いのちの学び181(平成21年2月号)
ながらく掲載を控えていましたがまた掲載します。
ミニ説法
さだまさしさんといえば、日ごろのなにげない感情や思いをつづって歌っている歌手です。本も出版されていて児童書『おばあちゃんのおにぎり』(くもん出版2002年発刊)ではひろすけ童話賞を受賞されています。
この児童書はご本人の体験にもとづく物語だそうです。著書「精霊流し」から引いてみましょう。
ちょうど七歳の誕生会の日のことであった。
テーブルの上には喜代子が腕によりをかけた料理が絢爛と並べられ、友達十人ほどがそれぞれ、お祝いのプレゼントを持ってきた。小学校一年生なので格別に高価なものなどはありはしないが、
心のこもったものが並んでいる。実はこの日、初めての誕生会に有頂天の雅彦が最も期待していたのは祖母のプレゼントだった。
前日こっそり尋ねた。
「おばあちゃまのお祝いは何かなあ」
エンは初め、少し困った顔をしたが、優しく笑うと、
「そうだねえ。お前の一番好きなものにしようかねえ」と言った。
僕の一番好きなものとは、一体なんだろう、と雅彦は夜、眠れないほど考えたが想像もつかなかった。それで、仲間から、そして両親からのお祝いを貰ったあとでおそるおそる尋ねてみた。
「おばあちゃまのは?」
エンは少し恥ずかしそうにテーブルをそっと指差した。
「お前の一番好きな、おにぎりをたくさん作ったよ」
テーブルの真ん中の大皿にはなるほど最初から握り飯がたくさん積んである。
よく見れば四角いの、丸いの、三角の、と様々に心が込められているが、冗談じあない、と雅彦は悲しくなった。
確かに雅彦はエンの作ってくれる握り飯が大好きで、毎日せがんでは握ってもらっている。だが、こんなものなら明日だって、あさってだって食べられるじゃないか、とがっかりした。あれほど自分を可愛がってくれる人のお祝いにしてはみすぼらしすぎるではないか、と涙が出そうだった。
それで全く手を付けなかった。そればかりか、仲間を誘ってさっさと外へ遊びに出かけてしまったものだ。
「がっかりした、がっかりした、がっかりした」と雅彦はいつまでも怒っていた。遊んでいても身が入らない。
だが、いくらなんでもおかしいではないか、と思った。
なぜだろうと。自分が何か祖母の気に入らないことでもしてしまったのか。けれどそれも思い当たらなかった。 では、もしかしたら祖母はお金がなかったのではないか。 「しまった」と心の中で叫んだ。
そうに違いない。祖母は何かの理由で、お金がなかったのだ。
それでお金がかからずに雅彦が喜ぶものを、と考えに考え抜いた苦肉の策だったのではないか。
そう思った途端に血の気が引いた。
自分か何をしてしまったのかがよく分かったのだ。
あわてて友達に何やらいい加減な言い訳をして飛んで帰った。
家に戻っても玄関を開けて、家の中に入るのが怖かった。
祖母は怒っているだろうか、がっかりしているだろうか、悲しんでいるだろうか。脚が震えるようだった。
「ただいま」思いきって大声で叫んでみた。
「お帰り」遠くで祖母の明るい声がした。
怒っていない。雅彦の胸にやっと空気が入ってきた。
そっと入ってゆくと、エンは薄暗い台所のテーブルにいて、背中を向けて座っている。
ふと見ると彼女の目の前には先はどの握り飯の積まれた大皿が置いてあり、エンはそれを一つずつ茶碗に取り、くずして茶漬けにして食べていたのだ。
自分はなんという酷いことをしたのだろうと、雅彦の幼い胸に痛みが走った。あわてて向かいの椅子に座ると、「ああ、お腹が空いた。おにぎり、いただきまーす」
大声で言って握り飯を手に取り、むしゃむしゃとかぶりついた。
「ああ、おいしいねえ」
雅彦は言った。雅彦なりの精一杯の贖罪たった。
「まあ坊」立ち上がりながら穏やかな声でエンが言った。
「無理せんでいい、無理せんでいい。こんなもの、みんなおばあちゃんが食べるけん、お前はいいよ」
そう言うと向こうから歩いてきて雅彦の隣に腰掛け、そっと頭を撫でた。
雅彦の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。
「おばあちゃま。ごめんなさい」
そう言うのがやっとだった。
政府は「内需拡大」「定額給付金」など、消費を刺激して購買せよという。今の社会は欲望を肯定する傾向にあります。損得に止住すると見えなくなる世界があるようです。
それは人の細やかな思いやりや愛情です。お仏壇の前に座り、何が大切なのか、一日一回は見つめたいものです。
そして月に一度は、念仏や教えとして届けられている阿弥陀如来の心に耳を傾けたいものです。