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こども図書館
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中国河北省興隆県の中心地興隆街にある興隆第一小学校。
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こども図書館 |
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こども図書館は興隆第一小学校の中にあります。4階建て建物の1、2階が図書館になります。
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こども図書館 |
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こども図書館の閲覧室2階
奥の方に本棚があります。
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こども図書館 |
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今回は、本を当会から寄贈しました。
会員の皆様からのカンパによるものです。
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こども図書館 |
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3243冊の図書と70万円の図書購入費を贈呈しました。
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こども図書館 |
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また上海の少年児童出版会には大きな協力をいただいています。
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こども図書館 |
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田舎町ですが、中国で出版されている良い本はすべて揃えるのが目標です。
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こども図書館 |
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1階の閲覧室で贈呈式をしました。
普段は、この床にごろりと横になって本が読めます。
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こども図書館 |
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贈呈式に集まってくれたこどもたちです。
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こども図書館 |
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当会の元理事、故山住さんの愛弟子、埼玉県のOさんが代表して贈呈をしました。
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こども図書館 |
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訪中団団長にNさんが、集まった子どもたちに語りかけるように挨拶をします。
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こども図書館 |
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Nさんの言葉に、子どもたちにも笑顔が広がりました。
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こども図書館 |
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贈呈の後は机と椅子を片づけて、子どもたちの歌と踊り。
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こども図書館 |
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いつもながら、見事で可愛らしい演技。
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こども図書館 |
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あざやかな衣装を着けた子どもたちが次々に歌と踊りを披露してくれます。
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こども図書館 |
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身振り手振りで歌を。
普段は、この階段上のスペースでも自由に本が読めるとのこと。
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こども図書館 |
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私たち訪中団のメンバーも子どもたちに見入ってしまいます。
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こども図書館 |
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建物の3階はコンピュータ室。パソコンがずらりと揃い、教育ソフトが開発されていました。
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こども図書館 |
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建物の4階は視聴覚室。
プロジェクターを使いプレゼンテーションやビデオ上映ができます。
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馬架溝小学校
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馬架溝は興隆で最も奥の郷の一つ。バスは河原の砂利の中を走ってやっとたどり着きました。
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馬架溝小学校 |
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教室は2つ。先生が2人、生徒が28人の小さな小学校。
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馬架溝小学校 |
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日本の大学生、Tさんのまわりに子どもたちが集まってきました。
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馬架溝小学校 |
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全部の子どもを1教室に集めて音楽の授業。
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馬架溝小学校 |
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授業をしたのは熊本県で小学校の先生をしているOさん。通訳は北京師範大学のKさんです。
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馬架溝小学校 |
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日本からお土産に持ち込んだピアニカを使っての授業です。
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馬架溝小学校 |
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初めてみるピアニカ。
子どもたちも興味津々。
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馬架溝小学校 |
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さあ、吹き口を付けて音を出してみよう。
ここで活躍するのは、大学生のTさん。
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馬架溝小学校 |
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模範演奏は、熊本県のIさんとMさん。メインのKさんと3人の息もピッタリ。
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馬架溝小学校 |
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子どもたちも真剣に日本の先生の説明を聞きます。
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馬架溝小学校 |
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さっそく、やってみるぞ!「かえるの学校」を吹いてみよう。
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馬架溝小学校 |
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通訳のKさんも、先生や子どもたちに負けず熱が入ってきました。
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馬架溝小学校 |
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すでに5本の指を使って演奏をしています。
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馬架溝小学校 |
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「かえるの学校」
初めてだけど、とっても上手にできました。
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馬架溝小学校 |
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短い時間でしたが、授業が終わる頃には、日本の先生も子どもたちも仲良しになりました。
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パンジャープー
鉱山跡
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ここは、かつて日本軍に接収された鉱山。ここで掘られた鉄鉱石は軍事物資として日本に移送されていました。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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解放後も鉱山として一次は10000人以上が働いていたが、2000年に閉山。
今は、小さな企業がいくつか残るのみ。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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斜面を登っていくと、廃虚となった労働者の住宅が広がっていました。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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頂上に立てられていた記念館跡。これも屋根がはずされ、廃虚となっていました。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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門を入ると記念碑が残っている。「階級苦を記憶にとどめ、血と涙と飢えを忘れまい」と記されています。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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あたりの草むらには、ところ構わず人骨の破片が散らばっていました。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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記念碑の足元で私たちを迎えたのは、4つの頭蓋骨でした。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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記念碑の後側。
碑文を読んで説明を受けました。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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この地では、「語るのは嫌です。」と断られ、当時を知る人の証言を聞くことはできなかったのです。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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94年にNさんが来たときには、ここに展示物が沢山あったのだが今はもう無い。
閉山で管理ができなくなったのです。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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記念碑の裏の穴の中には人骨が積み重なっています。万人坑の一部なのです。
廃虚の中で、今もそのままになっています。
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パンジャープー
鉱山跡 |
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穴の中。
日本企業の管理の下、劣悪な条件で働かされ、飢えと伝染病と凍死で沢山の中国人が亡くなったのです。
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黄華氏
宋慶齢故居
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宋慶齢故居にて。
黄華さんに会っていただきました。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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この2年間、腰の骨を傷められていたのですが、今は歩けるほどに回復されています。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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訪中団は一人ずつ黄華さんに自己紹介をしました。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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私たちのお土産は、山形県の御殿菊です。黄華さんはことのほか喜んでくださいました。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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黄華さんは、2時間にわたり、私たちとお話しくださいました。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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黄華さんは、その時の問題について、いつも鋭い分析をしてくださいます。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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最後は、黄華さんを囲んで、「さよなら」の歌を歌いました。
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黄華氏
宋慶齢故居 |
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黄華さんと記念撮影をしました。
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