寺報 清風72号(平成21.3

過去号

一面 ウソを知る智慧

ラジオからオレオレ詐欺のキャンペーンが流れてきます。相手を信じるという徳目が完全に過去のものとなりました。本物を知っていてこそウソがウソとして明らかになります。

 テレビでの時代劇放送。かなりウソがあるようです。いくつか挙げてみましょう。

* 目明かし(岡っ引き)は、与力・同心の個人的配下であるため十手は持てない。ただし、奉行所に届け出られた一部の者は、房なしの十手と取縄の携帯を許された。銭形平次や半七親分が、赤房の十手を神棚から取り出すシーンは誤り。
* 日本刀で斬りあいをするとき、相手の刀を刃で受けることがあるが、実際には一発で刃こぼれしてしまうか、刀が折れてしまうので、カキーン、カキーンはウソ。
* 江戸城の天守閣は、四代家綱の時の明暦の大火で焼失し、幕府が財政難であったことから以後再建されずに現在に至っている。実際は姫路城を撮影。
* 時代劇で使われる馬は、実は西洋馬、実際の江戸時代の馬は道産子馬のように、ずんぐりした馬だった。

などなど。「時代劇のウソ・ホント 絵で見て納得!」 (笹間良彦著)によると、江戸時代の既婚女性はお歯黒を染め、眉を剃っていたが、現代の時代劇ではこのような女性は登場しないそうです。映画やテレビなどの時代劇や時代小説では、当時の風俗や習慣、生活を正確に再現していないことが実に多いとあります。前著の目次から時代劇のウソが見えてきます。「町奉行所にも武家屋敷にも表札はなかった」「半七や銭形平次などの岡っ引は二足のわらじを履いたやくざもの」「町奉行所は老中の許可なしでは拷問はできなかった」「武士は一人で公式訪問をすることはなかった」「武士の妻は表玄関で夫を送り迎えすることはなかった」「掛布団も押入もない長屋暮らし」「江戸下町の井戸水は地下水ではなかった!」とあります。

 ウソが明らかのなることが本当の力です。歴史に残る高僧は、自分のことを「愚か者」と告白しています。
 愚痴(ぐち)の法然房と名乗られた法然上人、愚禿(ぐとく)親鸞とサインされた親鸞聖人、予がごとき予がごとき頑魯(がんろ)の者と仰られた源信僧都、我等愚痴の身と人間の抱えている闇の深さを洞察された善導大師など、これらはみな本当もの(真実)に出会っていたあかしでもあります。ウソが明らかになる。そこに本物との出会いがあるからです。

 浄土教の伝統は、人間の愚かさが明らかになっていくことの中に真実との出会いを見出し、その愚かな存在も認めていこうとする考え方に立っています。

 社会的な尺度では、愚かさには意味がありません。ところが浄土真宗ではその愚かさの自覚こそ私が大転換していくターニングポイントであると説くのです。

 それは細胞のすみずみまでゆきわたっている自我の体質との決別の時であり、阿弥陀如来の無量のいのちに帰する時であるからです。

2.3面

仏心とは大慈悲心なり
   『仏説観無量寿経』

親鸞聖人は阿弥陀如来を母親にたとえ「われ極大慈悲母を帰命し礼したてまつる」とたたえられています。 阿弥陀如来の慈しみは母の子を思う心のように、凡夫の存在によって揺り動かされ、いつも凡夫のことでいっぱいです。

金子みすずさんの詩「こころ」と題するものがあります。

  こころ
おかあさまは
おとなで大きいけれど
おかあさまのこころは
ちいさい
だって、
おかあさまはいいました、
ちいさいわたしで
いっぱいだって

わたしは子どもで
ちいさいけれど、
ちいさいわたしの
こころは大きい
だって、
大きいおかあさまで
まだいっぱいにならないで
いろんなことをおもうから。

 特に幼児は目が離せないので、いつも母の心は子どもに注がれます。ネットに「母とアイスクリーム」と題するエッセイがありました。

 中三の頃、母が死んだ。
俺が殺したも同然だった
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった。
 学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった。母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った。
 その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った。母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った。
 それから何時間か経った。
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた」
 あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう。
 俺たちが病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた。医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た。
 それから少しして、母親は息を引き取った。その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた。
 買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事。
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事。
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事。
 その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった。
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた。そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある。
母さん、ごめんよ。
 俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。

