ことこと日記
2006年2月5日(日) 生後2年2ヵ月と15日目 高崎山→別大マラソン→温泉
「サルだんご」を見に高崎山へ。これはサルたちが、
冬の寒いときに、仲間同士でくっついて団子になって暖をとるもの。一度見てみたかった。
ことことは初めての高崎山だ。高齢対応でできたモノレール「さるっこレール」に乗ってみたが、
ことことは怖がって大泣き。降りると機嫌を直した。閉所恐怖症??
山に到着すると、
気温が低かったけれど天気は良く、餌場の周りでは太陽の輻射熱にあたって、
ノンビリと毛づくろいをし合うサルの姿がそこここに。
見たかった巨大なサルだんごは無かったが、サルたちが可愛すぎて楽しかった。
小さい子猿は、皆、のい兄とことこと に見えてしまう。
母猿は、皆、自分に見えてしまう(爆笑)。
授乳中のサル、オンブ中のサル…。
ことことは、オンブ猿母子を見て、
自分もしてくれ〜!とせがんできた。サルに対抗してオンブして歩いた(笑)。
帰りは、ことことと2人でモノレールに乗らずに、歩いて山を下りた。
「オサルサ〜ン、イッパ〜イ!」などと話しながら、楽しく歩いた。
次は、別大マラソン観戦のため、別府方面へ。狙っていた駐車場付きスポットが休みだったので、
百貨店へ。駐車場は混んでいるわ、さらに駐車場からが複雑な動線でなかな売場に出られず。
レストランが大混雑していたので、地下のフードコートへ。
石焼ビビンバ(かなり美味しかった。韓国からの観光客も多いからかしらん?)を急いで皆で食べて、
慌てて外に出たら、マラソンの先頭が店の前を通過するところ!
百貨店前での声援にちょっと参加してから、地下道を渡って、バスセンター前へ。
折り返して来る選手たちを待ちつつ、対岸に声援を送った。
ことことも初声援。ちゃんと「ガンバレ〜」と言っていた。
のい兄の甲高い声が、百貨店の壁に反射して、響く響く〜。
夫は、別大マラソン初観戦だった。
視覚障害のあるランナーも参加しており、その伴走者がどうも見覚えのある顔。
ひょっとして、佐々さんでは???
京大卒で旭化成陸上部入りした異色のランナー。確か、2003年の大会がラストラン。
(私の中では日本人で1位だったような印象だったが、改めて調べてみたら、総合6位、日本人では3位でした)
すごく似た人か?と思っていたら、翌日の新聞に、佐々さんが32kmあたりまで伴走したと書いてあった。
ああ、やっぱり! こういった形でまた参加されるとは、さすがだ。
一般の参加選手の中に、わざわざ、のい兄に手を振って走っていかれた人もいた。すごい。
観戦後、スターバックスコーヒーへ。のい兄とことことは、子供用のココア。
2つのケーキを4人でつつき(笑)。空港バス待ちとおぼしき、県外からの宿泊客たちの会話も興味深かった。
その後は、浜脇温泉へ。複合施設の「湯都ピア浜脇」に入った。
温泉が大好きな ことことは、脱衣所からもう鼻歌(笑)。
♪おんせ〜ん、おんせ〜ん♪。脱衣所にいたご婦人が「お歌が上手ね〜」とほめてくださった。
良いお湯で、すっかりいい気持ち。
ことことは、いつも一緒に風呂に入る父や兄が、男湯に入っていて一緒ではないので
「オニイチャンは? オトーサンは?」と何度も私に訊いていた。
湯上りには、和室で、のい兄とオセロ。ことことは横でお茶を飲み。ぷは〜。
温泉から出ると、別大マラソンの一般出場者の方々が何人か、温泉に入ろうとしていた。
ゼッケンを荷物につけていたから分かったんだけど。
出場にはタイム制限があるから、勤務後に練習しているんだろうか。
別府に泊まって、マラソン大会に出て、温泉に浸かってから帰宅……いい週末の過ごし方だなあ〜。
努力の人たちだ。見習いたいと思ったことだった。
2006年2月4日(土) 生後2年2ヵ月と14日目 雪
