2歳児との暮らしつれづれ
2002年6月30日(2歳10ヵ月23日) 今日は買わない。明日にする
実妹の夫は昨夜、夫は朝、それぞれ仕事のため戻っていった。
私は本日、福祉住環境コーディネーター検定3級の試験日だったが、今回は棄権した。また秋にね。
実父と のい と3人で、ビールを買いに出たついでに、酒屋の隣の靴屋へ。
のい の靴を探すも、キャラクターものばかりで、うーんざり。
やっと安売りワゴンの中に見つけた、キャラクターなしの靴を、のい に履かせてみたが
気に入らないらしく、「今日は買わない。明日にする」と言い張る。実父は
「意志がはっきりしとるなあ。“イヤ”やなくて“明日にする”と断わるところが面白い」と感心していた。
2002年6月29日(2歳10ヵ月22日) 葬儀
葬儀。雨の予報だったが、葬儀の間は降らず、火葬場に行くときに降り始めた。雨のタイミングまでさすが。
足を鍛えた祖父の足の骨、特に大腿骨頭部は、とても綺麗な形だった。
祖父の肉体は消えてしまったが、家のそこここに、祖父の踊るような字があり、
作品集を開けば祖父が語りかけて来る。だから、永遠に会えると思った。
夕方に納骨。のい は、眠くてワカランチンになっており、線香を持ちたがって握りつぶしたり、
よそのお墓に入ろうとしたりで、私は思わず叱りつけ、落ち着いて御参りできなかった。
「眠い子に怒っても仕方ないでしょう」と母に諭されてしまった。
墓地や火葬場行きのために、皆が祖父の家を留守にしている間、
夫と、実妹の夫が、子守がてら留守番をしてくれて、とても助かった。
2002年6月28日(2歳10ヵ月21日)
近所の人を中心とした通夜。
のい が退屈して、暴れたり声を出したりするし、蒸し暑いしで、座っているだけなのに参った。
祖父の机にあった、超小型の扇風機を誰かがもってきて、のい を遊ばせてくれた。
遠方の、叔父叔母や従弟妹たちも到着し、久々に“揃ったなあ”というかんじ。
2002年6月27日(2歳10ヵ月20日) 祖父の黄泉行き
早朝、父方の祖父が天国へ旅立った。苦しみもせず、眠るように亡くなったという。
末期癌と分かってからたった2ヵ月。誰も予想していなかった速さで、行ってしまった。
この日は、身内のみの通夜。取り急ぎ飛行機をとり、荷造りをし、夫と のい と3人で大阪へ向かった。
末期癌の告知を受けてすぐの5月、「最晩年のワシについて書いてくれ」と本人から直々に原稿の依頼があった。
締切まで2週間ほどしかなく、簿記の試験と重なって大変だったが、なんとか書き上げた作文に、
「満点で合格。自分が忘れていた事を思い出した」と父から伝え聞いたのが6月初めだった。
彼は他の人にも同様に依頼し、全部の原稿に目を通し、書き直しまで依頼したらしい。
さらに、自分の書きたいことは全部書き終えた後で、入院したらしい。
看病していた叔父叔母や父母の話を聞けばきくほど、拍手したくなるような見事な去り際だった。
葬儀についても、直系親族と近所の人のみでと、遺言状に書いてあった。
何しろ、彼は3年前「生前葬」を愉しく賑やかに行って、親しい友人知人にお礼の挨拶をしたのだから。
彼からは、字の書き方写真の見方撮り方はじめ、いろんなことを教わったが、
最も重要なのは、自分の行く先を真直ぐに見、目標に向かって邁進する人生の清々しさだと思った。
2002年6月26日(2歳10ヵ月19日) 最後のふれあい親子体操教室
県立体育館にて最後の体操教室。教室が終わってしまえば、この海浜工業地帯にもしばらく来ないだろうと思い、
教室が始まる前に、運動公園の敷地全部をサイクリング。どうやらこの運動公園はかつて、
大分の飛行場だったところだと判明した。なるほど、それで滑走路みたいに長い敷地なのか。
また、現在の空港行きホーバーフェリー乗り場が、この公園の西端にあることも分かった。
