身代わり
-後編-
「本日の陛下は、ずっと険しいお顔ばかりしておいでですわね」
    「…………っ……」
    狭井君の問いかけに忍人はギクリとした。それでも内心の動揺を押し隠して、必死に言い訳を考える。
    そこですかさず、兄弟子達が割り込んだ。
    「姫は、忍人の事が心配なのですよ」
    「そうそう。ちゃんと休んでいるのか、勝手に抜け出してやしないか、と……ねっ?」
    風早に同意を求められて、「そうだったな」と忍人は慌てて話を合わせる。
    「あ、ああ……ええ、そうなの」
    先に柊が言った通り、本当に狭井君もそれで納得してしまった。
    「そうでしたか。おほほほ……陛下も葛城殿も、ついでに柊も、脱走が大変お上手ですものね」
    「なっ……コホッ……や、やだなぁ、狭井君ったら……えへっ、へへへへ……あはははは…………」
    すると、狭井君はぎこちなく笑う女王の様子を特に怪しむことなく退出する。
    充分に間をおいてから、おかしな笑い声を止めて、忍人は憤慨の声を上げた。
    「柊と一緒にするとは失礼な……それに俺は、千尋と違って仕事を放り出して抜け出したことなど一度もない!」
    「千尋だって、仕事を放り出したりはしてませんよ。ちょっと手を休めてるだけです」
    「まぁまぁ、風早…。それよりもまずは、あの御仁の前で忍人がそれを言わなかったことを褒めるべきでしょう?出来はともかく、あそこで自発的に誤魔化し笑いをしたことも……本当に、姫のことをよく解っているようですね」
    おかげで何とか狭井君を躱せたとホッと一息ついたのだが、一難去ってまた一難である。
    「あの~、姫さま。ちょっといいか?」
    「足往!?何しに……じゃなかった、どうしたの?」
    忍人が慌てて千尋口調で応えると、足往が不安そうな顔で言った。
    「おいら、さっき、忍人さまのお見舞いに行ったんだけど、遠夜が中に入れてくれなくて……”面会謝絶”だって話だし……忍人さまの具合、そんなに悪いのか?」
    その本当に不安げな様子に、忍人の心は痛んだ。しかし、本当のことを言う訳にはいかない。
    風早は、この日何度か繰り返した言い訳を口にした。
    「いいえ。そういうことではないんですよ。ほら、忍人の事だから、誰かがお見舞いに来たら仕事のこととか根掘り葉掘り聞いて、結局は間接的にお仕事しちゃうでしょう?そうならないように……ゆっくり休んでもらおうと思って、お見舞いはお断りしてるんです」
    しかし、足往は引き下がらない。
    「だったら、仕事の話はしない。おいら、忍人さまのことが心配なんだ。だから、ちょっとだけ会わせてくれよ。この目で様子を見れば安心出来ると思うし…」
    「そうもいかないのですよ。一人でも例外を認めると、何かと面倒なことになるものですからね」
    食い下がる足往を何とか言い含めようとする柊の斜め後ろで、ドンと大きな音がした。
    「面会謝絶だ……って言ってるでしょう!私がダメと言ったらダメなの。勝手に入り込んだりしたらタダじゃ置かないよ!」
    「は……はい、姫さま」
    足往は這う這うの体で逃げて行った。
「えぇっと……忍人、ですよね?」
      「うぅっ……いつまで、こんな真似……」
      卓子に叩きつけられた手の上に、ポロポロと涙が零れ落ちた。
      涙と共に零れ落ちたその呟きに、やはりまだ中身は忍人なのだと柊も風早も確信する。
      「今のは、名演技でしたね」
      「ええ、出だしは怪しかったですけど、見事に修正しました。俺でも一瞬、元に戻ったのかと思っちゃいましたよ」
      しかし、感心してばかりも居られない。
      「忍人、さっさと泣き止みなさい」
      「そうです。中身がどうであろうと、千尋の泣き顔は見たくありません」
      「…………すまない」
      千尋の泣き顔が見たくないのは忍人も同じだ。今はそれが我が身となってその姿が目に映らないのだとしても、いつまでも泣かせておいて良いものではない。
      忍人は急ぎ涙を拭おうとしたが、その腕を風早が掴んで止める。
      「袖なんかで拭わない!千尋の肌が傷むじゃないですか」
      「あっ……すまない」
      言われて忍人が静かに腕を降ろすと、風早はその肩を押して忍人を椅子に腰かけさせた。それから、懐から手巾を取り出してそっと涙を拭う。本来の姿であれば絶対にそんな真似は許さないが、これは千尋の身体なのだから、と忍人は大人しくされるがままになっていた。
      「ほら、手も出して……ああ、赤くなってますね。ダメですよ、あんな風に卓子を叩いたりしちゃ…。手首を痛めたことになってるでしょう?それでなくても、千尋の身体を乱暴に扱わないでください」
      「……すまない」
      傍らに膝を付いて大事そうに手を摩る風早の行為はその身を子ども扱いしてるも同然なのだが、忍人は反発するよりも申し訳なさを感じてしまう。
      そんな二人を見て、柊が口を挟んだ。
      「風早…そんなに忍人ばかりを責めるものではありませんよ。今この場で、最も心にも身体にも痛みを感じているのは忍人なんですから…。第一、そのように忍人を責めたら、翳りが差すのは他でもない、姫のお顔なのではありませんか?」
