2歳児との暮らしつれづれ
2002年7月前半(2歳10〜11ヵ月)



2002年7月15日(2歳11ヵ月8日) 
  量販店にて、のい用の浮き輪を買った。今年はプールデビューなるか?
  店の入口に、プラスチックのちゃちな玩具が並んでいて、子供たちは釘付け。のいも仲間に入って、
  あれがいいだの、これがいいだの。私が「今日は買わないのっ!」と言っていると、
  レジの人が出てきて、「どれが欲しいの? お父さんに『◯◯で玩具買うて』って頼んじょきよ」
  と、のいに入れ知恵をしていた。入口のガチャポンもうっとおしい。でも、のい はあっさりしたもので、
  目の前から玩具が見えなくなると、ケロッと忘れて別のことに興味を示していた。
  のいの最近の口癖は「大きくなったら、幼稚園行って小学校行って、それから自転車に乗る!」



2002年7月14日(2歳11ヵ月7日) 
  日曜だが夫は研究室へ。県立図書館で、絵本読み+食事と、夫と同じく、のい向けメニューをこなす。
  駐車場を出たら「公園で船に乗りたーい」。ピンと来て、近くの公園の長い梁のブランコへ。
  炎天下で誰も子供はいなかった。浮浪者風のオジサンとトンボの大群ばかりの公園を、
  のい は、隅から隅まで元気よく走り回っていた。気の済んだところで、また車に乗せてドライブ。
  すぐに眠ってしまった。郊外のショッピングセンターに着いて、眠ったまま乳母車に乗せて歩いたが、
  眠ったまま全ての買い物を終え、駐車場で再び車に乗せるまで熟睡していた。



2002年7月13日(2歳11ヵ月6日) 血糖検査
  午前中、夫に のい をみてもらって、朝食抜きお茶持参で血糖検査へ。
  検査用の飲料を飲んだ後、30分ごと2時間に渡って、採尿と採血をした。
  結果は、恐れていた糖尿病ではなかった。
  医者からは「もっと食べ込みなさい」と、親戚のおじさんのような助言が。食べてるつもりなんだがなあ。
  それじゃあってんで、夕食には、九州名物・豚バラの串焼き(脂タップリ)を食べてみた。



2002年7月12日(2歳11ヵ月5日) 
  子どもルームへ。異様に防衛本能と闘争心が発達している女の子がいて、のい のやることなすことにキイキイ叫び、
  歯をむき出して「ダメー」と食ってかかる。目に余るので思わず「なんでダメダメ言うの!」と叱りつけた。
  どうやらほとんど同じ歳らしい。赤ちゃんを抱いた母親は「もー女の子なのに気が強くてー」と言っていたが、
  単に気が強いというレベルじゃないと思った。下の子が生まれて、ねじ曲がっちまったのか。
  大声上げて愉しそうにしている のい が、目障りなのか。そういう嫉妬心って2歳児にも有るのか?
  とにかく、彼女のそばに近づくとこちらがイライラするので、できるだけ別の部屋に行くように心掛けた。
  母親たちは常連同士で盛り上がっており、子どもの話か世間話ばかり。とてもとーてーも退屈。
  ただ一人、本を読みながら子どもを見ている母親あり。ワタシも本を持ってくりゃよかったと思った。
  疲労とストレスによる例の腹痛を起こしそうな気配を感じたので、隣のアートプラザ内の
  カフェ・アートブラザーに避難。『アート循環系サイト』展の作品を眺めて、エスプレッソを飲んで帰った。
  のい は、これが初喫茶店か? 太郎千恵蔵氏の“エイリアン”を探しては「いたねー」とニコニコしていた。



2002年7月11日(2歳11ヵ月4日) 百人力工場
  昨日見のがした『アート循環系サイト』の百人力工場を、今度はちゃんと見に行った。
  とはいえ、ここの展示について、のいは「飛行機の影がこわかった」と常々話しており、
  入りたがらない可能性が高い。何しろ元は軍需工場という古い鉄筋コンクリート造。
  いま流行りの廃虚に近い雰囲気で(実は今も焼酎を製造しているのだが)、かなりコワイ雰囲気。そこで
  昼食後すぐ車に乗せて家を出発、眠り込んだのを抱いて、鑑賞する作戦に出た。大当たり。
  飛行機の影も精神病棟の写真も孔開き鉄扉も面白かったが、ハイライトは、2階の原口典之氏の油の作品。
  和室の床いっぱいに油が敷き詰めてある。案内係の人によれば、建物が古いため会期中に油がしみ出してしまったとか。
  1階の、水を床いっぱいに張った作品も面白かった。薄暗く歴史と湿気のしみ込んだ部屋が何よりの舞台装置だった。
  やはり会期中に、床の凹凸から防水シートに空気が入り込み、途中に島ができてしまったとか。
  全部見終わって、ついでに戦争中に描かれた迷彩模様の外壁を見せて貰っていたら、やっとのい が起きた。
  帰りに隣の大型スーパーに寄ったら、子連れの人は殆どヤンママ風で、うちの近所の地味さと対象的でびっくりした。



