清 風 54号 04.8月号
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1項 表題

阿弥陀仏が一生懸命であった

先般、地域にある公園墓地に出勤した。受付に「ご自由にお持ち下さい」と冊子が置いてあります。表紙には「墓石に刻もう一言一句・墓碑銘傑作選」とありました。近年、新設墓地に行くと墓碑に色々な言葉が刻まれています。その墓碑に刻む言葉を特集した冊子です。実際に刻まれている言葉も紹介されています。【愛・感謝・慈愛・安らかに・絆…】など今風な言葉が並んでします。しかし、多くの部分は、創作募集の文言です。

冊子にはユーモアな文言が並んでいます。【水かけずに さけかけよ】【花はいらん 酒は絶やすな】【ここから出せ】【はかなくも大器晩成の夢 崩れさり】、夫から妻へ、妻から夫へ等々、多種多様な言葉が並んでいます。

 私が面白いと思ったのは次の言葉です。いわく【化けてでません】。何が興味を引いたかと言えば、私たちは通常、成仏していない人が化けて出ると思っています。しかし浄土真宗の立場からいうと、成仏した人が化けてでるのです。逆に成仏していない人は、化けて出られないのです。

 「正信偈」にも「遊煩悩林現神通」(煩悩の林に遊びて神通を現ず)とあります。仏様が私の煩悩のいのちの上に、私に思われ感じられえる姿となって現れて下さっているということです。その最も具体的な姿が「南無阿弥陀仏」の名号です。

 浄土宗の念仏と浄土真宗の念仏とでは、念仏の受け取り方が違います。

 浄土宗では、念仏を称える「称」を「トナウ」と読みます。私が一生懸命念仏を称えて仏に近づいて行くという理解です。
 親鸞聖人は「称」を「ハカリ」と示して下さっています。ハカリは秤のことです。外からどれだけ力が加わったかを知る計器のことです。念仏を称えることを「ハカリ」とするのは、念仏を称えさせる外からの力があったという理解です。

 阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」と化けて出て下さったということです。私が一生懸命に称えるのではなく、阿弥陀さまが一生懸命になって「南無阿弥陀仏」になって下さった。私は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えながら、早、阿弥陀さまの働き・願い・慈しみ・功徳の及んでいる身であると、阿弥陀さまとご一緒の人生を歩んでいくのです。

 親鳥は、ヒナがふ化する二十〜三十時間前から、卵の外で鳴きつづけるそうです。その母鳥の声が、卵中のヒナの脳に刷り込まれて、ふ化後、母鳥の声を聞き分けます。

 母鳥の鳴き声がヒナの脳に刷り込まれ、ヒナは母鳥の鳴き声を、母鳥の声と知るのです。ひとえに親鳥の働きによります。
 私が日常生活の上で<CODE NUM=00A4>「南無阿弥陀仏」を念仏を称え<CODE NUM=00A4>合掌礼拝をする。そうした仏との交わりの全てを、仏の働きと仰いでいく。それが他力の仏道です。

「化けてでる」。浄土真宗は仏様が一生懸命であったという仏道です。

2項 3項
 
浄土真宗のお盆

Q お盆は、いつ勤めるのですか。

A お盆の時期は、地方によってちがいます。先日、福井に行った折、福井別院の輪番さんから「福井県では、福井市市内だけが七月のお盆です」と伺いました。また、大分の別府温泉でも、七月に勤めると聞いたことがあります。お盆の時節は、地方によって異なります。地方によって異なるということは、日時に意味があるのではなく、お盆をお勤めすることが重要だということです。
 とはいっても、日時を定めないとお勤めできません。「盂蘭盆経」にある日時は、七月十五日です。

 太陽暦を用いる明治以前までは、この日を中心に日本全国で勤めていました。室町時代は七月十四〜十六日の三日間、江戸時代に入り、十三日〜十六日の四日間になったそうです。ところが明治に入り太陽暦を採用したため、今までどおり七月に勤める地方と、陰暦の七月にあたる、ひと月遅れの八月に営む地方に分かれました。

 京都、本願寺では八月十五日に行っています。この東葛地区(千葉県)では、七月に勤める方もいますが、八月の方が多数派です。臨機応変に、「八月は郷里で勤めるので、今年は七月に勤める」といった具合でよいと思います。

Q お盆は何のために営むのですか。

A お盆は「盂蘭盆会」と言いますが、その盂蘭盆(うらぼん)とは、インドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものです。

 お釈迦さまのお弟子、目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいる母を救うため、お釈迦様の教えに従い、僧に供養し(「盂蘭盆経」)たことに由来する法要です。

 しかし、浄土真宗では、故人は、餓鬼道に落ちて苦しんでいるとは受けとりません。阿弥陀如来の智慧と慈悲によって、浄土に生まれ、私を導いてくださる方として敬います。ですから、お盆は、私が先祖に「何かしてあげる」時ではなく、先祖から「して頂いた」ことに感謝する営みの日です。

