清 風(しょうふう)49号 03.5.1号

48号


1項
 浄土真宗の篤信家のご家庭では、両親や親鸞聖人の月忌のおり、肉食を断つ精進料理を営むご家庭があります。月に一度、肉食を断つことによって、いのちに心を寄せるという行為です。
 また、浄土真宗寺院の報恩講(親鸞聖人のご命日法要)でけんちん汁を出されるお寺も多く見受けます。けんちん汁は精進料理の雑多煮風吸い物です。お寺によって味が異なるので味わい深く頂戴できます。
 けんちん汁誕生に当たって、次の様な逸話を耳にしたことがあります。

 ある禅宗の道場にケンチンという和尚がいた。このケンチンが、ある年に典座(てんぞ)に指名された。典座とは料理長の役目で、禅宗では重要職です。ケンチンは自らの修道の拙さ、大衆扶養の重責を思うにつけ、調理のときにでる野菜の切れ端や、食器の洗浄によって出る残飯を、流しのはけ口でざるに受け、それらを集めて煮炊きし密かに食べていた。

 ところが大衆からケンチンは典座の役を良いことに、別鍋で煮炊きして食べているという風評が立った。師の禅師に告げる者があり、禅師もまさかと思いつつ注意してみると、いかにも別鍋で食べている。
 ある日、禅師は、突如としてケンチンの前に出て、詰問した。するとケンチンは、「身は不肖にして典座の大役を受け、大衆弁道のためにと心がけていますが、心拙く、行劣りて、まことにザンギの至り。この罪を謝せんがために、かように残飯を集めて食している次第です」。師も試しに鍋中のものを口に含むと、異臭惨味、食するに耐えなかったという。このケンチンの行動により一山の僧風が上がったという。

すべての物の上に平等のいのちを見ていく仏教らしい逸話です。ケンチンの食物に対する心と行動力によって、雑多な捨て去られてゆく食材が食べ物として見出されていった。ケンチン和尚の功徳を阿弥陀仏にたとえても良さそうです。

 人それ自身の値打ちとしては迷いの果報を受けなければならな私が、阿弥陀仏の心(願い)と行動力(働き)によって、仏と同質の値打ちとして見出されていく。これ偏に、阿弥陀仏の働きに帰します。これを浄土真宗では他力本願と言います。

*他力本願ー阿弥陀仏の働きのこと。本願力回向の力用。

親鸞聖人の言葉
「顕浄土真実教行証文類」
 【他力といふは如来の本願力 な り】
「歎異抄」
【しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり】


2項 お寺の掲示板
お寺の掲示板に、よく言葉が添えられていることがあります。西方寺の掲示板には、本日現在「根を養えば 木はおのずから育つ」とあります。ある出版社から、このオリジナル「伝道句集」を出版したいので、言葉とエッセイをとの依頼がありました。
 私の原稿から、一部ご紹介します。

【枯れた木の葉は散らない。落葉は生きている証です】

 裏庭に赤に花をつけるさるすべりの木がある。昨年、台風の為か、気がついたときには太い枝が折れ、ぶら下がっていた。冬が来て、木の葉は落葉しても、折れぶら下がった枝の葉は、運命共同体のように、折れた枝と共に枯れていき落葉することがなかった。落葉は木が生きている証なのです。
「木はおしっこをする」と、生物の先生から聞いたことがあります。おしっことは排泄物を身の外に出すことです。落葉樹でない木も、排泄物を葉にため、その葉を落葉させることによって排泄するのだそうです。落葉は、木が生きているいのちの営みなのです。
 私たちも無常の命を生きています。無常という自然の道理からいえば、死は必然であり、生こそが偶然の営みのようです。死ぬときが来たら、すべてを阿弥陀さまにゆだねて、握りしめている手をパッと開いて、落葉する葉のように終わって往けたらいいですね。どのような落ち方をしても、そこは阿弥陀さまのみ手の上なのですから。

【闇があればこそ星の輝きが見える】

 過日、ある少年院の生徒の思いを綴った作品集「母へ父へ」を頂きました。最初の項の初頭にMさんの言葉があります。
「母さん、お元気でしょうか。あんなに嫌いだった煮物が食べたいです。帰ったら作ってください」。
 普段のあいも変わらない食卓の煮物、その煮物には、母の愛情がいっぱい詰まっていたことに初めて気づきます。施設での生活はMさんとって母の暖かさを知る大切な環境のようです。
 Tくんは、父への思いを綴っています。
「どんな思いで審判の席に座っていたのか。どんな思いで、「少年院で頑張ってこい」と言ったのか。本当にごめんなさい」。
 願われている自分に気づくと言うことがあります。父や母のまなざしの中にある私の存在への気づきです。
 人は、思い通りにならない状況の中でこそ、尊い存在に気づいていくようです。 


