星に願いを

-前編-

「忍人、今夜なんですけど、夕餉の後から夜半過ぎくらいまで時間を取れませんか?」
午後の訓練に向かうところを風早に呼び止められ、こう言われた忍人は面食らった。
「随分と急な話だな。理由如何によってはどうにかしないこともないが…」
忍人の予定は空くことを知らないが、予定外に重要な用件が入ればすぐにも対処出来るようではなくてはこの中つ国の大将軍は務まらない。今なお、災害の傷跡や戦乱の煽りで軍の出動要請は各地から舞い込むのだ。
「実は、久しぶりに柊が帰ってきましてね…」
「あいつがまた何かしでかしたのか!?」
柊の名に過剰に反応する忍人に、風早は言葉選びを誤ったことを悟った。
「それとも…その所為で師君が酒盛りをしようと考えておられるなら、丁重にお断りさせていただく。俺はそれほど暇ではない」
時間を空けて欲しい理由として「柊が帰ってきた」という言葉を聞いて、思い浮かぶのは彼の悪行の後始末かその帰還を口実に岩長姫が開く酒宴という辺り、これまでに忍人に降り掛かった苦難の数々を思えば無理はないと風早は心の中でそっと涙した。しかし、ここはまずその誤解を解かなくては始まらない。
「そうではなくて…。その柊の話によると、今夜、空いっぱいに星が降るそうなんですよ」
「あんな奴の言うことなど真に受ける必要はない。そもそも、それが俺に何の関係がある?」
これ以上聞く必要はないとばかりに立ち去ろうとする忍人に、風早は慌てて言葉を接いだ。
「千尋が楽しみにしてるんです」
千尋の名に忍人は今度はあっさりと話を聞く体勢になる。
「柊から話を聞いて、千尋はすっかり見る気満々なんですが、部屋からでは殆ど見えないでしょう?」
その言葉に、忍人はしばし考え込む。そして導きだした答えは、
「つまり陛下は、よく見える場所を探してふらふら部屋を出て行きかねないと言うことか。よしわかった、周辺の警備体制を見直そう。俺も部屋の近くに詰めていることにする。心配は無用だ、陛下を決して逃がしはしない」
「鬼ですか、君は!?」
風早は呆れ半分怒り半分で叫んだ。その様子に、忍人は訳が解らないと言った顔になる。
「違うのか?」
「違います!千尋を閉じ込めるんじゃなくて、ゆっくりと星をよく見られる場所に連れて行ってあげて欲しいんです」
「なぜ俺が?そもそも、どこに連れて行けと言うのだ?」
「最近ちょっと頑張りすぎてる千尋に、息抜きさせてあげようとは思わないんですか?場所には心当たりがあります。人の近寄らない、見晴らしの良いところです」
「そんな都合のいい場所があるのなら、何も俺が行かなくても良いだろう」
風早も腕は悪くないのだから、わざわざ忍人に無理に時間を空けさせなくても、不安なら那岐でも一緒に連れて行けば済む話だ。それこそ諸悪の根源の柊でも、使えるなら使えばいい。手の届くところに置いておけば、いざという時に盾に使うくらいの役には立つかも知れない。
そんな忍人の考えが手に取るように解った風早は、溜め息まじりに告げた。
「俺はそれでもいいんですけど、周りが納得しないと思うんですよ。心当たりの場所はちょっと厄介なところにあるので、行けるのは2人までなんです。穴場ですから他の人に教えたくありませんし、そうなると詳しい行き先を伏せたまま2人きりで出かけても問題にならないのは君くらいでしょう?」
何しろ『不敗の葛城将軍』『樫原宮奪還の最大功労者』の名に寄せられる信頼は半端じゃありませんから、と笑う風早に忍人は渋い顔をする。
「俺一人で事を成した訳でもないのに、大層な呼び名だ」
「いいじゃありませんか。功績を上げたのは確かなのだし、君はその名に驕る訳でもないし、こんな時には役に立つんですから。千尋のために、利用出来るものは何でも利用して下さい」
最近の千尋はちょっと頑張りすぎてるでしょう?たまには息抜きさせてあげないと倒れちゃいますよ。
こっちで何かあったらすぐに連絡がつくように、那岐にも協力してもらいますから心配いりませんよ。
千尋のために一肌脱ごうとは思いませんか?千尋、喜びますよ。
一言ごとにズンズンと詰め寄ってくる風早は、終始笑顔を浮かべていたが不気味な気配を纏っていた。それに気圧された訳ではないが、ついに忍人は頷く。
「わかった。では、俺が行こう。その場所について詳しく教えてくれ。それから、俺が迎えに行くまで部屋から外に出ないよう陛下に……」
「ええ、任せて下さい、千尋のことはしっかり見張っておきます。部屋から一歩も外へは出しませんから安心して下さい」
ニッコリ笑って力強く請け合う風早に、何やらうまく乗せられた気になったが、今更それを口にしたところで仕方がないと文句を飲み込む忍人だった。

