B.平和のページ

  川端純四郎



T 「宗教者平和ネット in みやぎ」ニュース
      1.「9.11.犠牲者遺族の会声明」(2003.10.1.掲載)
    2.「ブッシュ再選のカギをにぎるファンダジェリズム」(2004.5.30.掲載)

U 講演 ・ 論文
      1.「平和な21世紀に向かって」(2003.9.25.掲載)
      2.「神の国を望みつつ」(2003.10.1.掲載)
      3.「キリスト者の政治参加」(2004.1.5.掲載)
      4.「有事法制を考える」(2004.2.3.掲載)
      5.「良心に従って生きる自由」(2004.5.10.掲載)
      6.「歴史に責任を持って生きるということ」(2006.2.21.掲載)
      7.「憲法について考える〜子どもたちの未来に平和を〜」(2006.2.29.掲載)
    8.「靖国神社問題と日本人の宗教心」(2006.4.25.掲載)
       9.「憲法九条は21世紀日本の宝」(2006.10.20.掲載)
      10. 「憲法九条と日本の進路〜改憲論批判〜」(2007.8.14.掲載)
      11. 「教会と信仰者と国家〜創造の秩序をめぐって〜」(2007.10.25.掲載)
      12. 「くらしと憲法〜消費税増税と世界不況」(2008.11.5.掲載)
      13. 「私が原発に反対する理由」(2011.5.23.掲載)

V アフタヌーンレクチャー「現代史を考える」
  講座終了打ち上げ懇談会(2005.5.30.掲載)

W 仙台の平和集会(2008.6.20..掲載)
 「平和七夕」のお知らせ←New !
  第308回核兵器廃絶・自衛隊海外派兵反対市民平和行進の案内

X 「九条の会」発足



T 「宗教者平和ネット in みやぎ」ニュース



  有事法制に反対する宮城県の宗教者たちによって「宗教者平和ネット in 
  みやぎ」が発足したのは2002年5月のことでした。以来、毎月2〜3回の
ペースでニュースを発行してきました。その中から主要な記事をご紹介します。


1.「9.11犠牲者遺族の会声明」(2003.10.10.掲載)
2.「ブッシュ再選のカギをにぎるファンダジェリズム」(2004.5.30.掲載)



1.《平和な未来を目指す9/11犠牲者遺族の会》の声明(2003.9.15.「ニュース」第30号)

ニューヨークの世界貿易センターのテロの犠牲者の家族たちによって「ピースフル・トゥマロウ」
というグループが結成されて「復讐ではなく平和を」と人々に訴えていることは良く知られていま
す。今年、あの事件から二年目の記念日にあたって公表された、この会の声明は私たちの心
を揺り動かすような深い内容のものです。その大要を紹介します。
                                                                        
二年前の今日、私たちの愛する人たちは、アメリカと全世界を驚愕させたあのテロ行為によ
って悲劇的な犠牲となりました。あの日の彼らの死以来、私たちは深い悲嘆の道を歩んでいま
す。同時に私たちは犠牲者への同情と遺族への励ましを与えて下さった世界の多くの人々の
思慮深い心のこもった応答によって慰められてきましたしかし私たちの愛する者たちの死に対
するアメリカ政府の対応は、普通の人々の常識に満ちた言葉や慰めの行動とは極端な違いを
見せています。二年目の記念日にあたって、私たちは真の安全と正義をもたらす新しい9/11
へのアプローチを求めるように訴えます。
  私たちの愛する者たちの死はアメリカ政府をアフガニスタンに対する戦争に駆り立てました。
しかし最近の報道ではタリバンとアルカイダは再びアフガニスタンで活動しています。アメリカ
の軍事行動の結果として、ただ一つ確実なことは、私たちと同じように家族を奪われた多くの
人々を生み出しことです。私たちはアフガニスタンを訪れて、これらの人々と出会いました。今
日の記念日にあたってこの人たちのことを心にとめたいと願います。                 
 9/11の直後にアメリカ議会はアメリカの安全を守るためと言って愛国法を成立させました。現
在のような恐怖とパニックの風土の中で、この法律はアメリカ市民、特に移民者たちの基本的
自由を侵害しています。この法律によって我々の社会は少しも安全にはなっていません。一方
では、政府は9/11の真剣な公開された真相調査を避けています。
  昨年の今日、私たちの愛する死者たちの一周年の記念の日を利用して、ブッシュ大統領は
イラクに対する戦争の宣伝を開始しましたサダム・フセインと9/11事件との関係の証明もない
のに、ブッシュ政権の暗示にによって恐怖心にかられた人々はイラクに対する不必要な戦争
に引きずり込まれました。戦争開始の理由がウソであったことが明らかになっているにも関わ
らず、多くのイラクの人々とイラクに派遣された米兵の苦しみは続き、死者の数は日に日に増
しています。今こそ私たちは死者を嘆くことを止めて、政府に対して、軍隊を引き上げて家族の
もとに帰すように、そしてイラクの再建を国連に委ねるように求めます。
 9/11はアメリカ史の悲劇です。しかし他の国々もそれぞれの9/11を持っています。私たちは
その人々と出会いました。暴力によって子どもたちを奪われたパレスチナとイスラエルの母た
ち、ケニアのアメリカ大使館爆破の犠牲者たち、中南米の「消された人々」の母親たち、究極
の暴力である原爆からの生存者たち、テロに対して平和で応答しようとしているこれらの全世
界の人々と私たちは一つの家族なのです。
  今年2月15日、全世界で数百万の人々がイラク戦争に反対して街頭に出ました。NYタイムズ
がブッシュ政権に対するもう一つのスーパーパワーの出現と評した出来事です。私たち人民は
この地球の上で生きる別な道を見つけなければなりません。嘆くことを止めて、真の平和と安
全と正義のために手をつなぎ合いましょう。それが死者たちに対する責任です。
                             (http://www.peacefultomorrows.org/)

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2.「ブッシュ再選の鍵をにぎるファンダジェリズム」(ニュース第381号、2004.5.11.)

 ファンダジェリズムという新語が 最近のアメリカで生まれています。 Fundamentalist「原理主
義者」とい う単語とEvnagelism「福音主義」と いう単語の合成語です。ウルトラ右 翼キリスト教
の呼び名です。ブッシ ュ大統領がその典型です。彼らに共 通するのは、逐語霊感説支持、同
性 愛に反対、妊娠中絶反対、銃の規制 に反対、小さい政府を支持、国連に 反対、国連事務
総長アナンは「反キ リスト」、イラクからの撤退に反対、 イスラエル支持、マイケル・ムーア が
嫌い・・のプロテスタントの白 人、ということだそうです。特定の 教派を形成しているわけではな
く、 多くの教派にまたがって存在する 「アメリカ教」と言うべきものです。 グリーンバーグ調査
書の最新の調査 ではバプテストが29%、メソジス トが12%、ルーテルが6%、長老派 が3%、その
他の教派が22%、どの 教派にも属さないがクリスチャンだ と信じている人が24%となってい ま
す(www.GreenbergResearch.com)。 また「タイム」誌のアンケートでは アメリカ国民の59%がヨ
ハネ黙示 録の言が自分の生きているあいだ に実現すると信じているともされて います。ブッ
シュ大統領の選挙参謀 カール・ローヴは前回の選挙でブッ シュの大統領が獲得した右翼キリ
ス ト教信者の数は1,500万人と述べて います。  イラク戦争の泥沼化で危機に立た されてい
るブッシュ大統領が、もし 今年秋の選挙で勝つチャンスがある とすれば、それはこの「ファン
ダジ ェリスト」たちが全員投票所に行く 時だけだということで、最近アメリ カで急激に右翼キリ
スト教が注目を 集めています。PBSといういくつ かのテレビ会社が合同で作っている 情報機
関は"The Jesus Factor"という 膨大なサイトを立ち上げています。副題は「大統領とその信
仰」となっています。何と訳せばよいにか分かりませんが、多分(アメリカの政治を動かしてい
る)「イエスという要因」とでも言うのでしょうか。ブッシュの生い立ち、その回心、ホワイトハウス
の宗教事情、ブッシュ演説と聖書引用、宗教と政治等々のテーマについて詳細な記事とインタ
ビューによる各方面の見解が記されています(http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/
shows/jesus/president/)。このサイトは中立的なスタイルを取っていますが、明確に批判的な
サイトとしては"The Rise of the Religious Right in the Republican Party"「共和党における宗教
的右翼の台頭」があります(www.theocracy.watch.org/)。右翼キリスト教の助けを借りて当選し
たブッシュ政権がアメリカ社会の思想・信仰の自由を侵害する神権政治に傾いていることに警
鐘を鳴らしているサイトです。これも膨大なサイトでアメリカのキリスト教右翼の誕生と共和党と
の結びつきについて詳細な分析が行われています。
 この関連で話題とされているのが四年前に創立された「パトリック・ヘンリー大学」です。ワシ
ントンの西150kmほどのところにある学生数250人の小さなカレッジですが、ブッシュ政権との
密接な関係が注目されています。在学生の中から多くの学生がホワイトハウスで実習生として
働いており、共和党関係者が理事を務め、財界から多額の寄付を集めています。入学時には
聖書の逐語霊感説を承認するという誓約が求められ、アルコール類は両親の同席のもとでし
か飲むことは許されず、男女が手をつなぐのは歩行中だけで立ち止まって手をつなぐことは禁
止されているというのですから、私たちには統一協会を連想させます。
  もしファンダジェリストの総決起でブッシュが再選されるようなことになれば、アメリカを滅ぼす
のはキリスト教だということになるでしょう。

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U 講演 ・ 論文



      1.「平和な21世紀に向かって」(2003.9.25.掲載)
      2.「神の国を望みつつ」(2003.10.10.掲載)
      3.「キリスト者の政治参加」(2004.1.5.掲載)
      4.「有事法制を考える」(2004.2.3.掲載)
      5.「良心に従って生きる自由」(2004.5.10.掲載)
      6.「歴史に責任を持って生きるということ」(2006.2.21.掲載)
      7.「憲法について考える〜子どもたちの未来に平和を〜」(2006.2.29.掲載)
      8.「靖国神社問題と日本人の宗教心」(2006.4.25.掲載)
      9.「憲法九条は21世紀日本の宝」(2006.10.20.掲載)
     10. 「憲法九条と日本の進路〜改憲論批判〜」(2007.8.14.掲載)
     11. 「教会と信仰者と国家〜創造の秩序をめぐって〜」(2007.10.25.掲載)
   12. 「くらしと憲法〜消費税増税と世界不況」(2008.11.5.掲載)

1.「平和な21世紀に向かって」 2003.8.15(宮城革新懇シンポ)

  有事法制もイラク特措法も成立してしまって、平和運動の仲間の中には何となく敗北感か挫
折感のようなものがあります。しかし世界全体に目を向ければ、孤立しているのはむしろブッシ
ュ・ブレア・小泉の戦争勢力の方ではないでしょうか。追いつめられるブッシュ政権の実情につ
いて報告します。                             
  イラク戦争の実態が明らかになるにつれてアメリカ国内でも戦争反対の声がしだいに大きく
なってきています。おおまかに区別すると三つの問題が指摘されています。      
  1.ブッシュのウソ。これは日本でもよく知られています。イラクは大量破壊兵器を所有して
いる上にテロ組織ともつながっている。だからテロ組織に大量破壊兵器が渡る前に先制攻撃
でイラク政府を崩壊させる必要があるというのが、ブッシュ政権の開戦の理由でした。しかし、
その二つの理由はどちらも未だに証明されていません。7月末にはニューヨークタイムズを初
めとする有力紙四紙に「戦争を始めるのなら国民には真実を知る権利がある」と題した全面広
告が掲載されました。その広告主がジョージ・ソロスだったことがアメリカ国民に衝撃を与えま
した。全米富豪番付第一位のあの巨大投資銀行家ソロスまでがブッシュ批判の声をあげたの
です(http://www.wedeservethetruth.com) com)。 
  2.米兵の死。さらに予想をはるかに超える米兵の死者がアメリカの世論を動かしていま
す。ブッシュが空母リンカーンの上で主要な戦闘の終結を誇らしげに宣言したのは5月1日でし
た。ところが、それ以後反米ゲリラが激化して、毎日平均一〜二人の米兵が殺されています。
8月31日現在でブッシュの戦闘終了宣言以後すでに国防省発表でも146人の米兵が死にま
した。マスコミで発表されるのは、この中の戦闘による死亡者(67人)だけで、直接の戦闘以外
の原因(地雷爆発、車両事故、病死等々)による死者は報道されません。なかでも自殺者が少
なくとも12人いることも隠されています。脱走兵の増加についても指摘されています(http://
www.Islam Online,July 27)。さらに負傷者が急増しています。1000人以上の米兵が負傷しまし
た。彼らは毎週二回ワシントンに空輸され、ウォルター・リード陸軍病院は負傷者であふれてい
ます。大部分が手足を失う重傷です。戦死者は英雄として報道されていますが、これらの負傷
者は故郷の地方新聞にわずかに報道されるだけで、アメリカ政府は世間にはひた隠しにして
います。さらに徹底的に隠されているのはイラク人の死傷者です。おそらく民間人が1万人、兵
士が2万人死んだと推定されています。そのほかに負傷者に至っては数万人とも言われてい
ます(http://www.iraqbodycount.net/)。ブッシュはゲリラの襲撃についての記者団の質問に対
して「かかってこい」(bring them on)と言いました。これに怒ったのがイラクに息子や娘(アメリカ
軍には大量の女性兵士がいます)を送っている親たちでした。ただちに手を取り合って「子ども
たちを家に帰せ」(bring them home)という組織が生まれて全国的に大きな運動が展開されて
います(http://www.bringthemhomenow.org)。
  3.軍事費の急増。思いがけないイラクの抵抗で急激に戦費が増大しています。ブッシュ政
権は批判を恐れて戦争経費を公表しませんでしたが、来年度予算の請求のためについに9月
始めに870億ドル(約10兆円)の来年度イラク戦費を議会に提出しました。しかし実際には、と
てもこれではおさまらないと推定されています。これまでの戦費がすでに7兆円を超えていると
推定されていますし(http://www.costofwar.com/)、インフラの整備費を含めたら数十兆円とい
う天文学的数字になることが民間のシンクタンクから指摘されています(http://www.usatoday.
com/12/08/03)。このような経済的負担はすべて増税なって国民にはねかえるのですから、ア
メリカ国民のあいだに大きな反発が生まれているのは当然のことです。世論調査では870億
ドルの支出を認めるのはわずかに30%、反対は61%です。
  こうして、今、ブッシュは急激にアメリカ国民の支持を失いつつあります。「USAトゥデー」誌は
米軍の撤退を主張する論説を掲載しました(8月20日)。最近の世論調査(8月28日http://
www.wnd.com/news.asp?ARTICLE.ID=34313)では大統領のイラク政策を支持するのは44%
(今年の4月には62%)、支持しないが52%(4月には30%)となっています。来年秋の大統領
選挙でのブッシュの敗北はほぼ確実です。その時ブッシュの忠実な番犬はどうするのでしょう
か。(終)
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2.「神の国を望みつつ〜一連の右傾化法を憂う〜」(2000年『キリスト教年鑑』巻頭論文)

  たて続けに成立した右傾化法案〜「新国家主義」の潮流〜

  昨年一月に開会し八月に閉会した第145通常国会は、「新ガイドライン(日米防衛協力のた
めの指針)」関連三法案、国旗・国歌法案、通信傍受法案、住民基本台帳改正法案などの法
案を次々と成立させました。さらに憲法調査会の設置を決め、その上官房長官談話として靖国
神社非宗教化国営構想を打ち出すなど、「アジア・太平洋戦争」後五十数年にわたって激しく
議論されてきた諸問題に、十分な世論の合意もなしに、一気に法律上の決着をつけようとした
ことは、強引を通り越した暴挙と言うほかありません。この暴挙を可能にしたのが、いわゆる
「自自公」体制であったことも忘れてはならないことです。 
  20世紀のうちに戦後処理を終わらせたいという趣旨が当事者の口から繰り返し語られてい
ましたが、もしそうなら、何よりも急ぐべき戦後処理は戦争責任の明確化とアジアへの謝罪と
戦後補償ではないでしょうか。それらを棚上げにして、憲法によって放棄された戦争参加への
道を開き、「国旗・国歌」の強制によって思想・信仰の自由をふみにじり、国民総背番号の管理
体制を構築することは、まさに戦後処理の名によって戦争責任を否定し、「平和憲法体制」を
打破して、日本を「戦争をしない国」から「戦争のできる国・戦争をする国」へと作り変えることで
あり、アジアに対する米日共同介入体制を構築することによってアジアの信頼を失い、日本を
滅亡に導くことにほかなりません。
  戦後処理とは、本来は侵略戦争の後始末をしてアジア諸国との和解を実現することであった
はずです。しかし今回もくろまれた戦後処理は平和憲法と民主主義を「処理」することでした。
これを「新国家主義」の潮流と呼ぶとができると思います。もちろん昔のままの天皇制国家主
義が再来するとは思いません。第一に、アメリカへの従属のなかでの国家主義です。第二に、
日米の巨大資本が国境を越えて多国籍資本としてあふれ出る「ボーダーレス」の時代の国家
主義です。この二重の意味で「新」国家主義なのですが、それにもかかわらず、個人の尊厳よ
りは国家の利害を優先させ、良心に基づく個人の決断よりは国家の要求を優先させるという意
味で、これはまぎれもない「国家主義」だと言わなければなりません。これは、やはり「いつか来
た道」なのです。かつて、天皇制国家主義の暴圧のもとで、少数の先覚者以外には、十分な抵
抗を行うことができずに屈服させられた、苦い経験を持つ私たち日本のキリスト者は、今、神
からの二度目の問いかけの前に立たされているのではないでしょうか。「人間に従うよりも、神
に従わなくてはなりません」(使徒言行録5;29)という言葉が聞こえてきます。

  もと来た道に  

  54年前、「アジア・太平洋戦争」の敗戦に際して、ある作家は「この日、日本の歴史は音も立
てずに巨大なページをめくった」と書きました。今、1999年をふりかえって、日本の歴史が、も
う一度「ページをめくった」と思わずにはいられません。それも54年前には前に向かってめくっ
たのですが、今回は後ろ向きにめくったのです。
  世相をもっとも敏感に感知するのは新聞の川柳欄です。昨年のA紙に「戦後は遠く戦前近し」
という句がありました。五七五の約束を無視した破格のこの句を第一席に選んだ選者の見識
に私は敬意を禁じ得ませんでした。そして8月15日、敗戦記念日の同紙第一席の「耐え難き
を耐えてもと来た道に出る」という句を見た時には、思わず、深い深い嘆息をもらさずにはおら
れませんでした。もちろん「耐え難きを耐え」は天皇の敗戦の勅語の一節ですが、敗戦後の困
窮生活に耐えに耐えて焦土の中から立ち上がり、その後の長時間低賃金労働にも耐えに耐え
て必死に働き、日本型経営の狡知きわまる労働管理の中で、単身赴任にも「カンバン方式」に
もジャスト・イン・タイム・システムにも耐えに耐えて働いた日本人の、その耐えた結果が「もと
来た道にでる」というのでは、何とむなしいことでしょうか。
  しかし、もしかしたら、「耐え難きを耐えて」必死に生活の豊かさを求めて働いてきた、私たち
日本人の、その働き方に問題があったのではないでしょうか。多くの日本人は、自分の生活の
豊かさだけを追求して、自分の国の在り方に真剣な関心を持たないできました。アジアにあり
ながらアジアに背中を向けて、アメリカの属国として、アメリカ一辺倒の道を進むことに何の疑
問も持たず、戦争責任も戦後処理も真剣には考えず、米軍基地を押しつけられた沖縄の苦し
みを思わず、在日韓国・朝鮮人の苦しみにも耳を傾けず、従軍慰安婦を強制した事実はひた
隠しに隠し、自分の豊かさが第三世界の人々の犠牲の上に成り立っていることにも心を痛め
ず、労働者の人権を役職手当や残業手当と引き替えに売り渡し、出世のために労働組合を裏
切り、組合活動家が差別されるのに手を貸し、選挙の時には会社ぐるみ、組織ぐるみの票集
めに協力し、極端な場合には会社の利益のためには賄賂も使い、株主総会のスムーズな進
行のためには暴力団とも手をつなぎ、こうして会社への忠誠と引き替えに「豊かな生活」を手に
入れて来たのです。
  もちろん、このような流れに断固として抵抗した人たちもいましたが、まだ多数派になることに
成功していません。それに、このような生き方は、多くの日本人が自覚的に選択した生き方で
もなかったと思います。支配層が、一方ではマスコミと教育を通して宣伝し、他方では労対組織
を通して金と暴力で押しつけて、結果として多数の人々の中に定着させることに成功した生き
方だったのです。しかし、ともかく、このような私たち日本人の「耐え難きを耐え」た生き方が、
結果として「もと来た道」を呼び出したのです。アメリカ一辺倒で、アジアの苦悩に関心を持た
ず、ひたすら会社に対して「滅私奉公」することによって異常に巨大な企業を生みだし、、それ
に所属することによって外見上の「豊かさ」を獲得してきた日本人が、今、アメリカの世界戦略
とそれに便乗する日本多国籍資本のアジア進出戦略の中で、官民あげてその一翼をになわ
せられることになったのは、ある意味で当然のむくいということなのでしょう。これまで「平和憲
法」に妨げられて実行できなかったことが、ようやくできるようになったという、日米支配層の高
笑いが聞こえるような気がします。
  もしかしたら、この句の作者は、戦後民主主義や反戦運動、人権運動、労働運動、女性解放
運動等々のもろもろの「耐え難きを耐えて」ついに「もと来た道」に到達した日本支配層の歓呼
の声を暗澹たる思いの中で歌おうとしたのかも知れません。

  新ガイドライン関連法

  「新ガイドライン」は日米安保条約の運用に関するガイドラインです。つまり、安保条約をその
まま守るのでは不都合になつたために、運用によってその不都合を解消するためのガイドライ
ンということです。それでは、どこが不都合になったのでしょうか。
  第一は「事前協議制度」です。現行の安保条約には附属交換公文として「事前協議制度」が
設けられています。在日米軍の配備の重要な変更(つまり日本の基地からアジアに対する軍
事攻撃を行うために出動すること)と装備の重要な変更(つまり核兵器の持ち込み)について
は日本政府と事前に協議するという約束です。この条項を盾にとって、日本政府は、米軍によ
る核兵器持ち込みの事実は存在しないと主張し続けて来ました。持ち込みに際しては事前協
議が行われるので、日本政府としては、その時に必ずノーと言うのだから大丈夫だというのが
政府の説明でした。しかし、実際には、この約束は一度も守られたことはありません。日本側
からの事前協議の申し込みはできないことになっているからです。事実上アメリカ側が無断で
核兵器を持ち込み、無断で戦闘出動すれば、それまでというのが現実です。しかし、そうは言
っても、この「事前協議制度」は法的にはアメリカの手をしばる重要な規定です。日本政府の態
度さえ決然としていれば、アメリカによる日本基地の自由使用にはかなりの制限が生じる可能
性があります。今回の「新ガイドライン」によって、この制約が完全に解除されました。「新ガイド
ライン」関連法の中心となる周辺事態法には「事前協議」という言葉はいっさい存在しません。
同法の成立によって、米軍は有事の際の在日米軍基地の自由使用が承認されただけでなく、
民間の空港・港湾の使用も可能になりました。
  第二は「極東条項」です。現行安保条約では「極東における国際の平和および安全の維持に
寄与するために、アメリカ合衆国は、日本国において施設および区域を使用することが許され
る」となっていて、極東地域での戦争に在日米軍基地からの出撃が承認されています。当然
「極東」の範囲が問題になりました。当時の国会答弁で政府は統一見解として「フィリピン以北」
に極東の範囲を限定しました。ヴェトナム戦争に沖縄が根拠地として使用されましたが、その
時はまだ沖縄返還以前でしたから、フィリピン以北という「極東条項」には拘束されずに米軍は
自由に沖縄基地から出撃ができました。しかし、今は違います。返還後は沖縄にも安保条約
は適用されています。従って、沖縄からフィリピン以南に出撃することは安保条約違反になりま
す。現実には、沖縄どころか、横須賀からも佐世保からも、はるかペルシャ湾にまで米空母は
出撃しています。こうして「極東条項」が足かせになってきました。その結果生まれたのが「周
辺」という有名な造語でした。極東の解釈には手をつけないで、周辺という曖昧模糊とした概念
を持ち出すことによって、在日米軍の行動範囲は一気にほぼ無制限にまで拡大されたので
す。
  第三は、日本側の協力の問題です。現行安保条約では「日本の施政の下にある領域におけ
る、いずれか一方に対する攻撃」に対してのみ「共通の危険に対処するように行動する」と定
められています。つまり、日本が侵略された時にだけ、自衛隊は在日米軍と共同して軍事行動
ができるのです。しかし現実には、アメリカがアジアで軍事行動を起こす場合に、日本の協力
なしには不可能であることは明白です。基地の使用だけではなく、医療、食料、輸送等のあら
ゆる面で日本の協力がなければ、アメリカはすべてを本国から輸送しなければならず、費用の
面でも実際に人的能力の徴発の面でも大変な負担がかかります。そこで今回のガイトラインが
必要となったのです。それによれば「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える」
からという理由で、自衛隊だけではなく自治体も民間も協力しなければならいことが明記されて
います。つまり、日本がまだ攻撃されていないのに、アメリカと協力して領海の外での軍事行動
に参加するのです。
  これが現行安保条約では不十分になったために「新ガイドライン」が必要となった理由だと思
われます。これは憲法違反であることは当然ですが、それだけでなく、安保条約にすら違反し
ています。明記されている「事前協議制度」に違反していますし、「極東条項」の政府見解にも
違反しています。さらに一番重要なことは「日本が武力攻撃受けた時」だけ出動できるとされて
いる自衛隊が、日本は何の攻撃も受けていないのに、「周辺事態」という名前さえつけば、どこ
までも米軍と共同の軍事行動を行うという点です。これは明白な安保条約違反であり、実質上
の憲法改悪です。
  このように見てくると、安保条約には賛成だが「新ガイドライン」には反対だという人たちと手
を結ぶ可能性が浮かび上がってきます。日本の安全を守るためには、米軍に基地を貸すのは
やむを得ないと考えている人でも、安保条約の枠を無視して、日本が米軍のアジアでの軍事
行動に参加することには反対だという人は大勢いるに違いありません。鍵は「事前協議制度」
だろうと思います。アメリカにこれをきちんと守らせるような政府を作ることが当面の歯止めに
なるでしょう。
  政府は「後方支援」に限定するので、戦争をするわけではないのだから憲法違反ではないと
主張しています。しかし「後方支援」とは武器・弾薬・食料・医療品等々の輸送活動と通信活動
のことですから、明白な戦闘活動の一環であることは、どんなに否定しても否定しきれるもので
はありません。1977年のジュネーヴ条約追加議定書でも1986年のニカラグア問題に関する
国際司法裁判所の判定から見ても明白なことです。「新ガイドライン」関連法の成立によって、
日本は「戦争をしない国」から「戦争をする国」へと大きく足を踏み出したことになります。昨年
はNATOの「新戦略」が策定され、コソボ空爆という形でそれが実施されました。「新ガイドライ
ン」はアメリカによる日米安保条約のNATO化だとも言えるでしょう。
  特に問題なのは、アジアにおけるアメリカの軍事行動に対して、日本側に正邪の判断の権限
が明記されていないことです。アメリカからの「周辺事態」の申し出に対して「ノー」と言うことは
「実態としてはない」と防衛庁長官も答弁しています。しかしアメリカがいつでも正しいとは限り
ません。アメリカのすることでも、正しい時は協力し、間違っているときには協力しないというの
が、日本の取るべき当然の態度です。ところが「新ガイドライン」関連法では、そのような、いわ
ば日本側の拒否権のようなものは、どこにも明記されていません。政府は「アメリカは国連の
一員として、国連の精神に反するようなことはしないものと信じます」と繰り返すだけでした。こ
んなことで良いのでしょうか。現実には、アメリカが国連を無視して自国の利益のために勝手
に軍事行動をすることは周知のことです。これまでにも、グレナダ、パナマ、アフガニスタンと多
くの実例があります。正しくても正しくなくても、アメリカの行動には無条件で従うというのでは、
アメリカの属国と言われても仕方がないでしょう。アメリカの行動が間違っているときには、友
人として真剣に反対し、忠告することこそ日本に求められている態度ではないでしょうか。

  日の丸・君が代法制化

  「日の丸・君が代」を支持する人、あるいは積極的支持ではなくとも特別な抵抗を感じない人
たたちが大勢いることは当然のことです。しかし他方には、「日の丸・君が代」に強い抵抗感を
おぼえる相当の数の人たちがいることも事実です。そしてその違いは、単なる好き嫌いの問題
ではなく、深く「歴史認識」に関わっていることは間違いありません。 政府自民党も昨年の国
会審議の中で「日の丸・君が代」が戦争のシンボルとして用いられたことは認めざるを得ませ
んでした。従って、問題は、あの54年前に終わった戦争の評価にかかってくることになります。
あの戦争を正義の戦争だったと信じる者、あるいは少なくとも「やむを得ない」戦争だったと考
える者にとっては、「日の丸・君が代」を国旗・国歌とすることに、何のやましい思いも持つ必要
はないことになります。しかし、あの戦争をアジアに対する侵略だったと考える者にとっては、
「日の丸・君が代」を国旗・国歌にすることは、自国の歴史に対する真剣な反省を否定すること
になります。特にキリスト者にとっては、戦時中に、天皇制国家主義によって信仰の自由を奪
われて、礼拝堂に日の丸を掲示させられたり、宮城遙拝を強制されたりした苦い記憶がありま
す。「日の丸・君が代」は信仰の自由弾圧のシンボルであり、戦争は信仰の自由を奪った間違
った戦争だったのです。このような二つの歴史認識が現実に存在しています。どちらが正しい
歴史認識なのかという問題は重要な問題ですし、侵略戦争だったという認識が正しいと私は考
えていますが、今、ここではその議論は必要ではありません。大切なのは、まず、二つの歴史
認識が存在することを認めることです。次ぎには、歴史認識というものは、自分の現在の行動
を選択するときの重要な判断材料なのですから、歴史認識は人間の生き方に関わるもの、つ
まり行動の基準としての良心にかかわるものだということです。
  歴史認識が良心にかかわるものだとすれば、それを法律で判定することは許されません。
法律は良心の判断に立ち入ることはできないからです。どんなに法律で「日の丸・君が代」が
国旗・国歌だと決定されても、良心に照らして「日の丸・君が代」を尊敬できないという人の内面
を左右することはできません。これは法律というものの本来の限界なのです。
外国では国旗・国歌を法制化している国がたくさんあるではないかという意見があります。中
でもイギリスやフランスなどは、その国旗のもとで植民地征服に励んできたではないかというの
です。しかし、まずこれは、他人がドロボーしているから私もしてもよいというのと同じで卑怯な
議論だと思います。その上、時代の変化を考慮にいれていません。イギリスやフランスが植民
地を支配した時代には、戦争が国際法上容認されないものだという認識はまだ確立していま
せんでした。戦争は国家の権利として認められていて、ナポレオンにしてもビスマルクにして
も、だれも戦争犯罪者と考える人はいませんでした。第一次大戦のあまりに悲惨な結果が、人
類の歴史ではじめて、戦争は悪だという国際法上の共通理解を誕生させたのです。現在で
は、戦争が容認されるのは、国連(安保理事会)の承認があった場合と、自国が侵略された場
合の二つだけで、それ以外の戦争は国際法上不法なものというのが共通理解になっていま
す。そして日本のアジア侵略戦争は、まさに戦争は悪だという、このような国際法上の通念が
生まれて以後に、そのような通念をあえて破って行われたものなのですから、日本の責任は1
9世紀のイギリスやフランスと簡単に比較することはできない性質のものだと思います。さら
に、第二次大戦を共に戦った同盟国であったドイツとイタリアは、戦争の誤りを認めて、戦後に
国旗・国歌を変更しています。それに比べて、戦争の誤りを認めず、国旗・国歌は廃止もしな
ければ法制化もせずに、何の議論もしないままで、実質的に教育やスポーツの場などで使用
を強制し続けておいて、今になって、実質的に定着しているという理由で、議論ぬきで法制化
する日本政府の態度は、まことに不誠実なものだと言わなければなりません。国旗・国家の法
制化は必要なことだと考える場合でも、それが「日の丸・君が代」でよいのかどうかは、もっとも
 っと時間をかけた全国的な討論が必要だったと思います。
   国旗・国歌の法制化は、次ぎには、法律で決まったのだから従わなければならないという強
制を呼び起こします。どんなに政府が国会の答弁で強制はしないと説明しても、衣の下から鎧
が見えるように、文部省は学校の教育現場で今まで以上に「日の丸・君が代」についての教育
と敬意の表明を求めることを公言しています。法制化されただけでも強い抵抗を感じる人々に
とって、歌うことを強制されたり敬意を表して起立することを強要されたりすることは深刻な問
題です。戦時中とは違って、現在では、国旗・国歌の強制によって人々の思想を統一しような
どということは困難だと思いますが、それよりも怖いのは国旗・国歌の掲揚・斉唱をリトマス試
験紙として「国家に従順な者」と「国家に対して批判的な者」が選り分けられることです。そして
選別されて不利な扱いを受けたり白眼視されたりすることを避けようとして、内心では「日の
丸・君が代」に批判的であっても、それを隠して掲揚・斉唱に参加せざるを得なくなる人が生ま
れることです。良心の声に従うよりは国家の要求に従うことが優先させられるのです。自由な
決断が不可能になり、弱い人間は国家の要求の前で良心を曲げざるを得なくなる、これはまさ
に国家主義以外のなにものでもありません。法制化はすでに決定したことですが、その斉唱や
掲揚を教育や公的行事の場で強制することには絶対に反対です。キリスト者は信仰の良心に
照らして、キリスト者でない人は人間としての良心に照らして、手をつないで立ち上がる時が来
ているのではないでしょうか。
  「日の丸・君が代」を尊敬し、支持する人がいることには何の不思議もありませんし、そのよう
な人の存在を私は否定はしません。しかし、だからこそ、そのような人たちにも「日の丸・君が
代」を尊敬しない人の存在を認めてほしいのです。「日の丸・君が代」が背負っている歴史を考
えれば、尊敬する人がいるとしても、他方に尊敬しない人もいるのは当然のことです。片方の
考えをすべての人に強制したのでは民主主義社会は成り立ちません。違うものの存在を認め
あって、相互に理性と論証によって説得することこそ一番大切なことです。

  靖国神社特殊法人化

  靖国神社国家護持という問題はさらに深刻な問題です。「日の丸・君が代」よりも、もっと直接
に戦争賛美に結びついた神社だからです。また、特定宗教の国家による護持は(非宗教化は
完全な形容矛盾です。本当に非宗教化すれば神社ではなくなってしまいます。それなら国営の
戦没者慰霊施設ということになってしまい、現在の千鳥が淵の施設と何も変わりはないことに
なってしまうからです)憲法の政教分離原則にも違反していますし、神社信仰以外の信仰者に
とっては信仰の自由の侵害であることは明白です。
  しかし、靖国神社については、信仰の自由という問題以外にも大きな問題があります。靖国
神社はただ戦死者を祭っているのではなく、「味方の」戦死者だけを祭っているのです。1862
年に京都で官軍の死者の霊を祭った招魂社が設立されたのが最初で、1869年には東京招
魂社が設立され、1879年に靖国神社となりました。すべて官軍の死者だけが祭られていま
す。会津藩や伊達藩の死者は賊軍として祭祀の対象にはされませんでした。これは日本宗教
の伝統から見れば、どちらかと言えば異例のことではないかと思います。死ねば敵も味方もな
く、みんな仏になるというのが日本社会の通念でした。特に怨霊信仰のために、恨みを飲んで
死んだ敗者の霊は、より丁重に弔うのが伝統であったと思います。ところが靖国神社は官軍の
死者だけを祭りました。つまり明治国家のために死んだ者だけが正しい死に方をしたのであっ
て、賊軍の死者は神として祭るに値しない、犬死にだということになります。事実、会津藩の死
者たちは、遺体の収容を禁止されて野ざらしにされ、戊辰戦争終了後も葬儀も墓を作ることも
禁止されていました。
  ここには明らかに国家に対する忠誠度を尺度として人間の価値をはかるという考え方が見ら
れます。人間の一人一人にかけがえのない価値があるのではなく、国家のために役に立つ人
間だけが価値があるのです。このような国家中心主義の象徴として靖国神社は歴史の中でそ
の役割を果たしてきました。お国のために死ぬことを人生の最高の目的として教え込むことが
靖国神社の役割だったのです。そのような神社を国家護持することは、どんなに非宗教化など
という戦時下と同じ偽装をしてみても、結局は、国家に対して批判的な人間の存在を否定し、
良心の声よりは国家の要求に従えという、国家中心主義の復活の流れの一翼を担うものでし
かあり得ません。
  靖国神社についても、これを尊敬し、そこに参拝して涙を落とす人がいるのは自然なことです
し、そのような人々に私は何も反対はしません。民間の神社として存在しているのであれば、
それこそ信仰の自由は保証されなければなりません。だからこそ、靖国神社に批判的な人の
存在も認められなければなりません。両者が共存して、冷静に「歴史認識」について、「信仰の
自由」について理性的な論議を行うことが、民主主義社会の当然の原則ではないでしょうか。
しかし国家護持となれば、まったく事情は異なります。キリスト者として、信仰の自由を守るた
めに反対するだけではなく、良心の自由のために国家中心主義の復活に反対するすべての
人と手をつないで、これを阻止することが求められています。

  立ち上がるキリスト者たち

  このような事態に対するキリスト教界の反応は、当然予想されることですが、真っ二つでし
た。一方には、政治問題にかかわることに対する強い反発があり、他方には、今度こそ過去
の過ちを繰り返すまいという熱心な運動がありました。
  冷淡な反応は、日本基督教団のいくつかの教区総会における議論の中に具体的に示されま
した。「新ガイドライン」に対する反対声明を求める建議案に対して、そのような政治的な声明
はそもそも教会会議になじまないという意見が多数を占めたために、建議案が否決された教
区や、あるいは、最初からその種の議案を討論することすら認めなかった教区がありました。
そこには、明治憲法以来、政治には関与しないことを条件に「信仰の自由」を与えられてきた
日本の教会の歴史が、今もなお体質的に私たちの中に根づいていることが示されています。
また、それに加えて、20数年来のいわゆる「教団紛争」の中で、政治問題にかかわる者は一
部の「非正統信仰の暴力集団」であって、そのような者を排除することによってだけ教団の「正
常化」が実現するという固定観念のようなものが、多数の人々の心の中に植え付けられている
ように思います。そのような考えの是非はここでは問いません。大切なことは、そのような考え
のために、政治に対する発言をすべて禁止することは、神に対する教会の服従と忠実を非政
治的な場面にのみ限定するという大きな誤りを犯すことにならないか、ということです。
  反対運動は、すでに1997年6月に「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」改訂に向
けての中間まとめが発表された直後から開始されました。『1999キリスト教年鑑』を見ただけ
でも、日本キリスト教協議会(NCC)、日本自由メソヂスト教団、日本バプテスト連盟福岡地方
バプテスト連合社会委員会、日本基督教団宣教委員会、日本YWCA、日本基督教団京都教区
が、それぞれ1998年5月までに反対声明を発表しています。
信仰的な立場としては「保守的」な教派が積極的に発言していることが注目されます。
 キリスト教に限らない全国的な反対運動としては、いちはやく1997年9月に38名の個人の
連名で「日米安保ガイドラインに反対する百万人署名運動」が呼びかけられ、各地で多くのキ
リスト者がこれに応じて活発な署名活動が行われました。98年5月には約13万筆、9月には
さらに約25万筆の署名が国会に提出され、国会行動、全国キャラバン、抗議デモ等が行われ
ました。法案成立後は「とめよう戦争への道!百万人署名運動」と名称を改めて運動が継続さ
れています。
  さらに1998年5月には「新ガイドラインとその立法化に反対する国民連絡会」が憲法会議・
全労連等の呼びかけで結成されました。この運動はただちに全国にひろがり全県に連絡会が
結成され、各地でのキリスト者の自主的反対運動の中にもこの連絡会に加盟するものが多く
見られました。法案成立後も同じ名称で、「戦争法の発動を許すな」をスローガンに活発な活
動が続けられています。
  いくつもの党派的に別れた運動をまとめて、東京での巨大な全国集会を開催して、反対運動
の盛り上がりを実現する上で大きな役割を果たしたのはNCC(日本キリスト教協議会)でした。
いくつかの労働団体とNCCを中心とする宗教者の呼びかけによって99年5月21日に二万人
規模の大集会が東京で開かれました。日本の歴史の中で、このような政治的大集会がキリス
ト者の呼びかけで行われたことは、おそらく初めてのことではないかと思います。以後、NCCは
「新ガイドライン」反対運動の一つの連絡・情報センターとして大きな役割を果たしてきていま
す。法案成立以後は、「憲法改悪に抗するキリスト者ネット」(CNARC)を結成して反対運動の
継続を進めています。
  さらに1999年3月には「新ガイドライン反対キリスト者連絡会」の結成が7教派69人のキリ
スト者の連名で呼びかけられました。この運動は、独自に署名を集めたり集会を開いたりする
ことを目的としたものではなく、各地で自発的に行われているキリスト者のさまざまな運動の相
互連絡と励まし合いを目指すものでした。短期間のうちに約400人にまで呼びかけ人が広が
り、毎号のニュースには、各地で行われているさまざまな工夫をこらしたキリスト者の反対運動
が紹介されて大きな励ましになりました。法案成立後は、名称は変えずに、それぞれの教会
が、信仰的良心に立って、国家主義に対して非暴力・不服従の抵抗を行い、神にのみ従う教
会となるように、教会改革を進めることを目指して運動を続けています。

  国家主義と日本のキリスト教会

  問題は教会と国家の関係の根本にかかわっていますので、どうしても日本のキリスト教会の
歴史を振り返ってみる必要があります。誌面も限られていますので、「アジア・太平洋戦争」以
後の問題にしぼって考えてみます。
  まず1941年の日本基督教団の成立の問題です。たしかに教会合同は日本のキリスト教の
悲願でした。しかし現実の教会は教派教会だったのですから、合同ということになれば、教派
の本質をよくふまえて、信仰と職制の違いを克服した合同でなければなりません。何回も試み
られた教会合同の動きは、常にこの問題で挫折してきたのです。教会が教会的に合同しようと
思えば、どうしてもこの問題を克服しなければならないはずです。ところが、宗教団体法によっ
て戦争遂行のための思想統制の一環として、国家の意志によって合同が強要されると、あれ
ほど信仰と職制の問題にこだわっていた諸教派が、その問題は棚上げにして、うやむやのま
ま、一気に合同にふみきってしまいました。このような合同が真に「教会的」な合同であったと
は思えません。残念ですが、国家の圧力に屈服した合同であったと言うほかありません。しか
し、それにもかかわらず、合同は摂理であったと私は信じています。このような「非教会的」な
筋道で合同した教会が、真に「教会的」な合同教会に成長するための第一歩を踏み出したの
だと信じています。そのためには、私たちは、どうしても教派の本質と、信仰と職制の違いの克
服について真剣に検討する必要がありますし、さらに国家と教会の関係についての根本的な
反省が求められていると思います。
  教会合同が国家の圧力だけではなく、内部からの自発的要求にも基づいていたことのあかし
として、1940年の青山学院における信徒大会の合同宣言が持ち出されます。しかし、その合
同宣言はこのようなものでした。「神武天皇国ヲ肇メ給ヒシヨリ、ココニ二千六百年皇統連綿ト
シテ世々光輝ヲ宇内ニ放ツ。此栄アル歴史ヲ懐ヘテ吾等転タ感激に堪ヘサルモノアリ。本日
全国ニアル基督信徒相会シ虔ンテ天皇陛下ノ万歳ヲ寿ギ奉ル・・・」途中飛ばしますと「今ヤ此
世界ノ変局ニ処シ国家ハ体制ヲ新ニシ大東亜新秩序ノ建設ニ邁進シツツアリ。吾等基督信徒
モ亦之ニ即応シ教会教派ノ別ヲ棄て合同一致以テ国民精神指導ノ大業ニ参加シ進ンテ大政ヲ
奉賛シ奉リ尽忠報国ノ誠ヲ致サントス」。これが合同宣言です。ここのどこに信仰の告白があ
るのでしょうか。ある評論家は、これを「キリスト教が神道の軍門に下った降伏文書だ」と評しま
した。これは、労働運動も政党もすべて解散して、国家の要求によって合同して、国家の政策
の遂行に参加するという、一世を風靡した大政翼賛運動の中で、時流に乗った合同、バスに
乗り遅れないための合同であったと言われても仕方がないのではないでしょうか。これ以後、
国家の決定に対しては信仰的判断はひかえるという体質が抜き難く教会の中に根を下ろして
しまいます。
  そのあらわれが、日本基督教団統理の伊勢神宮参拝であり、同じく日本基督教団指導部に
よる朝鮮の教会に対する神社参拝強要でした。国家の要求に対する信仰的判断の放棄があ
まりにも悲惨な姿でここに形をとっています。私はこのような戦時中の指導者を非難する気持
ちはありません。このような指導者たちが、教会を守り、信徒を守るために、必死の努力をし、
苦悩して、ぎりぎりの妥協点として決断した行動であったと理解するからです。また、自分が同
じ立場に立たされたら、とても抵抗できなかっただろうと思うからです。しかし、だからこそ、そ
のような時代が二度と来ないように、今、努力しなければならないのです。そのような時代が来
てしまえば、よほど強い人でない限り抵抗はできないでしょう。だからこそ、今、自由にものが
言える時に、はっきりと言わなければならないのです。戦時中の指導者を個人的に非難するの
ではなく、その苦しみを分かち合いつつ、なお、その誤りは明確にしなければなりません。そう
でなければ、また同じ誤りを繰り返すことになります。
  教団合同の翌年、ホーリネス教会が弾圧された時にも同じ問題が起きました。裁判の中で証
言を求められた日本基督教団幹部の一人は「信者の中に不逞教義に対する妄執強く、それを
清算し切れぬものが多い。今回の事件は比較的学問的程度が低く、且つ聖書神学的素養不
十分のため、信仰と政治と国家というものを混同した結果とはいえ、まことに悲しむべき出来
事であり・・・ただ、一面、キリスト者にとって今後の向かうべき方向を明確に示されたような気
もいたしますので、却って好結果をもたらすことになるのではないかと思います」と言っていま
す。ここでも、国家の意志の前で信仰的判断は回避されています。
  何よりも悲しいのは、諸教会に宛てた敗戦後の最初の日本基督教団の通達です。1945年
 8月25日に戦後最初の常議員会が開かれました。そして全教会に通達が送られました。「聖
断一度下リ畏クモ詔書の渙発トナル而シテ我ガ国民の進ムベキ道此ニ定マレリ・・・聖旨ヲ奉
戴シ国体護持ノ一念ニ徹シ・・・承詔必謹・・・大詔ヲ奉戴シ・・・皇国再建の活路ヲ拓クベシ・・・」
というのです。判じ物のような言葉が並んでいますが、要するに天皇陛下が恐れ多くも御決断
をなさったのだから、心を謹んでそれを承って、天皇の御心を奉じたてまって、大日本帝国再
建のために頑張りましょうということです。敗戦後にまだこんなことを言っていたのです。もしこ
れが、これとは違って「戦争は終わった。昨日までは心ならずも弾圧に屈して、伊勢神宮にも
参拝し、天皇も拝んだ。あれは本心ではなかった。屈服した罪をここにおわびして指導部は総
辞職する」とでもいう文書だったら、どんなによかったかと思います。戦争に負けて、もう自由に
ものが言える時になって、まだ承詔必謹とか大詔奉戴とか国体護持とか言っているということ
は、これが本心だったということでしょう。戦争が終わって10日もたって、まだこう言っていると
いうことは、天皇制国家への屈服は、屈服ではなくて本心からの服従だったのです。国家の要
求に対して信仰的判断を下すことを放棄した結果がここに明瞭に示されています。戦後の教
会は、この問題を明確に総括することも批判的に検討することも怠ってきました。日本基督教
団の設立を摂理と信じ、戦時下の教会の歩みを単なる非難ではなく、悲しみをこめて自己批判
し、真に「教会的」な合同教会を目指して歩もうと願う者は、どうしても国家と教会の問題を真剣
に考えざるをえないのではないかと思います。
  今、ふたたび日本国家が、日の丸・君が代を押し立てて、敬意の表明を求めて来ている時
に、その国家の要求に対して信仰的良心に基づく判断を回避するとしたら、私たちは、同じ過
ちをくりかえすことになります。
   
  戦後民主主義と国家

  国家主義復活の動きは最近に始まったものではありません。敗戦直後から、すでに国家主
義的構造と思考の生き残りを目指した支配層の執拗な努力が行われていました。
アメリカ占領軍による民主主義の移入は、多くの日本人に歓迎されました。戦前から一貫し
て反戦・平和・自由・人権のために戦ってきた人々にとっては、これは待ちに待った変革でし
た。この人々にとっては敗戦は解放でした。このような人はもちろん少数でしたが、天皇制を支
持してきた大部分の日本人にとっても、敗戦のショックと戦後の自由な世相の解放感は、明ら
かに天皇制軍国主義の誤りと民主主義の優位性を示すものであって、民主主義体制の移入
は大歓迎であったのです。そのような中で、支配層は何とかして国家主義的枠組みを残そうと
必死の努力を続けていました。
  その一つの実例が新憲法制定の経過に示されています。米軍司令部から提示された新憲
法原案では第13条は「一切の自然人は法律上平等なり政治的、経済的又は社会的関係に於
いて人種、信条、性別、社会的身分、階級又は国籍起源の如何に依り如何なる差別的待遇も
許容又は黙認せらること無かるべし」となっていました。この規定は日本政府にとっては「いが
のついた栗を飲み込め」と言われたような抵抗を呼び起こしました。経過は複雑ですが、ともか
く執拗な交渉の結果、この条文は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性
別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と
改められました(日本国憲法第14条)。「国籍の如何を問わず」という文章が削除されたので
す。さらに後で国籍法によって、国民とは日本国籍を有する者のことと定められて、完全に在
日外国人の人権保障は憲法から消し去られてしまいました。米軍司令部の原案が強い抵抗を
呼び起こした理由は、おそらく在日朝鮮人の問題であったことは容易に推測できます。ここに
は、日本国に所属する者だけを人権保護の対象とするという強い意志が日本政府側にあった
ことが示されています。人間を人間として尊重するのではなく、国家への所属を人権の条件と
しているのです。(憲法をめぐる米軍司令部と日本政府の交渉は、佐藤達夫「日本国憲法成立
史」『ジュリスト』1955/5〜1958/2に当事者による詳細な記録が記されています)
  続いて軍人恩給の問題が米軍司令部から提起されました。軍人恩給こそ「世襲軍人階級の
永続を計る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となった者であ
る・・・現在の惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が、他の犠牲において
極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない」というのがその指
令でした。そして軍人恩給にかわって「われわれは、日本政府がすべての善良なる市民のた
めの公正なる社会保障計画を提示することを心から望むものである」と勧告しています。つま
り軍人とその遺族だけが特別な補償を受けるのはおかしいというのです。政府の行為によって
被害を受けたすべての人に、軍人と民間人を問わず、平等に補償すべきであり、すべての困
窮する人のために公正な社会補償制度を確立せよというのです。これは正に民主的な考え方
というものでした。日本政府は、占領軍の命令ですから、やむを得ず軍人恩給を廃止しました
が、平和条約が発効するやいなや、ただちに軍事恩給と遺族年金制度を復活させました。民
間人への補償は唯一被爆者補償を除いて一切考慮されていません。ドイツでもフランスでも、
戦争の被害者は軍人と民間人の区別無く補償の対象となっています。つまり、「国家との特別
な関係を有する者」に対象を限定するのが日本政府の考え方なのです。国家のために死んだ
者だけが価値のある死に方をしたのだという認識が根底にあります。これは靖国神社と基本
的には同じ発想です。国家の間違った行為によって国民に迷惑をかけたのだという認識は完
全に欠落していますし、死者がお国のために死んだのでれ、交通事故で死んだのであれ、残さ
れた遺族が困窮することに変わりはないし、死者が何のために死んだかにはかかわりなく遺
族には人間らしく生きる権利があり、国にはそれを守る義務があるという発想は一切見られま
せん。その上、旧植民地出身者は「日本国籍」を喪失したとすることによって、現在にまで及ぶ
元韓国・朝鮮人日本兵等の旧植民地出身日本兵に対する恩給・年金支払い拒否という深刻な
問題を生み出すことになりました。これらのすべてに共通するものは、まさに国家中心主義、
国家主義と呼ぶほかない考え方です。(田中宏「日本の旧植民地出身者と戦後補償」『法律時
報』1989/8参照)
   
