帰国後放心の日々(記憶途切れがち(苦笑))の記録2001年10月〜2002年1月前半
2001年10月(のい2歳2ヵ月) 時差ボケ、ボケボケ、カルチャーショック
関西国際空港到着後、すぐ奈良の両親の家へ。夫は一晩泊まって、すぐ大分の職場へ。
私 と のい は、そのままボンヤリと滞在。同じく滞在中の実妹と、生まれたばかりのIちゃん に和む。
のい は、赤ちゃんが泣いたら「よしよし」と頭を撫でてあげることを覚えた。
親戚の人たちにも久々に会った。のい の曾祖父は、米寿展の準備のため忙しそうだった。元気が何より。
のい は生駒山のケーブルカーや、公園に設置された退役ケーブルカーを喜んだ。
時差ボケはもちろん、これまで1年間の生活との違いが一気に押し寄せ、
「日本ってこんなんだったっけ?」と吃驚しまくり。異文化ショックで、頭がさらにボケボケに。
小さな買い物でも袋に入れてくれるのに吃驚。
商品を開けようとすると、過剰包装で吃驚。ゴミの量に吃驚。
深夜でも土曜の夕方でも日曜でも、買い物ができるのに吃驚。
お客様は神様にしてくれるのに吃驚。宅急便の高速化に吃驚。
歩道が凸凹で狭いのに吃驚。乳母車を押すのがタイヘーン!
街がゴチャゴチャ。看板が汚い。ゴミが多い。建物も補修が後手後手に見えるのが多い。
道路標識以外のサインは、日本語だけ日本人にしか読めないのが多い。……などなど。
それはそうと、日本はまだ暑いので吃驚した。コート着てるのが馬鹿みたいだった。
9日ほど滞在してから、飛行機で大分へ。航空便の荷物は既に届いていた。
夫が、バルサンを焚いていてくれて、寝食する空間の埃や虫(繁殖していたらしい)関係を
綺麗にしてくれてあったので助かった。ともかく、雑巾片手に掃除三昧。
すべてのカーテンを洗うところから始め、価値観が変わったのもあって、モノを捨てまくった。
乳母車にとっては地獄の道を のい 連れで買い物に出るのは至難の技なので、
大家さんに頼んで、コープおおいた(生協だ)に入れてもらった。
近所の人や子供たち とは、のい の愛想の良さのおかげで 仲良くなった。
特に、小学2年生のYちゃんは、のい の相手をよくしてくれる。のい と同じくらいの年齢の子は
あまり外に出て来ないようで、のい は大きい子たちの後ろをチョコチョコ走り回っている。
田舎暮らしの必需品・車探しも開始。出国前に廃車にしたCityは諸費用込み13万円という破格だったが、
今回はその倍額、30万円を予算として、小型の中古車を狙う。
車を買うのに必要なので、市役所に印鑑登録をしに行ったら、こともあろうに、
窓口の人がミスって、印鑑の縁を欠けさせられてしまった。
それを「欠けちゃいました、すみません」だけでそのままま返すんだから、吃驚。
あまりのことに驚いて、バリバリ言っていたら、嘱託の爺さん(言ってることデタラメ全然話にならない)、
さらに市民課長が出てきた。役所の腐敗を見たね。憂さ晴らしに、フルネームの印鑑を注文。
市役所ついでに、そのすぐ北側にある、「府内こどもルーム」へ。のい は電車の玩具に夢中になっていた。
近所の育児サークル(月3回)にも復帰した。かなり人数が増えていた。
予防注射は、ドイツでほとんどバッチリ受けていたが、ポリオの生ワクチンをだめ押しで飲ませた。
久々のIs医師は国際予防接種手帳に書き込まれた記録を見て、「(こんなに注射して)たくさん泣いたでしょう」。
「本人も気付かないほど素早く打たれて、全然泣きませんでしたよ」と答えたら、ライバル心をむき出しにしていた。