「わ~、凄く綺麗」
忍人に連れられて風早お勧めの見物場所へとやって来た千尋は大はしゃぎだった。
頭上には満天の星空が、足下には緑の絨毯が広がり、小さな花が所々に群集している。
風早の言うような都合のいい場所が本当にあるとは忍人も信じられなかったが、それよりももっと驚いたのはここへ来る手段だった。
人が近寄らないのも当然のことで、ここは空を駈ける手段を持たないものは足を踏み入れることなど出来ない場所だったのだ。人の足では到底登ることの出来ない険しい山の頂の一部が吹き飛んで出来た広い窪地。
風早がこの場所を示した時は、そんな場所にどうやって行くのかと思ったものだが、まさか白麒麟が現れるとは思いもしなかった。
「ちょっとした裏技があるんです」
その言葉を完全に信じた訳ではなかった。いざという時は近くの泉の辺りの少し開けたところにでも連れて行って、人が来るようならすぐにも引き上げてその後は部屋から見える分だけで我慢してもらおうと考えていた。ところが、風早が移動手段を用意しておくと言った場所に向かうと、何とそこには白麒麟が待ち受けていたのだ。
まさか、と思っていたら、白麒麟は早く乗れと言わんばかりに袖を引く。それに促されて、腹を括って千尋と共にその背に乗ると、すぐに白麒麟は空へと駆け上がり、あっという間にこの場に降り立ったのだった。
「そんな難しい顔して、どうかしたんですか、忍人さん?」
傍らで聞こえた千尋の声に、忍人はハッと現実に立ち戻った。草の上に寝っ転がって星空を見ていた千尋が、すぐ脇に腰を下ろしている忍人の顔を窺うように少しだけ身を起こしている。
「いや、何でもない。それより、これだけ星が流れていると、君は随分といろいろな願いを掛けられるんじゃないか?」
忍人の問いに、千尋は顔を綻ばせた。あの祭りの夜のことを忍人が覚えていてくれたのが嬉しかったのだ。
「はい、いろいろ願い事をしちゃいました」
「良かったら聞かせて欲しい。その願いを叶えるために、俺に出来ることがあるなら力になりたい」
「えぇっと、皆が笑って暮らせますようにとか、早く立派な王様になれますようにとか、それから…その…」
言い淀む千尋に忍人が先を促すと、千尋は恥ずかしそうに言った。
「忍人さんに大好きになってもらえる私になれますように、とか…」
「それならもう叶っているだろう」
あまりにもあっさりと言われて、千尋は驚いて跳ね起きた。
「えぇっと、あの、叶ってるって……つまり、その……忍人さんは私のこと大好きになってくれてるんですか?」
「ああ、君のことを愛しいと思っている。そうでなくて、どうしてこんな無茶な話に乗ったりするものか」
言われてみれば、確かに無茶な話だった。風早に頼まれたとは言え忍人の方からこんな時間に2人きりでの外出を持ちかけ、本当にあるのかも解らない移動手段を組み込んだ計画に乗るとは、およそ彼らしくない。
そんなことを考えながら千尋がマジマジと忍人を見ていると、今度は忍人の方が少し戸惑ったように問い返した。
「君がそんな願いを掛けると言うことは……俺は君に好かれているのだと、少しは自惚れても良いのだろうか?」
「はい、好きです!大好きです、愛してます、うんと自惚れて下さい!!」
ガシッと忍人の服を掴んで千尋は力説した。
まるで喧嘩を売ってるかのように胸ぐらを掴まれて畳み掛けるように言われて苦笑した忍人だったが、次第に嬉しさが込み上げて来て、いつの間にか千尋の身体を抱き寄せて唇を重ねていた。
そんな2人の様子を、白麒麟はただ静かに見守っていたのだった。

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