1項 慈悲のこころ
この七月から精神分裂病という病名を「統合失調症」とするとの報道がありました。精神疾患患者への配慮です。 障害は、その人の問題とする考えと、その人が普通の生活をするのには障害が沢山ある社会であると、社会の問題とする考えがあるようです。
障害者に対する偏見は社会が持っている最も大きな障害かも知れません。
「心に残るとっておきの話し2」(新潮社刊)に、宮谷内純子さんが、慈悲についての気づきを寄せています。
電車の中で、精神障害者と思われる初老の男性が他の車両から車内に響きわたる大きな声で歌いながら近づいてきた。その場を逃げ出したい気持ちで座っていると、さらに近づき向かいの席の女性の隣に座り、なんと、その女性の足を触りはじめた。その時、その女性は男性に「さわることはいけませんよ」と諭し、「さっきあんなに気持ちよく歌っていたでしょう。歌なら聞いてあげることができますよ」と言葉をかけたという。
宮谷内さんはその時の思いを次のように綴っています。「精神障害をもった、この男性を哀れんであげられる女性は多くいるでしょう。しかし、この女性のように男性に一人の人間として接することの出来る人は多くはないと思います。ここで私は、自分の思い違いに気づきました。それは慈悲の心に対する私の思いです。私にとって慈悲の心とは、相手を哀れむことでした。それは同情の心にしかすぎません。他人を自分より下に置いてみる内は、人類はみな平等であるとは言えません。どんな人に対しても、自分と同じ視点で見る、接する。これが人に対する平等の心ではないでしょうか」。いい話でした。
慈悲とは相手を下に見て哀れむことではなく尊重することです。慈悲の深い人は、とても弱い人をも尊重できる人です。
阿弥陀如来は、その慈悲の極まりの仏さまです。慈悲の極まりとは、限りなく愚かで弱い存在をも、無条件に尊重できるということです。
浄土真宗という仏道は、その阿弥陀如来の慈悲の中に、自らの存在を発見することです。それは弱い愚かな存在でも、かけがえのない存在であると知らされることなのです。
2項・3項 母の愛と仏の心
母の涙
タレントのオスマン・サンコン氏がある雑誌に「母の涙がぼくの心を救ってくれた」というエピソードを寄せています。
「私が高校2年生のとき、サッカーの試合中に足に大けがし、2カ月間入院しました。絶対に治ると思っていましたので、ギプスをはずしたときのショックは言葉にできないほど大きいものでした。足首から先が曲がったまま固定されていたのです。私はペレのようなサッカー選手を夢見ていましたが、サッカーどころか歩くことさえ満足にできません。絶望感でいっぱいになり、何かを考える気力もありませんでした。
その日から、いろいろなわがままを言って困らせる私に、母はいやな顔一つ見せず、私の足を毎日マッサージしてくれました。父は私が中学生のときに亡くなっていたので、母は朝早く起きて、父が残した畑で野良仕事と家畜の世話、大勢いる家族の世話を一人でやっていました。母の毎日は多忙でした。
懸命なリハビリのおかげでなんとか歩けるようになったものの、口を開けば母に反抗し、生きる気力もなく死ぬことばかり考えていました。
そんなある日、ふと夜中に目をさますと母がぽろぽろ涙を流しながら、私の足をマッサージしていました。母のやつれた顔がみえました。そのとき初めて気がついたのです。母がどんなに苦しくつらかったかを。このときほど母の涙を重く感じたことはありません。母の言葉にはできない愛情を感じました。もう二度と母を泣かせはしない。母の涙を笑いに変えようと思いました。その日を境に私は立ち直ることができたのです」 人は分別への固執や損得、経験へのとらわれなど、自分自身でもどうにもならないものを多く抱えて生きています。そのこだわりや誤った分別から解放される契機となるものが、より純粋なものとの出合いであり、その1つとして母の存在があるのかもしれません。ここに宗教の原点があります。
若気のいたり
「宮本武蔵」の著者である故吉川英治氏も、同様なことを語っています。吉川氏の母は、浄土真宗の篤信家でみ仏と共に生きた方です。
吉川氏は20才頃まで職を転々としていたが、山崎帝国堂の募集広告を見て面接に行った。
面接室には志願の書類が山積みになっています。自分は小学校卒。駄目だとあきらめ「学歴なし賞罰なし」とだけ書いて書類を提出した。
講演集から引用します。
【テストに当たった3番目の人が僕がもどろうとすると、『君、ちょっと待ちたまえ』『ハッ』『君は宗教を持っているか?』と聞くんです。僕のところは真宗です。昔から。ところが‘君は宗教を持っているか’って言われたとき、こりゃ家は真宗だというだけじゃ‘私の宗教です’というわけにいかん。ですから『宗教はありません』と言ったんです。そしたらその人は『そうか、じゃあだめだ』って目をむいて妙にそっけないんです。
一度ドアの所まで出かけてたんですが、あんまりそっけなく『そうか、だめだ』と言われたんで、ちょっとむかーとしたんで、もういっぺん戻った。 『思い出しましたが』と言ったんです。『なにを思い出した』『私は宗教を持っていません。宗教はありませんけれども、僕の胸にはいつも死んだ母さんが住んでいる。その母さんさえあれば僕は決して悪いことはできない。決して怠けられない。決して人を欺けない。そんなんじゃいけないでしょうか』『フーン』とこうなんです。
