2歳児との暮らしつれづれ
2002年7月後半(2歳11ヵ月)



2002年7月31日(2歳11ヵ月24日) 
  朝食後、のいの咳が酷いので、再び小児科に連れていった。
  のい は舌を押さえられるのを嫌がって、かなり抵抗していたが、医師は一瞬で判断。
  のども胸の音も綺麗と言われたが、今回は抗生物質を処方された。「また効かなかったら、電話してください」。
  医者といっても、何でも分かって常に決定打が打てるわけじゃないんだよね。人間だもの。
  のい は、待合室にあった戦闘テレビマンガの道具を抱えて、よその子と愉しく遊んだ。
  昼寝の後、市民図書館に連れていってやろうとしたが、のいが「お母さん、準備できた? 準備してね」と
  私をせかすくせに、自分は服を着ようとせず(一人でできるのに!)ずっと裸のままでゴロゴロしているので、
  「服を着ないなら連れていかないからね」と言って泣かした。結局、本当に行かなかった。
  また、夕方には「ごはん、まだ? ごはんつくって」とせかしてきた。が、のいはテーブル中、居間の床中に
  玩具をぶちまけたまま。怒髪天を突いて「全部片付けるまで、ごはんは出さない。片付いたら呼びに来て」と言って、
  私が本部屋(物置)に籠ったら、さすがに一人で片付けた。やればできるじゃん。ほめまくり。
  「のい は反抗期?」と聞くと、「はんこうきじゃない!」とはっきり答える。やっぱり反抗期だ。



2002年7月30日(2歳11ヵ月23日) せみとり
  朝から隣の史蹟にてセミとり。絵本を見てつくったセミ専用の虫採り網(網でなく透明のビニル袋なのがミソ)と
  市販の網の2本を持って、のい と2人、いざ出陣。桜の木に、いるわいるわセミ。
  セミ専用の虫採り網だと、セミに気配を感じさせずにパカパカ捕れてしまう。
  こんなに簡単に捕れるなんてなー、と拍子抜けしてしまった。しかし、のい に触らせようとすると、
  ジジジジ!と大声を出して暴れているのが怖いらしく、嫌がられてしまった。あらあら。
  その後、炎天下の砂場で一遊び。日陰に誘っても嫌がるので、熱射病や熱中症にならないかとヒヤヒヤした。
  砂場から水を汲みに行くときに、頬に水をかけてやったり、お茶を飲ませたり。風は涼しかったが。
  午後、小学生たちがまたしても窓から「のいくーん」と呼びに来たが、のいは珍しくハッキリと
  「おうちでお母さんと遊びたいの」と主張。それで、小学生たちは帰っていった。ふう。



2002年7月29日(2歳11ヵ月22日) 新しい水鉄砲
  午前中は車で、簿記2級3級の合格証書を受け取りに、商工会議所へ。駐車場がわからず、グルグル。
  「これは絶対に違う」と思っていた無人有料駐車場が、実は商工会議所のものだった。
  15分だけなら無料というのが、さすが商人、合理的。「商談は短くパッパと」。
  いつもなら、家に帰りたがらない のいだが、「今日は、しまじろうの新しいのが来てるかも」と言ったら、
  後部座席で「お家に帰る!帰る!」「のいくんのおうち、まだ見えて来ないねえ」とうるさいこと。
  チャイルドシートから下ろすと、一人で駐車場から郵便受けまで走っていった。
  私が後から歩いていくと、郵便受けの辺りから、のい の豪快な笑い声が。教材が届いていたのだ。
  さっそく開けて、付録の水鉄砲を風呂場に持ち込んで一遊び。後は、ビデオを繰り返し見て喜んでいた。
  ビデオの中の、水鉄砲の説明をするカッパが面白くて、私は何度も真似してしまった(バカ)。今月のは大当たり。
  夕方、自転車で大分駅へ。帰りに公園に寄ったら、のい が水道の蛇口を悪戯して水浸しになってしまった。



