結婚狂走曲

-前編-

「陛下には、そろそろご結婚などもお考えいただきたいところですわね」
国の復興がだいぶ軌道に乗って来た頃、狭井君が突然切り出した話題に、千尋はドキッとした。
「えぇ、まぁ、結婚したいと思ってはいるんですけど……」
ただ、自分には狭井君に内緒で付き合っている相手が居るし、その相手は一向にプロポーズしてくれる気配がないのだ。
そんな千尋の困ったような表情を見て、狭井君は笑いをこらえるようにしながら言った。
「私は、葛城殿との仲に反対など致しておりませんよ。葛城の族からの正式な申し入れもございますし、陛下の言があり次第すぐにも婚礼のお支度を整えられるよう、準備万端整っております」
千尋は耳を疑った。忍人との仲がバレていたのも然ることながら、まさか反対されないとは思いもしなかったのだ。
「えぇっ、狭井君は忍人さんとの結婚を認めてくれるんですか!? 私、熊野で交際を反対された覚えがあるんですけど……」
「あれは、人外の者や素性の知れぬ者、裏切り者や下々の者と親しくし過ぎることを懸念してのことです。それに比べて、葛城殿は国でも有数の大きな族の長の嫡子で戦における功績も誰の目にも明らかですから、私は反対など致しません」
さらりと吐かれた毒が気にはなったが、千尋にとって何よりも重要なのは忍人との結婚に狭井君は反対しないというところだった。ならば、もう、狭井君に黙ってこそこそ付き合う必要も、どうやって説得しようかと頭を悩ませる必要もない。
拳を握りしめて歓喜に打ち震える千尋を見て、狭井君は満足そうに微笑んだ。
「それでは、陛下は葛城殿を婿に選ばれるということでよろしいのですね?」
「はいっ、私は忍人さんと結婚したいです!」

まずい、しくじったかも……。
忍人との結婚に最大の障害となって立ちはだかっていたはずの狭井君が味方に変わり、しかも凄まじい手際で各地と連絡をとって着々と女王の婚礼の準備を進めようと精力的に動き回るのを見ていて、千尋は何やら狭井君の前で自分がとんでもない言動をとったらしいことに気づいた。
自分は権力にモノを言わせて忍人に結婚を強要しているのではないだろうか。
そう思った千尋は居ても立ってもいられず、忍人の姿を求めて執務室を飛び出した。

走り回る千尋の姿に気づいた忍人は、慌てて駆け寄った。
訓練中の狗奴達には見慣れた光景である。
「陛下、お一人ですか?」
呆れたような半ば棒読みのような声音で言われて、千尋は一瞬怯んだが、忍人がいつもの説教を始める前にガシッとその腕を掴んだ。
「言いたいことは解ってます! でも、それどころじゃないの。いいから、来て!」
「どちらへ?」
「何処にあるのか解らないけど、とにかく2人きりで話が出来るトコ」
目的地も定かではないまま、とりあえず来た方向に戻るように歩き出そうとした千尋に、忍人は溜め息まじりに「では、こちらへ」と少し離れたところにある空き部屋へと千尋を誘った。