  神の国を望みつつ〜非暴力不服従の道〜

  このような戦後一貫した国家主義復活の動きの一つの到達点が昨年の「新ガイドライン」関
連法と国旗・国歌法の成立でした。これに対する一般の日本人の判断は非常に寛大です。
内閣の支持率は、これらの国家主義的法律の制定後にむしろ増加しています。良心の自由が
侵害されることに対して、こんなに鈍感で良いのだろうかと思います。大部分の日本人は本音
と建前を使い分けて、国旗・国歌に対しても、建前として形だけ従えばよいのであって、内心は
別だと考えています。しかし、内心と外形の使い分けこそ、戦時下のキリスト者の逃げ道だった
のです。
  戦時下のキリスト者の苦しみを思う時、私たちは、今、同じ道をたどることは許されません。
良心の声を内心に閉じこめようとすれば、エレミヤのように
     「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じこめられて、
     火のように燃え上がります。
     押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。
     わたしの負けです」(20;9)
と言うほかありません。もちろん、語れば聴かれるというわけですはありません。昨年もあれほ
どに多くの人々が懸命の努力したにもかかわらず「新ガイドライン」関連法その他の法は成立
しました。愚かな私たちの祖国は、もう一度滅びなければ目が覚めないのでしょうか。エレミヤ
の言葉は現在の状況を語っているかのようです。
     「わたしはあなたがたの上に見張りびとを立て、
     『ラッパの音に気をつけよ』と言った。
     しかし彼らは答えて、
     『われわれは気をつけることはしない』と言った」。(6;17=口語訳)
むなしさのあまり気落ちすることもあります。しかし希望を棄てることはできません。希望を棄て
ることは信仰を棄てることです。神の国を望みつつ、今、できることを静かに、一つずつ、日常
的に、うまずたゆまず歩き続けることが大切です。
  たしかに「新ガイドライン」関連法は成立しました。しかし「新カイドライン」法は成立したとして
も、その実施のためには、まだまだ多くの関門があります。「戦争をしない国」から「戦争のでき
る国」に日本を作り変えるのですから、そう簡単にはいきません。日本の国内法は、すべて憲
法に基づいて「戦争はしない」ことを前提に作られています。極端に言えば、すべての国内法を
「戦争のできる」法に作り変える必要があります。「新ガイドライン」という枠組みはできました
が、その中味をいれる作業はこれからなのです。その一つ一つをつぶしていけば、「新ガイドラ
イン」の実施は困難になります。
  私たちの進む道は二つあるように思います。まず第一はキリスト者としての非暴力・不服従
の道です。国旗・国歌の掲揚・斉唱の強制に対して非暴力・不服従の道を貫くことが、今、信仰
の証として求められています。公立学校のキリスト者教師にとって、非常に困難な時代が始ま
ろうとしています。学校行事における君が代斉唱に対してどのような態度を取るのか、よくよく
考えておかなければなりません。起立しないのか、起立して歌わないのか、起立して歌うが教
室に戻ってから生徒たちに君が代法制化に対する自分の考えをきちんと伝えるのか、いずれ
にしても勇気が必要です。神が必要な勇気を与えて下さると信じます。
  もう一つ、大切な道は、国家主義の復活に反対するキリスト教以外の多くの人々との連帯で
す。昨年の運動の中でも、私たちは、この点で多くの教訓を身につけ、大きな成果をあげまし
た。京都では「新ガイドライン反対京都宗教者連絡会」が結成されて、キリスト教、仏教、大本
教、天理教、金光教等々の人々が手をつなぎました。大阪でも「宗教者平和協議会」の新ガイ
ドライン反対街頭演説にキリスト教、天理教、仏教の人々が壇上に並んでマイクを取りました。
「百万人署名運動」も「国民連絡会」もNCCの呼びかけた大集会も、宗教の枠を越えた市民、
労働者、政党との協力という新しい地平を切り開きました。国家主義の圧力に対して、人間の
尊厳を守り、良心の自由を守ることを願う、これらの多くの人々と手をつないで、平和と民主主
義を守る政府を選挙で作り出すことが大切なのではないでしょうか。
  このような運動を進める時に、どうしても必要になるのは、国家についての神学的反省です。
国家について、単に社会科学的な検討を行うだけではなく、神学的な検討を行うことは、キリス
ト者が国家に対して何らかの行動を行う時には避けてはならないことです。ここで神学的論議
を行うことはできませんが、少なくとも確認しておかなければならないことは、国家は神によって
定められた秩序ではないということです。国家が生まれたのは、人類の歴史の中では比較的
新しいことで、その前には、数百万年におよぶ国家の存在しない時期があったこと、そして将
来には、いつか国家が消滅して、人間が国家を媒介せずに直接社会的存在として共生するこ
との可能性が展望されていること、これはパウロがローマの信徒への手紙13章を書いた時に
は知られていなかったことです。アメリカ独立宣言によれば、すべての人に人間らしく生きる権
利が生まれながらに神から授けられており、その権利を実現するために私たちは政府を作っ
ているのであって、政府がそれを実現しない時には、私たちは政府を取り替える権利を持って
いるとされています。
  教会は政治団体ではないのですから、すべての政治問題について常に発言することは教会
の任務ではありません。しかし、国家が人間の良心の自由を侵害し、人間の尊厳を犯す時に
は、断固として発言することは教会の使命です。イザヤのように、エレミヤのように。そして発
言しても、これもイザヤのように、エレミヤのように、何の効力もないかも知れません。私たち
は、その時、イザヤにならって、夜明けを信じつつ、こう言うだけです。
     「『見張りの者よ、今は夜の何どきか、
     見張りの者よ、夜の何どきなのか。』
     見張りの者は言った。
     『夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ』」(21;11-12=新共同訳)。(終)

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3.キリスト者の政治参加(『宗教と平和』2001年5月号)                  

キリスト者の政治参加                                        

  1 昨年(2000年)出版された永田諒一『ドイツ近世の社会と教会』(ミネルヴァ書房)という書物
には、宗教と政治の関係について、現代のキリスト者が学ぶべき多くの論点が示されていま   
す。特に「抵抗権」についてのルターの見解を扱った第一論文は興味があります。カトリック信 
仰を武力で強制してくるドイツ(神聖ローマ帝国)皇帝に対して、ブロテスタントのドイツ諸侯が実
力で抵抗することは許されるのかという問題です。                          
  最初はルターは抵抗を認めませんでした。支配権力というものは、神が定めたものなのだ
から、下位の者は、それに対して服従、栄誉、畏敬を捧げるべきだというのです。たとえ主君  
が暴君であっても同じ事です。暴君が臣下の財産、生命、妻子を滅ぼしたとしても、それは甘 
受しなければならない。暴君を罰することができるのは、神だけだというのです。皇帝は諸侯k
上位にある権力ですから、当然、皇帝に対する諸侯の武力抵抗は認められません。例外      
は、 支配権力が、信仰問題に関して、すなわち、霊的支配の領域に干渉して(ここにはルター
独特の二世界統治説が前提されています)、臣下や領民を迫害するときですが、その時でさ   
え、許されるのは逃亡という手段であって、抵抗は認められません。このような考えは、二世界
統治説に立つかぎり、当然の結論であって、ルターの論理ははこの場合には首尾一貫してい 
ます。                                                                        
  しかしルターはこの考えを変更します。変更しなければ、カトリック皇帝に対して、プロテスタ
ント諸侯が武力で争ったシュマールカルデン戦争などは不可能でした。では変更の理由は何 
だったのでしょうか。それは、聖書にでてくるローマ帝国の皇帝とは違って、ドイツの皇帝は諸 
侯の選挙によって選出されているのであって、両者の地位には大きな違いがあることを認識し
たことでした。ドイツ皇帝は諸侯の選挙によって選出されるのだから、皇帝権は諸侯によって 
法的に制限されているのであって、皇帝への抵抗権は本来、承認されているのだ、ということ 
を、ルターは数人の人から教えられたのです。簡単に言えば、ドイツ皇帝は神によって任命さ 
れたのではなく、人間が選出したものだということです。それなら、選出時の約束に反する暴政
を行った時には、それに対して抵抗することは、当然の権利です。福音は世俗の法を尊重する
という二世界説の原則から、このようにしてルターは、皇帝に対する諸侯の抵抗権を承認した
のです。                                                                       
 2.このようなルターの論理変更(変節?)は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。「人は
皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によっ
て建てられたものだからです」という聖書の言葉に、ルターは忠実でした。しかし、聖書に示さ 
れた神の意志に徹底的に忠実であるためには、自分の生きている社会の現実についての正 
確な深い認識が必要であることをルターは苦渋の中で承認したのです。ドイツの皇帝について
の、あまりにも平凡で通俗的な理解を無反省に持ち込んだために、聖書の読み方を間違えた
のだと言ってもよいでしょう。もしかするとパウロ自身の皇帝理解についても同じ事が言えるか
も知れません。古代ローマが共和制の社会であつたこと王政に移行してからも長く即位にあた
っては民衆による承認が必要であったことなどは、帝政時代の属州の市民であったパウロに 
は知るよしもなかつたことだったのではないでしょうか。                                                 
3.キリスト者は、すべてのことにおいて神に従って生きようとします。政治や社会は別と言うわ
けにはいきません。それでは政治や社会の問題は、神とは無関係なものということになってし 
まうからです。キリスト者もこの世に生きている限り、政治的・社会的決断から逃げることはで 
きません。どの政党に投票するか、消費税に賛成か反対か、新ガイドラインに賛成か反対か、
すべての問題について決断をせまられます。そしてキリスト者は、すべてのことを信仰に基づ  
いて判断するのですから、このような政治・社会問題にも信仰に基づいて発言しなければなり 
ません。                                                   
  しかし、ルターの例からも明らかなように、聖書の信仰からは、これらの問題について「直接
の」答えは出てきません。消費税についての聖書的判断などというものは存在しません。聖書 
の信仰は、神に喜ばれ、人々の幸せになるような選択を求めるだけです。どちらが神に喜ば   
れ、人々の幸せになるかは、それらの問題についての正しい知識がなければ決定できませ  
ん。ですから、信仰は真剣に知識を求めるのです。社会科学を媒介にした正しい知識に基づ 
いて、はじめて信仰の決断が可能になります。「相対的次元への宗教の直接介入は人間の自
由を妨害し歴史の発展を阻害する」というのは、先日死去された大川義篤牧師の名言です。 
現代日本における創価学会・公明党の政治介入についても、まったく同じ批判が成り立ちま 
す。                                                      
  ルターが、深い聖書的信仰と「凡庸な社会理論」(永田諒一氏)の組み合わせのために、大き
な苦悩をかかえ、その克服のために必死の努力を行った歩みは、現代の私たちにとって貴重
な教訓です。 (以上)                                            

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4.有事法制を考える(2002.5.15.いわて生協学習会)(2004.2.3)
 →http://www.iwate.coop/other/paper/old/yuuji.html


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5.良心に従って生きる自由(2004.4.27.新聞『赤旗』、加筆) 

 「国民儀礼」をご存じですか。天皇の住んでいる「宮城」の方角に向かっていっせいに礼拝を
し、それから「君が代」を斉唱し、最後に前線の兵士の無事を祈り、戦死者の「英霊」に感謝し
て全員で黙祷するというのが、おおよその順序です。あらゆる集会は、この「国民儀礼」で開始
されることが要求されていました。小学校では、朝、全員が校庭に整列して一斉に「国民儀礼」
でした。町内会であれ、会社であれ、工場であれ、すべて人間が集まって何かする時には、ま
ず最初に「国民儀礼」でした。私も小学校六年間、毎朝やらされました。「アジア・太平洋戦争」
下の日本のことです。
  これで困ったのがキリスト教会でした。日曜日ごとのキリスト教の礼拝に先立って「国民儀
礼」が求められたのです。教団指導部はあっさり屈服して各教会に「国民儀礼」の実施を求め
る文書を出しました。「近来教会に於いて礼拝前に国民儀礼を実行しつつある処次第に増加し
つつあるは洵に喜ばしき事に有之候。就いては今回所属全教会に於いて之を実行し以て行ふ
処行はざる処あるの不統一を避け度く存じ候。申すまでもなく皇国民として大御稜威の下に生
きることは我等の感謝感激にて有之、我等の教団統理者が賜謁の光栄に浴したる此の機会
に、一同感激の誠意を披瀝し之が全国的実施を決意致度く茲に御通知申上候」というのです
(原文はカタカナ)。本当になさけない文書です。もちろん、こんなことはキリスト教にとっては許
されることではありません。神のみを神とすることはキリスト教信仰の根幹であって、天皇を礼
拝することは信仰を捨てることを意味します。
 たとえ少数とは言え、これに従わず、命をかけて信仰の自由を守り抜いたキリスト者がいた
ことは、日本のキリスト教会が誇りとすべきことです。「灯台社」の明石順三(稲垣真美『兵役を
拒否した日本人』岩波新書)のようによく知られた人物だけではなく、抵抗を貫いた無名の人た
ちが各地に存在しました(たとえば熊本のホーリネス教会牧師森田豊熊については私は最近
になって初めて知りました。『熊本民主文学』2000年6月号)。
  しかし多くのキリスト教徒は屈服しました。私の父も牧師でしたが礼拝の前に「国民儀礼」を
行っていました。本人はどんなに悔しかったことかと思います(中には本心から天皇を拝んだキ
リスト者もいました)。心の中ではキリスト教の信仰を守りながら、外面では天皇を神として拝む
のです。「内と外」の使い分け、「本音と建て前」の使い分けという日本社会によく見られる生き
方です。本心を正直に表明することが許されない社会で生きていくための生活の知恵なのでし
ょう。しかし、そのような知恵は人間を卑屈にします。内と外で基準が違うのですから人格が分
裂します。偽善者になります。これは自分の好きなようにわがまま勝手に生きればよいというこ
とではありません。人生の一番大切なものについての自分の信念を守るということなのです。
そして信念の通りに生きることのできる人は少数です。多くの人は、生活のために心ならずも
屈服して、本心とは違う行動をさせられてしまいます。人々にそのような屈服を強いる社会は
不幸な社会です。
 今、各地の学校で「君が代」「日の丸」が強制され、処分という脅迫のもとに本心に反する行
動が求められています。有事法制に関連して福田官房長官は「内心の自由はあるが形に表せ
ば制限される」と言いました。これでは、内心はキリスト教を信じながら、表面では「国民儀礼」
を行っていた戦時下の私の父と同じ事です。「内心の自由」ということは、心の中で何を考えよ
うと勝手だということではありません。「内心に従って生きる自由」、もっと正確に言えば「良心
に従って生きる自由」ということです。ひとりひとりが自立した個人として、主体的に自分の考え
に従って人生を生きるところにだけ民主主義社会は存在します。ひとりひとりが社会の主人公
なのです。その各自の自主性を最大限に尊重しながら共同社会を形成していくことこそ「近代
市民社会」の原理であって、「思想・信条の自由」が民主主義社会の基本原則だと言われるの
はそのためではないでしょうか。
  昨年八月に尖閣列島の釣魚島に上陸して日の丸を掲げた右翼団体があります。彼らが上
陸してまずやったことは「国民儀礼」でした。今、ひしひしと、「良心に従って生きる自由」の危機
を感じます。

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6「歴史に責任を持って生きるということ」

      (福島県母親大会講演要約 2005年6月19日)        川端純四郎
             (実行委員会責任編集)

 一九三四年生まれ、七一才です。仙台空襲で学校も我が家も焼け、火の中を逃げて歩いた
忘れられない記憶があります。小学校の同級生が七人、一晩で焼け死にました。二度とあの
ようなことが起こってはならないと思っています。私の父はキリスト教の牧師で、私は教会で生
まれ育ち、宗教哲学という学問を職業としてきました。そんな私がなぜ、「反核運動」とか「平和
運動」とか「憲法守れ」とか「政治革新の運動」とかやるようになったのか、そのきっかけを少し
お話しようと思います。                                         
ルドルフ・ブルトマン先生(ドイツ 一八八四〜一九七六)という偉大な宗教学者のもとで勉強す
るために、私はドイツへ留学しました。当時、飛行機はたいへん贅沢な乗り物で、私は貨物船
に乗せてもらい、一ヶ月かけて行きました。途中に立ち寄った国々で見たもの、それは、この
地球上に毎日のように飢えて死ぬ人々が何千人、何万人といるんだという現実。それまで私
は、人間は、神様の前で恥ずかしくない生き方をすればいいと思っていました。しかし、あのア
ジアの国々を見たときに、「自分は神様の前で真面目に生きていても、世の中に毎日毎日飢え
て死んでいく人が何万といるときに、『それは知りません』『私は真面目に生きています』という
だけではすまないのではないか」ということに遅まきながら、気づきました。ドイツに着いてか
ら、「宗教哲学」の勉強をそっちのけにして、アジアの貧しさの根本である植民地支配について
調べました。ベトナムとかカンボジアとか、なぜあんなに貧しいのかといえばフランスやオラン
ダなどの植民地支配で、あらゆる富を絞り上げた、その結果だということは、私にもわかりまし
た。ドイツに行って、私が最初にしたことは、宗教哲学の勉強ではなく、大学の図書館に行き、
ドイツの植民地支配の歴史について調べることでした。その中で、ドイツの植民地のひとつ、南
西アフリカ(現、ナミビア)で独立運動が起き、ドイツは軍隊を出してそれを鎮圧し、その後、反
乱を起こした人たちの首謀者・指導者を逮捕して、これを二度と起きないように見せしめの処
刑をしたという記録を見つけました。あの本を読んだときのショックは今でも忘れません。ブルト
マン先生のご自宅で直接教えていただいていた私は、ある日、「もしかして先生は、ドイツの植
民地支配の歴史について、何かご存知でしょうか」とお伺いしました。先生は実に良心的な人
で、第二次大戦の間もナチスヒットラーに屈服せず、大学の講義の中でも「ヒトラーのユダヤ人
虐殺は間違いだ」と発言をなさって、公務停止処分を受け、戦争中は大学で授業もできなかっ
た、という経験もお持ちでした。先生は、すぐには何もおっしゃらず「私は政治に関心はない」
と、こうおっしゃった。しかし、ナミビアで処刑された人の子どもたちは許してはくれないだろう、
「あなたは何事にも屈せず、良心を曲げなかった、だから、そういうあなたの生き方は尊敬しま
す。だけどもあなたはドイツ人である。ドイツ人だったら、ドイツがこういうことをやっていたとき
に、なぜ『やめろ』と言ってくれなかったのか」、たぶんそういうだろうと思います。本当に真面目
に人間らしく生きようと思ったら、やっぱり、自分の国が何をやっているかについて、きちんと知
って、それについて反対したり、それを押し留めたり、そういうことをする責任があるのではな
いか思ったんです。そのときのブルトマン先生に私は反論しませんでした。なぜなら、私自身が
日本の歴史なんてホントに大学の入学試験のために覚えた以外、何も知りませんでした。日
本が中国で何をしたのか、そのとき、その被害を受けた中国の人たちが、どう思ったのか、そ
の子どもたちが今何を思っているのか、生きた人間の歴史として、歴史を勉強したことがあり
ませんでした。                                             
留学中に出会った中国人の友人との対話の中で、歴史というのは、自分がやらなかったことに
ついて責任の問われるものなんだ、という結論に達しました。私たちは、現実の中で生きてい
る人間です。真空状態の中で抽象的に生きているわけではない。私たちは、日本の歴史と文
化を背負って「身に着けた一つ一つが絡み合って私たちは初めて「人」になる。私たちは否応
なしに歴史を背負って生きている。だとしたら、その歴史の中の都合の悪い部分について、「知
らない」というわけにはいかないんではないか。それを「知らない」と言ってしまえば相手から
「知らない罪、無知の罪というのがある」と言われるだろうと思いました。日本に帰ってきてか
ら、改めて日本の歴史や日本の植民地時代のアジアとの戦争の歴史について勉強しなおしま
した。アジアの人々、何千万という人が流した血と涙、それが何の後始末もされずに今も蓄積
したまま、という現実がわかってくるにつれて、これからどうしなければならないのか、という問
題に直面しました。じっとしてはいられない。やっぱり平和憲法を守る、核兵器なんかなくす、そ
れには何が必要か、日本の政治がアメリカ一辺倒ではなくて、アジアとも仲良くするような政治
に変わらなければならないのではないか、そのためにはやっぱり自分にできる何かしなきゃい
けない、と思うようになりました。                                   
アジアの人々と友だちになって、多くの方に言われるのは、「日本人はあまりにも歴史を知らな
い」。たとえば、韓国・ソウルの南山公園にある安重根の銅像の前で、日本人が記念撮影をし
ます。伊藤博文を暗殺した青年の像です。韓国では、「独立の英雄」です。ところが、日本人は
全然知らない、だから、その前で平気で記念写真を撮っています。ソウルオリンピックのとき、
ソウルの目抜き通りの一番のメインのところで聖火を持ってリレーしたお年寄りのランナーが
いました。彼の名前は、孫基禎。まだヒトラーの全盛時代、ベルリンでオリンピックが開かれま
した。そのとき朝鮮は日本の領土・植民地、孫さんは日本人としてベルリン五輪に出て、マラソ
ンで金メダルを獲りました。孫さんの自伝を読みますと「優勝したときは嬉しかった。しかし、自
分が優勝して日本の旗があがるとは夢にも思っていなかった。私は日本人ではない。私が勝
ってなんで日の丸が揚がるんだ。」ですから、孫さんは、台の上でじっと下を向いたまま、一度
もあがっていく日の丸を見なかった。そして朝鮮の新聞は、表彰台の上の孫さんの胸の日の
丸を黒く塗りつぶした写真を掲載しました。その後、この天才ランナーは、二度とマラソンを走
ることは許されませんでした。ソウル五輪のとき、日本からの大勢の観光客が見る中、そのラ
ンナーは走りました。しかし、日本からの観光客の多くは、名前を聞いてもわからない。これが
日韓関係。これでうまくいくわけがない。                              
日本がかつて隣の国に何をしたのか、したほうは全然知らない。「罪を憎んで人を憎まず」と馬
鹿なことを言う。この言葉は被害者が言う言葉です。それを加害者である一国の総理が堂々と
国会の答弁でそういうことを言う。「知らないことは知らない」と開き直る。しかし、「無知の罪」と
いうものがあるのです。                                        
中国に対しても同じです。いま、靖国神社の問題が本当に深刻になっています。総理は国会で
こう言いました。「靖国参拝について、どのような追悼がいいかは、他の国が干渉すべきことで
はない。」お稲荷さんに行くとか八幡神社にお参りするのに、どんなやり方をするかは、中国も
何にも言わないでしょう。しかし、靖国神社は、お稲荷さんや八幡神社とは違います、靖国神社
というところは、戦没者を追悼する神社ではありません。これは靖国神社が出版しているもの
を読めばすぐわかります。戦死者を、正しいことをやった立派な人間として賛美するのが靖国
神社の目的なのです。戦没者を哀悼している神社ではないんです。これは大事な問題です。そ
のことを知らずに、「だから行って何が悪い」とこう開き直るのは「無知の罪」を通り越していま
す。「死者は哀悼の意を表する相手ではなく、英雄として賛美すべき人だ」、これが靖国神社の
立場です。さらに、靖国神社は戦没者全般を祀っている神社ではありません。天皇政府の側で
死んだ人だけを祀っています。だいたい日本の宗教は、死んだら敵味方の区別をしません。多
くの場合、戦争が終わると「敵味方碑」という両方の死者を供養する碑が建てられました。敵も
味方も合わせて死者の霊を慰めたのです。多くの場合は、敵方の死者ほど丁重に供養しま
す。たたりを畏れたからです。ところが、靖国神社だけは違うんです。靖国神社っていうのは、
そういう日本の民衆の考え方から自然に生まれてきた神社ではない。明治政府が勝手に作っ
た政治的神社なんです。何のために作ったかと言えば、明治政府のために死んだ死者を賛美
するためです。官軍方の死者しか祀られなかったんです。もちろん近藤勇も土方歳三も新撰組
は誰も祭られていません。一番はっきりしているのは会津。松平容保という人が京都所司代に
なって、あそこで薩長のテロから天皇を守るために働いていましたが、いつの間にか「天皇の
敵」ということにされてしまった。会津藩は「御国に逆らった」という意識はなかったと思うんで
す。わけのわからないうちに賊軍にされてしまった。会津に攻め込んできた薩長藩は、市街戦
をやって、死者が出ると、薩摩や長州側の死体はただちに収容して丁重に弔って、お墓に埋
葬したのに、会津藩の侍の死者は、収容することも禁止、「天皇に逆らって死ぬようなのは犬
畜生だ、葬る必要がない」と、会津藩の死者は野ざらしでした。白虎隊の死者もです。後に、埋
葬の許可は出ましたが、靖国神社には祀られておりません。伊達藩も祀られていません。つま
り靖国神社は、天皇のために死んだ人だけを賛美する神社なんです。天皇に逆らって死んだ
ら犬畜生。これは神どころか、どうしても認められない。ですから、一番極端な例は、戦争中、
「この戦争は侵略戦争だ。間違った戦争だから反対する。」といって戦争に反対して治安維持
法で逮捕され、拷問にかけられ、刑務所で死んだ人たちです。一六〇〇人も死にました。この
人たちは靖国神社には祀られていません。祀られないどころか、この人たちはいまだに前科
持ちと言われている。一番有名なのは宮本顕治という人です。戦争中十二年間、戦争に反対
したために、網走の刑務所に入れられた。戦争が終わって釈放されて、しばらくたって、国会
議員に選挙で選ばれる。国会にいったら最初の日に他の党の代表が立って、質問があった。
「宮本君は前科一犯である。前科一犯の男は国会議員になる資格はない」。良心に懸けて戦
争に反対したことに敬意を表するというんなら話はわかる。自分が反対しなかった、勇気がな
いことを恥ずかしい、というんならわかりますけど、堂々とそういう質問がまかり通っているんで
す。靖国神社は、御国のために死んだ人たちにだけ、敬意を表しています。「御国のために死
んだんだから、みんなで敬意を表するのは当たり前じゃないか」とこう言うのですが、「御国」と
いうものはありません。あるのは政府です。「御国」は戦争はしません。戦争するのは政府で
す。その政府が間違ったとき、政府に反対するのは当然のこと。反対したほうが正しいわけで
す。現に、ドイツでは、ヒトラーに対して抵抗して、戦争中刑務所にいった人たちに対して、ドイ
ツは今、政府が「あなたたちの方が正しかった。ヒトラーの方が間違っていたんだ。あなたたち
がいたからこそ、戦後のドイツがあるんだ。」ときちんと法律に定めて賠償金を払っています。
日本では、御国のために役に立った人だけ神様にして、一番協力した人ほど偉いことになって
いる。ですから、「軍人恩給」に階級が持ち込まれています。                 
ここには、御国は間違わないという前提があります。だけど実際には間違った。間違ったとき
には反対した人の方が正しいわけです。ドイツはちゃんとそれを認めました。ヒトラーが間違っ
ていた、反対して刑務所に入れられた人の方が正しい、だから、反対して刑務所にいた人たち
に丁重に気持ちを表す。しかし、日本は、「御国は間違わない」というのが大前提。ですから、
どんなに間違ったことをやっても、その間違いに役に立てば立つほど、「良いことをした」という
ことになるんです。                                         
すべての基本は、六〇年前のあの戦争が正しかったのか、間違ったのか、これが今現実に
我々に問われています。「六〇年前のあの戦争は間違いだったと認めてほしい。それを認め
たら、二度と戦争をしないと約束してほしい。その二つを言ってくれれば、今後日本といつまで
も仲良くします」、これが中国やアジアの国の言い分です。私は、これは正しい言い分だと思い
ます。六〇年前の戦争が間違いであったと認めれば、靖国神社に行くのはおかしいことなんで
す。あの戦争が間違いだったのか、間違いでなかったのか、私たちは残念ながら、一度もきち
んと総括したことがありません。ドイツはやりました。痛みをこらえて「ヒトラーは人類に対する
犯罪だ」ということを国会で決議し、国民にそのことを徹底的に教育をしました。侵略し虐殺し
た国々と地続きであるドイツは、そのことを認めないかぎり、周りの国と仲良くできません。日
本は島国です。日本が一番いじめた朝鮮と中国の人と毎日会わずにすみます。会わないで済
んだものだから、謝るのを忘れてしまった。しかも、戦後はずっと、アメリカとだけ付き合ってき
た。アメリカとだけ付き合えば飯が食えた、アメリカから石油を輸入し、製品を作ってアメリカに
輸出して…、アメリカと商売をやれば今までずっと食えてきた。だから、中国や韓国と付き合わ
なくても生きてこれた。それが日本の不運ですね。そのお陰で私たちは歴史を忘れてしまっ
た。日本が何をやったか、考える習慣を失ってしまった。ドイツ人は、毎日ベルギーやフランス
人やオランダ人と会っているものですから、謝るほかない。ドイツ人は忘れるわけにいかない
んです。日本は、忘れた。政府が忘れさせたんです。思い出させなかった。        
日本の政府はドイツと違います。ドイツの場合には、戦争中のヒトラー政権は、最後まで戦って
全員死に、生き残った者はニュールンベルグ裁判というものにかけられて、絞首刑。ドイツの
場合には、戦争中の指導者は、言ってみれば外国軍の軍隊によって、ほぼ完全に打倒され
た。戦後の政治をやっている人たちは、原則として「反ヒトラー」の人たちがやっている。だか
ら、ヒトラーは間違いだったと認めた。ところが、日本はそうじゃありませんでした。戦場となり、
組織も施設も壊滅状態となったドイツは無政府状態。その何もないところで、占領軍は、刑務
所にいた人たちを釈放して、戦後の政治をゼロからやらせた。ところが、日本は、戦争中の組
織がちゃんと残っていましたから、アメリカ軍は結局その上に乗っかって、監督しただけ。実態
は本当に何も変わりがなかったんです。最高責任者だけ、戦争責任者として「公職追放」という
措置をとった。あるいは、戦争責任者として逮捕して、軍人だけは処刑した。あとは懲役十年
だとか無期禁固とか言われて、小菅の拘置所に入った。ところが、戦後わずか五年で、アメリ
カは方針を変えました。それまでは、日本を非軍事化して民主化するという方向で日本を占領
していましたが、米ソの対立が激しくなり、日本を米ソ対決の最前線基地として利用しなければ
ならない、日本列島を反共の防波堤にするという有名な演説が、アメリカの議会で行われまし
た。戦後、占領軍は、軍隊を解散させ、軍隊が復活する土台となる重工業を禁止し、重工業復
活の土台となる大資本・財閥を解体させ、二度と合併できないように、「独占禁止法」という厳し
い法律も作りました。さらに「労働組合」の結成を奨励し、「戦争をやりたがる政治家が出てき
たら、ゼネラルストライキで阻止しなさい」という指導も行いました。ところが、米ソの対立があ
きらかになって、日本を将来、米ソ戦争の最前線基地にすることに、アメリカの方針が変わりま
した。サンフランシスコ条約を結んで独立させ、サンフランシスコ条約と抱き合わせで安保条約
を結んで「日本に居てくれ」と頼まれたから居てやる。こういうふうにしたんです。サンフランシス
コ条約で独立した日本が、改めて選挙やって国会を作って、「独立はしたけれどもアメリカ軍に
いてもらう」という政党が勝ったから、国会で、来てもらうことにしたというのなら、筋は通ってい
ます。                                                  
実際には、サンフランシスコ条約を結んでから、安保条約を結ぶまで一五分しかありませんで
した。選挙など行う時間はありません。安保条約の内容は秘密条約で、国民には事前には一
切知らされていませんでした。日本は独立させるけど、実は永久占領。今もいるわけです。警
察予備隊から自衛隊をつくりました。武器が全部アメリカと共通。自衛隊の飛行機はアメリカの
飛行機です。航空母艦護衛艦であるイージス艦は、コンピューターの塊のような軍艦で、もの
すごく高価、世界中でアメリカと日本しか持っていません。しかも日本には航空母艦がありませ
ん。自衛隊というのはアメリカの軍隊の一部分なんです。アメリカが自分のお金でやりきれない
分を、日本の税金でやらせる。ですから、いざというとき日本を守るのではなくて、アメリカと一
緒に戦争をする。そうじゃないってことを宣伝するために、地震だの台風だののとき一生懸命
出てきてくださる、あれはありがたいのですけれども、いざ戦争になったときに本当に日本を守
ってくれるのかどうかということには、私は疑問を持っています。やっぱり在日米軍基地を守る
ことが一番優先されるのではないか。その上今では、在日米軍と一緒にどこにでも出て行こう
という方向になっています。ですから、アメリカが自分の都合で、将来、米ソ戦争のために、日
本を再軍備させた。これは歴然とした事実です。再軍備させるからには重工業の復活を認め、
財閥の復活も認めました。そして、戦争に反対してゼネストなんかやられたんでは困りますか
ら、労働運動の大弾圧が始まります。一九四九年夏、有名な事件が起こりました。このご当
地、福島県では「松川事件」という大事件が起こり、労働組合が徹底的に弾圧される、というこ
とになります。最後に、刑務所に閉じ込めておいた、戦争中の指導者をアメリカが全部釈放し
て、アメリカの後押しで国会に復活させました。戦争中の大臣が戦後も大臣になっているの
は、日本だけ。ドイツではそういうことは一切ありません。戦争に反対した人が戦後の政治をや
っています。日本だけが、戦争中の政治家がアメリカによって全員釈放されて、アメリカの手先
になって復活した。岸信介さんも、福田赳夫さんも、大平正芳さんも、ドイツでは当然絞首刑で
すが、堂々と生き延びて、戦後日本の総理大臣になりました。小泉総理のおじいさんも、戦争
中の大臣。戦争をやった人たちの子どもや孫が、今、政治をやっている。だから、自分のおじ
いさんやお父さんのやっていたことを、間違っていたとは思いたくないんです。ですから、中国
や韓国との関係がうまくいかない。これは当然の話です。                
今、私たちに大事なことは、「知らせること」。問題はそういう人たちを当選させる私たちにあ
る。無知であることが日本を滅ぼすことになります。戦争に賛成した人には投票しない。そし
て、アジアと仲良くしよう、と言う人に投票しよう、憲法を守るという人に投票しよう、それが日本
を救うただ一つの方法なんです。三、四回、総選挙があれば変わるのです。今まではアメリカ
とだけ仲良くすれば生きてこれました。しかし、今はもうそうではありません。中国がものすごい
発展をしています。ついに去年(二〇〇四年)逆転しました。日本の輸出輸入の総額は、今、
中国の方がアメリカより多いのです。数年後、日本にとって一番大事な経済の相手は、アメリ
カではなく、中国になります。これから二十一世紀、中国・アジアと仲良くしなければ生きていけ
ない時代にきています。仲良くするためには、歴史を知らなければなりませ。それは当然のこ
とです。歴史を知らずに仲良くはできない。ですから、今から私たちはきちんと勉強をしましょ
う。六〇年前の戦争は間違っていた、ということを認めて、だから二度と戦争はしない、だから
仲良くしようじゃないか、その二つだけでOKなんです。この二つをきちんと守ってくれる人に一
票入れましょう。二度と戦争をしない約束が、「憲法九条」です。憲法九条を守ることが、二十
一世紀の日本を守ること。憲法九条をここで変えてしまったら、二十一世紀、日本は中国・アジ
アと対立することになります。アジアと対立したら、日本の経済は成り立ちません。憲法九条は
人類の理想であって、実に美しいものです。しかし、憲法九条は美しいだけでなくて、憲法九条
は儲かるんです。憲法九条があるから日本の経済が繁栄する、アジアと仲良くできるのです。
二十一世紀はアジアの時代。一番経済が伸びる時代です。その時期に、今年、アジアの国々
はすべて「解放六〇年」を祝っています。「終戦」などと言う国はどこにもありません。日本軍国
主義の侵略から解放された六〇年なのです。むこうが解放六〇年といっているときに、こっち
がですよ、憲法9条を変えてまた戦争します、なんてことを言ったら、アジアの国々から総スカ
ンを食うのは目に見えています。彼らが要求しているのは、決して無法な要求ではありませ
ん。60年前の戦争は悪かったと認めてくれないか、そして、二度と戦争をしないと約束してくれ
ないか、それさえ約束してくれれば、いつまでもこれからも仲良くしよう、そう言っているんです
から、我々の方が、自分がやったのではなく父や祖父の世代の間違いだとしても、二度と同じ
間違いをしないというのは私たちの責任なのですから、歴史を正しく認識して、アジアと仲直り
する、憲法9条を子どもたちに残してやって、二十一世紀の子どもたちが路頭に迷うような、そ
んなことにならないようにする、それが、私たちの責任なのです。これから何回かの選挙で、一
人でも多く、そういうアジアと仲良くし、憲法九条を守る、という人を選挙で選ぶ。それが私たち
の責任ではないかと、そういうふうに思います。ちょっと時間がはみ出してしまいましたが、皆さ
んとご一緒に、憲法を守るためにがんばりたいと思います。(終)                  

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7「憲法について考えよう〜子どもたちの未来に平和を〜」
         (2006.1.14. 鋸南町9条の会講演)

日時:2006年1月14日(土)午後1時30分
場所:千葉県鋸南町中央公民館多目的ホール


 みなさん、こんにちは。 安房郡の水清き鋸南町に伺って、こうしてお話できることをありがた
いと思っています。初めておうかがいしました。木更津まで来たことはあるのですが、今日、電
車で君津を過ぎたらとたんに山が美しくなり、あそこまでは東京郊外のなんとまあみっともない
風景でしたけれど、あそこから南に来ると一気にほんとうに昔のよき日本の風景がよみがえっ
てくるようでした。ほんとうに嬉しく思いました。

 いま、「さとうきび畑」の朗読と、合唱団のコーラスをお聞きしたのですが、どちらも聞いていて
涙が出ました。
 私は、戦争に負けた時小学校6年生でした。仙台で敗戦を迎えましたが、仙台も空襲で全滅
いたしました。街の真ん中にいましたから、もちろんわが家も丸焼けでした。忘れられない思い
出があります。街の真ん中の小学校でしたから、同級生が一晩で8人焼け死にました。隣の家
の、6年間毎日いっしょに学校へ適っていた一番仲の良かった友達も、直撃弾で死にました。
今でも時々思い出します。
 今このような歌を聞くと、どうしてもその人のことを思い出します。思い出す私の方はもう70に
なりますが、記憶に出てくるその三浦君という友達は、小学校6年生のまま出てきます。どうし
て小学校6年で人生を終わらなければいけなかったのか、生きていてくれたらいろんな事があ
ったのに、と思います。戦争なんて二度としてはいけない、というのが一貫した私の願いです。
 私は牧師の家に生まれました。父はキリスト教の牧師で、教会で生まれ教会で育って、讃美
歌が子守歌でした。牧師の中には戦争に反対した立派な牧師さんもおられたのですが、私の
父のような多くの普通の牧師は、政治や社会に無関心で魂の救いということしか考えていませ
んでした。で、私もその親父に育てられましたから、大学を出、大学院に入って博士課程まで
いって、ずっとキルケゴールや実存哲学という、魂だけ見つめているような学問をやっていて、
政治とか経済、社会とかは25歳までいっさい関心がありませんでした。

 25歳の時チャンスがあって、ドイツ政府の招待留学生となってドイツヘ勉強に行くことになりま
した。1960年のことでした。1960年にドイツへ行ったというだけで、どんなにノンポリだったか分
かります。安保改訂問題で日本中が大騒ぎの時、それを尻目に悠々とドイツ留学に行ったの
です。幸か不幸かまだ世界は貧しくて、飛行機などというものは贅沢な乗り物で、まだジェット
旅客機機はありませんでした。プロペラ機でヨーロッパヘ行くには途中で何遍も何遍も着地し、
給油して、今のようにノンストップでシベリヤを越えて、などというのは夢のような話でした。しか
もベラ棒に高いのです。船の方があの頃はずっと安かったのです。特に貨物船に乗せてもらう
と飛行機よりずっと安いのです。そこで一番安いのを探して、5人だけ客を乗せるという貨物船
をみつけました。
 その船で神戸を出航し、インド洋からスエズ運河をぬけ、地中海を渡ってイタリアのジェノバ
に上陸。そこから煙を吐く蒸気機関車でアルプスを越えて、ドイツのマールブルクという町に着
きました。
 実は、飛行機をやめて船で行ったということが、私の人生を大きく変えることになりました。あ
の時もし飛行機で行ったなら、私は一生、世間知らずの大学に閉じこもって勉強だけしている
人間で終わった、と思います。
 ところが船で行ったおかげで、しかも貨物船に乗ったおかげで、私は途中のアジア・インド・ア
ラブの国々をくわしく見ることができました。まっすぐ行けば船でも二週間で行くそうですが、何
しろ貨物船ですから、途中港、港に寄って荷物を下ろし、また積んで、一つの港に4日から5日
泊まっているのです。おかげでその間、昼間は上陸してそのあたりを見て歩き、夜は船に帰っ
て寝ればいいのですから、東南アジアからアラブ諸国をくまなく見て歩きました。
 1ヵ月かかりました。神戸からジェノバまでのこの船旅。その時見たものが、私の人生を変え
たのです。何を見たかはお解りですね。アジアの飢えと貧困という厳しい現実にぶつかったの
です。
 降りる港、港で、ほんとうに骨と皮とに痩せせこけた、裸足でボロボロの服を着た子供達が、
行く港も行く港、集まって来るのです。船の事務長さんに、「可哀想だが、何もやっては駄目だ
よ。1人にやると収拾がつかなくなるよ」と言われていました。だから心を鬼にして払いのけて通
り過ぎるのですが、その払いのけて通り抜ける時に触った子供の肩、肉などなんにもない、た
だ骨と皮だけのあの肩、あの感触が、今でも時々蘇ってきます。
 船に帰って、眠れないのです。明日も、あの子供たちに会う。どうするか。私が考えたことは、
「神様を信じなさい。そうすれば救われます」と言えるか、ということでした。
どんなに考えたって、言えるわけがありません。飢えて捨てられた孤児たちに、こちらは着るも
のを看て、食うものを食っておいて、「神様を信じなさい、そうすれば救われます」などとは、口
が裂けても言えないと思いました。牧師館で生まれて、キリスト教しか知らずに育って、キリスト
教の学問をして来て、それではお前キリスト教って何なのか、25年お前が信じてきたキリスト教
とは、飢えた子供たちに言えないようなキリスト教なのか。とれが私の考えたことでした。
 もし言えるとしたら、ただ一つしかない。そこで船を降りて、服を脱いで、子供たちに分けてや
って、食っているものを分けてやって、そこで一緒に暮らす、それなら言える。言えるとしたら、
それしかありません。言えるじゃないか、と自分に言い聞かせました。
 それなら、船を降りるか──。くやしいけど、降りる勇気がありませんでした。折角これからド
イツヘ勉強に行くという時、ここで降りて、一生インドで暮らすのか、一生アジアで暮らすのか、
どうしてもその気にならないのです。
 ですから理屈をこねました。
 「降りたって無駄だ。お前が降りて背広一着脱いだって、何百人人もいる乞食の子に、ほん
の布切れ一切れしかゆきわたらないではないか。自分の食うものを分けてやったって、何百人
もの子供が1秒だって、ひもじさを満たされる訳がないじゃないか。お前が降りたって無駄だ。
それは降りたという自己満足だけで、客観的にはあの子らはなんにも救われない。」
 「だから降りない、勇気がないのではなく、無駄だから降りない。」と自分に言い聞かせるので
す。でも、降りなければ「神様を信じなさい」とは言えません。言えるためには降りなければなら
ない、しかし降りても無駄なのだ。
 堂々巡りです。寄る港、寄る港でこの間題に直面しました。毎晩毎晩同じ問題を考え続けて、
結局、答えが見つからないまま、閑々として港を後にしました。、出港の時、あの子たちを見捨
て自分だけドイツへ行くことに、強い痛みを感じました。これは永く私の心の傷になって残りまし
た。
 このようにして初めて、世の中には飢えた仲間がいるという、当然分かっていなくてはいけな
い事実に、何ということでしょう、25にもなってやっと気づいたのです。飢えた子供たちがいる、
それを知らんぷりしてドイツに行くのか、お前が降りてあの子たちと一緒に暮らすことはあまり
意味ないかも知れない、しかしやっぱり船を降りないのだとしたら、せめて世の中に飢えた子
供なんか生まれないような社会を作るために、自分で何かしなければいけないのではないか。
ただ魂の中だけに閉じこもっていていいのか。
 これが、私がヨーロッパヘ行く1ヵ月の旅で考えたことでした。

 ドイツヘ行って、宗教の勉強をしました。ブルトマンというドイツの大変偉い先生の所に1年い
て、いろいろ教わりましたが、結局、私の結論としては、実存哲学だけではだめだということで
した。自分が自分に誠実に生きる──これが実存的、ということですが、それだけでは駄目
だ。自分が生きるだけでなく、みんなが人間らしく生ることができるような世の中になるために、
自分にできる何か小さなことでもしなければいけない。
 こう思うようになって、日本に帰ってきたのです。
 それじゃあ、世の中で、そのように飢えて死ぬような子がいなくなるような社会とは、どうすれ
ば出来るのか。これはやっぱり、飢え、貧困、戦争、差別、そういうものが生まれる原因が分
からなければ、除きようがありません。原因を勉強しなければいけない。そのためには社会科
学を勉強しなければいけない。特に経済学を勉強しなければいけない──。
 ドイツヘの留学は、大学院の途中で行きましたので、帰国して大学院に復学しました。幸い
東北大学は総合大学ですから、中庭をへだてて向こう側が経済学部でした。帰ってきた次の
日から、私は、経済学部の講義を経済原論から、授業料を払わずにもぐりで、後ろの方にそっ
と隠れてずっと聞きました。
 それからもう45年になりますが、ずっと宗教哲学と経済学と2股かけて勉強してきています。
今日も、多少経済の話を申し上げるわけですが、やっぱり自分がクリスチャンとして、今もクリ
スチャンであり続けていますが、同時に、自分の救いということだけ考えていたのでは申し訳な
いと思うのです。現実に飢えて死ぬ子がいるのです。ユネスコの統計によると、毎日2万人の
子が栄養不足で死んでいるそういう世の中、このままにしておくわけにはいかない、自分ででき
ることは本当に小さいけど、その小さなことをやらなかったら、生きていることにならない──。
そう思って45年過ごしてきたわけです。

 キリスト教の中でずっと生きていますので、一般の日本の人よりは外国に出る機会が多いと
思います。特に世界キリスト教協議会という全世界のキリスト教の集まりがあります。その中央
委員をしていましたので、毎年1回中央委員会に出かけて、1週間か2週間会議に参加しまし
た。世界中のキリスト教の代表者と一つのホテルに缶詰になり、朝から晩までいろいろと情報
交換したり論議したりします。そのようなことを7年間やりましたので、世界のことを知るチャン
スが多かったと思います。それを辞めてからも、自分の仕事や勉強の都合で、今でも毎年二
週間ぐらいはドイツで暮らしています。そうしていると、日本ってほんとうに不思議な国だという
ことが分かってきました。
 日本にいるとなかなか分からないのです。島国ですし、おまけに日本語という特別な言葉を
使っています。他の国との共通性がない言葉です。ヨーロッパの言葉はみんな親戚のようなも
のですから、ちょっと勉強するとすぐ分かります。一つの言葉の、ドイツ弁とフランス弁、ベルギ
ー弁、オランダ弁というようなものです。日本で言えば津軽弁と薩摩弁の違い程度のもので
す。津軽と薩摩では、お互いに全然通じないとは思いますが、それでも同じ日本語なのです。ヨ
ーロッパの言葉とはそういうものです。ですからお互いに何と無く外国語が理解できるというの
は、別に不思議なことではないのですね。ですから、自分の国のことしか知らないという人は、
非常に少ないのです。
 新聞も、駅に行けばどんな町でも、ヨーロッパ中の新聞が置いてあります。ドイツのどんな田
舎町へ行っても、駅にいけばフランスの新聞もイタリアの新聞も売っていますし、それを読める
人がたくさんいるのです。そういう社会ですから、日本人とはずいぶん違います。自分の国を客
観的に見られる。他の国と比べて見ることができるのです。
 日本にいると比べられません。そのうえ、日本はマスコミが異常です。ワンパターンのニュー
スしか流しません。ヨーロッパではいろんなテレビがあって、テレビごとに自由な報道をやって
います。バラエティー番組のようなものがなくて、ニューハ番組が充実しています。きちんとした
議論をテレビでやっています。ですから日本にいるよりは、比較的自分の国の様子を客観的に
見られることになります。ドイツに行く度に、日本とは不思議な国だなあと思うのです。
 例えば、もうだいぶ前、バブルの頃です。日本のある有名なモード会社がミラノに支店を出し
ました。そしてマーケティング調査をしました。どんな柄が流行っているか、アンケートを集めそ
れを整理するために、イタリア人女性3人雇ったそうです。アンケートの整理をしていたら5時に
なりました。あと少ししか残っていなかったので、日本ならの常識ですから、「あと少しだからや
ってしまおう」と日本人支店長は声をかけました。ところがイタリア人女性3人は、すっと立って
「5時ですから帰ります」と言って出て行こうとしました。思わず日本人支店長は怒鳴ったのだそ
うです。「たったこれだけだからやってしまえ」と。途端にこの日本人支店長は訴えられました。
そして「労働者の意志に反する労働を強制した」ということで、即決裁判で数万円の罰金をとら
れました。
 これがヨーロッパの常識です。つまり9時から5時までしか契約していないからです。5時以後
は命令する権利はないのです。9時から5時までの時間を労働者は売ったんであって、5時以降
は売っていないのですから、自分のものなんです。会社が使う権利はありません。当たり前の
話です。
 その当たり前の話が日本では当たり前ではないのです。残業、課長に言われたので黙って
やる。しかもこの頃は「タダ残業」ですからネ。本当にひどい話です。常識がまるで違うのです。
あるいは有給休暇。ドイツのサラリーマンは年間3週間とらねば「ならない」のです。3週間休ま
なければ罰せられます。日本は有給休暇など殆どとれません。ドイツでは取らないと罰せられ
ます。ですからどんな労働者でも3週間、夏はちゃんと休んで、家族ぐるみイタリアへ行ってゆっ
くり過ごしてきます。有給になっているからです。或いは日本では1週間40時間労働です。ドイツ
はもう随分前から36時間です。土日出勤などありえない話で、日本のように表向き40時間労働
でも、毎日毎日残業で、その上休日出勤、日曜日には接待ゴルフなど馬鹿なことをやっていま
す。接待ゴルフなど、ドイツには絶対ありません。日曜日は各自が自由に使う時間で、会社が
使う権利はないのです。
 そういうところもまるで常識が違います。或いは、50人以上だったと思うのですが、50人以上
従業員がいる会社、工場は必ず、労働組合代表が経営会議に参加しなければいけないことに
なっています。そんなことも、日本では考えられないことです。ですから配置転換とかもとても難
しいし、労働者の代表が入っているから、簡単に首は切れません。
 そういういろんな面で、日本の外に出てみるとびっくりするようなことが山ほどあります。日本
という国は、高度に発達した資本主義国の中で例外的な国なのです。資本主義が発達した点
では、アメリカにもフランスにもドイツにも負けないのですが、資本主義が発達したにしては、労
働者が守られていない。或いは市民の権利が守られていない。会社の権利ばかりドンドンドン
ドン大きくなっているのです。それが日本にいると当たり前のように思われています。外国で暮
らしていると、日本は不思議な国だと分かります。特にこの数年それがひどくなってきているの
ではないでしょうか。

 私たちの暮らしは、戦後50何年かけて、少しずつよくなってきました。例えば年金なんかも少
しずつ整備されてきた。健康保険制度も整備されてきた。介護保険も生まれてきた。或いは、
労働者も土曜日チャンと休めるようになってきた。ところがこの数年、それが逆に悪くなつてき
ています。年金は削られる一方、介護保険料は値上がりする、労働者は首切り自由でいくらで
も解雇できる。労働者を減らすと政府から奨励金が出る。タダ残業はもう当たり前・・・。
 特にこの数年、構造改革という名前で、日本の仕組みが変わってきています。いま申し上げ
たように、戦後50年かけてみんなで、少しずつ少しずつ作ってきた、いわば生活の安心と安全
を守る仕組み、そういうものが今はっきり壊されかかっているのではないでしょうか。
 小泉首相という人は「自民党をぶっ壊す」といって当選したのですが、この4年間を見ている
と、あの人は自民党を壊したのではなく「日本を壊した」のではないかと思われます。これまで
日本が戦後50年かけて作ってきた社会の仕組みが、バラバラにされているのです。フリーター
とかニートがもう30%でしょう。そうなると当然、この人たちは生きる希望がありません。お先真
っ暗。いまさえよければ、ということになる。ですから若者が当然刹那的になる。人生の計画な
んて立たない。今さえよければということになっていきます。
 昔なら10年に1回あるかないかのような犯罪が、いま毎日のように起きています。私は仙台に
いますが、この正月には赤ん坊の誘拐事件で一躍有名になってしまいました。あんなことが日
常茶飯事として起こっています。栃木県で女の子が山の中で殺された事件は、まだ解決されて
いませんが、こんな事件が今は「当たり前」なのです。世の中がすさんできて、何が善で何が悪
なのか、みんなに共通な物差しというものがなくなったというふうに思われます。
 そのような世の中の変化、私は多分、「構造改革」というものがその犯人なのだ、と思ってい
ます。

《逆戻りの原因はアメリカの変化》

 その構造改革というのは、どこから来たのか。もちろんアメリカから来たのです。アメリカが変
化した、日本はそのアメリカに右ならえをした、それが構造改革です。
 それでは何が変わったのか、これが一番の問題です。この変化の行き着くところが、憲法改
悪です。
 社会の仕組み全体がいま変わろうとしているのです。憲法も含めて。いったい何がどう変わ
るのか。いったいどういう構造をどういう構造に変えるということが構造改革なのか。そこのとこ
ろがアメリカを見ればよく分かってきます。アメリカがお手本なのですから。
 アメリカはソ連崩壊後変わりました。ソ連とか東ドイツは自由のないいやな国でした。昔1960
年に西ドイツヘ留学した折、東ドイツへ何回か行く機会がありました。ふつうはなかなか行けな
いのですが、幸いキリスト教国なので、ドイツのキリスト教はしっかりしていまして、東ドイツと西
ドイツに分裂しても、教会は分裂しなかったのです。東西教会一つのまんまです。ですから、教
会の年1回の大会には、西で開く時は東の代表がちゃんと来たし、東で開く時は西の代表が行
けたのです。ですから一般の人の東西の往来が難しかった時でも、キリスト教の人だけはかな
り自由に行き来ができました。
 私も連れていってもらって、何回か東ドイツへ行って見ました。ご存じのように自由のないい
やな国でした。ですからソ連や東ドイツが崩壊したのは当然だし、いいことだと思います。しか
しソ連や東ドイツが100%悪かったかというとそんなことはありません。良い部分もありました。
何から何まで全部ひっくるめて悪だったというのも間違いです。基本的に自由がない。ですか
ら、ああいう国は長くは続かない。これは当然そうだと思います。滅びたのは当然だと私は思
います。
 しかし同時に、良い面はなくしては困るのです。良い面は受け継がなければいけません。最
も目につくのは女性の地位でした。これは立派なものでした。いまの日本なんかより遥かに進
んでいました。男女の平等が徹底的に保障されていました。専業主婦などほとんど見たことが
ありません。だれでも自由に外に出て、能力に応じて働いていました。それができるような保障
が社会にあるのです。文字通りポストの数ほど保育所があって、子供を預け安心して働きに出
られるようになっていました。同一労働同一貸金の原則はきちんと守られていて、女性だから
賃金が低い、女性だからお茶汲みだけなどというようなことは一切ありませんでした。これは凄
いなと思いました。あれは、日本はまだまだ見習わなければいけないことです。
 もう一つ私がびっくりしたのは、社会保障です。私が初めて東の世界を見たのは、何しろ
1960年の頃のことです。日本はまだ社会保障がない時代でした。いま若い方は、社会保障は
あるのが当たり前と思っておられる方も多いと思いますが、そんなことはないのです。日本は
1972年が「福祉元年」といわれた年です。それまでは、福祉はなかったのです。大企業とか公
務員だけは恩給がありましたが、商店の経営者とか家庭の主婦なんか何もありませんでした。
健康保険も年金も何もありませんでした。72年からようやく国民皆年金、国民皆保険という仕
組みが育ってきたのです。

