香取 秀真(かとり ほつま)
1874(明治7)年〜1954(昭和29)年

 千葉県印旛郡船穂村(印西市)に生まれる。本名,秀治郎。7歳の時,佐倉麻賀多神社の宮司である郡司家の養子となる。明治30年東京美術学校鋳金科卒業。日本美術協会,東京彫工会,東京鋳金会で活躍し,その後帝展の工芸部設置に尽力する。昭和4年帝国美術員会員,10年には帝国芸術院会員に挙げられた。その作風は,豊かな技術を駆使した古典的で格調高いものであった。また早くから東洋金工史の研究に着手し,母校で鋳金史,彫金史などを講じ,昭和8年教授となり,著書には「日本金工史」「金工史談」「日本鋳工史」などがある。さらに文化財保護にも携わり,重要美術品等調査委員会委員,国宝保存会常務委員会常務委員,文化財専門審議会専門委員を歴任。昭和28年多方面の功績により文化勲章を受賞した。また,正岡子規門下の歌人としても著名で,宮中新年歌会召人をつとめた。


 当館所蔵の作品より

鳳凰薫炉(ほうおうくんろ)

多豆釜(たづがま)