清風62号(06.8月号)
1項 ぼく大丈夫
本願寺派ではビハーラ活動といって、病気の苦しみに関わる活動をしています。過半、鹿児島のN住職が、がん患者の集いで次のような話をしてくださいました。
筋萎縮性側索硬化症を患っている一人のお母さんと、小学3年生のお子さんとの会話です。
筋萎縮性側索硬化症はASLといわれ、進行性神経疾患で全身の神経が次第に機能しなくなり死に至る難病です。そのお母さんは病状がすすみ生きる希望を失い、いつも「私のまぶたが動く(意思表示ができる)うちに、死にたい」ともらされていた。
そんなある日、子どもが学校でケンカをした。ケンカがエスカレートして相手が最後に「お前の母ちゃんを見たぞ。何もせずにこうやっているじゃないか。お前もいつかああなるんだ」と侮蔑した。子どもは学校から帰りNさんにそのことを打ち明けた。Nさんが「辛かったね」というと、子どもは「ううん、ぼく大丈夫だよ」と言った。 ピンときたNさんは、その子をお母さんのベットサイドに連れて行き、さっき僕に言ったことをもう一度言ってとお願いした。 するとその子はお母さんに次のように語ったそうです。
「お母さん、ぼく学校でケンカしたとき、友達から何を言われようと平気だよ。だってさ、ぼくのお母さん日本一だもん。こんな重い病気なのに、一生懸命生きているから、ぼくどんなに辛いときでもお母さん一生懸命やってるからぼくも負けないようにね、がんばろうと思っているんだよ」。
子どものその言葉を聴いたお母さんは涙を流していたが、看護師さんに文字盤を出されると、まぶたで「先生、わたし生きます。○○ちゃんありがとう。おかあちゃんは今の言葉だけでずっと最後まで生きるから。たとえ自分の気持ちが伝えられなくなっても」と、子どもの言葉によって生きる力を取り戻し、明るさが戻ったといいます。
いい話です。親子なればこそ通じ合うものがあるようです。
豊かな人間関係とは、相互に与え合うもので、親が子どもと一緒にいることを幸福だと感じていたら、子どもも幸福だと感じる関係です。
共に育ちあう。仏教の縁起が伝えている世界観です。
2項 一人ではない
「いのちの学び」(百華苑刊)に、我が家の長男が小学校低学年であった頃のエピソードが綴られています。
冬の寒い夜のことです。子どもが母親に「外の物置で寝なさい」と強く叱られました。子どもは寒い室外に出されました。しばらくして子どもは裸になってその姿を母親に見せつけます。私はお風呂に入ったとき、どうして裸になったのかを聞きました。子どもは「母を懲らしめてやろうと思った」とのこと。
子どもは自分を傷つけることが母の悲しみであることを知っているのです。親の子どもへの愛情は、常に子どもの幸せを願います。時には厳しく、時には優しく愛は表現されます。
平成11年の全国盲学校弁論大会で優勝した井上美由紀さんの「母の涙」という文章があります。
この文章は各地の小学校で親を知る教材として使っているようです。
母の涙
私は生まれたときの体重が500グラムしかありませんでした。生まれてすぐお医者様から説明があったそうですが、母は私のあまりの小ささに,涙があふれて先生の説明が聞き取れなかったそうです。私の5本の指はまるでつまようじのよう、頭の大きさは卵くらい、太ももは大人の小指くらいだったそうです。それから7ヶ月間、私は病院の保育器の中で育ちました。母はその間、雨の日も雪の日も、毎日欠かさずに、私に会いに来てくれました。母が指を私の手のひらにやると、私はそれをしっかりとにぎりしめていたそうです。
母が私に会いに来る時間になると、看護婦さんたちは、あわてて私の顔をきれいにふいたり、おむつをかえたり、大変です。なぜなら、私の顔が少しでも汚れていようものなら、母からきつく叱られるからです。
「どうして今日は顔がきたないとね。顔ぐらいきれいにふいてやらんね。忙しいとは分かる けどそれがあんたたちの仕事やろう。」
と言っていたそうです。
生まれて5か月くらいになると、保育器から出て母に抱かれました。その軽さに母は、
「よくここまで生きてきたね。よく頑張ったね。えらかったね。」
と言って泣いたそうです。
そのころ母は、私の目のことをお医者様から告げられました。
「美由紀ちゃんの目は、将来、ものを形として見ることができません。」
母はそのとき、ふいてもふいても涙があふれ出て、どこをどうやって家まで帰り着いたのか、分からなかったと言います。
でも母は、間もなく気持ちを切りかえ、「美由紀とふたりで、がんばって生きていこう。」と誓ったそうです。
私が幼稚園のころ、母とふたりで近くの公園に行ったときのことです。遊ぶ前に母は、「ここにベンチがある。」「少し歩くと看板があるから注意しなさい。」などと、その公園の様子を、こまかく教えてくれました。
でも、私はそこで遊んでいる途中に、その看板に頭をぶつけて、大けがをしてしまいました。ところが、母は私を助けてはくれません。また、転んでけがをしても知らん顔です。
「あんたが注意して歩かんからやろ。痛かったらもっと気をつけて遊ばんね。」
母の言葉はそれだけです。
