孟副県長の話
「興隆県の概況と問題点」

2001年8月18日

於:広興賓館

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孟さん

 私と同僚の白さんは「第5回中国山地教育を支援する会」の皆さんの興隆県へのご来訪を歓迎したいと思います。第5回の訪中団の皆さまの多くは昔からの友人ですが、今回新しい友達もできて嬉しいです。通訳のA先生は初めてですね。Mさんも、Iさんも初めてでしょう。先生たちに会えて嬉しいです。

今回のご訪問は特別の意味をもっていると思います。皆さんご存知のように、中国と日本の二つの国の間で最近摩擦が起きています。小泉さんは中国を含めたアジアの強い抗議にもかかわらず、8月13日に靖国神社を参拝しました。彼の靖国参拝は私たちの感情を強く傷つけています。日本軍国主義の残った勢力とか侵略の考え方を反映しているのだろうと私たちは考えています。56年前の中国侵略とアジア侵略のことを粉飾しているのだろうと思います。

 こういうきびしい事情の中でN先生、J先生、I先生を始めとする皆さんが私たちの抗日戦争時代の根拠地としての興隆県を5回も訪問するということは、大変大きな意義をもっていると思います。山地教育を支援する会の方々は平和を愛する皆さんです。非常に正しく歴史を見ています。中国と日本の両国の人民の友情を大事にしている人たちです。皆さんの精神を高く評価しています。

 このメンバーの皆さんの多くは興隆県は初めてではないので、興隆についてたくさん理解をしていると思います。興隆県は日本の侵略で多くの被害を受けたところです。1942年から45年の2年余りの期間で、興隆県の県民の3分の1は戦争で亡くなりました。しかし興隆の県民は中国と日本との友情を大事にしています。N先生を始めとする山地教育を支援する訪中団の皆さんを心から歓迎します。

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孟さん

 日本軍が興隆県で何をしたかということを、日本の人々に伝えてくれたということで皆さんは大きな貢献をしていると思います。私たち興隆県の人民は感謝しております。興隆県は日本の新潟県と同じようなところで、山地の、山々の奥にあります。ここは燕山山脈の東にあります。燕山山脈の一番高いところの嶺、霧霊山というところは興隆県にあり、海抜2118メートルです。興隆県の中には海抜1000メートル以上の嶺が41あります。河川は10あります。河川はだいたい北京の方へ流れて行きます。あるいは天津を経て海の方に流れて行きます。ですから興隆県は北京と天津の飲料水を提供するところなのです。ですから興隆県は環境保護を非常に重要視しています。戦争時代たくさんの森林が焼かれました。戦争後興隆県の県民たちは一生懸命県を作り直しました。50年間たくさんの木を植えました。今は全国の緑化甲級県です。つまり一等県です。森林の面積は53%です。

 興隆は北京、天津、承徳、唐山という4つの都市に近いです。4つの都市をつなげています。この4つの都市は、どこへ行くにもだいたい2時間半ぐらいかかります。以前から鉄道がありますけれども、今は普通の道路を作り直しています。昨日皆さん気づいたと思いますけど、北京から平谷県を通り、茅山を通って興隆県へ入りました。今までと別の道を選んで興隆県に入ったのですけれども、なぜかというと今密雲県を通って北京に行く道は整備中です。国が1億元の人民元を投資してくれて、この道を作っています。新しいこの道は北京につながっています。来年の10月以後これを使えるようになると思います。興隆街から大杖子までの道は来年から作り直します。5年後には、興隆県からこの4つの都市につながる道は全部改善されると思います。

 午後皆さんは興隆の街を見る予定があると思います。今の発展のレベルはまだ低いです。実情はまだ良くないです。しかし私たちは今既に街作りの計画を立てています。今年の年末から計画的に全興隆県の街を作り直します。興隆は山の奥ですし森林が50%以上を占めていますので、非常に涼しいところです。ですからこれから観光を興隆の1つの大きな産業として発展させたいと思っています。興隆を訪れる観光客はますます多くなっています。今日は土曜日ですが、普通は土日はほとんどのホテルが満員になります。観光業は興隆県にとっては朝日のような産業です。朝日のように新しくて、これから希望をもたらしてくれる産業です。ですから皆さんが今度いらっしゃる時には、観光をもスケジュールに入れて下さるようお願いします。