2002年7月28日(2歳11ヵ月21日) 怒ってばかり
  県立図書館へ。のい は児童室のマットのところで、一人で絵本をめくって眺めたり、赤ちゃんと遊んだり。
  小学生のお兄ちゃんらと遊んだときは、のいが積極的なのに困惑して、彼らは救いを求めるような目で私を見ていたが、
  私はわざと関知せず。相手の親に仲裁を求めたがる子供って、なんかおかしくない? 病んでない? 
  帰宅してから、泣き声で「ウンチでない!」と言う。はあ? まったく反抗期だ。トイレに行きたかったら
  「ウンチでる!」だろうが。3日前から溜まっているのを出して、「もう出ない」と言い張るのでパンツをはかせたら、
  5分後にはパンツの中に残りのウンチがベッタリ。ああもう、ウンザリ。罵倒して泣かせた。
  午後は、空港までドライブ。途中、変なGSに入ってしまい、青切符を切られるかもと冷や汗をかいた。
  のい は道中のほとんどチャイルドシートの中で昼寝をしていた。予定よりかなり早く空港に着いたので、
  近くの里の駅で、休憩がてら地元の農産物海産物を見ようとしたら、そこでやっと、のいの目が覚めた。
  「ここは空港じゃない、空港に行け!」「のいは(車から)降りない!」といちいち大泣き。
  さらに生産者の前で「ミカン買わない、いらない!」と言って、険悪な雰囲気になり、仕方なく里の駅を出た。
  まったく休憩どころではなかった。イライラして、空港までの道すがら、延々とののしって、のいを泣かせた。
  空港では、屋上の展望コーナーから、ちょうど離陸するところを見られた。
  私はベンチに座って、遠くから のい の様子を見ていたが、よその一家の団らんに混じってニコニコしたり、
  備え付けの双眼鏡に触ったり、チャカチャカと遊び回っていた。到着出口でも、よその子と走り回っていた。
  相手の親が、「今日の◯ちゃんは本当に悪くて」と連れの人にこぼすのを聞いて、
  この程度で「悪い」んじゃあ、のい なんて1日中悪いことばかりしてることになるじゃん……甘いね。



2002年7月27日(2歳11ヵ月20日) 犬
  朝になったら熱が下がっていた。ほっとする。
  「お出かけしたい」というので、車で美術館へ。病み上がりなので、乳母車に乗せて、館内を移動した。
  昨日欠席した分の資料を受け取った。のい は、またも「犬(前回展の作品)がいない」と言い、
  「つくった人のところに帰った」と言ってもきかず。今日から始まった『クラーク展』を観ても、
  「犬はどこ? 犬を探しに行く」とずっと言っていた。しかたないので、面白そうな絵だけチェックして、
  外のインスタレーション『BOLT DOG』のところへ。ようやく納得し、「もういい。Mくん(車のこと)に乗る」。
  その後もまだ「どこか行きたい」というので、しばらくドライブ。気づくとチャイルドシートの中で眠っていた。
  トキハわさだタウン の中でやっと目が覚めてキョロキョロ。そして「アイスクリーム食べたい」。
  何週間か前に、夫とのい2人で来たときに食べた、耶馬渓牧場の美味しいソフトクリームを思い出したらしい。
  私はどこで売っているのか分からずウロウロ。店にたどり着いたら、のいが一言「マチガイナイ!」。ぷっ。



2002年7月26日(2歳11ヵ月19日) 熱
  日中は台風の影響で強風と雨。美術館ボランティアのための研修会に行くつもりだったが、
  のい が昼前から高熱を出した。最高で39度2分。
  夫が、朝出がけに、ゴロゴロしている のい を見て「熱があるんじゃないか」と言っていて、
  そのとき額に手をあてたときは、熱くなかったのだが。恐るべき、父親の勘。
  午後から、夫は東北地方へ。一人で看病。とにかく水分補給をする。