立春というのに朝から雪。ことことは大分弁で「雪、フッチョン〜」。
のい兄と夫は、顕微鏡で雪の結晶を見ようと頑張っていた。
ことことと私はベランダで雪を触っては綺麗綺麗〜と騒いでいた。
そのうち、のい兄は外へ飛び出していって、近所の小学生たちと雪集め。
小さな小さな雪だるまを作った。
でも、しばらくすると、すぐに雪は溶けてしまった。
のい兄と夫が出かけている間に、ことことと二人で近所を散歩。
今、満開〜散りかけの山茶花を見ては「お花、キレイネ〜」と一緒にうっとりし。
私に駆け寄ってきた勢いで、私の足を踏んで後ろにスッテンコロリ。少し泣いた。
「痛くて泣いたね」と言ったら、いつもの「バスノッテ〜、飛行機ノッテ〜、エ〜ン泣いた」を言っていた。
2006年2月3日(金) 生後2年2ヵ月と13日目 おたふく
節分。のい兄が幼稚園で小学4年生と一緒に鬼のお面をつくって帰ってきた。
ことことにも…と福豆のパッケージをまねて、おたふくのお面を作ってやったら、
気に入ってよく被っていた。よく見ると、おたふくの目を真ん丸に描いたので、ことことにそっくり。
ことことも自分でお面を指して「お目目、マンマルネ〜」と言っていた。
クレヨンを使って、大きな紙に色々な丸を描いて、一人でよく集中して遊んでいた。
家族全員で豆まきをして騒いだ後は、ことことも福豆をポリポリ。歳以上に食べた。
2006年2月2日(木) 生後2年2ヵ月と12日目 歩く
最後にタミフルを飲んでから48時間が経過。
薬剤師さんが「長くとも48時間で薬は排出される」とおっしゃったのを信じて耐えてきたが、
やっと楽になった。頭痛もふらつく目眩も、やっと消えた。
さっそく、インフルエンザとタミフル副作用の間、放りっぱなしだった用事を片付けた。
車の鍵の電池が切れ掛かったのでディーラーで交換。ことことは、プレイコーナーで積極的に
玩具を引っ張り出して遊んでいた。今までだと、私にしがみついていたのに。
また、車のカラー模型を見て、色名を言い合ったり。
産直野菜の売り場では(車の中でことことは「ヤサイ、カウ〜」と言っていた)、
珍しく、ことことが張り切って歩いていたので、店の人に「今日はご機嫌ね」と言われていた。
午後、のい兄が帰宅してからも、車で用事を片付けた。
2006年2月1日(水) 生後2年2ヵ月と11日目 「オイシイ?」
不安がっていても仕方ないので、調剤してくれた薬剤師さんに電話で相談する。
「たぶん、タミフルの副作用なので、残りは飲まないで賢明」とのこと。
その薬剤師さんが、メーカー(中外)にも連絡して下さった。
毎日、息子のお迎えのため、その薬局前を通るだが、
昨日、ベビーカーを押しながらヨロヨロ歩く姿を薬局の人たちに見られていたらしく、
「辛いのに、忙しくて休めないのですよね。私たちで助けになることがあったら、
お手伝いしますので、言ってくださいね」
とまで言われて、ありがたくて涙が出た。
ことことは、インフルエンザの間、溜めていたウンチを出した後、すっかり機嫌が良くなり、
積木で「オマルマン」をつくったりして、一人でも結構遊んでくれた。
夕方は「バウバウ、アソブ〜」と私やのい兄を誘うので、皆で四つ這いになって、犬の親子ごっこをした。
私が具合が悪い分、ことことが、しっかりしてきた様子。食事の時など「オイシイナ〜」としみじみ言った後、
周りの人の顔を覗き込んで、「オニイチャン、オイシイ?」「オカアサン、オイシイ?」と言うので、
世話焼きになりそうだと笑ったことだった。
2006年1月31日(火) 生後2年2ヵ月と10日目 タミフルの副作用
引き続き、体験したことのない目まいと頭痛。
心配になって、タミフルの副作用を検索していたら
「頭痛、傾眠、不眠症、めまい」
「吐き気」「ふらつく様なめまい感」
