身代わり

-前編-

「ん~、あれ?」
目覚めた千尋は、隣に誰かが寝ている気配を感じて驚いた。
「珍しいなぁ、忍人さんが先に起きてないなんて…」
滅多にないことだし、実は具合悪くて起きられないのかも知れないし、と寝顔を覗き込もうとした。その気配を察したのか、はたまた千尋がごそごそ動いていたからか、隣の人物も目を覚ます。
そして、互いの顔を見て絶叫する。
「どうして俺(私)が~~~っ!?」

「……そうですか。目が覚めたら入れ替わっていた、と…」
「うん」
忍人の姿をした千尋の説明に、柊と風早が嘆息する。
「心当たりはないんですか?それこそ、代わってあげたい、なんて口にしたとか…」
「ないよ」
千尋はあっさり答えると、二人に問う。
「ねぇ、どうしよう?」
「……とりあえず様子を見ますか」
「そうですね。心と身体、魂と肉体は思いの外強く結びついているものですから、一晩か……長くても二晩もすれば、自然に元に戻るのではないでしょうか」
そう応じると、柊と風早は息を合わせたように忍人の身体を両脇から抱える。
「えっ、何?」
驚く千尋に二人は言う。
「とりあえず、忍人の身柄は隣の部屋に押し込めておきましょう」
「ええ。元に戻るまで、葛城将軍は病欠です」
「そうですね。咳一つで千尋に寝台へ押し込まれて軟禁された前例があるから、言い訳には困らないでしょう?」
「王命による病欠、と言っておけば、後は勝手に憶測による病状があちらこちらで囁かれて、そのどれもが信憑性を疑われますから、心配は要りません」
「えぇっ、何でそうなるの!?」
訳が変わらないといった面持ちの千尋に、風早は言い聞かせるように応える。
「だって、千尋には忍人の振りなんて出来ないでしょう?一部の例外を除いて狗奴の見分けはつかないし、仕事の内容だって碌に解らないし……下手に出歩いたら、すぐに怪しまれちゃいますよ」
「見舞いを受けても拙いですね。遠夜に協力を頼んで、見舞客は全員追い帰してもらいましょう。表向きは、忍人がこっそり抜け出して鍛錬に行かないように見張っていることにでもすれば、ずっと付き添っていても誰も不思議に思わない筈です。事実、これまでにもそうしたことがありましたし…」
今回は見張る対象が中ではなく外になるだけだ。そのついでに、千尋が退屈しないように話し相手になってもらえばいい。遠夜の声を聞き取るのは耳ではなく千尋の魂の方なので、身体が忍人であっても会話は成り立つはずだ。ダメなら、眠りを誘うような歌を歌ってもらって寝倒すという手もある。
「いい機会ですから、千尋は忍人の身体をゆっくりと休ませてあげてください」
「あっ、そうか。うん、解った。じゃあ、そうするね」
風早の口車に乗せられて、千尋は寝台でゴロゴロし始める。
「いいですか。くれぐれも、部屋の外に出たり、俺達以外の者と喋ったりしちゃいけませんよ」
「は~い」

千尋を上手く言い包めた二人が戻って来ても、忍人はまだ寝台の上で千尋の身体を抱えてへたり込んだまま呆然としていた。
「忍人!いつまでそうしているつもりですか。このままでは朝議に間に合わなくなりますよ」
「はっ、いかん、朝議に遅れる」
風早の声に、忍人は弾かれたように顔を上げて寝台から降り、いそいそと身支度をしようとして、今の自分の姿を思い出して手を止めた。これが千尋の身体である以上、着るべきは姫装束なのだろうか。だが、やはり抵抗を感じるし、そもそも自分一人で着られるようなものではない。
助けを求めるような視線を受けて、風早はすぐさま柊を追い出すと、千尋の身体に姫装束を着せ付ける。
「女王まで病欠・面会謝絶という訳にはいきませんからね。ひとまず今日一日、忍人には覚悟を決めて千尋の振りをしてもらいます」
「……病欠・面会謝絶?」
二人の話を聞いて、忍人は不満たらたらだったがそれも致し方なしと受け入れた。どう考えても、千尋に忍人の振りなど出来る訳がない。間違いなく、すぐにボロが出る。
「でも、君は何とか出来るでしょう?ですから、文字通り千尋の身代わりをしてください」
「確かに女王が病臥して面会謝絶では大騒ぎになるし、やれば出来ないことはないと思うが……やっても良いものなのだろうか?」
女王に成りすますなど、とてつもない大罪なのではないのか、と忍人は難色を示す。
しかし、二人の兄弟子は平然と言って退ける。
「バレなきゃ良いんです。第一、身体は本当に千尋のものですよ。周りの者が尊ぶのは、千尋の人格ではなく、女王のその血肉です。だったら、それは間違いなく女王のものなんだから、成りすましなんかじゃありません。後は、千尋ならどうするのか、それを基準にして、必要なら意向を確認すれば何ら問題ありません」
「ですが、署名をしたらさすがに筆遣いの違いが出てしまいますから、机仕事は分類だけにしておきましょうか」
千尋の署名が必要なもの、元に戻ったら自分が処理する軍関係のもの、柊の権限で処理出来るもの、そして否決するもの等々に分けておくだけでも、後々千尋が楽になる。どうしても急いで女王の署名が必要な物があれば、柊か風早が千尋の元へこっそり隠し持って行って急を凌ぐ。しかし、他人の身体でいつも通りに筆が使えるとは思えないし、可能な限り女王が筆を取らずに済むようにするためにも小細工は必要だろうと、柊は忍人に右手を出させて包帯を巻いた。
「少し捻ってしまったようなので大事を取っている、という設定ですから、お忘れなく」
実際に動きにくくするような巻き方をされているので自然と不自由しているように見えそうだが、その分、何かあった時にこの身を守れないのではないか。只でさえ動きにくいのに、と忍人は不安になる。
それを察してか、風早が言った。
「君にとっては大変不本意とは思いますけど、千尋の身を守る為にも、今日は必ず護衛を付けてください。それも含めて、女王の傍になら俺達が居ても誰も不思議に思わないはずですから、バレないように全力で補佐します。だから、頑張って千尋らしく振舞ってくださいね」
そう言われて、忍人は暫し考え込む。
「千尋らしく……と言うと、執務中に居眠りしたり、脱走して散歩したり、か?」
柊はこめかみに指をやった。
「……それは、やらなくて結構です。無理に笑う必要もありません。表情が固いのは、忍人の病状や寝台を抜け出して鍛錬に行ったりして無いかを心配してるとでも言い張れば、皆、納得してくれるでしょう。それでも怪しまれるようなら、私と風早で何とかします」
「でも、言葉遣いには注意してくださいね。難しいとは思いますけど、千尋の口調を真似して……まぁ、出来るだけ他の人と話さなくて済むように俺達が計らいます。それと、処理速度はいつもの半分以下でお願いします。柊ほどではないにしても君も文書を読むのはかなり速い部類に入りますから、その能力を如何なく発揮されたのでは怪しまれますし、後で千尋が困ります」
「…………努力するわ」
そう応えて「これで良いのか?」と目でお伺いを立てる忍人に、柊も風早も目を瞠る。
「上出来です」
「その調子で頑張ってくださいね」

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