2002年7月25日(2歳11ヵ月18日) 色水遊び+美術館
  育児サークル。夏休みで、赤ちゃんから幼稚園のお兄ちゃんたちまで来ていて、のいは、はしゃいだ。
  活発そうな男の子には、上下問わず、のい は自分から寄っていって、何やら盛り上がっていた。
  しかし、のい の激しい遊びっぷりが、同じ歳の男の子たちには乱暴に見えるらしく、
  仲良しの赤ちゃんを のい から守ろうとして泣き出す子や(のい も赤ちゃんと遊びたかったのに)、
  逃げ出してママにすがりつく子も。……のいは、何も叩いたりしているわけではないのにー。
  今日の目玉は、色水遊び。ティッシュに水性ペンで色をつけて、水を加えると、あれまあ綺麗な色水が。
  のい のはオレンジ色にしたらば、「のみたいー」と泣かれて困った。
  終了後は、砂場で遊んでいるのを捕まえて、車で美術館へ。ボランティア会報の仕上げ。
  とはいえ、私は下手なフリーハンドで紙面を汚す以外は、のい の相手をしながらの口出しが主。
  のい は昼寝もせず、箱や鉛筆削りやホワイトボードで遊び、館内を散歩し。
  前回の『アート循環系サイト』展での、館内のインスタレーションの配置をよく覚えていて、
  「犬がいないねー」「パンおじさん、ないねー」。私が「つくった人の所に帰ったんだよ」と説明すると納得した。
  会報の印刷のため事務室に連れていくと、のい は、たくさんの機械に興味津々となっていた。
  特に、印刷された紙が排出されるときは、真剣に見ていた。
  メンバーと「M子ちゃんのくつと、のい のくつと、同じ色だけど、ちょっと同じ色じゃないねー」などと話し、
  他のメンバーが「M子ちゃんって、だれ? どこのお友達?」。
  のい が、人生の大先輩たちを、ちゃん付け で呼んでいるのだと分かって、大笑い。



2002年7月24日(2歳11ヵ月17日) パークプレイス+お寺
  午前中パークプレイスへ。のい の水着を探したが買えず。いま丁度、赤ちゃんと幼稚園児との間なので
  商品自体も少ないのかも。ブカブカか小さいか。あるいは、私がいいと思っても、のいの気に入らないか。
  のい も好みがはっきりしていて、嫌なものは頑として首を振らないんだから。……私にそっくりだ。
  (結局、オムツ用水着を縫い縮めて、着用することにした)
  疲れたのでマクドナルドでソフトクリームを食べさせたら、隣のギャル2人が、のい を見て「かわいー」。
  だけではなく、携帯電話で写真まで撮っていたので、私がギロリと見たら、のいに向かって
  「ごめんなー勝手に盗撮して。消しとくけんね。ごめんなー」と言っていた。変なの。
  帰宅して、昼寝の後、汗ビッショリの のい を素っ裸にして風呂に入れようとしていたら、
  Yくんとそのママが来てくれた。ちょうど夫の実家から丹精込めた野菜が届いたところだったので、おすそわけ。
  二人が近所に用足しに行った後、のい は小学生たちと外で遊んでいたが、またオイテケボリをくらって、大泣き。
  「公園に行きたい」というので、三輪車で公園に向かっていたら、再びYくんとそのママに会った。
  近所のお寺で遊ばせるというので、一緒に行った。一週間違いで生まれて背格好も同じくらいの2匹の小猿が、
  お寺の境内を、はしゃぎながら、怪獣ごっこしながら走り回るのは、なんとも可愛かった。
  お地蔵さんの台によじのぼって、お地蔵さんを「よしよし」と言いながら撫でているのには、参った。



2002年7月23日(2歳11ヵ月16日) モデルトレイン+プール
  荷揚町小学校の体育館で、モデルトレインの運転会が行われたので、のい を連れて行ってみた。
  本物の大分駅の駅長さんの合図で出発。8畳くらいはあるだろう台の上に、230両以上の模型電車が並び、
  走り回っていた。のい は茫然と見ていたが、あまりの暑さに「プールに入りたい」。
  隣の府内子どもルームの、子供用プールへ。服を脱いで、ドイツで買ったオムツ用水着を初めて履かせて
  ドボン! 水を自分の頭にかけたり、手をついて腹ばいになって浮いてみたり、思いっきり遊んだ。
  しかし、先に入っていた4歳の女の子に抱きついたり、水をかけたりして、「だめー」「いやー」と
  叫ばれていた。その子のお母さんが「好き好き、一緒に遊ぼうよってしてくれてるのよ」ととりなしてくれて、
  プールから上がった後は、女の子から笑顔もかけられていたが、のい の興味はもう別のところ。薄情な。
  オムツ用水着は、中に水が溜まると、水風船状態になってしまい、かなり格好悪かった。
  その後、室内では、よそのお母さんの膝に座ろうとしたり、走り回ったりして楽しんでいたが、
  便意を催しては、和式便器におののいて引っ込め…というのを繰り返したのと、
  眠くて機嫌が悪くなってきたのとで、強引に家へ連れ帰った。帰るときがいつも大騒ぎで嫌になる。