などというのがあり。精神症状の副作用らしい。
インフルエンザの治りがけなんだから、
本来は自宅軟禁なのだが、それでは母としての業務は成り立たない。
車を運転して、絵画教室へのの送り迎えもしたが、
感覚が変。左側の車輪が浮いているような、滑るような変な感覚を味わうが、
路面は濡れてもいない。ありえない。
よく無事に帰ってこれたものだ。それも2往復。怖い怖い。
ことことは、私が「おかあさん、しんどいんだ…」と話すと、
私の尋常でなさを感じたらしく、いつものように「抱っこ」もせがまず。
車から降ろすと、ヨロヨロと歩く私の手を引いて歩いたのだった。
夕方から、残りのタミフルは飲まないで、様子を見た。
2006年1月30日(月) 生後2年2ヵ月と9日目
のい兄は、インフルエンザによる登園禁止5日間が終わり、今日から幼稚園へ。
私は熱は下がり、喉の痛みもおさまったのに、頭痛とふらつくような目眩が酷い。
子供たちを必要以上に叱っているような気がする。
横になっていると、子供たちが物凄く可愛らしく思えるのに、
布団から出た途端に、イライラする。
明日の絵画教室のことで、先生に相談する。午前中はかなり弱気だったが、
午後、ことことと一緒に昼寝できたら少し回復。私が教室まで送っていくことにした。
2006年1月29日(日) 生後2年2ヵ月と8日目
私、引き続き寝込む。家事育児、すべて夫に丸投げ状態で、汗をかきながら眠り続け。
2006年1月28日(土) 生後2年2ヵ月と7日目
私は医者には行かないつもりだったが、さすがに高熱は辛く、
タミフルを求めて、ご近所の医院へ。待っていると、奥の部屋で点滴打たれているとおぼしき患者に、
「インフルエンザは出なかったから、嘔吐下痢かもしれんな!」
と医師が言っている声が。
もちろん、私に「やっぱり出たな。A型です!」と言ったのも、
待合室に筒抜けだろうさ。
帰宅後は立ってもいられず、ひたすら布団で横になっていた。
今回は、夫には相当迷惑かけてしまい、
出張キャンセル料(自腹!)をはじめ、
被害を数え上げたら相当なことになりそう…。平謝り。
2006年1月27日(金) 生後2年2ヵ月と6日目 インフルエンザ3人目
タミフルのおかげで急激に熱が下がり、ことことは夜半過ぎに回復した。
ガラガラ声ながらも、オリコウに遊ぶ。
しかし夕方から、私が発熱し38度を超えた。
夫は週末の出張を、子守のため取りやめ。
私の場合、いつ発症したのかよく分からない。
のい兄が発症したときにも、既に微熱・寒気はあったし。
2006年1月26日(木) 生後2年2ヵ月と5日目 薬大好き
朝、ことことを小児科に連れて行った。もちろん、のい兄も一緒。
前回同様、車に隔離かと思いきや、患者が少なかったので、中待合に入れた。
バッチリ、インフルエンザA型陽性だった。
一昨日ののい兄のときは、判明まで15分かかったが、
ことことの場合、5分ほどでハッキリと出た。
子供用タミフル(甘い粉薬)は、芳香がきつい。
薬剤師さんからは
「飲みにくいので、味のついた飲み物に混ぜてやるといい」
とのアドバイスを受けたが、ことことは、ヤル気満々。
「お薬飲むよ」と声をかけたら、
粉のまま飲むつもりで、口開けてベロ出して待ってる。
のい兄が薬を飲むところを見て、学習していたらしい。
のいも「口の開け方がうまいね〜」とほめたたえ。
ことことは、見事に粉薬を舌でキャッチし、平然と飲み下した。
食欲は今ひとつだが、リンゴならよく食べる。
2006年1月25日(水) 生後2年2ヵ月と4日目 インフルエンザ2人目
のい兄の熱は36度台に下がった。夕方、ギンナンの殻剥きをした。
村上祥子さん方式で電子レンジで一発!のはずだったんだけど、
うまく弾けず。中が煮えたぎっているのを、キッチンバサミでバキ!
