大嫌い

「もうっ、すぐそうやって子ども扱いして……風早の莫迦っ!! 大っ嫌い!」
腹を立てて駆け去った千尋の後姿を見ながら、風早は苦笑する。
「ははは…また、やっちゃいましたか。いつもながら、千尋も難しい年頃ですね」
「……って、よく平気で笑っていられますね。私なら、姫から”大っ嫌い”などと言われようものなら、絶望のあまり心の臓が止まってしまうやも知れません」
「そう言うお前は大げさ過ぎる」
忍人は呆れたように零した。果たして本当にその時が来たなら、それが笑い話では済まなくなるなどとは忍人でなくても到底思いも寄らぬことなのだった。

「柊……柊っ、しっかりして! お願い、死なないでっ!!」
「ああ、我が君……ご無事でようございました…」
苦し気な息の下から、柊は千尋を気遣う言葉ばかりを紡ぐ。
「もう、無理に喋らないで……遠夜っ! 遠夜は何処なの!? 早く来てっ、柊が死んじゃうよぉ」
「姫…どうかお泣きにならないでくださいませ。姫にはいつでも微笑んでいていただきたい……それこそが私の…」
「柊っ!! やだ、死なないで、柊! きゃっ…」
千尋が柊に縋りつこうとしたところで、忍人がその肩を掴んで引き剥がした。
「いい加減にしろっ!! 掠り傷のくせに、いつまでそうやって猿芝居を続けるつもりだ。詐傷で泣かせておいて、姫にはいつでも微笑んでいていただきたい、とは聞いて呆れるわ」
「猿芝居…? 詐傷って……もしかして何ともないの!?」
「……痛いです、忍人。そこは本当に怪我してるんですから、踏まないでください」
忍人は、千尋を助けた弾みで柊が打撲したところを軽くではあるが正確に踏み付けている。そんな忍人に文句を付ける柊を見て、千尋は忍人の言が正しいことを悟った。
「酷いよ、何でこんな真似…」
「申し訳ありません。姫があまりに盛大に心配して下さるものですから、掠り傷です、とは言い辛くなってしまったのです」
「何よ、それ。まるで、心配した私が悪いみたいじゃないの。莫迦っ! 本当に、物凄く心配したのに……私を庇った所為で柊が死んじゃうかもって……なのに、こんなの酷いよ。柊の大莫迦もん! 莫迦、莫迦、莫迦! 柊なんか、大っ嫌いよぉっ!!」

「おい、まだ猿芝居を続けるつもりか? 事が露見した以上、今更そんなことをしても、もう姫は戻ってなど来ないぞ」
千尋に追い縋るように伸ばした手をパタリと落とし、寝転がったままビクともしない柊に、忍人は呆れたように声を掛けたが、柊は何の反応も示さなかった。
訝しんだ風早が、柊を仰向けに引っくり返して胸に耳をあてて言う。
「忍人……これ、本当に心臓止まってますよ」
「風早まで、そんな見え透いた芝居を…」
「いいえ、本当に…」
忍人は半信半疑で用心深く柊の首筋に指先を伸ばし、それからまるで絞め殺さんばかりの手付きでじわじわと力を込めて、その頸の両脇をしっかりと押さえ付ける。それでも脈が振れないと解って驚愕した。
「まさか……いつだったか言っていた、あれって、冗談じゃなかったのか?」
「えっ、何か言ってましたっけ?」
「ほら、お前が姫から”大っ嫌い”と言われて笑ってた時のことだ。確か、自分なら絶望のあまり心の臓が止まるかもしれない、とか何とか…」
忍人は風早に代わって柊の胸に耳をあて、確かにその鼓動が聞き取れないと知るや、ドゴッと拳を叩き込んだ。
必死に心臓マッサージやら人工呼吸やらをしてやる忍人に、風早は感心したように言う。
「何だかんだ言いながら、君って、柊にも親切ですよね」
「無駄口叩いてる暇があるなら、代われ!」
しかし、風早は涼しい顔で言って退ける。
「放っておいても大丈夫ですよ。柊はここで死ぬ運命じゃありませんから……少なくとも、千尋が戦いに終止符を打つべく龍を喚ぶか皆で勝利して王位に就くまでは、本当に死ぬことなどまずありません。そんなことはシステムと既定伝承が許しませんからね。せいぜい、一時的に仮死状態になるだけです。殺しても死なないし、どんなに死にたくなったって死ねやしませんから、心配するだけ損ですよ」
「えぇい、何を訳の解らんことを……っ…」
苛つく忍人を、風早は柊から引き剥がす。
「まぁまぁ、落ち着いて、忍人……そろそろ蘇生するはずです。ここで人工呼吸なんてしたら、その途端に柊は息を吹き返して、大喜びしてそのまま深い口付けと寝技に持ち込むでしょうから、この辺でやめておいた方が身の為ですよ」
その言葉通り、柊は息を吹き返して起き上る。
「……ふぅ…危うくショック死するところでした」
「はい、生還おめでとう」
目を丸くしている忍人の前で、風早は小さく拍手する。
「全然めでたくなんかありませんよ。我が君に嫌われてまで生きて、何の意味があるのですか」
「ならば最初から、あのような悪ふざけなどしなければ良かったんだ」
「だって、つい…」
柊はしょんぼりと肩を落とすが、忍人には同情の余地などない。
「その言い訳が姫に通用しないのは、火を見るより明らかだったな」
「忍人が黙っててくれれば、こんなことには…」
恨みがましく責任転嫁しようとする柊に、忍人はあっさりと言い捨てる。
「自業自得だ、俺の所為にするな」
そこで風早が、ニコニコ笑いながらパンパンと手を叩きながら割って入った。
「はい、はい、二人共そこまでです。千尋の”大っ嫌い”は怒った時の口癖みたいなものですから、いちいち気にしてたら本当に人生やってられません。それに、忍人に八つ当たりするなんて……罰が当たりますよ。これでも忍人は、仮死状態の柊相手に、必死に蘇生処置を施してくれたんですからね」
「おや、それはそれは……道理で胸が痛いと思いました。てっきり、姫に嫌われた痛みかと思っておりましたが、忍人の仕業でしたか。それでは、もしや、人工呼吸などもして下さったんですか?」
「訊くな!」
クルッと背中を向けて足早に忍人は去って行く。その背を見送って、柊は呟いた。
「どうやら、二人から同時に嫌われない限り、私は絶望などしなくても良さそうですね」

-了-

《あとがき》

嬉しい時には「大好き」、怒った時には「大嫌い」を口癖のようにポンポン使う千尋に、風早や那岐は慣れっこですが、他の人は一喜一憂します。
特に柊は、あの心酔振りを見ていると、千尋の「大嫌い」の言葉一つであっさり心臓止まりそうに思えてなりません。
そこで、「大好き」については「忍人の書」(大団円)で書きましたので、今度は柊千で「大嫌い」をテーマにしてみました。

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