 その感謝の方法として<CODE NUM=00A4>お経を読み、教えに耳を傾けるのです。私が豊かな事柄に触れていくことが肝心です

Q 「盂蘭盆経」では、何故、僧を供養したことで、母や先祖が救われたのでしょうか。

A 目連尊者が仏を尊ぶ人を供養する姿を通して、母がはじめて仏教の尊さに気付いたからです。物では人は救えません。人の心を開き、心境を転換させるのは、物ではなくて仏の説かれた法(真理)です。法に帰依し、真実の道理に心が開かれたとき、自己中心的な心から開放されていきます。それが餓鬼道から救われるということです。「盂蘭盆経」は、仏教の尊さが示されているお経です。

Q お盆は、いつ頃から行われているのでしょうか。

A 「盆と正月」と言われるように、江戸の時代、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と言いました。当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を選んで丁稚奉公
にでたものです。丁稚たちは例年、正月や盆の薮入りに主人から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。

 この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもありました。

Q 浄土真宗での、お盆のしきたりは?

A 具体的な荘厳は

@法事に準じ、お仏壇に打敷をかけ、灯(灯明)、香(お香)、華(花)を整える。

Aお供物は、左右対称に餅、菓子、果物などを供える。

B精霊棚(それに供える足の付いたキュウリやナス、精進料理のお膳など)は先祖が餓鬼道に落ちている考えに基づくものなので、浄土真宗では用いません。

C迎え火、送り火も同じ理由で不要(提灯も霊がかえってくるための道明かりと考えると筋違い)です。
以上が、本願寺派でお勤めするお盆のしきたりです。

Q 浄土真宗のお盆は、通常のごとくでいいと言われますが、先祖や仏様のために何かしたいという思いがありますが

A そうですね。浄土真宗では「しなければならない」ではなく、「する必要がない」ものが沢山あります。精励棚や先祖が餓鬼道に落ちているという発想からくるもろもろです。しかし「感謝の営みからする」ことは沢山あると思います。どこまでお盆の行事に楽しみや感謝の思いを持ち込めるかということです。少し思いつくところを列記してみましょう。

・夏用の打敷(三角の仏壇用テーブルクロス)掛けましょう。打敷には夏用と冬用があります。涼しい印象を与える夏用打敷を求めてはいかがですか。

・旅行に行ったとき求めた絵柄つきローソクを灯す。

・お盆に供えるべく野菜やお花を自家栽培する。それをお供えする。

・特別に香りのよい香を供える。

・正しい正信偈や行譜の正信偈を練習し、お盆にお勤めする。

・仏前にケビョウという、正しい仏器を整え、そのケビョウに水を入れしきみを挿してお供えする。(本来、日常的にお供えするものですが、お供えしていない家庭ではこの機会に求めては)

・感謝の思いから正信偈や、阿弥陀経を写経して、お盆にお供えする。

・朝のお勤めの後に、歎異抄などの親鸞聖人の語録を拝読する。

・お盆の法話会に参加し、身の幸せを喜ぶ。等々。

4項

 住職雑感

● 七月五〜七日の間、ご門主のお伴で福井に出張しました。即如ご門主からありがたい話しを伺いました。昨年、九州へお供をした折、ご門主が「私はアンチ巨人です」とのこと。ところが今回は「娘から人の不幸を喜ぶんはよくないと言われ、アンチ巨人を撤回しました」とのことです。さすが本願寺のお嬢様と思ったことです。

● 六月十日、築地本願寺で開催された聞真会(浄土真宗本願寺派に所属する国会議員の会・会員七十数名)で法話をしました。話の時間は十五分。時間厳守。話の導入として一項の「化けてでません」の話しをしました。私の想定では、その話しで国会議員は笑わないと思っていましたが、意に反し笑い声が聞かれました。笑わないと想定したのは、朝のお勤め、ご門主御臨席、法話は真剣に聞くものという意識があるのではとの判断でした。この法話会に参加されていた議員は、自分から望んで参加された方ばかりです。また場数を踏んだ方だけあってリラックスして聞法しておられました。
 
●その前夜は、あすなろ会といって本願寺派所属のご門主を囲む財界人の集いでした。瀬島龍三NTT相談役をはじめ十数人の参加。同じく十五分の話し。こちらは、笑いを誘う場面でも微笑なし。緊張感を持って聞かれていたようです。

 両会とも参加者、ご門主と一緒に食事を共にしました。あすなろ会の夕食では私の臨席が叶剴c製線の杉田光冶会長さんでした。杉田製線には昔、母がお世話になっていた関係で小さい頃の私を知っておられるので話しが弾みました。この杉田さんは、築地本願寺の総代でもあります。その杉田さんにまつわる逸話です。 武道館で親鸞聖人ご誕生八百年記念大会が開催された時のことだそうです。準備の段階で、親鸞聖人の名号の写しを記念品にしてはという意見が出された。その折り杉田さんは「名号は、本山から敬って頂戴するもの。それを受付で配るのはもったいない」と発言し名号の記念品がお流れになった。徳のある方です。この杉田製線では、会社で毎月法話会が開催されています。