寺報 清風(しょうふう)59号(05.11)
58号
1項  足るを知る喜び

過般、柏駅からタクシーに乗ると、運転手さんが話しかけてきました。「最近の若い人はどうなっているんですかねー」。話しの内容は、ある朝、25歳くらいの女性が駅までとの依頼で乗車してきた。赤信号で停車すると「私は急いでいます。行って下さい」と信号無視を要求してきた。それはできませんと断ると怒って「ここで降ります」と下車してしまった。

 私はたまたまのことでしょうと言うと、そんなことが2度あったとのことでした。

 2度あることは3度あるで、これは世の中の風潮のようです。

 この風潮は、思い通りになって当たり前という世相がもたらす心のゆがみです。私はそれを聞きながら、現代人は、思い通りにならないことへの免疫力が弱くなっていると思いました。

 思い通りになって行くことから悲劇が生まれます。その悲劇とは慢心という心の病から生まれる出来事です。思い通りにならないことは意味のないことではありません。ここから大切なこころが育まれて行きます。そのこころとは「足るを知る」ということです。

 甲斐和里子(1868〜1962・京都女子大学の創立者)さんに次のような歌があります。

【足ることを知れるひとつは天地の何にもかへぬわがたからなり】

「足るを知る」ことは、何者にもかえがたい宝物だというのです。

 新聞に「舌がこえうまいものが減り」という川柳が紹介されていました。飽食の時代が生みだす悲劇です。私の子どもの頃は、誕生日には近くの食堂から好物の出前を取る。いつもとっておきはカレーうどんでした。小さな事で喜べる。昔はそんな時代でした。小さな事で喜べる。それは時代の持つ精神風土でもありました。

 それに反し現代は、物が多すぎることから来る苦しみに囲まれています。物中心の社会にあっては、物が沢山あることが贅沢です。しかし心の豊かさを大切にする社会では、少しのことで喜べる、それが贅沢というものです。小さなことでも喜べる。ここにこころの豊かさは窮ります。

 先の和里子さんの歌に
【み仏のみ名なを称えるわが声はわが声ながら尊かりけり】

 とあります。罪み深き自分が如来のみ名を称えている。そのことはただ事でないという実感を詠んだものです。
 小さな仏縁でも喜べる。そこに仏道の窮りがあります。

念仏者 川上清吉

島根県に川上清吉(1896〜1959)という念仏者がいました。佐賀師範学校教授、浜田第一高校校長、島根大学教授を務めた方です。

 昭和32年、私の父が島根県から東京に出てきて、この川上師から励ましの手紙を何通かもらっています。

 そして最後のハガキは、昭和34年6月5日、連れ合いの川上ミツさんからの印刷の死亡通知です。
 半面の書き出しは「川上清吉儀、去る6月1日午後4時、無事浄土往生いたしました」とあります。「無事浄土往生」の言葉が光ります。その半面は川上清吉さんが、生前用意していたと思われるあいさつ文です。

謹啓
生前は、いろいろお世話になりました。厚く御礼申し上げます。このたび、私もいよいよ久遠のみ仏のくにに参ります。
63年の間、わたくしとしては努めて来たと思いますし、後の事もこころにかかることはありません。この期にのぞんで、今さら、仏の教えの深さを讃えずにいられません。どうぞお幸せに。
  昭和34年6月1日 
    川上清吉

 川上清吉さんの本は、何冊か読みましたが、みな師の誠実さが伝わってくる文章です。

「愚禿譜」のあとがきに次のような文章があります。当時、川上さんは学生寮の学監をしていたようです。

【夜明であった。病人が寮の人に逢いたいという電話がかかった。私は偶然早く出勤していたので、自転車で病院に走せつけた。胸が不規則に大きく波打って実に苦しそうである。もう臨終なのである。

 その母の声でわずかに目を開いたNは、私の顔を見定めると、やっと「ながながお世話になりました。」といった。私は思わず、病人の片手を両手でしっかり握りしめた。そしてこんなことをいった。「N。お父さんの処へいけるんだぞ。これだけは間違いないんだぞ。」

Nはよわく微笑して私の目を見た。そして非常に呼吸が楽になった。そして今一度母にお別れの微笑みせて、そのまま親身の人々の念仏のうちに、息を止めた。

 今まで枕もとで誰よりもたくましく、たのもしげにしていたNの母の嘆きは、また誰よりも深くあわれでさえあった。

 しかし「おかげさまでいい往生をさせてもらいました。」と私にいった。そのときに思った。もし私が仏の教えを聞かせてもらう身でなかったならば、どんなことをして、この教え子の死を送ったであろうと。先生の義務的な感情で、「しっかりしろ」といったような気休めを言うほか仕方なかったのではあるまいか。私は、本当の教師としての最後の勤めを、一人のNだけには尽くしたような気がした。私は、帰り道を、願正寺によった。私は何かしら如来さまにお礼をしたいような気がしたからであった】(以上)

