2歳児との暮らしつれづれ
2002年3月後半(2歳7ヵ月)



2002年3月31日(2歳7ヵ月24日) ストロベリー♪
  七瀬川自然公園でのイベント『音遊び』に久々に行ってみた。今年が4回め。初回のときは妊婦だったっけ。
  前回と違い、我が家にはまだ車がないので、トキハわさだタウンまでバスで行って、そこから歩いて会場へ。
  のい は丘の滑り台へ一目散。のい を夫に頼んで、私はフリマを物色。子ども用Gジャンを、100円で購入。
  1回しか着ていないというのに、あまりの安さ。驚いて思わず「いいんですか?」と言ってしまった。
  たっぷり遊んだ のい と合流して、ミニカー(10円)などを買ってやり。
  ステージ裏の芝生にて、のんびりとお弁当を広げながら、入口で貰ったプログラムを見たらば……ええええ???
  Dr.TOSH? のAQUA BOMBが来てるよおおお!! きあああああ!!
  私も夫も大好きだったバンド、ボガンボスの元ベーシスト、Dr.TOSH? がこの大分に!
  ボガンボス解散後の東京在住時は、よく渋谷まで、Dr.TOSH? のライブに行ったものだ。
  CD売場に行ったらば、出たばかりのアルバムが……即購入。
  3人でステージ前にゴザを広げて、ゴロゴロしていると、Dr.TOSH? がスタスタと、会場を歩いているではないか。
  夫にボールペンを借り、CDを持って、ご挨拶。サインしてもらった。ふわーっと羽根が生えているような、ええお声。
  残念ながら、夫は夕方から会合の約束があったため、AQUA BOMBの出番を待たずに帰路へについた。
  眠かったのに昼寝していなかった のいは、AQUA BOMBが登場すると、あまりの爆音に自己防衛体勢に入り、
  なんと、私の腕の中で眠ってしまった。のい がスピーカーで耳をやられないよう、後ろの方に陣取っていたのだが。
  爆睡のい13kgを抱えていたので、踊りまくることはできなかったが、楽しかった。
  Dr.TOSH? は、演奏中もスタスタと会場に下りていき、煽るわけでもなく、ふわあっと盛り上げていた。
  このイベントの中心となっている、Cafe Soul Eatのママも、ノリノリで踊っていた。
  思えば、4年前、Cafe Soul Eatに、今は亡き どんと(ボガンボスのボーカル)が来てくれたとき、
  ママに誘われて、一緒に裸足になって踊ったんだよなー。なつかしい。
  AQUA BOMBの出番が終わっても眠りこけている のい をダッコ紐にいれて、ママに挨拶して帰った。
  のい は、帰りのバスに乗りこむ直前になって、やっと目を覚ました。
  「のいはよく眠ってたけど、おかあさんのアイドル、見た?」と尋ねたら、のい はニヤリと笑って「みた!」。
  「カッコ良かった?」「かっこよかった!」、さらに「うるさくなかった?」と聞いたら「うるさかった!」(苦笑)。



2002年3月30日(2歳7ヵ月23日) 裏川川岸の並木
  桜が散り始めた。この週末の土日、今日明日で見ごろが終わってしまうだろう…という訳で、思い立って
  某家電量販店に行くついでに、その近くの裏川(という名の川だ)の川岸で花見。今日も自転車。
  桜吹雪の中で食べる弁当は、スーパーの弁当売場で調達したものでも、とても美味に感じられた。
  バーベキューをしている人も多く、サザエのつぼ焼きをしているグループも。
  のいは県芸術会館隣の公園で、楽しく遊んだ。アズマヤで談話中の10代女性4人組のところに入っていっては、
  何やら話しかけていたが、相手の質問(お歳は? お名前は?)には答えず。
  帰りにMDCDラジカセを、語学学習用の投資に買った。がんばろう。
  やはり帰路に、のい が眠くなってしまい、自転車をとめ、神社の境内で昼寝させた。