ことことが、美味しいものだと分かったのか、トコトコやってきて、つまみ食いしていた。
サツマイモと豚肉で肉じゃがを作成。結構、うまい。子供たちもしっかり食べた。
夜になって、今度はことことが発熱。
2006年1月24日(火) 生後2年2ヵ月と3日目 インフルエンザ1人目
今日24日は、保育参観+PTAのはずだったが、昨夜熱を出したのい兄、朝も38.1℃。咳と鼻水あり。
園に電話したら、「昨日は吐いた子供もいて、帰宅後にお医者さんに診てもらったらインフルエンザだった」
とのこと。それは危険すぎる。うつったかも。うあああ。
園は休んで小児科へ。医師は、熱の高さや症状を聞いて、聴診もして喉も診て、曰く「ただの風邪でしょう」。
「いや、幼稚園ではインフルエンザが流行っていて…」と食い下がり、検査をしてもらったら、
15分後「A型と出ました」って。食い下がって正解だった。タミフルを処方されて帰宅。
熱がそんなに上がらなかったのは、予防接種のおかげとドクターは言っていたが、どうなんだろう?
というわけで、今週末まで幼稚園には登園禁止に。
ことことは、大好きな兄ちゃんが家にいるので大喜び。
2006年1月23日(月) 生後2年2ヵ月と2日目 甘夏
やっと試験が終わって時間が出来たので、小学校時代の先生の御宅へ。
私がママレードをつくるのをご存知で、毎年、先生のお庭になった甘夏を下さるのだ。
先生は昨秋で80歳になられ、それを記念に白髪染をやめたそうで、
青みがかった白髪が生え揃ってきて、とても素敵に見えた。
ことことは、まだ先生には慣れなかったが、先生に差し上げるものを「ハイ」と渡したり、
ヤクルトをいただいたりした。
玄関に獅子舞の人形があり、先生がスイッチを入れると歌い踊りだしたので、
ことことは「オト!」と言ってビックリしていた。
午後、のい兄が「隣の組は、インフルエンザで5人も休んでいるんだって」と言いながら、帰ってきた。
「インフルエンザって、かかるとどうなるの?」と尋ねられたので、
「急に高い熱が出て、寒気がしたり頭が痛くなったりして、咳とか鼻水も出て、しんどいんだよ〜」と説明。
夜になって、のい兄が、妙に元気が無く涙目になっていた。熱をはかってみたら38.1℃。
速攻でいつもより早く寝かせた。
2006年1月22日(日) 生後2年2ヵ月と1日目 試験
FP技能士3級の試験。子供たちを夫に頼んで、自転車で会場へ。
午前、午後と試験を受けて、夕方帰宅。
夕方、試験後の定番と化しつつある、減農薬トンカツ屋さんへ。
ことことは、店の人が用意して下さった子供用の椅子に座らず、
私や夫の膝の上で食べた。いつも交代制で食べている感じだ。
食後になって、隣のテーブルの子どもが音の鳴る椅子に座ったのを見て、
やっと椅子に座る気になったが、ことことの椅子は音が鳴らず。あらあら。
帰宅後、ネット上で自己採点。難しくてあああああ〜だった午前の学科はかなり正解していて、
楽勝だった午後の実技でかなりミス。大ショック。
(翌日、ネットの模範解答の一部が間違っていたと判明。心臓に悪い…)
思わず赤面なミスもあり、やっぱりおカネ関係は私には向いてないや…と思った。
2006年1月21日(土) 生後2年2ヵ月と0日目
夫は重要業務のため、仕事へ。
私は試験前日なのに、子供の相手と家事ばかりでほとんど勉強できない。
昼寝の時間なのに、ことことが、なかなか眠らないので、
「お母さんは勉強したいのに〜」とヒステリーを起こして泣いてしまった。駄目母。
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