県婦女連合会との座談会
「女性の生活について」

2001年8月18日

於:興隆街広興賓館会議室

CONTENTS
    座談会出席者
    • 侯 県婦女連合会主席
    • 路 同副主席
    • 劉 県教育局長
    • トウさん
    • その他
先頭へ戻る

Nさん挨拶

 私は94年から何度も来ているのですが、婦女連の方々にお会いするのは初めてです。それで今日はいろいろお話を伺わせていただきたいと厚かましくお願いしました。どうぞよろしくお願いします。戦争中からとてもしんどい思いを、皆さんにおさせして本当に申し訳ありません。遠慮なさらないで当時のこと、それから後の現在に至るまでのご苦労のことなどお話しください。

侯さん

 資料を準備していませんので自由に話したいと思います。興隆県の婦人会のことについて話したいと思います。興隆県の総人口は31万6000人ぐらいで、女性は15万1000人です。働いている女性労働者は6万2000人です。興隆県は農業の県で、果物も有名で林業もいいのですけれども、90%は山です。女性は基本的に仕事と家事の両方をやります。生活水準が高まるにつれて女性の生活もだんだん良くなりました。昔は貧しかったのですが、今はだいたいまあまあの生活をおくれるようになりました。今私たちの婦人会では3つのキャンペーンをやっています。農村部では知識を習う、勉強することを呼びかけています。県の街においては、業績を上げようというキャンペーンをやっています。それからもう1つは精神面のことなのですが、良い家庭を作ろうというようなキャンペーンをやっています。

 農村部では農民の女性が短期大学のレベルに達しているのは118人で、農業の技術の学校に通った人は500人ぐらいです。「緑の証書」というものがあって、つまり農業の技術を習って、その証明書をもらった人が6800人います。それからいろいろなトレーニングを受けた人はもう5万8000人になっています。実用技術のトレーニングです。農村部では今、農作物を植えることと、鶏などの飼育が主な仕事です。農作物を植えるといっても畑が少ないですから基本的には果物を植えます。果物はリンゴ、サンザシ、クルミなどで平均して1人が100本以上植えています。飼育は鶏やウサギ、ブタなどです。ウサギは肉を海外にも輸出していますし、皮が今わりあい高くて1匹分で40〜50元になります。肉だけでも充分資本が返ってきます。農業とか飼育が良く出来る女性を「女能手」と言いますが、今全国レベルの人は1人で、いろいろなレベルの人合わせて100名を越えています。つまりこういうキャンペーンでみんなが積極的に建設経済に参加するよう励まし、奨励しています。男の人と同じように世界の半分を担当しています。

 興隆県は98年から「小康県」になりました。ある程度の基本的な生活ができるような経済力ができたということです。衣服があってご飯が食べられるという、衣食足りる状態を「温飽」と言います。これは最低基準。それから最高は「豊」。「豊」にはなっていないのですけれども、基本的な条件は満たされています。服もあってご飯も食べられて生活が問題ないという程度よりはちょっと良いのがこの「小康」水準です。女性は積極的に仕事をしていますから、社会においても家庭においても地位は高いと言えます。昔の男尊女卑の考え方は大いに改善されています。

路さん

 80%の女性が家庭の中で経済権、家計を握っています。

侯さん

 女性は結婚して仕事を辞めることはなく、農村部でも都市部でも仕事を続けています。そういう意味で女性も大変つらい面もあります。しかし、余暇を利用して娯楽やスポーツをやる人もだんだん多くなってきています。

路さん

 いろいろな郷でも鎮でも、各地にいろいろなクラブがあって、民間のダンスを踊ったり歌ったり、いろいろな活動をして余暇をおくっています。例えばこの街では週末になると、この街の近くの郷と鎮が集まって出し物を披露します。その中心にあるこの街は特にそうなのですが、興隆県は全国から見てもスポーツ先進県なのです。スポーツが大変重視されています。女性も含めて水泳、エアロビクス、バスケットボール、バレーボールなどいろいろやっています。体育館の他に、いろいろな場所でもスポーツ活動が行なわれています。

侯さん

 改革開放後、女性の衣・食・住・行(外に出かける)のいろいろな面で前よりは良くなりました。基本的な状況は以上のようなことなのですが、特にお聞きになりたいことがあればお話します。

I(司会)さん

 どうもありがとうございました。特に女性の暮らしや何かで質問はありませんか?

