ミニ説法

 最近、法話で次のことを試みることがあります。演者である私と、聴衆者とのジャンケンです。しかしただのジャンケンではありません。
 このジャンケンは2回行うのですが、2つの約束があります。1つは、聴衆者が後出しをすること。私が出したら少し遅れて出すこと。もう1つは、私に勝つこと。この2つのルールの下に、ジャンケンを始めます。ジャンケンポン、ポン、ポン…と少しずつ早くしていきます。聴衆は必死に勝つ手を出し続けます。遅い早いの違いはありますがおおかたセーフです。
 2回目はルールが少し変わります。後出しのルールは同じですが、今度は、勝つ手ではなく負けの手を出すことがルールです。私がパーを出したら、グーを出すのです。ジャンケンポン、ポン、ポン、ポン…、と少しずつ早くしていくと、しばらくして笑いと共に混乱状態となります。
 人は勝つことは、生まれながらに育まれているので努力しなくとも、その方向に進んでいけます。しかし負けることは学習されていないのでパニックになるのです。私は、これを負けることの難しさを知る実習として取り入れています。
 人の身体的成長は、人や過去の自分よりよりよい方向、つまり勝つ方向に向かっています。逆に心の成長は、失敗や弱さを受け入れる方向、つまり負けを受け入れることによって成熟していきます。心の成長は「負けるが勝ち」なのです。
 老人は、病気や老いを抱え、死に逝く年頃です。老年期は心の成長には、最も適した環境だと言えます。だからこそ老人は、昔から尊ばれてきたのでしょう。老年という言葉が成熟を意味する言葉として使用される。万年青年ではなく、成熟した老人になる努力が重要です。
 仏教では「覚り」のことを「諦観」(たいかん)、すなわち、「真実を明らかに見る」といいます。諦は「あきらめる」ことです。浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、自らを「愚者」と明らかに見極めた方です。愚なる自分を人生の価値基準とせず、愚なることを知る如来の智慧を依りどことして生きぬかれた方です。
 「負けることの工夫」を視野に入れて生きる。それが浄土真宗という仏道です。もちろん負けるといっても、人や勝負にではなく、我を折ること。勝つことがすべてとする心から解放されることです。


今月の詩

あめつち
寂しさの極みに堪えて天地に
寄する命をつく/\と思う

伊藤左千夫(明治42年)

 歌人・伊藤左千夫は、千葉県成東町出身で、成東町には多くの史跡がある。正岡子規に師事し、明治35年、子規の死は、長男・次男と相次ぐ別れと重なり、わが命の行く末を見つめる機縁でもあった。子規の死を契機として「新仏教」の同人となり、近角常観のと縁により「歎異抄」を愛読したと年表に記されている。
「寄する命」との言葉から、大切な人との別れを通して育まれたであろう、「死は自然の道理」という死を拒絶しない死生観が伝わってくる。
 「いつかこの命も終わって逝く」。先に逝きし人と私が、同列の線上にある。この歌を口ずさんでいると、死を敗北とする考えは、生者の奢りであるという思いが涌いてくる。

仏事アラカルト

蓮華について

Q 仏教は蓮の華をよく用いますが、その理由を教えて下さい。

A 「華厳経」や「法華経」の華は蓮華のことです。また仏の世界を蓮華蔵世界とも表現しますから、仏教の重要な事柄を蓮の華は示しているようです。

Q その重要なこととは何ですか。
A それは真実の徳を蓮華にたとえたものです。
華厳経には、蓮華の功徳が次のように示されています。
一.蓮華は泥の中にあっても汚れない。
→真実は凡夫の中にあっても汚れない。
二.蓮華はその自性として花を開くべきもの。
→人の上にある真実は仏果となって開き顕れる徳を持つ。
三.蓮華には蜂が群がるように、真実を悟ろうとする菩薩が真実の徳に集まってくる。
また蓮華には、香り、清らかさ、柔軟さ、愛すべきことの四つの徳があるとも示されています。
また、お説教では「華実同時」(花と実が同時に成就する)で無駄花がないなどと聞きます。

Q 浄土真宗では蓮の華をどうたとえますか。
A 白色の蓮華をサンスクリット語(梵語)でプンダリーカといい、分陀利華(ふんだりけ)と音訳されます。『観無量寿経』では、阿弥陀仏の誓い(本願)を信ずる念仏者のことを「人々の中の分陀利華である」とたたえ、泥沼の中に咲く、白蓮華のような智慧の人と讃えています。
 十二礼というお経の「両目浄若青蓮華」(両目は浄きこと青蓮華のごとし)とあり、如来の清浄な智慧を青い蓮華のような眼と表現されています。
    以上

通信

● 樋口 一葉が5.000円札に登場するという。一葉という言葉が、菩提達磨の逸話から来ていることは有名な話し。
 達磨大師がインドから中国へ渡り時の武帝と問答をします。結局、達磨の真意は伝わらず、武帝でさえこの程度であるなら、この地にとどまっても目的を達することはできないと、揚子江を北へ去ってしまう。この折り、一葉の芦に乗って江を渡ったと言い伝えられているです。
 この時、達磨と武帝と3つの質問形式の会話をしています。武帝は、はるばるとインドから達磨が来られたと聞いて大いに喜び、これを宮殿に迎え、文武百官のいる前で早速に達磨と問答をはじめたのです。
 武帝まず最初、「わしは皇帝となって以来、仏教に帰依して寺を造ったり、諸々 の経文を写したり、あるいは僧や尼さんを養成したり、一々数えあげきれないほ ど仏教を保護し興隆につとめた。どうじゃ。どんな功徳があるか」と自慢します。「大いに功徳がござります」という返答が返ってくると思っていると、達磨は「無功徳」。何も功徳 はありませんと返答した。後の問いは難しいので略しますが、達磨は「皇帝でさえこの程度ではこの国では駄目だ」とさっさと還ってしまったというのです。
 ご利益を求めた行為にはご利益はナシ。これが達磨の答えです。人に親切をしたら何か良いことがある。これも同じ事。見返りを求める心のそのものがげすな考えだというのです。
 おそらく達磨さんの心には、寺を造ることができたこと、そのことがご利益であり、人に親切をする、そのことがご利益なのですよ、という思いであったに違いない。今が恵であることに心が開かれていく。それが仏教のご利益なのです。

● 10月から、上記の通り、仏教セミナーが始まります。柏駅前ですので、どうぞご出席下さい。
合掌

いのちの学び140号 02.10.1発行

139号