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歳時記内リンクMenu @五月飾り Aカリキリ B七夕 Cお盆 D十五夜 Eシワスヨーカ F正月飾り G小正月 H節分 Iひな飾り





 七夕、十五夜、正月飾り....
 資料館では、単に展示物をご覧いただくだけではなく、様々な実際の体験を通じて学習できるように事業を展開しています。
 私たち日本人は昔からこれらの年中行事を受け継いできました。しかし、ここ数十年の間で私たちの生活習慣も大きく変化し、今では行われなくなってしまったものも少なくありません。
 資料館では「民家歳時記」として、ほんの少し前までは三芳の家々でもよく見られた年中行事を、旧池上家住宅に再現しました。この年中行事には、家族の健康・子どもの健やかな成長・作物の順調な生育と豊作・そして収穫といった、人々の祈りや感謝の気持ちが込められていました。
 また、旧池上家住宅は今でも誰かが住んでいるような、生活感・季節感のある展示を心がけていますので、下記の「民家歳時記」のスケジュールにあわせて見学されることをお薦めします。
日程については、多少前後するときがございますので予めご了承願います。
小正月のまゆ玉かざり







 
民家歳時記の年間予定
 
歳時記 展示内容など
こいのぼり
@展示期間の目安 4/23〜5/14
展示内容  
 庭先に竿を立て、鯉のぼりをあげる。
 このロープ張りはなかなかの重労働。専用支柱1本設営し、ほかに木杭2本を打ち込みます。もう1ヶ所はイチョウの大木に攀じ登りロープを取り付ける決死の作業。展示期間中は毎日上げ下ろしを行いますが、風の強い時がちょっと心配。
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五月人形飾り
@展示期間の目安 4/23〜5/14
展示内容
 床の間の部屋に五月人形を飾る。
 左の上の写真は特別展示室の和紙製の緋鯉。鯉の体にリアルな立体感が出ていると思いますが、中身はさて何でしょう。
 端午の節供ともいい、5月5日の年中行事であり、菖蒲やヨモギを家の軒にさして鯉のぼり、武者人形を飾り粽、柏餅を食べるという現在でも普及している習俗です。
 現在では、この節供を男の子の祭りとし三月の桃の節供を女の子の祭りとしているのが一般的ですが、中部地方や四国の一部ではこの日もしくは前夜を「女の家」「女の夜」などといい、この時だけ女性が威張れるという地域もあります。
 これは旧暦では皐月は田植え、田植え月を意味する田植えの時期であり、早乙女として田植えの主役を果たし、田の神祭をつかさどる女性を厚遇するということからきているようです。
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ノキショーブ
展示期間の目安 5/2〜5/7
展示内容
 魔物や病気が家の中に入り込まないように軒先にショーブの葉とヨモギの葉をさします。(大戸口、縁側、井戸、蔵)
 この習俗は以前においては、ほぼ全国的なものとなっており「讃岐典侍日記」「蜻蛉日記」などの平安時代の記録にも見えています。
 五月の節句の日には現在でも菖蒲湯を沸かしたりしますが、菖蒲酒を作るという地域もあり、また、関西・中国地方ではセンダンの花も併用、おできに煎じた菖蒲をつけるという民間療法もあるようです。
 この行事は軒にさして物忌みにあることを示すとともに、芳しい香りの植物で邪気を払うという意味合いが込められていたのかもしれません。
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鎌洗い(カリキリ)
開花した蓮の花
A展示期間の目安 6/27〜7/7
展示内容
 箕の中にうどん・まんじゅう・鎌・とっくり・収穫物を入れて、縁側に供える。
三芳のカリキリ
 かつて麦は込めやサツマイモと並ぶ主要な作物であり、5月末から6月上旬になると、麦の刈入れが行われました。まず、大麦から始まり、七月初めまでには小麦も刈り終わりました。麦刈りにはやや細身の麦刈り鎌を使います。刈り取った穂は、穂を先にして2把ずつ交互に積み上げて(「ボッチに組む」)、畑で2、3日乾燥させたあと家に運びました。
 そして、刈入れがすむと「カリキリ」(「カマカケ・刈り上げ」)という行事がありました。これは麦刈り鎌をきれいに洗って、お神酒・ゆで饅頭(または、ぼたもち)を供え、灯明を灯しうどんを食べて祝うものでした。
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七夕飾り