 もともと資本主義という仕組みには、社会保障という考えは無いのです。自由競争が原則で
すから、自己責任が原則です。老後が心配なら、自分で貯めておきなさい。能力がなくて貯め
られなかったら自業自得でしょうがない。こういうのが資本主義の考え方です。労働者が、そん
なことはない、我々だって人間だ、人間らしく生きていく権利がある。だから我々の老後をちゃ
んと保障しろと闘って、社会保障というものが生まれてくるのです。自然に生まれたのではあり
ません。
 労働者が団結して闘って、止むを得ず譲歩して社会保障が生まれてくるのです。資本主義の
世界で最初の社会保障を行ったのはビスマルクという人です。ドイツの傑物の大首相といわれ
た人です。ドイツの土台を作った人ですが、この首相の頃、何しろマルクス、エンゲルスの生ま
れた故郷ですから、強大な共産党があり、国会で100議席くらいもっていました。そこで、ビスマ
ルクが大弾圧をやるのです。社会主義取り締まり法という法律を作って共産党の大弾圧をし、
片方では飴として労働者保険法という法律で、労働者に年金を作ります。世界で初めてです。
辞めた後年金がもらえる仕組み、病気になったら安く治してもらえる仕組みを作った。こうやっ
て鞭と飴で労働運動を抑えこんでいったのです。
 社会保障というのは、そうやって労働者の力に押されてやむを得ず、譲歩として生まれてくる
のです。放っておいて自然に生まれてくるものではありません。
 そこへ拍車をかけたのが、ソ連や東ドイツです。ソ連や東ドイツヘいってみて、1960年の時点
なのですから、日本にまだ社会保障などなかった時、そう豊かではなかったのですけれども、
老後みながきちんと年金をだれでも貰える、そして、病気になればだれでも、医者に行って診
察を受けて治療を受けられる。これにはほんとうに驚きました。これが社会主義というものか
と、その時は思いました。ただ自由がないのです。例えば、牧師さんの家に泊めてもらうと、こ
ちらがキリスト教徒ということが分かっていますから、牧師さんも信用して内緒話をしてくれるわ
けです。外国から来る手紙はみな開封されていると言っていました。政府が検閲して開封され
てくる。だから、「日本へ帰って手紙をくれる時は、気をつけて書いてください。政府の悪口など
書かれると私の立場が悪くなるから。手紙書くときは開封されることを頭に入れて書いてく
れ。」というふうに言われました。こんな国には住みたくないなと思いましたけれど、同時に社会
保障という点では驚きました。こういうことが可能な社会の仕組みというのがあるんだなあ、と
こう思ったのです。
 その後、スターリン主義というものによって目茶苦茶にされていくのですが、私の行った頃は
まだ、東側の社会保障がある程度きちっと生きていた時代です。こうして、ソ連や東ドイツが社
会保障というものを始めると、資本主義の国もやらざるをえなくなってきます。そうでないと労働
者が、あっちの方がいいと逃げ出してしまいます。ですから西ドイツが一番困りました。地続き
ですから、何しろ。ですから、東に負けないだけの社会保障をしなければならなかったのです。
そうすると、自由があって社会保障があるのですから、こっちの方がいいということになります。
いくら向こうは社会保障があっても自由がないのです。こうして西ドイツは大変な犠牲を払っ
て、社会保障先進国になってきました。そのことによって、東ドイツに勝ったのです。
 実際西ドイツの労働者は、別に強制されたわけではありません。自主的に西ドイツを選んだ
のです。ですからあのような東西ドイツの統一も生まれてきたのです。
 つまり資本主義の国は、ひとつは自分の国の労働者の闘いに押されて。そこへもってきて、
ソ連、東ドイツの社会保障という仕組みの外圧で、それに負けるわけにいかないものですか
ら、そういう力があって、社会保障というものを造り出していくのです。しかし社会保障というも
のは莫大な財源がかかります。

《社会保障をやめて小さな政府へ──構造改革の中身(1)》

 いま日本政府は社会保障をどんどん削っていますけど、それでも国家予算の中で一番多い
費目は社会保障です。大変な財源が必要なのです。そこで資本主義の国は、新しい財源を見
つける必要ができてきます。
 そこで見つけたのが2つ。1つは累進課税です。それまでの資本主義にはなかった、累進課
税という新しい仕組みです。つまり収入の多い人ほど税率が高くなるという仕組みです。日本で
も1番高い時は1980年代、1番大金持ちはの税率75%でした。ですから、年収10億あれば7億
絵5千万円税金にとられたのです。今から考えれば良く取ったものです。今は35%です。大金
持ちは今ほんとうに楽なのです。35%ですむのですから。年収10億の人は3億5千万払えばい
いのです。昔なら7億5千万取られたのです、税金で。「あんまり取りすぎではないか、これは俺
の甲斐性で俺が稼いだ金。それを取り上げて怠け者のために配るのか。」と彼らはいいまし
た。
 そうすると政府は、「いやそういわないでくれ。そうしないと、資本主義という仕組みがもたな
い。だから体制維持費だと思って出してくれ。そうでないと社会主義に負けてしまう」と言って、
大金持ちからたくさん取ったのです。大企業も儲かっている会社からたくさん税金取った。法人
税もずっと高かったのです、以前は。こうやって大金持ち、大企業からたくさん取る累進課税で
一つ財源を作ったのです。
 もうひとつは、企業負担です。サラリーマンの方はすぐお分かりですが、給料から社会保障で
差し引かれますね。そうすると、差し引かれた分と同額だけ会社が上乗せするわけです。自分
が積み立てたものが戻ってくるだけなら、貯金したのと同じです。労働者の負担する社会保障
費と同額だけ会社も負担しているのです。倍になって戻ってくるから、社会保障が成り立つわ
けです。
 これも資本主義の原則からいえば、おかしいことです。いまいる労働者の面倒を見るのは当
たり前です。会社は労働者がいるから成り立っているのですから。だけど、辞めてからは関係
ないはずです。契約関係がないのですから。辞めた人が飢え死にしようがのたれ死にしょう
が、会社の責任ではないはずです。
 だけども一歩ふみこんで、それでは資本主義の仕組みがもたないから、労働者が辞めた後
まで面倒みてくれ、そこまで企業負担してくれ、そうしないと資本主義がもたないから、というこ
とになります。
 こうやって、社会保障というものが資本主義の国で成り立っているのです。これは、ただの資
本主義ではありません。資本主義の原則に反するような累進課税とか、企業負担というものを
持ち込んで、社会主義のよいところを取り入れた資本主義です。これを「修正資本主義」と呼
びました。
 資本主義の欠点を修正して、社会主義に負けないようないい仕組みに造り直した資本主義と
いうことです。学者によっては、資本主義の経済の仕組みと社会主義経済を混ぜ合わせた「混
合経済」と呼ぶ人もいます。所得再配分機能を政府が果たすということです。もちろん修正資
本主義というものは、このような良い面だけではなくて、公共事業という名前で国民の税金を大
企業の利益のために大々的に流用するというようなマイナスの面もあることも忘れてはなりま
せん。
 しかし、ともかくこうやって、西側の世界は、自由があって社会保障がある、そういう社会に変
わっていくのです。そのことで東に勝ったのです。ところが、そのソ連と東ドイツが居なくなった
のです。

 その前にもうひとつ。先進資本主義国というのは或る一種の傾向として、労働者が闘わなくな
ってきます。これは先進資本主義国の宿命のようなものです。つまり資本主義国というのはご
存じのように、地球上の大部分を占めている低開発諸国、貧しい第3世界といわれた世界か
ら、安い原料を買ってきてそれを製品にして高く売っています。そして差額、莫大な差額を儲け
ている。超過利潤と呼ばれています。だから遅れた国は働けば働くはど貧しくなるのです。一
生懸命働いてコーヒー豆作っても、それを安く買われてチョコレートやインスタントコーヒーなど
の製品を高く買わされるのですから、結局差額だけ損をすることになります。
 この20年、先進国と遅れた国の格差は開く一方、全然縮まらない。地球上の富を先進国が
全部集めちゃって、とびきりぜいたくな生活をやっています。ですから先進国の労働者にも、当
然そのおこぼれの分け前に預かるので、低開発国の労働者にくらべれば、ずっと豊かになりま
す。豊かにれば闘わなくなってしまいます。その上、それを推し進めるようなありとあらゆる謀
策が講じられているのです。
 資本主義というのは、物を売り続けなければなりたたちません。売ったものをいつまでも使わ
れていたのでは、資本主義は成り立たないのです。早く買い換えてもらわなければなりませ
ん。いま、日本の車はよく出来ているので、30年は楽に乗れるのに、30年乗られたら日本の自
動車会社はみな潰れます。3年か5年で買換えてもらわなれりばいけません。買い替えてもらう
には、自分の車は古いと思ってもらう必要があります。ですからコマーシャルで、朝から晩まで
何回も、「あんたは古い、あんたは古い。こんないい車ができてます。こんな新しい車が出まし
たよ。もっといいのが出ましたよ」と宣伝して洗脳しいるのです。だから3年も乗ると、どうしても
買換えざるをえない心境に引き込まれてしまいます。全てのものがそうです。まだまだ使えるの
に新しいものに換えてしまう。そういう仕組みができているのです。
 そうしないと、資本主義はもちません。ですから労働者はどうなるかというと、「次、この車に
買換えよう、次、パソコンこっちに買換えよう、次、今度はデジタルテレビに買換えよう、じゃあ
セカンドハウス、つぎは海外旅行・・・」。無限に欲望を刺激され、自分の欲望を満たす方に夢
中になって、社会正義とか人権とか考えている暇がなくなっていくのです。
 いま日本の大部分がそうですね。「もっといい生活を」ということだけ考えています。ほかの人
の人権だの社会正義なんて見向きもしない。見事に資本の誘惑にひっかかってしまいます。
 もちろん、欲しいからって、お金がなければ買えません。家がほしい、車がほしい、パソコン
ほしい・・・。それが、実はお金がなくても買える、なんとも不思議な世の中です。ローンというも
のがあるのですね。
 フォードという人が見つけたのです。それまでは、「つけ」で何か買うなどということは、労働者
にはありませんでした。労働者が「つけ」で買ったのはお酒だけです。酒飲みはお金がなくても
飲みたいのです。だから酒屋だけは「つけ」がありました。大晦日に払うか払わないかで夜逃
げするかどうかもあったでしょうが、今は家を「つけ」で買う、車を「つけ」で買う、なんとも奇妙な
世界になってきました。これをフォードが始めたのです。それまでは、自動車というのは大金持
ちのものでした。フォードが、あのベルトコンベアーというのも発明して、大量生産を始めたので
す。そうなれば、大量に売らなれりばなりません。大量に売るためには労働者に買ってもらわ
なくてはなりません。でも労働者にはお金がないのです。そこで、ローンという、とんでもないも
のを考え出したのです。ローンなら金がなくても買えるんですから、みんな買う。当然な話です。
 そりゃあ豊かなのに越したことはありません。マイホームが欲しくなる。ですからみんなローン
で買う。そして「マイホーム」という感じになるのです。でも本当はマイホームではありません。あ
れは銀行のものです。払い終わるまでは、所有権は銀行のものです。銀行から借りてローン組
んだだけなんです。こうして次々と新しいものを買わされていく。そのローンは多くの場合退職
金を担保に組みます。一度退職金を担保にローンを組んでしまったら、ストライキはできなくな
ります。会社と闘って退職金がすっとんだら終わりなのです。家も途中でおしまいになってしま
います。ですから、ローンでマイホームが変えるようになってから労働運動は一気に駄目になり
ました。みんな闘わない、会社と喧嘩したくない、というふうになります。これはもちろん、向こう
は計算済みのことです。
 ですから、高度に発達した資本主義社会というのは、労働者が、ある程度ですが、豊かにな
り、そして、このような消費社会に組み込まれてしまって、身動きができなくなるのです。
 こうして、いま日本では労働組合も、労働運動もストライキもほとんど力を失いました。そうな
れば、政府は社会保障なんて、何も譲歩する必要がはありません。労働者が必死になって運
動するから、止むを得ず健康保険とか年金制度とかやってきたのであって、労働者が闘わな
ければ、その必要はないのです。いま、どんどん社会保障が悪くなってきています。次から次
から悪くなる。20年前だったら、いまのように社会保障が悪くなったらたちまち、大ストライキが
起こりました。しかし今は何も起きません。労働組合が弱体化している、労働運動が骨抜きと
いう状態です。
 そこへもってきて、ソ連や東ドイツがいなくなったのです。こうなればもう社会保障をやる必要
はありません。社会保障は止めます、修正資本主義は止めます、ということになるわけです。
修正資本主義にはいろいろな意味があるのですけど、一つの特徴は、大金持ちや大企業から
お金を取って、弱い立場の人たちに配るところにあります。所得再分配と言われる働きです。
だから政府は大きな政府になります。こういう仕組みが修正資本主義で、いろんなマイナス面
もあるのですが、プラスの面も大いにあります。
 この仕組みをやめる、というのが今のアメリカです。もう政府は面倒みません、自分でやりな
さい、と自由競争に戻る。自由競争一筋。これが、ソ連が崩壊した後に新しくなったアメリカの
仕組みなのです。そして、それに日本が「右へならえ」ということなのです。
 それに対してヨーロッパは、アメリカのいうことを聞かず、「われわれはこれからも、社会保障
のある資本主義でいきます。むき出しの裸の自由競争には戻りません」。これがヨーロッパな
のです。なぜヨーロッパがそういえるかというと、労働運動が強いからです。先進資本主義国な
のになぜ労働運動が弱くならないのか。これはこれで時間をかけて考えなければならない問題
なのですが──。
 現実の問題として強い。ヨーロッパだって大企業は社会保障を止めたいにきまっています。し
かし止めると大騒ぎになります。労働者が絶対に言うことを聞きません。だからやむを得ず守
っているのです。企業負担もうんと高いです。日本の会社の倍以上払っています。ですからトヨ
タ自動車もフランスに、フランス・トヨタを作っていますけど、日本トヨタの倍以上払っています。
それでも儲かっているのです。
 ですから、ヨーロッパでも、社会保障は少しずつ悪くなってきてはいますが、日本に比べれば
遥かに違います。このようにして、ヨーロッパはアメリカと別の道を進み始めました。アメリカは
剥き出しの資本主義に戻りますが、ヨーロッパは修正資本主義のままでいこうとしています。
 しかし、それでは競争で負けます。アメリカや日本は企業の社会保障負担がうんと減ってい
ますから、利潤が増えています。ヨーロッパは高い社会保障負担でやっていますから、儲けが
少ないのです。そこで競争しなくてすむようにEUいうものを作って、枠を閉ざしちゃいました。ア
メリカや日本の会社がヨーロッパに来るときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければ、EUには
入れません。だからEUの中でやっている時には、日本にもアメリカにも負ける心配はないので
す。
 そういう仕組みを作って、アメリカとは別の道を進み始めました。そのためにユーロという別
のお金も作りました。イラク戦争で表面に出てきたのですが、イラク戦争がなくても、ヨーロッパ
はアメリカとは別の道を進み出していました。もう2度とアメリカとは一緒にならないでしょう。

《規制緩和とグローバリゼーション − 構造改革の中身(2)》

 もう一つ、ソ連、東ドイツ崩壊の結果、アメリカが大きく変化したことがあります。それは何か
というと、大企業・大資本を野放しにしたことです。
 ソ連がいる間は、大企業や大資本に、「あなた達は資本主義なんだから儲けたい放題儲け
たいだろうけど、それをがまんしてください。あなたたちがやりたい放題にやったら、他の資本
主義国はみんな負けてつぶれてしまう。アメリカの資本と競争できるような資本などどこにもあ
りませんから。そうなれば、ソ連の方がましだということになる。だから、やりたい放題は抑えて
ほしい」と言ってその活動を制限してきました。
 具体的に何を抑えたかというと、為替取引を規制したのです。これが一番大きな規制です。
いまではもう、中央郵便局へ行って「ドル下さい」といえば、すぐドルをくれます。「100ドル下さ
い」といえば「ハイこれ1万2千円」。ユーロでも、「下さい」といえば「100ユーロ・ハイ1万4千円」と
すぐくれます。でもこれはごく最近のことです。それまでは、外貨・外国のお金は、日本では勝
手に手に入りませんでした。お金を外国のお金と取り替える、つまり為替取引は厳重に規制さ
れていて、個人が勝手にはできなませんでした。外国旅行に行くとか、何か特別な理由が認め
られた時しか、外国のお金は手に入りません。いまは何も制限ありません。自由にだれでもい
つでもできます。理由など聞きませんから、100ユーロとか千ドルくださいと言えば、そのままく
れます。これが為替取引の自由化というものです。これがなかったのです。ソ連が崩壊するま
では、アメリカも厳重に規制していました。それをとっぱらったのです。理屈っぽく言えば、資本
の国際移動が自由にできるようになったということです。こうして、アメリカの巨大な金融資本
が、世界中を我が物顔にのし歩く時代が来るのです。
 もうソ連も東ドイツもなくなったのですから、「いや永いことお待たせしました。今日からもう儲
けたい放題儲けていいですよ。やりたい放題やっていいですよ」ということになったのです。こ
れが規制緩和とことです。規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということ
です。そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちでき
ません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブ
サップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。
 それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金
槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを
全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。負けないためには、相手に負
けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀
行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方
おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられない
でしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗でき
るというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はの
っとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっ
とられています。
 ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられまし。広くていい温泉なんですけど、驚い
たことにゴールドマンサックスでした。世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの
代表のようなものです。これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送してい
ました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、
ゴールドマンサックスが。どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利
きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの
観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマン
サックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直し
てすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。確かに、いわれてみれば
そのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世
界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカ
からごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そ
して近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパー
なんていって売り出す気なのですね。ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな
英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。
 アッという間に日本はアメリカ資本に乗っ取られようとしています。去年のホリエモン合併もそ
うです。今年から商法改正(改悪)して、乗っ取りを認めるということになったのです。株の等価
交換、面倒な仕組みですから詳しいことは申し上げませんが、アメリカ株1億ドル分と日本の株
1億ドル分を、等価父換していい、こういっているんです。ところが、アメリカの株の値段が高い
のです。ですから1億ドルといっても、株の数からすると、例えば千株位しかない。日本は株が
安いですから、同じ1億ドルで1万株位あるのですね。そうすると、千株と1万株で取り替えます
から、あっという間にアメリカは大株主になってしまう。この等価父換を認めると、日本の大企
業全部乗っ取られてしまう。
 そこで、日本の優良企業が狙われています。超優良企業を株式等価交換で、簡単にアメリカ
が乗っ取ることができる。今年からそれが可能になるはずだったです。それで去年、実験をや
ったのですね。ホリエモンにやらせてみたのです。ホリエモンはアメリカのリーマン・ブラザース
から借りてやったのです。で、出来そうだなと分かったので、アメリカはお金を引き上げてしま
いました。ホリエモンに乗っ取られては困る、いずれ自分が乗っ取るのですからネ。最後の段
階で資金引き上げましたたから、ホリエモン降りる外なかった、多分そういう仕組みだったので
はないかと思います。
 今年から自由に、日本中の会社をアメリカが乗っ取れるはずだったのですが、あのホリエモ
ン騒動のおかげで日本の大企業が震え上がり、政府に泣きついて、「なんとか商法改正を見
送ってくれ」と。それで見送りになりました。ですから、ちょっと一息ついているのです。今年す
ぐ、乗っ取られるというわけではありません。でも、いつまでも見送りというわけにはいかないで
しょう。2・3年後には解禁。そうなれば、日本はほぼアメリカ資本に支配される、ということにな
るでしょう。
 日本ですらそうなのですから、まして、フィリピンとかタイとかいう国はたまったものではありま
せん。あっという間に乗っ取られてしまいます。アメリカに勝手に経済的属国にされてしまう。そ
れに対して、いやそんなの困るから、アメリカ資本が自分の国の株を買うことを法律で禁止す
る、というようなことをやろうとすると、アメリカはそれを認めないのです。グローバリゼーション
だから地球はは「一つ」だというのです。いくら規制緩和しても相手国が法律で規制してしまっ
たら終わりです。ですから、自分の国だけ勝手に現制することは認めません、地球はひとつで
すよ、グローバリゼーションですよ、ときます。フメリカの大資本が地球上のどこの国でもアメリ
カ国内と同じ条件で商売できるようにする、これがグローバリゼーションです。いやだと断ると
制裁を加えられます。
 クリントン大統領の時は経済的制裁だけですんだのですが、ブッシュになってから、軍事的制
裁になりました。いうことを聞かないと軍事制裁だぞという、これがネオコンという人たちの主張
です。イラクを見ればみな震え上がるでしょう。ですから、アメリカの言いなりにグローバリゼー
ションで国内マーケットを開放して、アメリカ資本に全部乗っ取られてしまう、というのがいま
着々と進行しているのです。

《アメリカの孤立》

 そこでどうなったかというと、ヨーロッパと同じように、「そんなの困る。自分の国の経済の独
立は自分たちで守りたい」という人たちが手を繋いで、「アメリカに支配され引きずり回されない
ように、防波堤を作ろう」という動きが始まりました。だいたい5・6年前からです。アセアン
(ASEAN東南アジア諸国連合)の動きが始まりました。5つの国です。インドネシア、タイ、マレ
ーシア、シンガポール、フィリピン。元来はアメリカが造らせた組織だったのですが、いつのま
にか自主独立を目指す組織に成長しました。
 手を繋ぎ、アメリカに引きずり回されないように、アメリカの資本が勝手に入ってこないよう
に、自分たちの経済は自分たちでやりましょう、と。ところが、ASEANが束になったってアメリカ
にはとてもかないません。そこで、知恵者がいました。アセアンだけではかなわないので、中国
と手を繋いだのです。「アセアン、プラス中国で、アジアマーケットを作り、アメリカにかき回され
ないようにしよう」しようというのです。確かに、中国が入ったらアメリカはうかつに手が出せま
せん。しかし中国だけ入れると、反米色があまりにも露骨ですから、「アセアン、プラス・スリー
でいきましょう。アセアン+日本+韓国+中国、でいきましょう」ということになります。日本はア
メリカの51番目の州だといわれているのですから、日本が入れば、アメリカも安心します。
 EUのように、アセアン+スリーで、自分たちの経済は自分たちでやれるように、アメリカに引
きずり回されないような自立したアジアマーケットを形成することが目標です
 ただひとつ、日本が具合が悪いのです。日本はそのスリーに入っているのですが、(アセアン
の会議に)行く度に「アメリカも入れろ、アメリカも入れろ」というのです。アセアン諸国はアメリカ
から自立するために作っているのですから、「アメリカを入れろ」といわれたんじゃあ困るので、
結局日本は棚上げになってしまいます。実際にはアセアン+中国で、経済交流が進んでいま
す。いずれ2010年には、東アジア共同体・EACというものを立ち上げる、という動きになってい
ます。
 そうなってくると韓国が困りました。日本・アメリカ側につくのか、中国・アセアン側につくのか
で、2・3年前から中国側に大きく傾いています。留学生の数を見ると分かります。中国の北京
大学には世界中の留学生が集まります。21世紀は中国と商売しなければメシが食えなくなるこ
とが分かっていますから、将釆、中国語がしゃべれる人が自国のリーダーになり、中国の指導
者に友達がいないと困ります。それには北京大学に留学するのが一番いいのです。あそこは
エリート養成学校です。この前行った時聞いてみたのですが、入学試験競争率5千倍だそうで
す。超難関です。大学の構内を歩いて見たのですが、広い敷地に6階建てのアパートが36棟ぐ
らい建っていて、みな学生寮です。全寮制。そばに教職員住宅があって、朝から晩まで共に暮
らしながら勉強しています。授業は朝7時からです。ものすごく勤勉に勉強しています。35年間
私は大学の教員でしたが、愛すべき怠け者の学生諸君を教えてきたわが身としては、「あ、こ
れはかなわないなァ、20年もしたら──」と思いました。向こうは国の総力を上げて次の時代の
指導者を養成しているのです。日本はもう全然、ニートとかフリーターとかいって、若者の気迫
がまるでレベルが違います。これは置いていかれるな、という気持ちになりました。このように
世界中の国が、いま一流の学生を北京大学に送り込んでいるのですが、去年、北京大学留学
生の中で一番数が多いのが韓国なのです。
 おととしまで韓国の学生は殆どアメリカヘ行っていました。去年あたりから中国へ変わったよ
うです。つまり韓国は、21世紀の自国は、アメリカ・日本ではなく、中国・アセアンと組むことで
繁栄を図りたい、と向きを変えたということです。
 それに拍車をかけたのが小泉首相の靖国参拝。これで韓国は怒っちゃってあちらを向いた。
そうなると、アセアン、中国、韓国と繋がって、日本だけはずされてしまった、という状況がいま
生まれつつあります。
 さらに中国は、数年前からいま、「ふりん政策」を国の方針としています。フリンといっても男
女の不倫ではありません。富、隣。隣の国を富ます、隣の国を豊かにする──富隣政策です。
隣の国と仲良くする。中国だけ儲けたのでは相手に恨まれてしまいます。英語では「ウィン、ウ
ィン」(win-win)というようです。どっちも勝つ、中国も儲けるけど相手も儲けるような関係を必ず
作っておく、ということが基本政策です。
 つまりアメリカは、やっとソ連を倒したと思ったら、今度は中国が出てきたのですから、中国を
目の敵にしているのは当然です。中国にすれば、アメリカにやられないためには、単独では対
抗できませんから、周りの国と手をつなぐ、ということです。
 アメリカは修正資本主義を止めて自由競争の資本主義に戻りました。その結果大企業・大資
本は野放しになりました。そのためにアジアにそっぽを向かれることになりました。アメリカには
ついていけない。アメリカに勝手にされては困る。もちろんアメリカと喧嘩をしては駄目ですが、
自分の国は自分の国でやれるようにしなければならない──、というふうに変わったのです。
 そして最後に、3年前から南米が変わりました。ようやく日本でも報道されるようになりました
からご存じと思います。ただ日本のマスコミはちょっとしか書きませんから、気づいておられな
い方もおありかと思います。南米がものすごい勢いでアメリカ離れを始めたのです。
 今まで200年、南米はアメリカの裏庭といわれていました。アメリカはやりたい放題やっていま
した。チリは世界一の銅の産出国ですが、このチリの銅はすべて、アナコンダというアメリカの
銅会社が一手で採掘していました。だからいくら掘ってもチリは豊かにならない。アメリカのア
ナコンダだけが儲かるのです。
 ブラジルは世界一の鉄の産地です。これもみな掘っているのは欧米の会社で、いくら掘って
もブラジルは豊かにならない。ベネズエラは世界第五位の産油国です。これもみなアメリカの
石油資本が持っていく。
 こういう国はこれまで軍事独裁政権でした。政治家は、自分の国の資源をアメリカに売り渡
し、自国の国民の反発は力で抑えつけ、莫大なリベートを貰って自分たちだけベラボウな贅沢
をしてきました。これがアメリカと南米のパターンだったのです。
 それが、3年ほど前から、「おかしいではないか。やっぱりベネズエラの石油はベネズエラ人
のものだ。石油を掘ったら、ベネズエラが豊かにならないとおかしいではないか。いくら掘って
もアメリカだけ儲けるのはおかしい。石油をアメリカの石油会社から取り上げて、ベネズエラで
掘ることにしよう。国有化しよう」というような政策を訴える大統領が、当選するようになりまし。
この3年間で、南アメリカは80%が、このような自主独立派の大統領になりました。アメリカ資本
に任せず、自国の経済は自分でやろうという政策を掲げた大統領が、次々と当選したのです。
 いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あと
は殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チ
ャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリカはそのチャベス
の当選を必死になって妨害したのですが、結局ダメでした。チャベスが圧倒的多数で選出され
ました。その彼の言い分がふるっているのです。
 「失礼にならないようにアメリカから遠ざかりましょう」というのです。いきなり遠ざかったので
はゴツンとやられますから、アメリカを怒らせないように、喧嘩しないように、少しずつ「小笠原
流」で遠ざかって自主独立に向かいましょうというのです。
 これがいま世界の合言葉です。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる。」日本もそうし
なければいけない、と私は思っているのですが。絶対にやりません。
 こうやってアメリカは、ソ連や東ドイツがなくなってから、修正資本主義をやめて、いまの言葉
でいえば「新自由主義」という仕組みに代わりました。日本はそれに右ならえしたのです。いま
申し上げたように、このアメリカの新自由主義経済に無条件で追随しているのは、日本しかあ
りません。あとはみな、「失礼にならないように」距離をおきました。日本だけが無条件でついて
いきました。だから「ポチ」だといわれるのですネ、確かにポチと言われてもしょうがないほど、
無条件でついていきます。それは恥ずかしいことですが、日本が追随していく。これが構造改
革なのです。修正資本主義経済から新自由主義経済に変わるということです。簡単にいえば、
弱い人の面倒を政府が見るような仕組みから、もう弱い人の面倒は見ませんという仕組みに、
変わっていく──。これが構造改革です。
 だから、社会保障はどんどん悪くなる。自由競争で勝ち組と負け組がある。中には1千万ぐら
いのマンション買って落ち着いているのもいる。片方には、国民健康保険料さえ払えなくて医者
にも行けない。そういう人がもう全国で膨大な人数出てきている。まさに格差社会です。
 どんどんその格差が広がっています。金持ちからお金を取って弱い人の面倒を見る、という
のが修正資本主義なのですが、それを止めてしまいました。野放しなのです。強い人はますま
す強くなり、弱いものは負けたら自己責任なんですよ。こういう仕組みにいま変わったのです
ね。
 それがいいか悪いか、止むを得ないのかどうかは、いろいろな立場によって考えが違うので
すが、事実はそうなったのです。
 しかしヨーロッパは別の道をとっています。このように別の道もありうるというのも事実なので
す。ヨーロッパのように社会保障を止めない資本主義もあり得るのです。
 日本の場合、アメリカほど徹底していませんが、流れとしては「政府はもう弱い人の面倒は見
ません」、という方向に大きく動いています。

《憲法改悪の要求》

 こうして、アメリカは新自由主義経済で自国の企業を野放しにして、それを世界中に押しつけ
ようとしたのですが、意外に抵抗が大きかった。ヨーロッパはいうことを聞かない。アジアも聞
かない、南米も聞かない。これでは困るので力づくで押しつける。こういうことになるのですね。
力づくで押しつける時に、最大の目標・ターゲットはもちろん中国です。やっとソ連を倒して、21
世紀はアメリカが王様になれると思ったら、中国が巨大な国になってきて、アレリカの前に立ふ
さがっいます。このままではアメリカは王様ではいられません。中国を抑え込むことが21世紀
へ向けてのアメリカの最大の長期的課題になっています。しかし戦争はできません。中国と戦
争したのでは共倒れになります。唯一の道はエネルギーを抑えることです。
 ネオコンという人たちの書いた文章を読むと、非常にはっきり書いてあります。21世紀にアメ
リカが世界の支配権を握るには、中近東の石油を抑えなければならないというのです。中国は
石油の自給ができません。どんどん石油を輸入していますが、殆どいま中近東から輸入してい
ます。アメリカが中近東の石油を抑えれば、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなる。
当然でしょうね。
 世界一の産油国サウジ・アラビアはすでにアメリカ側の国です。そこで第二の産油国であるイ
ラクをアメリカは分捕りたいのですが、その理由がありません。そこでアメリカは「大量破壊兵
器、テロ応援」という嘘をつきました。プッシュ大統領も、ついにウソであったことを認めました。
 ではなぜイラク戦争をやったのか。本当の理由はまだ公表されていません。しかしネオコンと
いう人たちの文章を読むと、明らかに「石油を抑える。抑えてしまえば中国は言うことを聞かざ
るをえない」。ここに本当の理由があったことは明白です。そうだとすれば、恐ろしい話ですが、
(次に)絶対にイランが狙われます。
 世界第1の産油国サウジアラビアは、昔からアメリカの同盟国です。第2位のイラクは抑えて
しまいました。そしてイランは第3位の産油国です。ここを放っておいたのでは意味がないので
す。中国はいくらでもイランから石油の輸入ができます。どうしてもイランまで抑えなければなら
ないというのは、アメリカでは、いわば常識です。どんな新聞雑誌でも次はイランだということが
堂々と語られています。
 ライス国務長官も3日前、「今イランに対するは軍事力行使の予定はない」と言っていました。
「今は」です。イランは核開発やっているというのが理由です。たしかに妙な国ですが、しかし別
に悪い国ではありません。あのあたりでは1番民主的な国です。曲がりなりにも選挙で大統領
を選んでいますから。女性はみな顔を出していますし、大学へもいっています。イランは近代化
した国なのです。サウジアラビアなどの国に比べたら、ずっと民主的な近代国家です。イスラム
教のお妨さんが、選挙で選ばれた大統領より偉い、というのだけが変ですが、全員がイスラム
ですから、他国がとやかく言うことではないです。
 ですから、イランが悪魔の国というのは嘘なのです。イラクがそういわれたのも同じで、要す
るに悪魔の国と誤解させて、戦争しかけてもやむを得ないと思わせるための宣伝が行われて
いるのです。
 イランはイランで、自分で自分他ちの国を近代化していけばいいのであって、核兵器持つなと
いっても、隣のパキスタンもインドも持っているのです。こちらのイスラエルもです。イランだけ
持つなといっても、聞くわけありません。イランに持たせたくないのなら、「俺も止めるからあん
たも」と言わなければなりません。「俺は持っている。お前だけ止めろ」と言ったってイランが聞
くわけありません。そんな理屈が通るはずがないのです。実に馬鹿な理屈です。本当にイラク
に核開発をやめさせたいのなら、イギリスもフランスもアメリカも 「先ず自分が止める、だから
お前も止めろ」と言うしかありません。お前だけ持つなと言って、聞くと思う方がどうかしていま
す。核開発は現在の大国の論理では抑えられません。イランに言わせれば、「イラクがなぜあ
んなに簡単に戦争しかけられたかといえば、核兵器を持っていなかったからだ。持っていたら
恐ろしくてとても戦争なんか仕掛けられない」ということになります。だからイランはいま核開発
を急いでいるのです。核兵器を持たないとアメリカに攻められるから。そう思い込んでいるので
す。
 そう思わせるようなことをアメリカはやってきたのですから、イランに核兵器開発を止めさせる
ためには、イラクから撤収して、中東の平和は中東に任せる、という姿勢を示すしかありませ
ん。自分がイラクを分捕って居座ったままで、イスラエルやパキスタンやインドの核兵器には文
句をいわずイランにだけ、というのは通じない理屈です。実にゆがんだ国際常識というものが
罷り通っている、と思います。
 もしアメリカがイランまで分捕ってしまえば、サウジアラビア、イラン、イラクと合わせて、世界
の石油の70%ぐらいになるはずですから、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなりま
す。だからつぎはイランだというのが、ネオコンの論理です。
 ただ問題は、イランに戦争を仕掛けるとしても単独ではできなません。兵隊がたりない。徴兵
制ではなく志願兵制度ですから。いま、ありったけの兵隊さんがイラクに行っています。あれ以
上いないのです。だからハリケーンが来ても出せなかったのですね。そうすると、イランに出す
兵隊なんていないのです。そこで、アメリカの右翼新聞の社説など、堂々と書いています。「イラ
クにいるアメリカ軍でイランを乗っ取れ。カラッポになったイラクの治安維持は、日本にやらせ
ろ」と。
 アメリカの論理から言えばそうなるのでしょう。自衛隊にイラクの治安維持をといいますが、
実際は内乱状態ですから、今も毎日アメリカ兵は毎日5人位殺されています。そんなこと引き
受けたら、自衛隊員何人死ぬか分かりません。第一そんなことは、憲法9条があるかぎりでき
ないのです、絶対に。憲法があるおかげで、自衛隊はイラクにいますけれども、ピストル1発撃
つことができないのです。憲法9条第2項というのがあるのです。自衛隊は戦力ではない・交戦
権はないとなっていますから、不可能なのです。だから給水設備備を作るとか、学校修理と
か、そういうことしか出来ません。これじゃあアメリカから見れば役に立たないのです。

《平和憲法こそ 日本生存の大前提》

 そこで、「9条2項を変えて、戦争ができる自衛隊になってくれ」というのがアメリカの強い要求
なのです。みんな分かっています。言わないだけです。日本の新聞記者も知っています。しか
し、「9条変えろ」がアメリカからの圧力、と書くと首になるから書かないだけです。でも誰も知っ
ています。アメリカのに戦争に参加しなさい、という強い圧力がかかっているのです。
 ここのところをよく見極めておくことが必要です、「9条を守る」ということは、「アメリカの言いな
りにならぬ」ということと一つ、なのです。
 アメリカと喧嘩しては駄目ですから、「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる」のが何より
も大切です。仲良くするけれども言いなりにはならない、ということです。ところが、憲法が危な
いという、この危機的な状況にもかかわらず、国内で労働運動が弱体化していますから、ストラ
イキも起きない。大きなデモも起きない。大反対運動も起きない──。という状況です。
 ではもう駄目なのでしょうか。そうではないと思います。それには日本の国内だけではなく、世
界に目を向ける、アジアに目を向けるこちとが必要のです。ご存じのように、これからの日本
は、中国と商売せずには、生きていけなくなりま。いま、大企業だけですけど、多少景気がよく
なってきています。全部中国への輸出で持ち直したのです。中国マーケットがなくなったら日本
経済はおしまいだ、ということは誰も分かってきています。
 お手元の資料の中の(貿易額の)丸い円グラフは、2003年のもので少し古いのですが、アメ
リカ20.5%、アジア全体で44.7%、つまり日本にとって一番大事な商売の相手は、アメリカでは
なくてアジアなのです。
 アジアと仲良くしなかったら、経済が成り立たないところへ、いま既にさしかかっているので
す。左隣の棒グラフは2004年ですが、左上から右に折れ線がずうっと下がってくる。これが日
本とアメリカの貿易です。点線で右へずうっと上がっていくのが中国との貿易。遂に去年(2つ
の折れ線が)交差し、中国との貿易の方がアメリカとの貿易額より多くなりました。しかも鋏状
に交差していますから、今後この2つは開く一方になってきています。
 つまり、あと2・3年もすれば、日本は中国との商売なしには生きていけない、ということが国民
の常識になるということです。いま既に、中国を含めたアジアが、日本の一番大事なお客さん
なんです。仲良くしなければいけません。一番大切なお客さんの横っ面ひっぱたいたんじゃ商
売は成り立ちません。
 靖国参拝などというものは、一番大事なお客さんの横面ひっぱたくと同じことなのですから、
個人の信念とは別の問題です。小泉首相は総理大臣なのですから、個人の心情とは別に日
本の国全体の利益を考えて行動しなければいけません。それは総理大臣の責任だと思いま
す。その意味でアジアと仲良ぐできるような振舞いをしてもらわなければ困るのです。
 もう一つ。アメリカとの商売はこれからどんどん縮小していきます。それは、ドルというものの
値打ちがどんどん下がっていくからです。これはもう避けられません。
 昔はドルは純金だったのです。1971年まで、35ドルで純金1オンスと取り換えてくれました。だ
からドルは紙屑ではありませんでした。本当の金だったのです。
 われわれのお札はみな紙屑です。1万円なんて新しくて随分きれいになりましたけど、綺麗に
しただけちょっとお金がかかって、印刷費に1枚27円とかかかると聞きました。27円の紙がなぜ
1万円なのか。これは手品みたいなものです。あれが5枚もあるとなかなか気が大きくなるので
すが、本当は135円しかないのです。それが5万円になるのは、法律で決めているのです。日
銀法という法律で、こういう模様のこういう紙質のこういう紙切れは1万円、と決められている。
だから、あれを1万円で受け取らないと刑務所に入れられます。法律で決まっているからです。
ですから日本の法律の及ぶ範囲でだけ、あれは1万円なのです。その外へ出ると27円に戻っ
てしまいます。
 金と取り換わらないお札というのは、簡単にいえばその国の中でしか通用しません。他の国
へ行ったら、その国の紙屑と取り換えなければ通用しません。ところが、ドルだけは世界で通
用しました。純金だからです。
 ところが、1971年にアメリカはドルを金と取り換える能力を失いました。ベトナム戦争という馬
鹿な戦争をやって莫大な軍事費を使ったのです。背に腹は代えられなくてお札を印刷し、航空
母艦を造ったりミサイル、ジェット機を作ったりしたのです。そのために、手持ちの金より沢山
のお札を印刷しちゃったのです。
 その結果、アメリカは、ドルを金と取り換える能力を失ったのです。そこで、71年8月15日、ニ
クソン声明が出されました。「金、ドル交換停止声明」です。あの瞬間にドルも紙屑になったの
です。ドルが紙屑になったということは、ドルがアメリカの国内通貨になったということです。
 ところが、問題はそれ以後なのです。世界で相変わらずドルが適用したのです。皆さんも海
外旅行へ行かれる時は、大体ドルを持って行かれますね。どこの国へ行っても大丈夫なので
す。金と取り換えられないお札が何故世界で適用するかは本当に不思議で、経済学者にとっ
て最大の難問なのです。いろんな人がいろんな答を言っていますけど、あらゆる答に共通して
いるのは、ひとつは「アメリカの力の反映」だから、ということです。
 つまり、日本が自動車を作ってアメリカヘ売ります、ドルを貰いますネ。日本は損をしている
のです。自動車という貴重なな物質がアメリカへ行って、紙屑が返ってくるのですから。物が減
ってお札だけ増えると必ずバブルになります。
 バブルの犯人はそこにあるのです。日本が輸出し過ぎて貿易黒字を作り過ぎているのです。
だから日本は、アメリカに自動車を売ったら、「純金で払ってください」と言わなければなりませ
ん。ところがそう言うと、ジロッと睨まれてお預けになってしまいます。日本には米軍が5万人い
ます。「アメリカのドルを受け取らないとは、そんな失礼なこと言うなら、在日米軍クーデター起
こしますよ」、これで終わりなのです。黙って受け取ってしまう。だから日本は無限に物を提供
し、無限に紙屑をもらう。こうしていくら働いても日本人の生活はよくならないのです。しかもそ
の紙屑でアメリカの国債を買っています。アメリカに物を売って、払ってもらった代金をアメリカ
に貸している。言ってみればツケで輸出しているようなものです、現実に。アメリカにいくら輸出
しても日本は豊かにならない仕組みになつています。
 2週間前に『黒字貿易亡国論』という本が出ました。有名な格付け会社の社長さんですが、
「貿易黒字を作るから日本は駄目なのだ」、ということを詳しく論じたたいへん面白い(文芸春
秋社の)本です。確かにそうだと思います。だからドルは、本当は受取りたくないのです。みん
な紙屑なんです。だけど受け取らないと睨まれる。アメリカの軍事力が背景にあるのです。
 その力をバックにして、紙切れのお札を世界に通用させている。例えていえば──餓鬼大将
が画用紙に絵をかき1万円と書いて鋏で切り、これ1万円だからお前のファミコンよこせ、とこれ
を取り上げる──のと同じです。いやだと言ったらぶん殴るのです。怖いから黙って渡して紙
屑もらうことになります。その紙屑で、他の人から取り上げればよいのです。「お前のバイクよ
こせ、よこさなかったらいいつける」。「あの人、あんたの紙屑受け取らない」、するとガキ大将
が釆て、ゴツンとやってくれる──。餓鬼大将の力の及ぶ範囲ではそれが通用するのです。露
骨にいえば、ドルがいま世界に適用しているのは、そういう仕組みが一つあります。
 もう一つは、ソ連の存在です。もし紙屑だからアメリカのドルを受け取らないといったら、アメ
リカ経済は潰れます。アメリカが潰れたらソ連が喜ぶ。だから紙屑と分かっていても受け取って
きた。ソ連に勝たれては困るから──。
 これも確かに一理あります。ということは、ソ連がいなくなって、紙屑は紙屑だということがは
っきりしてきたのです。今まではソ連がいるために、紙屑なのに金のように適用したが、今や
「王様は裸だ」というのと同じで、「ドルは紙屑だ」といっても構わない時代です。
 ともかくドルが危ないのです。私が言ってもなかなか信用してもらえませんが、経済誌『エコノ
ミスト』、一流企業のサラリーマンなら必ず読んでいる雑誌すが、これの去年9月号が中国“元”
の特集でした。その真ん中へんに「プラザ合意20年」という対談がありました。その中で、榊原
英資さんは「5年以内にドル暴落」と言っています。
 榊原さんは大蔵省の元高級官僚で日米為替交渉の責任者を10年やりました。円・ドル問題
の最高責任者だった人です。「ミスター円」といわれていました。通貨問題に最も詳しい現場の
責任者です。停年で大蔵省をやめて今は慶應大学の先生になっています。この人が「5年以内
にドルが暴落する」、つまりドルが紙屑だということが明らかになる日が近いと言っているので
す。
 ソ連がいる間は隠されていたのですが、いまはもう、ドルは紙屑だから受取りたくないという
人たちが増えてきています。これまでは世界通貨はドルしかなかったので、受け取らなければ
商売ができなかったのですが、今ではユーロという代わりが出来てしまいました。ドルでなくて
ユーロで取引する国が増えてきています。そしてユーロの方が下がりにくい仕組みになってい
ます。ドルは下がるのです。
 なにしろアメリカは、永いことドルが世界通貨ということに慣れてきました。だから自動車が欲
しければ日本から自動車買って、アメリカは輪転機を回せばよいのです。紙とインクがあれば
いいのですから。ほかの国はこんなことできません。自動車が欲しければ、一生懸命働いて何
か輸出し、その代金で輸入しなければならないのです。アメリカ以外の国は全部そうやってい
るのです。
 輸入は輸出と一緒です。輸入するためには輸出しなければなりません。ところがアメリカだけ
は輸出しないで輸入ができるのです。ドルという紙切れが世界通貨ですから。極端に言えば、
欲しい自動車や石油を日本やアフリカなどから買って、紙とインクで支払う。実際そうして世界
の富がアメリカに集まったわけです。
 71年以降の30年間、この仕組みのために、世界中にドルが溢れ出ました。ドルがどんどん増
えますから、当然値打が下がります。こうしてドル下落傾向。(資料の一番下のグラフがそうで
す。円が上がっていく様子、為替取引だから短期的には上下しますが、長期的には間違いなく
円高。ドルがドンドン下がるのは確かです。)これがあるところまでいくと、ガクッと下がります。
 あるところまでいくと、「ドルは信用できない、下がる通貨は持っていたくない」となります。で
すからドルを受け取らない、ユーロか何か、別な、下落しない通貨でなければ受け取らないと
いうことが出てくる。そうなるとドルは暴落します──。榊原氏がそういっているのです。
 ヨーロッパはユーロでいくでしょう。アジア経済圏はなんといったって元です、中国の。中国は
賢いですから、元を押しつけないで、何かアジアの新しい通貨を作るかもしれません。しかし元
が中心になることは間違いないでしょう。ドルはアメリカでしか使われなくなる。そうすると、今ま
で全世界で使われていたドルが、みんなアメリカに集まって来るわけですから、アジア、ヨーロ
ッパで使われいていたドルがみな戻ってきて、簡単にいえばドルの値打が3分の1に下がること
になります。
 アメリカの生活は大きく収縮します。一家で3台自動車持っていた家は1台に。1台持っていた
家は止めなくればならなくなる、ということです。
 アメリカ経済の収縮。これは大変恐ろしい話なのです。世界経済が大きく収縮し、日本経済
は大きな打撃を受けます。しかし避けられない動きなのです。いつのことか分からないが、そう
遠くない将来にドルの信用がドンと落ちていく。結果として日本がアメリカにだけ頼っていたら、
大変なことになります。
 いまのうちに、アメリカに輸出してドルをもらったらユーロに代えておいた方がいい。ユーロの
方は下がらないからです。EUという所は、国家財政が赤字だと加盟できないことになっていま
す。赤字だと穴埋めにお札を出すので乱発ということになって下がるのです。だからユーロは
一応下がらない仕組みになっています。乱発できないようになっているのです。ドルは短期的
に持つのはかまわないが、3年、4年と長期的に持っていると下がってしまいます。それならユ
ーロにしておいた方がいいとか、これから生まれるかもしれないアジア通貨にしておいた方が
よいとかいうことになります。世界の大企業や国家が、決済のために多額のドルを持っていま
すが、これがユーロに切り替えられるとなると、ドルはもう世界通貨ではなくなります。
 そうなると、アメリカだけに依存している国は、大変苦しくなります。21世紀の日本を考えた
時、アメリカと仲良くするのは大切ですが、しかしアメリカ一辺倒では駄目な時代になっている
のです。アジアと仲良くしなければいけません。
 しかしアジアと仲良くするのには、無条件ではできません。なぜなら、60年前、アジアに戦争
を仕掛けて大変な迷惑をかけた。その後始末がちゃんとできていないのです。仲良くするする
ためには、60年前のマイナスを埋めるところから始めなければいけません。別に難しいことで
はないのです。「あの時はごめんなさい。2度とやりませんから、勘弁してください」。これで済む
わけです。
 問題は、「2度とやりません」が、信用してもらえるかどうかです。信用してもらうための最大の
決め手が「憲法第9条」です。憲法9条第1項、第2項がある限り、日本は2度と戦争はできませ
ん。イラクの状態を見ても、自衛隊は鉄砲一発撃てない。(世界中)みんなが見ています。この
憲法9条第1、第2項がある限り、日本は戦争はできません。だから安心して日本と付き合うの
です。
 もし日本が憲法9条を変えて、もう1回戦争やりますということになったら、アジアの国々は日
本を警戒して、日本との付き合いが薄くなってしまいます。いま既にそうなりつつあります。小泉
首相は靖国に何度も行く。自民党は憲法9条を変えることを決め、改憲構想まで発表した。ア
ジアの国々は用心します。「そういう国とは、あまり深入りしたくない」。
 小泉首相は「政冷、経熱」でいいじゃないか、といいます。政治は冷たくても経済では熱い関
係というのでしょうが、そんなことはできません。中国と日本の経済関係はじわっと縮小してい
ます。統計でもそれははっきり出ている。
 おととしまで中国の貿易のトップはアメリカでした。次が日本、3位はEU。これがひっくり返って
しまいました。去年はトップはEU、2位アメリカ、3位日本です。明らかに中国は日本との商売を
少しずつ縮小させている。その分EUに振り替えています。
 去年5月、ショッキングなことがありました。北京・上海新幹線という大計画をEUに取られまし
た。北京〜上海って何キロあるのでしょう。日本の本州より長いのではないでしょうか。このと
てつもない計画があって、去年、まだ予備調査の段階すが、日本は負けました。ドイツ、フラン
スの連合に取られました。予備調査で取られたということは、本工事は駄目ということです。中
国にすれば、日本にやらせるのが一番便利なのです。近いですし、新幹線技術も進んでいま
す。まだ1度も大事故を起こしたことがありません。ドイツもフランスも、1回ずつ大事故を起こし
たことがあります。技術からいっても資本からいっても、日本にやらせれば一番いいのに、日
本が負けました。明らかに政治的意図が働いたと思われます。日本との関係を深くしたくない。
いざという時、いつでも切れるようにしておく。いざというとき、切れないようでは困る。そういうこ
とではないでしょうか。
 いまのままアメリカ一辺倒でいいのでしょうか。私は長島さんをよく思い出します。後楽園での
引退試合の時、最後に「読売ジャイアンツは永久に不滅です」といったのです。永久に不滅ど
ころか、去年のジャイアンツのサマといったらもう、見ていられない。アメリカもそうなるのでは
ないでしょうか。小泉首相は「アメリカは永久に不滅です」と、いまもいっているのですが、そうで
はないのではないでしょうか。
 アメリカにさえ付いていれば、絶対大丈夫という時代は終わったのです。アメリカとも仲良くし
なければいけませんが、しかしアジアとも仲良くしなければいけない、そういう時代がいま来て
いるのです。仲良くするのには、憲法9条を守ることが大前提です。これを止めてしまったら、ア
ジアとは仲良くできません。
 憲法9条は、日本にとって“命綱”です。いままでは、憲法9条というと、「理想に過ぎない。現
実は9条で飯食えないよ」という人が多く、中には鼻で笑う人もいました。しかしいまは逆です。9
条でこそ食える。9条を変えたら、21世紀日本の経済は危ないのです。
 憲法9条を守ってこそ、この世紀の日本とアジアとの友好関係を守り、日本も安心して生きて
いけるのです。こういう世の中をつくる大前提が憲法9条です。憲法9条は美しいだけではなく、
現実に儲かるものでもあります。そのことがやっと分かってきました。
 奥田経団連会長は、去年までは小泉首相を応援して靖国参拝も賛成だったのですが、そん
なこといってたらトヨタは中国で売れなくなります。そこで今年の正月の挨拶でついに、「中国と
の関係を大事にしてほしい」と、向きが変わりました。
 財界が、中国と仲良くしなければ自分たちは商売ができない、となってくれば、日本の政治の
向きも変わるだろうと思います。あと3年たてば多分、これは日本の国民の常識になってきま
す。中国と仲良くしないと経済が駄目になる。それは中国のいいなりになることではないので
す。良くないことはきちんという。だけど敵にするのではなく、仲良くする。でなければ、日本の
経済は成り立たない。これがみんなの常識になってくるでしょう。
 これまで60年、アメリカベったりだったから、アメリカから離れたら生きていけないと皆思って
きました。しかし現実の数字はそうでなくなっています。一番大事な経済の相手は、もうアメリカ
ではなくアジアなのです。これに気づくのにあと2・3年かかるでしょう。これが世論になれば、も
う、憲法を変えるなどということは、絶対にできません。
 しかし、この3年の間に、国民の世論がそのように変わる前に、憲法が変えられてしまった
ら、どうにもなりません。
 あと3年、必死の思いでがんばって、子供たちに平和な日本を残してやるのが、私たちの務
めだと思います。そう思って、私も必死になってかけ回っています。あと3年ぐらいはまだ生きて
いけるだろうから、なんとしても3年間は9条を守るために全力をつくしたいと決心しています。
 ありがたいことに、9条を変えるには国民投票が必要です。国会で決めただけでは変えられ
ません。国民投票で過半数をとらないと、憲9条は変えられないのです。逆にいえば、これによ
ってこちらが憲法9条を守る署名を国民の過半数集めてしまえばいいことになります。住民の
過半数の「9条を守る」署名を3年間で集めてしまう。そうすればもう、変えることは不可能になり
ます。
 そうすれば、子供たちに憲法9条のある日本を残してやれます。2度とアジアと戦争する国に
ならないようにして、そしてもし長生きできれば、新自由主義という方向、つまりアメリカ言いな
りではなく、もっと自主的な経済ができるように、せめてヨーロッパのような修正資本主義、ル
ールのある資本主義の仕組みにもう一度戻すこともできるでしょう。
 日本中で、飢えている人、因っている人、貧しい人が、それでも人間らしく生きていけるよう
な、最低限の保障ができる、生きる希望が出る──。そういう社会にすることが大切なのだ、と
思います。これは長期的展望です。簡単にはできません。一度、新自由主義になってしまった
ので、10年位かかるでしょう。国民が賢くなって、正しい要求を政府につきつけていかなければ
いけません。その中心になる労働運動の再建が必要です。
 結局国民が主権者なんですから、国民の願いがかなうような、そういう日本に作り替えていき
たいなと、そういう道を進んでいきたいなと思います。
 鋸南町は合併を拒否なさったというので、日本でも有数な自覚的な町といえます。合併すると
まず住民自治がダメになります。大きくなるということは、住民自治が駄目になることでもありま
す。住民が主人公になる町こそ大切。ぜひこの美しい山と海と禄のある町で、1人1人が主人
公であるような地域共同体というものを、みんなが助け合える町になることを私も希望して、講
演を終わらせていただきます。

