誓い

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呪詛を受けた風早が中つ国を去った後、千尋の周りからは次々と仲間達が姿を消して行った。
アシュヴィンは遠夜を連れて常世に帰り、サザキ達は船を貰って海へと出て行き、道臣と布都彦は地方から復興を支援するために筑紫へと帰って行った。
近くに残ることが出来たのは柊と忍人と那岐だけである。彼等は、傷心の千尋を懸命に支えた。
橿原宮が落ちた時に、多くの官人も被害に遭っている。おかげで、国の再建は困難を極めた。
生き延びた者達を呼び集めるにも時間が掛かるとあって、施政を円滑に進めるべく柊は身を粉にして働いた。
忍人も改めて軍を再編する一方で、物理的な再建が必要な所には惜しみなく兵達を工夫代わりに差し向けた。
那岐は橿原宮を離れることの出来ぬ千尋達に代わって、遠出することが多くなった。
そうして失意の中で懸命に顔を上げて頑張っている女王に、周りの者は少しばかりの休息を勧める。その好意により、千尋は忍人と二人きりで桜を見に行き、そこで互いの気持ちを確かめ合ったのだった。

しかし、その悦びも束の間のこと。千尋の心は一転して怒りと不安に支配されることとなるのだった。
まずは、何かにつけて千尋のことを侮り柊を悪しざまに言っていた高官達が、相次いで体調不良を訴えて出仕して来なくなった。
本当に体調が悪いのなら仕方がないのだが、探りを入れてみると、これがどうも仮病らしい。つまり、一種のストライキだ。だが、具合が悪いのだと言い張られれば、それまでだろう。いっそ馘首にしてやろうかと思わないでもなかったが、それでは本当に病気で療養が必要となった官人が出た時に悪しき前例となってしまうので、これは避けたい。さりとて、いつまでも責任者不在では各部の業務が滞ってしまう。そこで、やんわりと引退を示唆してみたが、当然のことながら彼らは承諾などなかった。
更には、宮内で妙な噂が蔓延し始めた。
「高官達は何者かに呪詛をかけられているらしい」
「何者かが高官達に毒を盛ったらしい」
「国を裏切った者が橿原宮で大きな顔をしている為に、龍の怒りが災いとなって中つ国に降り注ぎ、高官が次々と倒れているらしい」
誰と名指しされていなくても、諸悪の根源とされているのは柊なのだと解らない者は、この橿原宮には居ない。
まったく、とんでもない言いがかりである。ちょっと考えれば、おかしいと気付きそうなものだ。
彼らが呪詛などであっさり倒れるようなら、彼らに蹴落とされた者達からとっくの昔に呪殺されている。毒だって、警戒を怠ることなく常に毒見役が付いているのに、当人達のみで複数の被害者が出るなど考えられない。そして、龍の怒りだと言うのなら、それこそ裏切り者本人に神罰が下るだろう。
しかし噂は噂を呼び、そこに様々な思惑も加わって、いつしか一つの大きな流れとなって巷を席巻した。裏切り者を重用する女王に対して龍神が怒り、龍の声を聞けぬ女王にそれを示す為に重臣達に祟りを為したと言うのである。
その噂を真に受けて、件の高官達の周りに居た者達は呪詛の余波や祟りに触れたような気がして生気を失って行った。正に、”病は気から”である。
こうなっては、呪詛や祟りなどないことを証明するか、あったことにしてそれを鎮めるかのどちらかしか道はなかった。

柊は、自分が橿原宮に留まれば何らかの騒動が起こるだろうことは予測していた。
姫の傍に居れば、その足枷となりかねない。早々に姿を晦ましてしまえば、このような事態は避けられたことだろう。それでも、今生の姫は風早を失った悲しみが深く、傍を離れることなど出来はしなかった。 もしも自分の所為で姫が苦境に陥るようならどんな手を使ってでも救い出すべく、情報収集を怠ることなく万事備えて策を練っていたつもりだったのだが、ここまでバカバカしく大掛かりな間接攻撃を喰らうとまでは思いもしなかった。
柊はそこかしこで「とんだ言いがかりです」「私の所為で龍神がお怒りであるのなら、私自身が真っ先に祟られますよ」と零して回った。
千尋に好意的である兵士達も同様のことを仕事中のちょっとした私語や酒の席での軽口として語り、「本当に龍神の祟りなら、祟られるだけの理由が当人にあったのではないのか」などの話も飛び出し、それを耳にした者の中には高官達に疑惑の目を向ける者も増えて行った。
しかし噂に踊らされる者は後を絶たず、中には呪詛や祟りを解かんとして柊を消そうとする者達まで現れる始末だ。
確かに柊も、このままでは拙いという気はしていたし、最終的には自分の命をもって騒ぎを鎮静化するしかないと考えていた。しかし、忍人のおかげもあってか旅中のような強さを取り戻しつつある姫ならば、もう少し粘れば彼らの目を覚ますことが出来るのではないかとの期待もあって、それには承知出来なかった。
彼らが「祟りなどない」と言う女王の言葉を聞かないのは、龍の声が聞こえぬ異形の姫という烙印の所為だ。
共に戦ってきた兵達は、二ノ姫がその巫力で強力な荒魂を浄化するところを何度も見たし、最初こそ覚束無かったものの正真正銘自ら軍を率いて戦い抜いて味方を勝利に導いたことは疑いようがなかった。
しかし、それを目にしていない官人達からすれば、そんなことは信じ難かった。自ら兵を率いて最前線で戦い抜き四神の縛めを解き敵国の皇子の心さえ掴み橿原宮を取り戻してついには禍日神さえ倒したなどという話は全て、政に必要な勉強など一切していなかった出来損ないの姫を女王として戴くにあたって、周りの者達が実しやかに広めた作り話だと思い込んでいる節がある。今も龍の声を聞くことが出来ない女王に、荒魂を浄化出来るような巫力などあるはずがない、余計なことはしないで政は自分達に任せてとにかく一人でも多くの子供を――特に姫を――産むことだけしてくれればいい、などと話している輩も数多く居るくらいだ。その内の数人はそれを運悪く忍人に聞き咎められて、一瞥されただけで身体中の血が凍りついたようになりショック死しかけたようだが、そんなものは氷山の一角だろう。

そしてとうとう、疑惑を真実と盲信した者達を抱き込んで、柊を排除すると同時に女王の権威を失墜させようと企む者まで現れた。
幾度も審議の場が設けられ、柊にも弁明の機会が与えられたが、そんなものは形ばかりに過ぎない。
かつてのような輝きを取り戻しては来ていても、審議の場において立場上柊を庇い立て出来ないことに苦悩し沈黙を貫いている女王の姿は、先入観に囚われた官人達の目には、自分では何も出来ないようにしか映らなかった。
それでも、もう少し…。そう考えていたのだが、彼らは柊の考えなど及ばぬくらいに、まともな思考を持ち合わせていなかったのであった。

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