2006年8月20日(日) 生後2年8ヵ月と30日目 オマル成功
飛行機内でもらった人魚姫のポーチを、しげしげと眺めて「Iちゃんといっしょだね〜」。
今頃気がついたか(笑)。
久々に、大分の図書館に行った。
オマルでの排尿に、ようやく成功した。S子さんの「もうオマルならできるね」という指摘どおり。
家族みんなで、大喜び。ほめてほめてほめまくると、ことことも嬉しそうにしていた。
2006年8月19日(土) 生後2年8ヵ月と29日目 台風の中、着陸
昨日は、夕方到着の便で大分に戻ってきた。
伊丹空港まで、実母S子さんが送ってくれた。タクシーと電車、バス。
九州を襲っている台風の影響で、夕方着の便は、欠航になるかならないか分からぬ微妙さ。
ヤキモキさせられたが、頭がボワーッとしているので「どうにでもなれ」という感じもあった。
夫とのい兄が、福井から合流。飛び立つ時も
「大分空港の天候によっては、伊丹空港に引き返す可能性があります」
といわれ。
大分空港の灯りが見えてきて、降りられるかな?と思ったらまた機首が急上昇でがっかり。横風が強くてやり直し。
ここまで来て大阪に戻るのも何だよな…と思っていたら、2回目には無事に着陸できた。
ことことは、飛行機に乗ると必ず泣く。
行きの飛行機内でも着陸態勢になると「かえろうよ〜!おりる〜!」と泣き叫んでいたが、
帰りも同様。のい兄に「今、帰っているところなんだよ」とたしなめられていた。
機内でもらった、人魚姫の柄のポーチを喜んで、「かえったら、セコサンに見せる」と言っていた。
……着陸したらまたS子さんが空港で待っていると思っていたらしい。
大分の家に戻ると、まだ外壁塗装の足場が。これからベランダの洗浄と塗装をやるらしい。
洗濯物は外に干せず、家の中へ。
ベランダに置いていた物を、夫が玄関に移動しておいてくれたのはいいが、玄関が狭くなり出入りが大変。
2006年8月8〜18日(火〜金) 生後2年8ヵ月と18〜28日目 休養
ことこと と のい兄、私の3人で、関西にある私の実家へ。
私は身体の疲労が酷くて、旅行なんてとんでもない、とにかく休みたい……という心境だったが、
自宅は、この夏休み中、外壁の工事を行っているため、ゆっくりとできる状況にはあらず。
直前まで泣いてばかりだったが、実両親と夫に促され、
両空港までの自家用車での送迎もしてもらって、やっと休養が実現した。
ちょうど、メキシコから実妹と姪たち(ことことにとっては叔母と従姉妹)も帰国しており、
ことことは、従姉妹たちと楽しく遊んだ。
特に、4ヶ月違いで同じ学年のJちゃんとは、背格好も同じくらい。
引っ込み思案で人見知りな ことこと だが、Jちゃんにはすぐに慣れた。
この2人組は、家の中を走り回ったり、カーテンに隠れて遊んだり。
お姉ちゃんのIちゃんにも慣れ、アイロンビーズでお花をつくってもらってご満悦。
最後には、ことことも、Jちゃんの「○○だよぉ〜〜!!」なる面白い言い方をマスターしていた(笑)。
シャボン玉で遊んでもらったり、花火をしたり。
のい兄は、実妹とプールに行って、泳ぎを教えてもらった。
食事は、子供たち4人で、お習字の稽古用の長机に座って楽しく食べた。
13日に実妹一家は義弟の実家へ。寂しくなった。
その後、庭で遊んでいたら、隣家の人が「水遊びにどうぞ」とタライを貸してくれたので、
プールに行けなかった ことこと も、のい兄と一緒にまったり浸かって遊んだ。
のい兄は、S子さん(私の母のこと)に筆を持たせてもらい、初めてのお習字。
15日に、大分から夫が来て、のい兄と2人で福井へ。
ことことは、S子さんに買ってもらったパンツや、
