2006年3月18〜26日(土〜日) 生後2年3ヵ月と25日目〜2年4ヵ月と5日目 帰省
のい兄の春休みを利用し、夫のスケジュールを何とかやり繰りしてもらって、大帰省ツアーを決行した。
荷物の多くは宅急便で先に送って(この荷造りが大変だった)、
あとは大人2人とのい兄が、それぞれリュックを1個ずつ背負った。
ことことは、歩かないことが多いので、ベビーカーも転がして持っていった。
まず、夫の故郷である北陸地方へ。
▲18日朝遅くに大分を出て、空路IBEX便(ANA系)にて伊丹へ。
ことことは、まず自分が乗る、少し小さめの飛行機が見えたところから大泣き。
空の上でもだいぶ泣いていたが泣きながら眠ったようだ。新大阪駅までは空港バス。
駅でことことはスターバックスの子供用ココアをおいしそうに飲んだ。
新大阪駅からは、JR特急サンダーバードに乗って北陸へ。
琵琶湖を過ぎたら、車窓からも積雪が見えた。
ことことにとっては初めての北陸。初めての夫方の祖父母。
▲19日には、ことこと・のい兄の、叔父叔母に従姉妹たちも来てくれて、とても賑やかだった。
ことことは基本的に私にしがみついていたが、あまりギャンギャン泣かずに過ごした。
のい兄は、屋根から落ちた雪が1m以上も積もっているのに喜んで、
2日間かけて、とうとうカマクラをつくった!
▲20日、JR特急サンダーバードにて関西へ。夫は新大阪まで乗り、空路大分へ。子供たちと私は京都で下車し、
乗り換えて私の実家へ。電車の扉が開くたびに、その音が嫌なのか、ことことが泣くので参った。
某ターミナル駅にエレベーターが無いのには驚いた。ことことをベビーカーに乗せて担いで上り下り。
▲21日、私の母S子さんの実家・能勢へ墓参り。WBCの決勝9回裏はここで観戦、のい兄は私の従兄の子供たちに野球を教えてもらった。
従姉一家にも会えた。従姉との「能勢の料理は、どうして何もかもすごく美味しいんだろう?」
「美味しいよね〜。水が違うからちゃう?」という会話が、とても心に残った。
美味しいもの大好きのことことには、将来、是非研究してもらいたい(笑)。
のい兄は、私の伯父に、椎茸のコマのことを教えてもらった。
とどめに「椎茸のことを、知ったけ?」…やられました。
▲22〜23日は奈良に泊まって、東大寺の大仏を見たり鹿と遊んだり。ことことは鹿に泣くこともなく、
S子さんと手をつないで歩きもした。のい兄が、おじぎする鹿におじぎし返すのが可笑しかった。
▲24日は、父の参加した展覧会を観たり、ケーブルカーに乗ったり、公園で遊んだり。
公園ではことことも長い滑り台を喜んでいたが、退役ケーブルカーには怖がって乗らず。
▲25日は祖父の記念館へ行き、墓参り。私の叔母に会う。
昼前に帰るつもりだったのに、1日過ごした。お客様がなかったのをいいことに、ことことは仏間で昼寝、
のい兄は工作、私はのんびり草むしり。祖父母を偲んだ。
▲26日は、電車とバスで伊丹空港へ。S子さんが空港まで送ってくれて助かった。飛行機の中では泣かずに眠ったことこと。
大分空港には夫が迎えにきてくれていて、のんびり帰宅。私はとにかく甘えまくった6日間だった。
2006年3月17日(金) 生後2年3ヵ月と24日目 修了式、我慢のことこと
のい兄の幼稚園修了式。花道をはさんで、子供と向かい合う形で保護者席が設けられており、
子供たちの表情がよく見えてよい演出だった。ことことは、2時間だけ有給休暇をとった夫と、後ろの席へ。
式が終わると夫が帰った。ことことは「オトウサン、いなくなっちゃった〜」と泣いていたが、