 自分の思いやりのない一言が原因で母親が事故死する。後悔しても後悔しきれないできごとであったことでしょう。しかし母親は、子どものその言葉を責めません。おそらく母親の思いは、アイスクリームがなかったことへの子どもの失望をおぎないたいという思いでいっぱいだったのでしょう。その思いが夜半にアイスを買いに行くという行動をとらせたのです。
 
 そしてその子どもを思う心が起因となった事故であったとしても子どもを責める心を持ちません。むしろ自分の不注意で子どもに後悔という重たい責任を負わせてしまったことを悔みます。

 親心は子どもの成長を願う心として子どもの上に働き続けます。しかし子どもにはその親の心は見えません。具体的にこまごまと自分の上に示される親の行動の中に親心を知りえるのです。
浄土真宗では、親心が子どもの上に働き続けるように、阿弥陀如来の大悲心が凡夫の私の上に働き続けていると教えています。どのように働き続けているのかといえば、わたしが念仏を称え教えを聞くというわたしの行為の上にその働きを見ていきます。

 念仏や仏の心とは無縁な私が仏縁にあう。その事実が如来の働きであると了解できる人があるとすれば、その人は仏と縁なき闇深き人間であるという自己の闇の深さへの見極めがあります。おのれの闇の深さが明らかになる。それがアミダという光に会うことなのです。

 新しい年度に向けて

●四月より毎月十六日に法話会が新たに始まります。(但し、八・九・一・三月の月は、お盆や彼岸、講演会があるのでありません)
今までの三日はそのまま継続です。三日同様、新柏駅に送迎があります。

●秋の一泊旅行
期日十月六日(火)・七日(水)です。行先は箱根方面です。詳細は後日決定します。

 箱根と親鸞聖人

 箱根神社の『宝物殿』には、親鸞聖人がお礼に自ら彫ったと伝えられる『親鸞聖人像』が展示されている。聖人が関東から京都へ帰るとき、箱根神社の宮司が夢に箱根権現がでてきて聖人を接待するようにと仰せられたという物語による。
 また箱根には「笈ノ平 親鸞聖人御旧跡 性信御坊決別之地」と刻まれた大きな石碑があります。お弟子の性信房が別れに当惑したとき、親鸞聖人は次の歌を示された。

  病む子をば
  あずけて帰る旅の空
  心はここに 
  残りこそすれ

関東の門弟をわが子のように思っておられる聖人のみ心に、性信房はこの大任をお受けし東国に帰った。

4面

住職雑感

● かごめかごめ
籠の中の鳥は
  いついつ出やる 
  夜明けの晩に
  鶴と亀が滑った 
  後ろの正面だーれ

 この歌の歌詞は、昭和初期に記録された千葉県野田市地方の歌が全国へと伝わり現在に至ったといわれている。その歌詞の発祥地といわれる野田市清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建っている。
 違った歌詞としては、次の歌詞がある。

  かごめかごめ
  籠の中の鳥は
  いついつ出やる 
  夜明けの晩に
  つるつる滑って
  かごの底抜いてたもれ

 この歌詞はどうも仏教の考え方から生まれてきた歌詞のようにも思われます。仏教のジャータカ物語に次のような話がります。それはかごの中の2羽の鳥の話です。
 2羽の鳥がとらえられて、餌がふんだんに与えられる。一羽の鳥は、こんなおいしいものはないとたくさん食べて太っていく。もう一羽はやせていけば籠目の隙間から外に出て自由になれると考え、一切のえさを拒み痩せていった。何日かすると餌を拒んだ鳥は網の隙間から外へ出て自由を手にする。餌を食べて太った鳥は、人間の食卓へとはこばれて行くという物語です。どうかしてかごの網目から抜け出したいという物語です。 また網の中は欲望の渦巻く世界をあらわし、その闇の世界から抜け出すという仏道を示したものとも読めます。あるいは具体的に、年季奉公にあえぐ少女の願いを歌ったものかもしれません。