罪と罰

-前編-

忍人が熱を出して倒れたという連絡を受けて、千尋は忍人の部屋へと急いだ。
「忍人さん!」
駆け込んで来た千尋に、忍人は目を丸くし、それから眉間に皺を寄せる。
「千尋…今は執務中ではなかったのか?」
「今日中にやるべき案件は片付いてます。急ぎの仕事は有りません。残りの仕事よりも忍人さんの方が大事です」
言い切った千尋に、忍人もそれ以上は何も言わなかった。今のような千尋にはそれ以上何を言っても無駄だと最近になってようやく学習したのに加え、普段から千尋に体調管理の重要性を説いておきながら不覚にも倒れた手前あまり強くは言えないのも理由の一つだろう。
何か言いかけてから押し黙った忍人に、千尋は疑惑の目を向ける。
「忍人さん…寝台から降りて、何をしようとしてたんですか?まさか、こっそり抜け出して仕事に戻ろうなんて…」
「一眠りしたら大量の汗をかいていたから、着替えようとしていただけだ」
その言葉通り、忍人が手にしていたのは普段着ではなく予備の夜着だった。
「そうですか。だったら、良いです」
安心したように言う千尋を、忍人は着替えの手を止めて物言いたげに見ている。
「どうしたんですか、忍人さん?」
「その…俺は今から着替えると言ったんだが……聞こえなかったのか?」
「ちゃんと聞こえましたよ。確かに、熱が下がる時って汗かきますよね。沢山汗かいたなら、早く着替えた方が良いですよね」
千尋はちゃんと事実を認識していた。しかし、それにしては全く動く気配がない。
「……外に出ていてもらえないか?」
「何故ですか?」
千尋は頑として動く気配がない。
「だから…着替える為には、今着ているものを全て脱がなければならないだろう?」
「そうですね。その後、新しい服を着る前に全身の汗をちゃんと拭いておく必要もありますね」
解っていて尚もその場に留まる千尋に、忍人は何と言えば良いものかと考え込んだ。そうこうしている内に、忍人の身体が微かに震えたのを千尋は見逃さなかった。
「ああっ、いつまでもそんな格好で起きてるから……早く着替えてください。手伝いますよ」
「いや、手伝いなど要らないから、早く外に…」
「遠慮なんてしなくていいです。ほら、早く脱いで…。汗も拭いてあげますから…」
「遠慮しているわけではない!それより君が…」
「いいから、早く脱いでください。せっかく下がって来た熱が、また上がっちゃいますよ」
強引に忍人の服を剥ごうと掴み掛る千尋とそれを阻止しようと押しやる忍人との間で争いになり、熱と勢いの分で押され負けて忍人が寝台に倒れ込む。そんな忍人に圧し掛かるようにして、千尋は尚も忍人の服を剥ごうとする。
「離せ、千尋!着替えくらい、一人で出来る」
忍人は何とか千尋の手を逃れようとするが、熱で弱った身体では力負けしてしまいそうだった。

しばらく力が拮抗していたが、そこへ誰かが割り込んで来たかと思うと、千尋を引き剥がして忍人を突き飛ばす。
「痛た…」
「千尋に何するんですか!?」
風早だった。どうやら、忍人が嫌がる千尋を引き倒したのだと思ったらしい。
「何かされたのは俺の方なのだが…」
「ああ、もう、邪魔しないでよ、風早!忍人さんも、早く着替えるの!」
再び忍人の服に手を掛けようとする千尋を風早が引き止め、忍人が押し戻す。
「だから、君が出て行ってくれればすぐに着替えると言っているんだ!」
「そんなの狡いです!目の前で着替えてくれれば、おあいこだって思ったのに…」
「おあいこ…?」
悔しそうに睨み付ける千尋に、忍人は何を言われているのか解らないと言った顔になる。
「忍人さんは、私の素っ裸を見たくせに……しかも、初対面で不意打ちで真正面から…」
「あ、あれは、事故だ。別に、見ようと思って見た訳ではない。なのに、俺はあの後風早に…」
真っ赤になって弁解する忍人に、千尋は更に追い打ちをかける。
「ええ、どうせ、こんな貧相な小娘の裸なんて、見たく無かったですよね。顔色一つ変えないで、軽率だな、俺が敵なら君は死んでいたとか真顔で説教して立ち去ったくらいですし……今だって、胸触っても全く動揺してませんし…」
忍人は千尋を押し遣っていた手を見て考え込み、それから不思議そうに呟いた。
「胸……など、触ったか?」
途端に目にも止まらぬ速さで千尋の拳が繰り出された。
「忍人さんの莫迦~っ!!」
後に残された風早は、寝台の上に殴り飛ばされた忍人に、半ば呆れた笑顔を向ける。
「病人相手でも容赦ないですね、千尋は…。ちゃんと謝らないと、後が怖いですよ。でも、その前に……とりあえず、着替えますか?」
忍人はコクリと頷き、風早の手を借りて着替えたのだが、怒った千尋の報復の魔の手はすぐ近くまで迫っていたのだった。

風早が立ち去ると、程なくして柊が現れた。
「ご気分は如何ですか?」
「お前の顔を見たら、最悪になった」
「そうですか。では、全快するまで私が付きっきりで面倒を見て差し上げましょう」
言うなり、柊はズカズカと枕元へ寄って来る。それを見て、忍人は武器を手に取った。
「要らん。とっとと出て行け」
「そうは参りません。忍人の看病をするようにと、我が君からのご命令なのです。一体、あなたが何をしてそのようにご不興を買ったものかは知りませんが、我が君は大層ご立腹のご様子とお見受け致しまして……着替えも食事も全部柊の手で面倒を見てあげてね、だそうです。よって、私は全身全霊をかけてあなたのお世話をさせていただきます」
それを聞いて忍人は血相を変えて弾かれたように寝台から跳ね起きると、押し戻そうとした柊を死に物狂いで振り払い、着替えを引っ掴んで脱兎のごとく部屋から逃げ出したのだった。

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