お菓子で機嫌を直した。
大勢の人がいる場所は怖がる ことことを抱っこして、片手で教室ののい兄をビデオ撮影。腕がしびれた。
PTA主催で、お別れの会(謝恩会の代わり)が開催された。眠くなったことことが、
私の持っていた紙コップを蹴り飛ばし、お茶をこぼしてしまった。周りの方や役員さんが雑巾を持ってきて、
助けてくださった。ことことは自分でも悪かったと思ったのだろう、口を四角くゆがめて困った顔をしていた。
私が「ことちゃんが暴れて、おおごとになったね、もうお茶無いよ」と言ったら、堰を切ったように泣き出した。
「ごめんごめん、たくさん我慢していたんだね」となだめたことだった。
私がずっと、ことことを抱っこしたままなので、お友達が軽食も取ってきてくださった。
のい兄は、園長先生(=入学する小学校の校長先生)に紙コップで乾杯してもらっていた。
最後に園庭で遊んでから、帰宅。ことことは、お祝いのおまんじゅうなど食べてから昼寝。
私はすっかりヘトヘトで声も出ないが、やることは山積み。
ことことが起きてからは、車で走り回って用事を片付けた。
2006年3月16日(木) 生後2年3ヵ月と23日目 「1階デス」
年頃なのか性格なのか、自分の思うようにならないと、火のついたように泣き叫ぶことがある。
いつもの可愛い顔が台無しな仔豚顔。そういうときにはつい怒鳴ってしまいがちな私だったが、
逆にギュッと抱きしめてやれば、安心して泣き止むことが分かった。反抗期対策テク。
朝は「のいくん、オーチエン(幼稚園)、オトウサン、オシヨト(お仕事)」、
「オニイチャン、お迎え、まだ?」などと言っていた。今出かけて行ったばかりなんですけど。
また、先日の“コキワ!”デパートで、エレベーターガールのお仕事ぶりを見て感銘を受けたらしく、
ニッコリして「1階デス♪」と何度も言っていた。ええ、うちは集合住宅の1階です。
雨の中、私が小学校の時の担任K先生のところへ、マーマレードを持っていった。
夕方、雑事が重なっているときに、
ことことが部屋中にオモチャを撒き散らしたため私がブチ切れ、
「次々、次々、出さないの!」と何度も言っていたら、
夜、帰宅した夫に「ツギツギ、出サナイノ!」としきりに言っていた。
お風呂で、「ハチ(8)、キュウ(9)、ジュウ(10)」と数えられるようになった。
2006年3月15日(水) 生後2年3ヵ月と22日目 アル
しゃべりがだいぶ上手になってきた ことこと、しかし言い間違いも多く、皆が理解できないこともしばしば。
「ツメ、ツメ、取れないよ〜」と泣き叫んでいるので、吃驚して走っていったら、
“ツメ”じゃなくて“積木”だったり。
「チューゴク、行ってくる」と言い残して、お気に入りのミッフィーの手提げをもって、部屋を出て行く。
のい兄と???? のい兄は「ことちゃん、中国には歩いては行けないよ〜。海を泳ぐの?」。
どうやら、“チューゴク”とは“別府”の言い間違いらしく、
「温泉はいった〜。プカプカ、アル。キモチかった〜。マツボクリ、拾った、アル。」と言いながら戻ってきた。
長い説明になると、“アル”を多用するので、昔の漫画に出てくる中国人キャラのよう
(今、日本語でそんな言い方する外国の人って、あまりいませんよね?)。
先日、別府で温泉に入ったのが相当愉しかったらしいが、海のそばの塩化物泉だったので、
ことことのアトピーっぽい肌には沁みて、あまり良くなかったようだ。明礬の方が合ってるかな。
2006年3月14日(火) 生後2年3ヵ月と21日目 コキワ地下2階ふるさとの味