大分から夫が持ってきてくれたトレーニングパンツで、トイレトレーニングを再開。
紙オムツに慣れすぎてしまったせいか、ジャー!と排尿する感覚が怖いらしく、
トイレでもお風呂でも、オシッコが出そうなのに泣き叫んで我慢し、
あきらめて部屋に戻った後、座って垂れ流すので、大変だった。
ことこと自身も、垂れ流した時にはショックを受けて、悲しそうにしていた。
私が、のい兄は簡単だったのに……のい兄は2歳半でもうとれていたのに……と
思ってすぐ泣くので、それも悲しかったのだろう。
実家滞在中は、ずっと頭が「ボワーッ」としていたが、特に最初の方は酷く、ゆっくり動くのがやっとだった。
特に妹がいてくれた間は、彼女がテキパキと身体を動かして、
魔法のように物事が進んでいくのを、呆然と眺めていたような感じだった。
*****************************************
子供たちを両親や妹に見てもらっている間に、母の友人オススメの鍼灸院や、大病院へ。
鍼灸院の女性院長は、私の話を丁寧に聞いてくれた後、
「鍼でも灸でも、気持ちが良くなるようにはナンボでもしてあげる。
けど、今の貴女の不安をどうにかするには、ちゃんとした病院でしっかり調べてもらわんと、あかん!
検査してもらってから、報告がてら、またおいで」
と、初対面の私に、大病院への紹介状を書いてくれた。
感激で涙が出た。
紹介された大病院では、MRI(磁気共鳴画像診断装置)も含め精密な検査を受けた。
MRI撮影では、腹部に重しをされたうえに晒しでぐるぐる巻きにされ、
「かなり、うるさいですので」とヘッドホンを装着され。
寝たまま洞穴の中へ入れられ、30分以上身動きできず。
ヘッドホン装着でも轟音、ヘビメタの世界。
滅多に出来ない体験だったが、「子供を預かってもらえないと、こんなことしてられないや」と思った。
結果は、「悪性の所見は無し」+「漿液性の卵巣のう腫で、経過観察は必要」とのこと。
九州で治療を続けるため、MRIの画像をフィルムに焼いてもらった。
焼き上がりを待っている間に、父と色んな話をした。
私から見ると、父は非常に明るく強運な人だと思えていたが、
今回話して初めて、彼も大変な時期があったと知った。何とも言えず涙が出た。
通院も、全部父に送迎してもらい、甘えまくり。
実家滞在中は、両親にも妹にも、たくさん甘えてきた。
最初、身体が動かず、彼らに甘えざるを得ない自分が、情けなく悔しかった。
できることなら、自分の生活本拠地で何とかしたかった。
でも、今回は実家に帰る必然性があったのかもしれないと思った。
2006年8月7日(月) 生後2年8ヵ月と17日目
のい兄7歳の誕生日。暑い時期なので、バースデーケーキは今年もレアチーズケーキを作った。
のい兄と夫がクリームの泡立てをしてくれた。
ことことも、地元産の生のブルーベリーを投入するのに参加した。
何か混ぜていると、ことことがすぐやって来て「マゼマゼする〜」と言うので、急いでいる時は大変。
晩に皆で美味しく食べた。おめでとう!
ことことの下まぶたの「マイボーム腺梗塞」は、ほとんどしぼんだ。
2006年8月6日(日) 生後2年8ヵ月と16日目
朝、「大分市一斉ゴミ拾い大会」に参加。ことことも夫と手をつないで、集積場の公民館まで頑張って歩いた。
一度も「ダッコ〜」と言わず。できるじゃないか!! それとも私だと甘く見られるのか。
夜は花火大会。私は体調が優れず外に出なかったが、夫と子供たちは、近所のスポットへ。
ことことは、ちょっと見てから「帰る〜」とわめいたので、夫が連れて帰ってきた。
のい兄と夫はそれからしばらく愉しんでいたようだ。珍しい形の花火もあったらしい。