鬼ごっこ

忍人が生太刀を手に入れてからしばらく経ったある日、そろそろ寝ているのにも飽きた頃だろうと、気晴らしにお茶に誘いに部屋へと訪れた風早を迎えたのは、もぬけの殻となった忍人の寝台だった。
「もう少しは我慢出来るかと思ってたんですけどね…」
自分の部屋へと戻った風早は、柊にそう零した。
「我が君に知れる前に連れ戻しませんと、大変なことになりますね」
「ええ、忍人のことですから、何処ぞで鍛錬でもしているのでしょう。そんなことが千尋に知れたら、唯ではすみません」
千尋の為に惜しげもなく命を削って危うく死にかけて、辛うじて生還したのは、まだ記憶に新しい出来事だ。今の千尋は忍人が疲弊することに過敏になっている。まだ万全とは言えない身体で鍛錬しているなどと知ったら、烈火のごとく怒るに違いない。
そうなる前に何としても忍人を探し出し、人目につかないように連れ戻さなくては、と風早と柊は急ぎ部屋を飛び出したのだった。

「見つけましたよっ、忍人!やっぱり鍛錬してたんですね。千尋にバレたらどうするんですか!?」
「千尋が来る前には戻る」
「そういう問題じゃないでしょう。もう今日はそのくらいにして、部屋に戻って休んでください」
「まだ大丈夫だ」
「駄目です。あなたは自分が思ってるほど回復してないんですから…無理してはいけません」
「無理などしていない。まだやれるから、そう言っているだけだ」
強情を張る忍人を前に、こうなったら柊を呼んで二人掛かりで強引に連れ戻そうか、と風早が考えたところへ、ひょっこりと柊が現れた。
「ああ、忍人が見つかったのですね。まだ行き倒れてなかったようで安心しました」
「行き倒れになどなって堪るか!」
吠える忍人に、柊は笑顔で応じる。
「そうですね。では、行き倒れる前に戻りましょう」
しかし、ここでもまた「戻りなさい」「まだ大丈夫だ」の平行線で埒が明かなくなる。
業を煮やして風早が、「やっぱり二人掛かりで力づくで…」と思い始めた頃、柊が突然妙なことを言いだした。
「それ程言うのなら、私達と鬼ごっこをしましょうか?」
「鬼ごっこ…?」
聞きなれない言葉に、忍人は首を捻る。
「以前、缶蹴りをしたのを覚えていますね。あれを竹筒なしで行います」
まだピンと来ない忍人に、柊は滔々と説明を述べる。
「私達2人が鬼となって、あなたを追いかけます。我が君より早く部屋へ戻らねばなりませんから、制限時間は日暮れと致しましょう。それまで逃げ切ればあなたの勝ち。私か風早があなたの腕を掴んだら私達の勝ち」
「そんなことをして何の意味がある?」
忍人の問いに、柊はすぐには答えない。
「あなたは逃げ切る為に何をしても構いません。勿論、逃げている間に鍛錬を続けるのも自由です」
「はぐらかさずに答えろ、柊!」
「私達は武器も術も『遁甲』などの特技も罠も嘘も他の者を使うことも禁止とします。この条件であなたが負けるとしたら、そこがあなたの限界ですから、大人しく部屋へ戻って休み、今日はもう一切の鍛錬をしないと約束してください」
「成程。それなら不毛な言い争いを続ける必要はありませんね。やりましょう、忍人」
風早はすぐに柊の提案に賛成したが、忍人はまだ納得がいかないようだった。
確かに柊の言うように、2対1とは言えそれだけの制限を受けた追っ手に捕まるようなら、そんな状態で鍛錬を続けることは良くないだろう。それは理解できる。しかし、何と言っても相手は柊だ。素直に話に乗ってもいいものか。何か裏がありそうだし、そもそもあっさり頷くのは何か悔しい気がする。
「嫌なら仕方がありません。直ちに我が君の元へ、忍人の脱走を報告に上がると致しましょう」
「待て、柊!」
「やる気になりましたか?」
「…その勝負受けよう」
「では、逃げてください。ゆっくり100数えたら追いかけます」
してやったりと微笑む柊に見送られて、忍人は森の中へと駆け込んで行った。

それから半刻と掛からず、忍人は2人に見つかり追い回され、風早に追いつかれて腕を掴まれた。
「俺の勝ちですね。さぁ、約束通り、部屋へ戻ってもらいますよ」
「解っている」
不貞腐れたように言って、腕を掴んでいる風早の手を振り払った忍人は、歩き出すなりよろめいた。
「大丈夫ですか?」
慌てて受け止めた風早に、忍人は悔しそうに呟く。
「情けない…。こんなに早く捕まっただけでなく、この程度でふらつくなど…」
「それだけ、あなたは調子が悪いと言うことですよ。焦らないで、まずは体調を整えることを考えてください」
「……」
「歩けないなら、特別におんぶして差し上げましょうか?」
「子ども扱いするなっ!! 自分で歩ける」
「それは良かった。正直なところ、俺も千尋以外の人間を背負ったり抱き上げたりしたくはありませんからね」
「でしたら、私が抱えて参りましょうか?」
言うなり、突然現れた柊が忍人の身体を掬い上げた。
「放せ、柊!俺は歩けると言っているだろう」
「ああ、忍人…暴れないでください。あんまり暴れられると、方向が定まらなくなって、人の集まっている方へ向かってしまうかも知れません」
途端に、足をバタつかせ柊の胸や顔をグイグイ押したり殴ったりと抵抗していた忍人の動きがピタリと止まる。
「はい、素直で結構。これは、限界を見誤って足元が危うくなるまで無理をしたことへの罰です。そこで大人しくしていなさい」
「はは…、それは忍人には効き目のありそうなお仕置きですね」
「…笑うな」
忍人はそう言うが、一切の抵抗を封じられて柊の胸元で僅かに涙目になりながら怒りと屈辱に身を震わせている姿を見ていると、千尋の鉄拳よりも平和的かつ効果がありそうだと思えて、つい笑みが零れてしまう風早だった。

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