私とN先生は昔からの友人です。どうして友人、友だちになったかと言いますと私たちは共に無人区のことを研究する者です。私たちの友情は学問的協力を超えたもので、非常に深いものとなっています。というのは、私たちは個人の友情にとどまらず、両国の研究者としての友情で結ばれております。
皆さんは日本の教育者です。私と接している日本人は非常に多いです。私は日本の方々と会うたびにいつもつくづくと感じるのは、私たちの交流はまだ足りないということです。これからもっとやるべきだと思うのです。私は何を思うかと言いますと、過去の歴史のこの深い、重い、惨めな歴史の1ページを1日も早く終わらせたいという気持ちです。つまり私たちの次の世代はもうこのような話をしなくていいというような政治社会、そういうような世界を作りたいわけです。皆さんご存知のように私はこの戦争に参加した者です。私は15歳の時に八路軍に入りました。しかしここで私はそのような歴史的事実についてたくさん言うつもりはないのです。これらの歴史的事実は確かに重要です。しかしこれよりもっと重要なのは、私たちはどういう目でこれらの歴史を見て、どういうふうにこの戦争を反省するかということです。
1874年から1945年まで半世紀にわたって、日本は中国への侵略を続けました。その中では中国の半分以上を占領した時期もあります。このことは、天があれば天が証人になってくれると思うし、地面も私たちの証人になってくれます。全世界はみんな知っています。みんな知っていることなのに、しかしこのような重要なことを日本ではまだ議論していて、わからない状態でいるのは非常におかしいです。ここで自分自身の経験を、日本人と接した経験を、話したいと思います。
例えば私は姫田先生と本を出しました。『もう一つの三光作戦』という本を出版しましてこの無人区のことを紹介しました。その本は日本でも出版されました。しかし出版された後、議論を呼びました。日本には1つの協会がありまして、つまり、承徳市憲兵戦友会という、当時ここで戦った日本軍の軍人がそのような会を作ったわけです。そういう承徳市憲兵戦友会の人は歴史学者を呼んだり、研究者を呼んだり、教授を呼んだりして、中国人は嘘をついていると言っています。中国はどういう国かと言いますと、李白は、皆さんご存知のように偉大な詩人ですけれども、あの人はとても文学的手法で詩を書くわけです。白髪は9000メートルの長さがあるというそういう詩があるのです。白髪三千丈、そんなに髪が長いというふうに誇張していう中国人に果たして事実が言えるかという言い方です。
私が日本に行った時に初めに長野県に行きました。長野で講演をした時に、ちょうどその場で、その承徳あたりの長城沿線で戦った日本の昔の兵士に会いました。その3人、小林さんなど3人がその場で立って私に言いました。「私たちはその時確かに長城のところでいろんなことをやりました。無人区をやったのは私たちです。陳先生が書いた本は、その本の中で書いたものは、まだまだ不十分です。」と証人としてそういうような話をしてくれました。
ですから私はそのような話を聞いて、いろいろ考えました。これからはもう、その細かい歴史的事実は話さなくてもいいというふうに考えるようになりました。何故そう思ったかと言いますと、右翼の人たちに対してどんな事実を言っても無駄です。もう何の効果もないです。事実といえば事実はいっぱいあります。この戦争の中で中国人で死傷した人は3500万人です。負傷した人は1500万人ですけれども、兵士として戦って死んだ人は1000万人ぐらいで、あとの1000万人ぐらいはみんな普通の市民です。
この間私は1つの文章を読みました。その文章はユダヤ人による文章です。そのユダヤ人が書いた文章のテーマは「歴史は遠くない」という文章です。その文章の中で作者はこういうふうに書いています。第2次世界大戦の中ではユダヤ人は600万人殺されました。この600万人という数字はあくまでも概念的な数字にすぎません。1つの概念にすぎません。私たちはこの600万人という数字を理解するだけで戦争を理解することはできないのです。そういうふうに歴史を理解することは、まだ歴史が遠いというふうに感じます。じゃあ、どういうふうに理解すればよいかといいますと、その600万人というのは1人、1人、プラス1人、1人、1人というふうに殺された、ということをいちいち認識していかなければならないのです。そういうふうに理解すると歴史は遠くない、まだ私たちの身近にある、というふうに理解することができると思います。
その、1人、1人、ひとりということはつまり、生きている、血も流れている、肉もついている、私たちの目の前にあらわれている生きている人間なのだ、ということを意味しています。
私たちは生きている人です。しかし殺された人もみんな当時生きていた人です。私たちとまったく同じ人間でした。
私は日本で、日本語で書かれていたいろいろな日本の歴史的文献を読みました。当時の日本の新聞なり、旧満州の新聞なりいろいろ読みました。しかし、私はそれを読んだらビックリ。何故かと言いますと、そこには私たち八路軍のことを「侵略者」というふうに書いてあります。私にはどうしても、どんなに考えてもわからないことです。私たちが自分の国の土地を自分の手に戻すために頑張って戦うことが、かえって侵略者になったということはどうしてもわかりません。私はわからなくてわからなくて、だんだんだんだんあやしくなってきて、おかしい考え方をするようになったのです。つまり、私は本当に侵略者になって、そういうような気分、侵略者の気分を味わいたくなったのです。例えば私は日本に行っていろんなところで講演しましたけれども、日本の方々に聞きました。「私は侵略者ですか。私は東京に来ましたよ、大阪に来ましたよ。じゃあ私は占領しましたか。」と。例えば、私は本当にある日侵略者になって、日本に入って本当に東京大虐殺ということをして、何10万人も殺して、それで歳とって「私はそういうことはしたことありません。日本の方々、そういうことはしませんよ。したことないですよ。そんな東京大虐殺があったということは言わないでください。」というような気持ちで日本人に言ったら、日本の右翼の人たちはどういうふうに考えるでしょう。
