1面 母へ父へ
「愛の反対は憎しみでなく、無関心です」。ある会合でそんな言葉を耳にしました。昨年の交通事故死者は8747人、自殺者は、その3倍を上回ります。どうも今の日本には無関心の嵐が吹き荒れているようです。
子どもへの虐待がマスコミの話題に上ります。自分に対して愛情を持って関心を寄せてくれる人がいない。ここからさまざまな悲劇が生まれていきます。
過日、ある少年院の生徒の思いを綴った作品集を頂きました。題に「母へ父へ」と記されています。母への思い、父への思いをよんだ作品ばかりが並んでいます。
最初の項の初頭にM・Mさんの言葉があります。
母さん、お元気でしょうか。あんなに嫌いだった煮物が食べたいです。帰ったら作ってください。
普段のあいも変わらない食卓の煮物、その煮物には、母の愛情がいっぱい詰まっていたことに初めて気づきます。施設での生活はMさんとって母の暖かさを知る大切な環境のようです。家路に着いたらきっと、煮物として届けられている母との絆が、Mさんを悪から護ってくれることでしょう。
次はK・Sくんの詩です。
自分は時々、不思議になるよ。苦労ばかりかけた自分を、どうして見捨てないのか。自分にはわからないけど、ありがとう。
「この条件をクリアーしたら愛す」といった条件をつけない愛情、そうした無条件の愛が空気のように常に自分に降り注いでいた。そうした母の愛がいつしか、Kくんを立ち直らせてくれる違いありません。
K・Tくんは、父への思いを綴っています。
どんな思いで審判の席に座っていたのか。どんな思いで、「少年院で頑張ってこい」と言ったのか。本当にごめんなさい。
願われている自分に気づくと言うことがあります。父や母のまなざしの中にある私の存在への気づきです。自分を傷つけることは、自分をかけがえのない人であると愛してくれている父を悲しませるとこ。その父を悲しませたことへの懺悔のごめんなさいです。
自分は一人だと思っていたのが、両親のまなざしの中にある自分に意識が開かれる。どうしようもない私だと思っていたら、そのどうしようもない私をかけがえのない存在と慈しんでいてくださる阿弥陀如来に意識が開かれていく。信仰とは、大きないのちの中にある私という存在への意識の拡張です。
2/3項
歌人・吉野秀雄と歎異抄
二十代の大半を結核を患い死の影、生の重みを感じながら過ごされたEさんのお話しを聞かせて頂いた。
私はEさんの話を聞きながら、心の中に次な様な思いが浮かんでいました。
若き日の命の危機にとも言える体験は、たとえ病気が回復しても、生きることの意味や死の受容への関心といった「人生への問い」として潜在意識の中に流れ、それは草原や町中の大地の下に地下水が流れ、縁にふれて地上に沸き出るように、人生の一こま一こまの中から、新しい出会いや気づきを生み出していく。Eさんのお念仏との出会いは、若き日の体験が下地としてあったならばこそ。そんな思いを持ちました。
詩人・吉野秀雄(1902〜1967)も、病床の中で、優れた歌や随筆を生み出していった人です。
福沢諭吉への敬慕から慶大に入学するが、二十三才の折り、結核のため退学。二十五才の時、気管支喘息を患い、それが生涯の病となります。晩年は、リュウマチや糖尿病にも苦しめられながら「人生への問いを」を深めていきました。
こうした命の危機は、秀雄をして生に鋭敏となり、率直に、また大胆に今の心境を歌い、歎異抄(親鸞聖人の語録)を通して、浄土真宗に出合っていった人でもあります。
その歎異抄への傾倒は
「万々一歎異抄が偽作か何かで、内容上親鸞とは無関係となった場合には、私は親鸞宗をさっさとやめて、歎異抄宗、唯円宗となるだろう」(やわらかな心)と語り、「これをもって世界一の信仰奥義の書だとも信じている」とも語っている。
若きより繙(ひもと)きなれし書(ふみ)なれど
今宵のわれはおしいただきぬ
昭和十九年・四十四才の折、妻はつは三人の子を残して胃の肉腫により逝去しています。その二年前に詠んだ歌です。歎異抄に示された言葉との出会い、その言葉を通して、自らの病気や妻の看病・どうにもならない現実の中で、そのどうにもならない現実に息ふきを与えてくれる豊かなものと出遇っています。そして故八木重吉の妻との再婚。
晩年は病床にありながら様々な思いが去来します。吉野秀雄年表には「この年ほとんど病床に臥床」と五年続きます。