B展示期間の目安 8/1〜8/9
展示内容
 来館者のみなさんが、願い事を書けるように、短冊と筆を用意し、民家の庭に竹を立て、飾り付けをします。
三芳の七夕
 「ホシイワイ」ともいわれています。8月7日の晩に庭に笹飾り、軒先に眞菰で作った一対の雄馬と雌馬を飾ります。「七夕は朝饅頭に昼うどん」といって、この日は農休日でもありました。
 笹飾りは、子どもたちが主役となって準備。短冊には、里芋の葉の上に溜まった露ですった墨を用い、習字の練習をした後で、「天の川など七夕にちなんだ言葉・人の名前・いろは歌」を書き、現在のように願いごとを書くことはなかったようです。
 飾りを楽しんだ後は、竹間沢では柳瀬川に流しにいったり、崖から投げ捨てたりしたそうです。また、川のない上富や北永井では、畑の案山子代わりに使われたということです。
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まこもの馬と供え物
B展示期間の目安 8/1〜8/9
展示内容
 軒下にまこもで作った馬、縁側に野菜を箕に入れて供えます。七夕の夜、織姫と彦星が、うまにのって再会できるようにと願いを込めて飾られます。
三芳のまこもの馬
 竹間沢では、前もって柳瀬川のほとりで眞菰を刈り取ってきて、陰干しにしておきました。藤久保や北永井では、眞菰の代用として稲藁やチガヤが用いられました。
 8月6日になると、その家のお年寄りが馬を作りました。七夕が終わると、何日かは子供の遊び道具となり、そのあとは屋根の上に放り上げられました。
 また、その頃畑で採れるナス、きゅうり、とうもろこし、スイカ、トマトなどの野菜を箕に入れて饅頭と共に供え、作物の豊作を祈願しました。
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盆棚飾り
C展示期間の目安 8/12〜8/21
展示内容 
 神棚の部屋に盆棚を飾る。盆棚の中に掛け軸、仏壇の位牌、線香立て、ハスの葉とミソハギの花を入れたどんぶり、キュウリやナスの馬・牛に置く。盆棚の下には無縁仏を置く。正面に2本の若松を立て、チガヤで作った綱を張り、幅広の手打ちうどんを供え、背負縄をホオズキを下げる。
三芳の盆
盆棚(8月13日の昼) 
 祖先を迎えるため、座敷などに仏壇とは別に設けます。現在は木製の組み立て式のものを使用しますが、かつては酒樽、戸板、障子などを使用して作りました。
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十五夜
D展示期間の目安 9/12〜9/17
展示内容
 縁側に文机を出し、ススキを入れた一升ビン、だんご、供え物を飾る。
三芳の十五夜
 「十五夜様」ともいわれ、秋の収穫を祝ったり、五穀豊穣を祈願する思いが込められています。三芳では以前から満月の日でなくても9月15日に行われていました。戸を開けて月が見えるようにしてお供えは縁側に飾りました。ススキ5本を一升瓶に差し、だんごまたはぼたもちを15個皿に出して山状に盛り、栗、柿、里芋、サツマイモなどを箕の中に入れて供えました。
 十五夜のお供えはもらったり、盗んでもよいものとされており、小学生くらいの子どもたちが4、5人で家々を回り、「十五夜をささげてくんな」などといって、供えてある栗、柿、里芋、サツマイモなどをいただいたということです。こうした習慣は昭和30年代にはやがてなくなってしまいました。その理由としては、教育上好ましくない、生活が豊かになり子供が欲しがらなくなった、十五夜を行う家が少なくなったことなどが挙げられます。
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シワスヨーカ
E展示期間の目安 12/8
展示内容
 竹竿に目の粗いカゴをさして、軒先にかける。
三芳のシワスヨーカ
 八日節句
ともいいます。 かつては、1月8日に行われていました。鬼が家の中に入ってこないように、竹ざおの先に目の粗い籠(メーカイ)をさして、軒端に立てかけておきます。夕方、ご飯を炊くときカマドで葱の皮を燻して魔よけとしました。夜には、大根飯を食べました。
 八日節句が終わると、いよいよ正月の準備です。12月中旬頃までには、すす払い・薪り支度・餅つきなどを済ませておきました。また、1年の間に生まれた子どもの成長を願って弓破魔・羽子板を贈ったり、ハシカケ(仲人)にお歳暮を贈ったりします。
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正月飾り(大神宮様)
床の間飾り