2002年3月29日(2歳7ヵ月22日) ふー
  やっと、のい のトイレが落ち着いた。
  結局、子ども用便座は使わず、電話帳の踏み台に上がってから、便座にニジリ上がるスタイルに定着。
  便座の蓋の方を向いて、つまり大人が座るのとは逆向きである。これもお尻が大きくなれば変わるだろう。
  ドイツにて、私が育児の大先輩と崇めたFさんが、「特定のオマルや便座に固執させると、外出のとき困りますよ」
  とおっしゃったことがあったが、まったくそうである。どこでも用がたせるというのは大事だ。
  県の、親子体操教室の抽選結果が届き、入れることになった。
  おととい、トイレ拒否に疲れ切って眠っている夜遅く、担当者が「親御さんの年齢を教えて下さい」と電話をかけてきて、
  寝ぼけた頭で、選考に年齢が関係あるんか? もう若くない母親から落とすんか?いやらしー などといぶかったのだが。
  (実際は、スポーツ傷害保険加入のさいに必要だったらしい)
  どういうわけか、のいが「キョーはいい天気ですね」などと言うようになった。面白い。



2002年3月28日(2歳7ヵ月21日) つまんないよー
  昨日の地獄に対する怒りを、どこにぶつけるべきか。そりゃあもう、ベネッセに決まってるでしょう。
  ということで、電話。『こどもちゃれんじ・ぽけっと』の今後のラインナップの送付を依頼し、
  「既にトイレトレーニングを終えていたのに、御社の教材のおかげで、子供が混乱し、大変迷惑しました。
   今後の内容を見て、あまりに幼稚なようであれば、購読はやめさせていただきますから」と告げたら、
  丁寧にお謝りになったうえ、一つ上のクラスへの変更をたたみかけられた。マニュアル通りの顧客対応ですわな。
  育児サークルへ。のいは、とうとう本音を出してしまった。NHKおかあさんといっしょの『あ、い、うー』の曲に合わせ
  踊るとき、いつも同様に踊りを拒否して私にダッコされていたが、腕の中で「つまんないよー」だとさ。
  なんて正直なんだ。確かに、リズムに合わせて身体が動くって感じではないからな、ああいうお遊戯は。
  (のい は踊るのが嫌いな訳ではない。ストーンズだと、自然に肩を揺らして踊っているのだ……)
  年度最後のサークルということで、今回はお別れ会を兼ねていて、卒業する子はもちろん全員がプレゼントをもらった。
  のい は、そんなことより、早く外で遊びたくてたまらず、終わるとさっさと座布団を片付けて、
  (ちょっと目を離したら、まだ座っている子の座布団まで引っ張っており、泣かれる寸前までいっていた)
  さっさと靴をはいて、砂場へ一目散。結局砂場に誰もいなくなるまで、一生懸命遊んだ。
  暖かくて、サークル以外の人も砂場にいたが、滑り台の上から砂を投げて遊ぶ兄妹がおり(下に子供がいるのに)、
  親は全く注意しないので吃驚。のい が真似ようとしたので、「下の人たちの目に入る! 痛いから、やめなさい」と
  私が3人まとめて注意したら、親は、下にいた子たちへの謝罪もせず、とっとと2人を連れ帰ってしまった。
  なんなんだ?変な奴。こういう輩も、同じ時代を生きる子供の親同士である以上、避けられないんでしょな。



