゃない。その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。健常人が手話を晋通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。不可能だ。僕はそう伝えた。その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ」
 聞きながら涙が止まらなかった。

 父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。俺が間違っていた。父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。誰よりも俺の悲しみを知っていた。そして誰よりも俺の幸せを願っていた。濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。そして父さんに暴力をふるった自分白身を憎んだ。なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。耳が聞こえないことに負けたくない。父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。

 今、俺は手話を教える仕事をしている。そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。

 でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。そして遺影を見たまま話し始めた。俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。 俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。 「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」

 父さんは強<うなずいて、約束した。でもしばらくして俺に異常が見つかった。「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって約束を守れないんじゃないかってなあ。でもこれでようやく、約束…果たせたかなあ。なあ…母さん」。 最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
 でも俺には何て言っているか伝わってきた。俺は、泣きながら、父さんにむかって手話ではな<、声で言った。 「ありがとうございました!」俺は耳か聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。

 でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。父さん、天国の母さん、そして先生。ありがとう。俺、いま幸せだよ。

 長い引用になりました。今の自分の中に育まれている親の苦労を知る。それは自分の力が否定されたときに明らかになることです。

 『無量寿経』には阿弥陀仏が、苦労して私に称えられる南無阿弥陀仏の念仏になったという話が説かれています。その阿弥陀如来の苦労話がわかるとき、それは私の思い上がりや自分への過信や自己への執着から解放されるときでもあるのです。

4項
お知らせ

● 四月より毎月十六日も
法話会が始まりました。該当月のご誕生の方へ、誕生花の写真カード(花言葉も)を差し上げます。
 十六日の集いの後、この寺報の発送を行います。
時間のあります方、お手伝いください。
●秋の一泊旅行は
十月六日(火)・七日(水)です。行先は箱根方面です。詳細は後日決定します。

● 一面の帰敬式は門信徒会員以外でも可能です。もちろん旅行も。

その他集い掲載。