教室では、「みんなの大好きな曲だよ!」との前振りで始まった『慎吾ママのおはロック』を
私とのいはまるで分からず(日本でかなり流行ったらしいことは知っていたが、耳にする機会がなかった)
慎吾ちゃんには悪いが、楽曲も歌もそれほどいいとは思えず、全然のって踊れなくて、苦笑いした。
のい は、他の子とじゃれたり怪獣ごっこしたりして、本日もそれなりに愉しくやっていた。
いつもより早めに終わったなと思ったら、最後に閉講式があり、さらにパンやジュースがふるまわれた。
こういうの、無駄だと思うんだけど。のい は辛い辛いカレーパンを、がっついて食べてしまった。
とにかく、W先生やM先生の笑顔とガッツに「私も笑顔でいかないと」と影響された、この3ヵ月だった。
すっかり顔なじみになったM先生と、「それではまた!」と別れた。
2002年6月25日(2歳10ヵ月18日)
アパートの路地のみ、のいを一人で外に出すことにした。
小学生女子たちにつきあっていると、こちらの体力と精神力がもたないので。
「Mくん(車のこと)より向こうに行くときは、お母さんを呼んで」と言っておいたら、
「お山」に行きたいときには、ちゃんと呼びに来た。本を持って出た。
2002年6月24日(2歳10ヵ月17日) クリエイティブな雨の日
大雨で外に出られず。家の中で、のいと かくれんぼなどして遊んだ。
また、発泡スチロールトレイをグローブに仕立ててのキャッチボールも、のい に受けた。
NHKでワクワクさんの工作番組を見て、絵本をつくって遊んだリ。
今はやりの、2つ折り携帯電話も、空き箱でつくってやったら大喜びしていた。
夕方、小学生女子たちが、階段の踊り場で遊んでいるので、のい が出たがり、仕方なく出した。
空き箱の携帯電話のつくり方を教えてやった。
2002年6月23日(2歳10ヵ月16日)
のい と自転車で『アート循環系サイト』へ。吉野屋工場では、大分でピカ一の若手建築家夫妻に再会。
JR大分駅南口旧電力区訓練室では、スクリーンに写っている電車を見て、興奮していた。
近所の小学生女子たちは、昨日のふるまいを反省したらしく、今日はのい の頭を撫でたりしていた。
「のいくーん」と言ったりして。聞けば、自分もよその公園では、ほかの子たちに意地悪をされているらしい。
のい が女の子たちの持っている、玩具のカメラを欲しがったので、ボール紙でつくってやった。
夕方、近所の小学生男子が、のい を お山の階段脇のスロープで遊んでくれた。
2002年6月22日(2歳10ヵ月15日)
のい と夫は『アート循環系サイト』へ。百人力工場で、飛行機の影の作品を見て、怯えたらしい。
帰宅してからも「こわかったの」と何度も言っていた。
その間、私は、福祉住環境コーディネーター3級の試験勉強ができた。
夕方、近所の小学生女子数人集団になって、のい をあからさまに無視してきた。
ペットのように可愛がるかと思えば、逆にいじめたりで、信用ならない。
それでも、のい は、子供の声がすると外に出て一緒に遊びたがる。いやになる。
2002年6月21日(2歳10ヵ月14日) 初めての幼稚園見学
某幼稚園を見学。ちょうど教育実習中。新聞にも連載しておられる副園長先生がとても感じがいい。
のい は、遊びの輪にスイスイと入って愉しそう。元気のいい一匹狼風のお兄ちゃんを追って園庭中を走り回り、
おかげで、園庭の隅から隅まで見学することが出来てしまった。グループで遊んでいる男の子たちは、
「あんただれ。チビは来たらいかんのでー」などと言い、こんな小さい子たちでも集団になると嫌らしいなあと
思ったことだった。それはさておき、全体にとてもいい感じで、気に入った。
問題は、園バスがないので私が送迎しないといけないのと、抽選に当たらねばならないことだ。ま、運次第。