2002年3月27日(2歳7ヵ月20日) オモラシ号泣地獄
  朝一番のトイレのときに、しまじろうのメロディーボードを見つけた のい。喜ぶと思いきや、眉をひそめた。
  その後は、のい が全くトイレに行こうとしない。既にトイレ完璧児だったはずなのに!
  「オシッコは?」と聞いてやっても、「しない!」。それでいて、おもらし連発。
  1日に何度も、パンツとズボンと床または座布団をセットで汚されて、こちらは怒り爆発。虐待寸前。
  怒って叩いて泣かして、こちらも号泣。情けなくて。一日中辛くて、外に一歩も出られず。
  疲労困ぱいして、19時半に床についた。のい は夫に任せて。
   *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
  考えられる理由はただ一つ。昨日のヴィデオとメロディーボードだ。
  何かうちのトイレが、しまじろうのと違うことに気づいたのだろう。
  特に踏み台を用意していなかったので、いつも、パンツを脱がせたらそのまま抱えて便座にのせてやっていた。
  それが、昨日のヴィデオで、一人で便座に腰掛ける しまじろう を見てショックを受け、
  さらに寝起きに、しまじろうのメロディーボードを見て、ショックを受けた記憶を再確認し、
  結局、のい も一人で便座に座りたい!との自立心から、トイレを拒否したのだろう。
  夕方、古い電話帳などを包装紙でくるんで のい用の踏み台をこしらえてやった。
  ドイツからもってきた子ども用便座は、冬の間は冷たくて嫌がるので使っていなかったが、これもセットした。



2002年3月26日(2歳7ヵ月19日) 嵐の前の……
  ベネッセのこどもちゃれんじ・ぽけっと(2〜3歳児向けコース)の4月号が届いた。
  赤い車に乗った、しまじろう一家の指人形に、のい は 大喜び。
  しかし、本誌でも付録のヴィデオでも、「トイレトレーニング」。のい はすっかり終了しているので
  何をいまさら…という感じ。のい は食い入るようにヴィデオを見ていたが。
  (これが地獄の始まりになるとは、この日はまるで気づかず)
  もう一つの付録、ヴィデオでしまじろうが歌っていたのと同じ曲が流れる「メロディーボード」を、
  トイレの壁に取り付けた。電子音が嫌な感じ。でも、のい がトイレをより楽しむならいいかね。
  うちのトイレは、子供が喜びそうなものって、ミッフィーのカレンダーくらいしかないし。
  (と、思ったのが浅はかだった。この電子音も、私の地獄行きに、立派に荷担してくれた)



2002年3月25日(2歳7ヵ月18日) なりきり
  「今、のいくん、だれ?」という変な質問が成り立つのは、のいが いろんなものになりきっているから。
  のい が、NHK教育TVの“ワクワクさん”(工作の名人、昔で言うと、ノッポさん)になりきっているときは、
  私が、相手役の“ゴロリ”なる熊?にされてしまう(ゴンタくんと違って、ちゃんとしゃべるが)。勘弁してくれ。
  機関車トーマスの仲間の、“ヘンリー”になりきっているときもある。
  手先が器用になってきて、豆ごはんの豆むきも手伝ってくれた。だんだんしっかりしてきた。
  夕方、久々に帽子なしで散歩(帽子は のい のトレードマーク)。八百屋に行ったら、
  よく会うおばあさんにつむじを観察され、「こういう つむじ の子は……しっかりしちょるよ」と言われた。
  彼女には「一重マブタの子は頭が良い」「手のひらが熱い子は丈夫」など、嘘か真か謎なことを
  赤ちゃん時代からよく言われていたのである。途中の……が気になるけど、気にしないことにする。



2002年3月24日(2歳7ヵ月17日) 
  コンパルホール(市中央公民館)でのフリマ。トーマスの玩具と、のいのベランダ用の草履、しめて30円なり。
  ついでに街へ。夫にのいを任せて、書店で参考書を選ばせてもらった。ゆっくりはできなかったが。
  外出中でも、のいは「オシッコ!」と教えてくれて、トイレに着くまで我慢できるようになった。



