西方寺寺報「清風」60号(06.3発行)
清風は、3月.5月.8月.11月の年4回の発行です。
1項 皇帝ペンギンの
苦労ばなし 住職 西原祐治
昭和30年代にあって今ないものの1つに「親の苦労ばなし」があります。子どもは親の苦労ばなしを通して、今という時の重さを知るのだと思います。
過半、レンタルビデオで「皇帝ペンギン」を見ました。皇帝ペンギンは、声によって親を認識します。雛は、親の鳴き声を1/5秒聞いただけで親を識別し、6デシベル以上で発せられる6羽の親鳥の中から自分の親の声を聞き分けるといいます。
この映画は雛が親の声を聞き分けるまで、成し遂げられた親の苦労ばなしです。映画はペンギンのペアが誕生するところから映し出されました。
年1回の交尾によって産まれる卵は1個。平均的に、産卵された卵の半数しか雛にならないそうです。
卵を産むと母ペンギンは、子どもを育てる為に餌を蓄えに100kmの道のりを海に向かいます。母から父へ、うまくバトンタッチできない卵は、零下40度の中、数秒で凍りつきます。 父親ペンギンは、母親の代わりに卵を暖めじっと数ヶ月も飢えに耐えながら母親の帰りを待ちます。父親ペンギンの体重35~40キロが半分の体重になるそうです。厳しい環境下で120日間の絶食です。
父親ペンギンたちは、凍てつくフリーザーの中「ハドリング」と呼ばれるフォーメーションで身を寄せ合い、暖をとります。群れの外側で強風にさらされた仲間を順番に内側へ移動させるという集団力で身を守るのです。
そして120日後、母親ペンギンが帰ってきます。 このときも父親ペンギンは母親ペンギンを、声で認識するそうです。待ち続けたときの到来を声によって認識するのです。その声が父親ペンギンに届いたときの開放感は想像を絶します。
皇帝ペンギンの親子は、お互いの存在を声によって認識する。それは阿弥陀如来も同様です。阿弥陀如来は、私のいのちの上に響く「南無阿弥陀仏」の声の如来になることを本願としています。そして声の仏が、声の仏であると私に認識されるまでの、阿弥陀さまの苦労ばなしが説かれているのが大無量寿経です。
親鸞聖人は、その如来の苦労を
釈迦・弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり
(お釈迦様や阿弥陀さまは父や母のように、さまざまなくわだてや働きを加えて、私の上に如来を思う心を整えて下さいます)
私が阿弥陀如来を阿弥陀如来と認識するまでには諸仏方の途方もないご苦労があったと讃えてくださっています。
念仏を称えることを阿弥陀さまの苦労の賜ものと受け入れる背景には、仏と無縁な私であるという見極めがあります。阿弥陀さまは、むしろ仏と無縁な私であるという私の闇を明らかにすることが本命であるようです。私は愚かさの自覚を通して、自分自身への固執から解放されていく。
そこに阿弥陀如来の狙いがあるようです。
2項
水に溺たる人のごときは、すみやかにすべからくひとえに救うべし
中国・善導大師
世界には人類最古(?)の足跡がいくつかあります。有名なのは オーストラリアで、氷河時代盛期の2万年前頃と思われる足跡です。湖畔の炭酸カルシウムに富む粘土質の湿地上に、残れされていた足跡は、全部で457個。旧石器時代の足跡がまとまって見つかったのは、世界でも珍しいそうです。
足長は13~30㎝に及び、子供、青年、成人という全世代のものと見られ、その地域の家族が、ぬかるみをズボズボ歩いていた様子がうかがえるそうです。一部の足跡の持ち主は、狩猟をしていたらしく、中には歩幅から計算して時速20㎞という快足で走っていたと思われる、かなり背の高い男性のものもあると聞きます。
また人類最古の足跡といえば、なんといっても東アフリカはタンザニア・ラエトリのアファール猿人の足跡化石です。この足跡は約350万年~380万年前の足跡です。人類誕生が約400万年前といわるので、この足跡は本家本元です。
ヒト科生物の二足歩行の足跡は、柔らかい火山灰の上を歩いた跡で、その後のスコールによってセメント状の硬い層となったのだそうです。
その足跡から学者は色々な想像をします。長さ26cmの大きな足跡と長さ18cmの小さな足跡が並んで同じ歩幅で歩いている。幅約10センチで歩幅は60センチ、大人の身長は150センチ程度と推測されています。また、大きな足跡には、長さ21cmの足跡があとから重なっているそうです。
大きな足跡は父親です。その父親に沿って小さな足跡がついており、大人は子どもを気遣うように同じ歩幅だといいます。そしてその二人に連れ添うように母親らしい足跡がついているのです。
350年前の人類最古の家族が足跡から想像されます。
仏教では仏足石が有名です。偏平足で法輪の模様のついた足跡です。その偏平足も人間と違って、大地がデコボコであれば、大地に即してぴったりと着地しているとお経にあります。その仏足の上に立つ浄土真宗の阿弥陀如来の立像は、真横から見ると、前かがみの姿勢です。その前傾姿勢の背後に何があったのか。
中国の善導大師は、その理由を次のように教えています。
【諸仏の大悲は苦ある人においてす、心ひとへに常没の衆生を愍念したまう。ここをもって勧めて浄土に帰せしむ。また水に溺れたる人のごときは、すみやかにすべからくひとへに救うべし、岸上のひと、なんぞ済ふを用いるをなさん】