午後、街で用事を済ませた。帰りに下校中の小学生と一緒になり、のいはGくんと手をつないで帰った。
夫の実家から野菜が届いたので、近所のお友達におすそ分け。しかしその子はご機嫌ナナメで
「遊ぼう!」と言っている のい に「遊ばない!」と返してきて、のいは大泣き。ママが恐縮することしきり。
疲れ過ぎたか、夕方、私はまた腹痛を起こして倒れてしまった。
2002年6月20日(2歳10ヵ月13日) 戦いごっこ/研修会
育児サークル。本日は「戦いごっこ」。折った新聞紙の鉄仮面と、傘袋(色紙入り)の風船刀で叩き合い。
こんな柔らかい刀では、叩いても全然痛くない。2歳児は子供どうしで、かなり盛り上がっていたし
もっと小さい子たちも、振り回して楽しんでいたようだ。ああ良かった。うれしい。
なんとか当番のお役目も無事に済み、ほっとした。
Sちゃんのママから、幼稚園の体験入園会の申し込みが始まっていると教えてもらった。
昼食後、眠りそうになったのを車に乗せて、午後は美術館にて研修会。眠っていてほしかったのに、
美術館に到着して乳母車に下ろすと目をパッチリ。なじみのボランティア仲間に愛想をしていた。
ちょうど北九州市美術館のボランティアさんたちが見学にみえていて、
我々も一緒に美術館内の『アート循環系サイト』の作品を見学。岡崎乾二郎さんの立体作品について、
のい が「ウンチだ! あのウンチのとこ行きたい」などと叫ぶのには閉口した。
その後はスライドによる講演。室内が暗くなったのに、のい は昼寝をしようとせず、
席に座ってパズルブロックや私の持ち物で遊んでいたが、スライドもしっかり見ていた。
JR大分駅南口旧電力区訓練室の建物自体をカメラにした作品や、
大友氏館跡の紹介のときには、スライドに列車がうつるやいなや、「電車!」と叫んでいた。
終了後、あるボランティアが「のいくん、いい合いの手だったよ」と声をかけてくれた。
2002年6月19日(2歳10ヵ月12日)
体操教室。始まる前にテニスボールで遊んで、かなりはしゃいだために腸にきたのか、ウンチ。
横抱きにして、トイレまでダッシュしたことだった。暑くはなってきたが、今日は風が涼しかった。
2002年6月18日(2歳10ヵ月11日) 合格/葉っぱ、たくさんあるねえー
簿記検定の成績表がもう届いた。さすが商工会議所、やることが速い。2級も3級も両方合格。うれしい。
夕方、暑いので車で、『アート循環系サイト』のアートプラザと府内城廊下橋を見にいった。
アートプラザ(元大分県立図書館)の長いスロープを、のい は転がるように走って、
何度も「あぶない、ストップ!」と言わねばならなかった。大分駅周辺再開発事業の模型を気に入っていて、
「ICE(ドイツの新幹線)がいるねえー」。いやそれは特急ソニックかにちりんでしょう。
葉を大きさ別に並べたインスタレーションの前では、響き渡るような大声で「葉っぱ、たくさんあるねえー」
と感嘆して、監視の人も注意する前に笑っていた。
2002年6月17日(2歳10ヵ月10日) の!
のい が大人しくしているのをいいことに勉強に励んだ。
のい は、せっせと積木やブロックで遊んでいた。パズルブロックでノートPCをつくってみせるのには参った。
ひらがな のうち、「の」だけは読めるようになった。もちろん「のい」の「の」だから。
2002年6月16日(2歳10ヵ月9日)
市民図書館へ。またまた体操教室のM先生にバッタリ。のい は「今日は体操教室はお休みなの?」と尋ねていた。
どうやらご近所在住らしい。それを差し引いても、狭い街なので、人に見られる立場の人は大変だと思った。
のい は、中庭で、よそのお兄ちゃんが興じているゲームボーイを覗き込んでいた。
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