愚者の乱

愚か者が群れを成すと質が悪い。特に、欠片程の小知恵を身に着けただけのとことん低能な者の群は、柊でさえ扱いに困る。あまりにも頭が悪過ぎて、どんな行動に出るか想像がつかない。
これまで、柊の想像を超える言動をする者は、千尋と忍人くらいのものだった。二人共、普段は解り易過ぎるくらい解り易いのに、時々、柊には思いも寄らぬようなことを平然と言ったりやったりする。だが、彼らのそのような言動は、良い意味で予測を裏切るもので、柊や周りの者達に害を為すものではなかった。
ところが、この愚者の群の言動は、柊はおろか中つ国にさえ害を為すものだった。

復興にあたっては、人手も人材も不足していた。
物理的な再建の為の工人については忍人が軍の再編の傍らで兵士達を派遣したが、文官となるとそうはいかない。文武の別は付けるべきだし、何よりもさすがにそこまでの余剰人員を捻出するのは忍人にも難しかった。 道臣が居ればまた違ったのだろうが、彼は千尋の即位直後に布都彦と共に筑紫へと追い遣られてしまった。
千尋が風早との別離に打ちひしがれてる間に、かつての仲間は次々と周りから姿を消して行った。アシュヴィンは遠夜を連れて常世に戻り、サザキ達は船を貰って海へと出て行った。彼らのことは例え千尋が意気消沈していなかったとしても留め立てはしなかっただろう。しかし、道臣と布都彦、そして那岐までもが遠ざけられてしまったのは、その隙を突かれたとしか言い様がない。
それでも、残った忍人と柊が献身的に千尋を支え、千尋の心にポッカリと空いていた穴を忍人が徐々に埋めていったことで、千尋は以前のような輝きを取り戻した。年明けに忍人との結婚が決まった今となっては、以前よりも輝いているかも知れないくらいだ。
その忍人はともかく、最優先で遠ざけられそうな柊がこれまで近くに残ることが出来たのは、ひとえに人材不足に因るものだ。
しかし、師匠から「大臣10人居るより幾分マシ」と評される柊でも、身体は一つしかない以上、機動力では下っ端10人分よりも劣る。
そこで、使いっ走り専用の小者として、身元だけは確かな者達が数多く橿原宮に上がったのだった。
下手なことをすれば一族の恥となるし、働き振りによっては官人として取り立てられるとあっては、彼らも懸命に走り回らざるを得なかった。役職が上で出身族が下の者から指示を出されることに不満を覚える者は多かったが、それでも表面上は真面目に働いた。そうして見どころのある者は順次官人として取り立てられて、少しずつだが不足した人材も補充されて来たと思っていた矢先に、その事件は起きたのだった。

「全部、お前が悪いんだぁ!」
小者の一人が、突然、柊に向かって懐剣を突き出した。
無論、そんなものが掠る筈もなく、柊はあっさりと身を躱すついでに足を引っ掛け、転んだ相手を背中から踏み付けた。何せ、両腕には山程竹簡を抱えているのだ。これは致し方なかろう。
尚も喚き散らしていた小者は、近くに居た兵士に取り押さえられて連れ去られた。
この一件は瞬く間に宮中に広まったのだが、それだけでは済まなかった。
「柊の奴が気に入らないってのは同感だが、真正面から斬り付けるのは間抜け過ぎるだろう」
「だよな。仮にも岩長姫様の弟子に、俺らみたいな穀つぶし一歩手前のボンボン上りが敵う訳ないっての。一族の名を汚すだけだってことくらい、俺でも簡単に解るぞ」
「そうそう。でも、あれ全部、本当の話なのか?いくら気に入らなくても、宮内で刃物振り回すなんて有り得ないんじゃ…?」
そんな風にお遣い途中に顔を合わせた小者同士が話しながら連れ立って歩いていた前方でも、その有り得ないことがまた起こったのだ。
その後も柊は宮のあちこちで何度もそうやって襲われて、ついには忍人から「面倒を増やすな!」と怒鳴られて軟禁されるに到ったのであった。

