ひろがる波紋

「ところで忍人…あなた、国見砦でのこと、きちんと姫に謝罪しました?」
いきなり何を言い出すのかと、柊を訝しげな眼で見て、忍人は帰還の挨拶を兼ねた軍議の場でのことを思い出した。
「俺は間違ったことは言っていない。姫が無謀にも、策もなく土雷邸に押し入ろうとして、危うく兵達を無駄死にさせるところだったことは紛れもない事実だ。風早からどんな愚痴を聞かされたのか知らんが、俺が謝るべき道理などない」
その反応に、柊は溜息をついて軽く頭を振ってから言う、
「……それよりも前です。あなた…砦の裏の泉で、水浴びしている姫の裸身を拝んでおきながら、説教だけして一言も謝らなかったのでしょう?」
「なっ…何故、お前がそのことを知っている!? まさか、遁甲して覗き見を……だったら、お前も風早の仕置きを受けろっ!!」
「ああ、やはり今生でも風早にお仕置きされたんですね。ですが、私は見ていた訳ではありません。識っていただけです。出来ることなら阻止したかったのですが、既定伝承に縛られては打つ手がなく……」
また何を訳の分からんことを言っとるか、と忍人が襟元を締め上げる手に力を込めると、柊は再び問うて来る。
「それで、そのこと、姫に謝罪しました?」
「……いや…」
「まだ謝ってなかったんですかっ!?」
柊よりも早く、風早が叫んだ。
「ああ。そう言えば、何だかんだで謝りそびれていたな。だが、あの後すぐ強かに仕置きされた訳だし、その時に風早も言っていたのではなかったか。謝っても無駄です、と…」
だから、もう良いだろう。そう忍人は主張したのだが、風早は認めなかった。
「それは、俺に対しての話です。千尋の水浴び姿を見たという事実がある以上、どんなに謝ったところで、俺は許す気なんかこれっぽっちもありませんでしたからね。でも、千尋に対してはまた別の話です。君は、そういうところはちゃんとしている子だと思ってたんですけど、何処で育て方を間違えたものか…」
「間違えるも何も、俺はお前に育てられた覚えなどないぞ」
論点がずれかけたところで、柊が口を挟む。
「そんな言い訳をしてる暇があったら、今すぐ姫に謝罪しに行った方が身の為だと思いますよ」
「ふっふっふっ……そうですか。まだ、謝ってなかったんですか。千尋にあんなことしておいて、謝りもしないまま……どうやら、これはもう一度きっちり躾け直した方が良さそうですね」
「まっ、待て! 落ち着け。謝る! 今すぐ二ノ姫に謝って来るから…」
不穏な空気を感じて、忍人は慌てて叫んだ。
その言葉に、すかさず柊が喰い付く。
「言いましたね、忍人。では、本当に今すぐ謝りに行ってもらいましょうか。勿論、口先だけで”あの時は失礼した”なんてものでは謝罪したとは認めません。きちんと両手をついて、しっかりとお詫びしてくださいね」
「……解った」
風早がキレる前にと、忍人は急ぎ部屋を飛び出して行った。しかし、すぐに戻って来て、二人の手を引く。
「何ですか?」
首を傾げる柊に、忍人は言う。
「証人として一緒に来い。ついでに、姫の居場所について心当たりがあったら教えろ」
「それ…どちらがついでなんでしょうね」
「まぁ、どっちでも良いでしょう。千尋の居場所なら、解りますよ。こっちです」
風早は先程までの不穏な空気などまるで感じさせずに、千尋の元へと二人を誘った。