(この後、“強行される国民投票を巡る問題や状況”というようなことについて、短時間の質疑
応答がありました)


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8「靖国神社問題と日本人の宗教心」
  (図書館9条の会 第2回学習会)

  日時:2006年3月6日(月)
  於 :日本図書館協会2F研修室
  (テープから起こして下さった山木敦子さんに感謝します)


 1934年に生まれ、小学校6年で敗戦を迎えました。仙台は米軍の空襲で全滅、火の中を逃げ
て歩いた忘れられない記憶があります。町の真ん中の小学校に通っていましたが一晩で同級
生がたくさん焼け死にました。隣に住んでいた一番仲良しの三浦君を焼夷弾が直撃して失いま
した。私はもう70歳年寄りですが記憶に出てくる三浦君は小学校6年のままで、その後の三浦
君の65年の人生を一瞬にして奪った戦争とは、いったい何だったのか、だれの責任なのか、
あのような戦争は二度と繰り返してはならないと考えています。
 東北大学で宗教哲学を専攻し、大学院生のときに西ドイツ、マールブルグ大学に留学しまし
た。神戸から船に乗って東南アジアからインドの各港に寄港しながらスエズ運河を通り抜け、
地中海を渡ってイタリアのジェノヴァに上陸、煙を吐く列車でアルプスを越えてマールブルク大
学につきました。貨物船に乗りましたので貨物の積み下ろしのため途中の東南アジア、イン
ド、アラブ諸国の港に2〜3日ずつ停泊しました。あとで振り返って見ますとそのときに見たもの
が私の人生を変えるきっかけになったわけです。それまでは牧師の息子に生まれ、賛美歌を
子守唄に教会で育って、まったく政治、経済に無関心で、あの頃の言葉で言えばノンポリでし
た。なにしろ60年安保の最中にドイツに留学に行ったくらいですから。それが船で行ったおか
げでアジア、アラブ諸国の飢えと貧困の現実を直接に見ました。背筋が寒くなるような貧しさ、
捨てられた飢えた混血の孤児たち、骨と皮の子どもたちがいっぱいでした。あれを見て宗教と
いうものは自分の救いだけを考えていてはいけない、やっぱりみんなが人間らしく生きられる
世の中の仕組みにしなければいけないのではないか、そのために自分もできるなにか小さな
ことをしなければならないのではないかと考えるようになりました。そこで、帰ってきてから、遅
まきながら経済学の勉強をやりなおしました。大学院博士課程の途中で留学しましたので、戻
ってきて、ありがたいことに国立総合大学でしたから、同じ大学構内の中庭を隔てたところに
経済学部がありましたので、もぐりで経済原論から聴くことができました。それ以来45年経済学
と宗教哲学と二股かけて、それに実は宗教音楽も合わせると三っつですが、勉強してきまし
た。
 東北学院大でも昼間はキリスト教学科で宗教哲学を教えていたのですが、夕方になると核兵
器廃絶とかそういう運動をしていました。学外の方は経済学の人間だとほとんどの人は思って
おられるようです。飯の種は宗教哲学だったのですが。
 今日は久しぶりに宗教の話をしろということでいささか戸惑っておりますが、日本人の宗教観
などと言う大げさなことではなく具体的に、さきほどもお話のありました靖国神社の問題を手が
かりに日本人の宗教観のようなものを考えてみたいと思って伺いました。レジュメにしたがって
申し上げます。

1.小泉首相の「内心の自由」、「日本の首相が日本でどこに行こうが勝手」という論理。
 (1) 小泉さんという人はまことに傲慢ないい加減な人でありまして靖国神社のことも暴言を繰
り返しています。まずは心の問題、私にだって心の(内心の)自由はあると言っていますが、そ
れをいうなら目の前の東京都の中に日の丸・君が代を強制されて内心の自由を踏みにじられ
ている先生がたくさんいるのですから、その人たちの自由を守ってから言ってほしいです。自分
の内心の自由だけを主張するなんてこんな傲慢なことはありません。彼は権力者なのですか
ら。彼が一言言えば東京都はあんなことはできなくなるのです。内心の自由は国民全体の権
利であって小泉だけの権利ではないのです。自分だけが権利を持っているような思い上がった
発言です。私もキリスト教徒で、どちらかというと日本の中で肩身の狭い立場にいる一人として
思うのは、父が牧師をしていましたので、戦争中は学校に行くと「お前の親父はアメリカのスパ
イだろう」とか、教会の庭に大きな柿の木があったので、「夜中にあの木に登ってアメリカの飛
行機に懐中電灯で合図しているんだろう」そんなことまで言われたことがあります。キリスト教
徒は戦争中ほぼ全面的に政府に協力したのですが、それでも内心の自由を守るためにはど
れだけつらい思いをしたかを身にしみて覚えています。小泉のような権力者の場にいる人が内
心の自由を言うのには本当にあきれてしまいます。
 「内心の自由」というのは国家権力に対する個人の自由です。信仰の自由というのは、言い
換えれば国家権力に対する私という個の確立を言うものです。それは「何を信じようと自由」と
いうことではありません。信仰の自由が成立してきたヨーロッパの歴史を調べればすぐわかる
ことです。何を信じてもいいというのならばオウム真理教もいいわけですがそういうことではな
いのです。信教の自由は国家権力に屈服しない個が確立されているということです。国家権力
がなんといおうとも私の生き方は私が決めるということです。逆に言えば個が確立していなけ
れば信仰の自由はないということになります。日本では信仰の自由は何を信じても自由と言う
ようにしばしば誤解されています。小泉も何をしようと勝手だろうと誤解して言っています。そん
なことは絶対無い、日の丸・君が代で弾圧されている東京都の先生のほうが個を確立して権
力に対して個の内面の自由を守ろうとして戦っています。それを知らないふりをして自分の内
心の自由だけ主張するのは勝手だと思います。
 (2) 次の問題は、「私は平和を祈念している」としきりに言うことですね。靖国神社はそれに
ふさわしい場所ではないといってもそれは聞かない。靖国神社の目的は平和を祈る場所では
ないという事実をあえて無視しています。本当に平和を祈るならばそれにふさわしいところへ行
くべきです。いってみれば小泉さんのいう「靖国神社で平和を祈っている」は、暴力団に町内の
安全を頼むようなものです。暴力団に世の中の安全を守ってもらったら世の中だめになりま
す。靖国神社で平和を守ろうとしたらアジアはまた戦乱の中に陥ってしまう。靖国神社は戦争
を賛美している神社です。平和というなら、日本だけの平和を賛美している神社です。アジアを
支配する「八紘一宇」、子どもの頃、耳にたこができるほど聞かされた言葉ですが、それがあ
そこの精神です。アジアをひとつにして日本に従え、主人は俺だよという平和ですから、そこで
「平和を祈る」ことは「平和」に値しないのです。
 (3) それから「日本の首相がどこに行こうが外国が横から干渉する権利はない」と言ってい
ますが、これも矛盾しています。小泉首相が浅草の観音さまに行こうがどこかのお稲荷さんに
行こうがこれに対して中国は何もいう訳はありません。靖国神社だからいうのです。靖国神社
は韓国、中国、アジアを侵略したその兵隊さんを神様として賛美して祀っているのです。だから
韓国、中国は、靖国神社によって被害を受けた当事者として当然抗議をする権利、発言権が
あります。浅草の観音さんなら何もいいません。伊勢神宮もです。私なんかは政教分離の原則
からすれば、あっちこそ問題だと思いますから、大いに言ってほしいくらいですが中国は何も言
いません。内政干渉になるからです。ですが、靖国神社への参拝には中国は言う権利がある
のです。靖国神社こそ、ある人に言わせれば、あれはまさに「侵略神社」ですから、侵略された
アジアの人には発言権があります。こういう歴史的な事実に小泉さんは目をつぶり、抽象論に
すり替えている。一国の首相が外国からの内政干渉に答えることはないという抽象論で答えて
いるが、抽象論としてはそうであっても、現実は歴史の中に私たちは生きているわけでその歴
史を無視しては理屈が成り立たないと思うのです。

2.靖国神社設立の経過と本質的役割
 (1) 設立と目的
 1862年、京都で官軍の死者の霊を祭った招魂社が設立、1869年、東京招魂社が設立、以後
各地に招魂社が次々と設立、1879 年、靖国神社と改称(出典は春秋左史伝「吾以て国を靖ん
ずるなり」)、最後に「別格官幣社」となりました。官幣社は天皇に関係ある人を祭っているとこ
ろです。小社、中社、大社とあります。それと並んで別格官幣社というのは、天皇に類まれな忠
節を尽くした人間を神様として、天皇がお礼のために拝みに行く(天皇が臣下を拝む唯一の場
所)神社です。第1号は湊川神社、楠正成(家来)を天皇が拝みに行くところで、2番が北畠親
家、靖国神社は多分3番目か4番目に別格官幣社となりました。大事なことは、官幣神社は祭
神として固有名詞が必要なので、無名戦士の墓にはできないことです。楠木正成や北畠親家
だから天皇が拝みに行くのであって無名戦士の墓ではおかしいのです。
 嘉永癸丑(1853)以後、つまりペリー来航以後、戊辰戦争、西南戦争において明治政府樹立
のために死んだ者を祀り、天皇が弔祭を行いました。神社が一般には内務省の管轄であった
のに比して靖国神社だけは陸・海軍省の管理下に置かれました。そもそも軍隊の神社なんで
す。以後日清戦争、日露戦争、日中戦争と拡大した際の祭神の選定も陸・海軍が行いました。
敵の捕虜になった人は祭られません。天皇のために死んだ者のみ。固有名詞が必要ですから
陸海軍が名誉の戦死と認めた人だけの名簿(霊璽簿)が届けられて祀られ、それがご神体で
す。神社ですから穢れを忌みますので死体や骨は入れません。位牌もありません。霊の名簿
だけです。その霊を慰めるという趣旨です。境内に最近その存在が知られてきましたが遊就館
が設置されて、明治以後の日本の戦争史が聖戦として展示されています。明らかに国家のた
めに死ぬことを賞賛する軍国主義の精神的支柱でした。遊就館は、昔はたいしたことはなかっ
たのですが、2002年にリメークされ、軍国主義的な内容を強烈に打ち出したものに変わりまし
た。それまではそんなにイデオロギッシュなものではありませんでした。これには宮司が大きな
影響を与えています。宮司が変わって悪くなったのです。戦後しばらくは靖国神社も戦争の張
本人ということで慎んでいたのですが、宮司が変わったために一気に昔の靖国神社に戻ってし
まいました。A級戦犯も前の宮司は断っていたのですが、新しい宮司が受け入れるようになり
ました。1939年、各県の招魂社を護国神社と改名、宮城県にも青葉城という伊達政宗の城跡
の真ん中にあります。毎月一回、町の真ん中の小学校から駆け上ってお参りをさせられまし
た。父は牧師でしたから「あれは神様ではない」と苦い顔をしていました。しかし拝むなとはいい
ませんでした。そういう勇気はなかったんでしょうね。子ども心に神様ではないとは思っていまし
たが、みんなが拝むので私も頭は下げていました。
 こういうのが設立の経過ですから、たとえばどこかのお稲荷さんのように、自然発生的な民
衆の心の中に根を下ろした神社とは異なる、明治政府がある政治的な意図を持って作り出し
た政治的な神社なのです。浅草観音、伏見稲荷とはちがいます。靖国神社は日本では異例の
神社なのです。浅草観音とか、仙台なら塩釜神社とか竹駒神社とか有名な神社があります
が、私はクリスチャンですから拝みはしませんが敬意は表します。このような神社は日本の民
衆が長い間培ってきた心のよりどころですから馬鹿にはできません。しかし靖国神社は違いま
す。何の背景もない明治政府が勝手にでっち上げた国民を戦争に駆り立てるための政治的な
神社です。
 (2) 第二次大戦後の経過
 1945年、米軍が日本に乗り込んできて靖国神社があわてたのです。戦争によって数百万の
戦死者が出て、それを祀らなくてはいけないのですが、誰がどこで死んだのか一切わからな
い。それに陸軍も海軍も解体していて名簿が来ないのです。推定300万といわれていて、その
頃までに靖国神社が祭っていたのは100万くらい、残り200万くらいが不明なのです。他の国な
ら無名戦士の墓で一括合祀できるのですが、別格官幣社ですから固有名詞がない=氏名不
詳では合祀できないということで、政府は困ってしまって、いい加減なことをやるのです。
 1945年11月、靖国神社で慰霊の招魂祭を行い、「大東亜戦争」の未合祀全戦没者の一括招
魂・合祀を行います。一度だけですが、氏名がわからない者も含めて全戦死者を一括合祀と
いういい加減なことをやっています。名前の分からない者は祭神にはできないという原則を曲
げたのです。それに加えて、神社ですから一年以内の死霊は穢れているので本当は祀れない
のに、それをあえて一年以内の直近の死者も含めて祀ってしまいました。神社というのは神道
という日本固有の宗教なのに、靖国神社は自分の宗教の原則に忠実ではないのです。設立が
政治的ですから政治的な目的に必ず利用されてしまう、宗教としてはいい加減な神社なので
す。神道の神社として、やってはいけないことをしている政治的な神社なのです。
 1945年12月に占領軍の神道指令で国家神道は解体され、国営の靖国神社は民間宗教法人
となります。1946年2月、新しく「宗教法人令」を作り臨時に民間宗教法人となりました。1946年
4月に民間の宗教法人としての最初の合祀祭をやりました。しかし1946年秋の合祀祭は米軍
によって禁止されました。占領軍もやっと気がついたのですね。靖国神社がいかに危険なもの
かということに。戦後は、陸軍省は第1復員省、海軍省は第2復員省となっていました(陸軍も
海軍も解体していましたが、アジア各地に残っている兵の引き揚げをしなければいけませんの
で名前を変えて残っていました)。靖国神社は、そこから協力を得て名簿をもらい、米軍には黙
って、ひそかに一括招魂者の個別合祀を進めました。前の年に一括合祀をした戦死者を調べ
てもらい、わかった名前を順番に合祀しなおすということをやりました。建前は全員わかったこ
とになっていたが、実際はそんなことはありえないので、いまだに氏名不詳のまま祀られている
人もいると思われます。
 1951年9月、サンフランシスコ条約調印後、独立国となるや、10月には政府は、それまで貸し
ていた国有境内地を靖国・各県護国神社に譲渡することを承認しました。このようにして靖国
神社は膨大な土地を持つことになります。政府が靖国神社をどんなに心にかけ大事にしてい
たかがわかると思います。宮城県護国神社は伊達政宗の城の真ん中の土地を私有地として
持っています。1952年、宗教法人法ができ、東京都知事認証の単立宗教法人となりました。東
京都認証の宗教法人ですから各県の護国神社とは無関係になりました。これは大きな問題
で、それまでは各県の護国神社は靖国神社の管轄で下部組織のようなものだったのですが、
単立宗教法人となったので護国神社は靖国神社とは法的には無関係になりました。
 1952年、サンフランシスコ条約が発効しますと天皇・皇后が靖国神社に敗戦後始めて参拝し
ます。 昭和天皇ですから今の天皇と違いまして兵隊さんたちを殺した張本人ですが、それが
どのようにお参りしたのかわかりません。昭和天皇は妖怪ですから、ともかく人間業とは思えな
いことをしますから、この時も平然と行ったのだと思います。普通ならとても恥ずかしくていけな
いはずです。1959年、千鳥ヶ淵墓苑ができました。戦争が終わって五年も六年もも経っている
のに太平洋の島々に遺骨が散乱していました。遺骨集集団が行って遺骨を集めてきますが当
然誰のものかわからない骨もあります。靖国神社は無名の霊は入れないし、遺骨も受け入れ
ません。それで集めた遺骨のおき場所がなくてやむをえず千鳥が淵に慰霊墓苑を作りました。
国立の無宗教の施設です。天皇、皇后はここにも行きます。
 1969年にはじめて靖国神社法案(靖国神社を国営、国家護持にする法案)が出されましたが
国会で審議未了廃案になりました。以後、1970,71,72年と連続してだされましたがすべて廃案
になりました。73年ははじめて継続審議、74年には衆院で可決、参院で廃案。以後30数年出
てきたことはありません。70年前後にひとつの山場があったのです。靖国神社を国家護持した
いという強い運動があったのですが、国民の反対で廃案に追い込みました。これは国民の力
が勝ったいくつかの珍しい実例のひとつだと思います。で、いま小泉首相になってまた靖国神
社がクローズアップされているというのが大まかな戦後の経過だと思います。
 (3) A級戦犯合祀
 1952年サンフランシスコ条約発効後直ちに「遺族援護法」が制定されます(軍人恩給・遺族年
金の復活)。戦争に負けてマッカーサーがいろいろな命令を出しますが、その中に軍人恩給・
遺族年金制度を廃止せよという命令がありました。政府はびっくりしたのですね。国のために
死んだ人に年金を出さない、それでは遺族は路頭に迷いますというと、マッカーサー司令部か
ら路頭に迷うのは軍人の遺族だけではないだろう、労働災害で死んだ人の遺族も交通事故で
死んだ人の遺族も路頭に迷うだろう、すべての国民が路頭に迷うことがないように守るのが政
府の責任ですよ。すべての人を守るような社会保障法を作りなさい、軍人遺族だけを守るのは
軍国主義であるといわれたのです。これで、ぎゃふんとなったのですね。こうして敗戦後52年ま
では軍人恩給も遺族年金もありませんでした。家族は路頭に迷い、戦傷者たちが白衣を着て
空き缶を置いて募金を集めるという風景が見られたのです。遺族年金も軍人恩給も廃止して
おきながら、一方では、すべての国民を守る社会保障法も制定しないという、まことに無責任な
政府でした。
 サンフランシスコ条約が締結されて独立するや否や、政府は軍人恩給・遺族年金を復活させ
るわけです。復活させるに当たって当然同じ敗戦国のドイツに調査団を派遣しました。調査団
の報告は国会議事録に出ていますが、なぜ軍人だけ特別扱いするのか理解に苦しむといわ
れたと書いてあります。ドイツでは軍人の遺族だけを特別扱いしません。空襲で死んだ人も、
戦争で病気になって死んだ人もみんな同じに保護しています。政府が間違った戦争をやったの
だから、その戦争の犠牲になった人はみな平等に保障するという考えです。軍人だけ保護する
のは軍国主義ですと言われたのです。こういう報告書が出ているにもかかわらず政府は平然
と軍人恩給法、遺族年金法を復活させました。当然ここには階級性が含まれていて大将の年
金はうんと高い、二等兵の年金は安い。陸軍大将の恩給は最後の受給者は90年ごろ亡くなっ
たようですが、あの頃で、年間800万円円、悠々ともらっていたのです。日本国を破滅させた犯
罪者が国民の税金で戦後養ってもらっていたのです。二等兵は年間百数十万円でした。800万
円の年金というのは常識を外れています。逆だと思うのですね。陸軍大将は間違った戦争を
企画立案して、しかも自分は先頭に立たないで後ろのほうにいて突っ込めとか命令して、何の
罪もない国民を殺した責任者ですから、年金なんかやる必要はないのです。刑務所に入って
当然です。ところがそういう人には高い年金を払って、赤紙一枚で引っ張り出されてフィリピン
の山の中をさまよい、泥水飲んで草の根齧って飢え死にした人にはうんと安い年金しか払わな
い、これが日本政府のやっていることです。要するにお上のために役に立った人ほど高い年
金を払う、お上のために役に立たない人には少ししか年金を払わない。お上が間違ったかどう
かは関係ないのです。お上が間違っていたらお上のために役に立ったということは、うんと悪
いことをしたということで年金なんか払う必要はないのです。お上は間違わないという前提があ
るものですから、お上のために役立った人は高い年金をもらうのです。お上が間違えようが間
違えなかろうが関係ない。ですから一番ひどいのは治安維持法でつかまった人です。お上にた
てついた人ですから。宮本顕治という人は戦争に反対して12年間、網走にぶち込まれたんです
が、一文ももらってしません。本当は賠償しなければならないはずです、あっちのほうが正しか
ったんですから。実際ドイツはやっています。ドイツはヒトラーに反対して刑務所に入っていた
人たちに特別に手厚い賠償金を払っています。遺族にも。わざわざ法律まで作って、戦後ドイ
ツが国際的に名誉ある地位を占めているのはあなたたちのおかげであるとその法律には書い
てあります。
 さらに1953年には「恩給法」「遺族年金法」改正によって戦犯・刑死者も公務死と認め遺族年
金・軍人恩給をはらうようになりました。A級戦犯で絞首刑になった人も公務で死んだのだと認
めたのです。52年にできた軍人恩給法、遺族年金法では犯罪人である刑死者は認めていませ
ん。軍法会議で処刑された者は名誉の戦死ではありませんから恩給も遺族年金ももらえない
のです。すると、東条英機以下絞首刑になった人をどうするか。犯罪人ですが、しかし軍法会
議ではあっても敵がやった裁判ですから、何とかして助けてやりたいという気持ちが政府にあ
ったのですね。遺族に報いたいと。そこで公務死という後にも先にも聞いたことがない言葉を
作ります。公務で絞首刑になるというのはどういうことでしょうか。とにかく公務で死んだことにし
て一律軍人恩給も遺族年金を払う。ですから東条英機さんの遺族も多額の年金をずっともら
い続けている。そういうことになります。これは無罪だと認めたことになります。つまり有罪だか
ら年金はやらないはずだったのが、あの人たちは特別だから特別の理由をつけて年金はあげ
ましょう、となり、さらに年金をあげたら、年金をもらっているのだから有罪ではない、無罪の証
拠だというのですね。軍人恩給法、遺族援護法がA級戦犯合祀問題の根っこなのです。もう一
つの例外が沖縄の死者です。ひめゆり部隊で死んだ人たちは軍人でなくても全部靖国神社に
祭られています。そして遺族年金が出ているそうです。沖縄を見殺しにしたという多少は後ろめ
たい思いがあったのでしょうね。遺族年金法の改正があったときに沖縄の死者を戦死者に含
めてしまいました。これは文字通り日本軍によって死に追いやられたのですが、靖国神社に祭
られ遺族年金をもらっています。但し民間人で二等兵兵よりもっと低い身分ですからほんのわ
ずかの額が今でも払われているはずです。これは沖縄では大問題になっています。沖縄の死
者が靖国に祀られていいのか、日本兵に殺されてあそこに祀られて年金もらっていいのかと。
大変重大な問題なので現在も決着はつきません。
 とにかく軍人恩給、遺族年金は調べていくと不可解なことばかり、いかに戦後の日本政府は
戦争に対する反省をしていなかったか。間違ったと思っていないのです。負けたからしょうがな
いというだけで悪かったと思っていませんから、軍人には何とかして報いてやりたいと思ってい
る、戦争に反対した人への賠償なんてとんでもないと思っているのです。宮本顕治氏なんか
は、やがて国会議員になって国会に行きますけど、登院した最初の日から他党の議員から「宮
本君は前科一犯であるから国会議員の資格がないのではないか」という国会質問が出てくる
のです。前科一犯というなら国家のほうが前科一犯です。宮本顕治のほうが正しかったので
す。それが事実です。ドイツでは逆に戦後の政治家は全員前科一犯です。戦争中、ヒトラーに
反対して刑務所にいなかった人は戦後は政治家になれませんでした。ヒトラーの協力者だった
わけですから。日本とどんなに戦後処理の姿勢が違うかわかります。そのことについて若い人
たちが何も知らされずに日本は平和国家になったと思っています。日本の平和国家は掛け声
だけで、今でも国家中心主義なのです。政治家にも多数の戦犯がいます。岸信介さんも、東条
内閣の大臣だった人です。戦争中に大臣だった人がみんな戦後も大臣なのですね。日本が平
和国家になったなどと思って生活している若い人がいたらそれは本当におめでたい認識です。
一皮剥いたら日本は戦争中と変わらない、少しもというといいすぎですが基本的なところでは
変わっていない。ドイツとは違うのです。ドイツは無理やりですが変わらされた、戦争中と同じ
考え方をしていては生きていけなかった、周りの国が許さなかった。だから戦争中の考えに賛
成していた人は戦後、指導者になれない。戦争を否定する人だけが戦後の指導者になれたの
です。日本はずるずると戦争中の指導者がそのまま戦後の指導者となった。看板だけ平和国
家になった。今、チャンス到来とばかりに看板を塗り替えよう、服を脱ぎ変えようとしている、と
いうところに来ている、そういうことだと思います。
 結局、復員省が、あとで厚生省になりますが戦死者名簿を作成して靖国神社に提供していた
のです。戦後も提供しています。誰さんがどこで死んだということがわかれば、その名簿を靖国
神社に送るということを戦後もやっているのです。その中に戦犯刑死者も公務死として含まれ
ることになりました。59年4月に346人、10月に479人、66年10月に114人、計939人のBC級戦
犯を合祀、66年には厚生省からA級戦犯祭神名簿が靖国神社に送付されています。本当は厚
生省が神様を選ぶというのはおかしなもので政教分離の原則に反しているのですが、戦死者
の名前は靖国神社にはわかりませんので、政府の旧陸軍・海軍省の事務組織を引き継いだ
厚生省にしかわからないのです。で、66年にA級戦犯祭神名簿を靖国神社に送付、78年靖国
神社合祀されました。はじめは送りつけられても靖国神社が握りつぶしていました。この時の
宮司は筑波藤麿さんという山階宮家出身の元皇族で、この人は靖国神社が戦争神社であった
ことに忸怩たる思いを抱いていて、少しでも平和的な神社にしようといろいろと心を砕いていた
ようです。ですから遊就館も今のとは違ってもっと地味な内容だったし、A級戦犯も送られてき
てはいたのですがこの人が握りつぶしていたのだそうです。78年に松平宮司に代わります。松
平宮司という人はお父さんが海軍中将かなんかで戦争中インドかどこかで戦死した有名な軍
人だそうです。本人も現役の海軍少佐(戦後は海上自衛隊の高級軍人)でした。靖国神社の
宮司を誰が選ぶのかを私はちょっと調べてこなかったのですが、ご存知の方はあとで教えてく
ださい。この人が宮司になったのですね。この人は確信犯です。この人がA級戦犯は入れる、
遊就館は新しく衣替えする、一気に侵略神社としての本来の姿に戻ることになります。その後
2004年からは南部利明という人が宮司です。この人も確信犯です。理屈は「戦犯刑死者家族
が援護の対象となったことから、すべての戦犯刑死者はその時点を以って法的に復権され
た。これを受けて靖国神社は当然合祀する責務を負う」というわけです。しかし、1971年戦傷者
戦没者遺族等援護法が改正されて、敵前逃亡者、自殺者など軍法会議によって刑死した者の
遺族も援護の対象となったのに、靖国神社は合祀を拒否しています。A級戦犯で絞首刑になっ
た者と刑死者を含むならば当然このような人も含むべきですがこれは拒否しています。これが
A級戦犯合祀の事情です。ですから、最近になって、A級戦犯を祭神からはずせと要求する政
治家がいますが、政府がA級戦犯の名簿を靖国神社に送付したのであって、靖国神社が勝手
に祀ったのではないのですから、今更こんな言い分は成り立ちません。A級戦犯合祀は政府に
責任があるのです。
 (4) 首相の公式参拝についての司法判断
 首相の公式参拝を合憲とした判決は一度もありません。違憲判決は何度も出ています。一
番新しいのは昨年の大阪訴訟で、公式参拝という抽象論ではなく小泉という名前をあげて具体
的に違憲という判決を出しました。高裁の判決ですからで重いものです。ところが政府は最高
裁でないからと知らんふりをしています。おかしいと思うのですよね。三権分立で政治家は裁判
所の判決を尊重する義務があるはずなのに、小泉はあの判決は理解できないとしています。
理解できないということは自分の頭が悪いというだけの話であって、守らなくていいということで
はないのです。試験のときに先生の話はわからないから俺は書かないなど生徒がそんなこと
を言ったらたちまち零点ですけれども、あの人は、理解できないから受け付けないといってま
す。あんなことでよく通るものだと思いますが、高裁の判決を理解できない、の一言で片付けて
しまいました。その前にも岩手靖国訴訟の仙台高裁判決(1991)は「公式参拝違憲」判決でした
が、国は上告せずに確定しています。最高裁の判例ではありませんが確定しているのです。小
泉さんは私服で行ったから公式参拝でないなどとごねているのですが、それに対して大阪高裁
がそれでも違憲だという判決を出したのですね。ですから司法判断は違憲であることは、ほぼ
確定しているといってよいと思います。
 さらに1997年には最高裁が靖国神社への玉串料公費支出を違憲と判断。愛媛玉串訴訟
(1982)は最高裁で損害賠償と違憲判断が確定(1997)しています。首相の参拝は法治国家の
原則違反です。一般の人々には信仰の自由は憲法によって保障されていますから、靖国神社
に参拝することはその人の自由です。しかし首相が参拝することは、政教分離原則に違反しま
すし、さらには戦争賛美の神社を承認・奨励することになりますから、侵略戦争に対する反省
を根本前提とする現在の日本社会の前提を破棄することになり、アジア諸国の不信感を招い
て日本の国際的信頼を傷つけることになります。

3.日本人の宗教観の根本的な問題
 (1) 「お国のために死んだのだから国が祀るのは当たり前」という論理。
 「お国」と政府は違うのです。お国はわれわれが生きている山や川、この四季のある美しい
自然の中ではぐくまれてきた日本人の社会、それがお国です。お国言葉というのはまさしくそ
のままですね。だから、国を愛するのは当たり前のことですが、お国は戦争なんかしません。
政府が戦争をするのです。内閣の閣議決定によって戦争は行われる。「政府」がやったことを
「お国」がやったことといってだましているのです。政府がやったのだとはっきりすればいいので
す。政府はしょっちゅう間違います。これはだれだって分かります。今だって間違います。間違
ったときには、従わないほうが正しいのです。戦争に反対するのは当然の権利です。特にアジ
ア太平洋戦争では政府の戦争指導は間違いだらけでした。誰が考えても日本の国力であの広
い中国に戦争を仕掛けて泥沼になったらあとはお終いというのは常識です。そこへ攻めていっ
たという判断が間違いです。ましてやあのアメリカに戦争を仕掛けるのは頭がどうかしているの
です。国力からいって日本の何百倍ある、情報量も生産高も日本の何百倍もある、日本では
敵の空襲の目標になるから灯火管制をやれ、窓に毛布張って、電球に墨を塗って下だけ明か
りが来るようにして部屋の中を真っ暗にして明かりが漏れたら敵に見つかる、というんですが、
敵はレーダーで査察をしているので、電気がつこうがつくまいが関係ないのです。まるで科学
力が違っていました。原爆が落ちたときに日本陸軍は今度の新型爆弾は皮膚に影響があるの
だから新型爆弾の光を浴びたら石鹸でよく洗うことなどという、よくわからないことを言ってまし
た。まったく非科学的な話でした。客観的に考えたらアメリカと戦争して勝てるわけはないので
す。それなのに無茶な戦争を始めたその責任は誰も取らない。
 だいたい日本の軍隊は補給を考えていませんでした。藤原彰さんの「餓死した英霊たち」とい
う本が出ていますが、確かにそのとおりで、アジアで死んだ日本兵300万人のうち、60パーセン
トは餓死だったと書いてあります。ガダルカナルに3万人の兵を送りました。当然、3万人分の
食糧を毎日送らなければいけない。輸送路を確保しなければいけないのです。ところが日本に
は制空権も制海権もありません。送った兵の食料は現地調達ということになります。ガダルカ
ナルにはほんのちょっとしか住民はいませんから、3万人を養うものはどこにもありません。結
局山に登って木の皮をはいで食ったり草の根掘って食ったりするしかないのです。ほとんど餓
死です。ガ島のガは餓死のガといわれました。現地調達、これが諸悪の根源なのです。すべて
の軍隊が現地調達主義でした。現地調達というのは住民を略奪することです。だから日本軍
は恨まれたのです。アメリカやドイツは近代国家ですから軍隊を出すときには補給を考えま
す。今だってイラクにいる米軍は毎日暖かいご飯を食っています。大きなテントの食堂があっ
て、軍隊を送るときには必ずコックを何百人も送って厨房があってそこでちゃんと料理して食わ
せています。そこで食べる食料は毎日空輸しています。一番大変なのは水です。イラクでは上
水道を破壊してしまいましたから水がありません。イラクの人はユーフラテスの川の水で何とか
なるのです。先祖代々飲んでいますから。アメリカ兵はそんなのを飲んだらおなかこわしてしま
います。毎日飲料水2リットルをボトル2本ずつ配給されて、それを飲んでいるそうです。そのた
めに毎日30何万本のボトルを陸路でクエートからトラックではこんでいます。この大切な補給を
しないで、軍隊だけ送って、あとは何とかしろというのですから、半年で餓死してしまいます。日
本には補給という伝統がないので、後方支援だから戦争でないなどと馬鹿なことをいまだに言
っていっているのです。後方支援がなかったら戦争ができないことは分かり切ったことです。後
方支援こそ戦争の基本で、補給を絶ったら前線の兵隊さんはたちまち餓死です。藤原さんは
一橋大学の日本史の教授でしたが、自分自身も中国派遣軍の中隊長でしたから現地の事情
を良く知っていて、自分の部隊も飢えた経験があると記しています。結局現地の村を襲撃して
略奪するよりないのですね。ですから日本軍はうらまれたわけです。そんな補給もせずに送る
間違った戦争、それであの辻政信なんて言う馬鹿な人が作戦の天才などとおだてられてガダ
ルカナルに日本軍を派遣したのです。ニューギニアの日本軍司令官はまだ良識があったので
3万の兵隊を送ったら補給ができないといって保留していました。そこへ辻政信が東京から飛
行機で乗り込んできて「なんで兵を送らない?」「いや補給ができない」「補給もヘチマもある
か。畏くも天皇陛下の命令であるぞ」、この一言で出兵命令は発せられたのです。辻政信がい
なければガダルカナルで飢え死しなくてすんだのです。天皇陛下の命令というひと言で現地指
揮官は黙った。この辺の事情もその藤原さんの本に詳しく書いてあります。ですから、そんない
い加減な戦争をやった指導者、政府が間違っているのです。政府の間違いを「お国」のために
死んだのだとごまかすくらいずるいことはありません。国民は責任を取る必要はない。政府が
悪いのですから。政府が間違って300万人も死なせてしまったのです。その責任は政府が本当
は取らなければいけないのですが、お国のために死んだのだからと靖国神社に祀り、殺した
張本人が拝んであげるから成仏しろと言うのは理解しがたいのです。それが日本の戦争の仕
組みです。お国が戦争をしたことにして政府の責任を隠してしまったのです。
 (2) 靖国神社は官軍しか祭っていない、日本宗教の伝統から見れば異例の神社。
 死んだら区別せずに敵味方ともに祭るのが日本の伝統です。小泉さんもそう言っています。
A級戦犯でもしねば区別しないのだ、と言うのです。たしかに死ねばみんな仏になるというとい
うのが日本社会の通念でした。日本では特に怨霊信仰のために、恨みを呑んで死んだ敗者の
霊は、より丁重に弔うのが伝統だったのです。仙台には蒙古塚がありますが、昔、蒙古が元寇
の乱で攻めてきたときの蒙古軍の死者を塚を立てて弔ってあります。安国寺利生塔という大変
有名な足利尊氏の祭った敵味方供養碑をはじめ、全国いたるところに敵味方碑が立っていま
す。敵も味方も祀るのです。朝鮮役の敵方の死者もあの高野山弔魂碑(敵味方兵皆仏道に入
らしむという有名な言葉が書いてある)に祀りました。これが日本の伝統です。
 ところが靖国神社だけは違います。靖国神社は日本の歴史で初めて味方だけ祀りました。な
ぜそんなことをやったかというと天皇制が確立していなかったからです。明治維新のとき、天皇
なんて知っているのは関西の人だけでした。関西は天皇が住み着いていましたから天皇家と
いうものが日本の支配者として昔からあったということは知っていましたが、東北の農民は天
皇なんて聞いたこともなかった、いることも知らなかったのです。ですから明治維新のあと、政
府が一生懸命やったことは天皇行幸でした。第二次大戦後の天皇の日本行幸はあれを真似
たのですね。日本中歩き回って、畏くもわが国には天皇という方がおられて、ということから教
えなければならなかったのです。靖国神社は、天皇のために死ぬということがどんなに立派な
ことか、それを教えるためにできた神社なのです。天皇に逆らった人は祀りませんよ。天皇の
ために死んだ人だけが丁重に祀られるのですよ。そういうことの見せしめとして作った神社で
す。ですから官軍しか祀っていない。近藤勇も土方歳三も新撰組は賊軍ですから不可。会津
藩や伊達藩の死者も賊軍として祭祀の対象とされない。伊達藩のほうがずっと人間的で、伊達
家歴代の墓所、瑞宝殿の中に、仙台に攻めてきた薩摩軍の墓があり、ちゃんと供養していま
す。ところが相手のほうは敵方の死者は一切供養しない。会津のときはひどかったのです。最
後まで戦ったものですから。会津は町の真ん中にお城がありそこに閉じこもって官軍に包囲さ
れました。門を開けて毎日決死隊、抜刀隊が敵の中へ突っ込むのですね。お城の上から町の
中が全部見えるのです。塔の上から家族が見ている中、そのお父さんやお兄さんが敵兵と戦
って負けて切り殺されて、生き残ったのが逃げてきて門を閉めてまた閉じこもるのです。そのあ
と薩長軍は薩長軍の死者だけさっと収容しまたが、会津の死者は放置しました。天皇に逆らっ
て死ぬようなやつは犬畜生と同じということで、死体を収容することも禁止したのです。ですか
らそのまま野良犬に食われてひどいことになりました。家族はお城の中から自分の夫や、兄弟
が野良犬に食われて荒らされるのを見ていなければなりませんでした。毎日毎日それを繰り返
してついに降伏しました。降伏したことによって死体の収容は許可したのですが、葬儀もお墓も
禁止しました。ですから、会津藩の侍は明治10年までお葬式もお墓もできませんでした。白虎
隊は今でこそ観光名所ですけど、もちろんお葬式もお墓も認められませんでした。白虎隊は町
の中ではなく町外れの山の上ですから死体の収容も禁止しました。白虎隊の遺体は腐敗した
まま散乱して野良犬に食われてばらばらになりました。そのために人数が何人だかわからなく
なったのです。逃亡者がいたのですがそれは極秘事項で全員死んだことになっていました。死
んだ人が何人かわからないくらい散乱していたのです。靖国神社がどんなに非人間的な神社
か、天皇に逆らって死んだ人は祭らないという、日本的伝統から離れた神社かということがわ
かります。
 (3) 国家中心主義
 靖国神社には、戦前戦後ずうっと続く国家中心主義のの思想、つまり、お国(政府)のために
役に立つ人だけがえらい、お国(政府)のために役に立たない人は生きている意味がないという
考えを日本人に教え込むという役割があったのです。これはヒトラーと同じ論理です。障害者
はお国のために役に立ちませんから全部ガス室に送ってしまえとこういうことになります。精神
病患者も役に立たないから全部殺してしまえというヒトラーと基本的には同じです。これはお恐
ろしい考え方です。障害者であろうとなんであろうと、すべての人間には生きる権利があるとい
う民主主義の根本理念とまったく正面から相反する考えです。人間は役に立つ、立たないは関
係なく、人間である限り幸せに生きる権利があるということが、民主主義の根本にある考え方
です。私たちも戦争中はそうでした、愛国少年隊で毎日校庭にわら人形を並べて竹やりでエイ
っと突き刺す練習をさせられていました。とにかくお国のために役立つのが一番大事なことだと
教え込まれてきたのです。ですからお国に逆らって治安維持法で逮捕された人なんかはこれ
は生きている意味がないんですね。損害賠償なんてとんでもない話で、前科一犯、戦後になっ
ても謝罪も賠償もないのです。
  さすがに忸怩たるものがありまして1965年、靖国神社の筑波藤麻呂宮司は、天皇のための
戦死だけでなくすべての戦死者のための慰霊をする神社に変えたいと考えたらしいのですが、
遺族会の前ではできなかった。それでひそかに全戦死者の慰霊の神社 「鎮霊社」を靖国神
社境内の隅につくりました。私もこれだけは行ってみましたけれど隅の方に鎮霊社という小さな
社殿が立っていて、そこにひっそりと「すべての戦死者」を祀ると書いてありました。本殿とは関
係ありません。本殿には天皇陛下のために死んだ人だけが堂々と祭ってある。ここのところが
靖国神社の国家中心主義です。国家に逆らう個人の存在を認めないのです。個人は国家に
逆らう権利も力もあることを認めない、国家が何よりも大事なものだという考え方は、明治以
後、日本人の心の中に強く入り込んでいます。役に立とうが立つまいが人間には人間として幸
せに生きる権利があるのだということが確立してないのです。靖国神社は、このような国家中
心主義思想のシンボルなのです。
  (4) 個の自立と民主主義
 アメリカ独立宣言にはこのように記されています。
「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に作られ、造物主によって、一定の奪い
がたい天賦の権利を付与され、その中に生命、自由及び幸福の追求の含まれることを信ず
る。またこれらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正
当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形態と
いえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し、かれらの
安全と幸福をもたらすべしと認められる主義を基礎とし、また権限の機構を持つ、新たな政府
を組織する権利を有することを信ずる。」 法律の文章ですから、大変持って回った言い方で
すが、要するに人間は生まれながらに幸せに生きる権利を授かっている。キリスト教の国です
から神様から授かっているといったのですが明治の自由民権運動の指導者たちは神からとい
えないものですから、天から授かった権利、天賦人権といいました。この権利を実現するため
にみんなでお金を出し合って政府というものを作っている、だから政府がその権利を守ってくれ
 ないときはその政府を倒す権利が人民にはある。これがアメリカ独立宣言に明言されている
内容です。これこそ民主主義です。「民」が「主」である。政府や国が主ではなく「民」が自分の
生活を守るために政府を作ったのです。民にはかけがえのない値打ちがあるのです。そのか
けがえのない値打ちを守るために税金を出し合って政府を作ったのですから、政府がそれを
守ってくれないときは、当然、それを取り替える権利があります。もちろん選挙で取り替えれば
よいのです。但し相手が選挙で負けたのに開き直ったときには暴力で倒すほかありません。こ
れがアメリカ独立宣言で認めていることですね。これが民主主義です。しかしアメリカでもこの
民主主義は怪しくなっています。もう独立宣言を読んだことのないアメリカ人が80パーセントと
いう統計が出ています。ためしにこの宣言を印刷して、こういう声明書を出したいのでと賛同署
名を集めた人がいました。そうしたら80パーセント近くの人がこれは危険思想だといって断った
というのです。政府を倒す権利があるなんていうのは左翼思想だといって、自分たちの独立宣
言だということに気がつかなかったのです。アメリカでも民主主義がどんなにだめになっている
かということなのですが、それでもこの独立宣言がある限り、アメリカにはまだ反発力がありま
す。こういうものをたてにしてがんばることができる。すくなくとも最高裁判所に持ち込めば勝て
るのです。これをたてに戦えば勝てるのです。その点はアメリカの民主主義は我々に比べれば
まだ骨がある(牛肉にも骨がありますけれど)ということだと思います。我々にはこれが無いの
です。憲法で民主主義は決まったのですが、前書きはいい前書きですが今ひとつはっきりして
いない。我々が主人公で我々が政府を作っているのだから、政府が我々に逆らうときは政府
を倒す権利があるというところに意義があるのです。これが民主主義というものです。そこのと
ころが日本では確立していない、お上がやっていることは正しい、お上は間違わないということ
が前提にあるものですから、なかなか民主主義社会では個は国家に抵抗する権利を持つとい
う理解が根を下ろさないのです。本当は個の自立ということが民主主義の一番大切なところだ
と思います。
 ヨーロッパ、アメリカでは背景にキリスト教があったことがずいぶん影響を与えていると思いま
す。もちろんキリスト教が全部ではありません。資本主義が生まれてきたから個人が自立でき
るようになるのですが。しかし、キリスト教が人間は一人一人、神様がお作りになったものだか
ら、生きていることは意味があることなのだという考えを植えつけたことは間違いないと思いま
す。中世ヨーロッパでも国家の権力に対して教会というものが独立した権力を持っていました。
国家がすべてではなかったわけです。キリスト教は悪いことも山ほど行いましたが、個の自立
という点については、良い影響を与えたのではないかと思います。
 (5) 日本的共同体主義
 日本は宗教が複雑で、民間宗教なのか仏教なのか神道なのか良くわからないところもありま
す。おおよその傾向として、日本人はものの考え方の中に個より全体を大切にするという傾向
があります。みんなで仲良くすることのほうが大事なのです。波風が立つとか角が立つとかを
嫌い、みんなと調和していくことがいいことだとされています。和を以って尊しとなす、ですね。
そのような考え方は確かに日本の中にあるだろうと思います。そういうものがどうして生まれて
きたのか、難しい問題ですが、日本の自然や風土が様々に影響しているだろうと思います。ま
た江戸時代300年の封建制も大きな影響を与えたに違いありまぜん。それが明治以後悪用さ
れて国家のほうが個人より大事なのだとなりました。共同体の中で調和しながら生きていくこと
は大変大事なことで決して悪いことではないのです。ただそれが個を否定するようになっては
いけない、個の確立と共同体がどのように調和できるかが一番大きな問題なのです。明治以
後はとにかくこれが悪用されて国家中心主義になり、政府がやっていることをお国とすり替えて
しまう。だから政府のやることには黙って従え、政府のやることに逆らうのは非国民ということ
にされました。これは政府に逆らったのであって、お国に逆らったのではないのですが、政府を
お国におき替えていますのでお国に逆らったことになってしまう。非国民にされてしまう、そうい
うことで明治以後の日本人の共同体主義的なものの考え方が政府によって悪用されてきたの
ではないかと思います。
 ヨーロッパもアメリカも日本も同じ高度に発達した資本主義国家なのですが、その中で生きて
いる人間の生き方はかなり違うところがあります。経済構造、土台がすべてを決定するわけで
はないのです。これはスターリンの間違いで、やっぱり上部構造といわれる宗教、イデオロギ
ーが社会のあり方に大きな影響を与えています。同じ資本主義なのですが、その資本主義が
キリスト教という伝統を背負った地域で生まれてくると、資本主義中の個人の平等が強調され
てきます。日本だと同じ資本主義でも個人の平等ということが抑えられることになります。資本
主義が会社主義になってしまう、会社の利益中心というほうへ持っていかれてしまう。初対面
の時に必ず名刺を出して三菱の何とかですとか、三井の某とかですとか、住友の何とかですと
か、社長でもない人が何で会社の名前を出すのか、まるで住友を背負っているようにいうので
す。肩書きのない名詞はほとんどないですね。日本ではどこに所属しているかが問題で、個人
ではないのです。九条の会の呼びかけ人といわれても肩書きがない。肩書きなんかいらないと
言っても日本では肩書きが大事なのですね。そういう社会なのです。どこに属しているかで値
打ちが決まってくる。町工場の工員ですと値打ちがないのですね、三菱重工の社員だとある。
そういう考え方が私たちの中に根付いていて、そういうものが資本主義というものを会社主義
にしてしまったのだと思います。同じ高度に発達した資本主義社会でも、その社会が伝統とし
て持っている宗教とかイデオロギーが資本主義社会の質を変える働きをしているということだと
思います。そういう意味で今、憲法改悪とか教育基本法改悪とかすべて焦点はこの国家中心
主義で、愛国心とか、一人一人の人間は国家があるから生きていけるのですよ、だからお国
のために、国家の利益のために生きてくださいということになります。国家というより本当は政
府なのであって、政府の利益のためになるよう生きさせようとしているのです。それをお国のた
めといって言葉をすり替えてしまう。お国のためといわれたときに、だまされ安い土壌があると
いうことです。そのとき一人一人が個を確立していくのはどうすればできるのかが日本の社会
の課題だと思います。西欧社会も魔女裁判とか植民地主義とか多くの犯罪的な間違いを犯し
てきました。しかし、個の自立を基本とした民主主義という点では、日本はまだ学ぶべきものが
あると思っています。
 私はそのカギは歴史認識だと思うのです。日本の近代史を本当に勉強して日本が侵略戦争
という間違った戦争の中でアジアにどれだけ迷惑をかけたか、そのことを「私」の責任として自
覚するということが、日本において個が自立する一番の近道ではないか。ですから政府が謝ら
ないとしても、私は韓国の友達に会ったら日本は間違っていたと思う、二度とやらないよう私も
できるだけのことはするから、仲良くしてくれという。中国の友達にあったら日本の歴史は中国
に対して犯罪を犯したと思う、だから私は二度とそういうことがおきないように努力するつもりで
すという、そこからアジアとの友好が生まれてゆくのです。日本で本当に個が自立できるとした
ら、西洋ではキリスト教というのが大きな支えになったのですが、日本ではそれは考えられませ
ん。けれども日本人が歴史に対する自覚を持つことができたら個は自立できるでしょう。私は
あの時生きていなかったのだ、だから私の責任ではないという理屈も成り立ちます。おじいさん
がやったことで私は知りませんといえば言えるのですが、しかし、よく考えてみればそれは間違
いで、今私が生きているのはやっぱりこの日本の歴史を背負って生きているのです。歴史とい
うのは自分のやらなかったことに責任を負わされるもので、それがいやなら日本人をやめるほ
かないのです。実際我々は先輩がいっぱい努力してササニシキとかひとめぼれなどのお米を
作ってくれたおかげで今うまいご飯を食べているし、先輩がいろいろ苦心してマグロ延縄漁な
んて漁法を考え付いてくれたおかげでおいしいマグロの刺身を食っているのです。ですから私
が今生きているということは歴史の結果を享受していることです。だとしたら先輩がやった良い
ことだけ引き継ぐのではなく、先輩のやった悪いことも引き継ぐべきです。自分が歴史の中で
生きていることはそういう過去の悪い点も良い点も遺産として引き受け、自分がそれをどうやっ
て総括していくか、ここはいい点だから感謝して受け継ぐ、ここは間違ったところだから批判し
てそれを乗り越えようとする、それが一人一人の歴史的責任です。それが今問われています。
今アジアとの和解の中で、歴史的責任を負う人間として、そのことをできたら日本ではじめて個
の確立、個の自立した生き方が成立するのではないでしょうか。近代日本史という全体に対し
て対峙する「私」が確立していく、日本の一員ではなく「個」として近代史全体を総括して、そこで
はじめて個の自立ができるのではないかと思います。そのとき日本の宗教も新しい意識の違っ
た物に生まれ変わっていくのかなと思います。日本の伝統的宗教の中では天理教だけがそう
いうことをやってきたと思います。戦争中天皇制に屈服しておかしくなりましたけど、元来天理
教は教祖以来そういう宗教だったと思います。ですから日本にそういう宗教が全然なかったわ
けではないので、キリスト教でなければならないとかそういうことは考えていません。ヨーロッパ
やアメリカではキリスト教がそういう個の確立を助けというだけで、日本では別な形になっていく
だろう、それは歴史的責任ということに焦点があるのかなと思っています。あまり宗教の話にな
りませんでしたがこれで終わらせていただいて、皆さんのお考えや質問を伺わせてください。 

参考文献 :村上 重良 「慰霊と鎮魂―靖国の思想」岩波新書 904、1974
      大江 志乃夫「靖国神社」岩波新書 259,1984
      田中 伸尚 「靖国の戦後史」岩波新書733,2002
      赤沢 史朗 「靖国神社」岩波書店2005
      高橋 哲哉 「靖国問題」ちくま新書2005
      複数    「靖国問題入門」 河出書房新社2006

