狼と七匹の子ヤギ

昔々あるところに、一人の青年と一組の少年少女がいました。
青年の名は風早、少年の名は那岐、そして少女の名は千尋と言いました。
彼等は、邑の外れの森の近くで仲良く暮らしていました。

ある日のことです。風早はいつものように、中央の市場まで買い物にと出掛けて行きました。
家を出る間際に、風早は言いました。
「いいですか。知らない人は勿論のこと、知っている人でも危ない人とか怪しい人には戸を開けてはいけませんよ。アシュヴィンとか、柊とか、柊とか、柊とか…」
千尋は力強く頷いて見せました。那岐は内心「柊を強調し過ぎだろ」と呆れましたが、そうしたくなる気持ちは解るので黙っていました。

風早が出掛けてから大して経たぬ内に、トントンと戸を叩く音がしました。
「は~い」
千尋は那岐が止める間もなく、表戸まで駆けて行き、あっさりと戸を開けてしまいました。
「軽率だな、相手の確認もせずに戸を開けるなど…」
訪ねて来たのが忍人だと解って、那岐はひとまず胸を撫で下ろしました。
忍人は市場へ向かう風早とバッタリ会って、留守を頼まれたとのことでした。
千尋は懇々と説教をされましたが、頼りになる留守番仲間を手に入れました。

それから程なく、また、トントンと戸を叩く音がしました。
「は~い」
懲りずに出て行こうとする千尋を制して、忍人が外に向かって問いかけました。
「誰だ?」
しかし返事は有りませんでした。それでいて、何やら戸の前でおたおたしているような気配がしました。
忍人の合図を受けて那岐がそっと小窓から窺い見る為に回り込もうとしたところで、綺麗な歌声が響いて来ました。
「……遠夜か」
二人は安堵して、戸を開けました。
「驚かせたようで、すまなかったな」
詫びる忍人に、遠夜はフルフルと首を振るとニッコリ微笑みました。
千尋は心を癒してくれる素敵な留守番仲間も手に入れました。

それからしばらくして、また、トントンと戸を叩く音がしました。
「誰だ?」
「ありゃ、その声…忍人か? 俺だよ、俺」
「俺と言う名の知り合いは居ない」
「何だよ、可愛くねぇな。兄弟子の声くらい解れよ」
それが羽張彦の声であるとは思うものの、忍人はまだ警戒を解きませんでした。
すると、外から別の声がしました。
「私、千歳よ。羽張彦と布都彦も居るわ。久しぶりに布都彦がこちらに来るからと張り切ってお料理を作り過ぎてしまったものだから、一緒に食べてもらおうと思って持って来たの」
それは羽張彦の妻であり、この邑の長をも務める、千尋の姉の声でした。コロコロと鈴を転がすような千歳の声を聞いて、いくら器用な柊でも彼女の声までは真似られないだろうと、忍人は戸を開けました。
「お前さ、誰何するにしても”誰だ?”はねぇだろ。現に、今なんて相手は邑長だったんだぞ」
「……御無礼、何卒お許しの程を…」
「あら、良いのよ、気にしないで頂戴。こんなにしっかりこの子のことを守ってもらえるなんて、とっても嬉しいわ」
羽張彦は文句を言いましたが、千歳は笑顔でそう応えると、3人で手分けして持って来た料理やお菓子を次々と卓子に並べて行きました。
それから皆で食事やお茶やお喋りを楽しむと、羽張彦と千歳の二人は旧交を温める布都彦を残して先に帰りました。
また一人、千尋の元に頼れる留守番仲間が増えました。

そろそろ風早が帰って来ても良い頃合となって、また、トントンと戸を叩く音がしました。
「あっ、風早じゃない?」
飛び出して行こうとする千尋をまたも制して、忍人が外に向かって声を掛けました。
「誰だ?」
「……って、結局、それなんだ」
那岐はそう零しましたが、忍人はこれで十分だと確信していました。何しろ、千歳の他に礼を尽くすべき相手と言ったら、後は師匠の岩長姫のみです。しかし、その師が訪ねて来たのなら、戸が立てるのはこんなトントンという軽やかな音ではなくドンドンと激しく叩かれる音で、それとほぼ同時に「居るかぃ?」などの声が掛かるはずなのです。
すると、外から声が返って来ました。
「あっ、忍人ですね。お留守番ご苦労様です。只今戻りました」
風早の声でした。安心したように千尋が戸を開けようとしましたが、忍人はまだ安心出来ませんでした。何故なら、柊は風早の口調や声色くらい、いくら真似出来ても不思議ではないからです。
忍人があれこれ問答を続けてなかなか戸を開けようとしないので、千尋は小窓へと回り込んで姿を窺うことにしました。そして、自信を持って言いました。
「う~ん、後ろ姿しか見えないけど……大丈夫です。あの背格好に服装に髪は、間違いなく風早ですよ」

ところがです、入って来たのは風早ではありませんでした。
「ふっふっふっ……見事に引っ掛かってくださいましたね、我が君」
中に入るなり、青い短髪の鬘を脱ぎ捨て、和装の衣を引き抜いて柊は笑いました。
「狡いよ、騙すなんて…」
千尋は文句を言いましたが、今更そんなことを言ってもどうにもなりませんでした。
「君達は、彼女を裏口から安全なところまで連れて逃げろ!」
忍人は3人にそう指示すると、足止めの為に柊と対峙しました。

