図書館でふと「アジアの笑いばなし」(東京書籍刊)の本が目にとまりました。その本の中から1つお裾分けです。
小見出しに「中国・指一本の意味するもの」とあります。そのまま引用してみます。
国家試験を目前に控えた3人の受験生が、結果を占ってもらいに、ある占い師のところへいきました。
すると、占い師は、なにも言わす、ただだまって指を一本立ててみせました。
結果が発表されてみると、3人の内一人だけが合格しており、おかげでこの占い師の評判はぐんとあがりました。
占い師のわかい弟子は、どうしてそれが分かったのか知りたがりました。
「成功の秘訣は、ものをいわぬことじゃ」と、占い師はいいました。そして、それを聞いた弟子がぽかんとしているのを見て、こうつけ加えました。
「いいかね、おまえは、わしが、指を一本出したのを見ておったろう。それは、三人の内一人だけが合格するという意味にも取れる。事実そうなった。だがもし二人合格しておったとしても、わしの見立ては、やっぱり正しい。指一本は、一人落ちるという意味にも取れるからな。三人通ったとしても、指一本は、三人そろって一度に合格という意味にも取れる。その反対も同じこと。どんな場合もわしは正しいんじゃ」(以上)
これを読んで、テレビや週刊誌に出ている「星占い」のことが思われました。たとえば「乙女座ー今日は、人との出会いと大切」とあれば、人との出会いを大切にして幸せであった人も占い通り。同じく大切にしたが不幸な目にあった人も、その人の努力が足りなかったので占い通り。という具合です。
大方の占いは、気休めや遊びの範囲ですが、いつも親しんでいるとここ一番の時に判断を誤ります。占いは右か左か、選択の余地があることが前提です。
戦国の武将・武田信玄(一五七三没)が戦中、一羽の鳩が飛んできて陣屋にとまった時、これは吉兆であると喜んだ家臣を前に、鳩を鉄砲で撃ち落とし「大事な戦中である。詰まらぬ迷信に左右されず、しっかりと腹を据えよ」と諭した。一生懸命の心情には選択の余地はないのですから。
阿弥陀仏と一生懸命生きる。それが信仰者の姿です。浄土真宗の宗風は「迷信や占いをしない」ことです。だから浄土真宗のお寺には絵馬やおみくじ・お守りが置いていないのです。
2項・3項
行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ 「顕浄土真実教行証文類」
(念仏を申し阿弥陀仏の楽しむ心が起きたら、過去・現在を貫いて私に働き働きかけている阿弥陀仏の働きや願いを慶ぶのですよ)
地球の歴史の上にある私
「せいめいのれきし」(岩波書店刊・バートン著)という絵本があります。この絵本は、銀河系に太陽が誕生し、太陽系に地球が生まれ、その地球に生命が宿る。古生代の生命、中生代の生命、新生代の生命、有史以前の人間、そして現世の人間の営みへと歴史が進み、最後のページは「さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。おはなしの主人公はあたたです…」と、私にすべての歴史が繋がって私の歴史の始まりで絵本が終わります。
私の誕生の背後に、宇宙の歴史があることを楽しみながら学べる絵本です。この絵本が最終項の私の誕生で終わるところが、他の絵本にない卓越した視点を感じます。
私の過去の壮大なドラマを知ることは、それだけで心が豊かになります。それは大きないのちの中にある自分を認知するからです。
育児日記のプレゼント
私が生まれる前に壮絶な宇宙大のドラマもあれば、生まれてからのドラマもあります。
昨年(平成十三年)、第23回少年の主張(奈良県大会)で、中学校2年の北側真由佳さんが「母からの誕生日プレゼント」という題で次のような主張をしています。
毎年自分の誕生日にだけ、母が付けている育児日記を見ることができ、その育児日記見ることを楽しみにしているとのこと。その育児日記を初めて見せてもらったのは十才の誕生日。「まゆか、十才の誕生日おめでとう。今年からプレゼントはこの日記でーす。どうぞ」と、母からその日記が渡された。その時は、毎年母がくれるかわいい小物の方がいいのになあと思ったのが、正直な気持ちであったといいます。
そんな思いは、その日記を読んでいるうちに、遙か彼方へ飛んで行って、体の奥の方から今までに味わったことのない何とも言えない思いが次から次へとわいてきて、目には涙が一杯たまったそうです。その日記は、自分が生まれてからの三千六百五十日余りの日々のうれしいこと、楽しいこと、悲しいことなど母の言葉で、優しく時にはすごく厳しく心を込めた字でびっしりと詰まり、その中である数ページには、母の涙の跡だなとはっきり分かる所もあり、母がどんな思いで書いたのかと想像するだけで、胸がぎゅっと痛くなったとあります。文をそのまま引いてみましょう。
