清風63号(06.11月発行)
1項
仏を思う心
チベットのダライラマは代々、転生(生まれ変わり)によって地位が継承されていきます。
一人の男の上に「ラマ僧」(高僧)としての一念をどう発起させるか。転生は、非常によく考えられている仕組みだと思います。
天皇陛下も同じことです。天皇の自覚は、天皇の子として誕生したという事実が、後の帝王学以上にその自覚を育てるのです。本願寺派の門主も同じです。親鸞聖人の家系に生まれたという事実、これまた門主という自覚の上には決定的に重要なことです。他家から養子に入ったのでは、宗門のリーダーしての自覚は持ちにくいのだと思います。
現在のダライラマは、西暦1933年ダライラマ・トゥプテン・ギャッオ(13世ダライラマ)の転生だといわれています。
13世ダライラマの死後、遺体はラサにある夏の離宮ノルブリンカの玉座に南面して坐らせてあったが、数日後、その顔が東に向きを変えていたのが発見された。また遺体を坐らせてあった聖堂の東北側の木の柱に、星の形をした大きなキノコが突然現れ、ラサから見て東北の空に、奇妙な形の雲が見うけられた。これらの証拠により東北の方角に新しいダライラマを探し求めることを決定した。
翌1935年、摂政はラサの南東約90マイルの地点にあるラモイ・ラツォという聖なる湖へ行った。チベットの人々は、この湖の水面に将来の状況を見ることが出来ると信じていた。
使者は湖畔で祈りと黙想のうちに数日を過ごした。そのあと、彼は水面にヒスイのような緑色と金色の屋根のあるお寺とトルコ石のような青緑色の瓦ぶきの家の風景を見た。これらの状況の描写は、詳細に書き留められ、翌年、その秘密を携えた高僧高官たちが水面に見た場所を探すためチベット全土に派遣された。そして二歳になる男の子が見出されたのでした。
一行の二人が変装して下級僧官が隊長のふりをし、セラ寺院の高僧ケツァン・リンポチェは召使役をつとめた。小さな男の子は高僧を見た瞬間、彼の所に行って膝の上に坐ろうとした。その高僧は子羊の毛皮を裏につけた貧しい着物を着て、変装していたが、彼は首のあたりに13世ダライラマが使用していた数珠を掛けていた。男の子は、数珠に見覚えがあるかのように「それを下さい」とねだったという。
それから幾重ものテストが重ねられ「あなたは転生者である」と指名されます。これがダライラマの自覚を起こさせる重要なことなのです。
凡夫の私が阿弥陀如来の名を称える。その背後に諸仏の壮大なドラマがあったとお経にあります。親鸞聖人はご和讃に
釈迦・弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり
と歌われています。
「私はダライラマである」という自覚を起こさせるために仕掛けられた壮大なドラマ同様に、私の上に「南無阿弥陀仏」と念仏が起こる。その背後に阿弥陀仏のドラマがあるのです。
2項
慈しみの如来となった
浄土教の経典には、人の生き方や理想が示されていません。ただ阿弥陀如来の無条件の慈悲が説かれています。このことが何を意味しているのかを聞いていくことが重要です。
「奈良家族3人放火殺人事件」があったのはこの6月のことです。こう悲惨な犯罪が数多く続くと、悲しいことですが、もう昨年か一昨年の事件のような気になります。
事件の概要は、奈良県田原本町の医師(47)宅で火災発生。同じく医師の母親(38)と小学2年の弟(7)、保育園児の妹(5)が死亡し、この家の高校1年生の長男(16)が殺人、現住建造物放火容疑で逮捕された。
長男は「火はつけたが、母親や妹、弟が死ぬとは思わなかった」と殺意を否定する供述しているというものです。また少年は、「成績が下がると父親はすぐ殴ってくる」「父親の暴力が許せなかった」と語ったとありました。
医師である父親は、初めての面会の様子を、弁護士を通じて明らかにされました。
7月13日、事件後、初めて(長男)Aに面会してきました。その時の様子を報告します。
まず、会ってすぐ、Aは直立して、「ごめんなさい」と謝ってくれました。話の途中からは、泣きじゃくって謝ってくれました。…以下は子と親との会話です。
私「パパが悪かった。おまえに度々暴力をふるって悪かった。家にいてもずっとパパに監視されていて、家にいるのが辛(つら)かったやろ」
A:黙ってうなずく。
私「暴力ふるったパパを許してくれ」
A:うなずき、少し涙。
私「今、何か困っているものあるか? 何でも言いや。服のサイズはあれで合っているか?」
A:「サイズは合っているし、今は、何も欲しい物はない」
私「ママも弟も妹も死んでしまった。自分が何をしたかわかるやろ」
A:「ごめんなさい」泣きながら謝る。
私「3人とももう帰ってこない。罪を償わなければならない。原因をつくったパパも罪を償う」
A:「ごめんなさい」泣きじゃくりながら謝る。
私「Aが牢屋(ろうや)に入っていることだけでは償いにはならない、とパパは思う。それは法律上の償いでしかない。3人への本当の償いは、A自身がちゃんと更生し、人生をもう一度やり直すことが本当の償いだと、パパは思う。Aも自分でどうしたら3人に謝れるのか、罪を償えるのか考えてほしい。Aが出てきても、もうパパは勉強しろと言わない。パパは、死ぬまで、Aと一緒になって、罪を背負って生きていくつもりやし、できうる限り、Aをサポートする。けど、A自身が、自分で考え自分で道を決めていかなければならない。ゆっくり考えなさい。自分で考える道を歩むためには、まず、今現在どうすればよいかを考えなさい。まず、今は一層反省して謝罪をすること。それが償いのはじまりや」