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孟さん

 興隆県の教育の発展も非常に迅速です。劉県教育局長がこれから紹介するだろうと思いますが、興隆県の教育発展は中国山地教育を支援する会の皆さんの努力と深い関係を持っています。もちろんN先生を始めとする皆さんのお陰です。近年皆さんのお陰で一番貧しい山地の校舎は作り直されました。中学校は大杖子中、大水泉中、モクイ中の3つの中学校です。小学校は石仏小、営南峪小、茅山小、劉杖子小、劉寨子小で、これらのところは興隆県の一番貧しいところです。これらの小学校、中学校の校舎が改善された後、先生も学生もやる気が出てきました。これらの学校の先生方は非常に仕事が真面目で、学生も学習意欲が高くなっています。ですから適齢の児童の入学問題は大きく改善されています。適齢の学生がふさわしい教育を受けるためにふさわしい条件を作ってくれました。今年訪中団は2つの小学校を支援してくれると思いますが、山奥で生活している学生と親を代表して皆さんに感謝の意を表したいと思います。またご来訪を歓迎したいと思います。

 小泉さんが何をやろうとしても、山地教育を支援する会の皆さんとの交流と友情は永遠に続くと思います。皆さんの努力でこれからもっと多くの日本の友人が興隆に来てくださることを期待しております。私たちはいつまでも歓迎したいと思います。私の話はこれまでにします。何かご質問がありましたら遠慮なく出してください。

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Iさん

 先ほどの観光客のことですが、どの辺から来られますか?外国からも来ますか?

孟さん

 観光客は基本的には北京と天津から来ています。外国からの観光客はほとんどいません。興隆県はまだそれほど自己宣伝はしていません。なぜかというと、ここの設備がまだ足りなくて、ホテルとかいろいろな交通もそうなのですが、多くの人が一度にどっと来るとこちらも困りますので。例えば今皆さんが泊まっているようなホテルは今建設中です。これから基本的な施設を整備して、それから外国からの観光客が来やすくなるようにしたいと思っています。今年の観光客は20万人ぐらいです。

Nさん

 ここの産業で農業以外に、これから鉱石、鉱山業というのが重要になると思うのですが、その辺のことで困っていらっしゃることがあったらおっしゃって下さい。援助出来る方法があるかどうかをみんなで考えたいのです。

孟さん

 鉱物といえばここは金が出るところなのですが、あれはほとんど戦争中に日本が工場を作って採掘して運んで行ってしまったのです。今の鉱物と言えば鉄しかないです。あとは石炭。これは今既にやっています。

Jさん

 先ほど北京、天津への飲料水の供給地だというお話がありましたけれども、今年は旱魃だと聞いていますけれども、水事情はいかがでしょうか?

孟さん

 厳密に言えば飲料水の提供地というより水源です。直接的に水を提供するところは2つのダムなのです。北京の場合は密雲県の密雲ダムというところ、天津の場合は潘家口というダムが水を提供するのです。ここはダムに流れて行く河川の上流にあります。ですからここを流れている水の質とか量とかは天津と北京にとっては非常に重要です。ここは森林が多くて空気も良くて、今は汚染物を出すような企業をカットしているので、北京や天津の日常生活にとって大きな役割を果たしているところです。

 旱魃のことを言えば、99年、2000年、それから今年の春まで2年半ぐらいは雨が降らなかったので旱魃がひどかったのですが、しかし夏以来雨が降り出して旱魃という状況は今ほとんどなくなりました。今年の降水量は例年と同じくらいに戻りました。まだ多いとは言えませんけれども。降水量の多い時には年間1000ミリメートル以上になっております。普通は800くらいなのですけども。

Jさん

 中国の水不足は世界的な問題になってとても心配しているのですけど、興隆の皆さんは、飲料水や農業用水は今のところ間に合っているというように理解していいでしょうか?

孟さん

 まあ、そうでもないです。3万8000人の人々が今水の足りないところで生活しています。興隆の水の資源はその分布が偏っています。例えばN先生も行ったことがあると思いますが、営南峪や西三雅口などは水が足りないところです。西三雅口の奥の4つの村も水が足りません。

 普通は飲料水はどこから来るかというと、まず雨が降って、それが屋根から下に流れて、下に小さな溝が掘ってあってそこを流れて、人工の池を作ってそこに流れて行くのです。飲料水をそこから取るのです。そこの地形は石灰質なので水が漏れて溜まらない。もし雨がよく降るとその人工の池の中に水があるのですが、もし雨が降らなかったら20キロから30キロの遠いところから水を運びます。トラックとかロバとかでやります。この水の足りないところはほとんど昔の根拠地のところです。もし時間があったら劉さんに案内してもらって、どういうふうに飲料水の問題を解決しているか見てください。県政府は毎年この水不足のことを非常に重視しています。

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