市場から帰って来た風早は、戸が開け放たれているのを見て慌てて駆け込んで来ました。
「千尋っ!?」
その声と人影に柊が気を取られた隙をついて、忍人は足を振り上げました。
千尋を追わせぬために家の中で柊を引き付けたは良いものの、殺さず逃がさず家の中を荒らさずに戦うという不利な条件の前に忍人はかなり苦戦し、ついには武器をもがれて床に押さえ込まれてしまっていたのです。
しかし、不自由な体勢から何とか振り上げたその膝が、綺麗に柊の股間を捉えました。それ自体の攻撃力こそ大きくはなかったものの、柊は声も出せずに床に転がりました。
すかさず跳ね起きた忍人は、柊の腹に拳を叩き込んで仕留めました。
「忍人、大丈夫ですか、千尋は?」
忍人は、その「大丈夫ですか?」は千尋の方に掛かっているのだろうと思いながらも、そこには敢えて触れることなく答えました。
「とりあえず、柊の毒牙には掛かっていない。他も……遠夜と布都彦と那岐が付いているから、滅多なことにはなっていないだろう」
「そうですか。那岐の他に遠夜と布都彦も……それなら大丈夫そうですね」
安心したように笑ってそう言ってから、風早はその笑顔のままで問いました。
「ところで、原作では末の子ヤギさん以外は狼に食べられちゃうんですけど、そこは千尋のポジションですから……君、もう食べられちゃいました?」
「原作だのポジションだの、何を言ってるのか解らんが……物理的にも抽象的にも、どちらの意味でも食われてないことくらい、見て解らないのか?」
風早の見た限りでは、着衣の乱れ具合からするとどうやら押さえ込まれたのは風早が帰宅する直前だったらしく、忍人はまだ食べられてはいないようでした。
「どうやら無事のようですね。それは良かった。何せ、いくら童話でも物理的に丸のみされる以外の食べられ方では、後でお腹切って助けたりも出来ませんからね。では、コレはもう用済みと言うことで……話の順序が前後しますが、石を詰め込んで井戸にドボン…じゃなくて、縛り上げて先生の処に置いて来ることにしましょう。君も手伝ってください」
風早は忍人に手伝わせて柊を岩長姫の家まで運ぶと、戸を叩いてすぐに逃げました。

その気になって探せば、千尋レーダー搭載の風早には、隠れている千尋を見つけ出すのは容易なことでした。
「千尋っ! ああ、良かった、無事ですね」
千尋と再会した風早は、嬉しそうに千尋を抱きしめました。それから、ちょっと肩を落として言いました。
「皆が守ってくれたおかげで大事には至りませんでしたけど……ショックです。千尋が柊の変装を、俺と見間違えたなんて…」
「ごめんね、風早」
柊の変装にまんまと騙された千尋は、素直に謝りました。
すると、忍人が庇うように言いました。
「それだけ奴の変装が上手かったとも言えよう。今後は、合言葉でも決めておくなどして…………いや、それよりも君が、”私を呼んでみて”と言えば良かったのではないか? どんなに上手く化けたところで、奴は君の名を呼び捨てになど出来ないだろう。迂闊だったな、もっと早く気付くべきだった。そうすれば、あんなことにはならずに済んだのに…」
この時、忍人は「騙されずに済んだ」という意味で言ったのでしたが、那岐は別の意味に解釈しました。
「あんなことって……あんた、もしかして、原作の兄姉ヤギよろしく柊に食べられたとか…?」
「だからっ、食われてなどいないと言っている!」
ムキになって言い返す忍人に、那岐は「ああ、風早にも言われたのか」と呟き、二番煎じのツッコミをしてしまったことを悔やみました。
それから全員で葦原家に戻り、忍人達へのお礼も兼ねて皆で仲良く晩御飯を食べることにしました。
めでたし、めでたし。

-了-

《あとがき》

キャラあて込みの御伽噺もどきです。
柊だけはめでたくありませんが、ポジション的には仕方ありません。でも、原作に比べれば”めでたし、めでたし”です。岩長姫に酒の相手をさせられるくらいで済みます。
また、七匹の子ヤギと言う割には、狼が現れた時には子ヤギは減って五匹になっています。しかも、誰も食べられたりはしません。まぁ、一匹だけ食べられそうにはなりましたが…(^_^;)

柊を足止めする忍人さん。逃さず殺さずまではまだ良いとして、家の中を荒らさずに戦うのは本当に大変だったと思います。
でも、家の中を荒らすと後が怖いですからね。それで柊を捕獲することに成功したとしても、今度は風早にお仕置きされることになりかねません。
かと言って、他に誰か一人手元に残せば、それだけ千尋の護衛が手薄になるし、狭い屋内では頭数が居てもあまり生かせないし…。そもそも、大鎌も槍も鬼道も、どれも屋内向けではありませんものね(-_-;)q
そんな訳で不利を承知で一人残った忍人さんだったのですが、風早が帰って来てくれなかったら「オオカミと羊飼い」に続いてまたも柊に食べられてしまうところでした(*^_^ ;)

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