2002年3月23日(2歳7ヵ月16日) 足指さん
  土曜だが夫は研究室へ。隣の史蹟の桜が満開になった。
  私の右足の指5本(指同士を開いたり閉じたりできる。猿並み)が、のいに“あしゆびさん”と呼ばれるようになり、
  しまじろうパペット に続く 仲良しキャラクターに。風呂で遊んで見せていたのが、こんなに気に入られるとは。
  私と“あしゆびさん”は別人格だと思っているらしく、本気で色々と話しかけ、
  彼らの質問(私が言ってるんだが)に答え、いいところを見せようと頑張っている。
  また、“あしゆびさん”の言うことなら、何でもきく。
  夫に就寝前の歯磨を強制されると泣いて拒否するのに、“あしゆびさん”に「寝る前に、歯を磨こうねー」と
  言われたら、「ハイ!」と言って洗面所に走っていった。さらに、仕上げ磨きのときも、
  「“あしゆびさん”が見ていてあげるから、お母さんの膝の上で、大きな口を開けててね」
  と言ったら、素直に口を開けていた。おそるべし。



2002年3月22日(2歳7ヵ月15日) 
  久々の大雨。朝、のい と一緒にゴミ出し。自慢の、ミッフィーの黄色い傘をさして得意になっていたが、
  まだ腕力がなくて腕をずっと上げていられず、不燃物ゴミの集積場へ行く途中で、傘を放り出してしまった。
  アパートの前にある、燃やせるゴミ置き場までなら、いつもはゴミ袋を のい が持ってくれるのだが。
  雨が上がった夕方、買い物帰りの上り坂にて、のいが「あるけないよー」といつものようにゴネた。
  できるだけ歩かせたいと、私が手でトンネル(アーチ)をつくって、くぐらせながら上ったりしているのだが、
  今日はなかなか動かない。……と、坂の上に、よく声をかけてくれるTおばちゃん の姿を発見したら、
  ピューと走っていって、ダッコまでされていた。まったくもー。



2002年3月21日(2歳7ヵ月14日) 生まれて2回めの散髪
  祝日だが夫は研究室へ。近所の人が植木の刈り込みをしていた。それを興味深く見る のい に、
  「のい の髪の毛も散髪しようか」と言ったら、「さんぱつすーる、すーる♪」と大乗り気。
  1年3ヵ月ぶり、生まれて2回め!の散髪である。私が切るのは初めて。前回はドイツ旅行中の実母が切ったので。
  後ろ髪をひとつかみしてザクッ。あとはチョイチョイと揃えるだけ。薄いから簡単、ラッキー。



2002年3月20日(2歳7ヵ月13日) 英語ワカリマセーン
  自転車で、私の小学校のときの先生のところへ。近くの公園に退役した路面電車があるので、
  桜を見がてら、のい を遊ばせた。車内には入れないようになっており、のいは残念そうだった。
  先生のお宅でしばしおしゃべり。のい は、線路に面した窓から、たくさんの電車を眺めて喜んだ。
  県立図書館に寄った。子供男子用トイレの小便器で、初めての立ちション! むむむずかしい、仕舞い方が。
  ここでは機関車トーマスの原作本を借りた。大きい子が借りるために持っていた日本語のトーマス本のを、
  のいが見つけて「トーマス!トーマス!」とにじり寄って、相手を困らせてしまったが、とても優しい子で、
  後で、同じシリーズの1冊を書棚から持ってきてくれた。司書さんによると、このシリーズはとても人気があって、
  1巻につき7冊も図書館で購入したのに、すべて、修理中か、誰かが借りてしまっているとのこと。うへー。
  英語のは書棚にたくさん残っていたので、こちらをたくさん借りた。
  英語で読んでやると、のいは「おかあさん、何をいってるの?」と可笑しそうな顔。英語はほぼ初めてだからな。
  で、適当に日本語に訳して(わかんないところは飛ばして)読むことになった。
  ドイツ語で読んでやっているときは、意味を分かって聞いているんだなー。そうかそうか。
  帰り道、やはり自転車の後ろの椅子の中で眠りこけてしまい、ベンチなども見つからず、
  右に左に後ろにグラグラする のい の頭を、私の腰で支えつつ、自転車を押して帰った。
  取り寄せるのに時間がかかっても、背もたれ付きの椅子にしとけば良かった……と後悔したことだった。