その人もどこか変わっていたんでしょう。『明日より出社すべし』という速達が来た】
自分の思いでは汚すこも欺くことも出来ない純粋なもの。それが宗教であり、母の存在も同様であることを、面接官も知っていたのでしょう。
しかし吉川氏の講演は続きます。
【それもやっぱり若気のいたりだと思うんです。大変恥じています。単純にはそう思いましたが、自分の胸に死んだお母さんさえあればと、こう思いたいときもあるんですが、多岐です】
母の存在だけでは、自分のすべてを律しきれない。そうした闇や損得勘定が自分の中に存在していると言うことです。
自分のすべてを照らし肯定してくれるような純粋なものに開かれていく。それが真実の宗教の世界だと思います。
自分のことでありながら、自分でもどうにもならない闇や性(サガ)が問題となったときに、その自分に頷きを与えてくれるものです。
この世では救われない
過日、高橋和巳先生のカウンセリング講座を受講しました。テーマは「カウンセリングにおける受容」です。
カウンセリングの目的は、その人の生き方の方向を変えることではなく、生きる幅を広げること。不から良へ方向を変えるのではない。不登校で言えば、学校に行かせることではなく、行きたい気持ちも行きたくない気持ちも理解することだと言われます。
助けようとする思いが強いと、助かっていないその人の受容を妨げてしまう。一つのゴールを決めてしまうことは、それ以外のその人を受け入れられなくなってしまう。カウンセリングは「その人を助けられない」ことから始まるとのことでした。
その人のすべての可能性を受け入れるためには、一つのゴールやあり方を決めてしまうことは、かえってその人のありのままを否定することとなるということです。
私は、この話を聞きながら浄土教の「この世では救われない」という言葉と通じるものがあると思いました。
「この世では救われない」とは、一見、自分の生き方を否定した言葉のようです。しかしこの言葉は否定ではなく「救われなければならないものを抱えながら生きる」という自分の生を肯定した言葉なのです。すなわち「一つのゴールを決めてしまうことは、それ以外のその人を受け入れられなくなってしまう」ことと同様です。「この世では救われない」存在も認めていこうとする教えが「この世では救われない」という言葉なのです。
それを可能にするのが「救われないままに浄土に生まれて仏に成る」という阿弥陀如来のお慈悲の世界なのです。 自身の存在への悲しみを通して、それ以上に悲しみを寄せて下さっている阿弥陀如来の大悲に出遇っていく道です。
どうにもならない存在であっても、わが故ゆえに、思いを寄せてくれ母の愛、その一方通行の純粋さが、仏の慈悲と共通します。その慈悲の極まりの仏さまを阿弥陀如来と申し上げます。
3項 インフオメーション
4項 住職雑感
○ 西本願寺前門主勝如上人が去る六月十四日ご遷化されました。
私は前門主東京ご駐在の折り侍僧(秘書役)を拝命されていたので、色々な思い出があります。直接の会話は、別の機会に掲載するとして、仕事を通して見聞きしたことを二つ紹介します。
ある日、前門主から個人的なことだがと、代香を頼まれました。目黒区にある祐天寺の住職が往生され、国際仏教振興財団でご縁があるとのことで、香典をお預かりして祐天寺へ行きました。焼香し、戒名を手帳に控えていると、これをどうぞと、はし袋のような長い紙編を頂きました。そのはし袋のような紙には祐天寺第二十世中興とあり「一心光院徹蓮社貫誉上人顕阿白道愚精進勝雄上座大和尚」とありました。なんと二十五文字です。他宗は何と長い戒名を付けるものだと思ったことです。
ちなみに前門主の法名は「信誓院釈勝如」と申し上げます。私たちと同じ長さです。
昭和六十年の頃、日本テレビ系列で「あんちゃん」という水谷豊主演で浄土真宗の僧侶を扱った連続ドラマを放映していました。伊東方面での撮影であったかと思います。その「あんちゃん」のドラマも終了し、日本テレビに本願寺の茶碗を持ってお礼に伺いました。前門主を筆頭に、社長室で、感謝状を伝達しました。
その夜は、精進料理店で日本テレビの社長や読売新聞の会長等の役員と、会食となりました。席には、水谷豊さんや主演の女優さんがご一緒でした。その折り、会話の中で水谷豊さんが、ふと漏らした言葉が記憶にあります。
「撮影が進んでいくうちに布袍・輪袈裟の重さを感じるようになりました」とのこと。最初は単なる衣装でありユニホームくらいの感覚であったものが、次第にその重さを感じるようになったのだそうです。
「布袍・輪袈裟の重さ」とは、仏さまのお給仕をする者としての責任感のことだと思います。
思い出のお裾分け。
○今年は寺院設立十周年でした。十一月の報恩講には、午前の部で、十周年記念法要を考えています。また明年五月中国旅行も計画されています。どうぞご参加下さい。
お誘い
西方寺設立十周年記念
中国への旅
2003年5月12〜16日
(5日間)
費用 184.000円
詳細は西方寺まで