まだ冬の寒さ。のい兄が絵画教室で頑張っている間に、ことことをベビーカーに乗せて「コキワ!」デパートへ。
着いたら、突然「オニーチャン、オニーチャン、ドコ〜〜〜??」と大声で泣き出した。
のい兄はA先生とお友達と絵を描いているんだと説明して、納得するまでにだいぶ時間がかかった。
周りのおばあさんたちの冷たい視線が怖かった……子供を泣かせたら鬼母ですかい。
話して聞かせて抱っこしたら、ようやく泣き止んだ。
しかし、11kgを片手に抱いて、片手でベビーカーを押しての品選びは辛い。
ことことが落ち着いてから、「お母さん、しんどくなってきた。どこか座るところないかなあ」と言ったら、
あっさり「お椅子、座る」と答えてくれて、びっくり。
人目もはばからず、「ことちゃん、おりこうだねえ〜。お母さん助かるよ〜」とチュッチュしたことだった。
2006年3月13日(月) 生後2年3ヵ月と20日目 突然野菜好きに
気候は冬に逆戻り。朝からベビーカーで用事を済ませた。ことことはベビーカーの中で凍っていた。
家に戻ると、まるで解凍されたかのように、いつもの声でしゃべりだした。
便秘が治って以来、これまでにないほど野菜をパクパク食べるようになった。特にキンピラゴボウ。
ほうれん草も、今までは吐き出していたのに、ポテトサラダに細かく刻んで混ぜたら(緑のポテサラ(笑))、
「オイシイー」を連発してニコニコ食べた。魚と奈良漬が好きなのは相変わらず。
情緒も安定して、一人で木のパズルを壊しては並べて遊んでいた。
2006年3月12日(日) 生後2年3ヵ月と19日目 ♪ウンチだーよ、シーシーシー♪
ことことが最近、食事のときに自分の椅子に座っていられなくなってきた。私の膝に上りたがることが多い。
「オカーサンいす、座る!」って、私は椅子ですか……。
両手を挙げて「ザンバーイ」と言うようになった。バンザイと言っているつもりらしい。
それと「ザンネーン」。それはもう古いのでは……。「100人乗っても壊れない!イナバウアー物置!」
というギャグが、昨日の金曜かきこみTVの後、家庭内で流行し、
ことことまでも、すぐ「イナバウアー!」と言う。もうやめよう(苦笑)。
全然、トイレに行きたがらないのに、♪ウンチだーよ、シーシーシー♪と、
しまじろうのトイレの歌を歌っている。ウンチのときは、ウンウンウンなんですが……。
この歌とビデオに強烈に不快感を示した のい兄(教材到着当時、既にパンツマンだった)とは正反対。
オシッコも全然教えない。オムツ替えるよ〜と言うと、サッと床に転がってくれるのだが。
のい兄のトイレトレーニング開始は2歳4ヶ月の終わり。もうしばらくは、オムツっ子でいるか。
2006年3月11日(土) 生後2年3ヵ月と18日目 おひなさまを仕舞う・温泉・マツボックリ
晴れ間は今日しかない!と、午前中、おひなさまを仕舞った。棚から下ろしたおひなさまを、
ことこと も のい兄も覗き込んで「バイバ〜イ」。私が、おひなさまっぽい?声音を出して、
「素敵な女の子になってね」と言うと、ことことは「ウン!」と大きな声でうなづいていた。
午後は、みんなで別府へ。行ってみたかったインドネシアの人がやっているインドネシア料理店へ。
唐辛子抜きのナシゴレンを、ことことも食べた。デザートのバナナフリッターもパクパク。
特に気に入ったのが、インドネシア式のの甘いピクルスで、ほとんど一人で食べた。
のい兄は、辛いのにココナツカレーに挑戦。おいしい!と沢山食べた。
確かに、店の人は夫と兄弟のような顔をしていた(笑)。隣の席では、留学生と先生とおぼしき外国人たち。
別府でちょっとした海外旅行気分?