マイラインは、締切間際に申し込んだ。某社(武田鉄矢のCM)と某社(知名度低いけど凄く安い)に決めた。
2001年11月(のい2歳3ヵ月) 卒乳/船便到着
のいは、すっかり府内子どもルームの先生になつき、市役所前の交差点にたどり着くと、
「せんせーい!」と絶叫して喜ぶようになった。街に出るたび、「せんせい、行く?」と聞いて来るように。
また、市民図書館で、鉄道図鑑に目覚め、大人の鉄道写真集まで借りるようになってしまった。
あまりに電車が好きなので、たまには乗せてやろうと、電車にて小学校のときのK先生のお宅へ。
のい の笑顔を見て、「こん顔、こん顔!」。私の子供のときソックリだそうで。
中旬、卒乳プロジェクトを開始。眠る前の乳だけはどうしてもやめられなかったのだが、
生活もだいぶ落ち着いてきたので、「もうお兄ちゃんだから、オッパイやめようね」と話をした。
昼寝の時間になると、乳母車に乗せて、長い散歩へ。ガタガタ揺られているうちに眠らせる作戦。
どうしても大分駅脇の踏切で、電車の車両を見たいらしく、そこまでは眠らずに頑張るのが健気。
連日の好天をいいことに、毎日大分市中心部まで徒歩で往復するはめになった。
夜は、夫が絵本を読んで寝かしつけ。
(『ぶんぶんドライブ』と『ふくのゆ の けいちゃん』『ぐり と ぐら』などが、大のお気に入り)
10日ほどで、卒乳完了。私の乳は、プロジェクト開始時は岩のように張って痛くて困ったが(それで一度断念したほど)、
我慢に我慢を重ねて、3日めに少しだけ絞った後は、見事に元のペチャンコ胸に戻った。
何台もの中古車を見に行ったり、自宅まで持ってきてもらったりしたが、購入に至らず。
寒くなってきた23日、夫の出張中に、ホームセンターの特売にて、念願の瞬間湯沸かし器を購入。
母は強しで、山あり2kmの道のりを、湯沸かし器を担いで、乳母車を押してもって帰った。
のい は、育児サークルの おやつ の時間、とうとうスナック菓子に目覚めてしまった。今まで禁止していたのに。
26日、ドイツから船便がやっと到着。全ての荷物が、無事に届いた。
2001年12月(のい2歳4ヵ月) ラクテンチ/採血/オムツはずし開始/クリスマスプレゼント
寒くならないうちにと、別府の「ラクテンチ」へ。入園券は近所の方にいただいていたもの。
ひなびた、まったりとした遊園地で、幼児連れにはちょうど良し。私も幼稚園の遠足で来たことがある。
土曜の午後なのにお客が少なく、係の人もヒマそうで、観覧車など、2周もさせてもらった。
のい は、ゴーカートやケーブルカーを喜んだ。生まれて初めて、本物のゾウを見た。
電車で大分に戻って、夕方からは、育児サークルの忘年会へ。のい は夫に見てもらって。
皆さん、子供を夫に預けてドレスアップしていて、まだ全員の顔を覚えていない私は、若い人で賑わう店の入口で
綺麗なお姉さんに「のいくんのママ!」と声をかけられて、「この人だれ?!」とうろたえてしまった。
さて、新生児のときの血液検査で引っ掛かったための継続検査のため、久々に県立病院へ。
ドイツですっかり病院好きになった(痛くないし、玩具がいっぱいあるし、ご褒美を貰えるし)のい は、
待合室では夢中で遊んでゴキゲン、Iw医師の診察室にある玩具でも遊んでゴキゲンだったのだが、
最後の最後、採血は可哀相だった。採血の間、子供 は看護婦さんに預けて、
その間、母親は経理事務に伝票を出しに行く…というのが手順で、今回もその通りにした。