【特に、私が一歳を過ぎても歩かず、ちゃんと歩けるようになるか保健所で検査をしてもらうことになった日から、専門のお医者さんに「この子は、一歳半になったら歩きますよ。」と言ってもらえた日までの母の辛い思いが伝わってきて、私自身が知らない赤ちゃんの時の出来事が、目の前の私だけのスクリーンに映し出されているみたいでした私の記憶にもないことで、こんなに家族に心配かけたことがあったなんてこの時初めて知りました。その数ヶ月間、父と母がどんなことをしてでも私の足の為になることはすべてやろうと何度も話し合った様子が手に取る様に分かり、日記の一文字一文字が、両親の子供に対する愛情の深さというものを私に教えてくれました。長い時間をかけ日記を読み終わった時、十才なりに、子供は生まれて来る時親を選べないけど、この両親の子供に私をしてくれた神様に何回も「ありがとう」を言いたい気持ちでいっぱいになり、この気持ちを絶対忘れてはいけないと思いました】
とあります。母の育児日記の子どもへのプレゼントは、子どもの現在の成長を喜ぶ証でもあります。「こんな苦労もあった。あんな苦労もあった」と現在の成長を過去の思い出と共に喜ぶのです。
私はひとりではない。ここにも大きないのちに育まれた私があります。過去にあったであろう今の自分に至るさまざまなドラマは、自分のいのちの深さでもあります。
阿弥陀仏の苦労話し
浄土真宗の門信徒が毎日お勤めするお経「正信偈」には、「法蔵菩薩が、因位の時…」と、阿弥陀仏の過去の物語が示されています。私が、いま念仏し、仏を礼拝し、仏の教えを喜んでいる。その背後に深い仏の営みがある。その営みが仏の苦労話として説かれているのです。この仏の苦労話が説かれているお経が「大無量寿経」です。
この「大無量寿経」には、私のあるべき理想や生き方の指針ではなく、最初から終わりまでが、阿弥陀仏の苦労話に終始しています。
私が誕生するまでに、宇宙の壮絶なドラマがあり、私が誕生し成人するまでに、子の成長を願う親のドラマがあった。「大無量寿経」には、私が念仏に出遇うための、阿弥陀仏の壮絶なドラマが説かれているのです。
この仏の苦労話は、現在のそのままの私を「念仏に出遇えて、よかってですね」と讃える言葉でもあります。「南無阿弥陀仏」の念仏は、仏に出遇うための手段ではなく、あなたをこのように、仏の無量の寿・無量の光の中におさめ取りましたという阿弥陀仏の告白でもあります。
4項 住職雑感
● 私は現在、高一になる長女が生まれた年、1986年(昭和61年)にこの柏市に布教所を開設しました。そして1993年(平成5年)に「西方寺」という宗教法人を設立しました。今年が丸十年になりました。その十年を記念して中国旅行を計画しています。どうぞご参加下さい。
● 地球年齢表を紙面に転載しました。この表をじっくり見て、ふと思い出したのが、「盲亀の浮木」の譬えです。盲目の亀が大海の中にすんでいた。百年に一度だけ水面に浮かび上がり、水面にただよっている一本の木の穴に入ろうとするという寓話です。この逸話は涅槃経、法華経、雑阿含経に説かれる説話で、後世、めったにない幸運にめぐりあうたとえに用いられるようになった言葉です。
人間に生まれ仏教に出会うことの難しさを、先人たちは、このように味わってきたのです。地球年齢表と通じるものがあると思い出しました。
● 栂尾の明恵上人(華厳宗中興の祖・一一七三生)の次の逸話があります。
ある時、弟子がなずなを摘んでみそ汁をつくり上人にさしあげた。上人はそのみそ汁を口に含んだのち箸を置き、左右を見られる。そして戸口のふちに残っていたホコリをつまんで、みそ汁に入れた。「どうして…?」という問いに、上人は恥ずかしそうにつぶやくように答えられた。「あまりおいしいので…」。
またある時、上人が松茸が大好物だと噂が立ち、檀家の人が苦労して松茸をご馳走した。それを知った上人は、恥じ入って以後絶対に松茸を口にしなかったという。
私はこのホコリの逸話が、尊い話と理解され現代まで伝承されてきたところに、日本に培われている美意識、仏教的な価値観のあることが知られ有り難く思います。
きっと現代人には「変人」と一笑されてしまうのではないでしょうか。明恵上人が何を大切にしようとされたのか、お考え下さい。