仏教では七という数字を大切にします。葬式の際も仏式では初七日や七七日に中陰の法事を営んでいます。 お釈迦様はインドの生まれ、七歩歩まれた。これは迷いの世界である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を越えられたということを象徴的に表現しています。悲しいことに、実母の摩耶夫人は七日目に亡くなられます。
しかし「七」という数字を大切にすることは仏教に限ったことでありません。『旧約聖書』の「創世記」に神エホバが天地万物をつくること六日、その功を終えて七日目に安息した。ここから七日を一週とする慣行が生まれます
。
赤ちゃんが生まれた日から数えて、七日目のお祝いを御七夜と言います。古くはこの日、親しい間柄の長寿の方や尊敬できる親戚の方に名付け親になっていただいて命名式をし、赤ちゃんの名前を披露して祝いました。
この習わしは平安時代から受け継がれているものです。当時は産養(うぶやしな)と言って、生後三夜、五夜、七夜、九夜の奇数の日を祝うしきたりがありました。その中から、御七夜だけが今に伝えられたものです。
中国の春秋時代・晋代のそれぞれの時代の七人の賢人を「七賢」といい、正月七日に「七草粥」を食べます。七高僧、七副神、数え上げたらキリがないのが、「七」という数字です。
この「七」という単位は生命の数という説もあります。たとえば、動物の生命が生まれるには不思議と「七」がひとつの単位になっています。
たとえば、ニワトリは七日を三回重ねた二十一日で、ヒナになり、七面鳥は七日を四回重ねた二十八日でヒナになります。さらに私たち人間は受胎してから十ケ月と十日で生まれるとされています。これは、七日を四十回かさねた日数です。
陰暦では月の運行一周期が「一月」です。晦日(みそか)朔日と満月との二度の中間に上弦・下弦の半月、最低の単位が七日です。どうも「七」は、生命のを表す単位のようにも思われます。そのことを昔の方は、深い内観の世界で気づいていた。これはあくまでも想像ですが。
*七に関わる言葉
七夕(酉の刻(午後六時)から卯の刻(午前六時)まで七つのときを移動することをいう)
七宝(金・銀・瑠璃(るり)・ 玻璃(はり)・車渠(しゃこ)・珊瑚・瑪瑙をいい、現在も七宝のように美しい焼物を七
宝焼という)
南都七大寺(東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺)
七堂伽藍(がらん)(寺院の山門・仏殿・法堂・方丈・食堂・浴室・東司を合わせていう)
七福神(大黒天・恵比須・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋和尚を福の神)
春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)
秋の七草(はぎ・おばな・くず・なでしこ・おみなえし・ふじばかま・ききょうの秋に咲く七種の代表的な花)
2項
Q人が死んだらどこへ行 くのですか(子供の問い)
以前、夏休みのラジオ「子供電話相談室」を聞いていたら、次のような子どもさんからの質問がありました。
「明日ってどこにあるの?」。君はどう思う。明日ってどこにあるんだろう。月の裏側かなー・それとも想像も付かないところにあるのかなー。
私は、こう思うよ。明日ってねー、きっと駅に電車があったり、家に車があったり、宇宙に星があったりするような、どこかに目に見える、触ることのできる物としてあるのではないと思う。時間の流れを一本のひもに例えると
、昨日があって今があるような、今があって明日がある。まだ迎えていない明日の今のこと。時間が経つと見えてくる今のことだと思うよ。だから明日って、雲のようにどこかにある物ではなく、時間の流れの中でいう、まだ迎えていない今のこと。
なんか難しくなったねー。どう思う。少し分かったかな。「ある」と言うから、何か物のように、どこかの場所にあるように思いこんでしまうんだね。
浄土真宗では、死んだらお浄土、阿弥陀仏のおられる世界に行くとお釈迦さまが教えてくれていいます。じゃー、お浄土ってどこにあると思う。……
そう、お浄土があるかないかは、明日があるかないかと同じことなんだね。想像できる人もあるし想像できない人もある。じゃー想像するだけの世界なんだろうか。そう、想像するだけの世界だと思うよ。じゃー、お浄土って本当はないのかと言えば、明日と同じだね。明日って想像するしかないんだけど、では明日はないのかといえば
、きっと来るもの(来ないときもあるけど)だと思う。今豊かな生活をしている人は、豊かな明日を実感できるし、今日貧しい生活をしている人は、あまり豊かな明日を実感できないよね。お浄土も、仏様のお話を聞いている人には、実感できる世界だと思うよ。
今のは場所のことだけど、今度は、まだ来ていない明日を想像するように、お浄土ってどんなところかと言うことについて話そう。