《永遠の命を生きるとは、二度とない今を生きることです》

父が食道がんを患った時のことです。当初、気になったのは、「何ヶ月の生命か」です。しかし同時に、かけがえのない生命を何ヶ月という数量ではかる。それは大変に不遜なことだという思をもちました。
 生命を一ヶ月二ヶ月という数量にしたとたん、一ヶ月より二ヶ月、二ヶ月より三ヶ月の生命の方が価値ありという生命が物に転落してしまうからです。
私たちは一日より二日、二日より三日と生命を量ではかり、その数量の多さに幸せを感じていきます。しかし実際は、三日より二日、二日より一日と、短くなればなるほど、一日の重みが増していきます。そして、その極みが「今のひと時」です。ここに立つとき、「今という時は二度と巡ってこない」という永遠に巡り会えないという質をもった生命であることに気づかされます。


「続・真宗オリジナル伝道句集」四季社刊・西原執筆 



3項 (他に集い案内あり)

ちょっと教えて

問 七回忌のご法事を勤めます。七回忌を「ナナカイキ」と言ったら、知人から「シチ」だと読み方を訂正されました。仏教では、どう発音するのでしょうか。


 仏教では「シチカイキ」と読むのが通例です。しかし漢字や数字の発音は時代と共に変化するので、個人的には、そうこだわらなくても良いと思います。

 本願寺派では八年後(平成二十三年)に親鸞聖人の七五〇回大遠忌を迎えます。この七五〇を「シチヒャクゴジュウ」と発音するか「ナナヒャクゴジュウ」と発音するか、宗派の議会で議論となっています。

 仏教の通例では、数字をイチ・ニ・サン・シ・ゴ・ロク・シチ・ハチ・クと読みます。問題は四(シ)と七(シチ)と九(ク)です。四は四諦(シタイ)・四法印(シホウイン)・四無量心(シムリョウシン)などと「ヨン」ではなく「シ」と読みます。

 七も七難(シチナン)・七宝(シチホウ)・七條(シチジョウ)などと「シチ」と読み、九も、九字名号(クジミョウゴウ)・九品(クボン)・九條(クジョウ)など「ク」と発音しています。

 七を「シチ」と読むのは、僧侶仲間では常識に近い読み方です。宗派の会合で、「シチ」にこだわる人に、ある方が過去の法要である「顕如上人四百回忌はどうよんだか」と質問したそうです。本来は「シヒャッカイキ」と発音します。ところが大方の人が「ヨンヒャク」と発音して、疑問さえ持たなかった。おそらく「シチ」にこだわる人も四百を「ヨンヒャク」と疑問なく読んだ人は、たとえ現在、七を「シチ」と読むことが自分の中では常識であっても、時と共に七を「ナナ」と違和感なく読むに違いないと思ったはずです。実際、寺院生活でも「初七日」(しょなのか)・二七(フタナノカ)など、読み癖でシチと読まない場合もすでにあります。

 さて結論です。「シチカイキ」と発音するのが理想ですが、発音は時代と共に変わります。「ナナ」と発音した人がいても、むきになって訂正するほどのことではないようです。実際、私が住職をしているお寺でも、多くの方が「ナナカイキ」と言ってご法事を依頼されます。たまに「シチカイキ」と言われると、私は「この人は教養があるな」と思ってしまいます。仏教では「シチ」と発音することを理解していて、その場に相応すればよいのではないでしょうか。
(ポストエイトス掲載原稿西原筆)


4項 (他に地図、案内あり

住職雑感

* 昨年秋、ご門主に同行して九州の田川にいきました。車中、会話がご門主さまの法名の話しに及びました。ご門主さまのお書き物のサインが、教書(門主就任の折り浄土真宗本願寺派の方向性を示した文章)では大谷光真とあり、ご消息(お手紙)では釋即如とある。お名前の使い方にどのような意図があるかをお尋ねしました。ご門主は、お得度した折りに「釋光真」と名のり、新門主に就任した折りに「釋即如」を受け、法名が二つあるとのことでした。

 それから会話が「いみな」(諱)の話しとなりました。いみなは「忌み名」の意で、死後に贈る称号(諡・おくりな)とする場合もありすが、文字本来の意味からすると、身分の高い人の実名で、生存中は呼ぶことをはばかった名前のことです。

 私たち末学の者、特に本願寺派の者は、親鸞聖人の親鸞という直接の名を避けて、御開山聖人と言います。蓮如上人を中興の上人と言ったり、曇鸞大師を出身の地名をとって「雁門」(がんもん)曰くと言ったり、善導大師を光明寺の和尚という習わしがあります。

 ところが近年は、浄土真宗を学問の対象として学ぶ人が増え、親鸞、親鸞と呼び捨てにする傾向があります。特に大谷派(お東)に、その傾向が強いようです。過日も、ラジオで「宗教の時間」を聞いていると、浄土真宗の方ですが「親鸞・親鸞」と呼び捨てにしていました。

 客観的事実を重んじる学問を語るときは、呼び捨ては当然ですが、阿弥陀仏を語るときは、敬称を付けて呼ぶ方が、私は落ち着きます。
* 上野の東京国立博物館で開催されている西本願寺展は五月五日までです。