婚礼衣装は誰が為に

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「あ~ぁ、ウエディングドレス着たかったなぁ」
全てはその千尋の一言から始まった。
「何だ、その…"うえでぃんぐどれす"というのは…?」
困惑する忍人に、千尋はウエディングドレスについていろいろ説明しながら、近くにあった竹簡に自分が憧れていたドレスの簡単な絵を描いて見せた。
「いろんな形があるんですけど、私が着たかったのは袖がこうなってて…裾はこんな感じで…襟元はこんな風になってて…。あとは、この辺とかにこんな刺繍が入ってると更に良くって…」
「まるで、常世の花嫁衣装のようだな」
「そうなんですか?」
それじゃあアシュヴィンと結婚すればウエディングドレスが着られたんだろうか、と一瞬考えた千尋だったが、勿論今の千尋は忍人以外と結婚する気がなかった。代わりにこんな愚痴を零す。
「中つ国にも花嫁衣裳ってあるんですよね?それなのに私は女王の正装だなんて……つまらない」
「大きな式典では、女王は正装を纏うのが常だし、それが最も格式高い装いだ」
「私にとっては、仕事着に絹綾と冠被るだけなんですけど…」
千尋が呼ぶところの仕事着も然ることながら、その絹綾と冠もとてつもなく価値のある物で、まさしく富と権威の象徴とも言うべきものなのだが、千尋にとっては普段の服と大して変わりがないため何ら有難みを感じられるものではなかった。
向こうの世界で夢見ていた一生に一度の晴れ舞台の光景。それはその日だけ着ることの出来る特別なドレスを纏い、風早と腕を組んでバージンロードを歩く、というものだった。その先には、真っ白なタキシードを着た最愛の人が待っている。
そこまで思い返して、千尋はふと気づいた。
「私が女王の正装なら、忍人さんは何を着るんですか?」
「…王婿の正装だ」
そう答える忍人の表情は、明らかに不本意だと語ってた。
「えぇっと、もしかして忍人さんも婚礼専用の衣装が着たかったとか…?」
「冗談じゃない、誰があのようなものを着たいものかっ!! 俺は見世物になる気はない!」
その剣幕に千尋は目を丸くする。
「見世物…?中つ国の男性の婚礼衣装って、何か物凄く変なんですか?」
「変かどうかは解らないが、出来る限り派手に装うのが慣習だ。染物や珠玉は富の象徴だからな。妻を娶るなら自分はそれにふさわしい富があることを知らしめる意味があるし、婿に入るなら…それらを贈られ…それだけのものを任せられると認められたと示すことになる」
つまり金持ちほど派手な、あるいは珍しいものを身に着けることになる。中つ国でも指折りの大豪族である葛城では、代々さぞや派手に珍品を山ほど身に着けて来たのだろう。しかし、それは忍人のお気に召さないらしい。
「あれ?でも、その理屈で行くと、女王と結婚する男の人って中つ国で一番派手に装わなきゃいけなくなるんじゃ…」
「結婚相手が女王の場合は、婿入りしても家督を任される訳ではなく、あくまで女王の私生活における補佐に過ぎない。衣や装飾品も個人に贈られるものではないし……そもそも女王より派手に装うなど不敬の極みだ」
結婚しても国の長は女王だ。その伴侶は女王の陰に控えていなくてはならない。当然、正装も女王よりも地味になる。
そこまで聞いて、千尋は不思議に思った。それでは忍人は一体何が不満なのだろう。
それを問う千尋に、忍人は溜息交じりにこう答えた。
「…女王より地味でも、俺にとっては充分過ぎる程派手なんだ。相手が君でさえなければ、あのようなものは一生着ないで済ませたものを…」

そして迎えた婚礼の日。
その日まで頑として正装姿を見せてくれなかった忍人も、ようやく観念してそれを纏って千尋の前に出た。
忍人の服装は、細部は異なるものの千尋と対となっていた。暖色系でまとめられた女王の正装に対して、王婿は寒色系。羽衣はなく、裾の襞も少ない。冠は額に巻く帯となっており、そこから下がる金糸の飾り紐が黒髪に映えていた。
「わぁ~、すっごく綺麗です、忍人さん」
「それは褒め言葉に聞こえないのだが…まぁ、いい、俺がこれを纏うことはもう二度とないのだからな」
諦めた表情でそう言う忍人に、千尋は首を傾げる。
「私が正装する時は、忍人さんも正装するんじゃないんですか?」
「いや、王婿が正装を義務付けられる機会は二度しかない。それ以外は、女王が正装していても、王婿はしなくて構わない」
当然、着なくていいならこんなものは絶対に着ない、と言い切る忍人だった。
千尋は、二度あるならもう一度着る機会があるのではないのか、と不思議そうに忍人を見つめた。その視線を受けて、忍人が答える。
「王婿が正装しなくてはならないのは、女王との婚儀と……女王の葬儀だけだ」
「つまり、私のお葬式…」
それなら忍人が千尋の前で正装する機会は二度とない。そう納得しかけた千尋だったが、忍人が言った意味はそれとは違っていた。
「俺は、君の葬儀になど出るつもりはない。そもそも、君が死んだら俺の命もそこまでだ。俺は君と共に生きるために、この太刀で生を繋いでいる。君の命が尽きれば、俺も共に逝くことになるだろう」
「それって逆に言えば、私が生きてる限り忍人さんは死なないってことですよね?だったら、うんと長生きします。そう簡単に忍人さんを死なせたりしませんから…覚悟してくださいね」
千尋はふんぞり返って、ビシッと指を突きつけてそう宣言した。
そしてその手を開いて忍人に預けると、婚儀の場へと出て行ったのであった。

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