話しは少し変わるけど、やっぱり以前、ラジオで次のような会話を聞きました。それは英語のラジオ番組で、講師は外国の方でした。その先生が、本国の両親にプレゼントとして、徳利とおちょこを送ったんだって。徳利って
、お酒を入れる焼き物のビンのこと。おちょこっては日本風グラス、小さなお酒を飲む湯飲みにたいなものだ。その徳利とおちょこを送ってから、しばらくして礼状が来た。
その礼状には、「素敵な一輪挿しの花瓶と卵立て、有り難う」って書いてあったんだって。そうあの徳利は、知らない人が見たら一輪挿しの花瓶のようだね。またおちょこだって、卵を載せるのに、いい器だ。日本酒を飲む状況を知らない人が見たら、おれは一輪挿しの花瓶に見えるし、おちょこも卵立てに見えるよ。
さて、この話しから知って欲しいのは、人は同じ物を見ても、経験や今まで体験した知識や心で物を見てしまうってこと。これは理解してくれるかな。これが理解できれば、私が五〇年の経験を通して見ている世界と、君が見ている世界では、感じ方や見え方が違っているのは理解できるね。
さて本題に入るけど、お悟りを開いたお釈迦さまが見ている世界を、浄土って言うんだよ。私や君が見ている世界を穢土っていいます。だから浄土って、あるか、ないかではなく、お釈迦さまに見えている世界だから、見えている人から、どのように見えているかを聞くしかないんだ。だからお浄土は聞かせて頂く世界って言ってもいいんだ。
「人が死んだらどこへ行くのですか」という質問だったね。ぼくたちの経験から思えることは、死んだら終わりだと思うよ。でもお浄土として見ている仏さまから見ると、あらゆる存在は、そのまま浄土に生まれていくと教えてくれています。なぜすべての人がお浄土に生まれることができるのかと言えば、お浄土は、すべての人を生まれさせたいという阿弥陀仏の願いから生まれた世界だからです。
ここは難しいところだから、たとえ話でお話そう。君はなぜ、自分のお母さんのことを、「この人は自分のお母さん」だと思うようになったのかな。生まれてきて、その瞬間お母さんの顔を見て、「この人がお母さんか」と知ったのではないね。自分が気づかないときから、君のことを我が子として育ててくれた。その日常生活の中で、疑うことのできない事実としてお母さんのことをお母さんと実感できるようになったんだろうね。
阿弥陀さまも同じこと。私は今、阿弥陀さまがいらっしゃると実感できます。それはいつか気づいてみたら、自分が「南無阿弥陀仏」と仏さまの名を称え、頭を垂れ、仏の教えに耳を傾けていた。そうした事実を通して、そうした事実は、親鸞さまが、「それは阿弥陀さまの仕業だ(働き・パワー)」と教えて下さったので、阿弥陀さまのことを実感できるようになったんだ。
その阿弥陀さまが、「浄土に生まれていくいのちだと思ってくれよ」と仰るので、たとえどんなところに生まれたとしても、そこは阿弥陀さまの光の届いている世界だと安心できるんだ。
話しを元に戻すね。「人が死んだらどこへ行くのですか」と言うことだけど、どこに行っても阿弥陀さまの居ない
ところはないので、何も心配していないんだ。
君も「南無阿弥陀仏」と称えてごらん。「ここに阿弥陀がいるよ」って聞こえてこないかい。念仏は称える姿となって私の命の上に至り届いて下さっている阿弥陀さまの存在の証なんだよ。「南無阿弥陀仏」と称えながら、阿弥陀さまを実感していく。親を親として実感した時、親が「自分の財産は将来全てお前のものだ」と言ったとき、財産の全容は知り得なくても、安心できるように、阿弥陀さまが「浄土に生まれるいのちである」と仰るので、浄土の全容は知り得なくても安心していられるんだ。
4項 住職雑感
● 四月三日の法話会。「九州では鳥インフルエンザならぬ、夫婦風邪が流行っている。その風邪の特徴は、熱が下がってもセキがぬけない」。笑いながら聞かせて頂きました。ご講師の佐々木高彰師は、熊本、山鹿市の方です。今年一月、京都本願寺のご正忌報恩講の最も大切な日に特別講演に出向されていました。
節談説教一席を語って頂き、プロの布教使の話を聞いたといった感慨を持ちました。
● 三月月末に京都に行きました。会議で日帰りでしたが、哲学の道で桜を楽しんできました。時間があったので法然院の椿も見てきました。法然院は法然上人のお墓のある場所です。浄土真宗と同じ念仏の道ですが、山門に「不許葷酒入山門」(葷酒(くんしゅ)山門に入(い)るを許さず・戒壇石(かいだんせき)と言い、臭いが強い野菜(=葱(ねぎ)、韮(にら)、大蒜(にんにく)など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということ)とあります。
ふと、数年前、紫藤先生がお説教で「葷は許さず、酒は山門に入れ」と読まれたことを思い出しました。「そのお説教では、漢文は読み方によって、全く違った意味にも読める。親鸞聖人は、漢文の読み方を変えて意味を大切にされた」というお話しだったと思います。