2002年3月19日(2歳7ヵ月12日) 「しーんーせーつな…」
  『ぐりとぐら』のなかの台詞は、かなり覚えてしまっているようだ。突然、私と同じ口調で
  「しーんーせーつな、とーもーだーちへ。しんじゅ・とうだいへ、きてください。うみぼうずより」
  と言い始めたので、びっくりした。これは『ぐりとぐらの かいすいよく』より。
  本日も午前中は公園へ。のいが「すな」と言ったら、砂場のある児童公園のことである。
  今日は初めて会った子と、なぜか意気投合し、座り込んで、おもちゃを巡って会話をしていた。
  その子が公園を一度出てまた戻ってきたときも「ただいまー」「おかえりー」。周りの笑いを誘った。
  「のい くん、よくしゃべるねー。大人っぽい言葉もつかうし」と、同じ歳同じ月生まれのYくんママ。
  午後は、小学校のお姉ちゃんと遊んだ。ダッコしてもらったり、電気工事に来ていた高所作業車を眺めて
  オジサンに手を振ってもらったり。“ネズミの小判”なる豆状の物体の存在を知った。なんじゃこれは。
  午後、宅急便が届き、のい は、いかなごの佃煮と あられ に大喜びした。
  県立病院に電話してIw医師と相談、いや懇願。2歳半の検査を飛ばして、満3歳まで検査しないでいいことになった。
  あの、バスタオルぐるぐる巻き採血で、のい がどんなにショックを受け、怯えたか、伝えた。
  前回の検査結果は正常だった。健康で発達も順調な子を、やたらに痛めつける必要はないもの。



2002年3月18日(2歳7ヵ月11日) 公園疾走→ウンチ
  のい が3日間も大便を腹に溜めて、ボーッとしているので気が気でなく、公園で運動して出させることにした。
  あらかじめ、パンツの下にオムツを装着して、ぬれティッシュも持って、準備万端。
  公園への途中、ある家の庭にいた おばあさんと目が合ったので挨拶したら、のい に人形焼をたくさん下さった。
  天気が良くて、何組もの親子が公園に来ていたので、それを皆で食べた。
  のい は普段の調子が出ず、「ダッコ、ダッコ」と言い、抱いてやると今度は「落ちる落ちるー」とわめく。
  この「落ちる落ちるー」、ウンチが溜まっているときに必ず言うんだよな。どういう意味だ?
  ジッとしていても出る訳がないので、嫌がる のい を無理矢理地面に下ろし、
  私自らグラウンドへダッシュ。のい も後から追ってきて、追いかけっこ の始まり始まり。
  他の子も面白がって着いてきて、私もかなり疲れたところで、のい がやっと気張り始めた。やれやれ。
  ある子が、滑り台から下りて尻餅をついたときに、「Oh,my God!」と言ったので、びっくり。
  その子の母親に聞いたらば、彼女は元英会話学校の講師だとか。いろんな人がいるものだ。



2002年3月17日(2歳7ヵ月10日) フリマ
  3人で自転車に乗って遠くの公民館へ。目当てはフリマ。
  探している『こどものとも』のバックナンバーはなく、買ったのは、のいの玩具ばかり。
  プラスチックのままごとセットが20円、トレーラーのおもちゃが200円。どちらも新品。
  美術館ボランティアでの友人Aさんにばったり再会。思わず握手。のい と同い年の息子くんも元気そう。



2002年3月16日(2歳7ヵ月9日) 桜一分咲き
  3人で自転車に乗ってN町のケーキ屋さんへ。帰りに、育児サークルで評判の幼稚園2園を外からチェック。
  城趾公園で休憩。桜はもう1分咲きになっていた。



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