阿弥陀さまのお慈悲は、人間の深い苦悩の叫びから生まれた。その苦悩に沈む人の救いを最優先とされている。そして「水に溺たる人のごときは、すみやかにすべからくひとえに救うべし」と、急げ・急げ・急げと同様のお言葉を三度重ねて、闇に沈む私の存在がただならぬ状況であることを示しておられます。
人は自分の能力を頼って生きています。ゴルフ、仕事、運動など色々なことにチャレンジして生活をしています。しかしいずれは、その労力も衰え、ゴルフも仕事も、食事さえ取れない状況がきます。そのまま救われるしか救われようのない時がくるのです。
浄土真宗の教えには生き方が説かれていません。ただただ阿弥陀如来の救いが説かれています。人は呼吸さえ自分の力でできなくなったとき、阿弥陀如来が生き方を説かれなかった理由を知るのかもしれません。
人間の持っている能力は自分の生死を支えるほど磐石なものではない。ここに阿弥陀如来をして「急げ急げ急げ」と言わせずにはおれない危険極まりのない存在があるのです。阿弥陀如来が前傾姿勢をとる理由が私の側にあるというのです
3項
仏事アラカルト
Q 浄土真宗の僧侶の呼称を、なんと呼んだらよいですか。
A 僧侶の呼称は、その僧侶が住職であるか未成年であるかによっても呼び名が異なります。また地域性もあり、その土地で慣れ親しんだ呼び名が良いと思います。
浄土真宗の寺の住職である私自身、住職、ご住職、ご院家(いんげ)、先生などと呼ばれます。住職でも「ご」を付けるか付けないかで、門信徒と住職との関係が知れます。ちなみに関係が深い方ほど「ご」を付けず「住職」と呼称するようです。
大雑把にいうと、宗派の○○(住職、総長など)の立場にある僧侶は、常識的な呼称として、ご住職、前住職さん、輪番さん(本山直轄寺院の住職)などの職名の呼称が無難です。住職とはその寺の代表役員のことですが、住職ではなく、その寺院に勤めておられる僧侶だと、院代(住職の代わりという意味)さんとか、滅多に会わない僧侶でしたら「ご僧侶」でもよいでしょう。
また同じ僧侶でも、法要の講師などの偽似師弟関係(執筆依頼・講師依頼等)がある場合は、「先生」の呼称も適当です。
お寺の跡継のお子さんだと「しんぼちさん」と呼称しています。「しんぼち」とは、新発意(しんほつい)と書き、「維摩経」に「新発意の菩薩」とあるように、初めは大菩提心を発っした菩薩をいいました。転じて、浄土真宗では、法嗣を新発意とよび、弱齢の小僧もシンボチと呼んでいます。
ちなみにご院家の院家とは、本来、門跡寺の別院において、本寺を助けて諸般の法務を執行する者を院家衆と言ったことに始まります。宇多天皇が仁和寺に入りご門跡の号が始まり、その折り、貴族の人が相従って出家し、寺中の小院に住し院家衆と称したものです。門跡寺には必ず院家衆が居て、他の僧と区別したようです。
真宗各宗でも、江戸時代、寺格が准門跡となり、院家衆を置くようになり、時代が下ると、院家がその寺院の格式をあらわす名となりました。現在の「ゴインゲ」は、そうした住職を呼ぶ尊称として用いられています。
4項
住職雑感
● 1月24日、会員のEさんがお浄土へ往きました。Eさんは、とてもご法義を喜んでおられる方でした。その前々日の22日、世話人からEさんが病院に入院されていることを聞き病院へ伺いました。今まで何度か入退院を繰り返していたので、お見舞いというよりも
、その時その時がお別れかもしれないという思いもありました。
病床を訪ねると、Eさんは、いろいろな話しをしてくださいました。しかし残念ながらほとんど聞き取れない声でした。2度ほど水を含ませてあげると、会話の合間に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称名されます。声は聞こえませんでしたが、同じパターンの口の動きからそれが念仏だと分かりました。
そして帰り際に「Eさん、お浄土のほうがにぎやかですよ。私も必ずあとから行きます」といってお別れしました。Eさんは寝たまま私の方に手を合掌して、その思いを伝えてくれました。
それが最後でした。24日午後7時にお見舞いに行くと、先の病室にいないので、個室に移ったかと思い、看護師に聞くと、ただいま家族に連れられて死亡退院したとのこと。
そしてお通夜です。読経が終わって会食の席です。私の隣に当寺世話人のYさんが座り、色々な話しをしていました。その会話の中で、Eさんと最後の会話で「必ず私も行きます」の話をすると、Yさんが広島弁で「じゅーしょく、私のときも、それやってください」といわれます。私はそれを了承し、私からもお願いしました。「Yさん、もし私のほうが、早かったら、私の枕元でそれやってくださいよ」。商談成立です。
お浄土というのは、電車が駅にあったりする場所的な概念ではありません。明日の概念と同じです。明日は月の裏側にあるといった場所のことではありません。明日になれば開かれる今のことです。お浄土も同じです。この私の命が終わったときに、私の上に開かれていく今のことです。イメージで言えば、日が沈む夕焼けのかなた、西の方角です。
私たちは、夜寝るとき安心して床につけるのは同質の明日であるという確信があるからです。
浄土真宗の者は、この世も、また命が終わって開かれる今も、阿弥陀さまの智慧と慈悲のいのちの通った世界であるという確信をもちます。その確信が、ただただ死を否定するばかりでなく「私も必ずあとから行きます」という死もいのちの営みとして肯定していける人生観を育んでくれるのだと思います。