行き着いた先には千尋の他に那岐と遠夜と狗奴の戦士達も居た。しかし、風早は構わず千尋に声を掛ける。
「千尋…忍人が話があるそうです。何でも、先の非礼をお詫びしたいとか…」
「えっ、先の非礼って何のこと?」
「あれじゃないの? 柊を拾う時にさ、今ほど君の正気を疑ったことはない、とか言ってたじゃん」
那岐の言葉に、風早が「ああ、そう言えば、そうでした。では、そのことも謝ってもらいましょうか」と笑いながら言う。
「さぁ、忍人。約束通り、きちんとお詫びしてください」
「部下達も居る前でか? せめて場所を変えて……」
柊に促されて、忍人は抵抗する。
「随分と往生際が悪いですね。あの件でまだ謝っていないと再び風早に仕置きされるくらいなら今すぐ姫に土下座してお詫びして来る、と言ったのは君自身でしょう」
「……そうは言ってないはずだ」
「おや、それでは戻ってお仕置き受ける方を選びますか? 言っておきますけど、今更そんな真似をしたら、間違いなく回数は最低でも倍増ですよ」
「そ、それは……倍にならなくても、この場で姫に土下座する方がまだ…」
辺りは「一体、何があったんだ?」「忍人様…姫様に何したんだろう?」「葛城将軍がそこまで厭う風早のお仕置きって…?」とざわめいていた。
そんな中、千尋は忍人に優しく声を掛ける。
「あの…忍人さん。別に、無理に謝ってもらわなくて良いですよ。そこまでしてもらうような非礼なんて、私には覚えがありませんし…」
「いや、頼むから謝らせてくれ。故意ではなかったとはいえ、君のあのような姿を見たことは紛れもない事実。あまつさえ一言も謝らずに立ち去ったのは、確かに非礼な振る舞いだった」
そう言って忍人が観念して千尋の前に進み出たところで、千尋の鉄拳が繰り出された。
「おおお……忍人さんの莫迦~っ!!」
真っ赤になって涙目で叫んだ千尋の拳は、綺麗に忍人の顎にヒットする。
「姫さま、凄いや」
思いがけず、足往が声を漏らした。他の者達も驚きに目を瞠ったり、感心したように頷いている。何しろ、あの葛城将軍が避けることも防ぐことも出来ずに、まともにその拳を喰らってしまったのだから…。
「……ってか、何で風早があのこと知ってるの!? おまけに、どうして今更それを蒸し返すのよっ!! やっと忘れられたと思ってたのに…。大体、再びって何? あの件で忍人さんに何かした訳? だったら、もう良いじゃない、さっさと忘れてよ! ああ、もうっ、信じらんない、風早の莫迦っ、最低っ、卑怯もん! 今度私に隠れて変な真似したら、絶交してやるんだからっ!!」
ヒステリックに叫んで千尋は泣きながら駆け去り、その後を風早が追った。不覚にも姫に思いっ切り殴り飛ばされて尻餅をついた忍人は、その様子を目の端に捉えながらも呆然として動けなかった。