2002年7月10日(2歳11ヵ月3日) これ、どこで買ったの?
  夕方、『アート循環系サイト』の百人力工場の会場を見に行くが、ここは他より閉館時間が早く、
  我々が到着したのは、ちょうど電源を切ってカギを閉めようとしているところだった。
  この焼酎工場の杜氏さんが、気の毒がって、特別に中を見せてくれた。ただ電源を切ってしまっているので、
  光と影の作品はまったく見ることが出来なかった。とても残念。
  ホームセンターで植木の支え棒を購入。これで、セミ取り専用網をつくるのだ。
  のい は棒を持って「はやくセミ取りつくろうねー」と言っていた。
  カメラ屋さんでは、W杯の販促用とおぼしきビーチボールをいただいた。
  プレゼントしてもらったものは大抵誰にもらったのか覚えていて「これはSちゃんにもらったの」
  「これはカメラ屋さんのお姉さん」などと正確に話す。
  そして親の私たちの持ち物について、いちいち「これ、どこで買ったの?」と質問してくるのには参る。



2002年7月9日(2歳11ヵ月2日) ファミリーサポートセンター
  夕方、市役所に出向いたついでに、子どもルーム内に新設された「ファミリーサポートセンター」へ。
  子供を短時間預かって援助する市民と、援助を依頼する市民をコーディネートするところができたらしい。
  これまでの大分市の対応の流れからは、考えられない制度だと思っていたら(まず血縁任せ、市は面倒見ず)、
  やはり国の施策だったか。とりあえず、話を聞いて登録だけしてみるか、と行ってみたが、
  預ける側の登録書類に「持っている資格」など、意味のない欄があり(親の資格に何の関係が?)、呆れた。
  また、チラシでの甘言とは違い、やはり仕事をもっている親を優先に考えられているように思われた。
  対応してくれた方は、丁寧に真面目に対応してくれたが、この制度、市自体が積極的に推進しているのではなく、
  他の自治体に遅まきながらも足並みを揃えたという既成事実をつくりたいだけ……と思うとやりきれなかった。
  正式登録のためには、説明会への出席が必要条件だが、初回の説明会の日には、私は通院の予定が。
  そのまた次となると、2ヵ月も先である。市のやる気のなさは明らかだと思った。
  後で、私も彼女と同じ美術館ボランティアだと明かすと笑いも出たが、ベースの気分はどんより。
  のい は、私が書いたり話している間、文房具をいたずらしていた。子どもルームを閉めて戻ってきた先生が
  「のいくん、ひさしぶりねー」と声をかけてくれて、少し遊んでくれた。



2002年7月8日(2歳11ヵ月1日) 医者へ
  疲れて仕方ないので、近所の医院で診てもらった。その間、のい は看護婦さんに遊んでもらっていた。
  エコーで腹部を見た結果、心配していた胆石はないことが分かった。採血してもらった。
  近所の小学生の一人が、元気そうなのに学校を休んで、診察を受ける祖母と一緒に来ていた。
  医師の声が大きいので、ネブライザーをしている彼女らに、会話の内容が筒抜けなのが、嫌な感じ。
  でも近所で便利な医者なんだから仕方ない。待合室でも近所の人に会い、持病話。田舎の診療所って感じ。
  日を改めて、血糖検査をすることになった。