2002年7月22日(2歳11ヵ月15日) くすり好き
  のいの咳を診てもらおうと、いつもの小児科(開業医)へ。今日も幼児で大繁昌。さすが高額納税者。
  医師の見立てでは、やはり大したことはなし。が、とにかく咳がおさまらないと次の検査ができないので、
  薬は出してもらった。薬なんて、ドイツでのんでた ビタミンD+フッ素 の錠剤以来じゃないか。
  シロップと粉薬、どちらにするか迷ったが、粉薬を試してみることにした。
  待合室の玩具でもっと遊びたいと言って帰らず、泣きながら隣の薬局へ。薬局でもまたそこの玩具で遊び、
  なかなか帰ろうとせず。どうやら私と同じで、痛くても泣かないが、悔しいと泣ける性格のようだ。
  自分が組み立てていたブロックの部品を、赤ちゃんが握り込んで診察室にもっていってしまったときは、
  「もっていかれちゃったー」と大泣き。その子のお兄ちゃん(のいより少し上か?)が優しくて、
  わざわざ取りかえしてもってきてくれた。彼はきっと、わけのわかってない妹との日々のバトルで、
  いい方向に鍛えられたのであろう。弟妹ができると、やたらと「ダメ」と叫び攻撃的になる子が多いのに。
  さて意外にも、のい は粉薬を嫌がらずにのみ(オブラートなども使わずに)、どころか気に入ってしまい
  「もっと、おくすりのむー」と泣き叫ぶのには参った。仕方ないのでアイスクリームでなだめて。なんじゃこら。



2002年7月21日(2歳11ヵ月14日) 作詞作曲+再生
  朝、私は寝不足でフラフラ。夫が午前中、のい を公園に連れ出してくれた。ていうか、喧嘩腰で送り出し。
  昼前に2人が戻ってきて、夫は仕事へ。のい は「とーってもたのしかった」と言った後、
  炎天下で疲れたのか、昼食もとらずに3時間も昼寝。その間に私も物事を片付けられて、リフレッシュできた。
  起きたらごきげんで、のいは ♪ぼくがーいたずらしてー おかあさんにおこられーるのおー♪ などと、
  模造紙を丸めたのをギター風に抱えて、鼻歌風に歌っていた。おお作詞作曲だよ。将来が楽しみだ。
  夕方、自転車で市民図書館へ。のい は絵本のコーナーで勝手に楽しんでいた。
  よそのお母さんが読み聞かせをするのに聞き入ったり、ほかの子に話しかけたり。
  絵本のフレーズや、私の話した内容、さらに怒鳴った内容まで、のい が一度で覚えてしまうようになり、
  何時間もたってから、正しく再生するので、ビックリ。気を付けなくては。
  再生できるんなら、一度注意したことは、ちゃんと実行してくれればいいんだけど……。それはまだ無理か。
  松永真理さんの『iモード以前』を借りて一気読み。力一杯働いていた感じを思い出し、元気が出た。



2002年7月20日(2歳11ヵ月13日) 
  なんなんだ海の日って。長野や山梨や群馬や栃木の人は怒らないのか? 変な祝日。夫は研究室籠り。
  今日から小学生たちは夏休み。子供の声が聞こえると、のい が外に出ていきたがるので、また腹が立つ。
  風呂のすのこ を取り替えたり(のこぎり使って洗い場ピッタリにしてみたりも)、換気扇を掃除してみたりするも、
  結局やはり、夕方には疲れて、ストレスでわめき散らし、泣く。のい じゃなくて私が。
  部屋を散らかされたり、糊を大量に出したまま放置されたり、そういうので、すぐぶち切れてしまう。
  さらに夫が帰ってくると、あからさまにわめいてしまう。夜は、いつまでも寝つけず。悪循環。



