霊鎮め

-3-

千尋の手前また素知らぬ顔で仕事に戻った忍人だったが、足往の容態が心配で仕事は遅々として捗らなかった。
ただでさえ衰弱していた身体を思いっ切り投げ飛ばして、岩壁に叩きつけてしまった。普段の足往ならば取れたはずの受け身も取れず、祖霊の支配下にあった身体は無防備に岩壁に激突し、そのまま落下した。酷い出血は見られなかったものの、足往の身体は心臓が止まるくらいの衝撃を受けたのだ。息を吹き返したとは言え、予断は許さない。
急ぎ足で近付いて来る柊の気配を感じて、忍人は悪い知らせではないかと身を震わせた。
「足往が目を覚ましましたよ」
「…そうか」
「嬉しくないんですか?目を覚ましたのは、ちゃんと足往なんですけど…」
「えっ!?」
弾かれたように立ち上がった忍人が急ぎ枕元へ駆け付けると、足往が彼らしい笑顔で迎えてくれた。
「忍人様…おいら頑張って、あいつを追い出してやりました」
「追い出せた…のか?」
「はい」
元気よく返事をする足往を見て、忍人は安堵のあまりその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
「ふふふ…愛されてますね、忍人」
訝しげな顔で仰ぎ見ると、柊が楽しそうに説明してくれた。
「足往はね、身体を乗っ取られてからずっと、奴を追い出そうと戦い続けてたんです。ただ、なかなか上手くいかなくて……何しろ、こういうことに関しては素人ですからね。修業を積んだ術者と憑坐ならば、逃げようとする霊を引き止めることも、居座ろうとする霊を弾き出すことも出来るのでしょうが、素人には勝手が解りません。ところが、あなたに対してあの言葉です。あれが禁句だってことは足往もよく知ってますからね。忍人様に何てこと言うんだ~、って怒りが爆発したそうです。あなたに投げ飛ばされて一時的に心臓が止まったことも幸いしたようですよ。ほら、憑依した肉体に死なれたら祖霊だって困るでしょう?それで浮足立ったところを、足往に追い立てられて弾き出されてしまった訳ですね。占の結果、もう居ないとのことでしたので……那岐に霊送りの祝詞を唱え続けてもらった甲斐があってか、近くに他に憑依出来る相手が居なかったおかげか…何はともあれ、帰ってくれたのでしょう」
「そうか…。では、足往はもう大丈夫なんだな?」
忍人は、”災い転じて福を成す”とはこういうことを言うのだろうか、と思った。うっかり足往を投げ飛ばしてしまったが、それが功を奏したのならば悪いことばかりではない。しかし柊は、ホッと一息ついた忍人をからかうように言う。
「まだ、大丈夫、とは言えませんね」
忍人の問うような視線を受けて、柊は続けた。
「背中の酷い打撲を始め、各所に多くの打撲が見受けられます。背中に関しては、子供とは言え狗奴が一撃で心停止したくらいの衝撃を受けた訳ですから、それで済んだのが奇跡みたいなものですね。背骨が折れていなかったのが不思議なくらいです。それから、あばらが3本折れてます。これは、心拍回復処置に因るものでしょうね。少なくとも骨がくっつくまでは安静にしている必要がありますが……どうします?全部、あなたが負わせた怪我ですよ、忍人」
「うぅっ…すまない、足往。責任は取らせてもらう」
何だか、大事なお嬢さんを傷物にしてしまった男のような物言いに、柊が面白そうに応じる。
「おや、どのように責任を取るつもりですか?」
「まずは、動けるようになるまで足往の世話をする人員を確保する。千尋に本当のことを知られないように…怪我の原因を誤魔化す為の関係者の口裏合わせをして……回復したら復帰訓練は逐一俺が指導しよう。他にも何か出来ることがあれば…」
忍人が滔々と並べ立てると、柊が満足そうに頷き、復帰訓練を忍人自ら指導してくれると聞いた足往が嬉しそうに耳をピンと立てて目を輝かせた。
「結構ですよ、忍人。足往も…良かったですね。責任を取って一生うちで飼わせていただきます、なんて言われなくて…」
「おいら、犬っころじゃないぞ」
「そうだぞ、柊。足往は形は小さくても誇り高き狗奴の戦士だ。まだ半人前だが…莫迦にすることは許さない」
忍人の言葉に、足往はまたも嬉しそうに満開の笑顔を浮かべた。

「それで、結局千尋のドジのツケは全部忍人と足往が支払った訳ですか?」
「そうなりますね。口裏合わせに関しては、私に知恵を借りる始末です。ですが、被害者が忍人と足往だけで済んで良かったではありませんか。この二人なら、我が君の為に喜んで身を擲ってくれますよ」
柊は、涼し気な顔で言って退ける。
「夫婦と言えば一心同体。まだ婚約中ではありますが…忍人は未来の夫。その忍人が我が君の不始末の責任を負う分には、問題ないでしょう?それに私だって鬼ではありません。今回授けた知恵は、姫の憂い顔を見ない為のものですから、貸しは帳消しにしてあげました。主君の失態を闇に葬るのも下僕の大切な務めです」
「たまには柊も良いところを見せるんですね」
「ええ、たまには……って、失礼ですね。そもそも事の発端を思えば、忍人じゃなくて風早、あなたが真っ先に責任を取るべきなんですよ。我が君があんな読み間違いを犯したのは、あなたの教育不足としか言いようがありません。なのに、一人だけ随分と楽をして…」
忍人は未来の妻のツケを引っ被り、柊は主君の失態を闇に葬ったと言うのに、親代わりの風早はちょっと調べものを手伝っただけだった。あの面倒くさがりの那岐でさえ、全身全霊で霊送りの祝詞を唱え続けるという大役を果たして、目を回すくらい頑張ったのに、風早は大した働きをしていない。
痛いところを突かれて、風早は誤魔化すように苦笑して見せる。
「何にしても……丸く収まって良かったですね」
「ええ、辛うじて…。二度とこのようなことがないように、我が君にはしっかりお勉強していただきましょう。あなたも、せめてそのくらいは役に立ってくださいね」

-了-

《あとがき》

千尋が霊鎮めの祝詞を間違えて、祖霊が足往に憑依して、さぁ大変ってお話。
忍千だけど、忍人+足往です。そして、相変わらず柊多めで、忍人さんは貧乏籤体質(^_^;)

忍人さんに対して「身体が欲しい」「身体を貰う」等は禁句です。特に、耳元で言うのは最悪です。
全然違う意味で発しても、忍人さんは過剰な反応を示します。
そんな忍人さんが大好きですvv

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