2002年7月7日(2歳11ヵ月0日) 
  しんどくて、1日中寝ていた。
  小学生たちが窓ごしに「のいくーん」と呼びに来るので、うっとおしいこと甚だしい。



2002年7月6日(2歳10ヵ月29日) 子供と絵を見るスタイル/長浜神社のお祭り
  美術館ボランティアの当番日。相方の人は欠席だった。
  ボランティアの札を提げて館内を研修のため見て回っていたら、よその子連れを見つけてのいが大はしゃぎ。
  注意してもきかず、走り回って興奮するばかり。とうとう、特別展入口の監視の人が仁王立ち。
  のい を子どもたちから引き剥がし、物蔭で両肩をつかんで目を見て
  「美術館では大きい声を出したり走ったりしたらいけないの! 騒いでいたら、もう美術館に来れないよ」
  と話していたら、相手の親が「おお、コワ!」と首をすくめて去っていった。いやらしい。
  それでも、のいがまだ泣いて走ろうとしたので、横抱きにしてボランティア室へ。私も半ベソ。
  閉じ込めて、分かるまで泣かせた。泣き止んで、「もう騒がない」と約束したので部屋から出した。
  さっき仁王立ちになっていた監視の人に謝りに行ったら、にっこり笑って、両手を背中で組んで見せて
  「絵はこうやって見るといいですよ」と、のい に教えてくれた。
  親子共々、ひとつお利口になって、新たな気持ちで特別展を見たことだった。
  夕方、夫とのいと3人で、長浜神社のお祭りへ。お神楽に、豚バラの串焼きと、神社横のさつま揚げだけは、
  毎年必ず。今年はそれに、のい の金魚すくい と アイスクリームが加わった。
  毎年同じく歩行者天国になっている通りが、もの凄い賑わい。子連れなので、明るいうちに帰路に着いた。



2002年7月5日(2歳10ヵ月28日) 初めての日本の地下鉄
  飛行機で大分へ。本来なら、近鉄+空港バスが一番、空港までの最も速いルートなのだが、
  電車好きの のい のために、近鉄、地下鉄御堂筋線、大阪モノレールを経て、空港へ。
  近鉄では、実母(のい はS子さん と呼ぶ)に抱かれ、先頭車両の先頭で、たくさんの電車を見て興奮。
  それで疲れたのか地下トンネルに入るころには、眠ってしまった。
  せっかく、いつも絵本で見て憧れていた、日本の地下鉄に乗せてやろうと思ったのに、なんてこった。
  梅田で途中下車して、ホームのベンチに座っていたら、やっと目を覚ましたので、再び乗車。
  のい は、寝ぼけているのと、電車に乗っているのに集中しているのとで、ほとんどしゃべりもせず。
  モノレールでも、先頭車両の先頭のイスに立って、かぶりつきで見ていた。
  手荷物検査所のなかから、入口外で見送っているS子さんに、のいが大声で「バイバーイ」と叫んだ。



2002年7月3,4日(2歳10ヵ月26,27日) 志摩スペイン村
  実父母と、のい と4人で、近鉄特急の「伊勢志摩ライナー」に乗って、志摩スペイン村へ。
  「こういうところは子連れじゃないと行けないからね」というので。たしかに。
  8年前の開業直前に、仕事で訪れて以来。自慢のはずの白い壁が、だいぶ汚れたなあー。
  のい は、テーマパーク内をゆっくりと遊覧走行するミニトレイン(踏切が可愛い)を
  えらく気に入ってしまった。「また明日乗れるからね」と言っても、
  淡々と「明日じゃない方がいいと思うなあ」と主張。
  (この「明日じゃない方がいいと思うなあ……」、実父母が大変面白がって、
  その後、家庭内流行語になっていたらしい)
  結局、1泊2日の滞在中、のい は、そのミニトレインに4回も乗った。
  野外劇場でのサーカスや芝居、広場でのパレードなど、のい は、すっかり集中して見入っていた。
  のいは、ここスペイン村で、生まれて初めて「かき氷」を食べ、すっかりはまってしまった。
  祖父の看病のためスペイン旅行への参加をとりやめた父は、スペインの歴史博物館が良かったと言っていた。
  私としてはテーマパークより、開業数年後に沸いた温泉がよかった。肌がつるつるになるし。
  60代の父母より、自分の方が疲れているのが、どうも気になる。だめすぎる。



2002年7月1,2日(2歳10ヵ月24,25日) 英語?
  私の実父母、実妹と生後9ヵ月のIちゃん、のい の6人で、奈良の赤ちゃんホンポへ。
  Iちゃんが喃語で懸命に何か主張していた。それに耳を傾けていた のい が
  「Iちゃん、英語しゃべらないで!」。爆笑。
  理解できない言葉は、彼の中ではすべて「英語」にされてしまうらしい。
  翌日、実妹とIちゃんは関東に帰っていった。皆で伊丹空港まで見送り。
  その後、母方の祖母に会いに行った。久しぶりなのに、声をかけるとすぐ私と分かってくれて嬉しかった。
  帰りに試しに血圧計に腕をつっこんでみたら、100を切っていてショックを受ける。
  夜中に、のい が寝ぼけて泣き叫んでいるのに、2階で寝ていた実父母が驚いて、階段を降りてきた。
  隣にいる私はまるで起きられず、2人はあきれるばかり。
  「こんな酷いお母さんでも、子どもはお母さんが一番好きなんだから」と言われた。



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