「ああ、これは後でまたお仕置き決定でしょうか」
「…っ……?」
驚愕した顔で仰ぎ見る忍人を引き上げて、柊は言い諭すように告げる。
「だって、結局あなたは姫にお詫び出来ていませんし……それどころか激昂させて、挙句に泣かせてしまいましたからね」
「いや、今のは絶対に風早の所為……」
「その主張が風早に通用すると、本気で思ってますか?」
言われるまでもなく、微塵も通用しないと本気で思える忍人だった。そこで一転して、柊に掴み掛る。
「元はと言えば、お前が話を蒸し返したんだろうがっ!! 責任とって、何とかしろ!」
襟首を締め上げられても柊の方は落ち着いたもので、軽く忍人の肩に手を置いて言い返す。
「では、責任をとって、あなたを風早に引き渡して仕置きの手伝いでも致しましょうか?」
途端、忍人は柊を突き飛ばすようにしながら手を放し身を離す。
「ふふっ…この場から逃げ出さないのは感心ですね。もっとも、逃げても無駄ですけど…。私も風早も遁甲して容易に背後をとれますから、私達を本気で敵に回しては、如何に『不敗の葛城将軍』と言えども敗北は必至。ましてや今は、天空を翔ける船の中。逃げ切ることなど不可能です」
「うっ、うるさい!」
そんなことは、わざわざ言われずとも身に沁みてよく解っている。どうしたものかと思案しながら、忍人は柊を睨み付けた。
「さぁ、どうします、忍人? 助けを求めるなら今の内ですよ。この場で私に”助けて下さい”と懇願したなら、あの件から今しがたのことまで全て不問にするよう風早に執り成してあげます。勿論、私も、もう咎め立ては致しません」
「くっ……その言葉、二ノ姫の御名に懸けて決して違えぬと誓えるか?」
必死に我が身を守ろうとする忍人に、柊は確と頷いて見せる。
「はい、我が君の御名に懸けてお約束致しましょう。ここに居る全員が、その証人です」
確約を得て、忍人はギクシャクとした動きで柊の元へ歩み寄ると、それはそれは悔しそうな顔でその胸元を掴んで、俯き、声を張る。
「助けてください、お願いします!」
暫し考え込んだ後、その頭を柊は軽くポンッと叩いて応える。
「まぁ、確かにこれも懇願した内に入りますね。ギリギリ合格点です。仕方ありません、約定は果たしましょう」
そして忍人の腕を掴むとそのまま引っ張って歩き出した。
「お前達、今ここで見聞きしたことは全部忘れ…っ……」
部屋を出る際、忍人は慌てて振り返り部下達に叫びかけたが、言いきらぬ内に柊にもう片方の手で口を塞がれる。
「良いんですか、忘れさせても…? 先程の約定の証人が居なくなってしまいますよ」
「むぐぅっ……」
「これ以上恥の上塗りをする前に、ほら、さっさといらっしゃい」

その後、柊がどうやって風早を説き伏せたのか、当事者が全員固く口を閉ざしたので真相は深い闇の中だった。
そして、その日のことを忘れなかった狗奴達の間では、風早の裏の顔について様々な憶測が飛び交った。こちらは後に一部の者達の間では真相は知るところとなったが、無論、誰一人として他者にそれを告げることはなかった。
この騒ぎの中で撒き散らされた謎の中で、後になってその場に居た全員が真相を知ったことは唯一つ。忍人が何のお詫びの為に連れて来られたのか、である。
「姫様の水浴び姿を見て一言も謝らなかったって、そりゃ、確かに非礼にも程があるだろう」
「ああ、邑娘が相手でも一言謝るのが筋ってもんだぜ」
「ましてや相手が王家の姫様じゃ、その場で平伏してお許しを請うべき状況だって…」
「そうそう、下手すりゃ無礼討ち?」
「……だな。とりあえず、あれから間もなく姫様に謝ってお許しを得られたそうだから、もうお咎めはないのだろうけど…」
「でも、何で再会してすぐに改めてお詫びに伺わなかったんだろう?」
「確かに、それって忍人様らしくないよな」
そうしみじみ話す狗奴達は、誰もが同じ見解を持っていた。
「ああ、でも、忍人様のことだから……きっとその場では詫びるよりも先に、軽率だな、とかって説教したんだろうなぁ」

-了-

《あとがき》

ホント、あの水浴びイベントだけで何作書けるのやら…(^o^;)
あの水浴びイベントの後ってどんどん話が進んでいくので、忍人さんが千尋に謝りに行く暇などなく、気付けば手遅れです。

白虎を解放して天鳥船が飛び立ち、人心地ついたところで柊が何となしに冒頭の疑問を呈したのが忍人さんの不幸の始まり。
しかも、その場には風早も居たものだから、さぁ大変。

うちの忍人さんは、「教育的指導」のように自首(?)したケースは稀で、基本的には軍議の直後に風早に拉致られてお仕置きされています。
そして、千尋には謝り損ねたまま旅が続くことに…(^_^;)

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