質疑応答
A  @軍人恩給 国際的には軍事費になっているのではないか どうか
   Aたとえば私が誰かを祭りたいと神社をつくれるのか 宗教法人ならよいのか
   靖国への厚生省からの名簿提供の妥当性 合祀反対訴訟の例などからそもそも「祭  
   る」とは
川端 祭るのは自由。宗教法人にならなければなんでもOK 宗教法人になるにはちょっ   
   と面倒な手続きが必要で毎年報告義務。そのかわり免税となる。
   ただし遺族から文句言われたらだめ。遺族に迷惑をかける。靖国のみが例外。
A  靖国のみが例外である理由は?
川端 「歴史」であろう。国家が祀ったのだからということで通している。
   軍人恩給費は世界的には軍事費となっているが日本は違う。厚生省費。
   小泉の靖国公式参拝は遺族会向けの政治公約。
B  講演タイトル「日本人の宗教観」から自分なりに想像してみたのは日本人の大半は    
   仏教と神道が矛盾なく共存している。仏教はイスラム・キリスト教と違い平和共存、
   神道は古来「八百万の神」。これらから日本人の宗教心が9条に結びついている、
   といった話を想像したがいかがか?
川端 日本人は争いを好まない。和をもってとおとしとする傾向はある。しかしこれを宗
   教と言えるのか?元来は日本の宗教は神仏混淆であって明治以降政府が無理やり
   神仏分離を行った。それ以後は人工的宗教。もともと純粋に仏教だったことも神道だ
   ったこともないのでは。本来の仏教はもっと深く厳しいもの。日本の宗教はは農耕民
   族の共同体と風土が作り出した慣習的宗教のようなもの。
   また江戸時代300年続いた社会、戦争のない300年(世界的にまれな)が大きく影響
   しているのではないか。現状、つまり世の中は変わらない、という考えが定着した。
   そうであるなら争わない。しかし争いを好まないことは、反面では正義を追求しない、
   正しいことのために異を唱えることをしない事でもある。権力からは利用しやすい心情。
   いちがいに日本人は平和愛好国民であって、そこから9条に結びつくとは言えない。
   一人一人はたしかに穏やかな国民だが、国は違った。日本人が平和愛好ならば明治政
   府の侵略戦争をやめさせているはず。
   九条の根本は、みんなが仲良く暮らすとか戦争は嫌だいうことではない。社会正義
   をもとに政府に勝手なことはさせないこと。国民が政府を監視すること、政府に戦争
   をさせないこと、ここに九条の根本がある。
C  神体は霊璽簿。だから神体は本殿にあるのでは。
川端 拝殿と本殿と本来神社には2つあるもの。
   鏡とか剣、あれは「よりしろ」で神ではない。神がよってくるものでしかない。
   元来は招魂神社だから、年一回霊を招くところ。霊は神社にいるわけでない。本来
   は山奥なりにいて普段は神社はからっぽ。靖国は怨霊を慰める神社。恨みを呑んで
   死んだ神を慰める。たとえば農耕豊作を願う神社とは違う。靖国神社に神様はいな
   い。年一回の大祭の時に招く。その時に参拝して霊と出会う。
D  招魂祭と合祀祭とはどうちがうのか
川端 靖国は例外的に固有名詞を大量に祭るところ。新しく慰めるための霊が追加される。
   これは靖国のみ。神様が増えていく。これが合祀祭。他の神社にはない。その合祀
   された霊を招いて慰霊するのが招魂祭。
E  サンフランシスコ平和条約発効時には日本国憲法有効。どうして国有財産たる土地
   なりを靖国や招魂社に無償提供して憲法上問題なかったのか
川端 私にも正確な知識はない。おそらく平和条約調印後、発効前のスキマをねらったの
   ではないか。問題だったはずだが、その時期は第1期の戦後反動期。逆コースとい
   われた。憲法改正の攻撃。おそらく政府は「歴史的特別な事情」で強行したのでは
   ないか。
F  官幣大社というが現在は宗教法人としてまったく同列。
   とするなら 自衛官の死者は。
川端 自衛官の死者を靖国に厚生省が名簿提供することはない。靖国の祭神は1966年の
   A級戦犯名簿の送付が最後ではないか。それ以後の厚生省の関与については私には
   知識がない。殉職した自衛官を護国神社に祀ったことに対する山口県の自衛官合祀訴
   訟があったが、現在でも殉職した自衛官を護国神社に祀っているのかどうかについても
   私には知識がない。
G  ドイツとの比較 法律上の規定は。またキリスト教的背景は?
川端 国会決議によりナチスの犯罪宣言をした。一般市民は言論の自由が保証されていて、
   ネオナチも存在するが、公務員はナチスの思想賛美・宣伝したら解雇される。大臣
   も同様。また日本との違いは侵略した国と地続き。謝らなければ生きられなかった。
   日本はアメリカによって中国との関係を断ち切られ、国交すらなかった。またドイツ
   には大勢の反ナチス勢力がいた。共産党以外の保守主義者も、たとえば強固な反
   共主義者アデナウーなどもナチス時代には獄中にいた。日本では獄中には共産主義
   者しかいなかった。ドイツでは一般国民には「ナチスはよかった」というひとがいまでも
   いるが、こと政治家に関していえば戦後の政治家は全員が反ナチスではっきりしてい
   た。日本の悲劇は戦争に反対したのが共産主義者だけであったので、戦後、アメリカ
   は戦争に反対した人たちを政治家に登用することができなかった。反対に戦時中の
   指導者たちを冷戦時代に反共の防波堤として利用した。
H  天皇の戦争責任追及しなかったことが すべてに影響しているのでは。
川端 天皇は少なくともあの時点で退位すべきだった。責任をうやむやにしてしまったこ
   とですべてが違ってきてしまった。天皇制がなくなっても国民は許容しただろうが、
   アメリカが守った。300万人のアジア各地の日本軍隊の武装解除のために天皇を利
   用した。占領政策上、マッカーサーは「天皇は20個師団に相当する」と評価。アメリカ
   軍の命令で昭和天皇が退位させられたとしても日本人は黙って従ったのでは。
I  欧米の図書館や音楽界の経過から思うこと
川端 図書館・美術館・音楽会、これらは革命を起こして民衆が王様から奪い取ったもの。
   ヨーロッパに行っていつも感じることは、これらの公共財が権利として獲得したもので
   あること。お上にさからわない伝統は日本のキリスト者にも生きていて、天皇が神様
   では困るが敬愛はする。人間宣言が与えた影響が大きかったのでは。天皇側近に
   多数クリスチャンがいた。この人たちが人間宣言をさせた。矢内原忠雄や南原繁の
   ような反戦を貫いた人たちでさえ、戦後は「神様でなければ天皇を敬愛」という立場
   だった。
J  「天皇と聞くと体が硬直する」と言った人がいる。頭では天皇制反対だが。
川端 高村光太郎・斉藤茂吉などもそうだったのではないか。
K  川端さんの話、歴史認識による個の確立という考えに同感する。

             以上
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9.「憲法九条は21世紀日本の宝」
       (みやぎ生協幹部会講演 2006.7.12)

1.今、なにがおきているのか
2.戦後史・ドイツの場合
3.戦後史・日本の場合
4.大歓迎された「平和憲法」
5.戦後民主主義の終わり・逆コースの時代
6.逆コース対する国民の反撃
7.日米支配層による分断工作
8.「社会主義国」の存在と修正資本主義
9.「社会主義」の崩壊と「新自由主義」
10.「社会主義」の崩壊と規制緩和・グローバリゼーション
11.アメリカの孤立と憲法改悪要求
12.憲法九条こそ21世紀日本の経済繁栄の土台

1.今、なにが起きているのか

 皆さん、こんにちは。
 御存じのように、今、憲法が危ないのです。憲法を変えるということは国の基本の仕組みを
変えるということです。憲法というのは国家の基本の仕組みが書いてあるものです。それを変
えるということは、日本という国の根本の仕組みが変わるということですね。そして日本国憲法
の土台はもちろん民主主義ですから、憲法を変えるということは民主主義をやめるということな
のです。「国家主義になる」「お国のために死になさい」という、そういう国に変わろうとしてい
る。そのためには教育基本法を変えなければいけません。子どものときからお国のために死
ぬ覚悟を教えていかなければいけないのです。とんでもないことが今進んでいるのです。そうい
う中で、一体、なぜこんなことが起きてきたのかということを、よくつかんでおく必要があるので
はないかと思います。
 そこでまず、なぜこんなことになったのか、その背景をちょっと頭に入れておかないといけま
せん。今から10年、あるいは20年前なら、憲法を変えるとか、再軍備とか、イラクへ派兵なんて
いったら、もう国中、蜂の巣を突ついたような大騒ぎになって、あっちでデモ、こっちでストライ
キ、大変な騒ぎになったんですが、今は何にも起きません。だから彼らは平気でできるんです
ね。昔はできなかったことが、今は平気でできる。
 なぜかと言うと、労働運動が衰退したからです。労働運動の衰退ということが、今のような日
本をもたらした大きな背景です。直接の引き金はもちろんアメリカの圧力です。この2つが今起
こっている事態の後ろにあると、こういうことだと思います。
 そこでまず大きな背景としての、労働運動の衰退ということを大急ぎで、もう若い方はほとん
ど御存じないと思いますので、一度おさらいをしておきたいと思います。これは大変大事なこと
で、日本の戦後の歴史ですが、それを踏まえておかないと、現在の問題に対処できないという
ことだろうと思います。

2.戦後史・ドイツの場合

 同じ敗戦国なのに、そして日本よりずっと危険な国なのに、西ドイツには平和憲法は生まれ
ませんでした。ヒットラーなどという、日本とは比べ物にならないようなとんでもない犯罪を犯し
た国です。日本の戦争犯罪も大変なものですけども、ヒットラーほどではなかったと思います。
ドイツという国は二度も戦争をやって、二度も侵略戦争をやって、ユダヤ人の皆殺しまでしまし
た。
 その恐ろしいドイツには、アメリカは平和憲法はつくらせなかったのです。直ちに再軍備させ
ました。日本は、平和憲法をつくらせて、二度と戦争をさせないということになった。なぜなの
か。
 第二次大戦が終わるまでは、アメリカは日本とドイツをやっつけるまでは、ソ連と手を組んで
いたわけです。ソ連と手を組まなければ、ドイツには勝てなかった。アメリカ単独ではとても、あ
の強力なドイツはですね。ソ連と組んで挟み撃ちにして、やっとやっつけたのです。ですから戦
争が終わるまでは、アメリカとソ連は同盟国でした。しかし、戦争が終われば、日本とドイツを
やっつけてしまえば、次は米ソ対決だということは、これも最初から分かっていました。長い目
で見れば、資本主義と社会主義の対決だ。その前にまず日本とドイツをやっつけておく必要が
あったんですが、やっつけてしまえば、次は米ソ対決です。
 それでは、その米ソ対決の最前線はどこなのか。ヨーロッパでは明確でした。ヨーロッパでは
米ソ対決の最前線は東西ドイツの国境です。誰が見てもはっきりしています。東からソ連が攻
めて来て、西からアメリカが攻めて来て、ドイツの真ん中のエルベ川で出合ったんですね。そこ
に鉄条網を張って、両側にずらっとミサイルを並べて睨み合った。ですから西ドイツは、直ちに
アメリカの要求で再軍備なんです。西ドイツが米ソ対決の最前線基地なんですから、ここに平
和憲法なんかつくられたらどうにもなりません。ですからあの危険なドイツを、アメリカは平然と
再軍備させた。
 そのかわり、逆に言えば、ドイツにとってはこれは大変なことでしだ。ヨーロッパから孤立する
ことになります。あれだけヨーロッパに迷惑をかけたドイツが、また再軍備するのでは、ヨーロッ
パで受け入れてもらえない。ですからドイツは戦後一貫して「我々はナチスとは違います」、「再
軍備はするけども、絶対にナチスとは縁を切ります」ということを徹底的に明らかにしたので
す。そのためにナチスの戦争犯罪の追及を自分の手でとことんやりました。戦争中の指導者
は二度と指導者にしない。ドイツは再軍備はするけども、民主主義の国になって、国外には絶
対に軍隊を出さないことを基本法に明記しました。これが西ドイツの基本原則でした。
 そこでヒットラー、ナチスの責任を徹底的に追及する。そのことで、ヨーロッパの信用を回復し
たのです。そしてヨーロッパと徹底的に和解する。ナチスの犯罪について、とことん謝る。徹底
的に謝罪しました。実際、ブラントという首相はポーランドに行って、ナチスに弾圧されたユダヤ
人のお墓の前で、文字どおり土下座して、地べたに頭をすりつけてお詫びをしました。立ち上
がったとき、ブラントの額に泥がついていました。一国の首相が土下座して、地べたに頭をこす
りつけてお詫びするという、そこまでやったのです。ですから信用された。再軍備はしたけども、
ドイツは信用する。二度と戦争をしない覚悟がはっきりしている。ここが日本と全然違うところで
す。ですからドイツはヨーロッパで受け入れられた。しかし再軍備はしたのです。アメリカは直ち
に再軍備させた。そうして米ソ対決の最前線基地として利用してきたわけです。

3.戦後史・日本の場合

 ところがアジアははっきりしなかったのです。米ソ対決の最前線がどこなのか、アジアでは誰
にも分かりませんでした。アメリカは最初、中国が本拠地になると思ったのです。中国はまだ蒋
介石政権でした。毛沢東は山の中のゲリラでした。ですから蒋介石が勝つ、勝たせなければい
けない。蒋介石が勝てば、米ソ対決の最前線は中ソ国境になる。これがアメリカの思惑でし
た。ですから蒋介石に全面援助しました。武器もお金も、海兵隊まで貸してやって、毛沢東を
潰しにかかったのです。
 そうなれば、つまり中国が将来の米ソ対決の本拠地になるということであれば、日本は不必
要です。その上、日本は不可解な国でした。天皇陛下なんていう訳の分からないものがいる。
それに腹切りだの、特攻隊だの、おおよそ近代人とは思えない国です。ドイツは明白な近代国
家です。ファシズムだというだけで、社会は近代国家です。ドイツ人は近代人です。ところが日
本人は前近代的な、腹切りだの、死ぬまで戦うなど、そんなバカなことは近代のルールにはな
いのです。負けと分かったら降伏する。降伏したら、捕虜は丁重に扱う。これが近代社会のル
ールなのに、日本は最後の一人まで戦って、民間人まで自殺して、訳の分からない、人間と思
えない国だった。
 ですから日本は二度と戦争できないようにする。なにしろ必要ないのです。中国が本拠地な
のですから。日本はいらない国、しかも理解に苦しむ不可解な国ですから、日本には二度と戦
争させないということになります。日本を徹底的に民主化する。非軍事化し、民主化する。これ
がアメリカの初期占領政策です。きちんと文章になって残っています。
 そこでまず、@軍隊を解散させます。軍隊を解散しても、ほっておけばまた復活します。軍隊
復活の土台は重工業です。重工業がなかったら戦争はできません。戦車も飛行機もミサイル
もつくれませんから。ですからA重工業を禁止する。これが2つ目です。第二次大戦後、八幡
製鉄(現在の新日鐵)とか、東芝とか石川島播磨重工業とか、全部アメリカは閉鎖させて、工場
の機械を外して、アメリカへ持って行ってしまいました。もうそんなことを知っている人はほとん
どいないでしょうけど、日本には重工業は二度とやらせないという方針でした。重工業もほっと
けば復活します。重工業の土台は大資本です。大資本がなかったら重工業はできません。で
すから重工業の復活を阻止するために。B大資本というものを日本には認めない。これが財
閥解体ということです。三井、三菱、住友それぞれ300ぐらいの小さな会社に分けて、世界でも
珍しい厳しい独占禁止法をつくって、二度と合併できないように、二度と大資本が復活しないよ
うにしました。
 軍隊を解散させて、重工業を禁止して、そして財閥を解体する。最後に政治家ですね。戦争
中の政治家が政治をやっては困りますから、C戦犯追放という措置を取った。戦争中の指導
者は二度と公職には就けない、というのが公職追放という措置です。これは念には念を入れて
やったのです。
 それでもまた戦争をやりたいなんていう不届きな政治家が出てくると困りますから、そのとき
には労働組合がゼネストで阻止しなさいということになります。戦争を阻止する一番の近道は
ゼネストです。すべての労働組合が一斉にストライキをやれば、戦争はできなくなります。電気
も鉄道も水道もガスもみんな止まるんですから、戦争なんか不可能です。戦争を阻止する一番
の道は労働運動なのです。Dですからアメリカ軍は労働運動を奨励しました。日本を民主化す
るために「労働組合をつくれ!つくれ!」と勧めて、せっせと労働組合をつくらせました。そして
政治は戦争中、戦争に協力しなかった政治家にやらせる。但し、共産党はのぞくというので
す。アメリカですから当然です。
 残念ながら戦争に反対したのは共産党だけでした。ですから結局、戦争に反対はしなかった
けど、積極的に協力もしなかったという程度の社会党というところが政権を取るんですね。片山
内閣ができます。社会党がアメリカのバックアップで復活して、一気に選挙で議席を伸ばして、
社会党政権、片山内閣というものができます。片山さんっていう人もいい加減な人でしたけど、
だけど戦争には協力はしませんでした。クリスチャンで、戦争中宮城県の作並に疎開してきて
いました。私の父は仙台で牧師をやっていましたから、日曜日に私の父の教会へ来て、礼拝
に出席していたことがあります。ですから私も何となく覚えています。体格の大きな、見たことの
ない人が来て、みんなに丁重に扱われているっていうのを子ども心に何となく覚えています。こ
の人たちは戦争に反対はしなかったけど、すすんで協力はしなかったのです。

4.大歓迎された「平和憲法」

 こうやって「戦後民主主義」という時代がきました。その総仕上げが憲法です。憲法9条という
ものは、経過だけ見れば、明らかにアメリカが押しつけたのです。日本に二度と戦争をさせな
い。非軍事化し、民主化するために押しつけてきた。しかし、形の上では押しつけですが、国民
は大歓迎でした。誰も反対した人なんかいません。待ってたものがやっと出てきたのです。
 つまり明治以後100年、必死になって追い求めてきた、例えば男女の同権、それを実現する
ために、たくさんの人が命がけで戦ってきた。どうしても実現しなかったんですが、ついにこの
憲法で実現した。あるいは労働運動の自由。労働組合なんかつくっただけで逮捕された。デモ
やっただけで逮捕された。ずーっとそういう時代です。その中で必死になって労働者の権利を
守ろうとして、たくさんの人が死んでも死んでも、刑務所にぶち込まれようが、殺されようが、頑
張ってきた。ついにこの憲法で、そういうものが実現したんです。
 あるいは私の父はクリスチャンでしたから、信仰の自由。戦争中、天皇陛下を拝めと言われ
て、本当にひどい目に遭った。お前の神様と天皇陛下とどっちが偉いなんて、無茶苦茶なこと
をいわれて、屈服させられた。ですから信仰の自由、思想の自由、欲しくてたまらなかったけど
実現しなかった。ついにこの憲法で実現したのです。
 ですからこの憲法を押しつけられたと思った人はほとんどいないのです。ほとんどの人は自
分たちのほしいものがついに手に入った。私たちがそれを実現しようと思って、必死になって
戦ってきたものがついに実現したというふうに受け取ったのです。
 憲法を押しつけられたと受け取ったのは、戦争中の支配者だけです。圧倒的多数の国民は
押しつけられたとは思わなかった。自分たちの願っていたものがついに手に入ったと思ったん
ですね。ですから「憲法押しつけ論」というのは間違いなんです。押しつけ論というのは、戦争
中の支配者の立場でものをいっているのです。戦争中の支配者にすれば、当然そうですよ。
押しつけられたと思った。だけども国民の大部分は願っていたものが手に入ったと思ったので
す。
 重工業を禁止されて、ではどうやって飯を食うんですかとマッカーサーに聞いたのです。マッ
カーサーなんて名前ももう御存じない方がおられるかもしれませんが、アメリカの占領軍の総
司令官ですね。その時、マッカーサーに「東洋のスイスになれ」と言われたのです。何も重工業
なんかなくたって生きていける。確かにそうです。スイスはテレビも自動車もつくっていません。
だけど世界一豊かな国です。自動車やテレビをつくらなくたって、豊かになれるのです。これは
大事なことなんですね。日本はいつのまにか錯覚を起こして、自動車とテレビつくらないと二流
国のような、とんでもない間違った考えを持ってしまいました。テレビも自動車もつくらないけ
ど、豊かな国はいくらでもあります。スイスも世界一豊かな国ですけども、つくっているのはレン
ズとかカメラとか、つまり精密機械工業です。重工業ではないのです。高い技術が必要だけど
も、重工業ではない。だから軍事産業にはつながらない。精密機械工業と酪農業です。もちろ
んスイスは銀行という金貸し業があるので、ちょっと例外ですが、それでもベルギーとかオラン
ダ、デンマーク、それに北欧の国々があります。オランダはフィリップスという大電気会社があ
りますが、デンマークやベルギーにはありません。もちろんフィンランド、スウェーデン、ノルウェ
ーにも巨大な重工業はありません。
 しかし、こういう国は世界一豊かな国です。重工業がなくたって、豊かになれるのです。だか
ら「東洋のスイスになれ」とこう言われた。私は東洋のスイスになるんだと思って、高校2年まで
過ごしました。戦争に負けたとき、小学校6年生でしたから、中学校1年から高校2年まで、東
洋のスイスになるんだと思って過ごしました。そのままきてくれたら、どんなによかったかと思い
ます。それが途中でグイッと曲がっちゃうんですね。「戦後民主主義」といわれる時代は、たっ
た4年半しか続きませんでした。もし日にちを挙げろというのなら、1949年10月1日までです。こ
の日までが戦後民主主義といわれた時代です。二度と戦争しない。そして東洋のスイスにな
る。基本的人権、労働運動の自由、そういうものがきちっと守られている。そういう国になって、
憲法がちゃんと守られる国になろうとしていたのは1949年10月1日までなのです。

5.戦後民主主義の終わり・逆コースの時代

 ここでがらりと変わります。なぜ変わったか。もちろんお分かりですね。中国で毛沢東が勝っ
たのです。これは全く想定外の現実でした。まさか毛沢東が勝つなんて、誰も思わなかった。
山の中のゲリラにすぎないと思われていました。ところが毛沢東が勝ったのです。1949年10月
1日が中華人民共和国の成立です。天安門上から毛沢東が高らかに、中華人民共和国の成
立を宣言した。この瞬間に日本の運命は180度変わるんですね。
 つまりアメリカは中国を失ったのです。アジアにおける米ソ対決の最前線は、こうなったらもう
日本しかありません。アメリカは「しまった!」と思いました。平和憲法をつくらせてしまった。い
まさら変えるわけにいきません。しかし将来の米ソ戦争のアジアにおける最前線基地として
は、もう日本しかないのです。
 そこでまず、@永久占領。つまり日本から米軍は引き揚げない、ということになります。引き
揚げたらおしまいですから、米ソ戦争のときに。しかし永久占領などということは国際法上許さ
れないことです。戦争に負けて、2〜3年占領されるのは当然です。だけどちゃんと賠償金を払
って、平和条約を結んだら、占領軍は引き揚げて独立を回復する。これが国際法の常識で
す。しかし引き揚げるわけにいかないので、アメリカはペテンを使ったのです。どういうペテンか
と言うと、形だけ日本を独立させる。その上で、独立した日本に頼まれて軍隊が日本にいてや
るという、「国際法上稀に見るペテン」といわれているものです。
 平和条約を結んで、一たんアメリカ軍は引き揚げて行って、独立した日本で総選挙をやっ
て、憲法で日本は軍備を持たないんだから、心配だからアメリカに守ってもらう、そのためにア
メリカと軍事同盟条約を結んで米軍に駐留してもらう、という政党と、いや、そんなことはだめ
だ、日本は永久中立、非武装中立でいくんだという政党と、そのほかいろんな政党で選挙をや
って、アメリカに軍事駐留してもらうという政党が勝ったというのなら、米軍の日本駐留は筋が
通っています。それなら正しい手続きを踏んでいると言えます。
 だけど一切そんなことはありません。米軍は一度も引き揚げていませんし、そんな選挙は一
度もやっていません。サンフランシスコのオペラハウスで平和条約に調印したのですが、調印
が終わると直ちに日本全権委員はジープに乗せられて、サンフランシスコ郊外の米軍基地へ
連れて行かれて、そこの下士官ホールで日米安保条約にサインさせられました。この間15分し
かないのです。
 その15分の間に、日本で国会を開いたとか、選挙をやったなんてことは一切ありません。国
民は何にも知らされませんでした。安保条約は事前には公表されませんでした。秘密条約で
す。国民は知らないのに、政治家が勝手にアメリカに守ってくださいと頼んじゃったと、こういう
格好になっているのです。ですから三人の全権委員がいたのですが、2人は良識のある人で
「国民の知らない条約にサインはできない」といって、安保条約にはサインしませんでした。安
保条約は、吉田茂という男、たった1人のサインで成立するのです。
 今から何年か経って、日本がアメリカから本当に独立して、自由な国になったときに、第二次
大戦後の日本史を書く人がいたら、日本を60年間アメリカに縛りつけた責任は吉田茂にあった
と書くでしょうね。日本を売り渡した責任は、間違いなく吉田茂にあるのです。もちろん評価は
分かれます。あの時点でそうするほかなかったのだという人もいると思いますが、しかし事実と
してはこのとおりです。吉田茂1人のサインで安保条約は成立したのです。日本国民は誰も頼
んでいないのに、独立した日本がアメリカに頼んで軍事駐留してもらうという形だけつくられた
わけです。あとで発表されて大騒ぎになりました。でももう時既に遅しで、事後承認で成立してし
まいました。こうやって日本にアメリカは永久占領で居座るのです。だから今もいるのです。戦
争が終わって60年経つのに、まだ占領軍がいるということになります。まだ占領下にあるので
す。我々は本土にいますから、何となくピンとこないのですが、沖縄に行ってみれば、一目瞭然
です。日本国民の反発を恐れて、基地を全部沖縄へ押しつけてしまいました。ですから沖縄が
矛盾の集中する場所なのです。沖縄へ行ってみれば誰だって「あ、この国は占領下にあるな」
というのは一目瞭然です。サンフランシスコ平和条約締結の報道は全世界に伝えられました。
その時、フランスの大新聞『ル・モンド』は社説でこう書きました。「サンフランシスコ平和条約は
日米安保条約を隠すイチジクの葉にすぎない」。まさにズバリと本質をついた論説でした。平和
条約は飾りなのです。本体は安保条約でした。
 こうやって日本を永久占領して、将来の米ソ戦争に備えているのですが、それだけでは足り
ません。日本自体を再軍備させなければいけません。そうでないといざというとき、アメリカから
全部持って来るのでは間に合いません。米軍の大砲、戦車、ミサイル、戦闘機、全部日本で修
理できなければ困ります。修理するためには重工業が必要です。ですから日本の重工業を復
活させ、再軍備させて、アメリカが下請け部隊として使うということになりのす。
 そこで、A重工業の復活を、アメリカは許可するのです。重工業の復活を許可するとなれば
当然、B大資本の復活を許可する。財閥解体は中止になります。せっかくなくなった三井も三
菱も住友も、すべて元の木阿弥です。
 そして最後に、C政治家が復活します。財閥が復活しようが、重工業が復活しようが、再軍備
しようが、政治家が「戦争はいやだ」といったら困りますから、戦争賛成の政治家を復活させな
ければいけない。そこで戦犯追放解除ということになるのです。戦争犯罪人として公職追放さ
れていた人たちを復活させる。1949年12月24日です。10月1日に中華人民共和国が成立し
て、その2カ月後、12月24日の夜、クリスマスプレゼントと称して、小菅の拘置所にいたAクラス
の戦争犯罪人全員が釈放されて出てきます。当然、刑務所の中でアメリカに忠誠を誓って出て
きたしです。釈放されたら、今後はアメリカのために働きます、と。そうでなければ釈放なんかさ
れません。
 ドイツの場合には、ヒットラーに反対した政治家がたくさんいました。ですからアメリカは、ヒッ
トラーに反対した政治家を刑務所から出して使えばよかったのです。共産党以外に、ドイツに
はヒットラーに反対したたくさんの人がいました。例えば戦後初代の西ドイツの首相アデナウア
ー。名うての反共右翼、反動の権化みたいな人でしたけども、この人でさえヒットラーには反対
しました。彼は保守主義者ですけど、ファシストではないのです。ですから「議会制民主主義を
守れ」「独裁反対!」ということで、逮捕されせて刑務所に入っていたのです。米軍によって釈
放されて、初代総理大臣になりました。だからアメリカはドイツではやりやすかったのです。こ
のような保守派だけれどもヒットラーには反対だという有力な政治家、釈放されてすぐ総理大
臣が務まるぐらいの大政治家がたくさん刑務所にいたのです。日本は誰もいませんでした。戦
争に反対して刑務所にいたのは共産党だけです。まさか共産党にアメリカが政治をさせるわけ
がありません。そうすると結局、アメリカにとって対ソ戦争の根拠地としての日本の政治をまか
せることができるのは、戦争中の政治家しかいないのです。やむを得ず戦争中の政治家を復
活させた。但し、今後はアメリカの手先となって働きますという約束をさせて復活を認めたので
す。
 もう一つ、平和と民主主義の守り手として奨励した労働運動が邪魔になりました。Dそこで一
転して労働運動つぶしが始まります。「日本の黒い霧」と呼ばれる三大事件が仕組まれます。
1949年夏の三鷹、松川、下山事件です。覚えている人も少なくなったでしょう。三鷹の電車車
庫から無人電車が暴走して商店街に突っ込んで脱線転覆、多数の死傷者が出ました。福島県
松川ではレールの釘がはずされて貨物列車が脱線転覆して運転手その他が死にます。さらに
当時の国鉄総裁下山氏が常磐線北千住駅近辺で轢死体となって発見されるという事件が起
きます。すべて1949年夏の出来事です。どれも共産党が指導する国鉄労働組合の陰謀だと
いうことにされて、大量の組合活動家が逮捕されて共産党と労働運動は壊滅的な打撃を受け
ました。長い裁判の末に、すべて共産党も労働組合も一切無関係であったことが明らかにされ
て無罪となりますが、もう遅いのです。真相はいまだに闇の中ですが、労働運動をつぶすため
にアメリカの諜報組織によって仕組まれた陰謀ではないかという推測が有力です。松本清張の
『日本の黒い霧』というルポに詳細に論じられていますので、ぜひお読みになって見てください。
こうやって共産党は危険だという雰囲気をつくり出しておいて、翌年、占領軍命令で「レッドパー
ジ」が発令されます。日本共産党が非合法化され、さらにすべての職場から共産党員を解雇す
ることが指令されました。数万人が退職金も何もなしに一方的に解雇されました。思想信条の
自由を無視した憲法違反の指令ですが、占領軍の命令は憲法以上の力を持っていました。
 こうして平和と民主主義の国を目指すという戦後日本の基本方針は180度方向転換させら
れて、対ソ戦争の最前線基地としてアメリカの永久軍事基地として日本自身も再軍備を目指す
という方向に変わります。これを当時のマスコミは「逆コース」と名付けました。最後の邪魔者
は平和憲法です。1952年に当時のアメリカの副大統領ニクソンが来日して記者会見で「憲法
九条を作らせたのは失敗だった」と公言します。しかし、これだけは変えられませんでした。国
民が支持していたからです。そこでやむを得ず、憲法はそのままにしておいて、安保条約も再
軍備も憲法違反にはならないという無茶苦茶な解釈でごまかすということになります。これが
「解釈改憲」と言われるものです。憲法はそのままなのに、憲法違反の現実をどんどん作り上
げて行くことになります。
 大まかに言えば1950年までが「戦後民主主義」の時代で、それ以後が「逆コース」の時代で
す。180度向きを変えて、以後、そのまままっすぐに来ているのです。皆さんはその中で生ま
れて育っていますから、日本は民主主義の国だと思っているかも知れませんが、そうではあり
ません。敗戦から1950年までは、たしかに民主主義の方向に向かっていたのですが、それ
以後は違います。非常に制約された、アメリカの許容する範囲での民主主義にすぎません。ア
メリカに反対する者は徹底的に排除されてきました。「逆コース」の時代が、ずっとそれ以後続
いているのです。そうして、今や、ついに憲法そのものを変えるところまで来たのです。
 問題は経済です。日本は、国が生まれて以来数千年、ずっと中国大陸との交流の中で生き
てきた国です。文化も経済も、すべて中国大陸との関係の中で形成されてきました。今、突然
に、それが断ち切られたのです。中国が共産主義になったために、アメリカはこれを滅ぼすた
めに政治・経済・文化のすべての面で中国を封じ込めようとします。自国だけではなく、他の国
にも中国との一切の交流を禁止します。今もキューバやイランや北朝鮮に対してアメリカは同
じことを行っています。ついこの前までヴェトナムに対してもしていました。歴史の教訓を何も学
ばない国なのです。困ったのは日本です。中国という最大のマーケットを突然禁止されたので
す。アメリカは、そのかわりにアメリカマーケットを開放しました。原料でも技術でも何でも提供
して、日本の製品は何でも買ってくれるということになります。こうして第二次大戦後50年、完
全にアメリカマーケットに依存した日本経済の構造ができあがりました。アメリカから離れては
生きていけない仕組みができてしまったのです。しかし、アジアに存在する日本が、アジアに背
中を向けてアメリカとだけ商売するというのは、これは根本的に不自然な仕組みです。実際、
中国が経済的に発展して、ついに無視できなくなって、中国との交流を認めざるを得なくなる
と、あっという間に、日本の経済は中国との関係が中心になってしまいます。今や、日本の貿
易の中でアメリカの比率は18%ですが、中国はすでに20%を超えています。E経済の対米
依存という構造は、政治的・人工的につくり出された異常な構造だったのです。
 もっと深刻なのは政治です。「逆コース」に方向転換するために戦争中の政治家を復活させ
ました。そのために戦争犯罪人たちがアメリカの後押しでゾロゾロと復活して、日本の政治を
行うことになりました。一番有名なのが岸信介です。日米戦争を始めた東条内閣の商工大臣
でした。ドイツなら当然絞首刑です。それが堂々と生き延びて総理大臣になりました。今の安部
晋三はその孫です。岸信介の下で商工次官をしていたのが椎名悦三郎です。やはり戦後何回
も大臣になりました。同じ東条内閣の大蔵大臣が賀屋興宣です。この人も戦後何回も大臣に
なりました。福田赳夫という人は、この前まで官房長官をしていた福田の父親ですが、戦争中
は、日本が中国を占領して現地に作ったご用政権の財政最高顧問として日本から派遣されて
占領地経営の最高責任者でした。ドイツならこういう立場の人は当然絞首刑です。堂々と戦後
総理大臣になりました。大平正芳という人は、戦争中はモンゴルに派遣されて、そこでアヘン
の秘密栽培の責任者でした。大量のアヘンを製造して中国大陸に売りさばいて何百万人とい
う中毒患者を作りました。その売上代金が日本の戦争の費用として大変役に立ちました。こん
なことをした人はドイツならやはり絞首刑です。堂々と生き延びて戦後総理大臣になりました。
 前の外務大臣の町村信孝という人の父親は町村金吾といって戦争中は内務省警保局長で
した。内務省警保局長というのは、いわゆる「特高」の元締めです。特別高等警察というものが
あったのです。普通の警察は泥棒をつかまえるのですが、特高は思想を監視するのが仕事で
した。「思想犯」という言葉がありました。思想が犯罪だった時代です。戦争反対とか、天皇制
反対とか、民主主義などという思想を持っている人を逮捕して、その考えを変えさせるのが仕
事でした。共産党とキリスト教が一番ひどい目に遭いました。思想を変えさせるためには拷問
するしかありません。無茶苦茶な拷問が行われました。裁判で有罪と決定して死刑になるのな
ら、まだしも法の手続きは踏んでいるのですが、戦争中は裁判の前に警察の取り調べ中に拷
問で殺してもかまわなかつたのです。法律で認められていました。一番よく知られているのは
小説家の小林多喜二です。共産党員でしたから、逮捕されて数時間後には殺されていました。
全身に畳針のようなものを刺した痕が無数にありました。キリスト教の牧師も、天皇を神様と認
めないということで拷問にかけられました。そのような特高の責任者が内務省警保局長です。
もちろん、父親が悪いから息子も悪いということはありません。父親は間違っていたと反省して
いるのなら、何も問題はありません。しかし、町村信孝は何も反省していません。その著書の
中で父親のことを誉めたたえています。この町村金吾も戦後何回も大臣になりました。
 一番腹が立つのは奥野誠亮です。この人は自分自身が戦争中は鹿児島県特高課長でし
た。現場の指揮官なのですから、間違いなく共産党員やキリスト教の牧師などをつかまえて拷
問にかけていた本人です。ドイツなら当然絞首刑ですが、堂々と生き延びて戦後、事もあろう
に法務大臣や文部大臣になりました。この人も少しも反省していません。朝鮮を植民地にした
のは間違っていなかった、日本は朝鮮のために良いことをしたのだ、などと言って、さすがに大
臣を辞職せざるを得なくなったりしています。
 現在の政治家もほとんどは、このような戦犯政治家たちの二世、三世です。自分の父親や祖
父のした戦争を悪かったとは思いたくないのです。このような戦犯政治家たちをアメリカが復活
させ、後押しして、戦後の日本の政治をやらせたのです。ですから、彼らはアメリカには頭が上
がらないのです。アメリカのおかげで、本来なら絞首刑になるところを助けてもらって大臣にし
てもらったののですから、アメリカの言いなりになるのは当然のことです。こうしてF政治の対
米従属構造が確定します。ここがドイツと一番大きく異なるところです。ドイツでは、ともかく戦
争には反対した人たちが戦後の政治を行っています。日本は、戦争中の政治家がそのまま戦
後も政治を行っているのです。ですから、戦争責任に対する反省が不十分になるのです。アメ
リカ従属と戦争責任無反省が一つになっているのです。

6.逆コースに対する国民の反撃

 この逆コースに対して、国民の猛烈な戦いが起きます。まず鳩山内閣が憲法改正を打ち出し
て、国会解散して、総選挙をやります。あのとき、国民がそれを支持して、3分の2を与えてい
たら、憲法はあそこで終わりだったのです。だけど「そんなことは認められない!」、「憲法を
我々は守りたいんだ!」という国民の声が勝って、鳩山内閣は選挙で3分の2が取れませんで
した。ですから憲法は変えられなかったのです。しかし、憲法は変えられませんでしたが、その
ほかの戦後5年間にできた民主的法律、それが次々と壊されていきます。例えば教育委員会
は選挙で選んでいました。ですから、どこでも選挙で選ばれた教育委員会が人事をやっていま
した。どの先生を採用する、どの先生をどういうふうに異動させるということも、市民に選ばれ
た市民の代表が行っていたのです。それを任命に切り替えて、教育委員会は知事や市長の任
命になってしまい、教育長人事は、文部大臣の承認事項になつてしまいます。政府の意向に
沿わない教育長なんか絶対生まれるわけがないのです。教育に対する政府の統制が始まる
のです。公安委員会でさえ公選制度でした。ですから警察は地域警察でした。仙台市の警察
は仙台市民が選挙した公安委員会が採用試験も人事異動もやったのです。市民の安全を守
るために、市民が選挙した公安委員会が警察を運営していました。全国一律の警察なんてい
うのはありませんでした。アメリカと同じですね。アメリカでは州ごとに警察が違いますから、泥
棒が隣の州に入っちゃうと追っかけられません。パトカーは州境でユーターンして戻ってきま
す。それだけ警察は地域の代表なのです。日本もそうだったのです。それを全部変えて、国家
の任命にする。警察が全部国家警察になってしまう。このようにして「戦後民主主義」というの
はみんな壊されてしまいます。
 そういう中で国民の猛烈な戦いが行われました。1952年破防法反対、1953年基地反対運
動、1954年に原水爆禁止運動、1957年勤評反対運動、1958年警職法改悪反対運動・・
・民主主義を守れという、日本が揺るぐような大デモと大闘争が起きました。このような運動の
頂点が「60年安保闘争」でした。結局、国会では保守派が多数ですから、法律は通ってしまう
のですが、政府は「これは勝手なことはできん」、国民の猛烈な反発があって、そうそう簡単に
右翼化、右傾化できない。スピードがぐっと鈍るのです。国民の猛烈な抵抗運動のおかげで
す。
 その抵抗運動の中で社会党と共産党と労働組合が手をつなぐようになるのです。そういう社
会党、共産党、労働組合の共同作業の中から革新自治体というものが生まれてきます。1970
年代、至るところに政府に反対する自治体が誕生します。東京の美濃部さんが一番有名で
す。京都の蜷川さん、大阪の黒田さん、そのほか横浜の飛鳥田さん、仙台の島野さん、至ると
ころに社共共闘で労働組合がそれを支持して、革新自治体が生まれます。政府がやらない社
会保障、老人医療無料化とか、無担保、無保証の中小業者への融資制度とか、育児手当てと
か、次々とやっていきました。全国の総人口のほぼ半分が革新自治体で生きていました。「こ
のままいけば政府も取れる」みんなそう思ったのです。1970年代の遅くない時期に「政府を変
えることができる」、みんなそう思っていました。

7.日米支配層による分断工作

 そこで泡食ったのが政府とアメリカです。このままいったら取られてしまう。そこで全力を挙げ
て、革新自治体潰しにかかってくるわけです。日米支配層による日本民主主義運動の分断工
作が始まります。これは激烈な戦いでした。まず最初に労働運動潰しが始まりました。そのた
めに日経連という組織が発足します。経団連は会社単位で入っているんですが、日経連という
のは社長の個人加盟です。労働運動潰しに使命を感じた社長が集まってきます。日経連とい
うのは財界の労働運動対策本部なのです。日経連が指導して「まず日産からいく」という具合
に目標を定めて労働組合つぶしが行われました。今では信じられないでしょうけれど、あのこ
ろは強大な民間労組があったのです。日産でもトヨタでも毎年1カ月ぐらいベルトコンベアが止
まっていました。ストライキです。賃上げ闘争、権利を守る闘争の先頭に立つ強大な民間労働
組合があったのです。ですからまず民間から潰しにかかります。
 最初に狙われたのが日産なんですが、日経連が日産の社長を呼んで、組合潰しを協議し
て、すべてあとはワンパターンです。まず社長の息のかかった社員10人ぐらい集めて、第2組
合を発足させます。まともな組合に対してです。第2組合ができたらしめたものです。あとは差
別賃金で、第2組合だけどんどん給料を上げるんですね。当然、人情の常として、第1組合を
辞めて第2に移ってくる人が出てきます。こんなのは労働基準法違反ですから、必ず裁判にな
ります。裁判で会社は負けます。負けるけど、負けるのに30年かかるんです。日経連は「ちゃ
んと裁判になって負けますよ」と。「だけども30年かかるんだから、30年後に負けたって何も問
題ない。そのころには労働組合は潰れているんだから、何てことはない」と。だから最初から、
違法を承知でやったわけです。
 それでもて第1組合に残って頑張る人がいれば、配置転換で追い出します。有名な実例は日
航です。輝ける労働組合があったのですが、委員長を配置転換で5年間アフリカに飛ばしまし
た。何にも仕事はなかったみたいです。要するに日本から追い出すのが目的だったのです。5
年間アフリカ支社を転々として、帰って来たときには労働組合は潰れていました。山崎豊子の
『沈まぬ太陽』という作品に描かれています。労働組合が潰れたから、今、日航はああいうこと
になっているのです。航空会社にとって何よりも大切なことは機体の整備です。その整備を下
請けに出すなんて、信じられないことをやっているのです。整備点検を下請けに出したら目が
届きませんから、何をしているか分かりません。ですからしょっちゅう事故が起こる。労働組合
がしっかりしてたら当然そんなことは絶対させません。労働組合が潰れているから、会社が思
うようなことが行われているのです。
 次々とこういうことが行われました。この仙台でも一番身近なのが七十七銀行です。第2組合
をつくられて、差別賃金やられて、組合の活動家が次々と配置転換で遠くへ飛ばされて、新入
社員は入社試験のときに「第1組合には入るなよ」と釘刺されて、20年かかって第1組合はなく
なってしまいました。全部第2組合だけ。何にも戦わない。
 こうやって政府、財界、アメリカ総がかりで、10年かかって労働運動を潰したのです。1970年
代のことです。労働組合が潰れれば、革新自治体は困難になります。労働組合が選挙でビラ
配ったりする、応援する。活動部隊は労働組合なんですから。
 最後に社共分断が仕組まれました。社会党と共産党が手をつないでいると強いのです。バラ
バラでは力になりません。そこで社会党と共産党の間にくさびを打ち込むのです。そのために
利用されたのが公明党です。田中角栄が考えたと言われています。それまで公明党は宗教政
党ですから、社会党とは敵対関係にありました。社会党は社会主義だっていうんですね。それ
を田中角栄に言われて、公明党が社会党と手を組んだのです。あのころ、民社党という党もあ
りました。社公民と3つ足すと過半数になる可能性があったのです。公明党が入れば政権が取
れるというのが財界からの入れ知恵です。自民党対社公民という、今でいう二大政党制の走り
です。そこで公明党はそれまでの方針を転換して、社会党と組んで、社公民政権つくろうじゃな
いかと呼びかけるのですね。それに社会党は引っかかったわけです。公明党が組んでくれれ
ば政権が取れるんではないか。ところがちゃんと罠があって、公明党は、社会党に対して、社
公民で政権を目指すのなら、今後二度と共産党とは手をつながないことが条件だと要求しま
す。社会党は引っかかったのです。毒入りまんじゅうだったのですが、ぱくりと食っちゃったんで
すね。これが1981年の有名な「社公合意」というものです。二度と、以後共産党とは協力はしま
せんと、社会党は公明党に約束します。この約束は今も生きています。
 社会党と共産党がばらばらになって、労働組合が潰れてしまったら、もう革新自治体は終わ
りです。せっかく全国の半分が革新自治体で、もう一息というところまできたのに、東京が負
け、京都が負け、大阪が負け、あっという間に革新自治体は潰れてしまいます。
 こうやって国内の労働運動を潰し、革新自治体を潰し、社共共闘を潰し、これでもう政府はや
りたい放題です。反対勢力、敵対勢力、それこそ小泉流にいえば、抵抗勢力を10年かけて潰
したのです。その結果が今の日本です。この歴史はぜひ知っておいていただきたいと思いま
す。
 現在の状況が当たり前ではないのです。現状は異常な事態です。憲法を変えるなどと言え
ば、大デモが起き、大ストライキが起こるほうが正常なのです。それが起きなくさせられてい
る。元々ないのではないんですよ。無理やり潰されたのです。
 その結果、この間朝日新聞に恐ろしい短歌が出ていました。普通、政治を皮肉るのは川柳
のやることで、短歌というのはあんまり政治をうたわないのですが、珍しくすごい短歌が出てい
ました。第一席入選ですね。何と書いてあるか。「デモもなく ストも忘れし 日本は 長いアメリ
カに 巻かれているだけ」というですね。確かにそのとおりです。「デモもなく ストも忘れた日
本」は、長いアメリカに巻かれているだけなのです。
 デモとストが抵抗の元なんです。デモもなく、ストもなくなったらもう相手の言いなりです。年金
は打ち切る。税金は上げる。憲法は変える。さあ、戦争ですよ、お国のために死になさい。ず
るずると引っ張っていかれます。抵抗勢力は労働運動なのです。それを全部壊してしまった。
徹底的に潰された。この経過はちゃんと総括して、労働運動を復活させない限り、日本の未来
は開けないのです。アメリカの言いなりにはさせないために国民の抵抗運動を組織するのは、
労働運動の力なのです。

8.「社会主義国」の存在と修正資本主義

 こうやって労働運動を潰したものですから「さあ、これで勝手なことができる」と思ったのが中
曽根という人です。中曽根以後、「戦後の総決算」路線が始まります。もう民主主義とか憲法は
やめて、もう一回日本は軍国主義に戻りますという路線が始まるのですが、そのような動きを
一気に加速させたのがソ連の崩壊でした。
 ソ連や東ドイツがいるあいだは、これと対抗するために資本主義国は、あまり勝手なことはで
きませんでした。社会主義国の存在がブレーキになつていたのです。国内の労働運動を潰し
た上に、ソ連も崩壊したということで、一気に反動かが進みます。ですから、社会主義国の存
在がどのような意味で資本主義にとつてのブレーキになっていたのかということを考えてみる
必要があります。ここには大変大きな問題があって、ソ連という国は自由のない嫌な国でした
から、滅びたのは当然だし、なくなったのはいいことだと私は思っています。だけれども全部悪
かったわけでないんです。これは大事なことで、いい部分もあったのです。そのいい部分は引
き継がなれればいけないのに、いい部分までひっくるめて、今捨てちゃっているんですね。
 旧ソ連、旧東ドイツ時代に何回か行ってみましたけれども。行って一番びっくりしたのは2つで
すが、1つは男女の平等です。これは今の日本なんか問題にならない。徹底的に男女の平等
は守られていました。「ああ、なるほど。さすがに社会主義だな」と思いました。同一労働、同一
賃金という原則はきちっと守られていましたし、ほとんどすべての女性が社会で働いていまし
た。専業主婦なんてほとんど見たことがありません。それが可能なように、文字どおりポストの
数ぐらい保育所があって、きちんと女性が社会に進出できるような条件が整備されていまし
た。この点は引き継がなければいけなかったんですが、全部捨ててしまいました。だから今、
旧東ドイツで、西と合併したことは基本的にはいいことだった、自由になった、だけども西と合
併したために悪くなった部分がある、特に女性です。旧東ドイツの女性は「昔のほうがよかっ
た」という人がたくさんいます。西と合併したために、女性はほとんど失業しました。資本主義っ
ていうのは男社会ですから。ですから女性の権利という意味では、ソ連や東ドイツには学ぶべ
きものがいっぱいあったと思います。
 もう1つは社会保障です。私が初めて東ドイツに行ったのは1960年ですから、びっくりしまし
た。すべての労働者が老後の生活が最低限ですけど保障されている。「へえ、こんな国がある
のか、さすがに社会主義だな」と思いました。今では皆さん、当たり前と思っているかもしれま
せんが、社会保障というものは、元来、資本主義には全然ないのです。
日本で社会保障が生まれたのは1972年のことです。1972年が「福祉元年」といわれた年です。
それまでは年金などというものは、大企業と公務員しかありませんでした。中小業者や家庭の
主婦には何もなかったのです。1972年に初めて、国民皆年金、国民皆保険というものがスター
トして、社会保障が日本でも実現の道につくのです。資本主義というものは元来社会保障とい
うのはないのです。歴史を調べて御覧になるとすぐ分かります。社会保障が生まれるのは、ひ
とつは国内の労働者の戦いです。資本主義というのは自由競争、自己責任が原則ですから、
老後が心配なら、ちゃんと稼いで貯めなさいと、稼いで貯めなかった人が野垂れ死にするのは
当然です。自己責任です。これが資本主義の立場です。今、再びそうなりつつあるんですね。
これは資本主義の原則です。
 それに対して、労働者が「そんなバカなことあるか!」。我々は貯めたくたって、こんな安い賃
金で老後の資金など貯められない。貯められないけど、人間らしく生きる権利があるんだ。だ
からちゃんと政府が保障しろといって、猛烈な戦いをやって、やむを得ず、政府は譲歩して、社
会保障というものは生まれてくるのです。
 ですから戦わない限り、社会保障はなくなるのです。これは大変大事なことです。ほっといて
社会保障が権利として当然だなんて夢みたいなことは言えません。そんなことは権利でも何で
もない。戦って勝ち取ったものなのです。どんどん今、日本で社会保障は悪くなっています。誰
も戦わないからです。消費税上げるなんて、言った途端に100万人規模のデモが起きれば上
がらないのですが、何も起きないから上がるのです。当たり前の話です。すべて力関係なので
す。労働者の戦いに押されて、資本主義の国はやむを得ず、社会保障を始めたのです。
 同時に国内の労働運動に押されて始めたその力を、大きくバックアップしたのが社会主義国
の存在でした。ソ連や東ドイツが社会保障というものをやっていることが圧力になります。レー
ニンという人が、社会保障という言葉をつくったのもレーニンだそうですが、革命を起こして、最
初にやったことが、すべての国民の老後の生活は無償で政府が保障するということです。これ
が社会保障なのです。今の日本でやっているのは保障ではありません。保険です。掛け金を
かけているんですから。保障というからにはタダでなければおかしいです。今、世界中で社会
保障というに値するものを、本当にやっているのはスウェーデンだけです。スウェーデンは年金
でも健康保険の医療費でも、自己負担部分は1%に過ぎません。99%を自治体と企業と政府
が負担しています。あれなら社会保障といえます。何にも積み立てずに、老後はちゃんと保障
してくれるのですから。
 レーニンがやったのもそういうことです。間もなくスターリンによって、どんどん潰されていくん
ですが、しかしそれでも1960年、私が初めて行ったころはまだ社会保障は生きていました。日
本にはなかったんです。日本で社会保障が始まるのは1972年ですからね。1960年に東ドイツ
に行って本当にびっくりしました。社会主義ってすごいものだなと思いました。しかし、既に自由
はありませんでした。私はクリスチャンですから、東ドイツに行っても、教会の牧師に泊めても
らうんですが、牧師は相手がクリスチャンだと思うから安心して本当のことをいってくれるんで
す。牧師っていうのは政府に睨まれているから、手紙は全部開封されてくるといっていました。
「だからあんたも、日本に帰ってから、私に手紙くれるとき気をつけて書いてください。政府の悪
口なんか書かれたら、私はたちまち立場がなくなる」といわれました。手紙が開封されるなん
て、そんな国には住みたくないと思いました。ですから自由がない嫌な国だったのは間違いな
い事実です。だから潰れたのは当然だし、潰れてよかったんですが、しかしいい部分もあった
のです。少なくとも男女の平等と社会保障という面では、資本主義よりずっと進んでいたのは
間違いない事実です。そしてソ連や東ドイツが社会保障を始めると、資本主義もやらざるを得
なくなります。やらなければ、あっちのほうが良いといって、労働者は逃げてしまいます。ですか
らやむを得ず、対抗して始めるのです。世界地図に色塗って御覧になるとすぐ分かります。社
会保障の進んでいる国に色を塗ると、旧西ドイツが一番進んでいます。それからフランス、ベ
ルギー、オランダ、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーですね。全部ソ連、東ド
イツと地続きのすぐそばの国です。ソ連、東ドイツから遠くなるほど、社会保障は悪くなります。
一番遠いのはアメリカと日本で、ですから一番悪いんですね。どっちも島国ですから、嫌でも逃
げられない国です。ヨーロッパは地続きですから、あっちのほうがいいとなれば簡単に逃げら
れる国です。ですから西側の国は必死になって社会保障をやったのです。東に負けないよう
に。
 そして社会保障を実現すれば、自由があって、社会保障があるんですから、東よりいいに決
まっています。東は社会保障はあるけど、自由がないのです。これで西が勝ったのです。西側
の労働者は自分でちゃんと「西のほうがいい」と判断したのです。資本主義が社会主義に勝っ
たのは、一番大きな力は、私は社会保障だと思っています。資本主義でも社会保障はできる
んですよと。労働者の老後を守りますよと。これで労働者は「資本主義でいい」とこうなってきた
のですね。それができなかったら、あっちのほうがいいに決まっています。老後が安心だってい
うことは決定的なことですから。
 その代わり、資本主義が変質しました。社会保障というのは、資本主義のままではできない
のです。社会保障をやるためには莫大な財源がいりますから、新しい財源を2つ見つけまし
た。1つは累進課税です。収入の多い人ほど税率が高くなるというやりかたです。収入の低い
人はあんまり税金を払わないですむ。収入の多い人ほど莫大な税金を出すことになります。社
会保障というのは、政府が金持ちからいっぱい税金を取って弱い人へ回すと、こういうことなの
です。これを経済学の用語では「所得の再配分」といってます。金持ちと貧乏人の所得を再配
分する、つまり強い者から取って、弱い者に回すのですから、明らかに社会主義の考え方で
す。日本でも1980年代が社会保障の一番進んだ時期ですが、そのころ最高税率、累進課税の
最高税率は、所得税で75%、住民税まで入れると85%でした。よく取ったものですね。10億円
の収入ある人は7億5千万円の税金を取られたんです。今は30%ですから。物すごく下がっ
て、金持ちはウハウハなのです。金持ちの税率はどんどん下げる。庶民からジャンジャン取
る、こういうやり方に変わったのです。1980年代は違いました。ちゃんと金持ちからいっぱい取
って、弱い人に回すという仕組みになっていたのです。「なぜそんなに負担しなければならない
のか」と金持ちが文句を言うと、「こうしなければ社会主義に負けてしまう。資本主義を守るた
めの体制維持費だと思って出してくれ」と言ったのです。
 もう1つは企業負担です。企業に社会保障負担をさせるという考え方です。皆さんの給料から
社会保障費が差し引かれていますね。それと同額だけ経営者が上乗せしているわけです。だ
から社会保障費は、いわば我々が積み立てたものの倍になって戻ってくるのです。それだから
社会保障は成り立つのです。我々が積み立てたのが返ってくるだけなら貯金しただけの話で
す。労働者の社会保障積み立てに同額だけ会社が負担することになっています。これも資本
主義の原則に違反しています。今いる労働者の面倒を見るのは会社にとって当たり前の話で
す。労働者がいなければ、会社は成り立たないのですから。だけど辞めたら関係ありません。
資本主義というのは契約がすべてですから。辞めたら契約関係はないのですから、他人なん
です。他人が飢え死にしようが何しようが、会社は関係ない話です。だけども会社を辞めたあと
の労働者の老後の分までちゃんと会社が負担して出してくれ。そうでないと社会主義との競争
で負けてしまう。資本主義が壊れてしまう。だから資本主義を守りたいんだったら、理屈には合
わないけど、社会保障負担をやってくれ、これは体制維持費なんだと。資本主義維持費だと思
って負担してくれと。こういう理屈でした。
 累進課税も企業負担も、どちらも社会主義のいいところを取り入れて、資本主義を修正した
のです。これが「修正資本主義」といわれるものです。ケインズという人が考えたんですね。ケ
インズはレーニンと同じ時代の人で、レーニンに対抗して、資本主義を守るためにありとあらゆ
る知恵を尽くした人です。ケインズのおかげで資本主義は生き延びたんです。
 こういう修正資本主義という、金持ちや大企業から政府が取って、それを弱い立場の人に回
すという仕組み。つまり政府が所得を再配分する。所得の多い人と、所得の少ない人がいる。
ほっておいたら社会が崩壊しますから、多いほうから取って、少ないほうへ回す。所得を再配
分するという役割を政府が果たす。これが修正資本主義の一つの特徴です(修正資本主義に
は公共事業という需要の人工的創出によって大資本の利益を生み出すという、もう一つの役
割がありますが、この問題は今日は取り上げません)。資本主義という経済と、社会主義という
経済を混ぜ合わせた「混合経済」というふうに呼んだ学者もいます。ですから政府は仕事が多
くなります。当然、大きい政府になります。こういうやり方で資本主義は社会主義に勝ったんで
すね。