私が2階の階段から落ちて、本当に痛くて、動けなくなったことがありました。そんなときでも母は、上から、
「あんた、そんなところで何しようとね。」
「階段から落ちて痛くて動けん。」
と言うと、母はたった一言、
「ごくろうさん。」
それだけでした。
でもあるとき、こんな出来事がありました。ある日、私が公園のブランコに乗って遊んでいると、男の子が3人やって来るなり、私の顔をのぞき込んで、
「こんやつは、目がみえんばい。」
そのとき母がそばに来て、
「目がみえんけん、なんね。こん子はあんたたちよりよっぽどがんばりやで、思いやりがあるとよ。分かったね。」
と言いました。そしたら、その男の子たちが、
「おばちゃん、ごめん。」
と言って、いっしょに遊んでくれました。
私が小学校3年のころ、母とふたりで補助輪をとって、自転車に乗る練習をしました。
私はてっきり母が、自転車の後ろの荷台を持ってくれるものだと思っていました。ところが母は、ベンチに座って、大声で叱るだけなのです。私は自転車ごと倒れてしまい、ひじやひざからは血がふきだしました。でも母は、知らん顔です。
1回倒れたら、自転車がどこにあるかさがすのが大変です。やっとの事でハンドルをつかんでも、今度は自転車をおこすのにひと苦労です。それでも母は大声でどなるばかりです。私は腹が立って、腹が立って、「なんて冷たい母親だろう。」と心の中で思いました。
しばらくの間、乗ってはたおれ、乗ってはたおれしているうちに、なんと自転車がスイスイ進むようになったのです。そのとき、母が私のそばに来て、
「美由紀、よく頑張ったね。何でも根性やろう。やろうと思ったらできるやろう。」
と言って、ふたりで抱き合って喜びました。抱き合っているうちに、私は母に腹をたてていたことなど、すっかり忘れていました。
今、私は中学3年生になりました。今でも母には、いろいろなことを教えてもらっています。人に思いやりを持つこと、やろうと思ったらできるまで頑張ること、礼儀作法をきちんと守ることなどです。私はそんな母が大好きです。
(以上省略)
私には親がいる。親のあることを知ることは自分は一人ではないことを知ることでもあります。
子どもの心の発達を説くE・H・エリクソンは、子どもは0歳から1歳までの間に、基本的な信頼を学ぶといわれます。常に子どもに注意を払いそばに居ることによって安心を学ぶのです。この基本的な信頼が育っていて初めて自分を信じることができると説いています。
先の井上美由紀さんの体験は、成長の一こま一こまに母の苦労があったことが、目がご不自由なだけ鮮やかに見て取れます。私たちの成長の背後にも同様な親の苦労があったことでしょう。
浄土真宗は他力の教えを説きます。他力とは、他人の力を当てにするといった安易な思想ではなく、私が念仏を称える、仏の教えに耳を傾け、仏を礼拝する背後に、阿弥陀如来のお育てや苦労があったという仏力に開かれていくことです。そしてその仏力の中に「私は一人ではない」と安心して生きる道でもあります。
4項
QアンドA
Q 幽霊は存在しますか。
A 幽霊には三つの特徴があるそうです。「髪が長い」「手を前にたれている」「足がない」の三つです。
一つ目の「髪が長い」ことは、「昔は良かった」と後ろ髪が引かれることであり、過去へのとらわれです。年輩者が古き良き時代を持ち出し、現在の空白を埋めることがありますが、未来に希望が見出せないと人は古き良き過去を持ち出します。
二つ目の前垂れの手は、未来への手だてがないこと、希望の喪失です。バンザイ・お手上げという言葉がありますが、バンザイもできないほど、打つ手がないと言うことでしょう。
三つ目の足がないことは、現実に立脚していないことを示しています。ふらふらと、周りの風に流されるという、大地に足をつけた主体的生き方ができない状態です。この三つの姿で、過去・現在・未来にわたって、希望と安心と喜びがないことが示さているようです。
存在しないのに実存するように思えるものを幽霊といいます。幽霊という存在が、科学的(客観的)に存在するとしたら、それは幽霊ではなく、正式な固有名詞で呼ばれる存在となります。
実は幽霊の問題は、いるか、いなかよりも、「思えてしまう」というところにあります。
数年前は某病院で統合失調症の理解を深めるための機械「バーチャル・ハルシネーション」(患者の幻聴・幻視の疑似体験する機械)を使い、幻聴や幻視の疑似体験をしたことがあります。患者には何が聞こえていて、何がどのように見えているかの体験です。その機械を体験して思ったことは、何か違った声が聞こえるといった程度ではなく、同時に色々な幻聴が渦巻いており、24時間、その幻聴や・幻視が続くとなると、患者の負担は想像を絶します。
幽霊が見える。猫の妖怪が見える。人のつぶやきが聞こえる。そのことは客観的な事実かどうかではなく、その人にとって見えている。聞こえていることが現実なのです。そんなものはいないと否定したって見えてしまっているのですからしかたありません。「そんなことはない」と安易に否定しないで、見えていることからくる不安や畏れをしっかりと聞いてあげることが大切です。