歳神様

井戸神様
F展示期間の目安 12/26〜1/9
展示内容
・大神宮(伊勢神宮)、井戸神、床の間、恵比寿様、荒神様(オカマサマ)を掃除し、新しい注連縄(大根注連)や幣束に変える。歳神様は、その年の恵方(エホウ、アケノカタ)へ向ける。
 「恵方」は吉方、得方とも書き、古くは正月の神の来臨するめでたい方角をいい、暦術によればその年の歳徳神のいる方向をいう。(「広辞苑第5版」ほか)これは中国から伝来した十干十二支の思想に基づくもので、干支の組み合わせにより、その年の恵方が決定される。古くは平安期の陰陽道に現れ、近世の様々な民間信仰の普及によりさらに広まり、恵方参りや上記の歳神様の信仰に結びついていった。
 「荒神様」はもともとは「古事記」「日本書紀」に登場する神様で、権威に従わない荒ぶる神であった。この神は不浄を嫌い、火は不浄を祓い清めるところから火の神、竃の神とされたという。(「日本の神々と仏」岩井宏實監修より)

・民家の庭の入り口に門松を飾る。(12月29日〜30日)
 門松を飾るには、枝葉が三層に重なり合った様子のよい三階松(三蓋松)が選ばれ屋敷の入り口に飾ったが、入口に注連縄だけを飾る家や、玄関から一間ほど離して庭に飾る家もあった。

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まゆ玉飾り部分拡大

全体の様子。
繭玉の下には石臼が。
G展示期間の目安 1/14〜1/18
展示内容
 まゆ玉団子をさした樫・コナラの枝を、石臼の穴にたてて大きな飾りを作り、大神宮様のある座敷に置く小正月(1月15日)の年中行事
 1月14日の朝、上新粉で繭玉を作ります。作物が豊かに実った様子をあらわしたもので、白い団子のほか食紅を使いサツマイモ、里芋、人参などの特産物に似せた団子を作ります。家によっては、豚の形をした団子を作る場合もありました。
 楢、樫、柳などの木の枝に団子を刺し、大神宮様(伊勢神宮)のある座敷に石臼の穴を利用して立てます。そのほかの神仏(恵比寿様、荒神様、屋敷神、水神様、仏様、氏神様)には、梅の小枝に刺して飾りました。
また、大神宮様へ柄杓に12個(うるう年には13個)を入れて供える家もあり、14日の晩には神棚とまゆ玉に白いご飯を供える家もありました。
 この繭玉は16日まで飾ったあとに食べました。
 こうした物づくりは、このほかにニワトコの木や竹などを使用した「アボヒボ」(粟穂稗穂)「タワラ」などの細工ものがあり作物の豊作を祈って作られたと考えられます。
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節分
 柊の葉の間の黒く光って見えるのがイワシの頭です。