9.社会主義の崩壊と「新自由主義」

 ところがそのソ連と東ドイツがいなくなったんです。それならもう何も遠慮することはありませ
ん。おまけに国内の労働運動は潰しちゃったんですから。国内の抵抗力がなくなって、ソ連と
東ドイツがいなくなったら、何も譲歩して社会保障をやる必要はないのです。譲歩する理由が
ありません。そこで今、社会保障はやめますという方向に変わってきたのです。つまり、修正資
本主義をやめます。もう修正する必要はない。社会主義はもう負けたんだから、社会主義のい
いところなんか取り入れる必要はない。昔の自由競争に戻ります。すべては自由競争、自己責
任です。こういうことになっています。
 ただ、昔に戻るというのでは格好悪いですから、「新」をくっつけて「新自由主義」とこう呼んで
いるのですね。しかし、何も新しいことはありません。ただの自由競争です。もちろん多国籍資
本の時代の自由競争ですから、一九世紀の自由競争とは違って非常に不公平な自由競争で
す。一九世紀なら、一応平等の条件での競争だったのですが、今は違います。国家の保護を
受けた強い者と何の保護もうけない弱者との競争なのです。強い者が勝つに決まっている競
争です。それが昔の自由主義と違う「新」自由主義なのです。今起こっているのはそういうこと
です。修正資本主義という仕組みをやめて、新自由主義に移る。アメリカはそうなりました。日
本もそれに習っています。ですから今、社会保障はどんどん壊れている。ほっといたら全部壊
れます。戦わない限り、壊れてしまいます。その戦う力が弱くなっているのです。そこが一番の
問題なのです。「デモもなく、ストも忘れた日本は、長いアメリカに巻かれているだけ」というわけ
です。

10.社会主義の崩壊と規制緩和・グローバリゼーション

 もう1つ、ソ連と東ドイツがいなくなって、アメリカは大きく変わったことがあります。それは何
かというと、ソ連や東ドイツがいる間はアメリカは大企業、大資本に勝手なことをさせなかった
のです。アメリカの大企業、大資本というのはとてつもなく大きいのですから、これがやりたい
放題やったら、ほかの国はみんな競争に負けて潰れてしまいます。乗っ取られてしまいます。
 今、日本でもそれが起こっているんです。世界第二の経済大国である日本でさえ、全然太刀
打ちできません。アメリカの金融資本の巨大な力、それと裸で今競争させられているのです。
ボブ・サップとかいうべらぼうに強い男がいますが、今やっていることは、要するにボブ・サップ
と私が裸で殴り合えということなとのです。私はイチコロで殺されてしまいます。そんなのは不
公平で、殴り合えというのなら、ボブ・サップは目隠ししてもらって、手と足縛ってもらって、私は
つるはしか何か持たせてもらって、それで何とか対等の勝負になるのです。それを全部外し
て、何のハンディもなしに、さあ殴り合えというのが、今やっていることです。これではいっぺん
で負けます。負けないためには、ボブ・サップと同じぐらい大きくならなければいけないんです。
ですから合併、合併、合併で、あっという間に日本の銀行は3つになったんですね。今起こって
いるのはそういうことです。どことどこが合併したのだれにもか分からない。ともかくみんな合併
して、3つになって、何とかアメリカと対抗できるようになった。それでもだめで、長銀は乗っ取ら
れた、山一證券は乗っ取られた、拓銀は潰れた、もう今日本中次々と乗っ取られています。こ
のままいけば、間もなく日本全体がアメリカ総本店の日本支店にされてしまう。そういうところに
きているのです。
 世界第二の経済大国である日本でさえ、こうなんですから、ましてフィリピンとか、タイとか、イ
ンドネシアなどはたまったものでありません。アメリカと自由競争をやらされたら、あっという間
に国内経済はアメリカ資本に支配されてしまいます。そんなことになったら、何だ、資本主義っ
てただの弱肉強食ではないか。それなら多少自由がなくても、社会主義のほうがいいというふ
うに言い出す国がでてきます。そうなっては困りますから、だから大資本が勝手なことをやらな
いように、ソ連や東ドイツがいる間は、いろんな法律をつくってアメリカは大資本や大金融資本
を抑えていたのです。
 それがソ連も東ドイツもいなくなりましたから「いやあ、長いことお待たせしました。もう今日か
ら何やってもいいです。御自由に儲けたい放題、やりたい放題やってください」。これが規制緩
和ということです(その基本は為替取引の自由化ですが、今日は説明する時間がありませんの
で次の機会にまわします)。
 規制緩和というのは原則間違っているんです。もちろん緩和したほうがいい規制もあります。
しかし原則的には規制緩和は間違いです。規制緩和をやったら、強いのが勝つに決まってい
るんですから。今では規制緩和という言葉が出てこない日はないですね。カラスが鳴かない日
があっても、規制緩和という言葉が聞かれない日はない。カラスまで「カンワ、カンワ」とこのご
ろ鳴くんですね。
 アメリカだってずっと規制してきたのです。イギリスから独立して、イギリスのほうがずっと進
んでいましたから、自由競争をやったらいっぺんで負けますから、だからイギリスの資本のアメ
リカ進出は規制していました。アメリカはアメリカでやりますよ。イギリスの商品には高い輸入税
金かけて、アメリカでは売れないようにする。アメリカの遅れた産業を育てる。そのために規制
してきたのです。遅れた国は必ず規制しなければだめなのです。そうでなかったら、いっぺんで
負けてしまいます。
 日本もずっと規制してきました。戦後、アメリカの自動車が入ってきたら、日本の自動車産業
はいっぺんで潰れますから、アメリカの自動車には莫大な税金をかけて、外車ってうんと高か
ったんです。だからトヨタや日産が故障だらけの悪い車でしたけど、日本では売れた。それでト
ヨタ、日産が大きくなって、初めて規制緩和するんですね。自由競争になります。つまり規制緩
和というのは強い者の論理で、弱い者は規制しなかったらいっぺんで潰されます。アメリカは
今、ソ連、東ドイツがいなくなりましたから、規制緩和を御自由にと、こういうわけです。世界中
にアメリカ資本がどーんと出て行く。この規制緩和のおかげでたくさんの国が潰れました。東南
アジア通貨危機でタイが破産した。韓国も破産した。IMF管理国になってしまいました。それで
目が覚めたのです。これは大変だと。やっぱり規制しなければいけない。アメリカの言いなり
に、規制緩和なんかやっていたら、自分の国の経済を乗っ取られてしまう。だから規制しなけ
ればならない。けれども規制すると、アメリカは「そんなのは認めない」というわけです。「グロー
バリゼーション」です。グローバリゼーション=要するに地球は一つ、とこう言うです。アメリカ資
本はアメリカ国内と同じ条件で、世界中どこでも商売できるようにしなさい、これがグローバリ
ゼーションという考え方です。一言で言えば、多国籍資本の自由ということです。
 ですから規制緩和とグローバリゼーションはワンセットです。片方だけでは意味ないんです
ね。アメリカが規制緩和しても、相手の国が規制したら何もなりませんから、グローバリゼーシ
ョンで世界中全部に規制緩和を押しつけてくることになります。多国籍資本下の新自由主義と
いうのは、要するに強国が他国の国家主権を認めないで、強国の自由を無理強いするという
仕組みです。もし規制緩和を実施しなければ軍事制裁、とこうなるのです。新自由主義路線と
いうのは、クリントンのときに明白な形を取るのですが、クリントン時代は新自由主義を受け入
れない国があっても経済制裁だけでした。経済的に締め上げて、新自由主義を受け入れさせ
るというやり方だったのですが、ブッシュになってから、軍事制裁になります。新自由主義経済
を受け入れない国には軍事制裁を加えると。これがネオコンという人たちの主張なのです。
 ただ、新自由主義を受け入れないと軍事制裁っていうのでは、幾ら何でも露骨すぎますか
ら、看板として「民主主義」を受け入れなければといっているだけです。イラクを民主化するた
めに、軍事力を使うと言います。要するに新自由主義に組み込みたいだけの話です。しかしそ
うは言えないから、民主主義といっているだけの話です。もちろん頭から嘘であることははっき
りしています。「民主主義」というのはその国の国民が主人公だということですから、よその国
が押しつけたら、民主主義には全然なりません。頭から矛盾したことを平気でいって、騙される
ほうもバカなんですが、民主化のために、中東民主化のためにアメリカが戦争しているなんて
思っている人がいたら、よほどのお人好しなんですね。これは看板に過ぎないんです。
 要するにアメリカが経済的に全部支配したいというだけの話です。そのために遠慮なく軍事
力を使うということになってきたわけです。こうやってソ連と東ドイツがいなくなって、アメリカは2
つの点で、大きく変わったのです。つまり1つは社会保障をやめる。自己責任、自由競争です
よ。政府はもう弱い者の面倒を見ませんよ、という方向に大きく変わる。2つ目は同じことです
が、大資本はやりたい放題やりなさい。弱い人を守るなんて、余計なことは政府はしません。だ
から政府はすることがないのですから、当然「小さな政府」になります。どうぞ御自由に、自由
放任、こういうことですね。このような経済の仕組みを「新自由主義」と呼んでいるわけです。そ
れに日本が右ならえをして「長いアメリカに巻かれているだけ」ということになっているのです。

11.アメリカの孤立と憲法改悪要求

 それでは、もうおしまいなのかと言うと、実はそうではないのです。日本にいると、もうどうにも
ならないように見えるんですね。実際我々もこの10年負け続け、選挙であろうが、何であろう
が、何やったって負け続けで、もう嫌になってきて、諦めムードが広がっているように見えます
が、もちろんそんなことはないのです。世界へ出てみれば、まるっきり逆です。私は仕事の都
合で毎年2、3週間ぐらいドイツにいるのですが、ドイツの新聞やテレビを見ると、日本の新聞
やテレビと全然違います。ヨーロッパでは「アメリカが悪い」というのが常識です。「新自由主義
というのは間違いだ」、「社会保障のある資本主義でなければいかん」というのが常識です。社
会保障をやめるなんて、とんでもない間違いで、アメリカがそれを力づくで押し広げようとしてい
るのは、基本的にアメリカが間違っている、というのがヨーロッパの立場です。
 ヨーロッパはアメリカとは違って、社会保障をこれからも守ろうとしているのです。つまり「修正
資本主義でいきますよ」。「新自由主義にはいきません」というのがヨーロッパの立場です。な
ぜそういうことがいえるかと言えば、労働運動が強いからです。ヨーロッパだって大企業は新自
由主義にいきたいのです。そのほうがやりたい放題やれるし、税金は安くなるし、けれども労
働運動がそうさせないのです。この間、日本でもそのことが少しは報道されました。フランスで
新入社員は採用して1年以内は首切り自由なんて、とんでもない法律が国会で通りました。そ
の途端に、全土で大デモとストライキが起きて、始めは学生だけが騒いだのですが、労働組合
がこれを全面支援して、100万人単位のデモとストが3回全フランスで行われて、政府が屈服し
たのです。国会で成立した法律を撤回するという前代未聞のことが起きました。それだけの力
がヨーロッパの労働運動にはあるのです。
 ここはぜひ学ばなければいけないところです。ドイツもそうです。3月末に私はベルリンにいた
のですが、全ドイツのお医者さんがストライキをやって、ベルリンに全部集まってきて、3万人の
医者のデモというのがありました。待遇改善を求めて、健康保険の診療報酬の引き上げを求
めて、医者だけ3万人です。これはすごかったです。ああいう力があるのです。ですから、新自
由主義には簡単にはいけないのです。労働者が頑張っていますから。今、ヨーロッパは激烈な
戦いの中にいます。大資本はアメリカ流に、日本流に、新自由主義にいきたい。労働者がそれ
を阻止する、連日凄まじい戦いです。これはワールドカップどころではありません。こっちのほう
がはるかに深刻な戦いが行われています。この労働運動の力でヨーロッパは修正資本主義を
守って、新自由主義にはいかないと、頑として頑張っているんです。もう詳しくお話する時間が
ないのでやめますが、ともかくヨーロッパが新自由主義にはいかないのです。
 続いてこの7〜8年、アジアがアメリカ離れを始めました。さっき申し上げたように規制緩和、
グローバリゼーションを押しつけられて、タイが破産したのです。韓国も破産しました。それでI
MF管理国になった。そこから脱却するのに3年か4年かかりました。これで目が覚めて、アメ
リカの言いなりにグローバリゼーションをやっていたら、自分の国はアメリカ資本に乗っ取られ
てしまうことに気づきました。乗っ取られないように、アメリカ資本が勝手にできないような枠を
つくらなければいけにいと考えるようになったのです。そのためにはEUのような枠を東アジア
に作る必要があります。ヨーロッパはEUという枠をつくって、アメリカ資本でもヨーロッパで商売
するときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければいけないようになっています。トヨタはパリにヨ
ーロッパトヨタをつくっていますけど、ヨーロッパトヨタは日本の3倍ぐらい社会保障負担を負担
させられています。そうでないとヨーロッパに入れてくれません。会社の負担が高いのです。だ
から儲けは少ない。だけどもEUという枠をつくることで、それを守っているのです。アメリカの会
社も日本の会社も、EUで商売しようと思ったら、ヨーロッパの基準を守らなければ入れてくれ
ないということになっています。
 同じようにアジアも東アジアマーケット、EACというわけです。イースタン・アジア・コミュニテ
ィ。東アジア共同体という枠をつくって、アメリカ資本に乗っ取られないようにしなければいかん
という動きが今急激に強まっているわけです。言い出し人はASEANです。東南アジア諸国連
合6カ国。しかしASEANが束になったって、アメリカの100分の1ぐらいしかありませんから、と
ても対抗できない。そこで知恵者がいて「中国と組め」ということになります。これは賢いです
ね。中国とASEANが手をつないで東アジアマーケットとなれば、アメリカはうかつに手が出せ
ません。ただ、中国とだけ組むと反米色があんまり露骨になります。あまり露骨にすると、アメ
リカは軍事力を使って介入してくる危険性があります。ですからアメリカを怒らせないために、
中国とだけ組まずに、ASEANプラス3でいくと言うのです。つまり日本、韓国、中国、3つ入れ
て東アジア共同体ということに今なっています。これなら、日本はアメリカの51番目の州ですか
ら、日本が入るということはアメリカが入るということですから、アメリカも認めることになりま
す。日本が入るならいいよというので、このEAC構想をアメリカが認めた。こうやって今、急激
に東アジア共同体は進んでいるのです。
 しかし日本は名前が入っているだけです。日本はEACの会議に行くと、去年もクアラルンプ
ールで暮れに首脳会談がありましたけど。小泉さんは1週間いたんですけど、首脳会談は2つ
しかできませんでした。中国はすべての国の首脳と長時間にわたって会談して、貿易協定を全
部結んでやっていました。日本はEACの首脳会談に行くと「EACを閉鎖的にしないで、アメリカ
も入れようじゃないか」と必ずそういうのです。アメリカに支配さけれないためにつくっているとこ
ろへ行って、「アメリカを入れよう」というのですから、相手にされないに決まっています。つまり
日本は名前を入れてもらっているだけで、実体は中国とASEANです。ここで猛烈な経済交流
が進んでいます。2020年に東アジア共同体を立ち上げると言っています。さらに1カ月ほど前
のことですが、実績から見て、5年繰り上げる。2015年立ち上げるということになりました。間違
いなく生まれるでしょう。
 2015年に立ち上がれば、恐らくアジア通貨ができます。ドルを使ったのではアメリカの支配か
ら逃げられませんから、ユーロのようなアジア通貨ができる。そうなればアメリカはアジアをこ
れまでのように勝手に支配できなくなります。今のEUと同じで、アメリカと対等の別な世界がで
きていくのです。
 最後にこの4〜5年、一気に南米がアメリカから離れました。これは、最近やっと報道される
ようになって、聞いていらっしゃると思いますが。南アメリカは「アメリカの裏庭」といわれて、200
年アメリカがやりたい放題やってきたわけです。チリは世界一の銅の産出国ですが、チリの銅
は全部アナコンダというアメリカの会社が一手に独占していて、幾ら銅を掘っても、チリは全然
豊かにならない。アナコンダが儲かるだけでした。ブラジルは世界一の鉄の産出国ですが、ブ
ラジルの鉄は全部アメリカとフランスの発掘会社が掘っていて、幾ら掘ってもブラジルは全然
豊かにならなかったのです。ベネズエラは世界5番目の産油国ですが、埋蔵量からいうと2番
目でないかといわれていますが、全部アメリカの石油会社が掘っていて、幾ら掘ってもベネズ
エラは全然豊かになりませんでした。すべて軍事独裁国家で、国民を弾圧して、独裁者が地下
資源をアメリカに売り渡して、莫大なリベートをもらって、自分だけ贅沢三昧やっているというの
が、これまでの南米だったのです。
 それがやっとこの数年「こんなのおかしいじゃないか!」ベネズエラの石油はベネズエラのも
のなんだから、ベネズエラの石油を掘ったら、ベネズエラ人が豊かになるのでなかったらおか
しい。そのためにはアメリカの石油会社の株を全部買い戻して、ベネズエラの石油会社が掘る
ことにしよう。それによってベネズエラが豊かになるようにしようということを訴える大統領が当
選したのです。チャベスという人です。アメリカは全力を挙げて妨害したのですが、だめでした。
圧倒的支持で当選しました。ブラジルもそうなり、アルゼンチンもそうなり、今はもう南米で新自
由主義経済、つまりアメリカ資本が入ってきて何やってもいいですよという国はコロンビアしか
ありません。ほかの国は全部アメリカ資本を規制して、自分の国の資本で自分の国の経済を
やっていこうという方向です。当たり前のことですが、この当たり前のことがようやく今、南米で
始まっているのです。南米全体がアメリカ資本の支配を抑える、禁止する。自分の国は自分で
やる。新自由主義経済は認めません。グローバリゼーションは認めませんというのが、今、南
米の大きな動きです。南米で今合い言葉のようになっているのは「失礼にならないようにアメリ
カから遠ざかりましょう」というのです。急激にやるとアメリカの軍事介入を招きますから、アメリ
カを怒らせないように、そろりそろりと遠ざかるのです。これが、今では、世界の合い言葉にな
りつつあります。
 このようにしてヨーロッパがアメリカから離れ、アジアがアメリカと距離を置き、南米がアメリカ
に反旗を翻したのです。今、アメリカの言いなりなのは日本のポチだけです。だから逆にアメリ
カは絶対に日本を手放さないのです。アメリカの言うことを聞いているのは、日本しかないので
す。イギリスはイラク戦争ではアメリカに協力しましたけど、経済政策では協力していません。
労働党内閣ですから。ですからイギリスも新自由主義には決して全面賛成ではないんです。社
会保障は守るという方向です。ただ、イラクだけは別で、イラクというところは元々ずっとイギリ
スの領土だったのですから。イギリスはイラクに莫大な利権を持っています。だからアメリカに
取られてしまっては困るので、アメリカに協力するか、あるいはイラクにある自分の利権はちゃ
んと守ってくれよという話になっているだけの話です。ですからやむを得ず協力しただけの話で
す。
 こうやっていくと、新自由主義に全面的にのめり込んでいるのは、アメリカと日本だけなので
す。アメリカはようやくソ連を倒して、これで21世紀はアメリカが世界の王様だ。新自由主義で
世界中グローバリゼーションで、アメリカ資本が世界中支配しようと思ったのですが、そうはい
かない。EUもアジアも南米もなかなか言うことを聞かないのです。
 もしアメリカが世界の王様でなくてもいいと覚悟を決めてくれれば、世界は平和になるのです
が、今はアメリカはまだ、世界の王様であり続けようというとんでもないことを考えています。そ
のために軍事力を使ってでも、新自由主義経済を世界に押しつけようとしているのです。
 最大の問題はアジアです。アジアが最大の成長地域で、経済的にも政治的にも、もっとも重
要な地域です。やっとソ連を倒したと思ったら、そのアジアに中国という巨大な相手が出てき
て、アメリカは簡単には世界の王様になれないのです。アメリカが世界の王様になるために
は、どうしても中国に言うことを聞かせなければいけないのです。そのためにはいざとなれば一
戦交える覚悟でアメリカはいるわけです。すでに今、イラク戦争で日本の参加を必要としていま
す。次はイランをねらっています。そして最後には中国が最終的な標的なのです。
 そうなると日本なしにはできません。ですから日本の憲法を変えなさいという圧力がかかって
くるのです。これはブッシュ政権になってからです。憲法を変えて、アメリカと一緒に戦争する体
制をつくりなさいと。こうやって中国を脅迫して、日米の軍事同盟体制を強化すれば、中国が譲
歩するかもしれないという圧力なのです。そのためには日本はアメリカの全面的協力国として、
要するに米軍の一部分に組み込みますということになります。今度の米軍再編は正にそういう
ものです。自衛隊が米軍の中に組み込まれて、米軍と一体化するというのが今度の再編で
す。ですから3兆円負担しろと平気でいうのです。アメリカの軍隊を再編するのなら、日本が金
出す必要はないのですが、実は自衛隊をひっくるめた再編計画なのです。ですから「日本は当
然負担しろ」とアメリカは言ってくるわけです。
 ここに今、憲法改悪の動きが急激に進んでいる一番大きな背景があります。要するに修正
資本主義をやめて、新自由主義へ、規制緩和してグローバリゼーションへと。それを軍事力を
使ってでも世界に押しつけるという、この流れが日本を憲法改悪へと追いやっているのです。

12.憲法九条こそ21世紀日本の経済繁栄の土台

 ですから憲法改悪阻止というときには、当然新自由主義経済に反対ということと一つになりま
す。平和を守ることと暮らしを守ることは一つなのです。修正資本主義でいきましょう。政府は
弱い者の面倒を見なさい。弱い者の面倒を見るのはやめるなどという政府は認めません。そ
のためには選挙で勝たなければいけません。やっぱり弱い者の面倒を政府は見ますという方
向に向きを変えさせなければいけない。そうでないと、結局は憲法まで変えられてしまいます。
暮らしが破壊されるだけでなくて、命も危なくなっていく。そういうところへきているのだろうと思
います。
 世界全体から見れば、我々の運動はむしろ主流なのです。新自由主義経済はだめですよと
いう流れです。日本にいると、押しまくられているという感じになります。それでは日本ではだめ
なのかというと、私はそうではないと思います。あと3年で流れは変わります。
 すでに御存じのように、日本の経済は中国との商売なしには成り立たなくなっています。2つ
だけグラフを載せておきましたが、中国との貿易の統計です。日本の貿易全体の中で、アメリ
カは20%にすぎないのに、2003年の統計ですでにアジアは45%なのです。去年はアメリカは
18%です。どんどん減っているのです。中国が既に去年で20%です。ですから日本にとって一
番大事な商売相手はアジアであって、アメリカではなくなっているのです。もうひとつの表は棒
グラフですが、左の上から右にずっと下りてくるのがアメリカの比率です。左下から右へずっと
上がっているのが中国の比率で、2004年についに交差しました。日本の貿易量の中でアメリカ
の占める割合より、中国の占める割合のほうが2004年で多くなったのです。
 御覧のようにハサミ状に交差していますから、今後急激に開いてきます。あと3年もすれば、
日本経済はもう中国との関係なしには成り立たないということが明確になってきます。アメリカ
の比重はどんどん落ち込んでくるだけで、アメリカとの経済関係は日本にとって、一番重要なも
のではなくなります。経済の専門家は誰だってそのことは分かっています。政治家だけが分か
っていないのです。経済は完全にアジア依存なのに、政治だけがアメリカべったりという実に異
常なことになっているのです。
 このような実態にあと3年もすれば国民も気づくようになります。誰が見たって、日本経済は
中国と仲良くしなければ飯が食えないということが国民の常識になります。私はそう思っていま
す。どの家庭でも、子どもたちの1人や2人は上海出張所勤務とか、広東支店勤務になるので
す。国内で働くところなんかありませんから、みんなアジアに出ていく。そうなれば誰だってアジ
アとケンカするわけにいきません。アジアと仲良くしなければ飯が食えないというのは国民の常
識になるでしょう。
 第二次大戦後60年、アメリカ一辺倒できましたから、アメリカから離れたら生きていけないと
思い込まされているのです。だけど実際はもうそうではありません。アメリカよりはアジアのほう
が大事なのです。今はアジアとケンカしたら生きていけない、というのが経済の現実なのです。
ただ、それが国民の常識になっていないのです。しかしあと3年も経てば常識になります。
 その証拠がナベツネ(渡邉恒雄)と奥田です。財界トップの奥田、経団連会長、前のトヨタの
会長です。去年まで靖国参拝全面支持、小泉全面支持でした。今年元旦の記者会見で、180
度向きが変わりました。「アジアとの友好を第一にする政治に変換してほしい」と注文をつけま
した。当たり前です。遅まきながら気がついた。トヨタは今広東に大工場を建てています。世界
最大の自動車工場といわれています。ですから中国にケンカを売ったら、トヨタは潰れます。あ
れの許可を取り消されたら終わりです。トヨタは中国との友好を第一にしなければならないので
す。だから「靖国参拝やめてほしい」「アジアとの友好を第一にする政治になってほしい」と、遅
まきながら奥田も気がついたのです。
 もう1人はナベツネです。読売新聞社長、ジャイアンツのオーナーですね。嫌なやつですけど
も、去年まで読売といえば右翼新聞のナンバー1で、憲法改悪全面支持、先頭に立って旗振
る、靖国神社参拝も全面支持でした。今年になってそのナベツネが180度変わりました。やっ
ぱりアジアとの友好を第一にする政治にならなければいけない。さらに奥田よりもうひとつ進ん
で「60年前のあのアジア太平洋戦争は犯罪だった」とナベツネがはっきり言いました。びっくりし
たのは朝日新聞で、今まで自分がいっていたことを読売が言い出したものですから、朝日の論
説主幹とナベツネが対談して「何だかどっちが朝日新聞だか分からなくなりました」なんて朝日
の主幹が言っています。この対談は面白いんです。小さなパンフレットになって出版されていま
す。つまり奥田という日本の財界トップと、ナベツネというマスコミトップが、アジアとの友好を第
一にせざるを得ないという方向に向きが変わったのです。トップが変われば、あと3年もすれば
世論になります。財界トップとマスコミトップがそうなれば、いずれ世論はそうなります。ですか
らあと3年経てば、日本の世論はアジアとの友好が第一だという方向に変わると、私は確信を
持っています。
 アジアとの友好が第一となれば、憲法は変えられません。ほかの国なら黙って友好関係に入
れますが、アジアとは無条件では友好関係に入れません。60年前にあれだけの侵略戦争をや
って、あれだけ悪いことをやったのですから、アジアと仲良くするためにはどうしても2つの条件
があります。1つは「60年前の戦争は悪かった、ごめんね」と、これは絶対必要なことです。こ
れなしにはアジアは日本とは仲良くなってくれません。2つ目は「二度とやらないから仲良くして
くれ」と。この2つは絶対必要な条件なのです。そして二度とやらない保証は憲法9条ですか
ら、憲法9条を変えてまた戦争をやるというのでは、アジアは日本を信用してくれません。そうな
ったら日本はもう生きていけません。小泉っていう人は「政冷経熱でいいじゃないか」とバカなこ
とを言っています。政治はアジアと冷たいけど、経済は今だって熱い交流をやっているので、政
治と経済は別だなどと言いますが、全然そんなことはありません。現実にもうアジアとの関係は
どんどん冷えかかっています。
 統計は正直です。3年前まで中国の貿易の相手は、第1位がアメリカ、2番目が日本、3番目
がEUでした。去年どうなったか。去年、中国の貿易のトップはEUになりました。2番目がアメリ
カ。日本は3番目に落ちました。間違いなく中国は、日本との関係を縮小して、その分EUとの
関係にシフトしています。
 なぜかと言うと、日本の政治の方向が信頼できないからです。靖国神社に行くとか、憲法改
悪を推進するとか、これでは日本は信用できないということになりす。日本との商売は少しず
つ、経済はいっぺんに変われませんから、時間かけて少しずつ縮小して、日本から買う物は全
部EUで買えるんですから、何も日本から買う必要ないのです。EUとはアメリカの支配から脱
却するという基本的な共通性がありますから、中国は明らかにEUにシフトしています。政冷経
熱なんてノンキなことを言っていたら、とんでもないことになります。いずれ政冷経冷になって、
日本経済は大打撃を受けるということになります。そのことに奥田は気がついたのです。ナベ
ツネも気がついた。そうなれば、国民もいずれ気がつきます。そうなれば憲法は変えられな
い。憲法を守ることは日本経済繁栄の保証だということが必ず明らかになってくると思います。
 3年というのは実は、衆議院の任期なのです。衆議院はあと3年で任期切れです。3年後の
総選挙では、どんなにしても自民党はこんなに勝てません。この前の選挙では、間違って勝ち
すぎたのです。マスコミが騙されて、大騒ぎしたものだから。3年後には3分の2は絶対取れま
せん。3分の2なければ、憲法は変えられないのです。だからあと3年頑張れば憲法は守れる
はずです。国会で自民党が3分の2以下になりますから。
 さらにもうひとつ大きいのは、あと3年経つと、アメリカの大統領が変わります。ブッシュは3選
禁止ですし、おまけに散々悪いことをやって、今人気最低です。アメリカの世論調査を見ると、
今アメリカで大統領選挙があったら、何党に入れますかというので、ブッシュの共和党に入れ
るというのは大体20%です。野党の民主党に入れるというのが50何%です。ですから次の大
統領選挙は民主党が勝つだろうというのが大方の予想です。民主党の大統領候補は、今のと
ころヒラリー・クリントンです。クリントン夫人です。アメリカで史上最初の女性大統領が生まれ
る可能性が物すごく高いのです。ヒラリーという人は社会保障の専門家ですから、もしヒラリー
が大統領になるということになれば、アメリカ政府は所得の再配分機能を取り戻すということに
なります。所得再配分をやらない限り、どんなにしたって、社会保障は不可能ですから。つまり
修正資本主義的要素をもう一度取り入れるということです。そうなるとヨーロッパとも話がつき
ますから、世界が平和になってきます。新自由主義で実力で押しつけようとするから、今揉め
ているので、アメリカが修正資本主義へと舵を取り直せば、日本に対する改憲要求もおさまる
ことになります。
 あと10年も20年も頑張れといわれると、なかなか元気が出ないのですが、あと3年ならなんと
かなります。3年、憲法改悪を阻止すれば、展望が開けてきます。私もあと3年で75歳ですが、
そのぐらいは生きているでしょうから、必死になって頑張って、ともかく子どもたちに憲法のある
日本を残してやらなければいかんと、そう思っています。
 但し、これは憲法を守るだけです。憲法を実行させるのは、労働運動の復活がなければ実
施させられません。社会保障をちゃんと復活させろ。労働者の権利を守れ。思想信条の自由
を守れ。憲法が存在しているのに、全然政府は今、実行していないのですから、これを実行さ
せるためには強大な運動が必要です。しかし、まず守ることが大事なです。形だけでも憲法を
残せば、戦争はできなくなります。まずは憲法を守ること。その次は憲法を実行させること。実
行させるのは10年はかかるでしょう。労働運動の復活ということが長期的には、我々にとって
一番重要な問題になります。
 短期的には3年。何とか頑張り抜いて、憲法改悪を阻止する。そうすれば21世紀、アジアとの
友好関係の中で日本は経済的に繁栄を続けることができると、私は思います。そういう意味
で、憲法9条は、今までは確かに美しい理想でした。しかし9条では飯が食えないと言う人が多
かったのですが、今は逆なのです。憲法9条をやめたら、アジアを敵に回すことになって飯が
食えなくなるのです。憲法9条を守ることが日本の経済の繁栄を保証する道です。憲法9条は
美しいだけでなくて、9条は儲かるのです。これが今の一番大事なポイントだと私は思っていま
す。
 ちょっと時間をはみだし過ぎました。一応これで今日のお話は終わらせていただきます(拍
手)。                ─了─






10.憲法九条と日本の進路〜改憲論批判〜

 (2007.6.17.岩手県東和町九条の会、テープを起こしてくださった「とうわ九条の会」のみなさん
に感謝します)


1.暴走する安倍政権
2.そんなことはさせないという人民の意志
3.人民主権に抵抗し続けてきた日本政府
4.人民の戦う力の衰弱を絶好の好機として改憲をねらう右翼政権
5.人民主権の回復と平和への道筋


1.暴走する安倍政権

 みなさん、こんにちは
 川端純四郎と申します。私は1934 年生まれですから、日本が戦争に負けた時
は、小学校6 年生でした(当時は国民学校でした)。仙台市のど真ん中に住んで
いましたので、米軍による仙台の空襲で火の中を逃げ回った忘れられない想い出
があります。たくさんの同級生が焼け死にました。隣の家に三浦君という、6 年間
毎日一緒に学校にかよった、一番仲の良い友達がいたのですが、直撃弾で一家
全滅、三浦君も即死しました。このごろ、しきりに三浦君のことを思い出すのは、私
が年をとったせいか、それともまた、戦争が近づいている予感がするから
か・・・・・。
 思い出す私は70 歳を過ぎているのですが、思い出に出てくる三浦君は、当然
のことですが、小学校6 年生のままなのです。本当なら、三浦君にもあのあと、60 
何年の人生があったはずなのです。無惨に断ち切られました。何の責任もない、
罪もない人がたくさん殺される、戦争とはそういうものだと思います。戦争を始めた
責任者たちは、のうのうと生きのびて・・・・・・。
 今のイラク戦争を見てもそうだと思います。ブッシュもチェイニーも、これから悠々
と安穏な老後を暮らすのでしょうが、イラクの子どもたちは、これから何十年、もし
かしたら何百年にわたって,劣化ウラン弾による放射能障害で苦しまなければな
らない。戦争って、そういうものですね。
 あの時以来、私は戦争だけはしてはダメだと、子ども心に思い、その気持ちは
今も変わりません。ところが、ご存知のように危なくなってきています。憲法9条を
変えて、また戦争をやろうなどと、とんでもない話が持ち上がっています。
 安倍内閣、一日たてば一日たつほどひどい内閣だなあ! と、思います。安倍
晋三、もうシンゾウマヒを起こしそうですね!(笑い) 一日も早くやめてもらわない
と、こっちが危ないという感じがします。
 教育基本法改悪!── 歴代自民党の悪政内閣が長く続きましたが、その自
民党政権でさえ手をつけなかったのです。教育には政治が口を出してはいけな
いということを、彼らは知っていたのです。教育というのは、何しろすべての子ども
に関わるのですから。自民党や公明党の子どもだけ教えるわけではないのです。
教育に関することは、党利党略で決められては困るのです。全党一致しなければ
いけない。それを、数をたのみに押し切るなんて。私は新教育基本法は自民党と
公明党の子どもだけ、この法律で教えてほしいと思いますね。私たちの子どもは
ちゃんと、旧教育基本法でやってほしい。
 多数決なら何でもできると、あの人は思っている。そんなことはないのです。多
数決で決めていいことと悪いことがあります。民主主義にとっては、多数決は大事
な手段ですが、しかし、多数なら何でも決められるというのなら、国会で殺人奨励
法とか泥棒推進法とかつくれるかというと、そんなものはいくら多数だからといって
も、絶対つくれません。多数決でやってよいことと悪いこと、そのけじめがあの人に
はわかっていない。
 歴代文部省、文科省がいろいろごちゃごちゃ悪いことをやってきましたが、政府
が国会で教育基本法に手をつけるなんていうことは、歴代自民党政府も、一度も
したことがなかった。これは党利党略でやってはいけないこと、教育は人格の形成
に関わる問題、基本的人権に関わる問題です。それを党利党略で,多数決で決
められたのでは、たまったものではありません。そういう一番大事なことが、今の総
理大臣はわかっていないということだと思います。
 国民投票法をはじめ、従軍慰安婦に強制はなかったとか、沖縄の集団自決に
軍の強制はなかったとか、ありとあらゆる・・・・・。聞くたびに血圧が上がって、健康
上大変悪いです。このごろなるべくNHKニュースは見ないようにしています。見る
と具合が悪くなってきますので。
 とにかく本当にひどい世の中になってきました。最後は憲法9条まで変える、そ
して『戦後レジームの転換』と言います。何のことだかよくわかりませんが、都合の
悪いときだけカタカナを使うのです。「レジーム」とは「体制」でしょうね。日本の社
会体制を変えるんだ、と、こう言う。
 私などは戦後の社会体制とは何かと言われれば、すぐ思い浮かぶのは、「対米
従属」です。日本は、基本的にアメリカの属国だった。それを変えてくれるなら、大
歓迎ですが、あの人は違います。対米従属大変けっこうで、それは変えない。で
は何を変える? 
 戦後日本の社会体制はもうひとつあるわけです。戦後日本は、真っ二つの相
反する二つの体制の中で生きて来たのです。ひとつはアメリカの属国になる安保
条約、アメリカの軍事基地になってきたこと。もうひとつは、それと正反対の平和
と民主主義の憲法。憲法と安保という二つの相反する体制の中で(両立は本当は
不可能なのですが)、股裂き状態で、日本はずっとやってきたわけです。
安倍首相は日米同盟最優先を主張する人ですから、その首相が『戦後レジー
ムの転換』という時には、『対米従属』は今後ますます続けることは当然です。それ
なら転換するのは、平和と民主主義しかないわけです。簡単にいえば、『戦後レジ
ームの転換』とは、『民主主義』をやめますということです。戦後60 年続けてきた民
主主義の体制をやめます、と。
 これが一番大事なところ,『戦後レジームの転換』という何かわからない言葉の
陰で、今進められているのは、まさに、民主主義をやめようということなのです。憲
法9条を変えて軍隊を持つというのは、大変なことですけど、民主主義をやめると
いうのはもっと大変なことです。ドイツ、フランス、スウェーデン等の国も軍隊をもっ
ています。軍隊をもつことで、とんでもないダメな国になるというのではありません。
それらの国は立派な国です。なぜなら、民主主義がちゃんとしていているからで
す。民主主義がちゃんとしていれば、軍隊をもってもそれほど悪いことはできない。
軍隊を持つかどうかは、それぞれの国の背負っている歴史から判断すべきことで
す。日本は、アジア侵略の歴史から見て、絶対に軍隊を持ってはいけない国です。
しかし、一般論としては、軍隊をもったからすぐその国が悪い国だというわけでは
ありません。民主主義がしっかりしていれば軍隊をもっても立派な国はあります。ヨ
ーロッパの国はみんな軍隊をもっています。しかし社会保障が守られ、民主主義
が守られ、その国で生きている人々の権利が守られています。大事なことは、軍
隊をもつかどうかより、民主主義を守ることです。今、安倍首相が進めているのは、
その一番大事な民主主義をやめてしまおうということです。民主主義の根本はす
べての人が自由・平等であるということ、それが彼にはない。女は男以下、女性は
家庭に引っこんでいろとか、とんでもない話が出てきます。
 民主主義が今こわされようとしている。それが今本当に大きな問題です。しかも
それを多数決で押し切る! 民主主義だからといって、多数決で民主主義をやめ
るということは許されない。民主主義をやめるのはクーデターでしかない。クーデタ
ーで政府を倒し、独裁の国にすることはできますが、国会で多数決で民主主義を
やめますなんてことは、自殺行為です。民主主義には、そういうことは許されては
いません。
 今の憲法にも書いてあります。
(前文) 「・・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくもの
である。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」。
今の日本国憲法に反する憲法はつくれませんよ、と書いてあるのです。ところが今、
安倍内閣がやろうとしていることはそういうことです。憲法の原則に反する憲法を
つくろうとしている。そんなことを多数決で決めてよいことではない。アメリカ、フラ
ンス、ドイツも、これだけははっきりしている。憲法を変えることはできるが、それは
細かい所を変えるのであって、憲法の根本原理、つまり民主主義で行くということ
は変えられない。多数決でも変えられないのです。
 アメリカの場合、憲法の上に「独立宣言」があります。これがアメリカの国の基本
のしくみを決めている。これに一言一句たりとも手をつけることは許されていません。
多数決だからと、独立宣言を変えるなどというのは、そもそもアメリカという国をなく
すことですから、それは許されない。
 フランスもそうです。憲法の上に「人権宣言」があります。フランス革命の時の
「人は皆、自由、平等である」という宣言、これがフランスなのだ、と。250 年も古い
ものですが、一言一句たりとも手をつけられていない。最高裁は今でも「人権宣
言」に基づいて判決を出しています。これは多数決で変えられるものではないの
です。クーデターで政府を倒せば変えられますが。国会で多数決で変えてはなら
ないものであって、それを変えるというのは、フランスがフランスでなくなるというこ
とです。
 日本の憲法もそうなっています。前文に「この憲法に反する一切の憲法は認め
ない」とあります。いくら多数でも、今の憲法に反する憲法はつくれない、つくりた
かったら、政府を倒してクーデターでつくるしかない。しかし、今、安倍政権はそれ
をやろうとしているのです。

2.そんなことはさせないという人民の意志

 それに対して、そんなことはさせませんよ、というのが憲法です。だれが言うのか
といえば、主人公である人民です。我々が主人公であって、政府が戦争をやるこ
とは認めません、軍備をもつことは認めません、というのです。つまり、憲法とは、
我々人民が政府に対して出した命令です。我々人民が主人。政府にこういうこと
はやりなさい、こういうことはやってはいけませんということを決めたのが、憲法で
す。ですから、私たちに憲法を守る義務があるのではなく、政府に守る義務がある
のです。
 「我々」とは、日本人民です──「国民」と言わないでほしい。国民という言葉が
すっかり定着してしまって、「人民」というと、何となく左翼っぽい感じなのですが、
それでもリンカーンの言葉は「人民」になっています。「人民の人民による人民の
ための政治」、あれが民主主義なのです。あれをもし、「国民の国民による・・・」と
いったら意味が通らなくなります。「国民」は、その言葉の中にすでに「国」が入っ
ていますから、国民が集まって国をつくるというのは同語反復にすぎません。そう
ではない、国家がある前に、人民が存在するのです。国があって人間がいるので
はない! 
 我々が国をつくったのであり、国よりも人民が先だ。これが民主主義です。人民
がいて、その人民が集まって国をつくったのです。だから、我々は国民ではない。
国民である前に人民である。その人民が政府に命令を出している。勝手に戦争な
んかすることは認めません。軍備を持つことは認めませんと。
 憲法9条は時々、「二度と戦争はしない」、という我々の決意表明だと言われる
ことがあります。確かにそういう面を半分は持っていますが、それだけではない。
我々の決意表明ではなく、政府に戦争をさせないという、我々の「命令」なので
す。
 一方、法律は、我々に守る義務があります。憲法に基づいて、選挙で国会をつ
くり、その国会で法律ができるのだから、法律はどんな悪法であろうと、守る義務
があります。我々が決めたもので、それがいやなら、選挙でよい法律をつくる人を
選べばよいだけの話なのです。だから、法律は私たちに守る義務があるが、憲法
はそうでなく、政府に守る義務があるのです。それが憲法というものです。人民が
政府にこういうことをしなさい、これはしてはいけない、と。言ってみれば、憲法とは、
ご主人から番頭さんに渡された書き付けのようなもの、心得書きです。それが今、
逆になってしまい、番頭がいばって、主人を無視して勝手なことをやり出している。
それが今の状況です。
 アメリカの憲法はそこが大変はっきりしています。最初の手書きの憲法は、アメリ
カの国宝として大切に保管されていますが、一番最初に、“We the people” 「我
ら人民は」と大きく書いてあります。それからふつうの字で本文が始まる。本文の
50 倍もの大きな字で“We the people” とあります! あれは実に見事です。あれ
が民主主義です。「我ら人民」、これが主人、政府にこれをしなさいと命令し、これ
をするなと命令する、これが憲法です。そういうものなのです。

3.人民主権に抵抗し続けてきた日本政府

(1)戦争放棄と天皇の地位
 それに対して、日本政府は60 年間ずっと、これを何とかして守らないですむよう
に、何とかして骨抜きにするようにやってきました。憲法ができたその日から。
 憲法ができたいきさつについては、こういうことでした。日本が負け、米軍に占
領され、占領軍最高司令官マッカーサーが日本政府に新しい国になるのだから、
新しい憲法をつくりなさいと指図し、日本政府は新しい憲法原案を占領軍に提出
したのです。その時ちゃんとしたものをつくっていれば、何も問題はなかったので
すが、その原案は、明治憲法そのもの、およそ民主主義などというものではなかっ
た。封建的、前近代的な憲法原案だった。そこでマッカーサーは怒った。「あなた
方は負けたんですよ。今までとは違う民主主義の国にならなければいけない。今
までどうりの憲法ではだめだ」とつっ返した。それで、もし日本政府が占領軍と交渉
しながら何度も原案をつくり直して、ついに憲法ができた、というのならよかったの
ですが、残念ながらそうではないのです。それだけの時間的余裕がありませんで
した。それは「極東委員会」というものが、発足目前だったからです。
 日本はアメリカとだけ戦争したのではなく、連合国とやったのです。40 カ国くら
いを相手に、米、英、中国、ソ連、インド、インドネシア、フィリピン・・・・・他
40 カ国ぐらいの国と戦争をし、そして負けた。たまたま負けた時はアメリカが先頭
になって攻めていたので、アメリカに占領された。広島あたりはイギリス軍が占領
しました。が、日本の99%はアメリカが占領し、その最高司令官のマッカーサーが
全権を握っていたのですが、建前から言えば、アメリカではなく、連合国が日本を
占領したのです。
 その連合国の代表が集まって日本の占領政策を決めるのが「極東委員会」で
あり、それを設置することは決まっていたが、まだ発足しておらず、いろいろ遅れ
て発足は一年近くかかります。その間は、マッカーサーが全権を握っていました。
それがまもなく発足するので、彼は焦ったのです。極東委員会が発足してしまえ
ば、マッカーサーの思うようにはならなくなる。極東委員会の方が上部組織だから。
マッカーサーとすれば、その前に自分の考えに合う憲法をつくらせたかった。極
東委員会が発足してからでは、マッカーサーとはちがう考えの憲法ができる可能
性が高かったのです。何がちがうか? 天皇の地位です。極東委員会が発足して
からでは、天皇はまちがいなく絞首刑でした。極東委員会の構成メンバーの圧倒
的多数が、天皇絞首刑に賛成、アメリカの世論も、何度も世論調査がなされました
が、天皇は絞首刑にすべきだ、というのが圧倒的世論でした。もちろんアジアの
国々も。
 ところが、マッカーサーは天皇を助けたかったのです。天皇に利用価値があると
考えていました。マッカーサーは貴族趣味があり、何百年も続いた家柄に敬意を
もっていたといわれています。天皇家のように,千年以上も続いた家柄に愛着もあ
り、残したいと思っていたようです。
 しかし、もちろんそんな個人的趣味だけではない。政治的に天皇を残さないと、
日本の占領はうまくいかないと考えたのです。これは今から考えれば,あたってい
たかもしれません。
 ドイツとちがって、日本の軍隊はアジア各地に無傷で残っていました。ドイツは
徹底的に負け、東からソ連が、西からアメリカが攻めてきて、真ん中のエルベ川で
出会ったのです。全ドイツが戦場となって、ドイツ軍は完全に壊滅し、指揮命令組
織はなくなってしまった。ところが、日本軍はそうではない。余力を残して早めに降
伏したのです。完全に負けたのではなかったのです。インドネシアや台湾には数
十万の日本軍が無傷で残っていました。インドネシアも台湾も全然戦場にはなら
なかったのです。
 アメリカはそういう無傷の日本軍がいる所を避けて、飛び石で攻め、インドネシ
アをとばしてフィリピンへ。フィリピンから台湾をとばして沖縄へ。そして、いきなり
東京を攻撃。「飛び石作戦」という賢いやり方です。日本は、海軍と空軍は全滅し
ていたので、インドネシアにいくら陸軍がいても、頭ごしに行かれてしまったからど
うしようもなかった。しかし、その陸軍は無傷で残っていました。インドネシアも台湾
も中国大陸も、こういう日本軍がたくさんいました。もし、それらが、日本の敗戦を
認めない、負けてはいない、といって最後まで戦うとしたらやっかいなことになりま
す。インドネシアを独立させて、そこを拠点に抵抗するなどということになると大
変なことになる。
 アジアに残存していた数百万の日本人、それに百万以上の日本軍がいたの
ですが。その日本軍が何の文句も言わずに武装解除して、素直に日本に引き揚
げてきました(復員という)。
 なぜそれができたか。天皇の命令だったからです。天皇が武装解除と引き揚げ
を命令した。だから、一切の抵抗をせずに引き揚げてきたのです。
 これは、戦争中の人間でないと理解できないかもしれません。天皇とは、どういう
ものであったか? 私も小学生だったから多少覚えていますが、絶対的な神様で
あり、その命令には絶対に逆らえませんでした。「天皇陛下」という発音が神聖だっ
たのです。天皇の話しをするのに、皆さんのように座って、そんなかっこうをしてい
たら、殴り倒されました。その「音」が鳴る時は、起立しなければならなかったので
す。直立不動で。ですから不意打ちにならないよう、その音が次に出てきますよ、と
予告し、立つ準備をさせるのです。それは『畏くも』(かしこくも)と言う言葉です。
こう言われたら、立つ準備をします。「畏くも、天皇陛下におかせられては・・・・」
で立って終わると座る。小学校でも毎日それをやらされていました。
 この天皇の命令があったから、何の抵抗もせずに、日本軍は引き揚げてきたと思わ
れます。ですからマッカーサーは天皇を残したい、と思っていた。政治的に必要だと。
 しかし、アジア諸国はそんなことは許さない。どうするか?その窮余の一策とし
て出てきたのが憲法九条だと言われます。戦争をやめます、軍備も二度と持ちま
せん。だから天皇を残しても危険はありません、というのです。
 つまり、九条と一条はバーター(物々交換、交換品)なのです。あきらかに。天皇
を残すかわりに戦争をしないから勘弁してくれ、もう二度と戦争をしない、軍備を
持たない、というならアジアの国々も渋々でも納得するだろう。──誰が考え出し
たのかわかりません。いろいろな人が自分が考案者だと言っています。当時の幣
原喜重郎首相(45 年10 月組閣〜46 年4 月)が、天皇を助けるために、戦
争を二度としないから助けてくれ、と言い出した、という説が今まで有力でした。マ
ッカーサーの方から言ったとの説もある。また、最近になって、白鳥というドイツ大
使〜ウルトラ右翼ですが〜 この人が、何とかして天皇を助けようと、戦争放棄を
考え出した、という説もある。誰が考え出したにせよ、それはどうでもいいのです。
結果として、戦争放棄と天皇を絞首刑にしない、ということがワンセットだったのは
事実です。その証拠に、日本政府はマッカーサーから渡された新憲法原案に
いろんな文句をつけていますが(これはできない、これはダメだ、変えて下さい、
と)、九条については一言も文句を言ったことはないのです。あの日本政府が。
なぜなら、九条に文句を言えば天皇が危ないとよくわかっていたからです。
 ですから、安倍晋三首相が九条をやめようというなら、天皇もやめてもらわなけ
ればなりません。これはワンセットなのですから。九条をやめて天皇だけを残すと
いう話はない。九条があるから天皇を残してもよい、というのが憲法が生まれたとき
の状況です。
 もちろん、今は新しい天皇になっているので、話は変わっています。昭和天皇
が生きていたら、九条を変えたら天皇は絞首刑でなければ理屈が通りません。そ
うでなければ世界が納得しない。しかし、今の天皇は安倍さんよりずっと民主的で、
ずっと憲法を大事にしています。即位する時に、原文にはなかったのですが、自
分で「憲法を遵守し」と、一言付け加えました。今の天皇は民主主義が大事で、憲
法を守っていた方が良いと思っている。昭和天皇とはだいぶちがいます。ともかく
そういういきさつがありました。
 このような経過で、アメリカ軍はやむをえず──本当は日本の憲法なのだから、
日本人がつくらねばならない──極東委員会の発足が目前だったので、短期決
戦で我々がつくる、と占領軍が憲法原案を、わずか三週間でいっきにつくったのです。
つくれた、というのはアメリカの実力です。日本軍には絶対できない! たと
えば、インドネシアを日本軍が占領しても、インドネシアの憲法をつくれるような人
は日本軍の幕僚には誰もいなかった。法学博士、大学の法律の教授、弁護士、
たぶん一人もいなかったでしょう。ところが、アメリカ軍には博士が何十人もいたの
です。東京の総司令部に。大学教授が十数人、弁護士が十数人。あれはさすが
にアメリカの国の底力です。日本も徴兵制ですから、大学の先生も弁護士もみん
な、兵隊にとられましたが、日本軍はそういう人を大事にしなかった。弁護士だの
大学の先生などは指導部には入れなかった。ところが、アメリカも徴兵で、同様に
兵隊にとられましたが、そういう人を大事にしていて、幕僚(長官に直属する将校) 
に入れています。だから、日本を占領した司令部の中に、憲法をすぐに書けるよう
な人が何十人といたのです。ここがさすがアメリカの文化の高さというか、底力とい
うものです。
 そこでいっきに缶詰にして(正味10日間で作成しました)民主主義憲法をつくらせた。条件は
日本の民主化、天皇を残す、戦争放棄、この三点だけ。ですから、憲法の原案はアメリカがつ
くったのはまちがいありません。
 しかし、まるっきりアメリカ製かというと、そうではない。最近できた『日本の青空』
という映画が、この秋にはあちこちで上映されますが、鈴木安蔵さんを主人公にし
たものです。福島の人で、日本の憲法学者です。戦時中は戦争に反対して逮捕
されたりしていましたが、── 憲法草案を日本政府がつくろうとしていることを聞
き、国中で、こういう憲法がよい、ああいう憲法がよいと、いろんな原案が出てきま
す。政党もそれぞれつくりました。共産党の草案だけが『天皇制』廃止、『日本共
和国』というもので、あとはどれも天皇制を残すという、かなりあいまいな草案です。
── 戦後、鈴木安蔵、高野岩三郎らを中心とした憲法研究会ができ、その会が
つくった憲法草案が、今の憲法に非常によく似ているのです。それをアメリカ占領
軍が一番参考にしたことがわかっています。だから、ただアメリカが勝手につくっ
たのではなく、日本の民間が出した原案を大きく取り入れたものです。

