時の螺旋

風早と過ごした記憶を取り戻した千尋は、その記憶と現実との狭間で混乱していた。
「とりあえず、向こうの世界か風早が傍にいる記憶は全部今の世界での出来事じゃないって解るんだけど…」
それ以外については、巻き戻された世界での出来事なのか、それとも閉ざされた時の輪の中での出来事なのか判別が難しい。時々、今の出来事ではなかったことや知っているはずがないようなことを口にして、周りの者達から妙な目で見られてしまう。
それに、判別は出来てもつい間違えることがある。今日もまた、忍人に話しかける時に「葛城将軍」と言わなければいけないところをうっかり親しげに「忍人さん」と呼びかけてしまい、冷ややかに容赦なく説教もとい諫言を受けてしまった。
また、両目のある柊を見ると、違和感を感じて仕方がない。
「ねえ、風早はそんなことなかった?」
「さぁ、どうだったでしょう…忘れてしまいました」
風早にとっては、そんなことは遥か昔のことだった。時の輪が閉ざされて、数えきれないくらい同じ伝承を紡いで、そうしている内に自然と記憶と現実の差分に折り合いを付けられるようになってしまった。
「あの頃の俺は、記憶と現実の差よりも、未来が見えていることに苦しんでいました」
「どういうこと?」
「前に話しましたよね、あの世界では既定伝承が繰り返されていたって…」
風早の問いに、千尋は頷いて見せた。
「俺は何度も千尋の元に駆け下りて、その度に千尋の歩む道を見守って来ました。千尋がどんな選択を迫られるのか、その結果どうなるのか、それを全て見て来たんです」
「選択と結果…?」
「千尋のその選択が不幸に繋がると解っていても、俺はそれを止めることは出来ませんでした」
「えっ、解ってたなら忠告してくれれば良かったのに…」
千尋はちょっと恨めしそうだったが、勿論それが出来るなら風早もそうした。
「忠告してどうにかなることなら、それとなく異を唱えたりもしてみたんですが…。誰某を好きにならない方がいい、なんて言えませんし、言っても無駄でしょう?」
「ああ、それは確かに…」
「あと、今そっちには行かない方がいいですよ、なんて理由もなく言われて、千尋は聞き入れますか?」
「…聞かないと思う。反って気になって行っちゃうよ」
それに風早も知らない逢瀬には忠告のしようがなく、それによって育まれる恋心までは手の施しようがない。
風早は、止められるものなら千尋が忍人に惹かれるのだけは止めたかった。忍人が気に入らない訳ではなく、ただ千尋の幸福の為に、それだけは止めたいと何度願ったことか…。

戦後に想いを通わせるならばまだ救いがあったが、決戦の前に忍人と両想いになってしまった千尋が辿る運命は悲惨なものだった。
禍日神を倒して、千尋が愛する者と共に生きて行ける国を作る決意を語っていた正にその時、忍人の命は消えていった。式典を終えてそれを知った千尋が、どれほど嘆き悲しんだことか…。
だが、千尋の不幸はそれだけでは終わらなかった。
他に血族の居ない千尋は、次代の女王を生むことを義務付けられていた。
忍人のことを忘れられないまま他の男との結婚を強要され、しかも形だけでは許されない。一番多く娶わされたのはアシュヴィンだったが、彼のように全て承知の上で千尋を愛し、必要以上のことは決して望まない、忍人のことを想ったままで構わないと割り切ってくれる相手ならまだマシだったかも知れない。そんなアシュヴィンの愛情に千尋も少しは心を癒され、それなりに気持ちを寄り添わせることが出来た時もあった。しかし、相手はそういう男ばかりではなかった。悩み苦しむ千尋を見ていた風早は、那岐の身元をバラして千尋の代わりに生贄に差し出そうと何度考えたことか知れない。
女王を尊んでいるように見せて、心を持たない人形のように扱う人々に、風早は憤りを覚えた。人は滅ぶべきなのだと報告をするべきかと考えては、千尋を滅ぼしたくなくて口を閉ざした。

「そもそも、俺がどんなに阻止しようとしても、既定伝承に記された災難はどうあっても避けられませんでした」
そうだ、変えられるものなら忍人と千尋の出会い方だって変えたかった。
「国見砦の近くの泉で水浴びする千尋を、そこへ向かう忍人を、俺がどれだけ止めたかったか解りますか?」
「か、風早…何で、それ知って…!?」
千尋は、隠していた恥ずかしい過去が風早に知られていると知って、真っ赤になった。
「悲しいことに、既定伝承に記されているんです」
どうでも良さそうなことなのに既定伝承にしっかり記されているが故に、阻止出来ないのが本当に悲しかった。そんなことでもなければ、麒麟の姿になって、忍人を蹴飛ばしてでも襟首を銜えて山に捨てに行ってでも阻止したものを…。

「それに、千尋が幸せになると知っていても、他の男と結ばれるのを見るのは辛かったです」
しかも、千尋と相手が気持ちを確かめ合うより前に、ああ今回は彼に攫われるのか、と解ってしまう。
そして、その通りに千尋はアシュヴィンと結婚し、サザキと駆け落ちし、その他想い人と結ばれる。柊とは禍日神を倒した後に死に別れながらも時空を超えて結ばれた。そんな千尋を、風早はいつでも見守ることしか出来なかった。否、場合によっては見守ることすら許されなかった。
千尋の心が自分に向けられた時は嬉しかったが、その先には呪詛が豊葦原に害を為さないように、千尋の傍を離れる未来しか続いていなかった。
「そんな苦悩に比べれば、記憶の混乱なんて、俺には何の問題にもなりませんでした」
「風早……物凄く苦労したんだね」
話を聞いて瞳を潤ませる千尋に、風早は肩を落として答えた。
「ええ、あの見た目ばっかり白くて腹の中は真っ黒な元主には、もう泣かされ通しでした」
それに比べると、今の主は比べることすらナンセンスなくらい素晴らしい。そう笑う風早に、千尋は首を傾げた。
今の風早には仕えている相手など居ないはずだ。強いて言うなら、姉様になるのだろうか。
そんな千尋に、風早は誇らしげに言って見せた。
「今の俺の主は唯一人、可憐で気高く優しい真っ直ぐな心を持った、今俺の目の前にいらっしゃる御方です」
神に逆らってでも千尋の願いを叶えることを選んだあの時、風早の主は名実共に千尋になった。
だから今、風早は自信を持って、満面の笑みを浮かべてこう宣言する。
「龍神にさえも逆らったんです。千尋の為なら俺は、世界中を敵に回すことだって簡単に出来ますよ」

-了-

《あとがき》

記憶の混乱…それは二次創作を考える時にLUNAが抱えている悩みでもあります。
このルートの時、このイベントは起きたか否か、このことは知ってて良かったのか。
黒龍に喧嘩を売らなければ、柊の右目は無事に済むのだろうか。
浮かんだネタにいろいろ肉付けをしている最中、その辺りのことが解らなくなって、よく攻略サイトのお世話になっています。
そんな気持ちをネタにしたら、風早による愚痴のオンパレードになってしまいました(^_^;)

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