      「そうでした。忍人、千尋の顔を曇らせないでください」
      「す、すまない」
      忍人が反射的に謝ると、柊は苦笑し、優しい声音で諭すように言う。
      「ほら、また…。忍人も、もう謝るのはおよしなさい。風早のそれは、多分に八つ当たりです。傍に居て助けるはずが、結局はあなたの捨て身ともいうべき姫の真似事に助けられている、そんな己の不甲斐無さが腹立たしくて……ですが、その苛立ちをあなたにぶつけるなど、してはならないことでしたね。あなたは良心の呵責に耐え、己の矜持さえも投げ捨てて、泣く程に追い詰められながらも尚、懸命に姫の身代わりを務めているというのに……風早も私も、何という為体でしょう」
      最後に自嘲気味に言われたその言葉に、忍人は不思議そうに柊を見上げる。
      すると、柊は風早が退いたところに屈み、軽くだが忍人に頭を下げたような格好となる。
      「すみません。私も風早のことをとやかく言える立場ではないのです。苛立って、つい、あのようにキツい言い方をしてしまって……本当に、申し訳ありませんでした」
    「………………」
    柊から突然こんな風に謝られて、忍人は困惑することしきりだった。その素直で優しい声音と態度からは、普段のような胡散臭さが消えていて、まるで別人のようだ。
    思えば、今日はずっとこんな調子だった。この身体は千尋のものなのだから、柊が人前で恭しく接するのもこの身を何くれと気遣うのも当然のことと理解は出来る。しかし、千尋のことしか考えていないような風早と違って、柊は中身の忍人にもかなり気を遣っているように思えてならなかった。
    柊は、普段は捻くれてて意地悪ばかりするくせに、時々こうして妙に優しくなることがある。おかげで再び泣きそうになってしまい、忍人はそれを堪えるように俯いて大きく息を吐いた。
    そんな忍人を見て、柊は更に身を屈めて、心配そうに下からその顔を覗き込む。
    「どうしました、忍人?気分でも悪くなって……まあ、この状況では気分が優れるはずもありませんね。まだ少し日は高いようですが、もう引き揚げますか?相手のある仕事は終わりましたし、このくらいの時分なら構わないでしょう。それこそ、気分が優れない、と言って…」
    「…………いや、それには及ばない」
    千尋なら、気分が優れない程度で早引けしたりはしないだろう。しょっちゅう仕事の手を休めて勝手に出歩くくせに、変なところで頑張り屋なのだ、千尋は。
    「あと少しで刻限だ。最後までやり遂げてみせる」
    「無理…してませんか?」
    「無理なら最初からしている。何もかもが、今更だ」
    そうして忍人は、この後も必死に千尋の振りを続け、見事に周り中を欺き通して外宮を後にしたのだった。
翌朝、目が覚めると二人は元通り、自分の身体に戻っていた。
      しかし忍人の精神疲労は尋常ではなく、葛城将軍はこの日も病欠と相成った。前日に引き続き、今度こそ本来の目的の為に室内に遠夜が配置されたが、さすがに忍人も抜け出す素振りは微塵も見せなかったのである。
      「今日は随分と大人しかったようですね。昨日の狭井君の嫌味が尾を引いているのですか?」
      「……違う。ただ、この上なく疲れているだけだ」
      仕事も気になるし、足往に心配を掛けたことを――それと怒鳴ったことも、遠回しに――謝りたいし、鍛錬もしたい。そう思って、無理を押して出掛けようとしたものの、昨日千尋が充分過ぎる程に休ませてくれたはずの身体は異様に重かった。千尋に「無理しないでください」と言われて寝台へと押し込められれば、沈み込むように意識が遠のき、もう日が落ちようという頃合いになってもまだ、忍人はその身を気怠げに寝台へと投げ出している。
「俺のことは放っておいてくれ。お前が傍に居るだけで、心が疲弊する」
昨日のあの態度は夢か幻だったかのように、柊はいつも通りの柊に戻っていた。おかげで一言毎に、忍人の神経は逆撫でされる。
      そんな二人の姿を、風早と共に戻って来た千尋が見つけて叫んだ。
「ちょっと柊っ、忍人さんにちょっかい出すな、って言っといたでしょう!とっとと出て行かないとタダじゃ置かないよ!」
    その姿と口調と文言に、柊と風早は失笑し、忍人は深く嘆息したのであった。
-了-
《あとがき》
千尋と忍人さんの入れ替わり劇、文字通りの”身代わり”です。
  でも、苦労するのは忍人さんだけ(^_^;)
任務だと思えば、あるいは千尋の為なら、忍人さんは大概のことは遣り熟せるだけの器用さを発揮します。
男女で身体が入れ替わった場合って、男性に身体を使われる女性の方がいろいろ悩むのかも知れませんが、千尋は「だって、忍人さんだし…」ってことで大して気にしていません。
  おまけに、一日かそこらなら、千尋は軟禁状態でゴロゴロしてるだけです。「忍人さんの身体をゆっくり休ませてるの」ってことで、罪悪感は欠片もありません。これが何日も続くようなら、いろいろ不安にもなるだろうし、身体が鈍らないようにって忍人さんから厳しい鍛錬メニューを押し付けられて泣くことになるんでしょうけど…p(-_-;)


