霊鎮め

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橿原宮で、霊鎮めの儀式が行われた。
壇上では女王である千尋が厳かに祝詞を唱えている。その周りを補助を務める狭井君と数人の采女、一段下がって忍人を始めとする護衛の者達が取り巻いていた。護衛の中には、強引に割り込んだ風早と柊も混じっている。
儀式が進んで行く中、柊が表情を曇らせた。忍人は警戒を強めたが、特に危険な気配は感じなかったし、柊の視界に入る辺りを見遣っても怪しいものは見受けられなかった。柊も、忍人の視線に気づいてすぐに表情を戻す。気にはなったものの、儀式の最中に問い質す訳にも行かず、忍人は千尋の護衛に専念することに立ち戻った。
それから程なく、離れた場所で小さな騒ぎがあったものの、儀式は滞りなく終わった。

「柊…儀式の最中、一瞬だが顔色を変えただろう。何があったんだ?」
「ふふふ…そんなことに気づくほど、あなたが私の顔を見つめていたとは……困りましたね、我が君に嫉妬されてしまいそうです」
「はぐらかすな!」
ふざけて誤魔化そうとする柊を、忍人は怒鳴りつけた。柊は、軽く肩を竦めて見せてから、声を潜めて答える。
「我が君が、祝詞を間違われたのです。それがどんな影響を及ぼすかは、これから調べようと思っていたのですが……今はまだこのくらいしか言えません。何か判ったらすぐにあなたにもお話しますから、しばらくは他言無用に願います」
大した影響などないかも知れない。寧ろ、今の時点で下手に騒げば反って大事になるし、何もないなら女王の失態を知る者は少ないに越したことはない。恐らく、あの場で気付いたのは柊だけのはずだ。祝詞を一言一句違わず全て暗記している上、千尋の言葉は一言として聞き漏らすまいとしている柊だからこそ気付けたと言っても過言ではない。幾度となく儀式に同席した狭井君であっても気付くまい。せいぜい、何か微かに引っ掛かりを感じた程度だろう。
「何処かで異常な事態が起これば、あなたの耳に真っ先に報告が届くでしょう。それがこの一件と関係しているとは限りませんが、充分に注意を払って…何かあったら私にも知らせてください」
「…解った」
何事もなければともかく、下手をすると大事に至るとなれば、忍人も素直に柊の言葉に頷いた。
そして、実際に報告が上がるとすぐに柊に連絡したのだった。

儀式の終わり際に起きた小さな騒ぎは、足往が倒れた所為だった。警護の任の最中に突然昏倒した足往を見た者が少々ざわめき立ったが、足往は近くに居た他の狗奴に運び去られて、騒ぎはすぐに収まった。
しかし、本当の騒動は足往が目を覚ました時に始まったのだった。
「神気を感じて宿ってみれば……このような犬畜生の肉体とは…」
「何者かが憑依してますね」
千尋の間違い方と目覚めた足往の言動を照らし合わせて、柊が断言した。柊の調査によって、千尋の言い間違い方では本来霊を鎮め送るべき言葉を唱えているはずのところが何度か逆に迎え入れるものとなることが判明した。占の結果、呼ばれたのは祖霊らしいということも解っていた。
「…それでこんなに偉そうなんだ」
那岐の呟きに誰もが同感だったが、問題はそこではなかった。とりあえず足往に当身を喰らわせて黙らせると、忍人は柊に問うた。
「何故、足往に憑依を…?こいつは憑坐じゃないし、神気など纏っていないぞ」
「古来より、女子供は霊的なものの影響を受けやすいものです。ただ、あの場に於ける女性陣は我が君を始め皆、鎮められることを厭う霊が害を為さぬようにと設えられた壇上に身を置いていました。ですから次に取りつきやすい身体、つまり子供である足往は憑依されやすい立場だったと思われます。到底呪詛の対象となり得ぬ足往は、大した護符など持っておりませんでしたし…」
女王や国の重鎮、大きな族出身の者などは日頃から呪詛を懸念して強力な護符や呪具を身に付けている。勿論、各方面で恨みを買いまくっている柊も備えは万全だ。しかし、半人前の狗奴の子供を呪詛しようなどと考える者は居ない。足往は戦勝祈願の御守などは持っていても、護符の類とは殆ど縁がなかった。持っていたのは、せいぜい戦場で亡者や荒魂の影響を受けないようにする程度のものだ。この国の祖霊となれば、相手の霊格は高くてそんなものでは太刀打ち出来ない。
「更に足往は、これを持っていたが故に、祖霊を引き寄せてしまったようなのです」
そう言って柊が見せたのは、千尋の髪の毛だった。天鳥船で千尋が風に流した髪を拾って、足往は御守として大切に持っていたのだ。そこに残った神子の気に惹かれて、祖霊は足往に目を付けたのだった。
「私は引き続き、憑依したものを帰す方法を調べます。風早も手伝ってください。那岐は、何かあった時の為に今から潔斎をお願いします。忍人は足往の動向に注意を……目を覚ましたらまた騒ぐかも知れませんが、出来るだけ大人しくさせておいてください。憑坐としての修業を積んでいない足往の身体には、今の状態はあまりにも負荷がかかり過ぎています。少しでも体力を温存させておきませんと、命に係わることもあるかと…」
忍人が顔色を変えた。
「それから、くれぐれも我が君には知られぬように…」
これには全員が頷いた。自分の所為で足往が大変なことになっているなど、千尋が知ればどうなるか、誰しも想像に難くない。二度と同じ過ちを繰り返さぬように、言い間違えたことと正しい読み方は後で教える必要があるが、それは全てが片付いてからのことだ。どうしても千尋が知らねばならぬ事態とならない限り、このことは伏せておきたい思うのは皆同じだった。

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