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大正7年7月の『赤い鳥』の創刊に集った詩人・作曲家たちは、難解な文語体による学校唱歌を激しく非難し、子供の芸術心を養う童謡の創作を目指した。
この気運は、翌8年5月号に、はじめて、作曲された童謡《かなりや》の曲譜を掲載してから盛り上がりを見せ、大正8年10月には『小学男生』『小学女生』、11月には『金の船(のち『金の星』)』と類似誌の創刊が相次いで、童謡の黄金時代が築かれた。 中でも『金の船』で活躍した野口雨情は、北茨城の風土や言葉を背景とした独自の作風で、主に中山晋平とのコンビで多くの名作を残している。 “チックタックチックタックボーンボン”と歌われる《早起き時計》は、彼らの《キューピーピーちゃん》にそっくりだし、晋平が雨情の「證城寺の庭は月夜だ」という詩を、「證、證、證城寺」「ツ、ツ、月夜だ」と改作して物議を醸した《證城寺の狸囃子》なくして、のちの《少年探偵団のうた(ぼ、ぼ、僕等は〜)》や、《ゲゲゲの鬼太郎(ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜)》が生まれたかどうかはわからない。それほど、彼らの影響力は大きかった。 (藍川由美)
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