(2)人民から国民へ
 こうしてアメリカがつくった英語の草案を、日本政府に渡しました。日本政府は驚
愕しましたが、占領軍命令なので、受け入れるしかなく、「これを日本語に訳し、政
府案として発表しなさい」と言われるわけです。日本政府がつくったことにしたので
す。政府はそこでこれを翻訳し、政府原案として、国会にかけ、審議し、そして、日
本国憲法として発布するわけです。その時、三段階にわたって改悪されたのです。
まず占領軍との交渉の段階で、次に政府の翻訳の段階で、三つ目は国会審議の
段階です。
 今の憲法はすばらしい憲法ですが、英語の原案は、今の日本国憲法よりずっと
すぐれたものだったのです。翻訳時に、それが曲げられました。わざと誤訳したの
です。そして、国会審議でさらに。今の憲法はすばらしい憲法ですけど、もとの英
語草案にくらべるとかなり悪くなっており、英文の方がはるかに民主主義に徹して
います。
 では、どこを変えたのか?
 吉田茂首相(46 年6月〜54 年在任)は国会に提案する時,こう言いました。
「敗戦の今日におきまして、如何にして国家を救い、如何にして皇室のご安泰を
図るかという観点をも十分に考慮致しまして立案した次第です」。
まるで、自分がつくった憲法のように聞こえますが、本当は英文を訳したものです。
しかし要するに、ここに本音が出ているのです。「国家を救い、皇室のご安泰を図
る」ために、米軍と交渉し、曲げて翻訳したのです。どう曲げたか? 
@ 英文の“people”(人々、人民)をすべて「国民」に変えた。
A国会審議で、英文草案にはない「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」(第
10 条)を挿入した。その法律とは、1950 年の「国籍法」のことで、「日本国籍所有者」
のこととされた。
  People をすべて「国民」と訳したのです。People は国民ではない、人民です。
nationなら国民でよいのですが、people には「国」の意味は入っていません。
意図的に「国民」と訳したのだと思います。人民ではないですよ、と。人民なら何も問
題はなく、定義の必要もない。「すべての人は」ということです。ところが、「国民」と
言えば定義が必要です。そこで原文にはなかった第10条、「日本国民たる条件
は、法律でこれを定める」をつけ加えたのです。
  第10条は原文にはありません。つまり、「国民とは何か」とは、別に法律で決める、
として、そして、後で、国籍法というものをつくり、日本国民とは、日本国籍を有す
る者、としたのです。この瞬間に在日朝鮮人200万人 の運命が決まったわけです。
日本国籍のある者だけが国民であり、それのない在日朝鮮人は国民ではない。
憲法は国民のものであり、在日朝鮮人には憲法の保護は及ばない。彼らの60年間
の苦難がそこから始まります。
 つまり、people を国民と訳したことは、すごい出来事だったのです。具体的には、
在日外国人の権利の抹殺です。これが「人民」となっていれば、そういうことはでき
ないのです。
 その前に、米軍との交渉の段階ですでに重要な改悪が実現していました。
英語の原文第13 条(今は第10条を加えたので14 条になっている)は、「一切の自
然人(all natural person)は法のもとに平等である」となっていました。もしそのまま
だったら、どんなに良かったかしれません。そこを日本政府は「すべて国民は」に
変えてくれと要求しました。マッカーサーは受け入れません。英語ができない松本
烝治大臣(憲法委員会委員長)は自分で行くのがいやなので、佐藤達夫法制局
長官に行かせる。佐藤が毎日毎日行ったり来たりして、「国民」にして下さい。
「いや、all natural person は国民ではない」というやりとりが続きます。
松本大臣はこう言いました。
「これはイガのついたまま栗を飲み込めというようなもので、イガを取り除かなけ
れば絶対に飲めない」。
「一切の自然人」がイガであり、それを「国民」にしてもらわないと、飲めないという
のです。
 マッカーサーは根負けします。極東委員会の発足が目前にせまっており、ここ
にこだわってはいられなかったのです。こうして、ついに「すべて国民は法の下に
平等である」となります。つまり、朝鮮人は平等ではないのです。これによって、以
後60 年間の在日朝鮮人の苦難が始まったのです。
 これは、意図的でした。イガというのは、在日朝鮮人200 万人の処遇のことでした。
ほとんど全員が強制連行でした。なにしろ、日本の男はみな兵隊に行って、国内に
労働者がいなかったので、朝鮮から無理やり連れて来て、奴隷労働のように使った
のです。給与などほとんど払っていません。放っておくと逃げますから、みな飯場
に入れて,鉄条網で囲い、シェパード犬を放して監視しました。昼は日本の監督が
連れ出して働かせる。宮城県の仙山線鉄道は、朝鮮人強制労働でつくられた鉄道です。
生き残った労働者の証言によると、ブルドーザーもショベルカーもないわけですから、
すべて手で掘った。スコップとつるはしで堀り、モッコで運んだ。すごい犠牲者が出た。証言で
は、「枕木一本につき一人死んだ」とあります。これはオーバーかもしれま
せんが、100 人、200 人が死んだのはまちがいない。朝早くから現場へ行き、山を削り、
敷設工事をやらされ、ろくなものは食わされない。フラフラになって倒れる。監督
はそのままにして先へ先へ行く。一日の仕事が終わって戻ってくると、もう冷たくな
っている。死んでいます、と言うと、そのあたりに埋めろと。線路わきを掘って埋め
たと証言にあります。あの沿線には、朝鮮人労働者の骨がたくさん眠っているは
ずです。遺族には通知も、骨も送っていません。葬式もしてない。位牌もつくって
ない。今もその家族は待ち続けているのです。
ある日、日本に連れていかれ、そのまま永遠に帰って来ない。何万という人が
そうなのです。日本政府に拉致され、そのまま永遠に帰って来ない。この問題が
今の拉致問題の最大のネックなのです。自分のやったことを棚に上げて、相手の
やったことだけ責めても、事は解決しません。
 どんなにしてみても、北朝鮮の拉致は大変な犯罪であって、きちっと処理して
もらわなければいけないのですが、そのためにはまず、自分がやった犯罪について
きちっと謝罪し、後始末をしなければなりません。
 ですから、もし憲法に“all natural person”と書き込まれて、「すべて人は法の下に
平等」となったら、この人たちに大変な賠償を払わなければならないことになります。
いくら戦時中の日本だって、日本人を強制労働に使って死んだら掘って埋めた、なんて
そんなことは許されない。そんなことをしたら大変な問題になります。朝鮮人だから
やったのです。松本大臣はそれが一番の「イガ」だったのです。そんなことになっ
たら、政府は莫大な損害賠償を払わなければならない。それに、金の問題だけでは
ない、朝鮮人と日本人が平等だなんて、そんなバカなことがあるかという、ものすご
い差別意識があったと思われます。

(3)国家主義の残存
 こうして「一切の自然人」は「国民」となった。ですから今、従軍慰安婦の人たち
が裁判を起こすにも、憲法には頼れないのです。憲法違反だとは訴えることがで
きない。彼女らは日本国憲法に守られていないのです。国民しか保護されないの
ですから。そこで、彼女らは国際法に基づいて訴えています。日本国憲法はそう
いう意味で、欠点のあるものなのです。つまり、日本政府が交渉の過程と翻訳の
過程で民主主義を曲げる方向に努力した。その結果、今の憲法になった。「国家」
があるから、人間はいるんですよ、と。安倍首相は『美しい日本』という本の中に
堂々と書いています。あなたたちの自由や権利は、国家があるから保護されるん
ですよ。国家の方が大事、と。はっきり書いています。
 国家の方が大事だというのは民主主義の逆立ちです。「国家がなかったら、あ
なたたちの自由も権利も守れません」と言うのですが、それはあたりまえのことです。
我々が我々の権利や自由を守るために国家をつくったのですから。言ってみれ
ば、我々の暮らしを守るために夜回りを雇ったようなもの。夜回りがいなかったら、
夜安心して寝られません。しかし、「だから、夜回りがあなたの主人ですよ」というの
はおかしい。夜回りは我々がそのために雇ったものなのです。警察も同じ。警察
がいなければ泥棒も人殺しも野放し、「だから、警察があなたの主人だ」と、こんな
理屈はないでしょう。我々が金を出して警察を雇っている。警察が我々を守るのは
当たり前、それが仕事なのです。我々は税金や高い住民税を払って政府を雇っ
ているのです。雇われた人たちが、「オレがいなかったらあなたたちの安全が守れ
ないのだから、オレが主人だ」とは、逆立ちもいいところ。安倍首相は堂々とそうい
うことを言います。だから、最後は「お国のために死になさい」、「愛国心が何よりも
大事」と言うのです。
 お国よりも大事なことが世の中にはたくさんあります。朝日新聞の短歌欄に、ふつう
短歌は政治について歌わないのですが、めずらしくこういうのがありました。
 「ソクラテスもマザーテレサもガンジーも
         国より大切なもののために死す」
ソクラテスは真理のために死にました。マザ−テレサは愛のために死にました、祖
国を捨てて。ガンジーは正義のために死にました。真理、愛、正義はお国よりずっ
と大事なのです。「お国」は、まちがうことがあります、その時にはお国のために死
んではいけないのです。お国がまちがった時は,従わない方が正しいのです。
 靖国神社は、お国のために死んだ人を祀ると言いますが、そもそも「お国」は戦
争なんかしません。お国とは、この美しい日本の海、山、川、田んぼ、この季節の
変化、美しい日本の言葉、人情・・・・・。「お国言葉」という、あれが、お国です。
だから、お国は誰でも好きです。お国は戦争などしません、するのは「政府」です。
政府が閣議決定しない限り、絶対に戦争は始まりません。それを、「お国」と言って
ごまかすのです。
 政府のやることはまちがうことがあります。その時には従ってはいけないのです。
今のブッシュを見ればよくわかります。ブッシュのイラク戦争は明らかにまちがった
のです。お国がやったのではなく、ブッシュ政権がやったのです。政府がやるの
です、戦争は。政府だと言うと具合が悪いから、「お国」と言ってごまかしているだ
けです。
 お国のために死んだ、というのは嘘です。政府のまちがった戦争のために殺さ
れただけです。日本の戦争は明白にまちがったものでした。中国とやるなど、だい
たい正気の沙汰ではない。あの広い国とやって、いつだって日本は勝つのです、
ところが相手は奥へ逃げる、追っかけて行ってまた勝つ、また奥へ逃げて、どこま
でも戦線は延びて、広〜い海の中に種をパラパラと撒いたような感じになり、そし
て結局続かなくなった。わかり切った話です。日本は中国人をバカにしていたの
です。すぐ降伏すると。どんなに中国がしたたかであるか知らなかった。たった百
万や二百万の日本の軍隊ではどうにもならなかった。あんな中国と戦ったのがバカ
だったのです。まして、そのあとアメリカと戦った。日本とアメリカの工業水準、生
産力は、あの頃10倍くらい開いていたでしょうか。勝てるわけがない。科学技術
もまるでちがう(1944 年の日本の生産高を1とした時のアメリカの比率は石炭13.8,
石油956, 鉄鉱74, 銑鉄16)。 
 思い出すと、小学6年生の頃、私は、毎日授業はやめて、校庭にワラ人形を並
べて、米兵だと思って竹槍で突き刺す練習をさせられました。米兵が宮城県沿岸
に上陸する、日本兵は一人もいないから、愛国少年隊が迎え撃つのだと言われ
たのです。竹槍を持ってワラ人形に向ってワーッと、子どもですからおもしろくて、
勉強などさっぱりしないで・・・・。ひとつだけ覚えているのは、人間の肉は突き刺
されるとギュッと締まるんだそうですね。(本当かどうか・・・・)。だから、
抜けなくなる、というんです。どうするか。突き刺した瞬間に抜かれなければ
いけない。ヤッ!と、こう──。相手は原爆ですよ、こっちは竹槍。
およそ非科学的戦争でした。あとはいずれ空襲になるのです。消化訓練、バケツ
リレー、軒が燃えたら火をハタキでたたき落とす──そんな訓練を毎日していました。
しかし、いざ本番になったら、何の役にも立たなかった。バラバラと数千発の焼夷弾が
空から降ってきて、あっという間に千度の熱です・・・・・。水をかけるも、はたき
落とすもありません。逃げる以外はなかったんです。
 およそ非科学的な戦争、そんなバカな政府のために殺されたのです。それでも
その政府を我々が選んだのならしょうがないですよ。選んだ方に責任があります。
しかし、敗戦までの日本は、我々が選んだ政府ではありませんでした。国会はあり
ました。国会は選挙で選びました。しかし、政府は関係なかったのです。議員内
閣制ではなかったのですから。総理大臣は天皇が勝手に任命しました。東条英機
という人が日米戦争を始めたのですが、東条は国会議員ではありません。天皇が
任命しました。そんな政府のやったことに、我々が責任をとらされることはあり
ません。
 そこを、「お国」と言われて、だまされるのです。「お国のために死んだ」と言わ
れると、そうかと思ってしまうが、そうではない。お国は戦争はしない。やるのは
「政府」です。
 我々が選んだのではない、関係のない人たちが勝手に戦争を始めたのです。
もし、自分が選んだ政府であってさえ、それがまちがっている時には従わない。自
分の良心に反する時には、戦争は行かなくてよい、ということが、近代国家では認
められています。良心的兵役拒否が権利として確保されています。アメリカでもド
イツでも。今、私の住むすぐ近くの幼稚園にドイツ人の若者が来て働いているの
ですが、保父さんです。兵役拒否をしたそうで、ドイツでは徴兵制ですから、拒否
すると、外国の福祉施設で2年間働く義務があるらしいのです。それで日本を選
んで来たそうです。政府の決定に従わない権利が認められている。自分の良心に
反する時は。そのかわり何かやらねばならない。これが民主主義というものです。
 政府は全能ではないのです。我々が主人なんですから。
ところが、安倍さんは国家の方が偉いと思っているのです。「国家があるから人
権が守られているのだ」と、国家主義です。
 憲法第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は・・・・・(中略)、
これらの権利は・・・・・現在および将来の国民に対し,侵すことのできない永久の
権利として信託されたものである」とあります。ところが、他の国ではこうは書いてい
ません。たとえば、アメリカ独立宣言では、「われわれは、自明の真理として、すべ
ての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与
され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。また、こ
れらの権利を確保するために人類の間に政府が組織されたこと、そしてその正当
な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治
の形体といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそ
れを改廃し、かれらの安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし、
また権限の機構をもつ、新たな政府を組織する権利を有することを信ずる」とあ
ります。
 これはすばらしいことです。我々は生まれながらにして人間らしく生きる権利を
持っているのです。そして、政府には我々の幸せを守る義務がある。政府がそ
れを守らない時は、政府をとりかえる権利があると書いてあります。選挙でとりかえ
ればよいのです。そして、この後に、もし、政府が選挙で負けたのにやめない時
(居直った時)は、実力で倒してよい、と書いてある。ですから、独立宣言のこの部
分が「革命権」と呼ばれています。人民には革命を起こす権利がある。これが民主
主義、つまり人民が主人であるということです。その意味で、アメリカの独立宣言は
すごいものですね。しかし、アメリカ人はこれを忘れています。実際、ある社会学
者がこれを印刷して、「独立宣言」とは、書かずに「こういう声明文を出したいのだ
が、賛成する人は署名して下さい。」と、街角でやったら、6〜7割の人が「こんな
危険な思想には賛成できない、反対だ。」「政府を倒す権利があるなどとは危険
思想だ」と、サインしてくれなかった、というデータがあります。
アメリカ人でさえ、読んだことのない人が6〜7 割いるということです。アメリカの
民主主義もあやしくなっているようですが、しかし、最高裁判所へ行けば、この独
立宣言に基づいて、すべての判定がなされることになっているのです。この前(数
週間前)のこと、グアンタナモという所で、米軍がテロリストを捕らえると、そこで大
変な拷問をやっているがアメリカの法律ではそれを許さない。しかし、アメリカ政府
は、戦争の捕虜なのでアメリカの国内法は適用されないのだ、と、かまわずがんば
っていたのです。が、ついに最高裁で、それはダメだと判決が出た。捕虜といえど
も人権がある。拷問が認められないと。さすがにアメリカの民主主義はまだ生きて
います! アメリカの民主主義にはまだ骨がある。牛肉にも骨がありますが(笑い)。
 日本国憲法は、そこまではいっていません。独立宣言のようなもののない日本
では「憲法が保障する権利」と言わざるを得なかったのですが、これは日本の民
主主義の弱点です。アメリカの独立宣言は、憲法が保障しようがしまいが、「生ま
れながらにそういう権利を持っている」というのです。これが民主主義の根本です。
それを政府に守らせねばならない。
 日本国憲法は、明治憲法にくらべたら、すごく優れた民主主義憲法ですが、このように、実
は、@事前の交渉で、A日本語に翻訳する時、B国会審議の過程で─ あちこち
悪く変えられています。
 だから、もし、抽象的に「今の憲法は変えた方がいいか?」と言われたら、私は
変えた方がよいと思う。第14条「すべて国民は」を「すべて人間は」と変えた方が
よい。アメリカもフランスも「すべて人は法のもとに平等」と書いてあるのです。
「国民は」などと書いてありません。そういう点では、不十分ではありますが、
これは抽象論であって、今、安倍政権が変えようとしているのは、そういう点では
ない。
 憲法9条を変えよう、民主主義をやめます、というのです。これは断固反対しなければ
なりません。長い目で見て、あと50年、100年のうちには、もっと良い憲法に変え
る必要が出てくるかもしれません。

4.人民の戦う力の衰弱を絶好の好機として改憲をねらう右翼政権

 今、主人の力が弱くなって、番頭が勝手なことを始めています。人民の戦う力が
衰弱しています。社会保険庁の5000万件の不明! もし、30年前ならあちこち
でデモ、スト、大勢が社会保険庁に押しかけて、大騒ぎになったことですが、今は
デモもストも起きません。
 憲法9条を変えるなどと言えば、60年安保、70年安保を思い出してみてくださ
い、安保改定というだけで、日本国中蜂の巣をつついたような大騒ぎになったの
です。憲法を変えるなどといったら、内閣の3つや4つはつぶれるくらいでした。と
ころが今は、そうならない。デモもストもない、国民の戦う力が衰えた、残念ながら
事実です。やはり朝日新聞の短歌にこんなのがあります。
   「デモもなくストも忘れた日本は長いアメリカに巻かれています」
デモとストは、ご主人の戦う力の表現ですから、それを忘れたら、もうアメリカの
言いなりになり、勝手放題やられるだけです。もちろん、自然にその力が無くなっ
たのではありません。労働運動はアメリカと日本政府と財界が、30年かけて労働
組合を意図的に徹底的につぶしてきたのです。その結果が今、なのです。労働
運動の立て直しは長期的に日本の重要な課題です。
 しかし今、人民の力が弱くなっているのは事実で、そこで政府は、憲法ができた
時から、イヤでイヤでしようがなかったのですから。この時とばかりに改憲の策動を
始めたわけです。人民をだますためにいろいろと言います。

(1)「古くなった」
 「今の憲法は古くなった」と。そういうなら、日本で一番古いのは天皇家だそうですから天皇制
をやめたらよいのです。伊勢神宮も古いです。これももやめたらいいのです。
「今の憲法が悪いからやめる」ならわかります。正しいか悪いかが問題なのです。
「古くなった」という理屈でダマされる方がどうかしています。日本はだいたい
そういうやり方をして、古い農家、民家を、由緒あるものを、みなコンクリートに変
えてきました。良いものはどんなに古くたって、守らねばならない。
「アメリカやフランスは憲法を何回も変えた」と言います。しかし、アメリカは憲法
の上に独立宣言があり、フランスは人権宣言があるのです。これは絶対に変えて
はいけないものです。一言一句変更されていません。日本では憲法前文がそれ
にあたります。これは絶対に変えてはいけない。あれを変えるということは、日本が
日本でなくなる、別の国になることです。それにはクーデターを起こすしかない。
「多数決」で「民主的手続き」で変えてよいものではない!
 
(2) 「権利ばかりで義務がない」
 安倍さんは「親は親学をしろ、女性は家庭に帰れ」と言います。国民の義務を憲法
に書き込めと主張しています。憲法を知らないからです。憲法とは、国民の権利が
書いてあるもので、政府に、憲法を守る義務があるのです。人民に憲法を守る義務が
あるのではないのです。我々が書いた命令文なのです。
 その点では、明治憲法をつくった人たちの方がよく知っていました。
明治憲法は民主主義の憲法ではありませんでした。国会選挙はありましたが、明
治憲法の発布は(1889 年)、その前年でした。選挙で選ばれた議員がつくったも
のではありません。天皇が書いて出したもので、欽定憲法といい、いわば昔の大
名のおふれと同じようなものです。殿様が勝手に出したもので、選挙された国会
議員は一切それには関係していない。近代憲法とはとても言えないものでした。
が、つくった人たちはよく勉強していていました。明治憲法草案審議の中で、有名
な「伊藤博文、森有礼論争」があります。
明治憲法は第一章「天皇は神聖にして侵すべからず」
第二章「臣民の権利および義務」、(臣民とは、つまり家来です) とあります。
森有礼は、「権利など書く必要はない。義務だけでよい。」と言いいました。ちょっと
聞くと安倍首相と同じことを言っているようですが、実は全然ちがうのです。
伊藤博文、「森君は憲法の何たるか知らない。憲法とは、王様が勝手なことをしな
いように、王様を制限して国民の権利を守るためにある。国民の権利を書かない
なら、憲法が憲法でなくなる。」
森、「それはおかしい。人間の権利というのは、憲法によって保障されて初めて
できるものではない。人間は生まれながらに自由、平等の権利を持っているのだ!」
森有礼はフランスで勉強したので、『人権宣言』をよく知っているのです。
伊藤、「原則はそのとおりだ。しかし今、我が国においてはそれが成り立たない。
天皇は神聖だから、臣民には権利はない。憲法でこれだけは天皇といえども侵害
できないという、臣民の権利を書いておかなければ、臣民の権利は守られないの
だ。だから、本来は森君の言うようにおかしいのだが、我が国では、これでいくより
仕方がないのだ」。
 今の安倍さんはわかっていません。伊藤・森以下です。憲法や人権の歴史につ
いて何も分かっていない。わかっていて言うのなら、国民をだましているのです。
わからないでやっているのなら、バカなのです。嘘つきか、バカか、どっちかだと私は
思っています。嘘つきというほどは賢くないようです。憲法というものが、本当は何な
のか、人権というものがヨーロッパでどれだけの歴史をかけて、どう守られてきたか、
その歴史を知らないで、勝手なことを言っています。

(3) 「押しつけ憲法だ」
 占領下に押しつけられたものだから自主憲法をつくらなければならない、と言い
ます。しかし、単純な押しつけではありません。むしろ安倍首相のいう改憲論こそ
アメリカに言われての押しつけです。
 できる経過からいえば、アメリカが最初の原案を書いたことは事実ですが、しか
し出来上がったものは、私たちは大歓迎したのです。「押しつけ」と反発したのは
政府だけです。軍国主義で、民主主義が嫌いで、封建的な、天皇を神様だと思う
人々だけが反発したのです。ほとんどの人は手に入れたくてたまらなかったもの
が、ついに手に入ったのです。たとえば、男女の平等。明治以降百年、男女平等
などということは、一切なかったのです。何しろ女性には、財産権もなかったし、選
挙権もなかった。夫はいくら不倫してもかまわなかったが、妻が不倫すると刑事罰
に科せられた。懲役何年といって刑務所に入れられるのです。信じられないことで
すが、「姦通罪」(かんつうざい)といいます。今なら不倫は、男も女も民事の問題で、
離婚や損害賠償の問題です。戦前は刑事事件だったのです。本当に女性は差別されて
いました。そういう時代にも、男女の平等を訴え、女性に選挙権をよこせと・・・・・。何度も刑務
所にぶち込まれながら、平塚雷鳥などという人たちが必死にがんばって
きたのです。それがついにこの憲法で実現したのです。もちろん、労働運動も同じ
です。かつては、アカだと言われては刑務所にぶち込まれ、それにも屈せずに何千人
も命をかけて働く者の権利を守るためにがんばってきたのです。ついにこの憲法で
実現したのです。
 私の父は牧師でした。キリスト教も敵の宗教だと言われて警察の監視下
におかれてずいぶん苦労しました。私のよく存じ上げているある牧師さんのお父さん
は、やはり牧師だったのですが、治安維持法違反で投獄されて、獄中で死にました。
引き取りに行った息子さんは、戦時中で物資がなかった時代ですから、お棺が手に入
らず、風呂桶をリヤカーに乗せて刑務所に行きました。縄でしばられた父親の遺体を
風呂桶に入れてリヤカーで運ぶと、遺体が風呂桶にぶつかって、ゴトン、ゴトンと
音をたてたそうです。「あの音を私は一生忘れないだろう」と息子さんは言って
おられました。信仰の自由、キリスト者が心から願いながら手にはいらなかったもの、
それも、ついにこの憲法で実現したのです。
 男女同権、労働者の権利、信仰の自由、思想の自由、ほしくてたまらないものが、
ついにこの憲法で手に入ったのです。極めつけは永久平和です。戦争放棄、これでもう二度と
戦争はないのだ、と大喜びしました。ですから、この憲法は、できた経過からいえば
アメリカが原案をつくったのですけれど、中身からいえば、日本人民が明治以後百年,
何とかして手に入れようと戦ってきたことが、ついに実現したのです。誰も押しつけ
などとは思いませんでした。その証拠に、この60 年間、政府は何とかしてこれを変えよ
うとしてきたのですが、人民の力でこれを守り抜いてきたのです。60 年間続いたと
いうことは、もうこれは我々のもの、我々が守り抜いてきたものであって、これを「押
しつけ」などというのは、明治憲法の方が都合のいい人たちの寝言のようなものです。

(4)北朝鮮問題
(A)拉致問題
 最後に持ち出して来るのがこれです。憲法を変えないと危ないと。NHK は、まる
で拉致放送局みたいで、ニュースのたびに拉致、拉致と流して、何とかして国民
の不安をあおって憲法を変えようとしています。この拉致問題はしかし、2002 年日
朝平壌共同宣言(資料T)で、小泉首相が平壌に行って金主席と交わした公文
書で、すでに解決済みなのです! 公文書ですから、この「宣言」は、今も生きて
います。読めばすぐわかることです。

資料T「 日朝平壌宣言」
小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長
は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政
治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、
地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。
1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期
に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月
中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程において
も、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。
2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を
与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気
持ちを表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、
双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及
び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済
活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施され
ることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉にお
いて、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じ
た事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄
するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議するこ
ととした。
双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交
正常化交渉において誠実に協議することとした。
3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認し
た。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主
義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問
題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。
4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力し
ていくことを確認した。
双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築さ
れることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化され
るにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であ
るとの認識を一にした。
双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際
的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含
む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図る
ことの必要性を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラ
トリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。
双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。
日本国総理大臣 小泉純一郎
朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長 金正日
2002年9月17日平壌

 資料の3 行目「日朝間の不幸な過去を清算し」とは、日本が行った植民地支配を
おわびして清算すること。「懸案事項を解決し」とは、拉致問題を解決すること。宣
言の順番は、まず日本がおわびをし、だから次に北朝鮮もちゃんと謝罪し、処置
します、となっています。本文の方もそうなっています。2.の「日本側は・・・・・」
のところでは、具体的に何をするかが細かく書いてある。「無償資金協力・・・・」、
つまり、日本が過去を清算し、損害賠償をします。だから、3.の懸案問題(拉致) 
について、適切な処置をとることを確認するというのです。
これは、互いの首相が約束した文書なのです。このとおりに実行すれば、何の問
題もない。ところが、日本側が、この前半についての約束を実行しなかった。だか
ら相手側も、「あんたがやらなければオレもしない」となった。これが拉致問題の現
実なのです。
 日本はなぜ約束を実行しないのか? この文書がこのとおり実行されていれば、
日朝問題は解決されていたはずです。ところが、実行できなかったのです。
小泉首相がこの共同宣言を発表して意気揚々と日本に帰ってきた。ところが、ブ
ッシュに怒られたのです。「バカなことをした。そんなものは認めない」と。この
年がブッシュ政権発足の年で、その前のクリントン政権は、北朝鮮と和解していま
した。カーター元大統領を派遣し、核開発をやめさせる代わりに経済援助をする
と、和解が進んでいました。だから、日本の外務省もアメリカが和解するなら日本
もしてよいだろうと,長い時間をかけて北朝鮮と裏交渉をし、この共同宣言の一言
一句も、両外務省が長い間かかって詰めたものでした。ところが、こうして合意に
達した時、アメリカはブッシュに代わっていたのです。「北朝鮮は悪の枢軸だ。なら
ずもの国家だ。経済交渉をするな、国交も持たない。爆撃するぞ」と。
 だから、日本だけ勝手に和解しては困りますよと。せっかくつくったこの共同声
明が、一切宙に浮いてしまったのです。日本側が、以後何もしないのですから、
向こうもしない。拉致問題が全然前進しないのは、日本が約束を守らないからで
す。これは、北朝鮮を弁護しているのではない、事実なのです。北朝鮮は間違い
なく悪い。が、それを認めさせるには、日本側が植民地支配をまずきちんと反省
する、というのが前提条件で、その上で北朝鮮に拉致問題を処置させるということ
になっているのに、アメリカに言われて日本は何もしない。
 安倍首相は拉致、拉致というが何もしない。彼は解決しては困るのです。解決し
たら、憲法を変える理由がなくなりますから、拉致が続いてくれれば、「憲法を変え
なければ危ない」と言えます。拉致、拉致と騒ぐくせに何もしない。さすがに拉致さ
れた家族にもわかってきたようで「何もしないじゃないか」と、最近は政府に文句を
言うようになりました。
(B)ミサイル・核実験問題
ミサイル、核実験、これを北朝鮮が持っているから危ないという。イラク・イラン・
北朝鮮が悪の枢軸、ならずもの国家だというのです。しかし、北朝鮮は特別に悪
い国ではありません。ふつうの悪い国です(笑い)。もっと悪い国はたくさんありま
す。アフリカの独裁政権(自国民を何万人も殺している)などたくさん! 一番ひど
いのはサウジアラビア、石油があるので世界中何も文句を言わないが、あの国は
いまだに王国で、民主主義も選挙もなく王の一族が石油をひとり占めにして、とて
つもないぜいたくをしています。しかし、石油を売ってもらうために、アメリカは文句
を一言も言わない。北朝鮮はともかく選挙はしている。形だけ見れば、どちらかと
いうと、前近代的な制度の国ではない。まして、イラク、イランは中近東では最も
進んだ国、最も近代的な国です。他には選挙などしていない国はいくらでもある
けれど、イラクもイランも国会の代表を選挙で選んでいます。一応、近代国家であ
り、自由な国です。サダム・フセインの時代に女性の服装は自由でした。頭からベ
ールをかぶったりしていなかった。女性も自由に大学に行き、大学も教育はすべ
て無料で、今の日本より進んでいるくらいでした。ただ、独裁者だ、というのが悪か
っただけで、イラクは国家としてはそんなにひどい国ではなかったのです。今のイ
ランも、国会を選挙で選び、大統領を選んでいます、ただ大統領よりもイスラムの
お坊さんの方が偉いというのがちょっと・・・・・。しかし、それは彼らが決めているこ
とだから、他国がとやかく言うことではない。イランはそんなに悪い国ではない。
 アメリカが「核開発はけしからん」と言うけれど、隣のパキスタンやインドも持って
いるのに、イランだけ持ってはダメという理屈はないのです。イランに持つなというなら、インド
もパキスタンも持つな、アメリカもやめます──というならわかりますが、自分は
持っていて相手にだけ持つな、と言っても、それはおかしな話です。
 もちろん、核開発はやめてもらわなければいけない。しかし、圧力をかけても、絶
対にやめません。圧力をかければかけるほど持ちます。イラクのように、やっつけ
られる危険があるからです。イラクがあんなに簡単に戦争に負けたのは核兵器を
持ってなかったからだというのが、イラン、北朝鮮の結論です。これは誤った結論
ではありますが、その気持はわかります。核兵器を持っていればアメリカにやられ
なくてすむと短絡してしまう。そう思わせたのはアメリカです。アメリカが無法にイラ
クを攻撃したから、イランも北朝鮮も核開発を急ぐことになった。ですから、一方的
に非難しても問題は解決しません。
 アメリカが「悪の枢軸」というのは、もちろん「軍需産業」のためです。ソ連がなくな
り、アメリカは軍需産業がいらなくなりました。実際、クリントン大統領は大幅に軍縮
し、福祉に予算を回したのです。困ったのが軍需産業で、何とかしてくれとブッシ
ュを大統領に押し立てたのです。彼は軍需産業と密接な関係にある人なので。
軍需産業がもうけるためには「敵」が必要です。ソ連崩壊後、いろいろ考えてつく
った敵が「ならず者国家」で、実際は北朝鮮、イラク、イランは特別悪いことはない
のですが、軍需産業の必要のために、作った話なのです。イラクの隣のウズベキ
スタン、キリギスタン、もちろんパキスタンも独裁国家ですから、そっちの方がずっ
と悪い。イラン、イラクははるかに近代的な民主国家です。それを、石油がほしい
のと、軍需産業のためにアメリカが自分の都合で勝手にでっち上げたのが、「悪の
枢軸」というものです。
 そんなことに我々がお付き合いする理由はありません。アメリカが核兵器を持っ
ていて他の国にも持つなというのはどう考えてもおかしい。日本は北朝鮮の核は
やめてもらわねばなりませんが、そのためにはアメリカにやめてもらわねば・・・・・・。
日本がアメリカに言わずに、北朝鮮にばかり言っても、相手は「何をいうか」という
だけでしょう。しかも、日本はアメリカの核攻撃のための基地です。アメリカには核
基地を貸しておいて、北朝鮮にだけ持つなと言っても,聞くわけがありません。
「では、日本の米軍基地を撤去して下さい。それなら安心して我々も核兵器を持
ちません」と、そうなります。これは当たり前です。しかし、日本はアメリカには何も
言いません、それでは解決にはなりません。
(C)北朝鮮が攻めてくる
 北朝鮮が日本に戦争をしかけてくるというのですが、それは100%不可能です。
資料Uは日本の外務省が発表している数字です。経済の項で、国民総生産が2 兆円
です。日本の防衛予算が4兆円以上なのです。国民総生産が日本の防衛費
の半分しかないのです。そんな貧乏な国が戦争などできるわけがないのです。
マカオの資金凍結2500万ドルがないと北朝鮮は困る、それが北朝鮮の命綱だとい
うのですが、実は、その金額は松坂投手の契約金の約半分ですよ! 歴然とした
ことです。戦争はべらぼうに金のかかることですから、事実を知っている人たちに
とっては、バカバカしくて話しにならないことなのです。おまけに石油はとれないの
で、中国からの輸入に依存していますから、中国が石油を止めたら北朝鮮は崩壊
します。けれども中国は北朝鮮に崩壊されたら困るのです。大量の難民が中国側
に流れ込んで来るので、中国経済は大変な負担になります。中国は北朝鮮をゆ
っくり時間をかけて正常な国になってもらう、というのが基本政策です。これは正し
いと思います。韓国も同様、太陽政策といいます。

資料U「 北朝鮮〔朝鮮民主主義共和国〕」2005年6月現在
1.面積12万余ku〔朝鮮半島全体の55% 日本の33%〕
2.人口約2,250 万人〔2003年〕
3.軍事(1) 支出16億ドル(2003〜2004 ミリタリーバランス推定値) 
(日本400億ドル) 
(2) 兵役義務兵役制(13年) 
(3) 兵力陸軍95万海軍4.6万空軍11万〔推定〕
4.経済
(1) 経済規模【名目GNI】208億ドル(2004 年韓国銀行推定) 
(日本5兆ドル)
(2) 一人当たりGNI 914 ドル(2004 年) 日本35,000 ドル(2004 年) 
(3) 経済成長率2.2%(2004 年) 
(4) 貿易額
1) 輸出10.2 億ドル(2004 年韓国銀行推計) 
(日本6,000 億ドル) 
2) 輸入18.4 億ドル(2004 年韓国銀行推計) 
(日本5,500 億ドル) 
3) 主要貿易国(2004 年KOTRA 推計) 
中国:13.9 億ドル韓国:7.0 億ドルタイ:3.3 億ドル
日本:2.5 億ドル
4) 通貨ウォン
5) 為替レート1 米ドル=145 ウォン
6) 食糧事情
国連食糧農業機関(FAO)及び世界食糧計画(WFP)によれば
2004 年11 月〜2005 年10 月における穀物生産量は423.5 万トン
と見込まれ、穀物必要量を約513.2 万トンとすれば,約89.7 万トン
の穀物輸入が必要との見通し(商業輸入及び国際社会からの支
援を加味してもなお、約49.7 万トンの穀物が不足)。
2003 年11 月〜2004 年10 月(約94 万トンの穀物輸入を要した) 
よりは、改善しているものの、依然として厳しい食糧事情である。以上。

 ともかく、北朝鮮は中国に首根っこを押さえられています。もし、北朝鮮が戦争
を始めるなら、中国の了解をとりつけねばできないことです(石油のために)。これ
は厳然たる事実です。中国は、今絶対に戦争は認めません。せっかく経済成長を
始めて、2020年にはアメリカに追いつくというのに、戦争なんかしたら、ぶち壊し
です。どんな経済学者も中国はまもなくGDP が世界一になると予測しています。
それまでは何があっても、戦争はしない、というのが中国の基本政策です。だから、
北朝鮮が戦争するなど、中国は認めるわけがありません。
 日本政府は、国民をだまして「北朝鮮が戦争を・・・」と言って、憲法9条を変え
ないと危ない、と言っています。一番のごまかしは、テロと戦争をごちゃまぜにする
ことです。北朝鮮は戦争はしない。が、テロリストが来て、小型原爆をドカンとやったりするので
ないか、というのです。これは戦争ではないのです。アメリカの「9.11」は、
テロリストがやったことで、どこかの国がやったのではないのです。それをアメリカ
は、イラクがやらせたのだといって戦争に持ち込みました。テロリスト・アルカイダは
国家とは関係ない集団です。国家がやったと言って、その国家と戦争しても何も
解決しません。テロを解決するには、そういう人たちが出てこないような豊かな平
和の世界をつくる他ありません。そして、犯人は法律で処罰することです。戦争で
はどうにもなりません。
 仮に東京のど真ん中でだれかが小型原爆を爆発させても、それは北朝鮮という
国がやるのではないのです。もし国がやったことが明白であれば戦争になります。
そんなことは北朝鮮には不可能です。。国ではなくてテロリスト個人がやった場合には
戦争では解決できません。そういうことが起こらないよう、ちゃんと警戒するのは当然ですが、
北朝鮮という国家を相手に軍備を増やすことは何にもならない。そうではなく、
むしろ北朝鮮を援助し、豊かな国にして、変な独裁者やテロリストが出ないように、
国民が選挙で民主的な政府を選べるような国に変わるしか他に道はありません。
テロを特定の国家と結びつけてはなりません。国家がやれば、それは戦争ですが、
テロは個人がやるのです。それを戦争で解決することはできません。戦争でテロ
は解決不可能ということは、この5年間で証明されています。どんなにアメリカが戦
争しても、テロはなくなりません。「北朝鮮が攻めて来る」というのはごまかしです。
 「日朝平壌宣言」を実行することが大事です。ずるいのはアメリカで、日本にや
めさせておいて、今度は自分だけ和解しました。日本は取り残され、「制裁、制
裁」とこぶしを突き上げていますが、振り上げたこぶしのやり場がなくなっています。
なぜアメリカが和解したのか。いろいろな理由が推測されています。マカオで凍結
している米ドル2500万ドルがアメリカの作ったにせ札らしいと、ヨーロッパの新聞
に大きく出ています。それも一つの理由かも知れません。しかし、もっと大きな理
由はイラン戦争のためではないかとも言われています。イラク戦争の方は泥沼で、
来年のアメリカ大統領選挙でブッシュはこのままでは負け戦をしたバカな大統領
で終わってしまうので、汚名を歴史に残すことを絶対に避けるために、必ず何か
やります。来年11月までに。まともにいくなら、イラクから撤退すれば一番いいの
ですが、軍需産業とくっついているので、それはやめられない。となれば、ひとつ
しかありません。新しい戦争を始める、イランです。戦争となるとアメリカ人は団結
する悪い癖があり、新しい戦争をやればブッシュ支持にかたまる危険性があります。
今も着々とその準備が進められ、いつでも始められます。
ペルシャ湾に航空母艦軍団を2軍団── 航空母艦というのは、それ1隻だけ
でということはなく、イージス艦が左右に2隻と、巡洋艦が2隻、駆逐艦が8隻、そし
て水面下に原子力潜水艦が1隻── これが2軍団いる!今まではいなかった
のですが、今年ペルシャ湾に入りました。
1空母軍団には、核ミサイルが3000発ほどあると思われます。イラクにはこれは必要
ありません。イラクはゲリラをやっているので核ミサイルなど打ったら米兵が死にま
すから。核ミサイルは明らかにイランをねらうものです。「Go サイン」が出ればいつ
でも始められる体制はできているのです。ブッシュがいつGo サインを出すか? 
今、アメリカ政府の中で、猛烈な争いが起こっていると言われています。チェイニ
ー副大統領が積極派で、ライス国務長官が慎重論で、「イラン攻撃をすれば、ヨ
ーロッパを完全に敵に回すことになる、これ以上孤立しない方がよい」と主張して
います。ブッシュが最終的結論をどちらに出すか? 
 もし、ライスの言うようにいけば「ダメ大統領」で退任ですから、最後にチェイニ
ーのようにいく危険性はまだまだあります。
 イラン戦争は着々と準備されており、北朝鮮などにかまっていられないのです。
この際、北朝鮮とは手を打つ、ということになったのだと推測されています。特に、
アメリカの新聞各社はそう見ています。
 しかしまた、もうひとつ大きな理由があります。これはアメリカが認めたくないので、
決して言わないのですが、中国の存在です。北朝鮮を攻撃すると、中国を敵に回
します。2002年にアメリカが北朝鮮を「ならず者国家」と言った時は、中国は今ほ
ど強くはなかったのですが、この5年間で急激に中国は成長し、もうアメリカは中
国を敵に回すことは不可能になりました。中国の貿易黒字はものすごい量のドル
を稼ぎ、それをアメリカの国債にかえています。国債とは、アメリカ政府の借金証
書ですから、アメリカは中国から金を借りて成り立っているのです。アメリカがもし、
中国を敵に回すなら、中国は保有するアメリカ国債を全部売りに出します。すると、
アメリカ国債は暴落して、アメリカ国家は破産してしまうのです。中国は自分を守る
ために、安全のためにアメリカ国債を持っているわけです。今となればアメリカは
中国を敵に回せないので、北朝鮮を攻めるなど問題外で、和解した方がよいわけ
です。
 いろんな要因が重なり、アメリカは北朝鮮と手を打っています。ひどい話ですが、
ヨーロッパの週刊紙がこう書いています。アメリカは日本には和解されては困るの
だと。それはアメリカの石油資本の利益がかかっているからだ。石油の一番の得
意先は日本なのですが、もし北朝鮮が日本と和解するならば、シベリアからパイプ
ラインが朝鮮半島を通って日本まで来てしまう。日本がシベリアの天然ガスでエネ
ルギーの半分をまかなうことができてしまう! そして、アメリカの石油会社は莫大
な量のマーケットを失って大損害となるのです。── これが、ヨーロッパの週刊
紙の推測ですが、案外あたっているかもしれません。

5.人民主権の回復と平和への道筋

 憲法を変えて戦争のできる国になる、それだけではなく民主主義もやめてしまう、
という大変危険な方向に今、日本は向かっています。それに対して、我々ご主人
が権利を取り戻して、番頭さんにきちんとさせるためには、主人である人民の力を
回復しなければなりません。デモとストのできる人民にならなければなりません。こ
れには時間がかかります。20 年30 年かけて、労働運動を復活させて、我々の力
を取り戻すことが、基本的に大事なことです。
 その前に、もっと目前にせまっている危険を、まず阻止しなければなりません。
これは可能です。なぜなら、客観的な条件が我々に有利なのです。アメリカの来
年11 月の大統領選挙は九分九厘共和党が負けて民主党が勝ちます。有力候補
は二人しかいません。ヒラリーとオバマ、どちらになってもアメリカは革命的な変化
をすると言われています。ヒラリーは女性、オバマは黒人、どちらもアメリカ史上最
初となり、二人とも世界の問題について、対話路線でいくと言明しています。ブッ
シュのような軍事力優先ではないのです。ものすごい変化です。世界の緊張が大
きく緩和することはまちがいないと思います。
 特にオバマは東アジア集団安全保障を提唱しています。アメリカとの二国間同
盟がまちがいのもとだとして、これをやめるといいます。今は、日米安保、米韓安
保、米比安保・・・・・と、二国同士ですが、アジアの安全を守るには、中国を入れ
ない限り守れないので、米・中・日・韓の4 カ国で東アジアの安全を守る、と言うの
です。このオバマが勝てば、日米安保条約をアメリカの方から破棄してくる可能性
もあります。中国を入れないでは、安全などありませんから、対等のパートナーとし
て中国を入れる。そうなると、自民党政権など吹っ飛んでしまうでしょうし、日本が
軍事力強化することは不必要になります。。アジアの安全は話し合いでいくことになりま
す。
 ヒラリーは外交政策についてまだきちんとしたことを言っていませんが、基本的
に対話路線でいくと言明しています。そして、もともと弁護士だった時から、社会
福祉の専門家でしたから、旦那のクリントン政権の時に、軍事費を大幅に削り、社
会保障を増やしたのは事実です。アメリカが社会保障に一定の力をそそぐように
なれば、日本も軍事費の削減が可能になります。
 もうひとつ、客観情勢で大事なのは、アジアの力です。日本の貿易はアジアな
しではもう成り立たなくなりました。日本の貿易高の中で、中国の占める比率と、アメリ
カとの占める比率は、2004 年に逆転しました。今は中国の比率がグンと多く、ハ
サミ状に交差してどんどんその差は開いており、数年後には、日本経済の一番大
事な相手はアメリカでなく(現在17%)、中国になります(現在22%)。
アジア全体で、今すでに60%を超えています。ところが政治だけは、日本はア
メリカ一辺倒で、政治と経済が相反していますが、いずれ経済の方に引きずられ
ます。現実に、アジアと仲良くしなければ、経済は成り立たなくなっているのです。
 あと3年もすれば、我々の中にそれが常識となります。他の国なら無条件で仲良く
なれますが、アジアの国々とは、60年前に日本が侵略戦争をして2,000 万人もの
アジアの人々を殺して、その後片づけをしてないのですから、無条件ではできま
せん。まず、あの戦争は悪かったとあやまること、次に二度とやらないから仲良くし
ようと言うこと、この二つの条件が絶対に必要です。二度としないという保障が憲
法9条なのです。これがあるからアジアは日本を信用しています。9条を変えたら、
もう日本は経済が成り立たなくなるでしょう。
 すでに中国はそうなっています。中国は日本に警戒をはじめ(靖国神社に行ったり、
お供物を出したり、9条を変えると言ったり)、すでに経済関係の重点を日本から
EUに少しずつ移し始めています。
 最後は選挙です。人民が主人としての力を発揮するのはデモとストと選挙しかあ
りません。衆参の両院で自公で三分の二をとらせないことがまず必要です。憲法
を変えるための国民投票にかけるためには、衆参の3分の2の賛成がなければで
きません。まず、7月の参議院選挙で3分の2をとらせなかったら、憲法を変えるの
はとても難しくなります。どの新聞を見ても、自公で過半数をとれるかどうかさえ
あやしいとされていますから、これは不可能なことではありません。
 さらに2年後の衆議院選挙、これが最大の山場です。今は自公で3 分の2以上
持っているのですが、これを奪い返す。衆参両院どちらも3 分の2 以下なら、逆立
ちしても憲法は変えられません。
 問題はその先、民主党がどう変わるかわからない。その時は、みんなの力で監
視していく、ということになります。私は憲法九条は守れると確信を持っています。
衆参両院選挙で改憲勢力を三分の二以下に追い込むことは十分に可能だと考
えています。相手もそれを憂慮しています。ですから、集団的自衛権というところ
に逃げ込もうとしているのです。この問題は、また別な機会に考えてみることにし
たいと思います。
 憲法九条を守るだけではなく、同じように大事なのは、25 条を実行させる、とい
うことです。社会保障の充実です。

日本国憲法第25 条
1.すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
1.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上
及び増進に努めなければならない。

 この25 条がもとになって、社会保障ができています。社会保障をやらせるには、
デモとストが必要です。3分の2をとらせないだけではダメです。
 これは10年、20年かけて主人である人民の力を取り戻すしかありません。しかし、
さしあたり、憲法9条を変えさせない。これは勝てる戦いだと私は思っています。
私たちが全力で頑張れば、世界の世論が対話路線に変わりますから、憲法9条を守る
ことはできる、と私は思っています。
 昔、ローマにカトーという大政治家がいました。海の向こうにカルタゴという国
があり、将来ローマの脅威となることを力説したのですが、誰も聞いてくれない。し
かし、カトーは朝から晩まで何か一言言うたびに必ず「それにつけてもカルタゴ
は滅ぼさなければならない」と言い続けて、ついにローマの世論を動かしたと
いうのです。
 我々も2年後の衆議院選挙が最大の山場ですから、それまで「おはよう、それに
つけても憲法9条を守りましょう」、「今日は、それにつけても憲法9条を守りましょ
う」と、言い続けて行きたいと思います。子どもたちに憲法9条のある日本を残して
あげることが、私たち親の責任ではないか、と思います。
 長い話になりましたが、これで終わります。(終))

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11.教会と信仰者と国家〜創造の秩序をめぐって〜

(2007年7月24日の「教会と国家」学会における講演の概要)

1.私は1934年生まれで小学校6年生の時に敗戦を迎えました。父は牧師でした。米軍の空
爆で教会も牧師館も焼失、火の中を逃げまどった忘れられない記憶があります。隣家に一番
仲の良い同級生がいましたが、直撃弾で一家全滅、友人も即死しました。本当なら、この友人
にも私と同じようにあと60年ほどの人生があったはずなのに、あの夜、無惨に断ち切られた
のです。この記憶が国家の問題を考える時の私の原点です。
 東北大学で宗教学・宗教哲学を学び、ブルトマンについて研究しました。大学院の途中でドイ
ツに留学し晩年のブルトマンに学びました。貨物船に便乗したヨーロッパへの旅の途中、何回
も東南アジア、インド、アラブ諸国の港町に立ち寄りました。そこで見たのは長く植民地支配の
もとに置かれた人々の飢えと貧困の現実でした。それまでの私は「政治や社会に無関心な古
典的クリスチャン」でした。この経験が私に政治や社会に目を向けさせることになりました。
 ブルトマンはナチスの支配に対しても良心を曲げなかった人ですが、ドイツの植民地支配の
歴史については無関心でした。国家が自己絶対化して信仰の自由を弾圧してきた時には抵抗
するが、そうでなければ国家については無関心でいるということで良いのか、というのがその時
の疑問でした。帰国後は、自分にできる範囲で平和運動、反核運動、人権を守る運動、政治
革新の運動などに積極的に参加してきました。その中で「バルメン宣言」などを読み直して考え
たことは「創造の秩序」に関する問題です。
2.王と国家についての聖書の理解は多様で統一されていません。Tサムエル8;1−21では
王は神の意志に反するものとされていますが、Uサムエル12;7は神が王を任命したとされて
います。ローマ13;1−7は政治権力を神によって支配を委託されたものと見ているようです
が、黙示録では国家は明白に神の敵として描かれています。一貫しているのは「人に従うより
は神に従うべきです」という使徒5;29の立場です。
 コンスタンチヌス体制以後の代々の教会の主流は国家を神の立てた秩序として受け入れて
来ました。いわゆる「創造の秩序」の問題です。この考え方は、国家が創造の秩序であること
を否定するバルメン宣言の中にも深く影を落としています。「国家は・・・正義と平和のために配
慮するという課題を神の定めによって与えられている」というのです。しかし、このような考え方
は聖書の中のある特定の箇所に基づくものであって、聖書にはそれに反する考えも含まれて
います。私には、このような考えは聖書の恣意的援用ではないかと思われます。つまり、国家
というものの存在を既定のものとして前提しているために、国家に対する抵抗の論拠として、
聖書の特定の箇所から、このような神によって定められた課題という論理を導き出したのでは
ないかと思います。国家が永遠に存在するものであって、神から特別な課題を定められたもの
であるという考えには、創造の秩序としての国家という考えの残存を認めざるを得ません。暴
力団にも泥棒にも神の定めがあるのでしょうか。私にはあるとは思えません。暴力団にないも
のがなぜ国家にだけあるのでしょうか。国家を特別な存在とする考えがその背後にはあると思
われます。国家は永遠に存在するものではなく、他者と共に生きるべく創造された自由な人間
が歴史の中で形成してきた歴史的存在です。信仰者が国家に抵抗するのは、国家が神の定
めに反した時ではなく、神によって与えられた人間性の尊厳を国家が侵害する時なのです。国
家だけではありません。人間性の尊厳を侵害するすべてのものと私たちは戦わなければなり
ません。国家に特別な使命が神から与えられているとは私には思えませんし、そのような考え
に聖書的根拠があるとは思えません。パウロがローマ13で「神が立てた権威」と書いたのは、
国家を永遠に存在するものと考えていたからであって、乱暴な言い方をすれば、パウロの無知
によるものだと思います。国家というものは、たかだか四千年の歴史しか持たないものである
こと、またローマの皇帝は元来は選挙皇帝であったことなどはパウロの知識にはなかったので
す。
3.「男と女」という二つの性の存在も創造の秩序として考えられてきました。創世記1;27が論
拠とされてきたと思います。これも創世記の記者が、両性具有の人の存在や、生物的には男
性でも精神的には女性と自覚している人の存在や、その逆の人の存在や、同性を愛すること
が自然であるような人の存在を知らなかったためと私には思えます。あるいは知っていても、
男と女だけが「正常」な存在であって、それ以外は「異常」なものという考えにとらわれていたた
めだと思います。両性具有の人が神のみ手のうちにないなどということは私には絶対に考えら
れません。聖書の記者といえども、常に自分の持つ先入観の中で考えているのです(ブルトマ
ンが「前理解」と呼んだものです)。創造の秩序という考え方には、自分があたりまえだと思って
いるものを神の秩序だと考えてしまう危険性が伴います。
 しかし、創造の秩序そのものを否定することはできません。人間が神の定めのもとに置かれ
ていることは明らかなことです。それは第一には人間が死すべきものであるということ、第二に
は人間が他者と共に生きるべく作られていること、この二つではないかと思っています。この二
点を創造の秩序として謙虚に承服し、それに従うことによってのみ、人間は命へと導かれるの
ではないでしょうか。
4.国家が限界を超えて自己絶対化した時に初めて信仰者の国家に対する抵抗が始まるので
はないと思います。このような考えは「国家に対する定め」を前提にしています。そうではなく
て、国家は人間が作った歴史的形成物なのであって、その国家が、神によって祝福された人
間の自由と尊厳を侵害する時には、いつでも信仰者は国家を批判し、国家の変革を求めなけ
ればならないのだと思います。しかし国家の行為が人間の尊厳を侵害するものかどうかは、信
仰からは直接の答えは出てきません。郵政民営化とか、消費税率の引き上げとか、イラク戦
争とか、後期高齢者医療制度の改変とか、それらの問題は信仰とは無関係だと言うことはで
きません。私たちは、どんな場合でも神に従って、信仰に基づいて生きるのです。しかし、これ
らの問題には、信仰から直接の答えは出てきません。これらの問題が人間の尊厳を否定する
ものであるかどうかを判断するためには「知識」が必要です。「神に従う」決断は必ず「隣人を
愛する」ことに実を結びます。前者は信仰的決断であり後者は倫理的決断です。倫理的決断
は信仰から直接には出てきません。それは媒介としての「知識」を必要とします。信仰は知識
を求めるのです。象徴的に「聖書と新聞」と言われるように、私たちは常に政治と社会に関心
を持ち続け、国家に対して発言していかなければならないのだと思います。それは国家は私た
ちが作った物だからなのです。
5.教会と信仰者と国家
@教会は(信仰者個人と違って)個別の政治問題についてすべて発言する必要はないと思いま
す。Aしかし神の主権が侵される時には発言しなければなりません。B同時に国家が人間の
尊厳を守るような国家であるように祈り、かつ要求することが必要です。Cそして教会は信仰
者が各自政治に対して信仰による知識に基づいて倫理的判断をするような態度を養うことが
求められています。D個々の信仰者は、信仰に忠実に生きたいと願うのなら、真剣に勉強し
て、その知識に基づいて行動しなければなりません。勉強の結果は相対的ですから異なる判
断にたいしては寛容であり得ると思います。しかし、自分の生き方については真剣かつ誠実で
なければなりません。(終)



12.くらしと憲法〜消費税増税と世界不況

  平和憲法9条を守る花巻市民の集い(2008.5.10.) 