先日の絵本の店に行った。人形劇のイベントをやっているはずだったが、急病で取りやめになったとの看板が出ていて、
店も閉まっていた。残念がって、のい兄は半泣き。
次は温泉。テルマスへ。
外に水着着用で入るプールみたいに広い温泉がある。
水深1.1mなので、のい兄は爪先立ちで、ピョンピョン。
ことこと の脇を支えると、プカプカ浮いて、まるで泳いでいるみたい。遊泳禁止だけど。
そのままプールを何周も。湯あたりしそうなほど、のんびりした。
ことことは、プールから女湯に戻ったら、
「オトウサンとオニイチャンは?オトウサンとオニイチャンにあいた〜い!」とわめくので、
少し温まったら、すぐ上がった。
脱衣室がムンムンしていたこともあり、ことことは、オムツ一丁で「オトウサンとオニイチャンに行く〜!」と
脱衣室を出て行こうとし、連れ戻すと泣いていた。
のい兄と夫は、男湯に行った後、またプールに出たりして、か〜なりのんびりしてから出てきた。
帰りに的ヶ浜ビーチを散歩して、少しだけリゾート気分。ゴミが多くて興ざめだったけど。地元の散歩の人に
パンをいただいて、カモメに投げたりした。
マツボックリを拾って、ことことに見せたら、「コワイコワイ〜」と半泣きに。
ツクシと共通の、ひび割れ状の形が嫌いらしい。でも、たくさんマツボックリを抱えた のい兄を見て、
うらやましくなったらしく、最後は小さいのを両手に一つずつ持った。車に戻っても離さず、
別府から大分に戻る間中、2個のマツボックリをカチカチ言わせていた。
2006年3月10日(金) 生後2年3ヵ月と17日目 ウフ!
のい兄の机を買った。届くのは今月末。
ことことはずっと抱っこで、私にへばりついていた。
帰りにその階下のスーパーで買い物。ことことはキティのショッピングカートに乗って、
ハンドルを回したり、クラクションを鳴らしたりで、ご機嫌だった。車に戻ったら、
「Mくん、キティ、車、乗ったよ〜」と報告していた。
夕方、久々に、少し遠くの子どもルームへ。久々にK先生に会えた。
ことことは例によって私にへばりついていたが、
ボールプールに入って遊んだら、調子を取り戻した。
外から帰ってくると、チェブラーシカのポスターに「ただいま〜」と言うのが習慣になってきた ことこと。
今日は帰宅して、何を思ったか、「おひなさま、ウフ!」。ウフ!のところで小首をかしげ(笑)。
おひなさまがニコニコ笑っているなと思ったのかな。
そんな風に女の子らしい仕草もするが、一番好きな遊びはミニカーを並べること。
ドイツのフリマで買った、素人の手作りっぽい、アルファベットの積木を出しては箱に並べたり。
しまじろう一家の赤い車から、しまじろう一家を放り出して、チェブラーシカのヌイグルミに無理矢理運転させたり。
しまじろうの妹のはなちゃんを、自分と同じ境遇からか気に入って、スカートの胸当てにはさんで散歩したり。
2006年3月9日(木) 生後2年3ヵ月と16日目
便秘で機嫌が悪い。昨日、一昨日と、私にしがみついてばかりなのも、
きっと便秘のせいだ。マッサージしてもヨーグルトやプルーンを食べさせても、キャラメル挿入をしても
出ない。便意を催しているのに出ず、ことことは「ウンチ、出ないよ〜」と半泣き。
私としては嫌なんだけど、浣腸をすることにした。浣腸剤を購入するためドラッグストアへ。
ことことは、車に乗るのが大好きなので、「Mくん(←愛車の名前)乗る、ワ〜イ、ヤッタ〜」とはしゃいでいた。
帰宅後、浣腸。寝る前に2回、固いのが出た。