高(通訳)さん

 昨日のバスの中の女性の方の質問なのですけれども、中国は男女平等ということは世界でも進んでいると言われてますけれども、しかし定年退職の年齢は女の先生は55歳で、男の先生は60歳で5年の差があります。これは女性に対する優遇とも考えられますけれども、また別に差別というように考えてもおかしくない。この政策をどう解釈すればよろしいのですかと聞かれましたが。

侯さん

 定年退職の年齢に関しては、今まで何十年も議論はなかったのです。それは建国後の制度で、その時から女性の体の健康を考えて優遇策として政策を取ってきました。女性たちは優遇政策だというふうに理解していました。しかし近年になると議論がされるようになりました。女性が早く退職すると、関連する優遇政策が取れなくなる場合が出てきます。例えば仕事の年齢に応じてある程度の住宅の補助とか、医療とか、別のいろいろの補助が出てくるんです。しかし早く退職すると出るお金が少なくなります。これは女性に対する差別ではないかという議論も出てきました。

 路艶菊さんこの制度はまだ変わっていないのですけれども、しかし議論するようになりました。

侯さん

 女性とか男性の利益に深く関係していることですから、補助とかお金のことが関係してくるから不満も出てくると思います。

Mさん

 賃金関係は男性を100とする時、女性は幾らですか?

侯さん

 賃金は同じです。2年に1回男女とも上がります。

Iさん

 では55歳で定年になれば男性より2回分ぐらい下だから、それが年金の基礎になって、女性に不利益になるのではないかという問題ですね。

劉さん

 50年代からの定年政策というものが、どういう根拠があって作られたかははっきりは知りません。その時の理由があって作られたのだろうと思います。当時は一人っ子政策もなかったわけですから、家事や世話なども多くて、保育所や幼稚園も少なくて、退職してから孫の面倒をみるなどいろいろな理由があっただろうと推測しています。しかし当時は何の議論もなかったのです。最近は男女の平等の権利意識も強くなって、子どもも1人しかいない、家事労働もそんなに多くないのです。洗濯機とかいろいろなものがあって。ですから男性と同じように仕事をしてもいいのではないか、という意見も出されました。昔は行政部門と学校のようなところでは男性60歳、女性は55歳で、普通の労働者だと男性は55歳で女性は50歳の形を取っていましたけれども、今はだんだんそれをなくすようになっています。例えば最近中国の政府は、小さい政府にしようと、日本の行政改革と似たような感じなのですけれども、興隆県の場合、課長クラスの人は52歳定年、局長は55歳で男女を問わず一斉に定年を迎えるようになっています。ですからだんだんそういう違う年齢での定年政策は、これからなくなるだろうと思います。

Iさん

 女性の管理職はどのくらいの割合なのですか?

劉さん

  校長、教頭になった人はだいたい10%です。

侯さん

 郷と鎮は20%という基準があります。しかしまだちょっと足りません。県レベルの行政機関ではだいたい10%を越えています。郷と鎮は行政レベルは同じですが、郷は農村部で、鎮の方は生計の水準は高くて人口も集中していて規模も大きいです。だけど女性が実際にナンバー1になることは少ないです。副校長とかの副職が多いです。

Mさん

 55歳定年だと年金は何歳から出ますか?

劉さん

 中国の場合30年間続けて働いた場合にもらえます。

Mさん

 55歳のその時から年金をもらえるのですか?

劉さん

 中国では年金という言葉はないのですが、55歳で定年になって退職してから給料の90%をもらえます。中国は日本と違って年金というシステムはなくて、ある程度の年数を働いてから退職して給料の何%かもらうわけです。働いている人は経済発展の実情に応じて給料が上がっていきます。定年になった人の分も上がりますが比率は同じじゃないのです。

Jさん

 農村の女性たちの収入や老後の生活の保障はどうなっているのですか?