ですからそのような確実にあった歴史を、どういうような目で見るかが大切です。私はそう考えています。そうじゃないと私はこの、歴史、歴史、抗日戦争、抗日戦争という話をいつまでも話していかなければならないのです。
私はひどいことを言ってるでしょうけれども、しかし私は本当はこれを言いたくないのです。右翼のせいで私はここでこういうようなひどいことを言わざるを得ないのです。彼らのせいです。
私は学者ではありませんけれども、1982年の時に初めての論文を出しました。何のためか、それはその82年に教科書問題があったからです。その1982年から私は日本の政治動向とか、日本の歴史教科書問題とか、いろいろ関心を寄せました。私は教育を受けたことがあります。しかも私は教員をしたことがあります。ですから教科書に対して非常に興味を持っています。日本の歴史教科書事件は非常に典型的な事件です。右翼の勢力が大きくなるにつれて必ず教科書問題が出てくるわけです。
歴史を見てみましょう。1955年、1982年、2000年、この3回の教科書問題はいつも右翼が出てくる時、その勢力が大きくなった時です。この問題は厳しくなってきてひどくなった、ひどくなる一方です。例えば82年の教科書問題はどういう性格をもっているかと言いますと、事実を隠すわけです。つまり、昔侵略したということを言いたくなくて、認めたくなくてそれを隠したいわけです。しかし今回は違う。今回はそれを隠したいどころか、その軍国主義そのものを出したいんです。日本は神の国とか、神話、そういうようなことを、明治以降の国定教科書のものを、そのものを出そうとしているわけです。
この21世紀の初めの年に日本にこのような事件があるということは、私は不吉、というか、不祥な感じがしています。
申し訳ないんですがもう1つの考え方を話したいと思います。
日本ではよく議論されていること、つまり「愛国」ということです。どのような人が愛国者と言えるでしょうか。例えば私は日本で当時の日本軍の兵士に会った時に、彼らは私に言いました。「私はそのような歴史を認めることができないんです。何故かというと、私たちは軍人です。私たちは日本軍のイメージを維持しなければならない。私たちは、日本、日本人のイメージを守らなければならない。」と言うのです。ですから「あなたたちが言ったことは嘘で、私たちは認めない。それを認めると自虐になって愛国者になれない。愛国者はそういうことはしません。」と言ったのです。私は、「それはとてもおかしい考え方で理解できないですねえ。」と言いいました。例えば、N先生は無人区の本を書きました。これは、日本を愛していないからですか?私が思うには、これはもっとも偉大な愛国主義です。何故かというと、どんな国でも、誰でも、過ちを犯すことがあります。過ちを犯さない国はないでしょう。しかしそのような歴史を正しく見て、それを直そうとして、そのような歴史と関係を絶って新しい歴史を作る、骨も肉も全部替えて新しい人間になる、それこそ愛国主義でしょう。皆さんはご存知だと思いますけれども、我が国には1人の有名な作家、文化人でもある魯迅先生という人がいます。あの人のほとんどの文章の中で、中華民国の悪いところを罵しっています。中国の悪いところを批判している文章は彼のほとんどの作品を占めています。しかし魯迅先生は、もっとも偉大な愛国者です。彼は中国を愛しているからそのような批判的な文章を書いたわけです。私はそう思います。私は日本の当時の兵士にこういうふうに言いました。「例えばあなたたちの隊長の長島さんですけれども、知っているでしょ?私たちは日本の鬼というふうに、敵ですからそういうふうに呼んでいますけれども、しかし長島さんのあだ名は、あなたたち日本軍の兵士がつけたでしょ、『鬼の中の鬼』って。これが当時のあなたたちのイメージで、あなたたちは昔、強盗です、人のものを強引に奪う人です。しかしあなたたちは今、人を騙す人です。これはあなたたちの本当のイメージです。」と。
もう1つの考え方を言いたいと思います。
日本の歴史学者の中には、悲観論を持つ人が多いのですね。ある学者は私に対して日本の問題は100年かけても解決できないというふうに私に言いました。しかし私はそうは思いません。
私は日本と縁があると思います。小さい時に、日本の先生が私に教えてくれていました。15歳になったら、日本と戦っていました。晩年になったら、日本との関係史を研究して、日本の方々と多く接しています。ずっと日本のことをやってきました。私は本当にそう思います。本心から日本民族は優れている民族、優秀な民族、アジアの中で確かに優秀な民族だなあと思います。日本には私たち中華民族が見習うべきところがいっぱい、いいところがいっぱいあります。このような優秀な民族が間違った考え方に騙されるわけにはいかないでしょう。100年をかけても解決されないという考え方、あまりにも悲観的です。私は楽観論です。どうして右翼は教科書問題を起こすかというと、やっぱり優秀な日本の青少年がこういう歴史を正しく認識しようとするから右翼は怖がって歴史問題を、教科書問題をやるわけでしょう。ですから私は明るい将来を信じています。ある日本の友人も悲観論で、私に対して、「いや、私たち日本人はこういうことをずっとやって、世界で孤立して、世界孤児になるのではないか。」というような言い方をしました。私は「そうはならない。」と言いました。というのは私は、皆さんのような、多くの進歩的な日本人がいてくれて、日本には明るい将来があるということを信じております。どうもありがとうございます。皆さんの時間をたくさんとりまして、どうもすみませんでした。