ミニ説法

 11月1日号の本願寺新報に、この度ノーベル賞を受賞された田中耕一さんについての記事が出ていました。「もったいない」という思いが、新発見に繋がったという記事です。
 田中さんは、富山県出身、90歳まで富山別院のお朝事に参拝された祖母や両親など篤信家の家庭に過ごし、富山別院内にある徳風幼稚園を卒園しています。当時、担任だった蜷川徳子先生は「初めて担任を持ったときなのでよく記憶しています。明るくハキハキした子どもさんでした。みんなで3つの約束を唱和し、恩徳讃など仏教讃歌を歌い、運動会では四弘誓願をお勤めするなど手を合わせる幼稚園生活でした」(本願寺新報)とあります。
 「もったいない」が新発見に繋がったというのは、分析したい試料にレーザー光線をあてて開発を試みていたが、あるとき試料を間違えて失敗した。しかし失敗した試料を捨ててしまうのは「もったいない」からレーザー光線をあてるだけあててみようと思い、新しい分野の開発に繋がったのだそうです。
 仏教徒としては「もったいない」という仏教精神が、ノーベル賞を生んだとなると嬉しいかぎりです。
 この偶然を生かす力を「セレンディピティー」というそうです。この言葉の意味は、「求めずして思わぬ発見をする能力;思いがけないものの発見」と訳すらしい。
 古代ギリシャのアルキメデスの発見から、ニュートンのリンゴ、ジェンナーの種痘、グッドイヤーの合成ゴムなど、セレンディピティーを大発見に結びつけた人たちだといいます。
 日本では、白川英樹・筑波大名誉教授がノーベル化学賞を受けた時のエピソードで広く知られるようになった言葉です。
 白川さんが東京工業大化学科の助手だった1967年秋、粉末のポリアセチレンを合成する実験中、留学生が誤って、反応を進める触媒の量を1000倍も多く入れてしまった。その大失敗が、新しい発見に導いたと言います。
 この「セレンディピティー」という考え方は、仏教や人生観の上でも言えます。病気や挫折など、思い通りにならない事柄の中で、人は新しい価値観を手に入れます。人の苦しみは、新しい秩序や成長という扉を開く意味ある営みだとも言えるのです。そこで大切なものは、苦しみと対座する場所と心の柔軟さです。その場所と心を育んで下さるのが、阿弥陀さまです。阿弥陀さまは、苦しみに沈む私を「もったいない」と受け入れて下さる方なのですから。 

今月の詩

いと おそ
死を厭い生をも懼れ人間のゆれさだまらぬ心知るのみ

「やわらかなこころ」より・吉野秀雄

 人は自力が無効である状況に対座することがある。それは希望と絶望の狭間で、「百尺竿頭一歩進」(百尺のはしごの頂上で、更に1歩前進する)という心境なのかも知れない。
 凡夫にはそんな勇気や度量もないが、その勇気も度量もない私をそのまま受けとめて下さる方があると知れると、握りしめた手を、パッと開くことができそうです。
 握りしめた手をパッと開くと、そこは別天地。他力の世界が広がるとお経にあります。


 《「セレンディピティー」にまつわる成果》

●万有引力の法則=1665年
英の物理学者ニュートンがケンブリッジ大在学
中、自宅の庭のりんごが落下する光景に着想を得
て、後に宇宙を支配する引力の存在を理論付けた

●ワクチン接種法の発明=1796年
英の医学者ジェンナーが、乳搾りに従事する人は
天然痘にかからないという現象から、牛痘に感染
した女性のうみを少年に注射して、天然痘の予防
に効果があることを実証した。

●インスリンの予測=1889年
独のメーリングとミンコフスキーは、消化機能の
研究ですい臓を摘出したイヌの尿にハエが群がり
大量の糖が含まれていることを見つけ、すい臓が
糖代謝に関係するホルモンを分泌していると考え
た。

●ペニシリンの発見=1928年
英の細菌学者フレミングは、ブドウ球菌を培養中
培地に誤って落ちたカビの周囲だけ繁殖していな
いことに注目し、世界初の抗生物質の開発に道筋
をつけた。

●ビッグバン理論の有力証拠=1964年
米のペンジアスとウィルソンは、通信衛星の受信
用アンテナの改良中、除去できないノイズに気づ
き、それが宇宙を生んだ爆発の痕跡であることを見いだした。
(毎日新聞2002年9月23日東京朝刊から)


通信

● 実用書の出版を多く手がける出版社の代表と話す機会があった。あとでその出版社のホームページを覗くと、あるはあるは、ラーメンからロケットまで、様々な分野の本があった。

話しにいわく、現在、本を買う人は55歳から65歳くらいの年代の人と、30代の独身女性だそうです。前者は退職金を手に入れ、戦前・戦後の何かしたい時代い、我慢してきた思いが、お金と時間に余裕ができ、何かしたいという衝動が購買に繋がる。後者は、語るまでもない。現在独身30代の女性が一番、自由になるお金を持っているのだそうだ。

仏教書についてのその方の感想は、現在は癒し系が売れるが、仏教の語るところと一般の人の現実生活のには、まだまだ距離がありすぎるとのこと。

苦しみの現場に仏教が不在であることを反省するばかりです。

● 11月3日、報恩講法要と共に、西方寺宗教法人設立10周年記念法要をお勤めしました。形ばかりの勤行でしたが、節目を持つことに意味があると考えお勤めしました。
 この10周年を記念して、門信徒会から「大金」(読経の折りに使うキン)の寄贈を受けました。この場をかり御礼申し上げます。
 大金の余韻の中に、このキンは私の死後も何百年と鳴り続けるだろうという思いと、かげろうの如き今生の生の中で、仏さまや皆さんに出会えていることを実感しました。

● お寺を造り、講師を招き法座を持つこと全てが、今あなたが仏法に出会う為のお手回しです。

合掌

いのちの学び141号

140号