『古事記』編纂千三百年に甦った古代のうた『琴歌譜』とは?

「琴歌譜一巻 安家書 件書希有也仍自大歌師前丹波掾多安樹手傳寫 天元四年十月廿一日」

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上の奥書をもつ『琴歌譜』写本(981)は大正13年(1924)に佐佐木信綱博士によって近衛家の蔵書の中から発見され、国宝に指定されたのち重要文化財になっています。

『琴歌譜』は、11月の新嘗会、正月元日節会(せちゑ)、7日の白馬(あをむま)節会、16日踏歌(たふか)節会の四節会にて奏す大歌のテキストブックとして、810年頃に編まれたと推測されています。

ただし大歌の歴史は古く、743年には五節の舞の演奏記録があることから、歌そのものの成立は古墳時代に遡る可能性があります。

『源氏物語』にも登場する五節の舞の発祥は、「昔浄見原天皇(天武天皇/在位673-686)の其かみ、吉野の河に御幸して御心を澄し、琴を弾給ひしに、神女二人天降りて、をとめこが乙女さびすも唐玉ををとめさびすも其唐玉をと、五声歌給つゝ五度袖を翻す、是ぞ五節の始なる。」と『源平盛衰記』にあります。
この五節の舞の大歌は《短埴安扶理》として陽明文庫所蔵の『琴歌譜』写本にも収められていますが、同書のうち歌詞に琴の手が書き込まれていたのは、1曲目《茲都歌》と2曲目《歌返》のみです。

1曲目の《茲都歌》の歌詞は『古事記』雄略天皇の条の《志都歌》と同じで、『琴歌譜』写本には他にも記紀歌謡と重なる歌が含まれています。
現在、雅楽では六絃の和琴しか使われず、平安時代の『琴歌譜』写本の序文にも六絃で弾くよう書かれていたため、《茲都歌》と《歌返》の譜を六絃の和琴で弾いてみました。
ただ、670年に琴制が六絃に定められて以降、九州の五絃や東国の四絃などが姿を消すまでには半世紀ほどの猶予があったのではないかと想像されます。

『続日本紀』巻第十 神亀4年(727) 7月27日の条に「秋七月丁酉。筑紫諸国。庚午籍七百七十巻。以官印印之。」とあることから、天智天皇9年(670)の庚午年籍が九州方面の戸籍を保管するまで57年もの歳月を要したとなると、8世紀に入っても絃の本数の違うさまざまな琴が使われていた可能性はかなり高いのではないでしょうか。

また、古来まちまちだった琴の長さも、琴制が六絃に定められた7世紀後半に現在の和琴と同じ約2mに統一されたとは考えづらいため、古墳時代に使われていた約1mの琴を製作することにしました。
まず六絃(97cm)、次に九州や茨城などで出土している海人族の五絃(94cm)を製作し、『琴歌譜』写本の二曲の譜を六絃の和琴(197cm)と弾き比べてみました。

五絃で弾く方が響きがピュアで自然に聞こえるのは、元歌が古墳時代に成立していた可能性があるからかもしれません。

そんな海人族の歌舞は、『続日本紀』巻第十一の天平3年(731) 7月29日の条に「定雅楽寮雑楽生員。大唐楽卅九人。百済楽廿六人。高麗楽八人。新羅楽四人。度羅楽六十二人。諸県舞八人。筑紫舞廿人。」とあることから、雅楽寮(701-)の草創期に宮中へ入っていたことがわかります。

なお、このとき宮中に入った筑紫の海人族の音楽は、すでに670年に琴制が六絃に定められているため、五絃から六絃への改変が行なわれていたはずです。

海人族の歌舞について、神道史研究の泰斗 西田長男氏は『日本神道史研究』第十巻「古典編」(1978)の巻頭言に、次のように書かれています。
海人族の本宗たる安曇氏がその祖神としてもちいつく、筑前国は志賀島に鎮座の志賀海神社の神事芸能として発祥したと思われる磯良舞い(細男舞い)は、やがて、その志賀白水郎(しかのあま)の族人たる傀儡子(くぐつ)と呼ばれる巡遊伶人たちによって、わが国土の至らぬ隈なく持ち運ばれ、そうしてその土地土地に根付いた。なかんずく、宇佐八幡宮を経て石清水八幡宮へと伝えられ、かくして宮廷の御神楽(みかぐら)に入って、その御神楽ならびに御神楽歌を成立せしめるにいたった一つの系統は、もっとも注目に価いするであろう。−−ただし、宮廷の御神楽へ磯良舞いの入ったのは、石清水八幡宮を経てでなく、これよりはやく、すでに奈良朝以前のことではなかったかと思われる−−
現在、六絃の和琴で演奏される宮中の御神楽歌《阿知女法(あぢめのわざ)《小前張阿知女(こさいばりのあぢめ)の清掻(菅掻)は六絃でなければ演奏できません。これを、本CDでは、五絃から六絃への過渡期の音をイメージし、六絃(97cm)の倭琴で演奏してみました。

『琴歌譜』写本の《茲都歌》と《歌返》は、雅楽で使われる六絃の和琴(197cm)と、古墳時代に海人族が使っていたとされる五絃の倭琴(94cm)で弾き比べてみました。

『琴歌譜』をも海人族の歌と位置づけた理由の一つとして、神楽歌《磯等前(いそらがさき)《千歳(せんざいのはふ)『琴歌譜』の五絃の倭琴と同じ調絃で演奏できたことを挙げたいと思います。この二つの神楽歌は五絃の倭琴(94cm)で弾き歌いしています。

こうして日本最古の「現存」音楽の可能性を持つ『琴歌譜』の解読演奏を試みたことで、古代歌謡は現代の歌謡に比べて単純素朴に違いないとの思い込みが見当違いであったとわかりました。音やリズムに工夫を凝らし、同じ歌詞を一度も同じ節まわしにせず、琴の手をも変えてゆく『琴歌譜』には日本人の美意識の高さがあらわれています。
波にたゆたう船上での弾き歌いを髣髴とさせる神楽歌ともども、古代の音をお愉しみください。

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