妻問い

「常世の国の皇アシュヴィン、中つ国の女王、豊葦原の千尋姫に妻問い申し上げる」
会見の場で突然女王に対する求婚が為され、橿原宮は騒然となった。

アシュヴィンと二人きりで庭を散策しながら、千尋は文句を言った。
「何で、皆の前であんなこと言ったのよ。あれでは断れないじゃない」
昔は中つ国の属国のようだった常世だが、今は並び立つ隣国であり、アシュヴィンは盟友だ。この縁談を断るのはただでさえ難しいのに、あのように公の場で本人から求婚されては、よほどの理由がない限り断ることも返事を長く待たせることも出来ない。生半可な対応では、一国の皇に恥をかかせることとなる。
勿論、アシュヴィンはそれを承知で、むしろ狙って妻問いしたのである。そして今も、本気で口説くために、立場を利用して人払いをしたのだ。
「まさか、あなたも他の人達と同じで、私のことは政治の道具としか見ていないの?」
「ふん、見くびられたものだな。俺は、そんな奴らの元からお前を攫ってやろうと言ってるんだぞ」
「それは、どういう意味?」
「俺なら、あいつへの想いも全て抱えたままのお前のことを受け止めてやれる」
「!」

即位式の陰で、千尋は最愛の人を失った。
禍日神を倒した後、昏倒し、体調が不完全だからと即位式は欠席して……それでも千尋の緊張を解す為にと、式に向かうところを見送りに来てくれたその帰りに、彼は賊と戦って力尽きた。
しかし、千尋には悲しみに暮れる時間すら与えられなかった。女王としてやるべきことは山積していたし、立場上いつでも誰かが傍に居て一人にはなれない。
そして、千尋の気持ちなどお構いなしに次々と縁談を薦められる。国を再興したら次は世継ぎを儲けることが重要だ、と。死んだ者のことは忘れて、早く伴侶を得ろ、と。
だが、千尋は忍人のことを忘れられない。だからと言って、それを口にすれば自分が非難されるのではなく、忍人の名に傷がつくことにもなり兼ねない。結婚を引き延ばす千尋に業を煮やした狭井君からは、忍人の死は龍の許しなく姫の心を惑わせた所為だと言われたことさえあるのだから…。その時は岩長姫が庇ってくれたが、今の千尋の周りには気持ちを慮ってくれる者は他に居なかった。
柊は追放され、風早は女王の侍従には身分が低いと遠ざけられた。那岐も鬼子だと疎んじられて何処かにやられてしまった。布都彦はまだ未熟で気が回らないし、先の戦いでの功績を認められて中央に上がれたと言ってもその発言権は軍内に限られている。それに元々、政治的なことには向いていない性格なのだ。道臣は顔を合わせれば気遣ってくれるが、狭井君達のやり方に異を唱えるだけの度胸はない。

しかし、誰もが忍人を忘れろと言う中で、アシュヴィンは忍人を忘れなくていいと言ってくれた。
「お前が誰を想い、誰の為に涙を流そうと、お前の自由だ。公の場ではそれなりに振舞ってもらわねばならんが、それ以上のことは求めない」
「それでも、世継ぎの問題はあるでしょう?」
常世だって世継ぎは必要だ。アシュヴィンと結婚すれば、千尋は次代の常世の皇と中つ国の女王を生まなくてはならなくなる。だが、アシュヴィンの答えは意外なものだった。
「無理強いするつもりはない。俺は、俺に惚れてない女を相手にするほど不自由はしてないぞ。それに、うちにはシャニが居るからな。なかなか子が出来なくても、中つ国ほど口さがなく言う奴は居ないし、俺が何も言わせない。中つ国の方も、探せば何処かに傍流血族の一人も居ないとも限らんだろう」
その言葉には、短期間で常世の国を掌握した自信が漲っていた。
「でも、それであなたには、どんな得があると言うの?」
「表向きは政治的なものだな。お前と結婚すれば、中つ国との友好関係は深まるし、常世も妃選びに煩わされずに済む。だが、最大の利点は、俺が惚れた女を妻に出来ることだ」
「惚れた女?」
目を丸くした千尋に、アシュヴィンは笑いかける。
「お前のことに決まってるだろう。俺はどうでもいい奴の為にここまでしてやる程酔狂じゃないぞ」
「その惚れた女とやらに、他の男を想ったままで良いって言うのは、充分に酔狂だと思うけど…」
「それも、お前だからだ。俺は、物わかりの良い女王様に惚れた訳ではないんだぞ。こうと決めたら突っ走る、他人の為に本気で怒ったり泣いたりする、頑固で一途な女を愛してるんだ。だから、俺がお前を愛していることだけは忘れずに居てくれ。他の誰よりも傍に居られるなら、お前が誰を想っていようと構わないさ」
「……」
「だから、俺の元へ来い。俺なら、好きな時に好きなだけお前を泣かせてやれる。例え人前であっても、俺の腕の中でなら幾ら泣いても誰も不審に思わんぞ。ここでは、お前は満足に泣くことも出来ないのだろう?」
その通りだ。女王が一臣下の為に涙を流すことは許されない。何より、千尋が立派な女王となることを願っていた忍人の為にも、決して人前で泣く訳にはいかなかった。一人になれぬ千尋には、涙を流せる場所がない。だが、常世でならば…。
「本当に、あなたはそれでいいのね?」
「最初から、そう言っているだろう」
「…ありがとう。あなたの求婚……お受けします」
そう答えると、千尋はアシュヴィンの腕の中でそっと涙を流したのだった。

-了-

《あとがき》

風早小話の「時の螺旋」から派生した、忍人の書ED後のアシュヴィン→千尋です。
他の求婚者達が千尋を女王としか見てない中で、唯一、アシュヴィンだけが千尋を見ています。
アシュヴィンは、時間をかけて徐々に千尋の心が解ける時を我慢強く待つつもりで居ます。

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