死を厭(いと)い生をも懼(おそ)れ人間の
揺れさだまらぬ心知るのみ
病床の中(昭和四十年五月)、三十六才のご子息が突然、精神病を発病します。
「自分の油絵作品を軒下に山と積み上げ、火を放った。その炎は応接間の羽目板に燃え移るばかりに立ち上り、家内はおろおろ消火につくした。せがれは炎の色を見ていっそう逆上し、画室にしていた二階に上がるや、そこにも火をつけると狂い、とめる者にはなん人とも殺すといって切り出しを構え、…せがれは精神病院へ連れて行かれた。」(やわらかな心)
極限の状態の中で自らの無力に頭を垂れ、ナモアミダブツ・ナモアミダブツと称名念仏します。「生をむさぼるのではなく、慈悲にいかされていこう」と阿弥陀如来に全託する境地に安住しています。
いづる息 入(い)る間も待たぬ命ゆえ
かくあるままに すがらしめたまふ
なすすべなしの状況化、念仏申す中に、念仏申すという身の事実として届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れ、あるがままの自分を肯定できる心境を開いたようです。
幾度も繰り返す危篤状態「医師もこれまでかともらし、われも覚悟せしが翌朝なお命あるおのれに気づく」と前置きして
われもまた聖(ひじり)に口合わせいふ
死ぬ時節は死ぬがよくそうろう
と詠んでいる。
秀雄六十五才を迎える最後の年、病床にあって、仏教書、特に親鸞聖人に関する本を熱心に読み、三月に友人に宛てハガキを送ってきます。
「曽我量深師の『法蔵菩薩』と『我如来を信ずるが故に如来在す也』は共に病中数回熱読、特に『法蔵』は天下第一の名著。これの小型本五万部も作りて日本人全般に読ませてはいかがか。このはがき百日ぶりの自筆です。ご判読下さいまし」と、生死の境の中での感動と願いが記されています。
彼の書『法蔵菩薩』には「本願念仏の道とは、現在あたえられた分限に安ずることである」とあります。
分限に安ずるとは、こうあるべきだ。こうしたい。という我執から解放されることでもあり、阿弥陀如来にすべてを託して今を生きることでもあります。このまま救われていくしか生きようのない生への目覚めです。
4項 住職雑感
● 新聞のコラムに次のような話が紹介されていました。 空腹で苦しむ二頭のライオンを哀れに思い、神様が「願いを一つだけ聞き届けてやる」と声をかけた。「最高の子羊の肉を腹一杯食べたい」という一頭のライオンには最高の子羊の肉が与えられた。 もう一頭のライオンは食べ物は欲しくないという。「それでは死んでしまう」と驚く神様に「頂きたいのは食べ物ではなく上手に獲物と取ることのできるチエでございます」。
コラムの核心は、アフガンの問題で、世界中から集まったお金を、その時、満腹になるためにだけ使わないで欲しいと言った内容でした。
このライオンの例えは、アフガンだけの問題ではないようです。たとえば経済発展でも同様です。景気の回復と構造改革、景気の回復は腹を満たすと言うことです。構造改革は腹が空かないシステムをつくると言うことです。
また仏教の教えについても言えることです。
たとえば苦しみを問題としたとき、仏教の目指すところは個々の苦しみの解決ではなく、その根本の「思い通りになったところにしか幸せを思うことが出来ない」という心の性(さが)を問題とします。幸せも同様です。思い通りになることを追い求めるのではなく、思い通りにしたいという我執の解決を問題とするのです。
ふとそんなことを思いながらライオンの例えに思いを止めました。
●有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰るひと休み雨降れば降れ風吹けば吹け
一休禅師の歌です。何かむずかしそうな歌です。有漏とは迷いのことであり無漏とは悟りのことです。一休さんが悟りに至ったときの心境を詠んだ歌だと聞きます。
この歌を英訳すると、「目的地がなければ迷うこともない」となるそうです。こちらの方がずっと分かります。何かに書いたとこがありますが、人生は船路のようです。行く先に歩むべき路があるのではなく、歩いた後に路が出来る。あまり目的に振り回されず、その時その時の出会いを大切にする。そんなことを仏教では教えているようです。