採血室に戻ってきたら、のい は暴れないようにバスタオルでグルグル巻きにされていた。
看護婦さんによれば、のい は全く泣かずに頑張っていたらしい。
が、私の顔を見た途端、半ベソ声で「ママア〜」。涙がポロポロ。
ドイツでは「押さえ付けるな、怖がるから」と、周りの人は自然にふるまうよう医者から言われたものだが。
のい はこの採血以後、すっかり注射を怖がるようになってしまった。
この後、開業医Is医師のところで、インフルエンザの予防接種2回め を受けたが、
のい は針を見たら泣いてしまった。さらに「ちょっと痛いよー我慢してね」とか言うんだもの……。
県病ではさらに、待合室で近くにいた風邪ひき親子に、私が風邪をうつされてしまった。踏んだり蹴ったり。
大分市内唯一の百貨店トキハの、郊外型大型店にも、初めて行ってみた。
セルフサービスの廉価な食堂コーナーに、インド本格カレー屋が出ていて(本当にインド系の人がナンを焼いてた)、
ビリヤニを8年ぶりくらいに食べた。うまかった。懐かしき神田にルンビニはまだあるのだろうか。
ところで、街に出た別の日、1枚しか持参しなかったオムツに取り替えた直後にウンチをされ、
のい を横抱きにして、商店街を突っ切り、百貨店の6階子供服売場まで走り、2枚組オムツをで買って換えるという、
大変な目にあった。これを契機に、トイレトレーニングに対する私のやる気に火が付き、23日からようやっと開始。
クリスマスプレゼントは、レゴブロックのセット。のい は「サンタさん、ブロックもってきた」と、驚いていた。
3〜7歳向けのレゴブロックだが、のい は早速長くつないで「ビューわかしお!(JRの特急名)」などと叫び、
好きな電車をつくっては喜んでいた。JR特急の名前は、絵本でかなり覚えてしまっている。オタクまっしぐら?
2002年1月前半(のい2歳5ヵ月) お正月
元旦の朝、普段通り のい に起こされて東側のカーテンを開けたらば、ちょうど初日が昇るところだった。
パジャマのまま、皆で拝んだ。簡単なお雑煮とおせちと福茶で祝って、近所の神社に初詣。
古い町なので、近所に大小幾つも神社がある。徒歩で1時間ほどの間に、4つものお社に御詣りした。
午後、タクシーで大分駅へ。駅からバスで大分空港へ。JALのバーゲンセールで買ったチケットで伊丹へ。
伊丹からバスで新大阪へ、特急雷鳥で福井へ。義弟が駅まで迎えに来てくれて、夫の実家へ。
義弟夫妻、1歳4ヵ月のSちゃんも揃って、にぎやかで穏やかなお正月を過ごした。
雪が積もり、のい は夫に雪だるまをつくってもらい、喜んだ。
また雪掻きのお手伝いもさせてもらった。のい も一緒になって雪を運び、うれしそうだった。
帰りに、私の奈良の実家へ。このお正月の間に、オシッコはかなりトイレでできるようになった。
奈良公園に連れて行ってもらい、鹿に煎餅をやったのが相当楽しかったようだ。
近所の犬で慣れているせいか(小型犬にはチウも!)、鹿に迫られても怖がらず。いい度胸。
年賀状の配達で、バイクに乗った郵便屋さんを気に入ってしまい、「ユービヤシャーン」と叫びながら
三輪車で追い掛ける始末。若い人は時々相手をしてくれるが、オジサン配達員にはちょっと嫌な顔をされる。
宅急便のKオジサンは、「タッキュービサーン」と叫ぶ のい を覚えてくれていて、時間があれば話かけてくれる。
近所の腰の曲がったオバアサンたちも大好きで、道で会うと「オバアチャーン」と駆け寄っていくため
可愛いがってもらえる。本当に得な性格である。
2歳児との暮らしつれづれ
に戻る
転石礫礫通信へ