H展示期間の目安 2/3〜4
展示内容
 節分は本来季節の変わり目の立春、立夏、立秋、立冬を指す。だが、一般には2月3日の立春の豆まきの日をいう。鬼が嫌うといわれているイワシの頭をあぶり、ヒイラギにさして、大戸口、厩口(うまやぐち)、背戸、蔵、裏口などに飾る。
 この節分の行事は新年を迎えるにあたって福を招く中国の行事「鬼払い」の儀式が原型といわれ、唐代にわが国に伝わり元々あった「豆うち」の行事と合わさったといわれている。節分の豆まきは、古くは大晦日に宮中で行われていたが、やがて節分の夜に寺社でも行われるようになったとのことである。(「日本の神々と仏」岩井宏實監修より)
三芳の節分
 節分はその年の年男が行います。風呂から出たあとに、わそいきの着物を着た年男は、煎った大豆を入れた一升瓶を持って神棚に礼拝し、「福は内」を3回唱えます。次に、玄関を開けて「福は内」を3回叫び、最後に豆を一掴み持って「鬼は外」と叫んで放り投げます。撒き方は東⇒西⇒南⇒北の方角に順番に撒いていきました。大豆は1合ほどをホウロク鍋で煎り、撒き終えて残った豆は歳の数だけ食べました。
また、トボクチ(玄関)などの家の出入り口にはヒイラギと火であぶったイワシの頭を飾ります。イワシを炙るときは、唱えごとをいいながらイワシの頭に唾をかけて焼きました。唱えごとにはその家によってさまざまであったようです。
(唱えごとの例)
「ナッパの虫もジーリジリ、よろずの虫もジーリジリ」
「アワノメガをジーリジリ、大根のシンクイムシをジーリジリ、アブラムシをジーリジリ、アオムシをジーリジリ」
「オカボのズイムシコーロコロ、アワの虫もコーロコロ」
「○○虫を□なき申せ」
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ひな人形飾り
I展示期間の目安 2/17〜4/11
展示内容
 
床の間の部屋に雛壇を設け、緋毛氈を敷き金屏風を立て三月人形を飾る。
7段飾りの場合は次のような飾り方となります。
最上段 内裏雛(関東では向かって左が男雛。関西はその逆。)中央に桃花酒、左右の端に雪洞。
2段目 三人官女。官女の間の2ヶ所に高杯に盛った紅白の餅。
3段目 五人囃子。
4段目 随身(左大臣・右大臣)2人の間に御膳と菱餅を2つずつ。
5段目 三仕丁。左近桜。右近橘。
6段目 箪笥、長持、挟箱、鏡台、針箱、火鉢、茶道具などの嫁入り 道具。
7段目 御所車(牛車)、重箱、駕籠。
雛祭りについて
 3月3日は、上巳の節句といいます。元々は3月の最初の巳の日でしたが、同じ数字が重なるほうが縁起がよいとされることから、3月3日になりました。この日、古来中国では盃を水の流れに浮かべて穢れを払う曲水の宴という風習がありました。また、人の形に似せて作った人形に穢れを移して、水に流す流し雛という風習も有り、これらが結びついて雛祭りになったと思われます。
 平安時代の頃は鄙遊び(女の子の人形遊び)が行われていましたが、室町時代以後雛祭りが盛んになりました。はじめは幼児を仲間に入れないで、人形を喜ぶ年齢の女の子だけが雛を飾って祝っており、江戸時代には雛祭りは3歳からはじめて13歳でやめるというという風習もありました。そのうちやがて幼児も仲間入りをし今日のような女の子の初節句を祝うようになりました。
 また、旧暦ではちょうど桃の花の季節でもあったため、桃の節句とも呼ばれるようになりました。桃の節句には、桃花酒(酒に桃の花をうかべたもの。現在では白酒。)やヨモギの菱餅で祝い、神様に供えるとともに人々も食べて穢れを払ったということです。
三芳の雛祭り
 女の子のいる家で行われ、初節句となる家では2月下旬から雛壇を設けました。特に初節句の子が長女の場合には盛大に行われました。里親(母方の両親)から内裏雛が、親戚や知人からその他の雛やお祝いの品が贈られました。返礼はハマグリ10個程度。またはトリノコモチという鶴の形をした餅、ヨモギを摘んでついた菱餅などでした。また、この日は嫁いできた嫁が実家に帰ることができたそうです。
 昭和初期までは子どもの成長だけではなく、「雛祭りは作神様のまつり」として豊作を祈って、毎年裃雛を買い足した家も多くあったということです。
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参考「日本民俗事典」(1972年/大塚民俗学会編/弘文堂発行)、「三芳町史 民俗編」(1992年/三芳町発行)


刊行物案内 資料館で頒布している刊行物の一覧表です。頒布場所および方法も併せて、こちらをご覧ください。

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