緋の傷跡

-後編-

「これは酷いですね」
「ここなんか、かなり深く爪が喰い込んでますよ」
忍人の背中には赤い筋がいくつもあった。どれも真新しい傷だ。
「『葛城将軍』の背中をこれだけ傷付けることが出来る者は、世界広しと言えど、我が君だけでしょう」
上半身裸で背中をじろじろと見られ、柊に感心したように言われ、忍人は二重三重に恥ずかしくなって来た。
「手当するならさっさとやってくれ。千尋が起きて来たら厄介だ」
「ああ、そうでしたね」
忍人に促されて、柊がいそいそと部屋に常備してある応急処置品を取り出した。
「待て、柊。お前に手当させては、何をされるか解らない」
「解りました。それじゃあ、俺がやりますよ」
風早が柊の手から道具や薬品を取り上げたが、忍人はまだ柊を睨みつけている。
「柊、俺がやりますから、あなたは忍人の正面に居てください」
それなら柊が横から手出しすることは出来ないので、忍人も安心だ。手当される為に椅子に掛けているので、かなり上から見下ろされることになるが、それでも見えないところに居られるよりは良い。
柊が忍人の正面に立つと、風早は早速手当を開始した。

まず風早は、強い酒で傷口を洗って、消毒する。
「……っ!」
「ああ、すみません、沁みましたか?」
「いや、沁みたと言うより、その…力を入れ過ぎじゃないか?」
忍人は、酒を滲みこませた布でゴシゴシと傷口を擦られたように感じた。
「そうですか?でも、しっかり消毒しておかないと…」
「もう、いい。後は自分でやる」
「駄目ですよ。どうせ、水で洗ってお終いにするんでしょう。ほら、大人しく座っててください。ちゃんと手当はしてあげますから…」
「手当…は?」
その言葉に、忍人は不穏な気配を感じた。しかし、振り返って風早の表情を確認したくても、椅子に押し戻される際に肩を押さえられていて、振り返れない。
「はい、手当はします。一番滲みる薬を念入りに塗り込んであげましょう」
「ちょ、ちょっと待て。一体、どういうつもり…?」
声を上げる忍人の口を、柊が塞いだ。
「お静かに。大声を出すと、姫が起きてしまわれますよ」
そして柊は、意地の悪い微笑を浮かべて続ける。
「姫のそのような爪痕を見て、風早が正気を保って居られると思いますか?」
「あっ…」
千尋が深く爪を立てたということは、それだけ千尋に負担がかかったということに他ならない。
「だから、あなたは莫迦だと言うんですよ。私に任せておけば、消毒前に軽く塩を擦り込むくらいで許して差し上げましたのに…」
それも大いに問題あるだろう!
そう叫びたかった忍人だが、今は風早の方が大問題だった。
「ふっふっふっ…。千尋ったら、こんなに爪を立てて…さぞや苦しかったでしょうねぇ。ええ、まったく…俺の大切な姫に、あなたは一体何をしてくれたんでしょうねぇ」
壊れた風早を止められるのはこの世界に唯一人。しかし今、その人を呼ぶ訳にはいかない。
千尋の安眠を守る為、忍人は黙って苦難に耐える道を選んだ。
そして昼過ぎに起きた千尋の目には、機嫌よく茶飲み話に興じている風早と柊と、その二人から離れたところでぐったりしている忍人の姿が映ったのだった。

-了-

《あとがき》

祝福していると見せかけて、婿いびりに精を出す保護者と下僕。
柊を警戒するあまり風早の放つ不穏な空気に気付かなかった忍人さん、油断大敵です(^_^;)

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