2002年7月19日(2歳11ヵ月12日) 仕事に出ているほうが楽
  疲れた。図書館で借りた本(『新版 お母さんのカウンセリング・ルーム』 三沢直子/著)の中に
  「公平に判断して、仕事と家事育児とどちらが楽かと言いますと、子供が入園するまでは、
   確実に仕事に出ているほうが楽です。それは両方やってみるとすぐに分かることですが、
   まだよくわけのわからない子どもを相手に一日中振り回されたり、山のようにある家事を
   毎日繰り返し行っているよりは、少なくとも言葉が通じて、一応の社会性を身に付けているおとなを相手に、
   一定時間決まった仕事をこなし、それが終われば自由となる、そしてそれにたいしての評価や報酬が得られる
   というほうが、どんなにいいことでしょう」
  ……と、サラッと書いてあった。自分の薄々感じていたことを代弁してもらって、泣いてしまった。



2002年7月18日(2歳11ヵ月11日) 「やしゅこしゅ」でお利口のい…でも
  県立病院へ。もうすぐ3歳になるので、例の診察。今回は、のいの首部分のエコーも撮影された。
  予約時に「じっとしていられない場合、お尻から薬を入れて眠らせる」と予告されており、
  それに備えて、3時間前までに食事を済ませ、2時間半前以降は水も与えるのを禁じられた。
  しかし、病院に到着した のい の様子を見た放射線科の看護婦さん(予約時の人と違い、子供好きそう)が
  小児科に相談に行ってくれて、眠り薬無しで撮影してみることになった。
  いつも頼りになる、小児科のH看護婦さんが「薬なしで大丈夫じゃないかしら」と言ってくれて、
  のいの手をとって「じっとできますね。約束ですよ」。それで、のい もその気に。
  (どうもこれを契機に「約束」という言葉が、のいのブームに。しかし「やしゅこしゅ」と間違って言う)
  おとなしくベッドに横たわり、エコーのモニターを見て、「のい が、うつるの?」と興味津々。
  担当の医師も「きみは、何が好き?アンパンマン?トーマス?」などと話しかけてくれて、リラックス。
  エコーのためのジェルを塗られると、冷たくて気持ち良いのか、うひゃうひゃ喜び、
  モニターに映る自分の首の中を眺めながら、楽しんでいた。結局、眠り薬なしで出来た。よかった。
  次は、小児科での診察。待合室で思いっきり遊んだ後、診察室へ。
  身長体重の増え具合にも問題はなく、特に気になっていることも無く、医師も「今日が最後になるでしょう」。
  採血の際には、前に電話で私が訴えたこと(バスタオルぐるぐる巻きは、子供が怖がる)を覚えて下さっていて、
  医師自らが、のい をダッコして下さって、大人と同じような普通の方法で採血された。
  のい は泣きもせず、目をしっかり開いて、自分の腕に針が刺さり、血が管を通っていくのを観察していた。
  医師も看護婦さんも大いに褒めてくれた。「エコーも採血もおりこうにできて、100点満点ね」。
  「前回(昨年12月)も、この方法だったら怖くなかったかもね。ごめんね」。
  血液検査の結果は1時間ほどで出るというので、昼食を買いに売店へ。記念撮影のための使い捨てカメラも。
  のい が光庭に面したベンチで、大口を開けてオニギリをほおばっていると、
  H看護婦さんが通りかかって、「良く頑張ったごほうびですね」と声をかけてくれた。
  お昼過ぎ、「これで最後だわ!」と意気揚々と診察室に入ると、医師の顔が曇っている。
  血液検査の数値が、まだ正常値になっていなかった。
  単に体質的にズレがあるだけなのか、身体に本当に問題があるのか調べるため、負荷試験を行うべきという。
  ……がっくり。こんなに、普通より元気で発達のいい子の、どこが悪いんだ。
  たかが20年前から始まった検査だ。ドイツの基準では「何も問題ない」と言われていたのに。
  新生児時に検査で引っ掛かったときの落ち込みが、またぶり返してきた。



2002年7月17日(2歳11ヵ月10日) 
  気晴らしにご近所ドライブ。新古本屋で、気晴らし本を買う。
  のいは夕方、子どもたちの遊ぶ声に反応して外へ出ていったが、アパートの小学生の誕生パーティーだったらしく、
  普段見かけない小学生たちに相手にされず、オイテケボリを喰って、泣きながら帰ってきた。



2002年7月16日(2歳11ヵ月9日) 
  美術館へ。ボランティア会報の打ち合わせだったが、どうもいまひとつ調子が出ず。
  ボランティア室に居る時間の7割方は、のい の相手をしていたような。何しに行ったのかと落ち込んだ。



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