  「くらしと憲法〜消費税増税と世界不況」
                  川端純四郎

    主催:憲法9条を守る花巻市民の会 
  場所:花巻市まなび学園
  文責:とうわ九条の会

1.憲法の根本は主権在民
 ご紹介頂いたように1943年の生まれですので、敗戦の年が小学6年生でした。仙台のど真
ん中に住んでおりました。父は牧師でしたが、当然教会も牧師館も丸焼けとなり、町の真ん中
の小学校ですので同学年の8人が死にました。となりの家に三浦君という仲の良い友だちがい
て、6年間毎日いっしょに学校に通っていたのですが、直撃弾で一家全滅、三浦君も即死しま
した。この頃しきりに思い出します。自分が年をとったから思い出すのか、あるいはまた政治が
きな臭くなって戦争の臭いがするので思い出すのか、それは分かりませんが、思い出す私は
七四歳ですが、想い出に出てくる三浦君は、当然のことですが、小学6年生のままで出てきま
す。色の白いあまり背の高くない可愛い男の子でした。ほんとなら三浦君にあのあと六十何
年、私と同じ人生ががあったはずなのです。それがあの晩無惨に断ち切られた! 本人には
何の責任もないのに・・・。戦争とはそういうものだと思います、戦争だけはどんなことがあって
もしてはいけないとあの時以来思い続けています。
 ところが、この十年ほど、憲法を変えて戦争をするという人たちが、小泉、安倍と2代続いて、
憲法は本当に風前の灯火でした。こちらは押しまくられ、もう何やっても抵抗できないのじゃな
いかと思うぐらい彼らの力が強く、選挙でも負け、署名も歯が立たない・・・しかし、やっとこの数
年、私たちの「9条を守れ」と言い続けてきた努力が実を結んで、今年になって少し変わり始め
たと思います。5月3日の憲法記念日のどの新聞を見ても、9条を守る方が多くなってきていま
す。朝日新聞では66%です。変えた方がよいというのは23%、護憲派の方が圧倒的に多くな
っています。
 数年前には考えられないことでした。一つはもちろん安倍内閣の危険さに皆が気がついたこ
と、もう一つは9条を変えることは同時にみんなの暮らしを悪くするということが明らかになって
きたのだと思います。暮らしを悪くせずには戦争はできません。一部の大企業は戦争で儲かる
のですが、戦争とは、庶民の犠牲の上に成り立つものですから。ですから、目が覚めた。戦争
をやるということと、暮らしが悪くなること、この二つはくっついている、平和の危機と暮らしの危
機はくっついている、ということにみんなが気づき始めたのです。
 小泉は「自民党をぶっ壊す」と言って人気を集めたのですが、今ふり返れば、彼は自民党で
はなくて、日本をぶっ壊したんです。戦後の50年、みんなで作ってきた日本、焼け野原からみ
んなで働いて少しずつ良くしてきた(遅々たるものではあったが)、働けば働くだけ生活が少し
だけ良くなった、これは間違いがありません。ところが小泉が首相になってから、どんどん悪く
なり、いくら働いても生活は苦しくなるばかりです。統計を見ればはっきりしています。高度成長
の時期には、10年で企業のもうけは3倍になりましたが、労働者の給料も1.5倍に伸びまし
た。(3倍と1.5倍では不公平ですが)それでも会社がもうかれば労働者も少しは良くなったの
です。あのバブルの時でさえ、企業は1.8倍もうけ、労働者の給料は1.5倍に伸びました。と
ころがこの10年、企業のもうけは1.8倍、労働者はマイナスです!これは戦後60年で初めて
のことです。
 ご存知のようにまず働く場所がない。正規労働者がどんどん減り、三分の一が非正規です!
 「派遣労働法」などというとんでもない法律を作ったからです。かつては、そんなことは不可能
だったんですが、小泉が労働条件をぶち壊してしまった。昔は法律で禁止されていたが今、正
規で雇わなくとも良くなった。働いても働いても「日給労働者」。もちろん年金もなく健康保険も
ない。社会保障をどんどん削ってきたので、この10年私たちの暮らしはじりじりと悪くなりまし
た。結果として「格差社会」と言われています。片方はとんでもないボロもうけしている人たちが
います。年収100億円以上の人は、日本に7人います。この人たちの税金はものすごくまけて
もらっています。年100億円とは、まともに稼ぐのは不可能です。10億も月給の出るところは
ありません。100億の収入の99%は株なのです。この株や証券取引でもうけると、税金は安
いのです。不思議な話です。収入なんですから税金かけたらいいのに、「分離課税」と言って、
給料とは別に課税します。働いて稼いだ金より税率はずっと低いのです。大金持ちの税率は
(所得税)39%ですが、証券や株の配当だけは別にして20%でいいことになっています。とこ
ろが世の中不景気で、株や証券が売れないといけないから、特別にこれを税率10%にまける
という法律をつくりました。それが特別臨時のはずだったのが、延長また延長と今でも続いて
います。これでは格差は開く一方です。
 去年の参議院選で、やっと、皆、目が覚めて、そんな政府は認めない、という判断がくだされ
ました。やっと、主人である我々人民(国民)が「主権を発動」したのです。憲法では国の主人
は国民だと言っています。本当は「国民」ではなくて「人民」です。「国民」と言えば、「国」があっ
て「民」があることになります。それはあべこべです。「民」がいるから「国」があるのです。「人
民」という言葉には何となく抵抗があります。しかしリンカーンの「人民の、人民による、人民の
ための政府」という言葉には抵抗はありません。これを「国民の」といったら、国がはじめにあ
るのですから理屈が通りません。人民が集まって、人民のために、人民による国家を作る、そ
れが民主主義国家なのです。「国民の・・・」と言ったら、すでに国はあることになりますから、民
が集まって国を作るのだという根本的な理屈が成り立たなくなります。まず人間がいて、自分
たちの暮らしを守り良くするために国家というものを作るのです。
 国家というものが生まれたのはたった4000年前のことです。社会はその前からありました。
人間は集団の動物ですから、社会なしには生きていけません。国家とは、社会と別の組織、
「社会」の管理・運営だけをやる組織です。社会というのは皆が働いて、労働の産物をとりかえ
っこして生きているものです。ところがその上に立って、これを管理したり運営したりするだけで
自分は何も作らないというのが国家ですね。国家とは、もともとあるものではないのです、社会
が大きくなるとやむをえず管理専門の人ができる、そうじゃないと動かないからです。会社で言
えば総務課のようなもの、工場で働いて会社を成り立たせている労働者と、管理専門の、帳簿
のうえでやるだけの人の違いです。必要ではあるのです。しかし大切なことは、国家が先では
なく、まず人がいて、人が働いて生きていく、それが先、そのために必要だから国家を作った
のです。それが逆になっては困るのです・・・。
 日本語では「国民」と言いますが、本当は「人民」なのです。去年初めて「日本人民」が、選挙
で、国家の主人は人民であると、「民主」を実現したのです。私たち人民が、高い税金をはらっ
て、私たちの暮らしを守るために国家を作って、政治家を雇っているのです。私たちが主人公
なのです。ところが選ばれた人たちは自分が支配者だと錯覚を起こしています。総理大臣とは
雇い人なのですから、我々の召使いです。私が戦争後中学校に入ってびっくりしたのは「公僕」
という言葉でした。政治家や公務員は公僕だ、公のしもべ、召使いだ、とあのころよく言われま
した。人民が主人です、と。税金は我々が預けたものなのに、あのひとたちはまるで自分の金
だと思って、私腹を肥やしてきました。主人が眠っていたのです。60年、主人が居眠りしてい
たので番頭さんはそれをいいことにさんざん悪いことをしてきました。去年ハッと目が覚めた
ら、預けた金を着服して自分勝手なことをやっている、そこで番頭を呼びつけてクビにし、別の
番頭にすげかえるというのが去年の選挙です。人民が初めて「主権」を発動して番頭をクビに
しました。
 残念ながらかわりの番頭にあまりいいのがいないのですが・・・それでも、変えるのが大事で
す。小沢番頭に取り替える、と宣言をした。あれが衆議院だったら、ただちに変わったのです
が、残念ながら参議院でした。ですから、政府そのものは変えられなかった。しかし、おかげで
参議院で次々といろいろなことが明らかにされました。これから私がお話しすることも、以前か
ら私たちは主張してきたのですが、みんなにはなかなか伝わらなかった、それが表に出てくる
ようになりました。税金がどんなに無駄遣いされているか、その実態が明らかにされてきまし
た。
 戦争も、私たちは誰もやりたいとは思わないのですが、彼らは自分たちが支配者だと思って
いますから、税金を勝手に使って戦争をして、自分たちは大もうけをしています。イラク戦争も
同じです。もうけているのはチェイニー副大統領、ハリバートンの社長で、イラク戦争に関する
あらゆる事業を一人占めしています。インド洋の給油でもそう、本当にバカな話です。自衛艦
は空っぽでインド洋へ行くんです、そしてドバイで、アメリカの石油会社から石油を買って積み、
それをアメリカの軍艦に給油しています。その石油会社はチェイニーが経営する会社です。ア
メリカの石油なのですからアメリカが給油すればいいことなのですが、我々の税金でそれを買
って、税金を使って自衛艦が給油してやるのです。我々の税金が中間搾取されているだけで
す。日本の石油を給油してやるなら、日本の石油会社が儲かりますが、実際は一切日本の利
益にならないのです。高いガソリンを燃やして日本の軍艦がわざわざインド洋まで行って、アメ
リカの会社から石油を買って、それをアメリカの軍艦に給油してやる。こんなバカな仕組みをよ
く平気で続けるものです。
 我々の払った税金が、戦争のために、アメリカの軍事会社、日本の大企業を儲けさせるため
に、あとは政治家の私腹を肥やすために使われていて、私たちの暮らしのためにはほとんど
何も使われていないのです。昨年やっと目が覚めて参議院選でストップがかかりました。、次
は衆議院選です。内閣は年内持たないかもしれませんが、支持率が下がるほど解散しにくくな
る(負けるから)ので、たぶん来年、衆院選ということでしょう。その選挙で政府を「とりかえる」
ことが大事です。
 この10年、まるで洪水のように流れてくる「9条を変える」という勢いを、今、参院選で押しと
どめました。しかし、押し止めただけです、力を抜いたら一気に押し流されます。それでも、しか
し止まりました。9条は今すぐには変えられません。衆参両院で、三分の二の多数で可決しな
ければ国民投票の原案が成立しません。民主党が裏切って自民党と組むのでないかという心
配は今はありません。「民意」がありますから、憲法改悪などといえば民主党もボロ負けです。
今はそうは言えないのです。だから我々の意志が大事なのです。山口県の補欠選挙でも、佐
藤栄作の生まれ故郷だというのに、自民党が負けました。日本の歴史始まって以来のことだそ
うです! どんなに「民意」が大切かはっきりしました。

2.当面の課題は消費税増税阻止
 9条を今すぐには変えられなくなり、彼らは、やむを得ず、9条に手をつけずに、まず外堀か
ら埋めようとしています。そのひとつが「集団的自衛権」です。これは改めてゆっくり勉強しなけ
ればならないことですが、一言でいえば、「アメリカが攻撃されたら日本が攻撃されたと見なす」
ということです。変な理屈ですが、「同盟国」なのだから、一心同体なので、「自衛権」を発動し
ていっしょに戦争に参加する、という、それが集団的自衛権です。イラクでアメリカ軍が攻撃さ
れていますから、日本が攻撃されたと見なして日本が戦争に参加する、と。実際、もうやってい
るのです。法律を無視して!この前、ハワイ沖で日本のイージス艦は、北朝鮮がアメリカにミサ
イルを撃ったと想定して、それを打ち落とす訓練をしてきたのです。打ち落とした、と宣伝し、大
いばりで帰ってきて、漁船にぶっつけて沈めました。打ち落としたのはもちろん練習だからでき
たことです。アメリカが発射したミサイルを(何月何日何時何分何秒、どこから、どちらに向けて
秒速・・・で発射すると)教えられたうえで打ち落とすのですから。学者は、実際にはミサイル防
衛は不可能だと皆言っています。戦争になれば、何月何日の何時に発射しますなどと教えてく
れる相手はいません。しかも、落とすための迎撃ミサイル一発が20億円です。自衛隊は10発
しか持っていませんから、相手が11発撃ってきたら?あんなモノは何もなりません、要するに
「軍事産業」がもうけるだけなのです。学者は皆 「宇宙防衛・ミサイル防衛」は無駄遣いだと言
っています。ブッシュ政権は軍需産業から莫大な政治献金をもらっていますから、何の役にも
立たないとわかっていてもやっているのです。
 もう一つは(外堀を埋める)消費税を上げること。戦争は莫大なお金がかかります。その金を
所得税でとるには、40%にします、などといえばそれこそ革命が起きてしまう。税金は収入に
かかる税(所得税)と、支出にかかる税(消費税)の二つしかありません。消費税なら、いくら払
ったのかよくわからない、目に見えにくい、戦争の財源としては一番とりやすいのです。ヨーロッ
パの歴史から見ると、消費税を導入したのは戦争の時にです。消費税を上げるのは戦争の準
備をしている時、財源を今から準備しようとしているのです。今年中に必ず出てきます。もし来
年の選挙で自民党が勝てば、来年秋には実施、この秋に協議会が始まります。これには、昨
年まで民主党も賛成していました。今は民主党は反対しています。昨年の選挙の時、消費税
値上げに賛成なんて言ったら勝てませんでした。ずっと反対してもらうためには選挙が大事で
す。来年の衆院選が非常に大事なのです。
 おそらく世論調査をしたら戦争はしない方がよいという人が80%、まちがいなくそうでしょう、
ところが国会議員は、80%が戦争賛成なのです。なんでそうなるのか?民主主義なのですか
ら、国民の気持ちが議会に反映しなければいけないのに、全然そうなっていません。消費税も
そうです。値上げした方がよい、などという国民はほとんどいません。それなのに国会では三
分の二が賛成です。国会が民意から離れているのです。なぜか? 小選挙区制だからです。
小選挙区制では、一選挙区から一人しか当選しないのです。かつては中選挙区ですから、一
選挙区から4人か5人当選しました。4〜5人いれば、上二人はまあ自民党で、3番目が民主
党、4番目か5番目に公明党や共産党・社民党。ですから国会は50人ぐらいが共産党・社民
党になるのです。そうすると自民党も勝手なことはできなくなる。一選挙区一人というのは、トッ
プだけ(だいたい自民党)、すると、議会は全部自民党になります。中選挙区、あるいは比例代
表制なら、国民の票の割合で国会議員が出てくるので、ほぼ40%の得票率の自民党は、国
会でもそうなります。ところが小選挙区制だと、あと60%の票は切り捨てられ、40%の民意だ
けが国会で反映されるのです。ですから、戦争するには小選挙区制にしなければ、できないの
です。小選挙区制の導入は、明らかにそのためでした。
 自民党はもう60年も前から、いつか戦争できる国にしようとして準備してきたのです。まず小
選挙区制、次に消費税、それから教育基本法です。子どもの時から、絶対に戦争はしてはい
けないと教えられていたら、、いくらがんばってもなかなか戦争はできません。教基法が変わっ
た効果が、今年の四月にはさっそく出ました。全国いっせいに小学校生活の案内というのが届
きました。「お国を愛すること」が小学校生活の課題になりました。その次は必ずお国のために
死にましょう、と出てきます。つまり小選挙区制にして、民意が国会に反映しないようにする、次
に消費税によって軍事費をいくらでも絞り上げられるようにする、そして教育基本法を変えて、
こどもたちに愛国心を押しつける。私の子どものころを思い出しても、私も愛国少年で、お国の
ために死ぬことを全然不思議に思わなかったです。戦争中は当たり前だと思っていました。
 さて外堀は埋まりました。あとは憲法9条を変えて仕上がり!これでまた再び日本は戦争で
きる国になれるという、その仕上がりのところで、危機一髪、去年の選挙でと食い止めたので
す。しかし外堀はすでに埋められています。小選挙区制と教育基本法を元にもどすこと、これ
は今後の大きな課題です。
 九条に手が着けられないのなら、まず消費税から行くというのが現在の問題です。戦争の準
備ですなどということは言えませんから「財政危機です」とか「社会保障費がたりません」とか
「福祉目的税にします」とか言っています。この消費税の増税が、今、さしあたり一番重大な問
題です。これが認められれば戦争の外堀は、完全に埋まってしまいます。私たちは9条を守る
ことには、一瞬ではありますが成功しました。次の選挙までは大丈夫です。次の選挙が、消費
税の増税を認めるのか、認めないのか、そして9条を守るかどうかの最大の山場になりますか
ら、本気で闘わねばなりません。
 消費税をうまくだまして実行するために「福祉目的税」と言っています。先日、「日本経済新
聞」の一面全部を使って、そう書いていました。日経新聞は政府第一の御用新聞だなあと思い
ますが、すごい影響力です。堂々とああいうことを書くのですね。政府自民党は今年中に税制
協議会をやって、「15%」などと言い出しています。次の選挙で勝てば実行する。もちろん福田
さんの支持率が下がって、やりにくくなっています。世論が大事なのです。しかし、「福祉目的
税」だと言われれば、社会保障がどんどん悪くくなっている中で、「社会保障にしか使いません」
と、「特定財源にするから15%」と言われればだまされます。
 本当は、消費税を上げる前に無駄遣いをやめてくれと言わねばならないのですが、日経新
聞ではそれには一切触れていません。無駄遣いをさんざんしておいて、財源がありません、な
どとそんなバカなことがあるでしょうか。無駄の最たるものが防衛費です。これほどむちゃくち
ゃな無駄遣いはありません!たとえば
・主力戦闘機F15は1機120億円(150機持っている)で買っていますが、アメリカか ら直接買
えば1機80億円です。三菱重工がアメリカから設計図をもらって作って いるために高くなって
います。三菱をもうけさせているだけの話です。
・コブラヘリコプターは1機48億円、アメリカでの値段は15億円。
・90式戦車(ソ連の脅威に備えるとして北海道のみに配備した)は1台9億円(300台以上)。
アメリカでの値段は4億円。
・揚陸艇、1艇66億円 アメリカでの値段は20億円
防衛機密で詳しいことは公表されていませんので、いくらでも、むしり取りたい放題です、防衛
商社とそれにつるんだ役人たちと政治家たちが中間で莫大な利益をふところに入れているの
です。また、特に90式戦車は、「ソ連が攻め込んでくるから」として買ったのですが、ソ連が崩
壊して(1991年)10年余、未だに毎年買っています。重量オーバーで(50t)日本国内を走る
ことはできません。要するにアメリカのメーカーと輸入業者をもうけさせるために買っているの
です。このようなことが、自民党多数の間はすべてまかり通っていたのが、自民党が少数にな
って、はじめて明らかになったことです。今まで60年延々と続いてきたのです。
 さらに今問題なのは道路特定財源です。「これをやめると皆さんの町の道路が造れなくなる」
などと言っていますが、もちろんウソです。ほとんどは、生活道路ではなく、高速道路につぎこ
まれています。これから10年で6本の海峡横断道路をつくる計画です。@関門海峡道路(すで
にあるのに) A東京湾口(アクアラインがあって大赤字なのに。) B紀淡連絡(淡路島と和歌
山を結ぶ、すでに神戸ー淡路島ー香川の高速道路があるのに) C伊勢湾口 D豊後伊予
(大分と四国愛媛の伊予原発のあるところ) E島原天草島道路。全部、何の役にも立たな
い、赤字になることが分かり切っている計画です。要するにセメント、鉄鋼、土建会社にもうけ
させるためです。そしてこういう計画をたてるのが「(財)海洋架橋橋梁調査会」という「特殊法
人」です。理事長は旧建設省道路局長、専務理事は国土交通省東北地方整備局長、以下上
から8人の役員すべて天下り。自分たちの天下り場所を作るためにつくられた特殊法人です。
そういう所が、いりもしない橋を、我々の税金を何兆円も使って作る、いらないものだと誰もわ
かっているのに。今まで作った橋もすべて赤字、特に本四架橋は1本あれば十分なのに、3本
も作ったのですべて赤字。天下り役人たちのもうけのためです。しかもその給料は各理事の年
収1830万円。皆、国交省などの局長を定年前に早期退職して天下りしたのです。この仕組
みが諸悪の根源なのです。
 このような仕組みを支えているのが「特別会計」です。「一般会計」は年80兆円で、国家予算
といわれるもので、国会で審議され公表されます。ひどい内容ですが、それでも国民に公表さ
れています。ところが「特別会計」は、一切国会にかからず省庁が勝手に使える金で、しかも3
00兆円あるのです。各省がそれを使って、特殊法人(例:上の「○○調査会」)を作り、天下る
のです。国の各省は、東大卒を毎年3人くらい採用する。ずっとはじめはいっしょに出世してい
くが、最後に一人だけが次官になります。一人次官になると他の二人はくやしいからやめるの
です。そして次官と同じ給料(年1500万円)をもらえるところに天下る。その天下り先として特
殊法人が作られているのです。彼らは早期退職で「早期退職手当」がつくので、この人たちの
退職金は7000万円です。そして「架橋橋梁調査会」や「道路公団」や「グリーンピア○○」や
「××公団」へ天下るのです。給料は年収1500万円。そして2年で次の人が来ますからやめ
なければいけません。その時の退職金がまた1800万円。そして別の特殊法人へ天下って、
また年収1500万円です。三回ぐらいが普通で、これを「渡り鳥」と呼んでいます。全部私たち
の税金です。とんでもない仕組みです。
 資料の「役員の報酬」を見ると腹が立って脳溢血を起こしかねません!かって共産党や社民
党がこれらのことを委員会で追及したことはあったのですが、自民党多数では採決になると問
題にされませんから、マスコミも報道しない。今回民主党が多数になりましたから、はじめて、
このような数字がマスコミに出るようになりました。どうですか? 60年間番頭さんが勝手なこ
とをやって、ご主人の金をくすねて私腹を肥やして来たのです。60年全部弁償してほしい。ドロ
ボーと同じですから、弁償できないなら刑務所に入ってほしい。これまでの国家公務員の局長
以上は全員。それを平然として今ものさばっているのですから! 主人が悪いのです。居眠り
をしていて監視をしなかったから、番頭さんはやりたいほうだい勝手なことをしてきたのです。
今回のねじれ国会によって、やっと「特殊法人を減らします」となった。しかし3人のうちの一人
が次官になったら他の二人はやめて天下るという、その仕組みを変えない限り、天下りの行き
先の名称が変わるだけです。その仕組みをやめなければなりません。
 我々は国会の監視をますます強めなければならない。税金は我々の暮らしを守るためにま
ず使いなさいと。まず社会保障と教育に使うべきなのです。ドイツもフランスもそうしています。
国民総生産GNPのうちの28%も使っています。日本は17%です。お金はあるのです。他のこ
とに使うから社会保障にまわってこないだけです。まず軍事費、そして大企業援助費、残った
ら社会保障にまわします、というのでは残りません。残りませんから「福祉目的税」を、というの
です。これは逆立ちです。まず社会保障に使って、残ったら軍事費なり大企業援助費なりに使
うというのが本当の順序です。残らなければ「軍事目的消費税」とか「大企業援助目的消費税」
にすればよいのです、、誰も払いませんから。「福祉目的税」と言われるとだまされる人がいま
す。
 なぜ日本はドイツ、フランスのようにできないのか。それはアメリカに逆わらないからです。ソ
連崩壊後、ドイツもフランスも大幅に軍事費を削りました。日本だけは、ソ連がなくなっても軍
事費を増やし続けています。憲法前文には「政治の権威は国民に由来し、権力は国民の代表
者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とあります。つまり政治権力は国民の
福祉のために使わなければならないのです。しかし今の日本では、政治権力は、アメリカや大
企業や政治家の福利のためにだけ使われています。
 憲法を守る、ということは平和を守るだけではなく我々の暮らしを守ることなのです。税金の
使い道を変えさせることです。私は毎年三週間ほど、仕事でドイツへ行っています。うらやまし
いのは、お年寄りが悠々と暮らしていることです。老後の心配はまずありません。ともかく医療
と教育は原則無料ですから。年金がきっちりしています。財源がたりない時は他を削る。「福祉
を削る」などということは口が裂けてもヨーロッパの政党は言いません。そんなことを言えばす
ぐ選挙で負けますから。そこが違うのです、日本の政府はずっと選挙で勝ってきましたから、い
い気になって「財源がない」などと言うのです。
 福祉財源はあるのです。日本だけが年金財源を出す以上に集めるのでどんどん積立金がた
まっています。日本の厚生年金、国民年金、共済年金合わせて200兆円も積み立てていま
す。ドイツ、フランスでは毎年年金掛け金を集めて、それを翌年の年金支払いに使っていま
す。日本だけがちがうのです。200兆円とは、今、皆から集めている掛け金に加えて、毎年5
兆円ずつ取り崩して使えば40年楽々使えます。なぜ積み立てたかというと、年金積立金を特
別会計に借り出して流用するためです。200兆円と言っても、全部高速道路やグリーンピアな
どに流用したのです。「高齢化」と言いますが、これもウソです。2020年に高齢化はストップし
ます。無限に高齢化するのではありません。200兆円も積み立てているのですから、あと20
年としてもラクに持ちます。「年金財源が危ない」などというのは真っ赤なウソです。流用して使
ってしまったからないのです。弁償してもらわなければなりません。消費税を上げるために国民
をダマしているのです。

3.ドルに支配される日本経済
 さらに問題は、消費税を上げれば我々の暮らしがひどくなるばかりではなく、日本経済がだ
めになります。これからは内需をふやすことを考えなければ、日本経済は成り立ちません。消
費税の引き上げは、内需拡大に対する最大のブレーキです。
 今まで60年、戦後の日本は「貿易立国」をスローガンとしてやってきました。無限に輸出し
て、ついに外貨準備高は一兆ドルになりました。しかし 国民は豊かになったでしょうか。貿易黒
字のもうけは、国民には少しも配分されません。それはなぜか? 
 @帝国主義的循環。これは19世紀にイギリスがやったやり方です。インドから大量に原綿を
輸入する、その輸入代金は本国のイギリスの銀行に貯金させる、というやり方です。インドはい
くら綿を輸出しても、代金は入ってこないのです。逆にイギリスは綿を買ったのに代金は出てい
かないのです。なぜ、こんなことが可能になったのかというと、インドがイギリスの植民地だった
からです。インドはいくら輸出してももうかりませんでした。今の日本も、これと同じ仕組みで
す。輸出代金はアメリカの銀行に貯金させられているのです。それをアメリカの銀行が勝手に
使っているのです。日本がアメリカの植民地だから、こんなことが可能になるのです。売れば売
るほど損をする仕組みです。この仕組を経済学では「帝国主義的循環」と呼んでいます。支払
った金が戻ってくるという仕組みです。
 A過剰ドル体制。第二次大戦後の世界経済体制は「ブレトンウッズ体制」と言われます。アメ
リカのブレトンウッズという町で開かれた会議で決定されました。アメリカが35ドル=金1オン
スでいつでもドルを金に替えることを約束したのです。これによって世界は安心してドルで貿易
ができることになりました。(金ドル体制という)。ところがアメリカはヴェトナム戦争の莫大な軍
事費をまかなうために、やむを得ずドルを乱発しました。そのために手持ちの金以上にドルを
発行してしまって、ドルを金ととりかえられなくなりました。そこで1971年、ニクソン大統領は
金・ドル交換停止声明を発表して金との交換を廃止しました(ニクソンショック)。これ以後、不換
紙幣ドルの強制通用の時代となります。
 金に変えることのできない紙幣が世界に通用したわけは、冷戦構造によるものでした。つま
り、不換紙幣ドルの受け取りを拒否すればアメリカは破産します。そうすればソ連が勝利する
ことになります。ソ連の勝利を阻止するためには、金と取り変わらないと分かっていてもドルを
受け取るほかなかったのです。資本主義体制を維持するために、世界は不換紙幣ドルを世界
通貨として使用し続けたのです。また当時は、中国が資本主義国から完全に閉め出されてい
ました。アメリカによって中国との貿易は厳重に禁止されていました。そのためにアジアの国々
はアメリカとの貿易に頼る以外に道はなかったのです。そうなればドルを使用しないわけには
いきません。さらに中南米はアメリカの軍事弾圧で完全にアメリカの支配下におかれていまし
た(アメリカの裏庭)。
 金と取り変わらない紙幣は本来国内通貨にすぎません。政府が法律で保証しているから通
用するのであって、政府の法律の及ぶ範囲内でしか通用しません。外国に出れば紙クズで
す。ところが、ドルだけは、不換紙幣なのに世界通貨なのです。アメリカの国内通貨が同時に
世界通貨なのです。アメリカにとっては、こんな都合のよい仕組みはありません。自動車が欲し
ければ、日本から自動車を買って、アメリカは輪転機を回すだけでよいのです。紙とインクがあ
れば何でも買えるのです。ほかの国はこんなことはできません。何か輸入しようと思ったら、ま
ず何か輸出して、その稼いだお金で輸入するのです。輸出せずに輸入だけしたら、たちまち破
産してしまいます。ところがアルリカだけはできるのです。国内通貨が世界通貨なのですから、
輸入代金は紙切れで払えるのです。そこてアメリカは無限の輸入国になります。自動車が欲し
ければ日本から輸入する、石油が必要ならアラブから輸入する、代金は輪転機をまわせばよ
いのです。世界の冨がアメリカに集められて、かわりにドル紙幣が世界中にばらまかれまし
た。無限の貿易赤字が累積されます。ドルの「垂れ流し」と言っています。経済学の用語では
「国際収支の節度を失った」ということになります。
 その結果は、アメリカの国内産業の衰退とドル価値の下落です。この仕組みは分かりにくい
かもしれませんが、こういうことです。トヨタが自動車を輸出したとします。代金としてドルを受け
取ります。しかし日本国内ではドルは通用しませんから、必ず日銀に持って行って円と取り替
えます。その円で労働者に給料を払ったり設備投資をしたりするのです。これを「ドル売り円買
い」と言います。ドルを打って円を買うことが続くのですから、当然、円が上がります。つまり、
貿易赤字の国の通貨は下がって、貿易黒字の国の通貨は上がるのです。これが基本の仕組
みです。ですから、アメリカがいい気になってドルの垂れ流しを続けると、ドルが下がって、購買
力が低下し、世界の国々がドルを保有することを拒否するようになります。
 そこでアメリカが考えたのが、現代版の「帝国主義的循環」なのです。つまり、輸入して代金
を払っても、その代金がアメリカに貯金されるようになればよいわけです。そこで1985年にニ
ューヨークのプラザホテルで世界主要国の大蔵大臣会議を開いて、すべての国は、アメリカを
守るために、アメリカよりも金利を常に低くすることを約束させました。そうすれば、アメリカの
方が金利が高いのですから、トヨタは、自動車をアメリカに売ってドルをもらうと、それを日本に
持ち帰らないでアメリカの銀行に貯金をすることになります。こうして現代版「帝国主義的循環」
が生まれたのです。ドイツもフランスも、はじめはアメリカの言うことを聞いていたのですが、す
ぐに金利をあげて、自国の利益を守りましたが、日本だけは、それ以来、現在にいたるまで、
超低金利を続けています。こうして、日本の持っている一兆ドルの外貨は、すべてアメリカに貯
金されて、日本国内には少しも配分されないことになったのです。

4.アメリカ覇権主義の破綻と日本の進路
 その結果として、アメリカは「金あまり」になります(過剰ドル)。輪転機を回して無節操に印刷し
た紙幣が、外に出ていかずに国内にたまるのですから、銀行は過剰ドルをかかえこむことにな
ります。お金というのは、持っているだけでは何にもなりません。貸して利子を取らなければもう
けは生まれないのです。この過剰ドルが、まず株に投資され、証券に投資され、最後にまだ余
っているものですから、サブプライムローンなどという返す能力のない人にまでむりやり貸し付
けるということになったのです。国内産業は衰退していますから、過剰ドルは生産にはまわら
ず、投機にしかまわりません。これが「カジノ経済」と言われるものです。製造業に使うのでな
く、株や信託や会社の買収・売却に使われているのです。
 このようなブッシュ覇権主義は今、破綻しています。
@政治的破綻
 イラク戦争の失敗で世界の信頼を失いました。
A経済的破綻
 ヨーロッパがドル離れを始めました。乱発されるドルに嫌気のさしたヨーロッパは、 もっと信
頼できる通貨として「ユーロ」を生み出して、ドルに依存しない経済圏とし てのEUを形成しまし
た。ソ連がいれば、こんなことはできなかったのですが、ソ連 の崩壊がアメリカから離れて、
自分たちの地域を自主的に形成することを可能に したのです。次に、東アジアが自立しようと
しています。ソ連の崩壊によって中国 が資本主義社会に参加してきました。その結果、東ア
ジアの国々の中国との貿易 が激増しました。これまでは、アメリカとの貿易に頼るほかなかつ
たのですが、今 では、アメリカよりは中国の方が、ずっと大きな商売相手となっています。そう
なれ ば、当然、ドルへの依存は弱くなります。今、急激に東アジア(ASEANと中国)の 経済
的相互依存が強化されて、いずれ数年以内にはEUのような東アジア経済共 同体の形成に
進むことは目に見えています。最後に「アメリカの裏庭」だった中南 米がアメリカの支配から
離れて自立を開始しました。ベネズエラのチャベス大統領 を先頭として、自主的経済運営を
開始し、これまた数年以内に南米経済共同体の 立ち上げと共通通貨の形成を目指していま
す。
 今やアメリカの一極支配は破綻しつつあります。世界はドル一極支配からユーロ、アジア通
貨等の多極構造に移りつつあります。ソ連がいたからアメリカの支配は成り立っていたので
す。皮肉なことには、ソ連を倒したために、アメリカの支配も倒れることになりました。不換紙幣
ドルによる世界支配は終わりつつあります。しかし世界第2位の経済大国日本を巻き込んで、
ドル支配を軍事力によって続けることを、ブッシュは本気で考えました(ネオコン)。ブッシュにな
ってからの、日本の憲法9条をかえるための圧力は猛烈な勢いでした。しかしブッシュは今「レ
ームダック」と言われ、足が動かなくなったアヒルです。洞爺湖サミットで何を約束しても、その
あと4ヶ月しかないのです。
 今まではアメリカが本当に一番強くて金持ちだったから、日本はアメリカにくっつき、お先棒を
かついでやってきたのですが、これからは、それではやっていけません。日本の貿易の中でア
メリカの割合は16%に落ち込み、アジアとの貿易が48%になっています。中国だけで22%で
す。これけからは中国と仲良くしなければやっていけません。仲良く、というのは言いなりになる
のでなく対等にやることです。アメリカ一辺倒はやめて、預けたドルを取り返し、日本の国内を
豊かにして、国民がものを買えるようにすることが大事です。輸出第一主義をやめること、貿
易立国をやめること、もっと国内の市場を豊かにして、内需による成長を目指さなければいけ
ません。そのためには、消費税を上げることは絶対不可です。社会保障費を増やす、そのた
めにはアメリカの言いなりに軍事費を増やすことをやめて、税金を社会保障費と教育に使うよ
うに変えなければいけない。それが、憲法が求めている日本の姿です。ドイツやフランスを見
れば十分実行できることなのに、なぜできないかというとアメリカ一辺倒だからです。
 次の選挙で私たちは、@アメリカ一辺倒でない、Aアジアと仲良く、B憲法を守る(社会保障
を守る)、C消費税を上げない、そういう人に一票を入れなければなりません。何党でもかまい
ません。たぶん共産党は上の条件みな合格、社民党は8割ぐらい、民主党は三分の一くらい、
ではないでしょうか。この条件を守る人たちで過半数の議席をとること、そうすれば日本国憲法
はただの飾りではなく、我々が主人公として、実際に守られる、そういう国に変わります。次の
選挙がどんなに大切か、そのことをみんなにわかってもらうように・・・あと一年、訴え続けて行
きましょう!(終わり)


13. 私が原発に反対する理由(2011.5.23.掲載)

何人かの方から、原発に関する私の意見についての問い合わせがありました。
また、各地で原発問題についての講演の依頼もあります。以下に、実際の講演
原稿ではありませんが、私の考えの基本だけ箇条書きにして見ました。

 私は数十年来原発に反対し続けてきました。大学の教師だった時期には、毎年の「キリスト
教概論」の講義の中で、一度は必ずこの問題を取り上げて学生に関心を持つようにうながして
きました。なぜ、キリスト教学の教師が原発問題を論じるのかと言えば、原発問題には政治
的、経済的、社会的、倫理的な多くの問題が複合していて、原子力工学の専門家にだけまか
せておくわけにはいかないからです。原発は、@日本のエネルギー政策に関わる政治問題、
Aエネルギー浪費にどのように対処するかという私たちのライフスタイルに関わる人生観の問
題、B遺伝子破壊と人類の存続に関わる生命倫理的問題、Cエネルギーの浪費を可能にし
必然にした経済システムの転換に関わる経済学的問題、D原発の建設・運転が必然的に大
量の下請け労働を生み出し、その下請け労働者の被曝なしには運転不可能なシステムだとい
う下請け労働者の人権問題・・・等々の多面的な問題を持っています。これは原子力の「専門
家」の自然科学的議論だけでは手におえない問題です。
 もちろん、さまざまな立場があるのは当然のことですから、私の意見に固執するつもりはあり
ません。私の意見を手がかりにして自分で考えるための材料を提供することが目的でした。す
でに大学を定年退職して10年以上になりますが、今回の東電福島原発事故に直面して、あら
ためて、これまで考えてきたことが間違っていなかったと感じています。私が原発に反対する理
由は簡潔に箇条書きすれば次のようなものです。

1. 原料のウラン鉱採掘という危険な仕事はアメリカやオーストラリアの先住民に押しつけてき
たこと(「世界先住民ウラニウム・サミット宣言」参照http://www.sric.org/uraniumsummit/index.
html)
2. 原発は国家のエネルギー政策として推進されているために、政府と原子炉メーカーと電力会
社と推進学者の間に癒着が生まれて正常なチェック機能が失われていること。そのために原
発に反対する人たちに対しては国策に反対する者としてイデオロギー的なレッテルが張られて
排除され、原発の危険性についての学問的な検討がなされていないこと(高木仁三郎『原発事
故はなぜくりかえすのか』岩波新書703参照)。
3. 原子炉の設計は科学的にできていても、巨大工事である原発の施工は、実際には、日本の
土建工事の通例にならって、何重もの下請けにまかせられて、結果として数多くの手抜き工事
が行われていて、ネジの閉め忘れやら、無資格者によるでたらめな溶接作業やら、設計と違う
肉厚の配管やら、無数の危険極まりない工事が行われていること(ユーチューブ「心からの叫
び、元原発技術者菊地洋一さんの訴え」参照)
4. 手抜きをチェックするために不可欠の検査が、政府と電力会社の癒着のために甘くなり、電
力会社の利潤最優先の方針によって曲げられてしまって、危険極まりない「事故隠し」が頻発
していること(『東電原発トラブル隠し』岩波ブツクレットNo.582参照) 
5. 通常に運転していても日常的にパイプの経年劣化箇所などからの高温高圧高放射能の水
蒸気の漏れが頻発し、その修復作業にあたる労働者は七重ないし八重の下請け労働者たち
で、何の科学的知識も与えられずに放射能汚染を毎日のように繰り返し、数年で消えていきま
す。もちろん、13ケ月ごとに行われる定期検査の時に原子炉の中に入って作業する下請け労
働者の被曝は想像を絶するものがあります。このような下請け労働者の被曝労働なしには原
発は運転できないこと(堀江邦男『原発労働記』講談社文庫Y648参照)
6. 無事に運転ができたとしても、使用済み核燃料の処理方法がまったく未定で、数万年にわ
たって地下にガラス化して保存するなど、およそ正気の沙汰とは思えないような非科学的な対
処しか考えられていないこと、
7. 他の事故と違って、放射能による障害は人間の遺伝子を傷つけるという生命倫理的な問題
を持っていること 。従って、憲法に示された「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権
利」、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の侵害にあたること、
8. 何よりも気になるのは、出発点がアメリカの核兵器であって、その利用可能エネルギー転換
の具体化として原子力潜水艦のエンジンに転用されたものが、そのまま原発として使用されて
いるのですから、アメリカの核政策の必要上、また核武装の願望を秘めている日本政府の必
要上、必ず「安全神話」が形成されて、それを批判することが政治的圧力によって排除されて
公正な議論ができないこと、
9. アメリカの核政策がICRPやIEAE等の原子力に関する国際機関の判断を曲げているために
日本の世論が原発の危険性について的確な判断ができなくなっています。一番大きな問題
は、ICRPが内部被曝の危険性を認めていないことだと思います。ヒロシマの原爆の非人間性
を隠したいというアメリカの意向が強く働いているからだと思います。原発は通常運転中も必ず
微量の放射性物質を流出させていますので、何の事故がなくとも、原発近辺の人々に乳ガン
等の異常を発生させていますが、内部被曝を認めない立場からは、このような問題は隠されて
しまうと言うこと、
等々の理由で原発は少なくとも現状では科学的理由だけではなく、政治的・経済的・社会的な
理由によって、安全な利用方法が確立していない未完成の技術だと言わざるを得ません。
10. 最後に代替エネルギーの問題は経済学と人生観の問題です。これについては、私はむし
ろ楽観的です。現在の経済規模を維持することを考えれば原発を廃止することは困難になり
ます。しかし経済規模を縮小するとすれば原発なしでも問題はないのだと思います。そして経
済規模の縮小は避けられない必然的な方向だと私は思っています。というのは経済的に、
1972年の金ドル交換停止以後の不換紙幣ドルの世界通貨としての強制通用システムがつい
に終わりを告げて、ドル支配が終わって、それにかわる地域共通通貨の時代が始まろうとして
いるからです。ということは、これまでのように、アメリカが紙くずのドルを無限に乱発すること
によって日本から無限に商品を買い続けることは不可能になったということです。1970年以後
の世界経済の急膨張は、ドル基軸通貨体制による一種のバブル経済の中でだけ可能だった
ので、それが崩壊すれば、世界経済は縮小するほかないからです。経済規模の大幅な縮小が
避けられないというのが私の見通しです。それなら消費エネルギーも当然のことですが大幅に
減少します。現状の経済規模を維持しようと思えば、原発なしでは困難ですが、経済規模を縮
小せざるを得ない状況の中では、原発に依存しない経済はそれほど困難な課題ではないと思
います。むしろ心配なのは、エネルギーの供給不足ではなくて、経済の縮小にともなう貧困や
格差の問題ではないかと思っています。何よりも大切なことは、これらの問題を正しく判断し、
適切に実行できる政府を私たちが作ることと、縮小する経済規模にふさわしいライフスタイル
を生み出す私たちの人生観ではないでしょうか。(以上)



V アフタヌーンレクチャー「現代史を考える」(完結)



 レクチャー終了打ち上げ自由懇談会
2005年6月12日(日)午後2時
戦災復興記念館
会費700円
申し込み:アフタヌーンレクチャー実行委員会
連絡先:TEL 022-251-7916(水上)



これまでの記録

  第1回 『敗戦前後』2003年6月8日(日)14:00
  第2回 『憲法制定』2003年7月13日(日)14:00
  第3回 『サンフランシスコ平和条約』2003年9月21日14:00
  第4回 『旧安保条約』2003年10月12日(日)14:00
  第5回 『沖縄の戦後史』2003年11月16日(日)14:00
  第6回 『戦後補償@』2003年12月14日(日)14:00
  第7回 『日米地位協定』2004年1月11日(日)14:00
  第8回『池田・ロバートソン会談と教科書問題』2004年2月8日(日)14:00
  第9回 『新安保条約・安保改定問題』2004年3月7日(日)14:00
第10回『ビキニ被爆50年』2004年4月18日(日)14:00
第11回『ヴェトナム戦争』2004年5月9日(日)14:00
第12回 『日本経済の高度成長』2004年6月13日(日)14:00
第13回 『日韓条約』2004年7月18日(日)14:00
第14回 『革新自治体の時代』2004年9月12日(日)14:00
第15回 『昭和天皇の死と大嘗祭』2004年10月17日(日)14:00
第16回 『靖国神社』2004年11月23日(火)14:00
第17回 『建国記念の日、元号、日の丸・君が代』2004年12月12日(日)14:00
第18回 『ソ連崩壊』2005年1月16日(日)14:00
第19回『バブル経済と長期不況』2005年2月13日(日)14:00
第20回『ネオコンとイラク戦争』2005年3月20日(日)14:00
第21回『アメリカ経済と21世紀の世界・日本の進路』2005年4月10日(日)14:00
第22回スペシャル『原爆はなぜ投下されたか』 \
 
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W 仙台の平和集会

「平和七夕」のお知らせ

   仙台七夕は月遅れのお祭りなので、8月6日から三日間行われます。そのため初
   日の6日は「ヒロシマ」の日と重なります。そこで、この日に「ノーモア・ヒロシマ、ノー
   モア・ナガサキ」を訴える七夕飾りを出して、観光客の皆さんに平和の訴えをしたい
   と願う市民が集まって「平和七夕」という催しが行われています。以下にその趣意
   書と実施要項を掲載します。今年も、すでに毎週集まって準備が行われています。
   一羽でも結構です。平和を祈る鶴を折って送っていただければ仙台七夕に飾ること
   ができます。

☆平和を願う皆様へ☆

平和七夕の訴え

「平和七夕」は33年目を迎えました。仙台七夕祭りの初日、8月6日は「ヒロシマ」原爆被災の
日です。この日を忘れないために、七夕祭りの中に「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」の竹飾りを
飾り続けてきました。今も、イラクで、アフガンで、戦争が続き、劣化ウラン弾による放射能被
害にイラクの多くの子どもたちが苦しんでいます。横須賀には原子力空母ジョージ・ワシントン
が母港として入港しています。世界中には核爆弾が、今も2万発以上存在します。私た
ちは、1日も早く核兵器が廃絶されることを願って、今年も「平和七夕」を飾りたいと思います。
もともと七夕は、短冊に庶民の祈りを込めて竹飾りとする習わしと言われていますが、現代の
日本人が8月6日に何ごとかを祈るとしたら「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」という祈り
以外に、何を祈ることが出来るでしょうか。
今年も全国から平和七夕のために沢山の折り鶴が送られてきます。数年前からは、吹流しの
他にノーモア・ヒロシマ・ナガサキの短冊を付けた首飾り(レイ)も作って、見物の皆さんに配布
し、これも大変喜ばれています。
皆様方のご協力で、今年もまた仙台七夕に平和を祈る竹飾りを高く掲げ、平和の祈りの輪を
いっそう大きく広げることが出来ますように、心から祈るものです。
なお飾り付け、報告書作成、郵送等のために20万円ほどの費用が必要です。そのためにも
市民の皆様のご支援をお願いいたします。

2009年5月
「平和を祈る七夕」市民のつどい
呼びかけ人:代表者油谷重雄(仙台市泉区加茂5−22−5)
安部武・岩城幸治(北海道岩内)・大野浩悦(仙台YMCA総主事)・金城平真・金原道子(仙台Yメ
ネット会)・川端純四郎・丹野ヒサ・平賀徹夫・船越玲子・増田喜一郎
                                                      

☆ノーモア・ヒロシマ・ナガサキを祈る☆                                       
  │平 和 七 夕 の 実 行 内 容  │               

 今年もクリスロード商店街ジョリビル・ダイエーの前に、折り鶴の吹流しを5本飾りたいと願っ
ています。
【1】1本の吹流しに少なくとも3.6万羽、5本で18万羽の折り鶴が必要です。皆様に是非ノーモ
ア・ヒロシマ・ナガサキの祈りをこめて鶴を折って頂きたいのです。18万羽以上集まった時に
は首飾り(レイ)に作って七夕期間中に見物の皆さんに配布します。これは大変好評で、持ち
帰って大切に飾って下さる方が大勢おられます
【2】吹流し、飾り付け作業は次ように行います。
     5月21日〜7月16日 毎週木曜日 PM 6:30〜8:00
     7月17日〜8月5日  毎日    PM 6:30〜8:00
      仙台Y M C A会館で(西公園前、立町小学校裏)
【3】自宅で鶴を折って下さる方は7.5cm×7.5cm 四方の用紙(包装紙等何でも結構です)で折
って下さい。自宅で糸通しをしてくださる方には、糸、針、鶴をこちらからお届けします。電話,F
ÅX等でご連絡下さい。吹流しは、4mのたこ糸に折り鶴を開かずに3.5mの所まで重ねて詰
めて下さい。
出来上がったものは、毎月第二,第四土曜日に回収に伺います。なお、詳しい内容については
「呼びかけ人」または次の「連絡先」まで、お問い合わせ下さい。

  「平和を祈る七夕」市民のつどい
            代表者:油谷 重雄  (TEL・FAX・022-378-5765)
            連絡先:仙台Y M C A (TEL・022-222-7533)
                       (FAX・022-222-2952)





<核兵器廃絶・自衛隊海外派兵反対市民行進>
毎月最後の日曜日の午後、定例で平和行進を行っています。
次回は第314回です。ぜひご参加ください。
日時 2009.5.31.(日)14:00
集合場所 東北大学片平キャンパス北門前
主催 市民平和行進の会(連絡先:TEL 022-221-4667 川端)



X 「九条の会」発足


「九条の会」発足
 憲法改悪の危機が迫る中、断固として憲法九条を守り抜こうと九人の呼びかけ人によって
「九条の会」が結成されました。呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康
宏、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の九氏です。七月二四日に発足
記念講演会が東京で開かれました。会場に聴衆があふれ入場整理券にキャンセル待ちが出
るほどでした。井上ひさしさんは「人類の歩みの結晶が憲法九条です」と語り、澤地久枝さんは
「ここから一ミリたりとも引かない」と決意を述べました。
会から次の三つの提案が行われています。
@各地域・分野で「アピール」に賛同する会を作る。
Aビデオ・ポスターなどを活用し全国に「九条の会」のメッセージを広げる。
B大小さまざまな集会、学習会を開催する。
 宮城県でも近々のうちに「九条の会みやぎ」が発足すると思われます。ぜひご参加をお待ち
します。
連絡先:〒101-0065東京都千代田区
西神田2-5-7神田中央ビル303
Tel/Fax:03-322-5075
http://www.9-jo.jp/



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