施 設 案 内

〜三芳町の歴史・人々のくらしぶり・自然を学習できるゾーン〜


歴史民俗資料館

  私たちの祖先が、長い時間を費やして築きあげてきた三芳の歴史と文化のしるしを収集・保存し、調査・研究し、提供するところです。調査・研究の成果は、おもに展示というかたちで皆さんに公開されます。“三芳町の歴史・文化を学び、まもり、探る館”といいかえることができます。
  常設展示室では、《拓く》(ひらく)をテーマに、武蔵野台地に暮らしてきた人々に光をあて、原始・古代から近世までの時代を追った展示、および、産業(さつまいも)、教育(寺子屋)、芸能(竹間沢車人形)をテーマにした展示によって構成されています。

 ■ 特別展示室兼ギヤラリーでは、テーマを絞った特別展示や、季節にあわせた展示を行い、また写真パネルの展示など、ギャラリーと  しても利用できます。
 ■ 研修室では、講座・教室・学習会などが催され、また、グルーブ学習、勉強会などにも利用できます。
 ■ 図書室には、展示に関する参考図書や埼玉県内の市町村史等が置かれています。展示資料や郷土の歴史・文化について、より深  く調べてみようという方々のための空間です。


縄文、弥生、古代の展示風景、手前は民俗関係の展示 三富新田 竹間沢車人形 クリックで拡大します

縄文、弥生、古代の展示
手前は民俗関係の展示

埼玉県指定旧跡
「三富新田開拓地割遺跡」
関連資料
埼玉県指定
有形民俗文化財

「竹間沢車人形」

「深鉢形土器」
縄文時代

クルリボウ(壁)
マンゴクドオシ
(右)



旧池上家住宅

「民家」について
  茅葺の大屋根、広い土間タタキ、そして幾部屋をも連ねることのできる居室部を有した伝統的な住宅を「民家」といいます。かつては、純農村地帯だった三芳町にも、つい数年前までには、あちらこちらに茅や麦藁の草葺きの民家を見ることができました。しかし、都市化による宅地開発や生活様式の変化に伴い、いまではほとんど見ることができなくなりました。  
  そのような中で、歴史民俗資料館の敷地の中に移築復元された「旧池上家住宅」(三芳町有形指定文化財 昭和63年7月8日指定)は幕末から明治時代の始め頃に建てられたと推定される民家です。
 今ではほとんど見られなくなつた伝統的な建築技術をいたるところに見ることができるとともに、住宅内に置かれた民具によつて、当時の人々の生活の様子をうかがうことができます。この民家は池上仁家の住宅として長く使用されてきましたが、昭和62年7月から昭和63年6月までのおよそ1年をかけて移築されました。

旧池上家住宅全景 旧池上家住宅内部台所 旧池上家住宅内部 旧池上家住宅廊下
旧池上家住宅全景 旧池上家住宅台所 旧池上家住宅内部 旧池上家住宅廊下


旧池上家住宅庭先 旧池上家住宅内部台所 旧池上家住宅囲炉裏 旧池上家住宅かまど
旧池上家住宅全景 お正月の用意 旧池上家住宅台所 旧池上家住宅囲炉裏 旧池上家住宅かまど



建築年代
 建築年代や規模の大きさとともに、私たちの祖先が長い年月をかけて培った技と知恵を現在に伝えています。調査によって、明治時代初頭の頃の建築と推定される建物であること、間口11間(20.02m)奥行6間(10.92m)66坪(217.8u)というこの近辺ではあまり見ることのできない大型の住宅であること、居室部(部屋)が3列3段の9間を持つもので極めて類例の少ないものであることなどが分かりました。
 内部は概ね東半分がタタキ、西半分が居室部になっています。タタキ部分は台所、カマバ(炊事場)、ウマヤ(作業場)、土間に分かれ居室部は36坪(118.8u)となっています。建築年代の推定にあたって、棟札などの建築年代を明確に示す資料は発見されませんでしたが、@屋根裏から発見された祈祷札が文政10年から嘉永6年の26年間に集中していること。A居室部の上屋柱の柱間がほとんど1間で構成されており、明治前半期以前の構造を示すこと。B明治10年代以降において使用の広まった洋釘は使用されておらず、和釘が使用されていることなどの点から
江戸時代末期から明治時代初頭の建築であると推定されています。

時代背景
 三芳町のほとんどの地域が江戸時代になって開拓された畑作新田村、開拓においても相当の努力が払われたようですが、肥沃ではない台地帯の畑を実りあるものにするのには、弛まず努力し知恵を絞らねばならなかったようです。
 しかし、歳月が過ぎ、そうした努力が実を結び、この旧池上家住宅が建設された明治の初め頃には、この近辺では比類ない豊かな畑作地帯に変わっていたようです。
 この建設にあたっては豊かな経済力がなければ、この大型の旧池上家住宅の建設は不可能であったに違いありません。そんな時代のモニュメントととらえ、長く将来に伝えていくべき建物といえるのではないでしょうか。
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竹間沢「こぶしの里」

 
 柳瀬川に臨む台地の崖線(がいせん)に整備された自然の散策道で、崖下にはわき水が小川となって流れ、こぶしをはじめとするさまざまな草木を、四季を通して見ることができます。
 かつて、わき水は崖下の柳瀬川の沖積地に広がる水田地帯を潤し、崖線の雑木林は、落葉する葉が良質の堆肥として活用され、樹木は薪として使われていました。すなわち、ここは自然を良く残すところだけでなく、かつての農村の生活には欠かすことのできない場所であったのです。
 時が変った現在、ここは「竹間沢こぶしの里」として、緑と水に触る憩いの場として蘇りました。


こぶしの里で会える花たち
コブシ ニリンソウ ヤマザクラ こぶし
コブシ ニリンソウ ヤマザクラ こぶし2002/02


〈歴史民俗資料館〉を中心としたこれらの施設を、新しい地域文化創造の拠点として、また、歴史や自然の学習の場としてご活用ください。