路さん

 農民は基本的に保障はないのですが、最近はすごく豊かになったところ、例えば南の方とか、興隆県のごく一部の村で60歳を越えるとある程度の手当てを与えるとかはありますが、制度としてはありません。

Jさん

農業をやってきた女性の老後の生活はどのようなのですか?

劉さん

 子どもに頼っています。基本的には息子とか娘とか、子どもの収入に頼っています。

Jさん

 1人っ子政策でこのままいったら、大変なことになるのではないですか?

侯、路さん

 今大きな社会問題です。

劉さん

 1人っ子政策と言いますが、農村部では2人っ子は許されています。1人を産んで何年か間隔をおいてからならもう1人を産んでも許されます。あと少数民族も2人です。

Iさん

 ほとんど農村だと思うのでお聞きしますが、農家の経済を握っているのはどちらでしょうか?日本の場合農家という形で家族単位で農業をやっているので、どうしても収入を握るのは代表としての男であって、女の人は畑やら田んぼやら何やら仕事はするけれども実際の収入が一家の主人である男のものになって、女性自身の持っている金というか財産があまりなく、一人前として認められないという問題があるのですが、中国ではどうでしょう?

侯さん

 農村では、80〜90%の女性が経済権を握っています。この数字は統計数字ではなくて、経験上の、付き合っている女性の姿から見た数字です。男性の方がお金の管理をする人は少ないです。

Iさん

 農地の所有権は国家ですか?家の名義はどうですか?

侯さん

  国では土地は国家のもので、所有権と使用権があります。

劉さん

 男の人が20何歳のある年齢になると、村に申請をして土地を与えられます。つまり、家を建てるための土地を与えられます。女性に対しても事情によっては土地が与えられます。2人の男の子が生まれて、上の人が相当の年齢になったら家を継ぎますね。そうしたらその人には土地はあげないです。もう1人の方には土地をあげます。もし女の子が2人ならば与えることもあります。

Jさん

 今日私たちは県文化館で抗日戦争中の女性の活躍を勉強してきたのですが、おばあさんたちの時代と、今の皆さんの時代との、女性としての生活の違いというものをどんなふうに聞いたり感じたりしているのでしょうか?もう1つは、北京女性会議という大きな会議がありましたが、その前と後とでは大きな変化がありましたか?

侯さん

 それを比べることはできないかもしれませんが、当時の女性は生命や生活の保障を全然されなくて、もちろん政治権利もなかったのです。ですから男の人は戦場に行ったりして、女性の方が家で子どもを育てたりするんですけれども、早死にが多かったので、今の生活とは雲泥の差があると思います。

 中国の女性の地位は建国後ずっと高くなっています。毛沢東の言葉に「女性が堂々と立つことができるようになった時は中国革命が勝利した時」ということがあるのですが、ずっとそういうように改善してきました。しかし世界女性大会以降の基本的な変化としては、いかに女性の政治参加権を保障するか、ということに力点をおいてきました。例えばその後明確に、どういうレベルの政府に何%の女性が入らなければならないか、というような目標を出しています。各人民大会の人民代表は何%の女性が占めなければならない、というような明確な指標が出されています。

Iさん

 お二人とも戦争が終ってからお生まれになったと思いますが、小さい時学校やおじいちゃんおばあちゃんからどういうふうに戦争のことを聞かされてきたのか、またどんなことを聞き伝えてきたのかをお伺いしたいと思います。

侯さん

 学校では聞いたことがありません。親や老人とかから聞きました。私は以前老幹部局で仕事をしていたので老人から話を聞きました。老幹部局というのは、若いうち戦争に加わって、大きな貢献をした人を、退職後政府が面倒をみるというのが老幹部で、そういう老人から聞きました。

路さん

 私も老人から人圏のことなど聞きました。今学校では4月5日の清明節にお墓参りをしています。学生をお墓や惨殺され埋められたところに連れて行って歴史を教えています。

Iさん

 歴史教育の中で取りたてて教えていることは?