 清吉師は、がん疾患が原因で死亡しています。告知を受けた日の日記に、次のように記されています。

【今日、胃の調子が悪いので友人の医者の所へ行った。そしたら友人いわく、見るなり「こりゃ癌じゃ」友人だからまったく遠慮がない。私い聞いた。「あとどれくらい生きられるか」。「まあ、半年だ」といった。「まあ、そらあ忙しくなったなあ」といって帰った。夜、日記を書く時思った。まるで人ごとのように思って私は受け止めている。世間では癌というとショックを受けるというが、私はなんとも思わなかった。家内に言ったら泣くだろうから、家内には言うまいと思った。お寺さんだけにはいおうと思った。
 なぜ、こんなに平生でいられるのかと思った時、やっと今、寝る前に気がついた。日頃、長い聴聞のお蔭がここに出たんだなあと。嬉しさに涙が出た。】

「何かしら如来さまにお礼がしたくなった」といい、「嬉しさに涙が出た」という素朴な信仰心に打たれます。
 おのれの動きの背後に、大きな働きや力を見ていく。阿弥陀仏とともに生きている証がここにあるように思われます。

3項 礼法 手紙の常識・非常識

ハガキと封書
 漢字でハガキは「葉書」「端書」と書きます。一種のメモ的な通信状です。従って正式な手紙は封書にするのが基本です。特に目上の人に対しては、文章が短くても封書で出すのが礼儀です。

追伸とは
 追伸は、本文中に書き忘れた用件や強調したい事柄などがある場合に、日付、署名、あて名の後に書き添えます。「二伸」「再伸」などと書くこともあります。追伸はあくまでも追加の文面ですから長々しく書くことは厳禁です。多くても2.3行程度にまとめ、主文よりも2、3字下げた位置に小さめな文字で書き加えます。またあらたまった手紙では追伸を書き加えることは失礼です。

誤字を修正液で直したい
 友人で同士では良いでしょうが、心を込めて送りたい手紙や、お祝いやお悔やみの手紙では、間違ったら最初から書き直すの礼儀です。修正液で訂正しては誠意が半減してしまいます。これは表書きも同様です。

様と殿
 恩師やご講師になどは先生が良いでしょう。殿は一般的に公用文などで用いる敬称で、「様」より敬意が軽いといわれています。お寺や団体には御中とします。

夫婦連名のあて名には「様」は一つなのか
 表書きを、お連れ合いなど連名にした場合でも、様は1つではなく、それぞれの名前の下に書きます。この書き方も3名が限度で、それ以上の家族を書く折は、「御一同様」「御家族様」などと書き添えるのが一般的です。

郵便番号を書き番地だけでよいか
 郵便番号を正確に記入していれば番地だけで郵便は届きます。しかし手紙は誠意を伝えるものなので、都道府県は省いても市町村名からはきちんと書きます。

セロハンテープの封は
 封書を閉じるときは、きちんとのり付けが決まりです。セロハンテープやホチキスは相手に失礼です。

一つの言葉が二行に分かれないように
 「お元気でしょうか」が「お元気」で改行して「しょうか」とならないようにします。人名、地名、場所などの固有名詞も同様です。また「ま」「が」「は」「に」などの助詞も行頭にこないようにします。

便せんは一枚でよい
 よく文面が一枚でおさまっている便せんに、白色の便せんを重ねて送ってきてくださる方がいます。これは一枚だけの便せんが縁起が悪いという言い伝えから来るもので、白色の便せんを添える必要はありません。

二重封筒は
 縦長の和封筒には一重封筒と二重封筒があります。二重封の方が格が上で、あらたまった手紙や目上の人に対しては二重封筒を使用します。一般的に茶色の封筒はビジネスの時に使い、角型の洋封筒は招待状やカードの発送に使用されます。

往復はがきは
 新年会などで出す往復はがきは、ご講師や目上の人に返信を求める場合は使用しません。封書の中に返信用のハガキか切手を入れて送ります。
 返信用のはがきには、当方のあて名の下に「行」と書いておきます。

4項 集い案内

住職雑感

● 西方寺門信徒会員は、現在320名ほどです。通信会員(毎月の寺報送付)の方がほとんどです。会員になっても会員のノルマはありませんので、お気軽にご入会ください。

● 過般、柴又の帝釈天に参詣しました。彫刻ギャラリーは圧巻でした。
本堂の周囲を取り巻く、法華経を題材とした見事な欄間、重要文化財ものです。

機会があったら「観無量壽経」の説話を、施主となって欄間や絵などで表現したいものだと思いました。
●下記・青光苑にペットのお墓ができました。西方寺門信徒会員と青光苑利用者限定です。
 ペットのいる方は、一度見学に行ってください。ご本尊は「なまんだんぶ」です。