A:泣きじゃくりながら聞いていた。
私「Aは友達多かったということを、今回の事件後良く分かった。みんなAのこと思って、嘆願書を書いたり、手紙くれたりしたよ。(友人の)B君本人と、B君のお母さんがパパに直接メールくれたよ。B君『Aは何があっても一生の親友です』お母さん『Aが京都から帰ってくるとき、Bと(友人の)C君がAを迎えに行くと言って警察まで行き、Aが帰ってきても、少しでもAのそばにいたいと言って、雨の中夜遅くまで警察の前で立っていた』そ
うや。パパより遥(はる)かに友達多い。みんな待ってるで。Aが更生して出てくることを。親友の為(ため)にも頑張らないとあかん」
A:一層、強く泣き出す。私「もし、Aが20歳以上なら、3人死亡しているので間違いなく死刑。しかし、Aは16歳だから、少年法で裁かれる。少年法は将来のある子供を少しでも更生させようとする法律や。パパは、Aがもう一度やり直せる可能性があると信じてる。おまえはまだ若いから、まだまだやり直せる」
A:泣きじゃくりながら聞いている。
私「Aは俺(おれ)そっくりなんや。おれの悪い癖そっくり受け継いでいるんや。だからパパにはおまえが何を考えているかよくわかる。でもな、他の人には全くわからへんで。今は涙もろくなったけれど、パパは、心の内を表情に出さないのや。学生の時、先生に怒られたら、必ず言われた。何笑っているんや。叱(しか)られているのに何をにたにたしているんや。とさらに先生にしかられた。自分では何も笑っていないし、先生を馬鹿にしているわけではない。反省しているのに、そんな表情しか出せなかった。Aも同じや。おまえ、パパに似て口下手やろ。おべんちゃらなんて絶対言えない。でもな、警察でも調書取られたやろ。口に出して言わないと、調書に書いてもらわれないんやで。わかるやろ。心の中でどんなに反省してても、口に出して言わないと他の人はわかってくれないよ」
私「3人に対し、今はどう思ってるんや」
A:泣きながら、「ごめんなさい。ほんとにひどいことしてしまったと思ってる。僕の代わりに、毎日花供えたって」
私「わかった」
私「X(地名)のおじいさん、おばあさん、わかっていると思うけどAとは血がつながっていない、でも、こんな事件を起こしても、おまえのこと孫やと言うてくれているで。夏、山登りに連れて行って欲しかったんやろ。毎年、鮎(あゆ)つりや山菜取りに行きたかったが、パパが許さなかったんや。もっとXに遊びに行きたかったんやろ。パパが悪い、おまえの楽しみを全(すべ)て取り上げていたんや。ごめん」
私が職員に「手紙のやりとりはできますか?」
職員「できます」
A:「パパにちゃんと手紙書きます」
私「パパも出すよ。XとY(地名)の両方のじいちゃん、ばあちゃんに手紙書いたり。安心するよ」
私「また会いに来ていいか?」
A:「会いに来てほしい」
Aは鼻水垂らしてずっと泣いていました。
(毎日新聞より)
読んでいると涙が出てきます。厳しい父親が優しい叱ることのない父親になった。その父の変化の背後に、罪を犯した子どもの存在があります。子どもの罪を告げ叱ったとしても、それは子どもを生かすことになりません。ただただ一緒に歩むことを伝えるばかりです。
すばらしい人格の父親だと思います。お父さんのほうが、妻の死、子どもたちの死、長男の罪、言葉に言い尽くせないほどつらい日々を耐えたに違いありません。
阿弥陀如来も私に罪を告げることなく、「南無阿弥陀仏」の仏となって、私とともに歩むことを願われ、その通りに私の上に「南無阿弥陀仏」となって至り届いて下さっています。
彼の父親のような苦しみの日々を『無量寿経』には、「五劫思惟」(ごこうしゆい)また「兆歳永劫修行」とあります。それほど私の闇は深いということです。その闇の深さが明らかになり、その私が阿弥陀仏の慈しみに中に摂取されていく。これが浄土真宗という仏道です。
4項 住職雑感
●『心にしみた忘れなれない言葉』(岐阜県笹原町編)に加藤幸平(三十二才)の言葉が掲載されていました。表題が「競馬で大穴が当たったんや、 大学行かしたるわ」とあります。加藤さんにとっての父親からもらった忘れなれない言葉です。 短い文章をそのまま掲載します。
【私が高校生のとき、父は手形の保証人となり、多額の負債を背負った。友情を重んじる父が友人に裏切られたのだ。家まで手放した父は、唯一の楽しみだった競馬もやめた。
私は大学受験を控えていたが、状況を考えると、とても大学へなどいけない。就職して借金返済を決心していた。
そんなある夜、酒を飲めない父が珍しく酔って帰ってきた。
「競馬で大穴が当たったんや、大学行かしたるわ」
照れ屋の父の精一杯の嘘だった。息子に迷惑をかけたくないという意地があったのだろう。
その夜、私は泣いた。】
自分を大切に思ってくれている親がいる。その自覚が大切です。
お仏壇の阿弥陀如来を本尊といいます。本尊とは本当に尊いもののことです。阿弥陀如来の願いは「凡夫の私をどこまでも大切ないのちとして慈しむ」ということです。その阿弥陀如来を大切にすることは、阿弥陀如来から願われている自分を大切にすることでもあるのです。