「それで、一体何があったんだ?」
千尋が供も付けずにパタパタと忍人のところへ走ってくるのは珍しくはないが、今日はいつもと様子が違う。
勢いに任せて忍人を連れ出した千尋だったが、改めてそう聞かれるとどう話したら良いのか、その切り出し方に戸惑いを隠せなかった。
しばらく逡巡した後、とりあえず口に出たのは謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい!」
「それは、何に対して謝っているんだ?」
一人で出歩いていたことか、それとも訓練の邪魔をしたことか、はたまた他にもまた何かしでかしたのか。
言外に問われたことを感じ取りながら、千尋は思い切って白状した。
「私、忍人さんと結婚することになってしまいました」
忍人が千尋の言葉を理解出来なかったとしても無理はないだろう。
この言葉のどこに、謝る理由が含まれているのだろうか。
自分たちは恋人同士のはずである。それなのに他の男との結婚が決まったのなら、それは謝罪の理由になるだろう。
とは言え、立場上、互いに好きな相手と結ばれることが難しいのは解っている。政略結婚でアシュヴィンとの縁談がまとまったとでも言われたなら、感情面では納得出来なくても、話としては理解出来ただろう。
しかし、千尋の言葉を何度反芻しても、どうやら千尋は自分と結婚することに対して謝っているようにしか思えない。
「説明してもらえるか、千尋? 君が何を言っているのか、理解出来ない」
困惑した忍人に請われて、千尋は狭井君とのやり取りから順にポツポツと話しだした。
「そうしたら、いつの間にかどんどん話が進んじゃって……」
「そうか。君の婿に決まったことなら先日狭井君から内々に知らせがあったが、そこまで展開が早いとは正直思わなかったな」
忍人は少し驚いたようだったが、それだけだった。
「それで、そのことと、君が慌てて駈けて来て俺に謝ることに、どんな関係があるんだ?」
「だって、私が勝手に結婚を決めちゃったんですよ。しかも、日取りから何から全部知らないところで決まっちゃって、忍人さんに拒否権も発言権も無いんですよ」
慌てて言い募る千尋に、忍人は不機嫌そうに応じた。
「……拒否して欲しいのか?」
「欲しくないです」
千尋は即答である。
「ならば、問題はないだろう」
「大有りです! だって、プロポーズされてないのに……」

辺りがしばらく静寂に包まれた後、徐に忍人が口を開いた。
「ぷろぽおず、とは何だ?」
布都彦と違って、変な漢字変換をせずに音だけを拾ったのは、さすがに千尋の扱いに慣れて来た所為なのか。しかし、訳の分からない言葉を音だけなぞって口にしてみれば、困惑は強まるばかりだ。
千尋は千尋で、こちらの言葉に言い換えようにも今度はそれが解らない。
「えぇっと、要するに、その……俺と結婚してくれ、とか言ってもらってないなぁって……」
「『妻問い』のことか?」
「多分、それです」
お互いあまり自信はなかったが、とりあえず千尋が忍人から「結婚してくれ」と言われていないことを問題にしていることだけは伝わったらしい。
「しかし、王族の婚姻となると、当人同士の間でそのようなやり取りが行われることはなくて当然だろう」
そもそも、個人的に結婚を申し込んで成立するなどあり得ない。あくまで国や族の意思として使者を介して申し入れが行われ、様々な思惑が入り交じった末に話がまとまり、そこで初めて当人に明かされることも珍しくないし、婚儀の場で初めて顔を合わせることさえある。
かく言う忍人も、葛城の族から女王の婿として名乗りを挙げた覚えならあった。
もしも郷里から何も言ってこなかったら、使者を送ってくれるよう父に頼みに帰らねばならないかと考えていたが、やはりそれは杞憂に終わった。ある日突然、「申し入れをしたからそのつもりでいるように」という内容の書簡が届いたのだ。
その事実は千尋にも伝えたはずだ。これは取りようによっては『妻問い』したことになるのではないだろうか?
とにかく、忍人は女王の婿として名乗りを上げるのに全く異存はなかったし、申し入れがなされた以上いつ話がまとまっても構わないと思っていたのだが、どうやら千尋はそう思ってはいないらしい。
「つまり君は、俺に妻問いして欲しい、と言っているのか?」
今更問う必要などないし、そもそも問うてどうなるものでもないのに?
忍人の困惑は強くなる一方だ。
しかし、千尋は少し考えてから頷いた。
「そうです。今更でも何でも、して欲しいです。女王じゃなくて芦原千尋にプロポーズ、もとい、妻問いして下さい」
最初はしおらし気だったものの、最後は詰め寄るようにして千尋は言い切った。
そんな千尋に、忍人はしばらく天を仰いだ後、観念したように改めて妻問いしたのだった。

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