劉さん

 教科の歴史の中ではもちろん近代史や現代史の中で教えます。国語では戦争時代に書いた非常に悲惨なところを描く有名な文章が載っていてそれをやっています。政治の授業では基本的には歴史を教育するのではなくて、どうやって歴史を観るかという歴史観を教えます。もう1つは特別活動で、祭り、記念日、例えば柳条湖事件の1931年9月18日、廬溝橋橋事件の37年7月7日、清明節の毎年4月5日などにそういうことを利用して、また遺跡、遺跡は今、当時日本軍が人を殺したところなどを利用して愛国主義教育基地と言うのですけれども、そこでいろいろな歴史を勉強しています。教育局長として歴史教育の使命があって、目的は1つは歴史を忘れてはいけないことと、もう1つは歴史を勉強してこれからどうやって平和を築いていくかという、目的は2つです。

Uさん

 老人介護の問題なんですが、日本でも少子高齢化社会で、高齢になった親、年寄りの面倒を見る場合に女性にすごくしわ寄せが来ているのです。中国の場合、国なら国で老人問題の保障というか、安心して老後を迎えられるようなシステムがあるのか、それともやはり女の人の手によるのか、男女一緒に協力しているのか、実情を知りたいのですが。

路さん

 制度としてはありません。老後介護は子どもに頼っています。

侯さん

 一部の経済的に良いところ(上海、北京など)は老人アパートや敬老院があって、お金を払ってそこに住んで、そこの看護婦さんなどに面倒を見てもらっていますが、一般の人は自分の息子に面倒を見てもらっています。老人の介護を保障する制度というのはないですね。婦人会の仕事の一つとして、老人を大事にするというような雰囲気を作り出すために、毎年良い嫁さんや良い息子さんのキャンペーンをやっています。

トウさん

 私の意見ですが、まず道徳上の問題です。親孝行というのは中華民族の伝統でもあって、今までの農業社会は経済単位は家庭です。ですから子どもが小さい時に親が育てて、親が年取ったら子どもが養うのが当然のこととしての倫理です。みんなそれを守らなければいけないのです。ですからまず倫理観を育てる教育です。それから法律です。もし親が年取って子どもが生活をみてくれないと裁判所に訴えたら、裁判所は干渉します。法律上は息子や娘は親を養う義務があるのです。

Uさん

 女の人も働いていて、家庭でも家事とかもあるし、そういう中で育児の期間は子どもが少ないから短く終るとしても、老人の介護はずっと続きますよね。そんな時に、仕事をしながら介護をしてまわりの社会の理解を得られるのかどうか。親孝行したいと考えていても、それができなくなるような矛盾、板挟みの問題はないのですか?

侯さん

 そのとおりです。女性の負担は重いです。仕事もしなければならないし、親の介護とか家事労働も重いですね。社会は女性に対してはわりと理解は示しています。しかし理解はしていてもその仕事は女性がやらなければならないのは事実です。

路さん

 今はまだ問題はそれほどひどくないのです。というのは、今は一定の期間長男がやって、次に次男がやって、娘がやってと兄弟姉妹が多いのでまだいいのですが、これから1人の子どもが結婚して、2人で親は4人ですから、これから国が何かの政策を打ち出すだろうと思います。

Iさん(司会)

 どうもありがとうございました。私たちは今回で5回目になりますが、今まで教育問題とそれから侵略の歴史を学ぶということに集中していて、現実の皆さんの暮らしがどうなっているのか、ということについては今回初めてお聞きしたわけです。私たちのグループはご覧のとおり、ほとんど女性というこういう団体で来ているものですから、今回女性の問題についてお話できたことは、私たちにとっても大変意義のあることでした。男尊女卑という長い長い因習は、お互いの国でなくなってはいると思いますけれども、しかし現実の問題としてなかなか女の負担は軽くならないと、これもほとんど共通のように思われますので、これから本当の男女の平等のために、婦女連として頑張って活動していただきたいと思います。ありがとうございました。

 侯さん

 日本の友人とこういう大事な交流のチャンスを与えていただいて本当に嬉しいです。これからもこの交流を深めていきたいと思っています。ありがとうございました。

講演目次へ戻る