「全くもって不可解です」
千尋、忍人、狭井君に詰め寄られて、柊は心底困惑していると言った風に零した。
「確かに、恨まれる心当たりでしたら数知れません。私がこの橿原宮を闊歩しているだけで、息の根を止めたくなる者は大勢居ることでしょう。現に、目の前にもそのようなお方がおいでのようですしね」
千尋は狭井君をチラリと見た。忍人は口では何と言おうとも本気で息の根を止めようとまでは思っていないだろうが、狭井君は隙あらば本気で実行に移すだろうことは、千尋にもよく解っている。
「ですが、あのような形で襲われるとなりますと些か……否、全く訳が解りません」
口論の末に相手が刃物を持ち出すとか、物陰から刃物を持った者が飛び出して来るとか、そのようなことなら何ら不思議には思わないのだが、さすがに白昼堂々、それも宮内において問答無用で真正面から、斬り掛かられたり絞め殺されそうになったり殴り掛かられたりするとなると話は別だ。
「このような真似をして、一体、彼らにどのような益があると言うのでしょう?」
自称”穀つぶし一歩手前のボンボン上り”の者達が言っていたように、失敗するのは目に見えている上に、自身の経歴はおろか族の名に傷を付けることになるだけだ。
「無論、端から見れば益などないように見えても、当人にとっては信条を貫くなどの意味を成すこともあるでしょう。ですが私には、此度の件ではそのような片鱗すら見出すことが出来ません」
結果として、国政は混乱した。それは、国家転覆を図るもしくは中つ国を攻め落とさんとする者達にとっては僅かながら好機となるやも知れないが、その程度で本懐を遂げられるとは思えない。
また、件の族の名には傷が付いたが、大勢には影響はない。女王に対して刃を向けたならともかく、相手が柊では、橿原宮で騒ぎを起こしたことを問題視される程度だろう。当分の間は何かと肩身が狭い思いをするだろうが、要はその程度で済む話なのだ。
そもそも、これが計画的に成されたことならば、必ず何らかの予兆があったり痕跡が残っているはずだが、柊も狭井君も何も掴んでいなかった。彼らを誘導したり洗脳したりしたのであれば、少なくともその内の数人とは接触がなくてはおかしい。その場合、接触した際の動きが浮かび上がって来る。ましてや、彼らは決して賢くなどないどころか、「猫の手を借りるよりは幾分マシ」といった程度に低能な者達ばかりだ。誰かに唆されたなら、あっさりそれと明かしてしまうだろう。よしんば他人に踊らされたなどと気付いていないか認めたくなくて自らの考えであるかのように言っているとしても、必ずボロが出る。おまけに、接触を受けた者が全員秘密を守り通しかつ暴走するとは思えない。あれだけの人数が居れば口の軽い者も居るだろうし、接触を受けながらも暴走しなかった者達の中には不審に思う者くらい居るはずだ。
それが、事ここに到ってもそんな気配は微塵も感じられない。柊のみならず狭井君にも何も掴めないのだ。
おかげで千尋達は、目の前の問題に対処するしか出来なかったのであった。

それから数日、事態は一向に好転しなかった。
身内が騒ぎを起こしたと知って、使者やら長名代やら果ては長までもが御詫び言上に駆け付けたが、いちいち相手などしていられない。門番には、身元と日時を記録して、「皆様ご多忙につき、日を改めてお越しください」と門前払いするついでにその時の相手の態度をも別途記録しておくように命じておいた。一方で、動機や背後関係解明の為にも、当事者との面会は兵士2人以上の立会いの下で奨励する。
件の者達は査問官に対して、支離滅裂なことを言うばかりだった。全員に共通しているのは「何もかも柊が悪い」「あいつさえ居なくなれば何もかも上手くいく」という言葉くらいで、その”何もかも”について挙げられるのは明らかに言い掛かりが多かった。天気や待遇や健康状態など、悪いことは何でもかんでも柊の所為にするのだ。
「ホント、訳解んないわ」
千尋がそう嘆きながらも、門前払いを喰らった者達の反応から相手がどの程度女王やその命令を軽んじているかの選別を行う逞しさを見せることに、忍人はほんの少し口元が緩むのを感じていたのだった。

そんなある日、日没後にまた4人で顔を突き合わせると、柊が徐に言った。
「実は昼間、例の小者が言っていたのですが…」
小者の中には、竹簡を届けに来た際に、時々無駄口を叩いていく者が居る。碌に面識のない頃にへらへらと笑いながら「やっぱ俺、あんたのこと気に喰わないわ」と言われた時は柊も目が点になったのだが、その調子で小者連中や出身族の者達が裏で言ってる事などもポロポロ話していくので、ある意味貴重な情報源とも言えた。
「そう言やぁ、あいつら、まだ訳解らないこと喚いてるんだって?何つーか、ずっと不満溜め込んでて~、一人があんたに斬りかかったらさ、その手があったじゃん、みたいなこと?へへへ……すんげぇ、単細胞だよな」
そんな考え方は柊の頭には無かった。
そこで柊は、これだけは言いたくないと思っていた言葉を千尋の前で言う羽目になる。
「そんな人並みの頭もない単細胞生物など、まるで手に負えません。今度ばかりは、然しもの私もお手上げです」

-了-

《あとがき》

風早ED前の大団円忍人ED後のお話です。
大団円の書では、忍人さんの後ろを灰色の麒麟がうろうろしている段階です。

風早が居なくなって意気消沈している千尋が権威主義者達から付け込まれる話を書こうとしていて考えた設定を元にしています。
そのテーマに沿って出来上がった本来の小話が「忍人の書」(大団円)の「誓い」で、この話同様に試行錯誤している中で派生した小話が「禁断の書」の「最期の願い」です。

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